九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
古墳時代の親族関係について
田中, 良之
九州大学医学部
土肥, 直美
九州大学医学部
https://doi.org/10.15017/2235369
出版情報:九州人類学会報. 15, pp.10-12, 1987-07-10. 九州人類学研究会 バージョン:
権利関係:
古 墳 時 代 の 親 族 関 係 に つ い て
田 中 良 之 ・ 土 肥 直 美
先史時代の親族構造を解明する試みとしては,考古学(Deetz, 1965; Longacre and Ayres, I 968 ; 金関, 1969;甲元, 1975:,春成,1979)および形質人類学(Lane,1972; Spence, 1974;毛利, 1985) のそれぞれの方法による別個の研究が知られている。そして,乙れらは対象となる社会集団の規模は 異なるものの,いずれも統計的処理による集団ごとの結果に基くものである。
とζろが,古績に埋葬されたのは,集団や家族そのものではなく,それらから象徴的に選択された 人物である。よって,上記の方法は適用不能である。しかし,被葬者選択の背後には社会的もしくは 政治的規制の存在が想定され,また.その選択性ゆえに古境への埋葬が財や地位の継承と深く関わる
ものであると理解されるのである(近藤, 1966。)
乙のような観点も含めて,古績に埋葬された複数の彼葬者については,その考古学的特徴を用いて 分析を行なった研究がある(小林, 1972;閤壁, 1962;今井, 1982;辻村, 1982)。しかし,これらは いずれも仮説の提唱に止まっており,他の方法による検証は今のとζろ行なわれていない。
一方, ζれらとは別に形質人類学的方法によって彼葬者の親族関係にアプローチした例もある。そ れは,血液型(水野, 1982)や頭蓋非計測的小変異(池田, 1985)によるものである。しかし,前者 はAB O血液型のみからの分析であるため,妥当なモデルの選沢というよりは,絶対に成立不能なモ デルの指鏑のみが可能である。また.後者は小変異の出現頻度自体が数パーセントから十数パーセン トであるため,他人である可能性ぞ排除する確率が高い反面,血縁者を抽出する確率も低いという欠 点舎もつ。
ζれらに対して,歯冠計浪I)値を用いた分析は高い実用性をもっ。乙れは,舗の形態・比例le:高い遺 伝性が認められることに着目した埴原和郎らが,歯冠近遠心径6項目を用いてQモード相関係数を求 め,クラスター分析・数量化理論第
W
類によって縄文人の親族関係モデルを抽出したのが初例である(箱原他, 1983)。我々は,この泊原らの業績4をふまえ,歯冠近遠心径』乙煩舌径を加えて,歯の比例 とともに形態の factorをも含めて分析を行ない,好成績を得た(田中他, 1985)。と ζろが,その 過程で,歯種の組み合わせを変えると必ずしも安定した成績が得られない乙とがわかってきた。そζ
で,現代人血縁者から石膏印象模型を採取し,舗冠近遠心径・頬舌径を計&!JしてQモード相関係数を 求め,現代人非血縁者同士の値とを比較するζとによって,血縁者縫定iζ有効な歯種の組み合わせを 親等Cとに抽出した。そして このようにして得られた歯種の組み合わせの中には,親等がイトコ程 度l乙緩れると無効となるものも含まれている(土肥他, 1986。)
しかし, ζの方法を古境出土の人骨l乙適用するだけでは不十分である。というのも,同一主体部i乙 葬られた数体の被葬者聞に血縁関係が後定されたとしても,それは被葬者が血縁者を含む「家族」で
あったといえるのみであり,彼葬者間の具体的な関係,どのような「家族jであったのかまではアプ ローチしえないからである。そζまで言及するためには,埋葬順位の確定,各彼葬者』ζ供う副葬・供 献遺物の確定,人脅の配置・片付け状態の観察,遺構の観察による追葬間隔の推定等,主として発錨
一
10ー調査時の量豊富な考古学的情報が必要ととtる。我々は, ζのような条件を満たす事例として大分県上ノ 原横穴墓群をあげるととができるが(問中他, 1985),今回は上記の形質人類学・考古学双方の分析 法を併用し,西日本の13三去の古墳と・そζから出土した人脅に対して適用してみた。
個別事例の詳細は割愛するが,その結果は以下の 3つの差本モデルに集約された。
モデル
I
成人男女の兄妹(姉弟)のペアが基本となるもので,それぞれの配偶者に相当する人物は同一主体 内には埋葬されていない。そして,前記の諸研究で指鏑されていた,①成人男女のぺア+幼小児,② 成人男性のみ,①成人女性のみ,①成人男性もしくは成人女性の単体埋葬,① 3人以上の成人男女の 混在,という類型も,① 兄妹(姉弟)といずれかの子供,② 兄弟のみ,③ 姉妹のみ,① 兄妹
(姉弟)の一方のみの単体埋葬,① 3人以上の兄妹(姉弟),というように, ζの基本モデルζl包 摂される亜型として理解される。とりわけ,夫婦を基本とするモデルでは説明不能である①・①・①・
①においても,兄妹(姉弟〉原理を釜本として,埋葬に対する選択・規制の多様性を考慮するζとに よって理解ぎれたのである。
毛デルE
彼葬者たちの生前における年齢構成を復元する乙とによって 成人男性とその男女の子供が葬られ たと推定されるものである。 「家長」と考えられる成人男性の死を契機として墳墓は築造され,乙の
「家長Jの妻!C.相当する女性は埋葬されていない。したがって 父系の血縁者のみが甥葬されたもの と考えられる。
毛デルE
モデル
E
における 「家長J
の配偶者IC.相当する女性が埋葬されているもので,歯冠言十ll{jl値による分 析でも「家長」との簡に高得点は得られない。したがって,父母と男女の子供という構成と考えられるものである。
以上3つの基本モデルの時期信をみると,モデルIが4世紀〜5世紀代,モデルEが5世紀後半〜
6世紀後半,モデル班は6世紀中葉〜後半以降というように年代願に配列される。したがって,モデ ルI→E→血の変遷は以下のように理解されよう。
まず, 4世紀〜5世紀代は,血縁性・出自規制が強い段階であり 兄妹(姉弟)のぺアを基本とす る。しかし,選侭性・規制の強弱によっていくつかの亜型をも内包している。そして,より強く選沢 性・規制が働いて単体埋葬IC.絞り込まれた場合は,男女いずれのケースもありうる。よって,男性首 長とともに女性首長も併存するという古墳時代前期のあり方もζのモデル
κ
よって説明しうる。次IL, 5世紀後半となると, 「家長」とその子(男女あり),すなわち父系の血縁者のみが壕葬さ れるようになる。乙のモテールは,モデル
I
の亜型としての 「兄妹(姉弟)+いずれかの子供J
という型から,妹あるいは姉が脱落した形となっており そ乙に父系への強い傾斜が認められる。また 大分県上ノ原被穴裳群における 5世紀後半の単体埋葬初期様穴墓の彼努者が例外なく男性であるとい
う事実(村上, 1985)も,乙のモデルへのさらなる規制強化の結果として理解される。
さら !L.6世紀中葉以降となると,モテ・ル
E
における「家長」の婆,すなわち「家主i
が葬られるよ うになり,世帯原理が強〈反映されてくる。そして, 8世紀における戸籍に記載された家族の形態(佐田, 1979)は,まさにζのモデルEといってもいいだろう。
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以上の結果は,今後事例を増加させ,さらに検討をつづけていくべきものである。また,縄文,弥 生時代からの通史的展望や地域差の問題,婚姻システム等,付随する諸問題色少なくないが,今回は 形質人類学・考古学双方からのアプローチによって得られたこのテー7への展望を示すに止めた。
参 考 文 献
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