氏 名 野田 友子 博士の専攻分野の名称 博士(医工学) 学 位 記 番 号 医工博乙第89号 学 位 授 与 年 月 日 平成29年3月23日 学 位 授 与 の 要 件 学位規則第4条第2項該当 専 攻 名 人間環境医工学専攻 学 位 論 文 題 目 レット症候群疾患特異的ヒトiPS 細胞の樹立と神経系細胞分化 におけるエピジェネティクス 論 文 審 査 委 員 主査 教 授 黒 澤 尋 教 授 楠 木 正 巳 教 授 若 山 照 彦 教 授 岸 上 哲 士 准教授 大 槻 隆 司 准教授 野 田 悟 子
学位論文内容の要旨
人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells; iPS 細胞)作成技術により、疾患を発 症している患者由来のiPS 細胞を樹立することで変異を有する iPS 細胞を樹立できるよう になった。本研究では小児期に発症する進行性の神経系疾患であるレット症候群患者の皮 膚繊維芽細胞よりiPS 細胞を樹立し、継代培養における iPS 細胞の性質の安定性評価と神 経系細胞への分化異様の探索を、塩基配列の変化を伴わないX 染色体の不活性化や DNA の メチル化といったエピジェネティック特性の観点から解析を行った。 第1章 レット症候群患者由来疾患特異的iPS 細胞の樹立 レット症候群は小児期に発症する進行性の神経系疾患として知られ、精神運動発達遅滞 がみられる疾患である。この疾患はX 染色体上に存在する methyl-CpG binding protein 2
遺伝子(MECP2)の変異が主な原因遺伝子と指摘されている。本研究ではMECP2の806
番目の一塩基が欠損した変異を持つ一卵性双生女児の患者2名(以下RS1, RS2 と表記する) の皮膚繊維芽細胞からレット症候群患者由来の疾患特異的 iPS 細胞を樹立した。樹立した iPS 細胞の MeCP2 の発現状態は X 染色体の不活性化の状態によって決定されるため、X 染 色体不活性化状態をヒトアンドロジェン受容体(HUMARA)遺伝子のメチル化に基づく
HUMARA メチル化特異的 PCR (HUMARA-MSP)を用いて、樹立した iPS 細胞の X 染 色体の不活化状態を特定した。その結果、およそ9割の株でX 染色体の不活性化が完了し ていた。すなわち、活性化状態が維持される X 染色体が確定している株が9割であり、残 りの1 割が X 染色体の不活化が進行しながらも両方の X 染色体が活性化している株であっ た。両X 染色体が部分的に活性化状態にある株(RS1-13)、父由来 X 染色体が不活性化さ れている株(RS1-52M および RS2-65M)、 および母由来 X 染色体が不活性化されている 株(RS1-61P および RS2-62P)の合計 5 株について iPS 細胞の特性解析を行ったところ、 5 株はすべて未分化マーカー(NANOG および TRA-1-81)を示し、テラトーマ形成による 三胚葉分化能を有することが確認できた。また、これらを核型解析したところ、すべての 株で正常な核型であることが示された。以上の結果より、レット症候群患者由来の皮膚繊 維芽細胞より3 種類の iPS 細胞が樹立できたと結論付けられた。 第2章 X 染色体の不活性化解析を用いた iPS 細胞の性質安定性評価の試み X 染色体の不活性化は、男性と女性の性染色体による遺伝子発現の差を埋めるために生じ る、エピジェネティックな現象の一つである。iPS 細胞は研究に用いる過程で継代培養が必 須であるため、第1章で利用したHUMARA-MSP を用いてX染色体の不活性化の状態を継 代培養期間中に経時的に検出することで、両 X 染色体の部分的活性状態の株におけるゲノ ム安定性評価を試みた。樹立時に両X 染色体部分活性状態と判定された株 3 種類(RS1-13, RS1-44, および RS1-76)および健常者由来の iPS 細胞(WD5 および WD37)の合計 5 ラ インについて、HUMARA-MSP を用いて X 染色体の不活化状態を判定した。解析の結果、 不活性化を受けつつも活性化状態にあったX 染色体は徐々に不活性化が起こることが明ら かになり、樹立直後のiPS 細胞における X 染色体の不活化状態は不安定であることが確認 できた。また、HUMARA-MSP 法がゲノム安定性の検討法として有効な方法であることも 証明できた。 第3章 レット症候群由来疾患特異的 iPS 細胞を用いた神経系分化におけるエピジェネテ ィック特性の解析 第1 章で樹立した母由来 X 染色体発現株(RS1-52M および RS2-65M)および父由来 X 染色体発現株(RS1-61P および RS2-62P)を用いて、神経系細胞分化における MeCP2 の 有無による影響を検討した。MECP2の発現パターンはiPS 細胞と同様のパターンが維持さ れていたため、X 染色体の不活性化パターンは分化を通じても維持されていることが証明さ れた。未分化な iPS 細胞の状態では MeCP2 の有無による有意な網羅的遺伝子発現の差が
認められないのに対して、神経系細胞に分化後はその差が顕著になる傾向が得られた。以 上のことから、MeCP2 は iPS 細胞の段階よりも神経分化の段階においてより重要な遺伝子 発現調節の役割を持つことが示唆された。MeCP2 陰性の iPS 細胞由来の神経系細胞は MeCP2 陽性の iPS 細胞由来の神経系細胞と比較して GFAP 陽性細胞数が多いことが明ら かになった。父由来X 染色体発現株由来の細胞では母由来 X 染色体発現株由来の細胞と比 較して、脳を構成する主要な細胞の一種であるアストロサイト関連遺伝子(GFAP および S100 )が高発現していることが明らかとなった。父由来X 染色体発現株由来の細胞では 正常MeCP2 が作られないために結合できずに遺伝子発現が抑制されず、結果としてGFAP が高発現していることが示唆された。加えて、両者の GFAPプロモーター領域のメチル化 差異がGFAPの高発現に繋がっているか否かを確認するためにbisulfite sequencing を行っ たところ、どちらも高メチル化されており両者のメチル化状態に差はなかった。以上の結 果より変異 MECP2 発現細胞では GFAP プロモーター領域がメチル化されていても、 MeCP2 が変異型であるために結合できず、GFAPの発現が抑制されていないことによって、 結果的に発現が上昇していることが示唆された。
論文審査結果の要旨
本論文は、進行性の神経系疾患であるレット症候群患者の皮膚繊維芽細胞よりiPS 細胞 を樹立し、樹立したX 染色体の不活性化の状態が異なる iPS 細胞の性質について、安定性、 神経系細胞への分化特性、及び塩基配列の変化を伴わないX 染色体の不活化や DNA のメ チル化といったエピジェネティック特性の観点から解析を行ったものである。 本研究ではMECP2の806 番目の一塩基が欠損した変異を持つ一卵性双生女児の患者2 名(以下RS1, RS2 と表記する)の皮膚繊維芽細胞からレット症候群患者由来の疾患特異的 iPS 細胞を樹立することに成功した。樹立した iPS 細胞のおよそ9割が X 染色体の不活性 化が完了していた。残りの1 割が X 染色体の不活化が進行しながらも両方の X 染色体が活 性化している株であった。両X 染色体が部分的に活性化状態にある株(RS1-13)、父由来 X 染色体が不活性化されている株(RS1-52M および RS2-65M)、 および母由来 X 染色体が 不活性化されている株(RS1-61P および RS2-62P)の合計 5 株について iPS 細胞の特性解 析を行ったところ、5 株はすべて未分化マーカー(NANOG および TRA-1-81)を示し、テ ラトーマ形成による三胚葉分化能を有することが確認できた。また、これらを核型解析し たところ、すべての株で正常な核型であることが示された。以上の結果より、レット症候 群患者由来の皮膚繊維芽細胞より3 種類の iPS 細胞が樹立できたと結論付けた。樹立した iPS 細胞のX染色体の不活性化の状態を継代培養期間中に経時的に検出するこ とで、両 X 染色体の部分的活性状態の株におけるゲノム安定性評価を試みた。樹立時に両 X 染色体部分活性状態と判定された株 3 種類(RS1-13, RS1-44, および RS1-76)および健 常者由来のiPS 細胞(WD5 および WD37)の合計 5 ラインについて、HUMARA-MSP を 用いて X 染色体の不活化状態を判定した。解析の結果、不活性化を受けつつも活性化状態 にあった X 染色体は徐々に不活性化が起こることを明らかにした。また、樹立直後の iPS 細 胞 に お け る X 染 色 体 の 不 活 化 状 態 は 不 安 定 で あ る こ と も 確 認 し た 。 さ ら に 、 HUMARA-MSP 法がゲノム安定性の検討法として有効な方法であることも証明した。 母由来 X 染色体発現株(RS1-52M および RS2-65M)および父由来 X 染色体発現株 (RS1-61P および RS2-62P)を用いて、神経系細胞分化における MeCP2 の影響を検討し た。未分化なiPS 細胞の状態では MeCP2 の有無により網羅的遺伝子発現に有意な差は認 められなかった。このことから、MeCP2 は iPS 細胞の段階よりも神経分化の段階において より重要な遺伝子発現調節の役割を持つことが示唆された。また、MeCP2 陰性の iPS 細胞 由来の神経系細胞は、MeCP2 陽性の iPS 細胞由来の神経系細胞と比較して GFAP 陽性細 胞数が多いことが明らかになった。さらに、父由来X 染色体発現株由来の細胞では母由来 X 染色体発現株由来の細胞と比較して、アストロサイト関連遺伝子(GFAPおよびS100 ) が高発現していた。父由来X 染色体発現株由来の細胞では正常 MeCP2 が作られないため 遺伝子発現が抑制されず、結果としてGFAP が高発現していることが示唆された。両者の GFAP プロモーター領域は、どちらも高メチル化されており両者のメチル化状態に差はな かった。以上の結果より変異MECP2発現細胞ではGFAPプロモーター領域がメチル化さ れていても、MeCP2 が変異型であるために結合できず、GFAPの発現が抑制されていない ことが示唆された。 以上の研究内容は、英文の原著論文4報、英文の総説1報にまとめられ、医学・工学分 野の定評ある英文誌に発表されている。よって、本論文は博士(医工学)の学位論文とし て適格と認め、合格と判定した。