一 は じ め に 二 私 通
・ 同 棲 三姦通︵以上九巻四号︶
四 同 性 愛
m
序② 西 ド イ ツ
③ フ ラ ン ス
④イギリス︵以上十巻一号︶
③ ア メ リ カ
m
同性愛禁止規定の合憲性︵以上十一巻一号︶印市民的権利の制限︵以上十三巻一号︶
五 売 春
l l
序︵
切 売 春 の 法 的 統 制 の 歴 史
③ 売 春 の 法 的 統 制 の 諸 類 型 m禁止主義ー—_アメリカ合衆国
い新規制主義ーー!ドイツとオランダ 団 廃 止 主 義
l
イギリスとフランス
④ 結 び に 代 え て 六おわりに︵以上本号︶
人権としての性的自由をめぐる諸問題
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上
︵ 五
・ 完
︶
村
貞
美
18‑2 ‑377 (香法'98)
いずれも売春について数ページを充てて論述して
本論文はこれまで人権としての性的自由ないし性的自己決定権に包摂されうる問題として︑私通︑同棲︑姦通およ び同性愛を取り上げ︑その法的諸問題を論じてきた︒また別稿において︑まず最初に強姦罪を取り上げ︑欧米におけ る法律改正問題に主たる焦点を当てて検討を加えた︒次いで人工妊娠中絶問題については︑フランスの一九七五年法
律を中核にしてその比較法的考察を試みた︒さらに関連する問題としてセクシュアル・ハラスメントを取り上げ︑
ランスの労働法と刑法の改正によって導入された当該規定の制定過程とその内容について検討を加えるとともに︑
わゆる環境型セクシュアル・ハラスメントについて憲法問題としての解釈論を呈示してきた︒
本稿では売春について検討を加え︑これをもって人権としての性的自由に関する一連の研究にひとまず終止符を打
つこ
とに
する
︒ これまで日本の憲法学界では売春について論じられることはほとんどなかったように思われる︒日本国憲法の標準 的な体系書や概説書においては売春について触れているものはほとんどない︒わずかに職業選択の自由に関連して売 春が認められないとか︑あるいは売春が憲法上自由でないとすれば︑それはどのような原理によって正当化される
のか︑といった点について言及されているのが散見されるだけである︒それに対してフランスでは日本の憲法人権論
に相当する
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b e
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s に関する代表的な著作においては︑
︵ 序
五
売
春
し) フ
人権としての性的自由をめぐる諸問題(五・完)(上村)
するべきであるとする主張に反論を加えることにする︒ 面から売春について論じている︒リヴェロは身体の自由と道徳との関連において︑引との関連においてそれぞれ売春について言及している︒この差異が何に由来するかはともかくとして︑憲法学界においては︑売春が人権問題であると考えられていることは間違いない︒
本稿は売春を性交の自由の問題として考察する︒
あろう︒性交の自由がなければ人類は絶滅するからである︒性交が成人間の合意にもとづくものであるかぎり︑原則 として自由であるべきである︒したがって︑合意にもとづかない性暴力である強姦は性交の自由を侵害する︒そのこ
(8 )
とはたとえ夫婦間であったとしても変わりはない︒成人間の合意にもとづく性交であれば︑夫婦間においては当然の こと︑婚姻外においても自由であるべきではないかという観点から︑私通︑同棲ならびに姦通の問題については︑す でに考察を加えてきた︒婚姻外の性交であっても︑刑罰をもって禁止することは許されないというのがその結論であ それでは︑売春も成人間の合意にもとづく性交なのであるから︑私通や姦通と同じく︑禁止したり刑罰を科したり
することは許されないのであろうか︑
三
00
年にわたる売春の法的統制の歴史を概観する︒次いで売春の法的統制の三つのタイプである禁止主義︑新規制 主義および廃止主義を採用している国々の法制度を順次検討することにする︒そして最後に売春は性的自己決定権の 行使なのであるから︑売春を職業として積極的に認知すべきであるとか︑売春婦に対して労働者としての権利を保障
ところで﹁売春は人類最古の職業である﹂とよくいわれるほど古くから存在するが︑現代ほど売春が世界中に広ま
っ た
︒ 7)
い る
︒ コリアールは︑街頭における売春のための客引きが法律上禁止されているので︑人権としての通行の自由の側
というのが本稿の基本的な問題関心である︒
またロベールは身体の自由と商取
フランスの
およそ人には性交の自由があることは何人たりとも否定しないで
そこで本稿ではまず最初におよそ
18‑2 ‑379 (香法'98)
にここ数年の間に法律改正が行われてきた︒ フ
ラン
ス︑
スウ
ェー
デン
︑
はじめた︒先進国のペドファイラー った時代はなかった︒ジャーナリストの松井やより氏は︑﹁人類史上︑かつてない規模にふくれ上がった売春は︑病め
(9 )
る現代社会の最も顕著な症状といえる﹂と喝破している︒それを象徴するのが︑売春に代表される性産業
( s e x
i n
d u
s ,
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y )
と買売︵かいしゅん︶という二つの造語であろう︒
ツ ア ー
タイやフィリピン等の第三世界へ買春旅行に出かけたが︑
るための最も強力な政策の︱つであった︒
一九
八
0
年代に入ると︑第三世界からドイツ︑進国へ売春するために人身売買されるケースが増え国際問題になってきている︒また買春ツアーも異なる様相を呈し
︵小
児性
愛者
︶
ノル
ウェ
ー︑
これらの第三世界の国々にとっては性産業は外貨を獲得す
は自分の国では欲求を満足させることが困難になったため︑
やフィリピン等へ子どもを買春するためにセックスツアーに出かけるという深刻な事態が招来した︒そのためドイツ︑
オーストラリア︑イギリス︑
日本においても状況は変わらない︒タイやフィリピン等から﹁じゃぱゆき﹂さんが人身売買される︑あるいはそれ
らの国々へ子ども買春ツアーヘ出かける︑ カナダ等においては︑これを刑事規制するため
さらには女子中高生による援助交際という名の売春をする︑
わしい事態が進行中である︒施行後四
0
年を迎える売春防止法の下で︑次々にあの手この手の売春のニュー・フェイ スが編み出され︑都会においては売春が合法化されているのではないかと錯覚するほどにまで至っている︒まさに現
( 1 0 )
︵1 1 )
代日本は﹁売買春王国﹂であり︑﹁性に病む社会﹂であるといえよう︒
このように広域化︑多様化してきている売春を研究するためには︑憲法︑刑法及び国際法といった法律学からのア プローチだけではなく︑社会学︑経済学︑歴史学及び医学からの多面的︑多角的アプローチが要請されている︒本稿 は性的自由ないし性的自己決定権というきわめて限定された視角から売春について考察を加えたものでしかないこと
一九 七
0
年代に
は︑
日本
︑
ドイ
ツ︑
オラ
ンダ
︑
といった嘆か フランス等の先
タイ
アメリカ等の先進国の男が
四
人権としての性的自由をめぐる諸問題(五・完)(上村)
止法
は︑
その二条において︑又は受ける約束で︑
五
不特定の相手方と性交することをいう﹂と定義してい 売春とはどのような行為をいうのかについて︑
pr
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で ︑
をお断りしておく︒
拙稿﹁人権としての性的自由と強姦罪
1欧米における強姦罪の改正をめぐってーーー﹂香川法学七巻三・四号︒
拙稿﹁フランスの妊娠中絶法﹂香川法学八巻一号︑﹁人工妊娠中絶と法﹂虫明満編﹃人のいのちと法﹄所収︒
拙稿﹁フランス法におけるセクシュアル・ハラスメント﹂香川法学十四巻一号︒
拙稿﹁環境型セクシュアル・ハラスメント﹂ジュリスト一0
三七
号︒
浦部法穂﹃憲法学教室ー﹄二六九頁︒
内野正幸﹃憲法解釈の論理と体系﹄三三八頁︒
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5 ‑
8 7
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拙稿「汝、妻を強姦するなかれ—ー上大婦間レイプをめぐる法の状況」イマーゴVol.
4 ‑
4 ︒
松井やより﹃女たちのアジア﹄一四四頁︒
﹁売買春王国﹂というのは︑森崎和江﹃買春王国の女たち﹄から借用した︒
﹁性に病む社会﹂という言葉は︑川越修﹃性に病む社会﹄から拝借したものである︒
売春の法的統制の歴史
売春とは何か︒
(2) ( 1
1 )
( 1 0 )
( 9
)
(8
)
(7
)
( 6
)
(5
)
(4
)
( 3
)
(2
)
( 1
)
法律上定義している場合とそうでない場合とがある︒
売春のことは英語でもフランス語でもドイツ語でも
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tu
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とい
う︒
(1 )
その意味は
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or
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だそうである︒
﹁対
償を
受け
︑
日本の売春防
18‑2 ‑381 法
︐
8 , 'そ の 語 源 は ラ テ ン 語 の 香
的・反復的・かつ不断に性的交渉を行なうことである︒
そし
て︑
この行為以外に生活の手段をいっさいもたず︑性的 定義していないのがほとんどである︒ 的活動に従事する︑ であれ︑売春の罪で有罪であると規定している︒ る︒フランスの一九四七年︱一月五日のデクレも︑﹁報酬を受けて︑不定数の個人と常習的に性的関係に入ることに同
アメリカ合衆国のほとんどすべての州においては︑売春自体が犯罪とされていることもあって︑各州の刑法典にお
いて売春について定義している場合が多い︒因みに一九六二年の模範刑法典は︑次の行為を行った人は︑男であれ女
( a )
売春宿の住人である︑もしくは別のやり方でビジネスとして性
(2 )
( b )
性的活動に従事するために雇われる目的で︑公共の場所から見える場所で徘徊する人︒
アメリカ合衆国とは異なりヨーロッパ諸国においては︑売春自体を犯罪にしていないこともあって︑法律で売春を
一九九四年に全面改正されたフランスの刑法典は︑売春斡旋及びこれに類する
犯罪について規定しているが︑売春行為自体については何ら定義していない︒ドイツの刑法典もイギリスの一九五九
年の性犯罪法
( S e x
u a l
O f f e
n c e s
A c t
) も同じ理由のために売春について定義していない︒
フランスの社会学者マンシニは︑﹁売春とは︑婦女が︑金銭を対価として︑自由意志で︑拘束されることなく︑常習
交渉の対象は求められればいかなる相手であろうと選択しあるいは拒絶することなく︑喜びでなく︑ただ金銭の獲得
を本来の目的とする行為である﹂と定義している︒
アメリカの法学者で︑コマーシャル・セックスは人の権利であると主張しているリチャーズによれば︑﹁売春婦とは︑
(4 )
金銭の支払と交換に無差別に性的関係を与える人﹂と定義している︒同じくアメリカの法学者で売春に関して六
00
頁近い研究書を著したデッカーは︑伝統的な定義によれば︑売春婦とは︑﹁金銭と交換で︑そのほとんどが無差別かつ
一般的に全く情緒的
i n
v o
l v
e m
e n
t を含まない性的出会いに従事することに生計の全部または一部を依存している人﹂ 意している人の活動﹂であると定義している︒
r.
ノ
18‑2 ‑382 '98)
人権としての性的自由をめぐる諸問題(五・完)(上村)
ざまな形で存在していた︒ とも売春の歴史は古く︑
七
フランス革命とそれに続くナポレオンの時代である︒この
おそらく不可能であろう︒しかしすくなく
右のような各種の定義から︑売春はすくなくとも三つの要素から成り立っているといえる︒第一は性交することな いし性的関係を結ぶこと︑第二にその相手方が不特定であること︑第三に対償を受けることである︒
このように定義される売春は本当に﹁人類最古の職業﹂
あるということと︑数ある職業の中で売春の歴史が最も古いということを証明する必要がある︒前者の証明はさほど
困難ではない︒﹁アメリカの社会学者スチュアートとカンターの定義によれば︑職業とは﹃社会の成人構成員によって
きらかに職業である︒社会の必要を満たし︑ 果たされる社会的役割で︑直接または間接に︑社会的︑経済的結果を生みだすもの﹄をいう︒してみれば︑売春はあ
(6 )
それに従事する者は経済的な報酬を得ている︒﹂
それに対して後者の証明は容易でない︒それを証明する必要もないし︑
この長い売春の歴史をそれに対する法的統制という観点から区分するとすると︑すくなくともヨーロッパにおいて は宗教改革の前と後に二分することができる︒宗教改革が行われる前は︑若干の例外はあるものの︑売春は容認され
てい
た︒
ヨー
ロッ
パ︑
しかし宗教改革以後は︑
刑罰が科せられるようになっていった︒
.察から鑑札の交付を受けて事実上経営されていた︒
売春統制の歴史の上で︱つのエポックを形成するのは︑
であろうか︒この命題が成り立っためには︑売春が職業で
アジアそしてアフリカにおいて︑
はるか古代の昔から宗教的色彩をおびてさま とりわけフランスにおいては職業的売春婦に対する取り締まりが強化され︑厳しい
とはいえ売春宿がなくなって売春婦が姿を消したわけではない︒売春宿は警 時期にいわゆる公娼制度が世界ではじめて導入され確立していくのである︒公娼制度を導入するに至った直接の動因
5)
と定義している︒
18‑2 ‑383 (香法'98)
は︑性病がヨーロッパに広まり猛威をふるったことである︒性病の代表的なものといえば梅毒と淋病であるが︑この
梅毒がはじめてヨーロッパに流行したのは十五世紀末である︒どういう経路でヨーロッパに広まったのかについては
いくつかの説があり︑なかなか興味深い︒有力な説は︑アメリカの風土病であった梅毒を︑新大陸発見をめざしたコ
(7 )
ロンブス一行の乗組員がヨーロッパに持ち帰ったというものである︒いずれにしろ︑十六世紀にヨーロッパで猛威を
しんかんふるった梅毒は︑十八世紀にも再び猛威をふるいヨーロッパ人を震憾させたのである︒もう︱つの淋病は﹁淋菌によ
って起こる尿道粘膜の炎症﹂であるが︑排尿時に激痛をともなうため︑
(8 )
なり︑軍隊の機能が著しく損なわれてしまうのである︒
フランス革命からナポレオン時代にかけて︑軍人が性病に感染してそれが蔓延するのを防止するため︑
対策として売春に対して国家的統制を加える必要が生じた︒そこで導入されたのがいわゆる公娼制度│ー'別名︑規制
主義
( r e g
u l a t
i o n )
││l
である︒この公娼制度というのは次のような内容である︒娼家︵売春宿︶を公認する︒
こで売春する売春婦を登録させ︑定期的な医者の検診を義務づける︒
フランス革命の最中の一七九六年に︑
領政府︵一七九九ー一八
0
四 ︶
そしてそ
パリ市局によって歴史上はじめて採用された︒その後︑統
の時代に全国的に形成されるようになっていく︒そして十九世紀に入ると広くヨーロ
ッパ諸国の都市において採用されるようになった︒その直接の契機はナポレオン戦争により多くの人がヨーロッパを
移動したことにともなって︑性病が広くヨーロッパに蔓延したため︑その対策としてフランスで採用された公娼制度
が広く採用されるに至ったのである︒したがって︑公娼制度は﹁フランス方式﹂と呼ばれていた︒
この公娼制度のフランスにおける理論家ならびに唱道者とされているのが︑医師のパラン・デュシャトレである︒ この公娼制度は︑
引きや徘徊は禁止される︒いわゆる風紀警察が売春の取り締まりに当たるのである︒ いったん売春婦として登録すると︑街頭での客 つまり性病 これが軍人に感染すると戦闘行為ができなく
J¥
人 権 と し て の 性 的 自 由 を め ぐ る 諸 問 題 ( 五 ・ 完 ) ( 上 村 )
第二に︑公認娼家の数の減少に反比例して︑
象と
いう
か︑
くものあいだ売春に関する文献の強力な模範とされてきた﹂ものである︑ 彼は一八三六年に﹃一九世紀パリの売春﹄を著した︒この本は﹁見事な社会学的研究﹂であり︑その後の﹁半世紀近
(9 )
と高く評価されている︒この本の中で︑彼
は売春婦は必要であり︑売春は未来永劫にわたって存続するとして︑
もしれないー手段であるから︒
というのも︑生活手段をすべて奪われ︑生命が危機に頻していると感じている人間
は︑どんな遊蕩にも身を任せられるからである︒⁝⁝さまざまな刑罰︑公衆の蔑視︑
る残忍な行為︑恐ろしい病気︑売春の不可避な諸結果にもかかわらず︑
こそ売春婦をなくすことができず︑
九
その理由を次のように述べている︒﹁なぜなら︑
︱つの商売であり︑飢餓を免れるためのー
│t
恥辱を免れるためと言っていいか
しばしば自らがその犠牲者にな
どこに行こうと売春婦が存在すること︑これ
( 1 0 )
かつ彼女たちが社会に固有の存在である明白な証拠ではないであろうか︒﹂
ところでこの公娼制度は︑最初に導入されたフランスにおいても︑所期の目標を達成することができなかった︒﹃に
おい
の歴
史﹄
の著者として有名なアラン・コルバンは︑
事に分析しているが︑ 売春は︑物乞いや賭博と同じように︑
その著﹃娼婦﹄において︑十九世紀のフランスにおける公娼 制度をめぐる売春を社会史的手法をもって叙述している︒彼は十九世紀後半に公娼制度が行きづまっていく実態を見
その理由を次のように指摘している︒まず第一に公認娼家売春が斜陽化したこと︑
の娼家の数が著しく減少していったことである︒それは単にフランスに特有な現象ではなく︑﹁ヨーロッパ的規模の現
いな︑世界的規模とすら言える﹂のである︒
いわゆるもぐり売春が社会全体に広がっていった︒
フェイスの売春行為が次から次へと登場し︑登録からもれた売春婦が街頭にあふれだしたのである︒
こうして監獄のような公認娼家に売春婦を閉じこめる政策は失敗したのである︒売春婦として烙印を押され︑居住
の自由や移動の自由を与えないような非人間的なシステムが持続するはずはないのである︒ とくに公認
さまざまなニュー
また梅毒などの性病の拡
18‑2 ‑385 (香法'98)
散を防ぐという成果もあげることができなかった︒当時の医学的知識では売春婦を公認娼家に隔離しておけば梅毒は
防げると考えられていたが︑実際は性病対策として効果をあげることはできなかったのである︒
フランスで最初に導入された規制主義の公娼制度は︑次にドイツ︑
制定された︒ここでいう伝染病というのは性病のことであるが︑
たものである︒
さらにはイギリスヘも輸出された︒イギリスで
一八六九年の三次にわたり一連の伝染病法
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が
( 1 2 )
﹁一九世紀のイギリスの海軍では︑船が港に入るやいなや︑売春婦を船内に呼びよせるのが一般的な慣行だった︒﹂
そのため軍人の中に性病が蔓延し︑軍当局は頭を痛めていた︒そこで軍当局はヨーロッパ大陸で採用されている公娼
制度を導入するように要求したのである︒伝染病法によれば︑陸海軍の駐留する指定された港町では︑道徳警察によ
って売春婦と認定された女は登録を義務づけられ︑医師の定期的な検診を受けることが必要であった︒検診で性病に
かかっていないことが証明された売春婦には証明書が交付された︒性病に感染していることが発覚すれば︑六月ない
し九日間拘留されたのである︒
女性の性的奴隷制を生むきっかけになったとされているこの伝染病法は悪評だった︒貧しい女性を売春婦として登
録させるなど売春婦か否かの認定が道徳警察の自由裁量で恣意的であったこと︑
り方が荒っぽく局部を傷つけたり屈辱的だったりして反対意見が強かった︒また性病の発生率も着実に増加していっ
た︒結局︑伝染病法は一八八六年に廃止されることになるのである︒法律廃止の抗議運動をリードしたのがかのジョ
セフィン・バトラーであった︒彼女は︑性差別主義的道徳の二重基準の打破と女性の個人的自由の要求をかかげて精
( 1 3 )
力的に廃娼運動を展開していった︒またこの法律が階級的性格を顕著に有していたことから労働者の反発をくらった ま
J
一八
六四
年︑
一八
六六
年︑
とりわけ性病検査は︑男の医者のや この法律は軍人の性病対策として公娼制度を導入し
1 0
人 権 と し て の 性 的 自 由 を め ぐ る 諸 問 題 ( 五 ・ 完 ) ( 上 村 )
ことや純潔十字軍運動のような道徳主義者の運動も法律の廃止へ向けて大きな貢献をした︒
( 1 4 )
ところでアメリカ合衆国においては︑売春は公娼制度を採用したヨーロッパ諸国とは異なる展開を見せる︒植民地 時代には女性の数が少ない等の事情のため︑売春は地歩を獲得しなかった︒だが十九世紀になるとアメリカの東部の
限り売春婦の存在を容認して︑事実上野放し状態が続いた︒ ほとんどの大都市には売春宿が存在したし︑西部においても売春は公然と行われた︒多くの都市は紅灯地区内である
( 1 5 )
まさに売春全盛期と呼ばれる時期であった︒ところが南
北戦争後︑売春やポルグラフィーに狙いを定めた道徳改革運動が起こり︑
へと
発展
し︑
一八七三年にはいわゆるコムストック法が成立するに至る︒
これらの法律は人
その後これが拡大して社会全体の浄化運動 ジョセフィン・バトラーらの廃娼運動はアメリカでは変質し︑公娼制度の廃止︑すなわち国家による規制から売春
( 1 6 )
の禁止を求める運動へと変化していった︒十九世紀後半にピークに達したヨーロッパ大陸と北アメリカの間の国際的
人身売買は︑売春婦を調達する手段として行われたが︑多くの人の憤激をかった︒アメリカは他国に先駆けて早くも
一八七五年に女性を売春目的で入国させることを禁止する連邦法律を採択したのである︒しかし︑
身売買業者に無視されたし︑当局も法律の執行に熱心ではなかった︒したがって十九世紀後半においては売春をめぐ
る違法な活動については全体として寛容であったといえよう︒
ところが一九一
0
年代に入ると︑それまで売春に対して寛容であったアメリカ社会において︑売春や売春婦を非難︑排斥する運動がいっそう強まったのである︒その第一は売春という悪徳に対する熱狂的な道徳的キャンペーンが起こ り︑売春婦がこの攻撃のターゲットになった︒第二にアルコールが禁止されたことにより︑売春宿で買春客に酒を提 供できなくなり︑売春宿の経営が困難になった︒第三に男と女の性の二重基準に反対するフェミニズム運動が︑売春
の影響力に対して有害な効果をもたらしたことである︒第四は性病が拡散したことである︒第五は最も大きな理由で︑
18‑2 ‑387 (香法'98)
一 九 一
0
年にはW h i t e S l a v e T r a f f i c A c
t ︑
売春宿に売春婦を供給するためアメリカとヨーロッパ大陸の間で行われる国際的人身売買︑すなわち﹁白い奴隷制﹂
( 1 8 )
( w h i t e s l a v e r y )
の広がりに対して告発がなされたことである︒
女性の国際的な人身売買がイングランドの国際会議で取り上げられたのは一八九九年であった︒
いわゆるマ
リ会議で﹁白い奴隷売買の禁止に関する国際協定﹂が作成された︒この協定は海外での不道徳な目的のために女性や
少女を斡旋することを防止する対策を講じさせることを目的としていた︒この協定によれば︑﹁二十歳未満の女性は︑
たとえ本人の承諾があっても︑売春婦として斡旋すれば罪になり︑二十歳以上の女性の売買も︑詐欺や暴力をともな
( 1 9 )
えば犯罪行為である︒﹂
一九世紀の黒人奴隷と区別する意味で用いられるようになったもの﹁白い奴隷制﹂とか﹁白人奴隷﹂という言葉は︑
( 2 0 )
である︒だがこの用語は不正確であるとされている︒﹁というのは人身売買はあらゆる人種︑民族にわたっており︑奴
( 2 1 )
隷はほとんど含まれていなかった﹂からである︒
アメリカでは一九〇七年に︑売春その他の不道徳な目的のために外国人の婦女子を輸入することが禁止された︒そ
して入国後三年以内に売春に携わっていることが判明した外国人の婦女子は国外退去処分になると定められた︒
0
八年にはアメリカは白人奴隷売買禁止国際協定に加盟し︑( 2 2 )
ン法
( M a n A c n
t ) を制定した︒この法律は︑﹁売春その他不道徳な目的のために︑州境または国境を越えて婦女子を輸
( 2 3 )
送することを犯罪とする連邦法﹂である︒この法律は白人奴隷の売買を取り締まることを目的とした州法を補足する
( 2 4 )
もので︑これによって﹁初めてアメリカ国内で売春周旋業者を起訴することが容易にな﹂った︒一九二五年迄に多くの
州や都市では︑売春に関係した行為に反対する補足的な法律がおびただしいほど制定され︑次のような行為が取り締
まりの対象になった︒﹁売春の目的及び女性をそそのかしたり︑斡旋したり︑国外から調達したり︑国境や州境を越え
一九
一九
0
二年にはパ人 権 と し て の 性 的 自 由 を め ぐ る 諸 問 題 ( 五 ・ 完 ) ( 上 村 )
る ︒ と交際すること︒娼家をひんぱんに訪れること︒ポン引き︒妻を娼家に入れたり︑娼家に残すことに同意すること︒ て移送すること︒売春のために未成年者を囲うこと︒売春の稼ぎを受け取ったり︑売春を現場柑助すること︒売春婦
( 2 5 )
女性に︑不道徳な目的のために家を出てほかの州に行くように勧めることなどである︒﹂紅灯排除法によって紅灯地区
( 2 6 )
はほとんどの都市で閉鎖されたし︑一九一九年の禁酒法
( V
o l
s t
e a
d A
c t
以降︑売春宿はアメリカの風景から姿を消し)
ていった︒とはいえ売春がなくなったわけではない︒あの手この手と次々に新しいタイプの売春が生まれ︑買春客で
二十世紀に入り売春統制は国際化してきた︒右に述べたように︑
一九一九年の国際連盟規約には︑﹁婦女子売買に関する協定が実施されるよう︑全般的に監視す
一九ニ︱年には﹁女性と子どもの売買禁止に関する国際条約﹂が
一九三三年には﹁成年女性の売買禁止に関する国際条約﹂︑
三九ケ国によって締結された︒この条約によれば︑売買目的の成人女性の売買は︑
とさ
れた
︒ 第二次大戦後の一九四九年に︑国際連合は﹁人身売買および他人による売春からの搾取の禁止に関する条約﹂を採 択した︒この条約は前述した売春の国際的な取り締まりに関する条約等を引き継ぎ集大成したものである︒この条約
は︑その前文において︑﹁売春及びこれに伴う悪弊である売春を目的とする人身売買は︑人としての尊厳及び価値に反
するものであり︑かつ︑個人︑家族及び社会の福祉をそこなう﹂ものである︑
たとえ本人の承諾があっても犯罪 と基本的な理念を示した上で︑具体的
には︑第一条売春の勧誘︑誘引及び拐去︑第二条売春宿の経営などの行為を禁止し処罰することを締約国に求めてい 結
ばれ
︑
四八ケ国が加盟した︒いわゆるジュネーブ協定が る役目を﹂国際連盟に委ねる︑とうたってあった︒
協定
﹂が
締結
され
た︒
はなく売春婦だけが罰せられつづけたのである︒
一九〇二年には﹁白い奴隷売買禁止のための国際
18‑2 ‑389 (香法'98)
( 1 )
( 2
)
( 3
)
( 4
)
( 5
)
を考える必要がある︑ bit
io ni st )で
ある
︒
この条約が採用している売春統制の方式はいわゆる廃止主義
(a bo li ti on is t)
である︒規制主義の公娼制度こそが人身
売買の温床になっていることにかんがみ︑それに代えて当時の売春統制の主流の方式を採用したのである︒廃止主義
というのは誤解を招きやすい用語で︑売春そのものを廃止しようとするものではなく︑売春を規制して公認するのを
止めるということ︑公娼制度を廃止しようとするものである︒売春そのものを禁止するのはいわゆる禁止主義
(p ro hi
,
この条約に現在加盟している国は七
0
ヶ国であるが︑最近この協定に対して多くの批判が加えられるようになって( 2 8 )
きている︒第一に︑その文言が曖昧でかつ実効的な実施機関がともなっていないので︑批準している国家がそれを適
用しないことを容認してしまっている︒第二に︑協定が強制的な売春と任意的な売春という伝統的な区別にもとづい
ていることも非難されている︒そうではなく性的暴力と人権侵害に根づいた性差別の形式としてあらゆる売春のこと
と︒第三に︑協定はセックス・ツアーとかメイル・オーダー・ブライドのような売春の現代的
な形式に備えていない︑と︒したがってこの条約は国境を越えた国際的な人身売買に対しては余り効果を発揮してい
( 2 9 )
︵3 0 )
ない︒というのは︑﹁この条約は人身売買ではなく売春に焦点をあてているからである﹂し︑
在とでは︑売春を目的とした人身売買の規模や構造が格段に異なってきているからである︒
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50 .
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Di c t i o n a r y ,
6 e d .
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12 22 .
J¢•マンシニ、寿里茂訳『売春の社会学」一九頁。
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5.
この協定の成立当時と現
一 四
人 権 と し て の 性 的 自 由 を め ぐ る 諸 問 題 ( 五 ・ 完 ) (上村)
( 2 4 )
( 2 5 )
( 2 6 )
( 2 7 )
( 2 8 )
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7 2 .
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( 2 3 )
( 2 2 )
( 2 1 )
( 2 0 )
( 1 9 )
プーロー・前掲書四三八頁︒
バリー・前掲書四二頁︒
プーロー・前掲書四0
八頁
︒
プーロー・前掲書四二六ー四一一八頁︒
田中英夫編﹃英米法辞典﹄五三九頁︒
バリー・前掲書四四頁︒
ブーロー・前掲書四一一三頁︒
藤目ゆき・前掲書七五頁︒
( 1 8 )
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. ,
p p .
6 7
ー7 0
( 1 7 )
( 1 6 )
( 1 5 )
( 1 4 )
( 1 3 )
( 1 2 )
( 1 1 )
( 1 0 )
( 9
)
( 8
)
( 7
)
( 6
)
10
六頁以下参照︒ バーン&ボニー・ブーロー︑香川檀ほか訳﹃売春の社会史﹄四七五頁︒F.F
・カートライト︑倉俣トーマス旭・小林武夫訳﹃歴史を変えた病﹄六七II
六九
頁︒
キャスリン・バリー︑田中和子訳﹃性の植民地﹄二四頁︑藤目ゆき﹃性の歴史学﹄五三頁︒
パラン
11
デュシャトレ著︑アラン・コルバン編︑小杉隆芳訳﹃一九世紀パリの売春﹄︒
パラン
11
デュシャトレ・前掲書一六六i
七頁
︒
コルバン・前掲書一五九頁以下︑ブーロー・前掲書三一0
頁 ︒ ブーロー・前掲書三0七頁︑バリー・前掲書二五ーニ八頁︒
バリー・前掲書二八頁︑三八頁︒
D e
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p p .
59
‑6 2.
亀井俊介﹃ピューリタンの末裔たちーアメリカの文化と性ーーー﹄
藤目ゆき・前掲書七0
頁 ︒
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. ,
p .
7 2 .
一 五
18‑2 ‑391 (香法'98)
けて︑半分以上の州で売春を禁止している刑法の改正が行われた︒その結果︑細部においてはもちろん異なるが︑
通の傾向も看取される︒以下においていくつかの特徴を列記する︒
禁止主義というのは︑売春そのものを禁止し犯罪化することである︒そのためにまず最初に売春を定義している︒ ア
メリ
カで
は︑
(ア)
す る
︒ 売春の法的統制の歴史を概観して明らかになったように︑
(3)
Q u
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y ,
1
99 1, p .
21 0.
( 2 9 )
﹁女性の人権﹂委員会編﹃女性の人権アジア法廷﹂六四頁︒
( 3 0 )
米田真澄﹁﹃人身売買および他人の売春からの搾取の禁止に関する条約jの批判的考察ーーi
女性の人身売買を中心としてー﹂阪
大法学第四七巻第四・五号三八八頁︒
売春の法的統制の諸類型
類型としては︑大きく分けて︑禁止主義︑規制主義︵公娼制度︶︑廃止主義︵廃娼制︶の三つのタイプがある︒これら
のうち現在の主流は廃止主義で︑世界中の多くの中で採用されている︒
次にこれら三つの売春の法的統制のタイプを採用している各々の国の法制度の内容と特色を比較検討することにす
る︒禁止主義についてはアメリカ合衆国︒古典的な規制主義を採用している国は存在しないが︑
制主義とも呼ぶべき制度について︑ドイツとオランダ︒廃止主義についてはイギリスとフランスを取り上げることに
禁止主義
l
アメリカ合衆国 その変種として新規一九四八年以来︑全州で売春が禁止されるようになった︒また一九六
0
年代から一九七0
年代にか一 六
共 これまで欧米において採用されてきた売春の法的統制の
人権としての性的自由をめぐる諸問題(五・完)(上村)
リチーズによれば︑ 例えば︑ネバダ州刑法は︑﹁売春とは︑報酬のために性的行為に従事することを意味する﹂︑
﹁売春とは︑報酬と交換に性的行為を申し込むこと︑同意すること︑
した
︑
﹁売春をすることに同意し︑あるいは同意を表明することが犯罪にな
つまり︑客の方からセックスや金のことを持ち出した場合でも︑売春婦が微笑んだだけで︑彼女は売春に同意
と警
察は
いえ
る﹂
ので
ある
︒売
春は
軽罪
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is
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or
)で
ある
︒た
だし
︑
エイズ検査の結果︑陽性であることが判明した後に売春をすると︑重罪(felony)になる︒
禁止の対象になっている性的行為は性交にとどまらず︑
ターベーション︑アナル・セックスも含まれると明記している場合もある︒
れず
︑何
人も
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象と
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る︒
次に売春の客になること(patronizing)を犯罪にしている州が︑ニューヨーク州をはじめ一五ある︒現実に買春をし
た場合はもちろんのこと︑買春の目的で売春が行われている場所に足をふみ入れたり︑
ヒモ行為等も犯罪︵重罪︶
禁止主義を採用しているのは旧社会主義国が多く︑先進資本主義国ではアメリカだけである︒アメリカが禁止主義
ないし売春を犯罪化すべきであるとする論拠については︑
まず最初に売春に付随して発生する他の犯罪︑ が指摘されているが︑いずれも説得力に欠けているといわざるをえない︒
これは根拠がない︒売春を禁止しても
を採用している理由︑ その他にも売春の勧誘︑売春の斡旋︑であることはいうまでもない︒
︵ 軽
罪 ︶
にな
る︒
一 七 レ
イプ
︑
ヘロ
イ
とどまったりするだけで犯罪
もしくは従事することを意味する﹂と定義して
フェ
ラチ
オ︑
カンニリングス︑
したがって︑売春をするのは女に限定さ
たとえば窃盗︑買春客の暴行︑
ンの売買等を防止するために︑売春を禁止することは正当化されるとするが︑ コロラド州のように︑ バダ州等においては︑ っ
た ︒
いる︒後者のように半分以上の州では︑
以下に述べるように実に多くのこと
マ ス
ー︑
カリフォルニア朴ネ
ー︑
ヽ,
1
J コロラド ニューヨーク州刑法は︑
18‑2 ‑393 (香法'98)
性行為は生殖を目的として行われるべきであるから︑ 売春はなくならず地下に潜って行われるので︑
むしろ反対に他の犯罪を誘発することになるであろう︒売春を非犯罪 化した方が売春に結びついた犯罪は消滅するであろう︒次に性病の拡散を防止するために︑売春を犯罪化することが
一部の売春婦はともかくも︑大部分の売春婦は性病にかかっ
ていない︒したがって売春がなくなったとしても性病はなくならない︒性病をなくすためには︑売春以外の性行為に
対しても禁止や規制を加えることが必要になってくるが︑そのようなことが認められるはずはない︒性病の予防のた
(4 )
めには性教育の充実がはかられるべきであって︑売春の禁止は擁護できるような理由ではない︒
右のように売春を禁止しなければ︑犯罪が増加するとか︑性病が蔓延するといった事実は経験的に実証されていな
い︒﹁要するに︑売春はそれ自身において他者に対して有害だとはいえない︒それ故に︑
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(他
者加
害原
理︶を援用することによって︑正当に制限されえないように思える︒﹂
売春の禁止のための最大の論拠として売春が道徳的に悪であるということが指摘される︒しかも売春が道徳的に悪 であるとする論拠にも実に様々なものがある︒そもそも何が道徳的か︑あるいは不道徳かについては︑価値の多様な 時代にあっては︑評価が分かれる︒売春︑同性愛︑飲酒︑大麻︑ギャンブル等々について︑社会的コンセンサスは得 られない︒仮に売春が不道徳だということにコンセンサスが得られたとしても︑売春を犯罪として刑罰を科してもよ
(6 )
いということにはならない︒
( 7 )
それ以外の性行為は道徳的に悪であるという見解がある︒し
かし︑生殖を目的とするのは動物のセクシュアリティーであって︑人類のそれではない︒生殖を目的とする性行為を
理想的だと考えて︑それ以外の性行為を犯罪にすることは︑﹁個人の自律に正当な尊重を付与することに失敗している﹂
(8 )
といえる︒性行為とロマンチック・ラブは一致すべきであるから︑売春は悪であるとも主張される︒﹁ロマンチック・ 必要だと指摘されている︒この理由も説得力に欠ける︒
一 八
人権としての性的自由をめぐる諸問題(五・完)(上村)
剥奪することになるように思える︑ で
はな
い︑
あり
︑
ラブは夫婦間でも︑婚姻外でも︑異性愛でも︑同性愛でも生じる︒もし愛するという道徳的かつ人間的な権利が存在
するならば﹂︑この権利を援用することができるが︑売春はそうではないと︒しかし︑この論拠も︑結局のところ︑自
己が望ましいものと考えている個人的な理想を表明したものでしかない︒﹁ひとたび性的表出が生殖目的から解放され
( 1 0 )
ので
ある
︒
る や
︑
それはロマンチック・ラブを含めて︑何であれ一次元的な目的から解放される﹂
さらに売春の犯罪化を唱えている人の中には︑売春が不道徳なのは売春が下劣で品位を落とすからである︑
する人がいる︒売春は性の商品化であるとして反対しているフェミニストの主張がそれである︒伝統的な英米の女性
交に関して寛大になってきている︒
この貞節の観念は時代によって変化してきており︑現在では婚姻外性交や婚前性
したがって売春婦に対して貞節さに欠けているからとして非難するのは︑
( 1 1 )
す奇妙なことになってきているという反論が加えられている︒
売春が不道徳なのはそれが女の貞節という行為規範に反するからではなく︑売春が市場で売ってはならないものに
ついての社会の規範に反するからである︒すなわち︑売春は肉体を売ることであるが︑ の行為規範の一っは貞節であった︒
一 九
モデ
ルが
美︑
ますま
それは自分自身を売ることで
一種の道徳的奴隷制であると︒それに対して売春は肉体を売るのではなく︑家具運送屋が筋肉︑
弁護士が法的才能を販売しているのと同じように︑性的サービスを売っているのであり︑性的器官を販売しているの
と︒売春婦は︑代理母と同じように︑自己の自由に一定の利害が加えられることを同意しているが︑
その
ことによって自らの自立が失なわれるわけではない︒したがって︑売春を禁止することの方が性的自立を根拠もなく
と反論が加えられている︒
次にリーガル・パターナリズムの原理を援用して売春を犯罪化すべきであるとする主張がある︒すなわち︑売春婦
は肉体的にも心理的にもあらゆる種類の損害を蒙っているのであるから︑国家は自傷行為を犯罪化しているように︑ と主張
18‑2 ‑395 (香法'98)
てい
る︒
売春を犯罪化すべきである︑
たらす多くの他の仕事を犯罪化することを熟慮すべきである︑ というものである︒もしこの理屈が認められるのならば︑国家は自己に大きな危険をも
ということになる︒国家が予防することを保障されて
いるのは︑危険を引き受けることが合理的でない場合と自由意思によらない場合である︒たとえば︑大学教育を受け
て良い就職をしている女が︑手っ取り早くお金になるからという理由で売春婦になることを決心した女性に対して︑
( 1 3 )
国家は介入すべきでないと考えられる︒
さてアメリカはこの禁止主義を採用することによってその所期の目標を達成し︑売春の数を減らすなり︑さらには
( 1 4 )
アメリカでは︑﹁警察に庇護された準合法の売春宿システムが︑多くの都市で発展し﹂︑﹁大都会では売春はレッセ・
( 1 5 )
フェールの取扱いを受けている﹂といわれる︒これは何もアメリカに限った話ではない︒売春を禁止し犯罪化してい
る国々は︑韓国︑
フィ
リピ
ン︑
タ イ
︑
いずれの国においても︑売春を許可している国と同様︑売春は大々的に行われ
このように売春禁止法は抑止効果をもたなかっただけでなく︑副作用をもたらした︒禁酒法と同じく︑﹁大衆のなん
とか我慢できる限界を越えて突っ走ったため︑結果的に法を守らない風潮が広が﹂り︑﹁売春禁止はただ無視され﹂て
( 1 6 )
しまったのである︒これに加えてさらに問題なのは︑売春禁止法が差別的に執行されていることである︒第一に逮捕
されるのは圧倒的に女性が多いことである︒しかも売春婦の中で底辺に位置している街娼が︑売春行為ではなく客引
き行為によって逮捕されるのである︒というのは︑ほとんどのアメリカ人は売春を重大な社会問題とは見なしていな
( 1 7 )
いものの︑街娼の存在と目に見える行動に対しては反対しているからである︒街娼には有色人種も少なくないが︑逮
( 1 8 )
捕される売春婦の過半数が有色人種で女性差別︑人種差別が顕著である︒ 根絶するに至ったであろうか︒その答えはノーである︒
︱ 1
0
人権としての性的自由をめぐる諸問題(五・完)(上村)
ケースではあるが︑ いずれにせよ︑禁止主義は好ましい成果をあげることはできていない︒国連の経済社会理事会の売春問題報告書も︑﹁売春禁止法は︑実効が難しく︑実施したとしても︑売春を暗黒街へと追い込むだけである﹂として︑法的統制の方式としては評価していない︒バリーも︑﹁禁止主義のシステムがもたらす避けられない結果のひとつは︑売春婦が犯罪者だと規定されているため︑彼女たちがヒモのことを警察に届け出ない点である︒彼女たちがヒモを訴えない限り︑ヒモの起訴は事実上不可能なのである︒⁝⁝このシステムは︑売春婦のヒモヘの強い依存心をますます強め︑実質的
( 1 9 )
として︑禁止主義に反対している︒に彼女を売春の中に閉じこめてしまう﹂
憲法訴訟の母国アメリカでは︑売春禁止法が憲法違反であるとする主張が繰返しなされてきたので︑その点につい
( 2 0 )
て言及しておく︒売春禁止法が違憲だとする論拠はおおむね次の五つである︒まず第一に︑売春禁止法は︑その文面
においても︑その適用においても︑女性を差別しているから︑法の平等な保護に違反するというものである︒少ない
この主張を認めた判決がある︒もっとも前述したように︑現在の法律の多くは性中立規定になっ
ているため︑法の平等な保護に違反するという主張は根拠がない︒
第二はデュー・プロセス違反である︒法律の中で用いられている
i m m o r a l a c t s と
か w r o n g f u l f o l l o w i n
g という言
葉が︑漠然性故に違憲無効であるという主張は︑裁判所で認められたことがある︒もっとも現在の州法にはこのよう な曖昧な言葉は用いられていない︒第三に売春禁止法の規定する刑罰は︑修正八条の禁止している残酷かつ異常な刑 罰に該当するというものである︒第四に売春禁止法が勧誘ないし客引きを禁止しているのは︑言論の自由を保障した 修正一条に違反するというものである︒売春の勧誘は営利的な宣伝であり︑犯罪の実行に通じる言論は︑修正一条に
( 2 1 )
よって保障されないとして︑裁判所はこの主張を認めなかった︒
最後に売春禁止法はプライバシー権を侵害しているから違憲であるという主張がある︒もっとも売春行為をして起
18‑2 ‑397 (香法'98)