博士(文学)学位請求論文審査報告要旨
論文提出者氏名 菅原 裕文
論 文 題 目 ビザンティン世界におけるエレウサ型聖母子像の受容 審査要旨
ビザンティンの聖母子像の中で最も人間的な表情を見せるエレウサ型聖母子像(頰を寄せ合うタイ プ)はキリスト教美術に感情表現の地平を拓いただけでなく、西欧中世の美術にも継承され、レオナ ルドやラファエロらの優美な表現にも影響を与えたとされる。しかし、これまではルネサンスにおけ る独自性のみが強調され、ビザンティンに遡って議論されることはなかった。他方、ビザンティン美 術史の領域でも、現存作例の少なさゆえに、実態は未だ解明されてこなかった。請求論文はエレウサ 型の成立と受容の過程を明らかにすることを目指した。
第1部は、先行研究を整理する形で、収集したマリア図像の分類と定義を行った。先行するカロキ リスとフライタークの優れた点を取り、マリアの挙措を重視しながら5類型13種と分類した。
第 2部では、中期ビザンティン(9〜12 世紀)におけるエレウサ型の展開と受容を、とくにカッパ ドキアの壁画を例に論じた。第1章では、エレウサ型の感情表現が強調されて成立するまでの過程を 辿った。イコノクラスム(726〜843年)では人像表現の根拠たるキリストの人性が争点になった。聖 像擁護派が人性擁護のため受難とマリアを強調した結果、受難で露わになるマリアの悲嘆はキリスト が地上に生を受けたことを確証するとされ、受難を描いた講話や図像でマリアは息子の死を嘆ずる母 性的な女性として造形されるようになる。新たなマリアのイメージが普及する中、エレウサ型の感情 表現は受難の悲しみも示唆するモティーフと再解釈されたと考えられる、と請求者は述べる。
第2章は、聖母子像は中期に受難の文脈で再解釈されたという仮説を聖母子像に伴う天使により検 証する。請求者は中期に現れた手を覆う天使に着目し、この姿勢が地中海世界では犠牲の拝受を表し てきたことを指摘し、贖罪のため犠牲となる幼子キリストの拝受を表すものと解した。手を覆う天使 の出現は聖母子像の再解釈を裏づけ、等閑視されてきた天使を受難の指標と評価することになった。
第3章では、カッパドキアに残る慈愛の聖母により、同時代人がエレウサ型の両義性をどのように 理解していたのかを考察した。カッパドキアの諸聖堂において、慈愛の聖母はプロテシスと扉口の周 辺に配される。プロテシスの慈愛の聖母は、受肉と受難の含意によってそこで執り行われる典礼儀式 の象徴性を視覚的に補完する。他方、扉口の慈愛の聖母は、その両義性により聖堂そのものが表象す る教義の要諦をシンボリックな形で開示する。いずれの配置も、慈愛の聖母の聖堂装飾への導入が神 学や典礼の要請に適うものであること、そして慈愛の聖母の含意する受肉と受難という教義が十全に 理解された上で活用されたことを示している。このように叙述史料から図像の場の機能を探り、同時 代人がエレウサ型を受肉と受難を含意する両義的図像と理解していたことを立証した。
第3部では、ビザンティン後期(13~15世紀)作例の分析を通じて、受難を示唆する聖母子像とし て成立したエレウサ型が「慈愛に満ちた母」のイメージとなりえたかが論じられる。第1章では、エ ピセットとイコノグラフィの齟齬からエレウサ型の普及について論じた。グラバールは地名由来の添 名を持つマリア像は名祖の聖所で崇敬されたイコンと関係するとの法則を発見したが、ブラケルニテ ィッサ銘のエレウサ型については例外と断じた。他の研究者はグラバールの法則に拘泥し、毎週金曜 日に奇跡を起こすマリア・イコンがエレウサ型だったと立証しようと努めてきた。しかし、本論では 先の法則に拘泥せず、エレウサ型がブラケルネを代表するイコノグラフィと認知されていたと考える。
ブラケルニティッサ銘のエレウサ型のみならず、アギオス・ネオフィトス修道院の小ステファノス像
やカッパドキアの諸作例も、エレウサ型がブラケルネ崇敬の昂揚と共に普及したことを示してい る。
第2章では、エレウサ型アンナ像(幼子マリアを抱くアンナ)に焦点を当て、頬を寄せ合う姿が優 しさの形象として定着したことを論じた。現存するアンナ像に適用されたガラクトトロフーサ型とエ レウサ型の図像選択には、同時代人がアンナに抱くイメージが色濃く反映されている。前者は神意に より年老いて娘を授かった奇跡の体現者のイメージである。老婆が赤子に乳を与えるという矛盾こそ アンナの生涯を彩る最大の奇跡であり、乳房も露わなガラクトトロフーサ型が選択された。後者は幼 い娘に愛情を傾ける優しき母のイメージである。同時代人がエレウサ型のイコノグラフィを優しい母 を表すのに相応しいと理解していたと推察される。
第 3 章では、コーラ修道院葬送礼拝堂パ レ ク リ シ オ ン
の図像プログラムから、エレウサ型の私的信仰の領域への導 入を論じた。中期のカッパドキアではエレウサ型は主要壁面に配されていたのに対し、後期には主要 壁面から排され、葬送礼拝堂やナルテクス等、副次的空間に移されるようになる。これらの空間に、
死への畏れを表す最後の審判と死の克服を表す冥府降下を置くのがビザンティンの定型であるが、メ トキティスも自身の葬られる葬送礼拝堂に審判と冥府降下を置いた。そして、自らの救済を執り成し てくれるマリアに「優しき母」の姿を選んだ、と請求者は論じる。
現地調査を積み重ね、充実した写真資料を多数用いる点は、審査員全員の評価を得た。一方で文章 の生硬さ、写真に比べて文献の不足していることを指摘する意見も出された。第 2 部におけるカッパ ドキアの作例を典礼と結びつけて論じる部分は、新知見に満ちているが、第 3 部後期ビザンティンを 論ずる部分には議論に性急さがあり、一部の作品の感情表現解釈に関する対立意見も出された。しか しビザンティンの聖母子像を今後論ずる際の基本文献となり得る高度な内容を多く含んでいる点で は、3 人の審査員の意見は一致し、本学博士学位請求論文に相応しいと判断された。
公開審査会開催日 2012 年 5 月 26 日
審査委員資格 所属機関名称・資格 博士学位名称 氏 名
主任審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 Ph.D(ギリシア国立テサロニキ大学) 益田 朋幸
審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 大髙 保二郎
審査委員 愛知教育大学・教授 浅野 和生