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博士(文学)学位請求論文審査報告要旨

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Academic year: 2022

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(1)博士(文学)学位請求論文審査報告要旨 論文提出者氏名. 滝澤 民夫. 論 文 題 目. 増野悦興研究―あるキリスト者・教育者の生涯と思想―. 審査要旨 本論文は、無名のままに埋もれていた増野悦興(1865~1911 年)という人物を掘り起こし、彼の生涯を追い ながらその思想に分析を加えたものである。津和野藩士の子として生まれた増野は、やがてキリスト教と出会っ て入信し、同志社英学校と地方伝道を経て北米で修学した。帰国後は教育界に進んで、キリスト教倫理と道徳 による青年の人格形成にあたり、キリスト者として生きて短い生涯を終えた。全9章からなる浩瀚な本論文は、増 野の生涯に即して、「第Ⅰ部 日本の近代化と地方青年」、「第Ⅱ部 「文明」の摂取と地方青年の育成」、「第 Ⅲ部 故郷の喪失と近代化への懐疑」の三部から構成されている。 津和野時代から大阪基督教徒青年会時代までを対象とする第Ⅰ部では、まず、「第一章 津和野時代から 東京時代」で、増野の出生前後から幼少期の人格形成、父親のことなどについて、限られた資料をもとに考察 している。ついで、「第二章 同志社英学校時代」では、同志社英学校への転入と新島襄との出会い、キリスト 教徒としての自覚の芽生え、岸本能武太との同志社予備校設立への奔走、同級生9名との卒業直前の連袂退 学、新島の説得による地方での伝道活動などを扱っている。「第三章 日向高鍋教会時代」では、日向高鍋で のプロテスタントキリスト教の伝道活動を通して出会い、意気投合した石井十次との宗教的な交友について論 じている。「第四章 大阪基督教徒青年会時代」では、大阪で伝道活動に入った増野が、青年教役者としてど のようにして教役者と教会の改革を企図したのか、大阪基督教徒青年会機関誌『基督教青年』の発行・編集に かかわるなかで、日本のキリスト教会像をどう構想したのかを論じている。なお、補論として、妻咲子と家族の半 生、および大阪基督教徒青年会と十津川大水災について扱っている。 北米修学時代から地方での中学校教員時代までを対象とする第Ⅱ部では、まず、「第五章 北米修学時 代」で、1890 年 8 月から 93 年 9 月まで、3年間の北米修学期を論じている。増野はアンドバー神学校(ボストン) で1年間、バンゴア神学校(メイン州)で2年間を過ごしたが、その間の彼の見聞や文明観についても検討を加 えている。「第六章 霊南坂教会・安中教会時代」では、在米中に受容して帰国後に主張したキリスト教教理 (自由神学論)を検討している。まず、『基督教青年』期から北米留学期のキリスト教認識と信仰を検討したうえ で、北米留学後のキリスト教認識と信仰について、増野が執筆した草稿『神学原論』を取り上げて検討し、世界 的な新神学界の組織神学論を初めて本格的に受容・紹介・流布しようとした試みとして高く評価している。その うえで北村透谷・岸本能武太の認識と信仰との比較検討を試み、北村透谷から西田幾多郎の流れの間に増野 が位置づけられるとの問題提起をおこなっている。「第七章 中学校教員時代」では、牧師を辞任後、岐阜中 学校、金沢中学校英語教員、東京府教育会附属小学校英語教員伝習所講師を経て、埼玉県第三中学校(川 越中学校)初代校長に就任した増野が、青年教育の場でいかに実践しようとしたのか、伝道から教育へと活動 の場を移した足跡と信仰・思想を追い、「自由・自治・自活」の精神を中等教育の場で実践した経過とその意義 を検討している。 晩年を扱う第Ⅲ部では、「第八章 成民会時代から日本同仁基督教会時代」で、瑞豊塾の開設、成民会の 設立と『成民』誌の発行、丁酉倫理会での活動、日本同仁基督教会での活動など、青年教育・国民道徳の確 立、宗教心の涵養を掲げた独自の教育と伝道活動について検討し、自由派基督教(ユニバーサリズム)を取り 入れながら、儒教精神に接近しつつ変質していった彼のキリスト教思想と信仰について考察を加えている。ま た、日本の近代化への増野の懐疑にも言及している。最終章である「第九章 臨終前後」では、晩年の著述で ある『高貴なる人格』と、川越中学校卒業生岡田恒輔が編集した遺稿集『筆華舌英』(没十年後に刊)の両 著に集約された信仰と教育者としての思想に考察を加え、日本近代のプロテスタントキリスト教思想史と中等教.

(2) 氏名 滝澤 民夫 育史にどう位置づけ、いかなる意義をもち、その後の日本の宗教観にいかなる影響を与えているのかを論じて いる。なお、補論として、家族のその後にも論及している。 本論文の特質すべき意義は、第一に、ほとんど無名の、研究史的にもほとんど言及されてこなかった人物の 全生涯を、長期にわたる丹念な追跡調査によって、蘇らせたことにある。資料の欠落等、厳しい研究条件はあ りながらも、増野の足跡を追って各地(アメリカを含む)に足を運び、遺族等を発見して資料の提供を受けなが ら、能う限りの痕跡(資料)に即して増野という人物の思想・信仰と実践を明らかにした意義は大きい。 第二に、それを通じて近代日本におけるキリスト教受容のあり方に新たな角度から迫った点にある。本論文 は、増野のキリスト教神学思想の内容を新史料に即して具体的に解明し、それを通じて日本近代におけるプロ テスタントキリスト教受容の多様性を明らかにしている。幕末維新期に武士・士族の子として生まれた人物が、 いかにキリスト教と出会い、やがて自由派基督教(ユニバーサリズム)に惹かれながら、晩年、なぜ儒教などに回 帰しつつ「儒教的基督教徒」となったのか。それは、日本におけるプロテスタントキリスト教受容のあり方を検証 するための重要な素材を提供するものとなっている。 第三に、明治期青年の人格形成のあり方を明らかにすることによって、二重の意味で既存の研究を更新した ことにある。一つには、増野という儒教・国学などの教育を受けて生育した武士階級出身の青年知識人が、外 来のプロテスタントキリスト教を受容して、いかに人格形成していったのかという点において、また、二つには、 その増野が、日清・日露戦後の時期、いかなる国民道徳論・青年教育論・女子教育論を展開していったのかと いう点において、思想史的・教育史的に意義ある研究貢献をなすものとなっている。 第四に、増野をめぐる人的ネットワークや、家族、とくに妻とその周辺の人物像に着目することによって、時代 のなかを生きた人々の生き方や相互関係に光をあてた意味は大きい。本論文は、石井十次・安部磯雄・岸本 能武太・北村透谷などの人物研究に有益な情報を提供するものとなっている。また、本論文における女性への 着目や、増野の女子教育論への言及は、女性史・ジェンダー史からみても意義深い。 ただし、本論文の今後に残された課題として、さしあたり以下の諸点が指摘される。まず、本論文の研究史整 理は、増野に関する研究の欠落や言及・検討の不十分さの指摘が中心となっているが、それにとどまらず研究 史全体の構造化をはかって本論文の位置づけをさらに明確にすることが求められる。また、近代日本の各時期 の時代の構造や、近代日本思想史のより大きな脈絡のなかに増野を位置づけることが必要とされる。増野の思 想に即しても、個別的な言及にとどまらず、より立ち入った系統的な思想史的分析が欲しい。さらに、同時代の キリスト教思想の全体像とそのなかでの増野の位置、他のキリスト者、たとえば大西祝・内村鑑三などの思想・ 信仰との対比における増野の位置に関して、より内在的な比較検討を加えることが必要とされる。そのうえで、 さらなる資料の発掘・整理・研究によって、事実関係の究明と確定を進めること(とくに不明な点が多い第Ⅰ部・ 第Ⅱ部のさらなる充実化)に期待したい。なお、第八章・第九章には、叙述の錯綜、論稿の紹介的記述が目立 つため、論述の整理と論理の明確化をはかることが求められることを付言する。 しかし、以上は申請者が今後さらに追究すべき課題であって、本論文は博士(文学)の学位を授与するに十 分に値するものと判断される。. 公開審査会開催日. 審査委員資格. 2018年 5 月 14. 日. 所属機関名称・資格. 氏名. 専門分野. 博士学位. 主任審査委員. 早稲田大学文学学術院・教授. 大日方 純夫. 日本近現代史. 博士(早稲田大学). 審査委員. 早稲田大学文学学術院・教授. 鶴見 太郎. 日本近現代史. 博士(京都大学). 審査委員. 早稲田大学文学学術院・教授. 真辺 将之. 日本近現代史. 博士(早稲田大学). 審査委員 審査委員.

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