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博士(文学)学位請求論文審査報告要旨

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Academic year: 2022

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博士(文学)学位請求論文審査報告要旨

論文提出者氏名 加藤 直人

論 文 題 目 清代文書資料の研究

審査要旨

本論文は,序章,本論三部 10 章,終章,および「附篇」から構成される。

序章「清代文書資料と満洲語」では,本論文の主要な関心が,清代において満洲語文書資料が果たした役割を 明らかにすること,すなわち「政務遂行上必要な「言語」としての満洲語の位置、また漢語文書との関係を正確にと らえる」ことにあるむねが述べられる。その背景には,清代後期に至って,日常言語としての満洲語の衰退にもかか わらず,なお多くの満洲語文書が作成され続けたことの意味を解明しようとする問題意識がある。

第一部「入関前清朝における文書制度の展開と「史書」の編纂」は,清朝の建国期,すなわち中国内地進出(入 関)以前を対象とする。まず第 1 章では,入関前の文書資料全般にわたって,学説史的検討が加えられる。『満文 老檔』,「満文原檔」,『太祖実録』,『太宗実録』をはじめとする史書や編年体記録,またそれらを編纂する基礎とな った各種文書資料をめぐっては,神田信夫,松村潤,細谷良夫,石橋崇雄らによる分厚い研究の蓄積があるが,著 者は,「内国史院満文檔冊」など,比較的近年になって存在が明らかとなった文書群をも含めて,あらためて包括的 な整理・紹介を行っている。本章を一読すれば,およそ入関前にかかわる諸史料の全体像をほぼ余すところなく把 握することが可能であり,読み手にとって大いに有益である。

その上で,著者は続く第 2 章,第 3 章において,こうした史書や編年体記録はどのような過程を経て作り上げられ たのか,という根本的な問題に切り込んでいく。第 2 章では,入関前において,日々のできごとやハン(皇帝)の言動 などがいかなる形で記録されていたかが検討される。そして,「逃人檔」などいくつかの文書資料に見える記載を手 がかりに,ホンタイジ(太宗)の即位後,八旗が 4 組に分かれて一月ずつ輪番で当直し,日々の記録を作成する「値 月」制度が整えられたこと,すくなくとも天聡 6(1632)年まではこの制度が維持されていたこと,さらに,こうした八旗 の当直記録(値月檔)が,「満文原檔」などの編年体記録や史書を編纂するための重要な材料となったことを論証 する。これは,天聡 3(1629)年に整備されたとされる“bithei boo”(書房または文館)が日常的な記録作成を行っ ていたという通説に修正を迫るものであり,その意義は大きい。次いで第 3 章では,第 2 章で論拠として用いられた

「逃人檔」について,さらに詳細な分析が加えられる。「逃人檔」とは,他の土地から後金(清)へ逃亡してきた,ある いは後金から他の土地へ逃亡した人々に関する記録を集成した檔冊である。著者は,「逃人檔」に収められた一部 の記事の内容を詳しく紹介するとともに,それらの記事がどのような編纂過程を経て「満文原檔」に組み込まれてい ったかについて,精緻な考証を加えている。

もちろん,入関前の清朝に関しては,残されている史料の数量と性質に限界があるため,著者の第一部における 考察をもってしても,当時の文書制度のありようが完全に解明されたとまではいえない。しかし,従来の諸先学によ る研究をさらに一歩進めたことは確かであり,今後の研究者が必ず参照すべき業績であることは疑いない。

第二部「19 世紀以降における清朝文書制度の展開」では,19 世紀の西北辺境にかかわる文書資料が扱われ る。取り上げられているのは,天理図書館に所蔵される「伊犂奏摺稿檔」(第 1 章),「伊犂奏摺」(第 2 章)および「奏 摺稿」(第 3 章)で,19 世紀中の一定期間に新疆のイリ(伊犂)およびモンゴルのホブド(科布多)に駐在した将軍・

大臣の上奏文(奏摺)等を抄写したものである。各章では,それぞれの文書群の概要とともに,その中で扱われてい るいくつかの重要なトピックスについて,要を得た解説がなされている。それは大銭鋳造問題,ロシア語翻訳者の養 成,ブルート(クルグズ)人の越境問題,ワリー・ハーンの「聖戦」,モンゴル王公の弾劾など多岐にわたり,当時の清 朝の辺境統治や地域社会の実相を浮かび上がらせる貴重な情報を含んでいる。しかし,著者の関心は,単に文書 の内容を紹介することにあるのではない。各文書群中には,いずれも満洲語・漢語の文書が並存しているが,著者

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2 氏名 加藤 直人

は,序章で提示した問題意識をふまえつつ,満洲語文書と漢語文書の内容を詳細に比較検討して,両者は決して ランダムに混在しているのではなく,一定の原則に従って使い分けられていたことを指摘する。なお,各章末には,

それぞれの章で取り上げられた文書群の詳細な目録が附載されており,有益である。

第三部「清朝の文書の多様性」では,特定の時代・地域に関わる文書群ではなく,入関後の中央・地方のさまざ まなタイプの文書資料が扱われる。第 1 章では,康煕朝から清末に至る起居注の推移が詳述され,起居注は,単に 皇帝の日々の言動をそのまま記録したものではなく,複雑な過程を経て編纂されたものであるという結論が提示さ れる。清朝史研究の基本史料の一つといえる起居注の全貌を余すところなく描き出した本章は,本論文全体の中 でも特に重厚さの際立つ部分である。第 2 章では,東洋文庫所蔵「嘉慶元年冊封皇后貴妃妃嬪檔」が扱われる。こ れは,乾隆帝の譲位と嘉慶帝の即位にともなって挙行された皇后・貴妃等の冊立典礼に関する文書であるが,清 代の宮中典礼の実態を文書資料に基づいて詳論した研究は,ほとんど類例がなく,先駆的な業績として注目され る。第 3 章,第 4 章では,いずれも 19 世紀の東北(満洲)地区に関わる文書資料,すなわち吉林双城堡の屯墾に 関わる文書群(第二部第 3 章で取り上げられた「奏摺稿」の一部)と,興安嶺山中のオロチョン人の編旗に関する文 書群(莫力達瓦達斡爾族自治旗檔案館所蔵)について検討が加えられ,当時のこの地域に対する統治が抱えてい たさまざまな矛盾が浮き彫りにされる。

第三部の各章で取り上げられている文書群は,一見すると相互の関係が稀薄で,羅列的に紹介されているだけ のようにも感じられるが,満洲語文書と漢語文書の相互関係の解明という著者の基本的関心はここでも貫かれてお り,清末に至るまで満洲語文書が一定の役割を果たしていたことが,具体的な裏づけをもって重ねて強調される。

なお,「附篇」は,第 1 部第 3 章で取り上げられた「逃人檔」の全訳であるが,『大明会典』の上から重ね書きされた きわめて読みづらく,かつ難解な満洲語を判読・解釈した功績は特筆に値する。

本論文を全体として見たとき,各章で紹介・検討されている個々の文書群の内容のおもしろさに目を奪われつ つ,最後まで読み進めていくと,清朝の建国期から末期に至る文書資料の全体像が大筋において把握できるように 組み立てられていることに気づく。まことに秀逸な構成といえよう。どの章をとっても価値は高いが,特に入関前にお ける文書制度の形成過程をかなりの程度まで解明した第一部の各章,清代起居注の全貌を明らかにした第三部第 1 章などは,清朝史研究を志す者にとって必読の内容といえる。さらに,本論文の各章は,いずれも著者が労をいと わず国内外の文書所蔵機関を訪れて原本を調査した成果に基づいている。したがって,原本を手に取らずしては なしえない発見が随所に盛り込まれており,活字本や写真に頼るのではなく,現地に足を運んで原本を実見するこ との重要性を,あらためて認識させてくれる。

以上より,本審査委員会は,本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものであると判定する。

公開審査会開催日 2014 年 1 月 29 日

審査委員資格 所属機関名称・資格 博士学位名称 氏 名

主任審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 柳澤 明

審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 博士(文学)早稲田大学 近藤 一成 審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 博士(文学)早稲田大学 古屋 昭弘 審査委員 東北学院大学・名誉教授 文学博士(東北大学) 細谷 良夫 審査委員

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