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博士(経済学) 湯山英子 学位論文題名

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     博士(経済学)   湯山英子 学位論文題名

戦問期仏領インドシナにおける日本商の研究―対日貿易を中心に

学 位 論 文 内 容 の 要 旨

  

本論文の課題は、戦間期仏領インドシナにおける日本商の活動を、対日貿易を通して 明らかにすることにある。それによって該当期の仏領インドシナの日本人社会の解明お よび日本との関係の再検討、さらに彼らが扱った商品のアジア域内貿易における一側面 を提示することができると考えている。

  

東南アジアヘの日本人の関与は、第一次世界大戦を契機に本格的な市場参入が可能と なり、それに伴って人と物の移動が活発化したことは定説となっている。仏領インドシ ナについては、これまで進出企業数の少なさや経済関係の希薄さが強調され、戦間期の 検 討が され ない まま

1940

年以 降の 国策 によ る進 出の 時期 に 研究 が集中している。

  

しかしながら、仏領インドシナからの貿易品とそれに関わった現地日本商の動向につ いて個別に検討を加えると、関係が希薄であったとは言い難い。なぜなら、米、石炭、

亜鉛、漆などの対日貿易が行 われていたのである。漆にっいては、1930 年代半ば以降 には日本の需要の50 〜90 %を 占めるに至った。また、それら貿易を担った現地日本商 の存在は無視できない。こう した戦問期の動向を検討しないまま、1940 年代の政治、

経済関係を分析することにそもそも無理があると考える。

そのため、本論文では第一次世界大戦以降の日本と仏領インドシナの経済関係が、現地 日本社会にどう影響を与えたのか、対日貿易の担い手であった日本商はどういう役割を 担ったのかを漆貿易と石炭貿易に注目して検討する。特に漆貿易においては、日本の工 業化とともに漆の工業用塗料としての需要が高まり、その原料獲得を巡って中国、仏領 インドシナ、台湾へと展開することになった。各地域での担い手についても検討を加え る。次に、章ごとの課題設定と分析内容、そして結論を示す。

.序章において、課題設定と先行研究の整理によって本研究の位置づけを行った。各研 究領域において課題が交差してい る部分が多いが、東南アジア関係史と仏領インドシ ナ、移民史と経済関係史の

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つの領域に分けた。

  

移民史研究では、アジア地域への農業移民および中小商工業移民の研究が徐々に蓄積 され、現地民族との関係にまで関心が向けらようになってきた。しかしながら、仏領イ ンドシナにおいては、研究蓄積が少なく、こうした議論に俎上したとしても断片的なも の に 限 ら れ て き た 。 そ の 理 由 に 、 経 済 関 係 の 希 薄 を あ げ る 論 者 が 多 い 。

  

仏領インドシナ研究にっb ゝては、1940 年代前後の政治史、外交史、経済政策を中心 に研究が進められてきた。しかし一方で、戦時期における経済状況の悪化や社会流動化 に踏み込んだ社会・経済史的な研 究は、圧倒的に立ち遅れていることが指摘されてい る。

  

また、経済史の分野では、日本資本主義の発展と膨張を視点の軸にした研究から、日 本の進出先であるアジアを巡る国 際的な環境を視野に入れた研究が進んできている。

  

植民地および移民史研究、経済史研究において共通してぃゝるのは、進出先の「中小商 工業者」の役割の解明であり、アジア域内貿易についても多様な担い手の存在を重視し て い る 。 本 稿 で は 、 こ う し た 両 議 論 に 少 し で も 近 づ き た い と 考 え て い る 。 このような先行研究からの問題意識を踏まえて、本論文の到達点を次のように示した。

@日本人社会の解明、@仏印進駐前の日本企業の役割を明らかにすることで、「非勢力

圏」から「勢力圏」への移行期の検討が可能になる。◎現地産品のアジア貿易圏におけ

る日本商の役割が明確になる。@アジア貿易圏での漆貿易、石炭貿易の展開過程が明ら

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  第1章 で は 、 日 本 人 社 会 の 構 成 員 の 構 造 と そ の 変 化 を 明 ら か に し た 。 ま ず 、 仏 領 イ ン ド シ ナ の 日 本 人 進 出 を1  ‑3期 に 分 類 し 、 そ れ ぞ れ の 時 期 の 特 徴 を 示 し た 。 本 稿 で 対 象 と す る 第2期 は 、1920年 代 〜1930年 代 末 ま で で 、 こ れ は 第 ー 次 大 戦 以 降 の 進 出 で あ り 、 領 事 館 や 銀 行 が 開 設 さ れ て 日 本 人 社 会 の 構 成 員 に 変 化 が 生 じ た 時 期 で あ る 。 ま た 、 娼 館 閉 鎖 に よ る 廃 業 や 転 業 、 貿 易 に よ る 商 社 員 の 配 置 や 中 小 商 工 業 者 の 発 生 な ど に よ る も の も あ り 、 日 本 人 社 会 の 転 換 期 と 結 論 づ け る こ と が で き た 。 さ ら に 、 日 本 の 仏 領 イ ン ド シ ナ 移 民 送 出 地 域 の 特 徴 を 長 崎 へ の 送 金 に よ っ て 示 し た 。

  ま た 、 日 本 と の 経 済 関 係 で は 、 貿 易 は 一 貫 し て 日 本 の 出 超 状 態 が 続 い て い た 。 こ れ は 、 フ ラ ン ス 本 国 が イ ン ド シ ナ 市 場 を 独 占 す る た め の も の で 、 外 国 に 対 す る 差 別 的 複 数 関 税 制 度 を 実 施 し た こ と に よ る 。 対 日 貿 易 に お い て 日 本 か ら の 輸 入 品 は 苦 戦 を 強 い ら れ た 。 一 方 、 対 日 輸 出 品 は 、1920年 代 は 米 が 中 心 で 、1930年 代 に な る と 米 が 減 少 し 、 石 炭 、 漆 、 ゴ ム が 増 加 し た 。 こ の よ う に 、 第1章 で は 仏 領 イ ン ド シ ナ の 日 本 社 会 の 構 成 員 の 内 容 と 貿 易 に よ る 日 本 と の 経 済 関 係 を 概 観 す る こ と が で き た 。   第2章 で は 、1910年 代 か ら1940年 代 初 め を 対 象 に 、 仏 領 イ ン ド シ ナ に お け る 対 日 漆 輸 出 の 展 開 を 現 地 の 日 本 人 商 店 の 活 動 に 焦 点 を あ て て 検 討 し 、 解 明 し た 。 同 時 に 、 該 当 期 の ア ジ ア 域 内 、 台 湾 、 中 国 で の 漆 貿 易 の 担 い 手 、 お よ び 流 通 過 程 を 明 ら か に し た 。 検 討 の 結 果 、 現 地 日 本 商 は1910年 代 か ら 、 本 格 的 に は1920年 代 は じ め か ら 日 本 向 け 漆 輪 出 、 あ る い は 輸 出 の た め の 調 査 や 営 業 活 動 に 奔 走 し 、1930年 代 に は 漆 供 給 基 地 と し て 仏 領 イ ン ド シ ナ で の 地 歩 を 固 め て い っ た と 考 え ら れ る 。 ま た 、 そ の 背 景 お よ び 要 因 と し て 、 @ 日 本 で の 需 要 の 変 化 に よ る 原 料 獲 得 の 必 要 性 、 @ 日 本 商 に よ る 仏 領 イ ン ド シ ナ で の 流 通 経 路 の 掌 握 、 ◎ 日 中 関 係 悪 化 に よ る 中 国 で の 流 通 構 造 の 変 化 、 @ 台 湾 で の 漆 栽 培 と 「 国 産 化 」 の 推 進 、 こ の4点 を 確 認 す る こ と が で き た 。

  第3章 で は 、 商 社 お よ び 銀 行 の 進 出 と 営 業 内 容 に 注 目 し 、 財 閥 系 商 社 で あ る 三 井 物 産 と 石 炭 貿 易 に つ い て 検 討 し た 。 検 討 の 結 果 、1910年 代 か ら1930年 代 に か け て 、 仏 領 イ ン ド シ ナ に 派 遣 さ れ た 商 社 や 銀 行 の 動 向 を 明 ら か に し た 。 主 に 三 井 物 産 が 継 続 し て 人 員 を 配 置 し て い た が 、 三 菱 商 事 、 日 本 綿 花 、 横 浜 正 金 銀 行 な ど が1910年 代 後 半 か ら1920 年 代 に か け て 営 業 活 動 を 行 っ て い た 。 そ れ は 人 員 の 設 置 お よ び 動 向 で 確 認 で き た 。 商 社 の 取 扱 品 目 に つ い て は 、 米 や 石 炭 、 鉄 鉱 石 の 貿 易 、 さ ら に 日 本 雑 貨 の 販 売 を 手 掛 け て い た 。 特 に 、 三 井 物 産 が 扱 っ た ホ ン ゲ イ 無 煙 炭 は 、 日 本 の 輸 入 外 国 炭 の 中 で も 無 煙 炭 の シ エ ア は 大 き か っ た 。 こ の ホ ン ゲ イ 無 煙 炭 を 取 扱 う た め 三 井 物 産 社 員 の 人 員 配 置 ( ハ イ フ ォ ン と ホ ン ゲ イ ) で 確 認 し た と こ ろ 、1910年 代 半 ば か ら1920年 ま で 、1926年 か ら 継 続 し て 配 置 さ れ て い た 。 流 通 に お い て は フ ラ ン ス 資 本 の ト ン キ ン 炭 鉱 会 社 と 一 手 販 売 権 を 獲 得 す る こ と が 出 来 た 。 こ れ は1910年 代 か ら 三 井 物 産 香 港 支 店 と ト ン キ ン 炭 礦 会 社 支 店 と の 取 引 関 係 が 構 築 さ れ て い た か ら で あ る 。 ま た 、 対 日 貿 易 だ け で な く 、 東 南 ア ジ ア 間 の 石 炭 貿 易 も 担 っ て い た 。

以 上 の こ と か ら 、 本 論 の 課 題 で あ る 戦 問 期 仏 領 イ ン ド シ ナ の お け る 日 本 商 店 お よ び 財 閥 系 商 社 の 活 動 を ア ジ ア 域 内 貿 易 と 関 連 さ せ 、 一 側 面 を 明 ら か に す る こ と 出 来 た 。 近 年 、 活 発 に 議 論 さ れ て い る 進 出 先 で の 日 本 商 の 役 割 、 多 様 な 貿 易 の 担 い 手 の 解 明 に 貢 献 で き た と 考 え て い る 。

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学 位 論 文 審 査 の 要 旨

主 査    教 授    宮 本 謙 介 副 査    准 教 授    高 井 哲 彦 副 査    准 教 授    内 藤 隆 夫

学 位 論 文 題 名

戦間期仏領インドシナにおける日本商の研究―対日貿易を中心に

     本研究は、戦間期仏領インドシナにおける日本商(中小商工業者および総合商社)

の経済活動を対日貿易を軸に検討し、当該期のアジアと日本の多角的交易関係の一側 面を解明したものである。近代アジア経済史の研究領域では、アジア域内の通商交易 圏、海域経済圏などの地域市場圏論が注目を集め、内外ともに数多くの研究成果が蓄 積されている。ところが、仏領インドシナをめぐる国際経済史研究は、日本との経済 関係が希薄であったとの定説もあって、本格的な研究がほとんど蓄積されず等閑視さ れてきた。本研究は研究の空白期間となっている両大戦間期に注目し、当該期の仏領 インドシナにおいても中小の日本人商人や貿易商による経済活動が進展して、日本の 工業化に不可欠な各種産品の調達が拡大していたことが明らかにされている。近代ア ジアの地域経済圏研究の磁場の中で課題が設定されており、内外の学会への本研究の 貢献は極めて大きいと言える。使用している史・資料については、同時代の関連公文 書・業界紙・研究機関報告書・社史などに加え、ベトナム・フランス両国に現存する 史・資料も活用しており、筆者のべトナム留学の経験と語学カが活かされている。ま た、戦前期に現地に在留した元日本商への聞き取り調査も精力的に行い、オーラルヒ ストリーの手法も駆使しており、収集された情報・データのオリジナリテイも高く評 価できる。

   論文の 構成は、序 章が「問 題関心と先行研究の整理」、第1 章が「日本人進出の特 徴」、第 2 章「対日漆貿易の展開過程」、第 3 章「日本商社の動向と対日石炭貿易」、

終章が「総括と今後の課題」である。

   序章では、関連の膨大な近代アジア地域交易史の文献が渉猟されるとともに、両大

戦間期における仏領インドシナの対外交易史研究が希薄であるとし、一定の研究蓄積

を有する日仏共同支配期( 1940 年代前半)とその前史である両大戦問期を架橋するこ

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との研究史的意義が強調される。

   第 1 章では仏 領インドシナにおける日本人社会の構成員とその歴史的変化を追跡し て いる。本 研究の対象時期である1920 年代〜 1930 年代は、領事館や銀行が開設され て日本人社会の構成員に変化が生じ、貿易による商社員の配置や中小商工業者の活動 が本格化した時期として位置づけられる。仏領インドシナと日本の経済関係では、フ ランスの差別関税政策で日本の出超が続くが、対日輸出品では米中心の1920 年代から 石炭・漆・ゴムなどの需要が高まる1930 年代へと、時代とともに貿易構成に変化が見 られるという。ここで注目すべきは、仏領インドシナにとって輸出額に占める対日比 率は決して大きくはなかったが、需要する日本にとって特定の産品は重要な位置を占 めたこと、とくに1930 年代のインドシナ産漆は工業化する日本にとって貴重な輸入産 品であったことが示され、その研究の意義が指摘される。

   第 2 章は、そ の対日漆貿易について、 1910 年代‑ 40 年代を対象に漆輸出を担った日 本人商店に焦点を当てるとともに、当該期のアジア域内、台湾、中国での漆貿易の担 い手および流通過程の変遷を捉えて日本商の果たした役割を示している。膨大な史・

資料とオーラルヒストルーの手法を駆使した分析であって、本論文の白眉の章と言っ てよい。

   戦間期仏領インドシナに店舗を構えた日本商店の経営者の動向から営業内容の変遷 に至るまで、詳細な追跡調査が行われている。その検討の結果、現地日本商は1920 年 代からロ本向け漆輸出のための調査や営業活動を本格化させ、1930 年代には仏領イン ドシナを漆供給基地として確立するに至ったことが示される。その要因分析では、日 本での工業原料としての需要拡大、華商の漆取引からの後退と日本商による流通経路 の掌握、日中関係悪化による中国での漆流通の変化、台湾での漆栽培と「国産化」の 推進などが指摘され、漆の現地生産・流通と東アジア通商網の中での変遷を捉えてい る。

   第 2 章が漆貿 易を担う 中小商工 業者の分 析であるのに対して、第3 章では、財閥系 商 社である 三井物産の石炭貿易に注目する。まず1910 年代〜 1930 年代に仏領インド シナに進出した商社・銀行(三井物産、三菱商事、日本綿花、横浜正金銀行など)の 駐在員派遣などの動向を追跡し、その取り扱い商品の変遷を確認する。とくに三井物 産が扱ったホンゲイ無煙炭は、当該期日本の輸入外国炭の中でも無煙炭に占めるシェ アが大き かったことに注目する。三井物産に関しては、1910 年代からその香港支店が フランス資本のトンキン炭鉱会社との取引関係を構築しており、その延長線上に仏領 インドシナでも卜ンキン炭鉱会社から一手販売権を獲得していたことが明らかになる。

しかも、ホンゲイ無煙炭の流通網が構築されると、対日貿易だけではなく東南アジア 問の石炭貿易をも担うようになったという。

   このように本研究は、従来経済関係が希薄として等閑視されてきた両大戦間期の仏

領インドシナと日本の貿易関係に焦点をあて、日本工業化の原材料として不可欠の漆

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ナ産品の流通が果たした役割をどのように位置づけるのか、これらの課題は今後に残 されている。これらの課題に取り組むことによって、本研究の完成度は一層高まるも のと期待される。

   以上、本研究における未開拓の研究領域への挑戦、独創的な実証研究の成果を高く

評価し、審査委員は一致して、本研究が博士(経済学)の学位授与に値するものとの

結諭に達した。

参照

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