博士(経済学)近 昭夫 学位論文題名
統計的経済学の生成と発展に関する研究
学位論文内容の要旨
20世 紀 初 頭 のア メ リ カ に おいて ,統計 的経済 学(statistical economics)ある いは数 量的経 済 学 (quantitative economics)と よ ばれ る 研 究 が行 われる よう になり ,1920年 代には それが 多く の研究 者によ って 様々な 形で展 開され るよ うにな る。こ れらの 研究は ,本 来主として生物現 象に 関する 統計デ 一夕 の計算 的処理 法とし て発 達して きた数 理統計 学的手 法を 経済学的研究に適 用す ること を,基 本特 徴とす るもの であっ た。 統計的 経済学 は,1940年代以 降に今日的形態に発 達す る計量 経済学 の初 期的形 態であ ると評 価さ れてい るが,1920年代 の統計 的経済学から1940年 代の 計量経 済学の 研究 に至る プロセ スでは,統計的方法の適用をめぐって種々の問題が提起され,
議論 が重ね られて きて いる。 これら の論議をふりかえり,その意義にっいて検討することにより,
経済 研究に おける 数理 統計学 的方法 適用の 意義 と限界 ,また 今日の 計量経 済学 的研究の性格を評 価す る上で 多くの 示唆 が得ら れると 考えら れる 。
本研 究で は,こ のよう な観点 から, 統計 的経済 学の生 成から1940年代 におけ る計量経済学の新 た な 展開 に 至 る 重 要 な結 節 にあ たる研 究を とりあ げ,そ れらの 研究 の主要 な内容 とそれ らをめ ぐっ て展開 された 論議 の意義 にっい て考察 した 。
本研 究は ,全体 が三っ の部分 から構 成されている。まず第一に,アメリカに特有なプラグマチッ クな 思考の 下に構 想さ れた統 計的経 済学の 研究 が,具 体的に どのよ うな形 で進 められたかを明ら か に した (第I部) 。次い で第二 に,数 理統 計学的 方法の 経済研 究へ の適用 に伴っ て,ど のよう な問 題が提 示され ,そ れらを めぐっ てとの よう な論議 が展開されたかを明らかにした(第H部)。
そし て第三 に,こ れら の論議 を通し て示さ れた 問題が 計量経 済学の 研究に おい てどのように処理 され ていっ たのか を見 て,そ の意味 にっい て考 察した (第皿 部)。
第I部 統 計 的 経 済学 の 生 成 と 展開
こ こ で は , 統計 的 経 済 学 の研 究 を 始 め たH. L.ム ー ア の 研 究( 第 一 章),W. M.パーソ ンズ に よるい わゆる ハーヴ ァー ド方式 の景気 指数( 第二章 ),P. H.ダ グラス の生 産関数 に関す る研
究 を と り あ げ ( 第 三 章 ) , そ れ ら の 主 要 内 容 と 問 題 点 に っ い て 考 察 し た 。 ム― アは 新古典 派的な 純枠 経済 理論 を抽象 的であ って現 実的 でなぃ とし,純枠経済理論に 現実 性を与 える ために 数理統 計学の 手法を 用い て,純 枠理論 と統計 デ一 夕とを結びっけ,抽象的 な理 論を統 計的 に 補 完 す ること を考え た。 ダグラ スもム ーアと 同様 に,抽象的な経済理論か ら出 発する 。彼 は限界 生産力 理論に 基き生 産関 数を定 式化し ,この 関数 を実際の統計データにあ ては めるこ とに より, 資本お よび労 働の限 界生 産カを 測定す ること を試 みた。これに対しパーソ ン ズ は ,W.C. ミッ チ ェ ル の実証 主義的 な研究 方法 論に依 拠して ,すべ ての 経済理 論を排 除し たま ったく の経 験主義 的な景 気研究 法をっ くり あげた 。しか し,経 済理 論から出発したムーア,
ダグ ラスの 研究 も,統 計デー タヘの あては まり の良さ を重視 する結 果, 経済理論との関わりが不 明 確 に な り , パ ー ソ ン ズ と同 様 の 理 論 ぬき の 実 証 に 行き っ か ざ る をえ な か っ た の であ る 。
第II部 方法論 的 反省 期の諸 問題
ここ で は,1920年代か ら1930年 代に かけて の,G,U.ユ ールの ニ セの相 関 ナン センス な相 関 を 中心と する 議論( 第四章 ),R.フリッシュ等による ピットフォール 論争(第五章)
およ び多重 共線性 をめ ぐる論 議(第 六章) をみた 。
経済 研究に おい て数理 的方法 が広範 に利 用され るよう になる と共に ,相 関係数 の計算が盛んに 行わ れるよ うにな った 。しか し,ユ ールは 時系列 間の 相関を 計算す るとき に, 実際には存在しな い ニセの 相関 ある いは ナンセ ンスな 相関 が算 出され てしま うこと のあ ることを示した。
また ,統計 的研究 が盛 んにな り,多 くの人 々によ って 統計的 需要曲 線,統 計的 供給曲線の算定が 行わ れるよ うにな るが ,統計 データ に誤差 がある ため に算定 された 曲線が 需要 曲線か供給曲線か 判定 できな いとい う問 題のあ ること が明ら かにさ れた ( ピ ットフ ォール の 問題)。さらに,
回帰 方程式 のデー タヘ のあて はめの 程度を 良くす るた めに説 明変数 や数を 増や していっても,諸 変数 間に線 形式で 表さ れる関 係があ ると方 程式の パラ メータ の値が 求めら れな いが,データに誤 差が あるた めにパ ラメ ータの 値とし て,意 味のな い数 値が得 られて しまう とい う問題(多重共線 性の 問題) のある こと も指摘 された 。これ らの問 題の 指数は ,経済 研究に おい て数理的方法の利 用が 普及し ていく 一方 で,数 理的方 法の機 械的利 用に は大き な問題 がある こと を明らかにし,そ れに 反省を 迫るも ので あった 。
第 皿部 計 量 経 済 学の 新 た な 展 開と そ の 基 本 的 諸問題 ここ では,T.ホーヴェルモの研究をみた(第七章)。
1930年代の研究では,誤差の問題がク口ーズアップされてきた。しかし,経済時系列データは 独立性,ランダ厶性を欠いているので,それには確率的方法(1920年以降に発達してきた統計的 推測の理論)は適用できないというのが,当時の一般的な考え方であった。これに対し,1940年 代にfまいって,ホーヴェルモは,時系列を母集団からとり出されたーっの標本であると考えるこ とによって,時系列にも統計的推測の理論が適用可能になると主張した。時系列の各項は一定の 同時確率分布に従っており,母集団において各項が同時に生起する確率が最大なものが現に手に している時系列であると考えればよい,というのである。したがって,時系列デ一夕に方程式を あてはめるときに倣,諸方程式をそれらが同時に相互に決定しあう連立方程式の体系として構成 し,諸方程式のパラメ一夕も同時に推定するという方式をとるべきである,というのである。し かし,このホーヴェルモの考えは,時系列を観念的に解釈しようとするものであって,数理的方 法 の 利 用 に 際 し て 別 出 さ れ た 諸 問 題 を 根 本 的 に 解 決 し た も の と は い え な い 。 最後に,1970年代以降に,マク口計量経済モデルの評価をめぐって行われた論争をサーヴェイ した(補論)。この論争において,経験主義に徹べきことを主張する 時系列モデル派 は,マ ク口計量経済モデルはモデルの作成および諸パラメータの推定に際して多数の非現実的な仮定を 置くために,実際の経済分析においては有効ではないと批判した。この批判が一般的に受けいれ られているということは,ホーヴェルモ以来の計量経済学の研究が,統計的経済学以来論じられ てきた諸問題 を,根本的に解決したもので はなかったこと示している ものと考えられる。
以上の研究を通じて以下の点を明らかにした。
1.1910年代fまじまった統計的経済学の研究から,1940年代の計量経済学の研究に至る基本的な 思考の経路を,この過程の重要な結節にあたる研究と論議の検討を通じて,統計的経済学・計量 経 済 学 に 関 す る 従 来 の 研 究 よ り も よ り 系 統 的 に , 明 確 , 具 体 的 に 示 し た 。 あわせて,数理統計学的方法の経済研究への適用が,多くの方法論的な問題を生みだし,それ をめぐって多くの論議が重ねられてきていること,また識別問題,多重共線性などの重要な問題 はその後も根本的に解決されるに至っていないことを,諸研究の検討を通じて具体的に示した。
2.数理統計学的方法の経済研究への適用とその評価の歴史をふりかえることにより,一方では 数理的方法の適用の有効性が主張されながらも,その適用結果にっいては積極的に評価されてき てはいないこと,すなわち,経済理論との関連を考慮して統計的研究が始められても,その結果 は経済理論的観点から見て多くの問題や疑問があると指摘されていることが多いことを,種々の 研究にっいて具体的にみた。
3.これらの検討を通じて,数理統計学的方法の経済研究への適用は,数理的方法の適用に伴い
種 々の諸 問題 が提示 される と同時に,経験主義的なものにならざるをえナょいこと,そしてそこに 経 済分析 とし ての限 界があ ること を,具 体的 に示す ことが できた 。
学位論文審査の要旨 主 査 教 授 是 永 純 弘 副査 助教授 吉野悦雄 副査 助教授 園 信太郎
本 研究の 目的は 統計 的経済 学の成 立から1940年代 の計量 経済 学の新 たな展 開にいたる過程をふ り かえり ,統計 的経済 学,計 量経 済学の 基本的 な性格 と問 題点に っいて 考察することにある。こ こ で 統 計 的経 済 学 と い うの は 本 研 究 の冒 頭 で と りあ げられ ているH. L.ム ーア によっ て構想 さ れ たもの で,経 済研究 への数 理統 計学的 方法の 応用の こと である 。
本研 究は全 三部 ,七章 と補論 からな り,ま ず第I部『 統計 的経済 学の生 成と展 開』 では, プラ グ マティ ズムに もとづ く統計 的経 済学の 具体的 な展開 ,数 理統計 学の経 済研究への導入とがあと づ けられ 綿密・ 詳細に 検討さ れて いる。
次に 第H部『方 法論的 反 省 期 の諸問 題』で は,経 済研 究への 数理的 方法適 用の 問題点 とそ れ を めぐる 論議が 子細に 追跡 されて いる。 最後に 第m部『計 量経 済学の 新展開 とその 基本的 諸問 題 』では ,以上 の問題 点がそ の後 現在の 計量経 済学に 至る 展開の 過程に おいてどのような影響を 与 えてい るのか が解明 されて いる 。
本 研究の 章別構 成は 以下の 通りで ある。
第I部統 計的 経済学 の生成 と展開 第1章W. L.ム ーアと 統計 的経済 学 第2章W.M.パーソ ンズと ハーヴ ァー ド法
第3章 限界生 産力理 論とコ ッブ ・ダグ ラス生 産関数 第II部方法 論的 反省 期の 諸問題
第4章G. U.ユ ールの 時系列 解析論
第5章 ピッ トフオ ール 論争 とその 意義 第6章多 重共 線性と バンチ ・マッ プ法
第m部計量経済学 の新たな展開とその 基本的諸問題 第7章ホーヴェ ルモによる 同時決 定論 の展開
補論 時系列モデル 論 者による計量経済 モデル批判にっいて
全 体 を 通 じ て 本 研 究 が 基 本 問 題 と し て 提 起 , 探 究 し て い る の は 次 の3点 で あ る 。 1 . 19世紀の末以降, アメリカを中心と する経済学研究への 数理統計学的手法 の適用がどのよ う な 思 考 の 下 で 行 わ れ て き たか 。ま た ,こ の適 用 は具 体的 に どの よう に 展開 され て きた か。
2. この 適用 に 際し てど の よう な問 題 が生 じ, ま たそ れぞ れ の論 者と 同 時代 の研 究 者た ちに よってい かに議論されてき たか。
3. 以上 の研 究 に基 づい て ,今 日の 計 量経 済学 的 研究 の意 義 と限 界を ど のよ うに 考 える か。
本研究 から著者が得た結 果は次のとおりで ある。
1. 1910〜1940年 代に おけ る統計 的経済学の生成と発 展の経過が系統的 ,具体的に説明さ れ,
そ の 根 底 に は 実 用 主 義 的 な プ ラ グ マ テ ィ ズ ム の 思 想 が あ る こ と が 解 明 さ れ た 。 2.数 理統 計 学的 統計 処 理は 経済 理 論と の関 連 のもと で展開されても, 経済理論の発展と して 検討する とき多くの問題を はらんでいる。
3.経 済研 究 への 数理 統 計学 的手 法 の適 用は 経 験主義 的なものにならざ るをえず,経済分 析と して限界 がある。
行論の 過程で,従来,計 量経済モデル分析 への数理統計学的手 法の適用に際して ,難問とされて きた諸問 題,すなわち,無意味な相関(nonsense correlation),多重共線性(multicollinearity),識 別(identification)などの 諸問題が詳しく解 明,検討されている 。
本研 究 にお いて 著 者は 実に 丹念か つ綿密に多くの文献 を収集し,厳密な 考証をおこないー つー っ に批 判 的な評価を加えてい る。取り上げられ ているのは主要な ものに限っても,H.L.ムー ア,
W.M.パ ー ソン ズ, ハ ーヴ ァー ド 景気 研究 所 ,P. H.ダ グラ ス ,G. U.ユ ール ,H. シ ュル ツ,
W. レオ ンテ ィ エフ ,R.フ リッ シュ ,T.ホ ーヴ ェ ルモな ど,いずれも国際 的に著名な経済学 者,
数 理 統 計 学 者 , 計 量 経 済 学 者 た ち と そ の 同 時 代 の 研 究 者 た ち の 諸 研 究 で あ る 。 本研 究 の功 績は , 以上 の数 理統計 学的諸手法の経済研 究への導入の端緒 からその現在的形 態の 計 量経 済 学の 成立 ・ 発展 にい たる学 説の発展過程を通し て,経済研究にお ける数理的方法利 用の 意 義と 問 題点 を詳 細 に検 討し ,かつ 厳密に批判した点に ある。著者の学説 評価にはしばしば 鋭い 批 判的 な 指摘 が見 ら れる が, その批 判は常に内在的であ り,建設的である ところに本研究の 優れ た特徴が ある。
アメ リ カ経 済学 の 主要 な一 系譜を なす統計的経済学の 展開にっいての内 外の研究は今日な お決
して 十分と は言え ず, ごく最 近に至 って1980年代の 後半以 降, 数点の 計量経済学発展史が公刊さ れは じめた が,そ れら に先立 っこと10年以 前から 本研究 を進め てき た著者 が非常な努カを払って 明ら かにし たその 諸特 徴と多 くの問 題点の 具体 的で批 判的な 指摘は ,国際 的にも先駆的な優れた 業績 である と評価 でき る。の みなら ず本研 究に よって 明らか にされ た研究 方法論上のいくっかの 所見 は,経 済研究 にお ける今 後の数 理的統 計処 理に寄 与する ところ 極めて 大きいものがあろう。
一見 迂遠に 見える 学説 史的研 究の有 効性を 説得 的に証 明して いる点 で,ア メリカ経済学にっいて の学 説史的 研究と して も,本 研究は 重大に 意義 をもつ 。とり わけ, 経済理 論と切り離された数理 統計 的方法 の利用 が多 くの場 合無意 味なも のに なりか ねない という 著者の 主張は,計量経済学的 研究 の今後 の展開 にと って重 要な示 唆とな ろう 。
計量 経済 学の学 説史を 本格的 に展開 する には, もちろ ん本研 究で は触れ られていない多くの問 題 ,た とえば 産業連 関分析 などの 検討 がさら に必要 である 。と りわけ 本研究 の最後 の第7章で 言 及さ れてい る確率 論の 経済学 研究への導入にっいては,検討すべき多くの問題が残されているが,
著者 の今後 の研究 に大 いに期 待せざ るを得 ない 。
そう した 不十分 さを考 慮して もなお ,以 上によ り,審 査員三 名は 一致し て本研究が博士(経済 学) の学位 を授与 する に十分 に値す るもの と判 定する 。