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フェミニズム法学とNationhoodをめぐる議論の展開と展望 : 難民審査ジェンダー・ガイドラインと女性難民保護から見えてくるもの

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フェミニズム法学とNationhoodをめぐる議論の展開

と展望 : 難民審査ジェンダー・ガイドラインと女

性難民保護から見えてくるもの

著者

南茂 由利子

内容記述

学位記番号:論人第8号, 指導教員:萩原弘子

URL

http://doi.org/10.24729/00002514

(2)

フェミニズム法学と

Nationhood をめぐる

議論の展開と展望:

難民審査ジェンダー・ガイドラインと

女性難民保護から見えてくるもの

大阪府立大学大学院 人間社会学研究科 人間科学専攻

南茂 由利子

2011 年

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目次

はじめに... 1 第1 章フェミニズム法学の動向 ... 6 1. 伝統的国際法解釈への異議申し立て ... 6 2. 『国連難民条約』上の難民定義とジェンダー ... 7 3. ジェンダー・ガイドライン策定への動き ...10 4.女性難民認定率は本当に低いのか―スピカブーアによる異論 ... 12 第2 章難民をめぐる世界の状況 ... 15 1. 『国連難民条約』の歴史 ...15 2. 難民とはどのような人々をさすのか ...18 第3 章ジェンダー・ガイドラインとは何か ... 23 1. カナダ、アメリカ合州国、イギリスのジェンダー・ガイドラインの比較 ...24 (1)難民認定機関と認定手続きのシステム ...24 (2) カナダ、アメリカ合州国、イギリスのジェンダー・ガイドライン および裁判所の解釈 ...26 2. ジェンダーおよび、ジェンダーに基づく迫害とは何か ...32 第4 章ムスリム女性のヴェール着用強制反対を理由とする 難民申請事例とその問題点 ... 36 1. ナダ事例の検証 ...36 (1)ナダ事例とは何か ...36 (2)ナダの苦悩 ...37 2. ファティン事例とサファイエ事例 ... 39 3. ムスリム女性のヴェール着用強制反対を理由とする難民申請事例 ...40 (1)カナダの事例とその分析 ...41 (2)アメリカ合州国の事例とその分析 ...44 (3)イギリスの事例とその分析 ...48 (4)3 ヵ国の事例の比較分析 ... 48 4. ムスリムが語る「道徳規定」「服装規定」 ...49 5. ホマ・フードファーのヴェール分析 ...51 6. 庇護決定事例に現れる「女性難民」イメージと現実のギャップ ...56

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第5 章女性割礼回避を理由とする難民申請事例とその問題点 ... 57 1. 女性割礼について ...57 2.カシンジャ事例... 59 3. アバンクワ事例 ...63 4. 女性割礼回避を理由とする難民申請事例 ...67 (1)カナダの事例とその分析 ...67 (2)アメリカ合州国の事例とその分析 ...71 (3)イギリスの事例とその分析 ...79 (4)3 ヵ国の事例の比較分析 ... 81 5. ヴェール着用強制反対および女性割礼回避を理由とする難民審査事例から見え てくるもの ... 82 第 6 章 ジ ェ ン ダ ー ・ ガ イ ド ラ イ ン の 課 題 と フ ェ ミ ニ ズ ム 法 学 の 展 望 す る nationhood ... 85 1. 「女性難民」イメージの果たす役割とは何か ...85 2. 西洋社会のイスラーム嫌悪 ...89 3. 難民審査およびジェンダー・ガイドラインが果たしている機能は何か ... 95 4. ジェンダー・ガイドラインとフェミニズム言説の課題 ... 99 5. 結論 ... 105 おわりに... 111 引用文献一覧 ... 114

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はじめに フェミニズムの見地から人権及び国際法を見直すという動きが、近年顕著になって きている。これまでは不可視であった女性への抑圧、虐待が見えるようになり、それを 黙認または放置する国家に対する責任の追及や、被害にあった女性に対する支援が進 んできている。女性への虐待を人権侵害と捉える動きのなかで、国際法のあり方や、従 来の人権概念が問いなおされている。そのなかで、アメリカ合州国1のフェミニストに は、人権という概念は男性中心社会の構築物であるということをおもな理由として、 人権概念に対する疑念もしくは、憎悪さえ抱く者がいる2。従来の人権概念が前提して いた普遍的人間には、実は種々の限定条件がついており、そこからはずれた者は人権概 念の適用からはずされることが多かったのは事実である。確かに、近代の人権概念は白 人中心主義的であったといえる。しかし、だからといって、人権概念を全面的に否定す るような議論に正しさがあるだろうか。これまでの人権概念の替わりにうちたてる人 権概念(とりあえずそう呼ぶとして)があるとすれば、それはどのようなものなのか。 彼女たちは、具体的にどういう法制度を備えた社会をめざすのか。 これらの問いを出発点にして、私が本論で取りくみたいのは、フェミニズム法学の考 察、検討である。従来の法に対する異議申し立ては、フェミニズムに限らず、伝統的な 法概念への問い直しという大きな潮流のなかで起きた。その一潮流たるフェミニズム 法学は、国家の主権者(立法の主体)たる国民(nation)から女性が除外されていたこ とへの異議申し立てから始まったもので、アカデミックな法学研究においても、実際 の司法実践(法的審査や裁判など)においても、従来の法学への批判的関与を行なっ ている。キャサリン・A・マッキノンをはじめ多くの女性法学者が、女性の経験とジェ ンダー不平等の現実に理論の基礎を置き、ジェンダーを無視する法にフェミニズムの 視点を取りいれようとしている。さまざまな意見に価値があり、かつ、さまざまな意 見を闘わせることが不可欠であるということ、見解をひとつに限定しそれを追究する のみでは、女性の経験やジェンダー不平等の現実は理解できないということに共通の 合意を見出した結果、ひとつの学派として存在するものではないが、フェミニズム法 学は、いまやアメリカ合州国の法曹界では大きな発言権を持っている。 伝統的な法概念への問い直しから出発したフェミニズム法学は、いまや従来の法概 念および実定法の学術的批判だけではなく、新たな立法行為、それに基づく法審理ま 1 「アメリカ合州国」は、本多勝一が提唱した表記法である。英語の正式名称である

the United States of America の訳語としては「アメリカ合衆国」より正確であり、 社会的にも一定の認知を得ていると考えられるため、本論ではこの表記を使用する。

2 代表的論者は、セクシュアル・ハラスメント、性的虐待、ポルノグラフィなどの性

差別問題に取り組むアメリカ合州国の著名な法学者キャサリン・A・マッキノン (Catharine A.MacKinnon)である。

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で を 模 索し 、実 行 してい る 。 本論 では 、 この feminist legal studies と feminist jurisprudence の両者をまとめて、フェミニズム法学と表記して論じる。 フェミニズム法学の主な研究対象は、国際法、とりわけ、国際人権法である。従来 の国際法の主な対象は国家間の規律であり、政府が自国民をどうとり扱うかについて ほとんど関与してこなかった。そのため国内の人権侵害が放置され、大きな紛争や国 を越えた侵略行為を引きおこすことがあった。第二次世界大戦を機に、国際法により 政府と市民の関係を規律して、国内の人権を保障することが平和実現の道であるとい う理念への関心が高まり、国際人権法という法分野が形成された。国際法は基本的に 国家間の関係を規律する法であるとの従来の認識に対し、国際人権法は、「そういう国 際法のあり方を根底から覆してしまおうという革命的な思想に基づいている」(阿部、 2008: 30)と国際法学者、阿部浩己は言う。難民保護が、人権体系に組み込まれるよ うになったのも、第二次大戦後に人権尊重原理が国際社会における基本的秩序原理の ひとつとされ、難民保護の人権体系とのかかわりが意識されるようになった結果であ

る(本間、2005:42)。『世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)』

に庇護を求める権利、他国で庇護を享受する権利が明記され、1951 年の『難民の地位

に関する条約(Convention Relating to the Status of Refugees)』が締結されたこと

も、国際人権法学の成果のひとつである3 フェミニズム法学は、国際人権法を用いて、人間の生活と権利を国際的に保護する よう各国政府に義務づけ、国際法の枠内に取りこもうとしている。これは、国家中心 主義への対抗思潮であり、従来の国際法の脱構築を求める潮流といえる。したがって フェミニズム法学にとって、国家中心主義に代わる、将来あるべき国家像を論じるの は避けられない課題となる。いったい女性除外を克服してめざされるのはどのような ネイション4なのか。フェミニズム法学は、ネイションをどのように捉え、nationhood 3 庇護をめぐる権利についての議論、および「難民の地位に関する条約」についての 問題点は第2 章で考察する。 4 nation を定義することは非常に難しいが、一般的に、文化、話し言葉、血統、立法 府の権力範囲などを共通とする共同体であると解釈されている。ベネディクト・アン

ダーソン(Benedict Anderson)は、これに対し、「想像される政治共同体(imagined

political community)」(Anderson, 1983)であると主張し、困難な nation 定義に一

石を投じた。彼によれば、nation とは、実際に存在するが一度も会ったことのない人々 により構成されているという意味で「想像」された人々であり、可塑的であれ国境を もつためにそれらは限られた人々であり、神授のヒエラルキー的王権秩序の正統性を 崩壊した時代に生まれたため主権を持つ人々であり、現実には不平等と搾取があるに せよ常に水平的な深い同志愛として心に描かれるため共同体として想像される。佐藤 成基は、アンダーソンのnation 定義を評価しつつ、nation をめぐる「想像」のあり 方に多様性が考慮に入れられていない点を批判する。nation には、「文化・民族 nation」 と「政治・国家nation」があると佐藤は主張する(佐藤、1995:112)。nation を共同 体と固定すると、この二つのnation が同一の場で共存することもあれば対立すること もあるという実態を見えなくすると彼は指摘する。つまりnation 概念は複数が存在し 共存、交錯、競合していると言う。たとえば、nation=共同体という想定では、「出生 地主義」対「血統主義」というnation の定義をめぐる対立を捉えられていない。これ

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(ネイションであること)をどのように定義しようとするのか。それらのネイション が求める国家とはどのようなものか。私のフェミニズム法学研究も必然的にその国家 像の考察、検討までを視野に入れたものとなる。 これらの問いの答えを追究するために、本論では女性難民問題を取りあげて考察す る。女性難民問題を取りあげる主な理由は以下の二つである。一つは、女性難民問題 が、これまでの国際法解釈に異議を申し立てて、その脱構築を図ろうとするフェミニ ズム法学の取りくむ代表的な問題であるからだ。そもそも、フェミニズム思想に立っ て論じられた国家論というものがほとんどない。いままでの国家論はジェンダー中立 とされていたため、ジェンダー不平等を見る視点がなかった。そのため、女性の経験 とジェンダー不平等の現実に理論の基礎を置くフェミニズムは、国家と女性の関係を まだ正確に説明できていない。そのなかで、「抽象的人間主体」間に存在する差異を示 すため、フェミニズム法学では、「女性」カテゴリーを用いて、国際法システムにおけ る「全女性の周縁化」をあぶりだし、これまでの国際法解釈の脱構築を図ろうとして いる。女性難民問題は、まさにそうした脱構築の試みのひとつである。1951 年の『難 民の地位に関する条約』および 1967 年の『難民の地位に関する議定書(Protocol

Relating to the Status of Refugees)』(以下両者を総称して『国連難民条約』)の難民 定義では、ジェンダーに基づく迫害を理由とした場合、女性が庇護を受けにくい現状 があるというのがフェミニズム法学者、人権活動家たちの主張である。国際法は公的 領域でのみ適用されるという伝統的解釈のもとでは、多くが私的領域で起きるとされ る女性への迫害について、国家の責任を問えなかったからだとする。この『国連難民 条約』からの女性の疎外を打破するために、私的領域内での女性への暴力を人権侵害 と捉え、難民定義にジェンダーを含めることにより、『国連難民条約』の解釈にフェミ ニズムの視点を取りいれようとするのが、フェミニズム法学が行なう女性難民問題へ の取りくみの方法である。ジェンダーゆえの迫害を難民定義に加えよというこの運動 は1980 年代に始まり 1990 年代に入って高まりを見せ、関連の論文も多い。 女性難民問題を取りあげるもう一つの理由は、ネイションを考えるうえで、難民問 題が非常に示唆に富む領域であるからだ。ネイションと難民問題の関連は何か。それ は、『国連難民条約』に基づいて与えられる庇護の内容に見られる。たどりついた国で 難民として認められ庇護が提供されると、その国で以下のことがらについて、国民と 同等の待遇を与えられる。それは、裁判を受ける権利、公教育を受ける権利、著作権、 らの共同体説への批判を考慮したうえで、あえてnation の定義を放棄し、nation と いう概念自体から出発するという佐藤のアプローチを本論は採用し、そのメンバーが 自らをnation とみなしている十分に大きな団体を nation として扱うこととする。日 本の場合、「文化・民族nation」と「政治・国家 nation」の二重性があるにもかかわ らず、日本=単一民族という定義から外れた人々は「残余カテゴリー」として把握さ れ、国家と民族のずれが消去される傾向がある。日本語の「国民」ではnation の意味 が十分伝わらないため、本論では、「ネイション」とカタカナ表記をする。

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工業所有権等の権利の保護、公的扶助および公的援助に関する待遇、労働法制および 社会保障に関する待遇等についてである。外国人と同等の待遇を与えられるのは、財 産権、移動の自由、職業に就く権利等の保護、住居に関する待遇等である5。つまり、 さまざまな分野での保護が、国民と同レベル、最低でも一般外国人と同レベルで保障 される。したがって、庇護の提供とは、その難民をいわばネイションとして受入れる ことと考えられる。難民審査とは、ネイションの受入れ審査であるともいえる。新た に迎えいれるネイションにどういう資格を求めるのか、どのような人であればネイシ ョンとしての権利を与えるのか。国境とは関係なく、中立な立場で難民資格を審査す るシステムも理論的には可能だが、現実には、難民審査は国家の裁量に任されている ため、国家主権の行使としてネイションを選ぶ行為であると考えられる。 フェミニズムの立場から法的人格や国家を論じた文献が尐ないなかで、上記二つの 理由により、本論は、女性難民問題に焦点を合わせて考察し、ネイションおよび、 nationhood をフェミニズム法学はどのように捉えているかを検討していきたい。 女性難民問題を考察するに当たり、次の二つに焦点を合わせる。一つは、難民審査 ジェンダー・ガイドライン、もう一つは、女性難民から出された庇護申請の事例であ る。難民審査ジェンダー・ガイドラインは、人権に関する国際条約がうまく機能して いない現状に対するフェミニズム法学者、人権活動家達からの批判が大きな原動力と なって策定された。本論では、『国連難民条約』中の難民定義にジェンダーを含める方 法で、従来の男性中心的な解釈を是正しようとするフェミニズム法学の動きに着目し、 ガイドラインの内容の検討を行なう。次に、具体的な難民審査事例の決定の検討によ り、ガイドラインが実際にどのように機能しているか、難民審査に対しフェミニズム はどのような立ち位置にいるのかを明らかにしたい。 それらの考察を行なううえで、まず注目しておきたいのは、オランダの実務弁護士 であり法学者であるトーマス・スピカブーア(Thomas Spijkerboer)からの指摘であ る。ジェンダー・ガイドライン策定の前提となる、「女性難民申請者は男性よりも難民 として認められにくい」というフェミニストたちの事実認識について、彼は疑問を呈 している。彼のオランダ事例調査によれば、女性の認定率のほうが男性よりも高いと いう。カナダでも同じ結果が出されており、これらの調査結果は、フェミニズム法学 者たちの主張に大きな疑問を投げかける。本論では、このスピカブーアの指摘をふま えたうえで、フェミニズム法学者たちの主張が原動力となって策定されたジェンダ ー・ガイドラインが、実際にはどのように機能しているのかをさまざまな角度から考 察する。 以上の考察の結果、フェミニズム法学がどのようなネイション像を持ち、どのよう なnationhood をめざすのかを探る。

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第 1 章では、フェミニズム法学形成の経緯、『国連難民条約』上の難民定義にジェ ンダー要素を取りいれるための理論構成上の論争および、ジェンダー・ガイドライン 策定以前の動きを概観する。その後、女性の認定率のほうが男性よりも高いというス ピカブーアのオランダ事例調査結果をあげて、国家によるジェンダー・ガイドライン 策定の意義を問う。第2 章では、難民とは何か、および、難民を取りまく世界的状況 を概観する。第3 章では、ジェンダー・ガイドラインの内容を見る。本論ではカナダ、 アメリカ合州国、イギリスの3 国のジェンダー・ガイドラインを比較、検討する。次 に、ジェンダーに基づく迫害とは何かを考察する。ジェンダーに基づく迫害のなかで、 第4 章ではムスリム女性のヴェール着用強制反対を理由とする難民申請事例、第 5 章 では女性割礼回避を理由とする難民申請事例を取りあげ、事例研究を行なう。これら の事例を具体的に分析し、「女性難民」イメージの構築を指摘する。 第6 章では、構築された「女性難民」イメージの果たす機能の考察、イスラーム嫌 悪の風潮のなかで示される主にヨーロッパの女性閣僚やフェミニストの見解、発言の 検討、ジェンダー・ガイドラインの果たす機能の考察、ジェンダー・ガイドラインの 内容とそれを推進するフェミニズム法学の持つ問題点と今後の課題の考察を行なう。 以 上 の 考 察 の 結 果 明 ら か に な る フ ェ ミ ニ ズ ム 法 学 の ネ イ シ ョ ン 像 を 検 討 し 、 nationhood の新たな展望を探る。

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第1 章 フェミニズム法学の動向

1. 伝統的国際法解釈への異議申し立て

フェミニズムの見地から人権および国際法を見直し、さらに発展させて立法行為、

それを使った法的行為や、法審査までをめざすフェミニズム法学の源流は、1970 年代

終わりにアメリカ合州国のロー・スクールで誕生し 1980 年代にその最盛期を迎えた

学術的運動である、批判的法学運動(Critical Legal Studies Movement、以下 CLS) にある。CLS は、ひとつのまとまった法理論や法哲学であったことはなく、常にさま ざまな論者の主張が行きかう、複雑かつダイナミックな知的運動体として存在してき た。CLS をごく簡単にまとめると、そもそも現代リベラル社会そのものが解消不可能 な根本的矛盾をはらんでいるというヴィジョンを出発点とし、法の中立性や客観性を 否定、法的実践の政治性やその非合理的側面を明るみに出す、「リベラル・リーガリズ ム」批判運動である。1980 年代後半には、この運動はヨーロッパでも力を持つように なり、イギリス、フランス、ドイツの法理論にも影響を与えるようになる。その流れ を汲むもののひとつがフェミニズム法学である(中山、2000: 135-150)。 たとえばフェミニズム法学の実践のひとつが、女性国際戦犯法廷である。2000 年 12 月に東京で、第二次世界大戦中の日本軍の戦時性奴隷制度を裁く民衆法廷「女性国際戦 犯法廷」が開かれた。これは、民衆法廷であるため国家的な法的拘束力はなく、被告で ある日本政府からの出席もなく、日本のメディアによる報道もほとんどなされなかっ たが、天皇の戦争責任と「慰安所」制度の設置と運営についての国家責任が明らかに された6。この法廷で裁判官として活躍したのは、従来からの男性中心的でヨーロッパ 起源の国際法を批判する女性国際法学者たちであった。彼女たちは、女性への虐待を 人権侵害と捉え、国際法のあり方や、従来の人権概念そのものを問い直した。 フェミニズム法学とは、従来の法思想の批判から生まれ、女性の経験やジェンダー 不平等という現実に理論の基礎をおき、ジェンダーを無視する法にフェミニズムの視 点をとり入れようとするものである。その研究対象は現在の法の批判や解釈にとどま らず、フェミニズムの視点に立った新たな立法行為および、その法による審理までも 視野に入れたものである。『世界人権宣言』が人権に関する国際的な規範とされている が、その人権概念自体が男性中心的だという批判がフェミニズムの立場から提起され ている。フェミニズム法学者たちは国際法及び法制度をどのように批判し変えようと しているのか。 6VAWW-NET ジャパン編『裁かれた戦時性暴力―「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦 犯法廷」とは何であったか』巻末資料、日本軍性奴隷制を裁く2000 年「女性国際戦 犯法廷」「検事団およびアジア太平洋地域の人々対天皇裕仁ほか、および日本政府認定 の概要」(VAWW-NET ジャパン訳)より。

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フェミニズム法学のなかでも主張はさまざまに分かれ、従来の人権法、人権概念を 再利用する立場、それらを再定義する立場、人権というレトリック自体に異議を申し 立てる立場など、多岐にわたる(Bower, 1993: 478-499)。だが、上述した女性国際戦 犯法廷で裁判官を務めたクリスティーン・チンキン(Christine Chinkin)と、ヒラリ ー・チャールズワース(Hilary Charlesworth)、シェリー・ライト(Shelly Wright) が ま と め た 、 「 国 際 法 へ の フ ェ ミ ニ ズ ム ア プ ロ ー チ (‟Feminist Approaches to International Law‟)」が指摘するように、従来の法制度分析とその批判が、彼女たち のほぼ共通の出発点だといえる。それは次のようなものである。法制度は政治的、経 済的制度と違い、抽象的合理性を基礎に働く。したがって中立性と客観性を獲得するこ とができ、普遍的効力を持つ。そのため法に特別の権威が与えられ、法とはそれが規定 する社会と区別される独立したひとつの存在物だと考えられる。これは西洋法理論の 大きな特徴である。フェミニズム法学は、この抽象的合理主義に挑戦し、法的分析は 人間の住む政治的、経済的、歴史的、文化的状況から切り離すことはできないとする 立場に立つ。そして、その理論の基礎を、女性の不平等な位置をつくりだし永続させる 法制度の機能を直接経験している女性の現実に置く(Charlesworth, 1991: 613)。フ ェミニズム法学者のなかには、現在の法解釈で女性の平等の立場を達成できないと考 えた場合には法分析からさらに歩みを進めて、新たな立法を提案し、積極的に法的行 為へ参加する立場をとるものも多い。先述したように本論では、フェミニズム法学と は単なる法批判、法解釈という立場にとどまらず、法的行為までを含む実践的立場を も包括する学問的領域を指す言葉として使用している。 フェミニズム法学においては、さまざまな意見に価値があり、かつさまざまな意見 を闘わせることが不可欠であるということ、見解をひとつに限定しそれを追究するの みでは、女性の経験やジェンダー不平等の現実は理解できないということに共通の合 意が見出されているという(Charlesworth, 1991: 613)。だが、それに加えてもうひ とつ、彼女たちを貫く大きな共通見解がある。それは、「歴史や文化の違いにもかかわ らず、全世界のフェミニストたちはひとつの中心的な問題を共有する。それは男による 支配だ」(Charlesworth, 1991: 621)という認識に基づいて、ジェンダーを無視する 国 際 法 の な か に フ ェ ミ ニ ズ ム を と り 入 れ る 可 能 性 を さ し 示 す こ と で あ る (Charlesworth, 1991: 614)。 国際法についてのフェミニズムの見解は、ほとんどの女性の意見を排除する構造や 原則を考えなおし改訂すること(revision)をその目的とするという(Charlesworth, 1991: 621)。女性の意見はさまざまで、フェミニズム法学にはひとつの見解はないと いうことであったが、「女性の抑圧は男性の支配による」という大きなひとつの共通見 解を掲げることで、国際的フェミニズムという存在を提唱しているのである。 2.『 国連難民条約』上の難民定義とジェンダー

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フェミニズム法学では、「女性」カテゴリーを用いることにより、国際法システムに おける「すべての女性の周縁化」をあぶりだし、これまでの国際法解釈に異議を申し 立て、その脱構築を図ろうとしている。その脱構築の代表例のひとつが、女性難民問 題である。UNHCR は「世界の難民人口の半分が女性だが、庇護申請者の中で女性の 占める割合は非常に尐ない」(UNHCR, 2005: 5)と言う。その主な原因は、難民審査 にかけられたジェンダー・バイヤスにあるとして、フェミニズム法学は難民ジェンダ ー・バイヤスに焦点を当てた学問的政治的批判のための研究を行なうようになった。 だ が 、「 西 洋 諸 国 に 来 る 難 民 の ジ ェ ン ダ ー 構 成 に 関 す る デ ー タ は ほ と ん ど な い 」 (Spijkerboer, 2000: 17)状況で、詳しい数字は不明である。西洋諸国における庇護 申請者のジェンダー構成について作成された最初のデータは、1984 年にオランダの社

会問題相(the Ministry of Social Affairs)が命じて作らせたレポートであるという (Spijkerboer, 2000: 17)。それを基にしたオランダの 1974 年から 1997 年の「庇護 申請者数と女性の割合」によれば、1977 年までは女性申請者数は出されていないので 不明だが、1978 年から 1989 年の間はほぼ 10%半ばから 20%前半を上下し、1990 年 以降の申請者に占める女性の割合はほぼ 30%となっている7。カナダや他の西洋諸国 の難民人口に占める女性の割合もほぼ3 分の 1 であるという(Spijkerboer, 2000: 17)。 女性ゆえに受ける暴力から逃れてくる女性を難民として受入れるための動きが、欧 米のNGO、女性人権団体のあいだで見られるようになったのは 1980 年代頃からであ る。『国連難民条約』はジェンダー中立という体裁に見えるが、女性への暴力の多くは 単に私的な問題としてしか扱われなかった。国際法は公的領域でのみ適用されるとい う伝統的解釈のもとでは、被害女性は保護の対象となりえず、つまり難民の地位を認 められうるとは考えられてこなかった。女性への暴力を私的領域内での人権侵害 と捉 え、国家の責任を問えるようにするには、国際人権法制の再構築を進めることがまず 必要とされた。1980 年代から 1990 年代にかけて発表された、フェミニズムの視点か らの批判的国際法研究の論考の多くが、『国連難民条約』の難民定義の批判にかなりの 頁を費やしている。 『国連難民条約』によれば、難民とは、「人種、宗教、ナショナリティもしくは特定 の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあ るという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その 国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国 籍国の保護を受けることを望まない者」8である。その「迫害(persecution)」とは何 かという肝心の迫害定義は、『国連難民条約』にはない。したがって、その解釈をめぐ ってさまざまな議論がなされることとなった。 フェミニズム法学者たちは、女性への暴力・虐待は、世界中のいたるところで見ら 7 Table.2.1(Spijkerboer, 2000:16)

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れ、女性であるがゆえに受けるものだという。そして、これらは人権侵害として認知 されていないため、公的保護が受けられない。そもそも迫害と認められないため、難 民として認定されにくいのが現状であるとする。たとえば、ポーランド女性が自国で共 産党に加わらなかったためにブラック・リストに載り、ポーランド秘密警察の大佐か ら性的虐待を受けアメリカ合州国に政治的庇護を求めたケースでは、当該女性の政治 的意見を理由とする迫害とはみなされず、大佐の個人的関心が引きおこした私的虐待 と さ れ 、 庇 護 申 請 の 適 格 が 認 め ら れ な か っ た (Klawitter v.INS)(Warren, 1994: 300-301)。この事例について、プリシラ・F・ウォレン(Priscilla F. Warren)は、 強姦や親しい者による暴力を迫害として認めないのは、法の父権主義的解釈の反映だ と批判する(Warren, 1994: 302)。また、ヴェール着用拒否は政治的抵抗とは見られ ずに、単なる服装の好みの問題と解釈される(Kelly, 1993: 628)。したがって、ヴェ ール着用拒否によって受ける鞭打ち等の刑は、宗教や政治的意見を理由とする迫害に は該当しない。私的領域内のジェンダー抑圧は公的行為ではないという理由で政治的 亡命は認められない(Greatbatch, 1989: 519)。こうした事例をあげ、フェミニズム 法学者たちは「国連難民条約」の定義の入り口段階で女性が排除されていると指摘し、 この状況を打開するには、まずジェンダーに基づく暴力・虐待を迫害と認知し、そし てそのジェンダー迫害を『国連難民条約』の定義に入れることが必要であると主張す る9 『国連難民条約』の難民定義にジェンダー迫害を入れるためにフェミニズム法学者 たちが行なった提案は、大きく二つに分けられる。一つは、難民定義に六つ目の新た なカテゴリーとして「ジェンダー」を付加するというものである。その理由として、 リンダ・シプリアーニ(Linda Ciprian)は、難民定義に、独立したカテゴリーとし てジェンダーを入れないことは、人種や政治的意見等に基づく迫害よりもジェンダー 迫害は重要でないと認めることであり、ジェンダー迫害を格下げしていると主張する (Cipriani, 1993: 511-548)。マティー・L・スティーヴンス(Mattie L. Stevens)は、 女性の迫害は男性の迫害と違うという事実の認識が前提になければ、いまある「特定 の社会的集団」カテゴリーに女性の要求を吸収しても、ジェンダー迫害を受ける女性 の救済には不十分であるとして、六つ目の「ジェンダー」カテゴリー付加を主張する (Stevens, 1993: 179)。両者とも、ジェンダーを難民定義の新しいカテゴリーとして 追加することは、人権や女性の権利を推進する国際社会の責任と一致するという見解 を示す。だが「ジェンダー」という新カテゴリー追加案は、『国連難民条約』改定とい う大事業を必要とするため実現性に乏しく、フェミニズム国際法学者の主張のなかで は尐数派となっている。

9 Warren, „Women Are Human: Gender-Based Persecution Is a Human Rights

Violation against Women.‟ ; Kelly, Gender-Related Persecution: Assessing the Asylum Claims of Women.‟ ; Greatbatch, „The Gender Difference: Feminist Critiques of Refugee Discourse.‟

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もう一つの提案は、ジェンダーに基づく迫害を受ける女性を、「特定の社会的集団」 と捉えるとするものである。その理由として、カレン・バウワー(Karen Bower)は、 女性は男性と違い伝統的役割を負わされているため、ジェンダーゆえの迫害は単なる 統計的集団である女性を、社会的集団に変化させると主張する(Bower, 1993: 198)。 ナンシー・ケリー(Nancy Kelly)は、女性が集団として社会のなかで選びだされ、 迫害を受け、保護を拒否されるとき、女という集団は難民定義のなかの「特定の社会 的集団」を構成すると言う(Kelly, 1993: 655)。ほかにピーター・C・ゴッドフリー (Peter C. Godfrey)らがこの提案を支持し主張する(Godfrey, 1994: 288)。「特定の 社会的集団」案は、先述した難民定義の五つのカテゴリー以外に新カテゴリー創設を しなくても、従来の法解釈で解決できるとする。女性は特定の文脈において「女性」 という「社会的集団の構成員」であることを理由に迫害を受けているというこの主張 によれば、宗教的、文化的、社会的期待に従わない女性、強姦や性的虐待にあったが ゆえに女性に課せられた厳しい道徳規範に合わなくなったと社会で考えられる女性は、 このカテゴリーに含まれるとする(Kelly, 1993: 662)。各国のジェンダー・ガイドラ インはこの立場をとるものが多い。 ところが、実際に「特定の社会的集団の構成員」というカテゴリーを適用する際に、 その解釈についてさまざまな問題が生じている。『国連難民条約』成立の経緯を見ると、 「特定の社会的集団の構成員」というカテゴリーは、最初から『国連難民条約』の草 案に入っていたわけではなかった。条約起草時に、スウェーデン代表が、「人種、宗教、 ナショナリティ、政治的意見」を理由とした迫害のみでは今後新たに出てくる迫害に 対応できないため、キャッチ・オール・カテゴリーとして難民定義に付加することを 提案し、それが認められて挿入されたものである(Warren, 1994: 303)。そのような 経緯で加えられたカテゴリーであるため、「特定の社会的集団」がどのような集団を指 すかについては、はっきりと決まった定義はない。アメリカ合州国の移民帰化局(INS)、 移民不服審査委員会(BIA)、連邦巡回控訴院等では、それぞれに異なった決定が下さ れているのを見てもそのことがわかる10 3. ジェンダー・ガイドライン策定への動き フェミニズム法学者、人権活動家たちからの強い要望を受け、まず、国連難民高等 弁務官事務所(以下UNHCR)は、次のような文書を公表し、ジェンダー・ガイドラ イン策定に向けて各国政府の理解を求めている。それらの文書とは、女性難民保護に 関して、UNHCR の執行委員会(Executive Committee)が 1985 年に出した『難民 10第9連邦巡回控訴院の Sanchez-Trujillo ケースの判断では、「特定の社会的集団」と して①集団間の親しい関係、②その友好関係を基盤とする共通の欲求(impulse)も しくは関心(interest)、③自発的な提携、④一般人と区別できる集団員による共通の 特色を規準として設けたが、「家族」は「特定の社会的集団」の典型例とするなど、そ の判断に矛盾が見られる(Sanchez-Trujillo v INS, 801 F. 2d 1571)。

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女 性 と 国 際 保 護 (Refugee Women and International Protection)』(Executive Commitee Conclusions:No.39) 、 同 じ く 1985 年 に 出 し た 『 難 民 女 性 (Refugee Women)』(Executive Commitee Conclusions:No.54)、1990 年に出した『難民女性と

国際保護」(Executive Commitee Conclusions:No.64)、1993 年に出した『難民保護と

性 的 暴 力(Refugee Protection and Sexual Violence) 』 (Executive Commitee

Conclusions:No.73)である。UNHCR 自体も、1991 年に『難民保護に関するガイドラ イン(Guidlines on the Protection of Refugee Women)』、1995 年には『難民に対す

る性暴力:防止と対応についてのガイドライン(Sexual Violence Against Refugees;

Guidlines on Prevention and Response)』を発表している。これらの動きのなかで、 1993 年には、『世界人権宣言』第 14 条、『女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に 関する条約(Convention on the Elimination of All Forms of Descrimination against

Women)』(以下『女性差別撤廃条約』)第1 条などを法的根拠に、ジェンダーに基づ く迫害を難民認定における指標のひとつとして「特定の社会的集団の構成員」を導入 することが、国連総会や、UNHCR 執行委員会で承認されることとなった(UNHCR, 2002 a: 2)。「特定の社会的集団の構成員」の導入は、先ほど述べたフェミニズム法学 の議論の成果と見ることができよう。 このような流れのなかで、難民認定にジェンダー要素を含めた、ジェンダーに基づ く庇護に関連する指針(いわゆるジェンダー・ガイドライン)が、カナダ(1993 年) を先駆けとし、アメリカ合州国(1995 年)、オーストラリア(1996 年)、南アフリカ (1999 年)、イギリス(2000 年)、スウェーデン(2001 年)、アイルランド共和国(2001 年)等11で、次々に策定される。イギリスのジェンダー・ガイドライン策定はカナダ より7 年も遅く、他のヨーロッパ諸国の策定もスウェーデンの後、あまり進んでいな い。それは、ガイドライン策定をめぐる次のような経緯によるものと考えられる。 ヨーロッパでのジェンダー・ガイドライン策定に向けた取りくみは早い。UNHCR

執行委員会の結論(Executive Commitee Conclusions: No.39)に先立つ 1984 年、ヨ

ーロッパ議会は、迫害の犠牲者である女性を難民条約定義内の「特定の社会的集団」 に属すこと、難民地位の資格があると考えるよう国家に求めることを決議として採択 した。しかし、ヨーロッパ議会が、EU 加盟国へのジェンダー・ガイドライン策定要 求を行っているにもかかわらず、それ以来、進展はほとんどなかった。1996 年 11 月 14 日のヨーロッパ議会決議は、すべての加盟国に UNHCR 執行委員会で同意された

11 カナダ:Guidelines on Women Refugee Claimants Fearing Gender-Related

Persecution, アメリカ合州国:Considerations for Asylum Officers Adjudicating Asylum Claims from Women, オーストラリア:Guidelines on Gender Issues for Decision Maker, 南アフリカ:Gender Guidelines for Asylum Determination, イギ リス:AsylumGender Guidelines, スウェーデン:Gender-based Persecution: Guidelines for Investigation and Evaluation of the Needs of Women for Protection, アイルランド共和国:Irish Refugee Council Guiding Principles on Asylum-Seeking and Refugee Women.

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女性庇護請求者に関するガイドラインの採用を強く迫り、性的暴力が拷問の一形態で あり、戦争の武器として強姦が使われ、ある国々にジェンダー迫害を含む文化的伝統 があることはゆゆしきことだと強調した。1997 年 12 月、「難民と亡命者に関するヨ ーロッパ評議会(European Council on Refugees and Exiles)」はヨーロッパ諸国に、 女性からの庇護請求の決定について最も実践的なガイドラインを開発するよう求める、

『庇護申請および難民女性についての方針声明(Position Paper on Asylum Seeking

and Refugee Women)』を発表した(Crawley, 2001: 14-15)。このような再三のガイ ドライン策定の要求にもかかわらず、逆に、EU 加盟国は難民保護の形態を一時的、 補助的な保護中心へとシフトしようとする動きを見せ、『国連難民条約』の解釈、特に 非国家主体による迫害と「特定の社会的集団」についての解釈をさらに狭くしようと する取りくみを進めている。EU諸国では何が起こっているのだろうか。ヨーロッパ 諸国の現状は、第2 章で詳しく見る。 条約上の難民定義が男性難民を想定して作られたものであったため、従来の『国連 難民条約』の解釈では女性が難民として庇護を勝ちとることは非常に困難であったと フェミニズム法学者たちは言う。ジェンダー・ガイドラインには、女性が女性ゆえに 受ける暴力・虐待が迫害と認知されにくいから女性が難民として庇護を勝ちとりにく いというフェミニズムの主張が取りいれられ、『国連難民条約』による救済を可能にす るためにさまざまな配慮がなされている。女性による難民申請へのアクセスをより可 能にする指針として、難民審査ジェンダー・ガイドラインは、世界的に注目を集め、 それらの評価は高い。先ほどあげた各国のジェンダー・ガイドラインのうちスウェー デンのもの以外は、女性を「特定の社会的集団の構成員」とみなし、ジェンダー迫害 を受ける女性に庇護申請の適格性を与えている。これが現在のジェンダー・ガイドラ インのほぼ共通認識となっている。女性を「特定の社会的集団の構成員」と認めるこ との是非については、後に考察する。 4. 女性難民認定率は低いのか―スピカブーアによる異論 『国連難民条約』の難民定義はジェンダー中立的だが、実際の庇護申請手続きにお いてはジェンダー・バイヤスがかかっているという批判が、ジェンダー・ガイドライ ン策定の原動力となった。フェミニズム法学や人権擁護といった領域から、「女性は男 性よりも庇護の適用基準に合いにくい」(Kelly, 1993: 627)、女性難民は迫害の経験が 認められにくい、という声があがり、「難民定義にジェンダーの視点を入れよ」という 要求の高まりが起こったのであった。だが、女性申請者の庇護認定率は実際にどれく らいなのか。庇護申請者と庇護決定について各国の統計を見てもジェンダーによる分 析はほとんどない。先ほども述べたように、「庇護申請者のなかで女性の占める割合は 非常に低い」とUNHCR は言うが、その具体的な数字はほとんどない。単独でやって 来る女性申請者の数は、オランダでスピカブーアが調査した数字以外、ほとんど示さ

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れていない。女性申請者の庇護認定率については、ほとんどの国でデータがないため 不明というのが実情である。 本節冒頭で述べた、女性難民は迫害の経験が認められにくいというフェミニズム法 学者や人権活動家の主張に対する「最初の大きな問いは、庇護手続における女性への 差別が、統計に表れているか否かである。カナダとオランダのデータに基づけば、暫 定的ではあるがその答えは否である」とオランダのスピカブーアは言う(Spijkerboer, 2000: 12)。カナダとオランダのデータに限られている理由は、欧米諸国の政府による 男 女 の 庇 護 申 請 の 決 定 内 容 デ ー タ が 、 オ ラ ン ダ と カ ナ ダ 以 外 に な い か ら で あ る (Spijkerboer, 2000: 15)。国家当局が公表したデータはカナダのみである。オランダ のデータについては、スピカブーアが今回の研究のために司法省の協力を得て特別集 めたという12。彼は、オランダの 3 つの資料(男女の庇護申請の決定に関する統計デ ータ、250 人の女性申請者の庇護に関する資料(asylum files)、出版された女性難民 の判例)をベースに、女性からの申請を分析している。彼の分析対象であるオランダ の女性申請者とは、単独でオランダに到着した女性庇護申請者を指す。したがって、 難民申請の決定の数量的分析(quantitative analysis)および質的分析(qualitative analysis)の両面からの分析が可能なのはカナダ、オランダの 2 カ国についてのみで ある。 資料として使用できるこのオランダとカナダのデータは、どちらも女性申請者の認 定率が高いことを示している。1989 年から 1995 年のオランダの決定について見ると、 男女それぞれの申請者のうち、難民地位、人道的居住許可、一時保護を認められた割 合は、女性33.7%(2 万 7132 件)、男性 24.0%(3 万 9340 件)である13。カナダでは、 1989 年から 1994 年の男女の庇護申請者の認定率を公表しており、女:男の比率は、 1989 年では 87%: 89%(男女の決定総数は 5376 件)、1990 年は 79%: 75%(同 1 万 710 件)、1991 年は 72%: 67%(同 1 万 9425 件)、1992 年は 64%: 58%(同 1 万 7437 件)、1993 年は 50%: 44%(同 1 万 4101 件)、1994 年は 65%: 58%(同 1 万 5224 件) である14。このような数字の存在にもかかわらず、これらを資料として引用した論文 は ほ と ん ど な い 。 今 まで 見 た な か で は カ ナ ダの 法 学 者 、 オ ー ド リ ー・ マ ッ ク リ ン (Audrey Macklin)のみが、カナダにおける女性申請者の認定率が男性のそれよりも 高いことに言及している。ただし、それは脚注においてであるが(Macklin, 1995: 220)。 そして、カナダ当局は、なぜか1995 年以降ジェンダー分析を行なっていない。 スピカブーアは、女性の認定率が高い理由を分析するために、オランダで 1989 年 から1995 年に下されたすべての決定のうち 69%を占める 12 ヵ国の数字を比較する15

12 Thomas Spijkerboer, Gender and Refugee StatusAcknowledgement より。 13 Table 2.3 Dutch asylum decisions 1989-1995(Spijkerboer, 2000: 22)

14 Table 2.2 Recognition rate of male and female asylum seekers 1989-1994

(Spijkerboer, 2000: 18)

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その 12 ヵ国うち、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ユーゴスラビア、ルーマニア、トル コ、中国の統計では、この期間中ずっと女性の認定率は男性より高い数字を示してい る。12 ヵ国全体で見ると、一般的傾向として女性の認定率は男性よりも高いといえる が、時期や国によって若干の変化は見られる(Spijkerboer, 2000: 26-27)。 カナダ当局は上記の男女の庇護申請認定率を公表したのであるから、当然 1990 年 以降女性の認定率が男性のそれを上回り、女性が男性より不利ではない状況を認識し ているはずである。しかし、その同じカナダ当局が 1993 年にガイドラインを策定し ている。同様に、オランダ当局はオランダにおいて女性申請者が男性申請者より比較 的 優 遇 さ れ て い る こ とを 把 握 し て い る 。 だ が、 オ ラ ン ダ 国 務 長 官 は「 解 放 委 員 会 (Emancipation Council)」にアドヴァイスを求め、限定的な形態ながらも、1997 年 にジェンダー・ガイドラインを策定している(Spijkerboer, 2000: 39-40)。 カナダ、オランダの数字だけで、女性が申請手続きにおいて不利益を受けていない という証明にはならないだろう。だが、策定されたジェンダー・ガイドラインのなか で、尐なくともカナダとオランダのガイドラインについて言えば、「女性難民は迫害の 経験が認められにくい」という、フェミニズム法学者たちがガイドライン策定請求の 基本とする主張が事実に基づいていないことを、当局がすでに認識していたと考えら れる16。他の国々ではそもそも男女の難民認定率の比較を行っていないため、カナダ とオランダに限定されることになるのだが、女性の難民認定率のほうが男性よりも高 いという事実が示されているなかで、ジェンダー・ガイドラインはどのような機能を 果たすのだろうか。 この問いの答えを求めて、ジェンダー・ガイドラインが実際に果たしている機能は 何かを検証していきたい。ジェンダー・ガイドラインを検討する前に、まずガイドラ インがその拠所とする『国連難民条約』の成立の経緯をふりかえり、難民をめぐる世 界の状況を概観する。第2章では、そもそも難民とは何か、そして、難民はどのよう な状況に置かれているのか、EU諸国では何が起こっているのかを見る。 ナ(2 万 5259 件)、イラン(2 万 165 件)、ユーゴスラビア(1 万 9114 件)、スリラン カ(1 万 2904 件)、イラク(1 万 2929 件)、ルーマニア(1 万 2266 件)、アフガニス タン(8,197 件)ザイール(6,708 件)、エチオピア(6,612 件)、トルコ(6,205 件)、 中国(6,182 件)があげられている。(Spijkerboer 211-215, Table A1-A12)

16 ただし、これらの数字は、ジェンダーに基づく迫害を理由とした申請に限定された

ものではない。庇護の認定率の男女比すら出していない国が多い状況では、ジェンダ ー迫害を理由とした場合の数字まで出すのは不可能といえる。逆に、そのようなデー タがないのに、ジェンダーに基づく迫害を理由とした場合、女性が庇護を受けにくい 現状があるという主張がなぜ出てくるのか疑問である。

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第2 章 難民をめぐる世界の状況 1. 『国連難民条約』の歴史 いつの時代にも難民は存在したのだが、現在のように国際社会一般が難民に関心を 抱くようになったのは第一次世界大戦直後のロシア難民以来のことである。第二次世 界大戦中はナチス・ドイツによるユダヤ人迫害をはじめとして、侵略や戦火を逃れよ うとした難民だけでも3000 万人以上に達した。1951 年の『難民の地位に関する条約』 は、その直前に発足したUNHCR と、西側諸国を中心とする 26 カ国の政府代表、29 の非政府組織(NGO)代表と 2 つの国連専門機関によって作成された。UNHCR は発 足当初、第二次世界大戦からの難民と戦後のソビエト連合(以下ソ連)・東欧難民保護 が主たる任務だった。UNHCR と西側諸国は「ソ連・東欧では人々が脱出せざるを得 ないような『迫害』が行われている」という共通の見解を持ち、このような政治的背 景の下に当該条約は成立したといえる(本間、1990: 88)。当然のことながら、ソ連・ 東欧諸国は条約起草作業から撤退している。「西側の政治的意図の実現を制度的に支え ているのが難民条約の基本構造」(阿部、2002 b: 159)だと阿部も言うように、条約 そのものが、当時の冷戦体制の申し子であり、そのため難民認定の国際機関設立の声 も、条約起草過程で各国の反対の前にかき消された。こうして『難民の地位に関する 条約』は、難民手続きとその運用等について判断基準となる統一された国際機関を待 たず、それらは条約加盟国の裁量とされることとなった。 『難民の地位に関する条約』を実際に運用するにあたって、「条約」に内在する次の ような問題点が露呈することとなる。一つは、難民とは、特定の事由によって「迫害」 を受けるおそれのある者と定義されているため、迫害の認定には必然的に庇護希望者 の出身国政府への「非難」が伴うことである。もう一つは、ノン・ルフールマン原則17 はあるが、難民への庇護提供を締約国に義務づけているわけではないことである。こ れらの問題点は、実に巧妙に「西側諸国がその政治的利害を反映できるような制度的 装置」として機能することを助ける(阿部、2003 b: 161)。 『難民の地位に関する条約』採択後、ソ連・東欧諸国(ユーゴスラビアを除く)は、 条約への参加を拒否した。社会主義国に在住するすべての人が迫害を恐れているとい う誇張のなかで、難民認定手続きは「寛容に」運用される。「ソ連・東欧諸国からの亡 命に国際的正統性を与え、社会主義体制の脆弱さを明るみに出す」(阿部、2003 b: 161-162)難民条約は、「共産圏=人権無視」、「遅れている」という概念化、およびそ 17 「締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、ナショナリティもし くは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見のためにその生命または 自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放しまたは送還してはならな い」(Convention Relating to the Status of Refugees, Chapter5, Article 33, 1.)

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の固定化の一助をなしたのであり、条約に支えられた大量の難民流出は、やがては共 産圏崩壊の一因ともなる。 1951 年の『難民の地位に関する条約』では、時間的制限と地理的制約があった18 50 年代、60 年代にアジア、アフリカで植民地独立が相次いだが、それらの国々の独 立をめぐる不安定な政情のなか、難民問題の重心がヨーロッパから、アジア、アフリ カに移行し、1967 年には、時間的制限と地理的制約をとり払った『難民の地位に関す る議定書』が成立する。1951 年の『難民の地位に関する条約』は、1967 年の『難民 の地位に関する議定書』と合わせることで、形式上は普遍的な条約となり、難民条約 としての体裁を整えた。だが、70 年代に入る頃から、アジア、アフリカ、ラテン・ア メリカからの難民数が飛躍的に増え、『難民の地位に関する議定書』の本質が露呈され ることになる。地理的制約が外れたため、南世界からも難民申請はできることになっ たのだが、1951 年の『難民の地位に関する条約』でいう、人種、宗教、ナショナリテ ィ、もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に「迫害 を受けるおそれ」が必要条件であるのはそのまま生きており、それが難民申請者にと っての障壁となる。西側諸国はこの議定書を根拠として、南世界からの難民拒否を始 める。 1980 年代に入り、ヨーロッパでは経済状況が悪化していたにもかかわらず、南世界 からの難民は増加した。それに加え、1989 年東西ベルリンの壁崩壊によってソ連・東 欧諸国からの難民が大量に流入し始める。東西冷戦の終結は、「共産圏からの脱出者を 庇護することに照準を合わせていた西側の難民政策のイデオロギー的基盤をとり払っ てしまった」(UNHCR, 1994: 36)のであり、もはや西側諸国にとっては、ソ連・東 欧諸国からの難民に対し優先的に庇護を与える政治的必要性はなくなっていた。西側 諸国にとって「東側からの亡命を呼びこむための難民認定制度は、東側からの人の流 入を阻止する制度として生まれ変わらなくてはならなかった」(阿部、2002 b: 165) し、そうすることが同時に南側からの大量難民の流入阻止の役割も担う。ヨーロッパ はその統合の過程で、増大する難民申請の抑制をめざした共通の施策、つまり「難民 締め出し」政策を構築していく。 「難民締め出し」政策とは具体的にどのようなものか。例をいくつかあげる。受入 国側はある国々を「安全な第三国」と定め、庇護申請者が「安全な第三国」経由で入 国した場合、申請された国は、途中で通過した「安全な第三国」で庇護民申請をしな 18 時間的制約とは、「1951 年 1 月 1 日以前に生じた事件の結果」として難民となった 者にのみ適用されることを指す。地理的制約とは、「1951 年 1 月 1 日以前に生じた事 件」が、「欧州において生じた事件」「欧州または他の地域において生じた事件」のい ずれの規定を適用するか、締約国は、加入の際に選択しなければならないことを指す。 (Convention Relating to the Status of Refugees, Chapter1,Article 1, A(2),

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かったことを理由に、その申請手続きを拒否できる19。また、受入国が法律によって 定めた「安全な国」の出身者は、本国で政治的に迫害されていることを理由づける事 実を示さない限り庇護申請はできない(川又、1993: 104-105)。「単なる乗継ルール」 を採用する国々は、空路で乗継して入国する場合、「単なる乗継」をして当該庇護申請 国に到着した場合以外は、その申請をすべて却下する20「単なる乗継」とは、経由地 の空港内乗継区域を出なかった場合のみとする。それ以外は経由地で庇護申請の機会 があったとみなし、最終目的地での申請は受付けられない。乗継区域での滞在時間も 申請却下の理由となる(佐藤、2003: 75)。これらの措置は、庇護申請の審査担当国を 確定することを主な目的とするダブリン条約21に基づいて講じられている。つまり庇 護申請はいずれか一つの条約加盟国が処理することとし、申請者が好ましい国を「物 色する」のを防ぐものである。これにより、査証(ヴィザ)を持たない者は、事実上、 最初に足をふみいれた条約国で庇護申請をしなければならないこととなった。ダブリ ン条約は、シェンゲン協定22を補足し、ヨーロッパ連合(以下 EU)加盟国が各国の 庇護政策を調整し、「調和」させること、すなわち「難民政策の一元化」への本格的な 一歩となった。 UNHCR は、EU のダブリン規定23と「移民外交」24政策を厳しく批判し、「安全な 19 ドイツは「安全な第三国」の基準として「難民の地位に関する条約、人権および基 本的自由の保護のための条約の適用が確立していること」をあげる。ドイツと国境を 接する国はすべて「安全な第三国」とされたので、陸路で入国した者は庇護申請の機 会を失った(川又、1993: 104-105)。 20 加盟国によりその判断はさまざまで、オランダでは 48 時間以上滞在した場合、イ ギリスでは経由地に1 時間いた場合にも適用、スウェーデンでは時間の設定はないが 不必要にとどまった場合には、庇護申請の機会があったとみなし、それぞれ申請は却 下される(佐藤、2003: 75)。

21 Dublin Convention: State Responsible for Examining Applications for Asylum

Lodged in One of the Member State of the European Communities, 1990.年 6 月 15 日発効。 22 シェンゲン協定(Schengen Agreement)は、シェンゲン・ランドという呼び名で 知られる領域内での、国境検問所・国境検査所の廃止を目的に、1985 年 6 月 14 日ベ ルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランス、ドイツにより調印されたもので、1990 年6 月にこの協定はシェンゲン条約(Schengen Convention)として調印された。今 ではアイルランドとイギリスを除くすべてのEU 加盟国と、アイスランド、ノルウェ ー、スイスの計28 カ国が協定に調印し、24 カ国で施行されている。その目的は、加 盟国間の国境検査廃止と、加盟国のシェンゲン外に対する国境検査政策の統一である (Convention applying the Schengen Agreement of 14 June 1985 between the governments of the states of the Benelux Economic Union, the Federal Republic of Germany, and the French Republic on the gradual abolition of checks at their common borders)。 EU は、アムステルダム条約(1997 年 10 月 2 日調印、1999 年 5 月 1 日発効)によりシェンゲン協定を欧州連合条約の枠組みに組みこむこととなっ た。 23 ダブリン規定(Dublin Regulation)は 2003 年 2 月 18 日採択される。ダブリン条 約に法的拘束力を持たせたものである。 24 「移民外交」とは、越境移動する人々の入国の許可、本国への帰国の促進といった 出入国管理を、国家が自国の裁量だけで行うのではなく、他国の協力を得て共同で行

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国」、「安全な第三国」への庇護申請者の送還という原則は、「ノン・ルフールマン原則」 と相容れないこと、「個人が庇護を求める権利」が著しく阻害されることへの懸念を表 明している(岡部、2006: 214)。アムネスティ・インターナショナルは、庇護申請者 をヨーロッパ到着までに通過してきた国に送りかえせるようにするこれらのシステム を「組織的無責任のネットワーク」と呼んで批判する(テケロン、1999: 11)。 また、受入国側は、特定国の国民に入国条件としてヴィザの取得を義務づけ、ヴィ ザやパスポートなどを所持しない者を輸送した航空会社に高額の制裁金を科す措置を とる(阿部、2002 b: 167; Hathaway, 1993: 731)。主に空港などを「国際区域」と呼 び、国家の領土ではないとする法的フィクションの創設により、飛行機を降立っても 入国したとはみなさない(阿部、2002 a: 83)。ヴィザやパスポートを持たない庇護申 請者を輸送した航空会社に制裁を与えることは、保護の必要性の確認よりも、ヴィザ やパスポートの携帯義務違反摘発を優先させることにつながる。加えて、本来国家の 責 任 で あ る 保 護 の 必 要 性 の 決 定 責 任 を 、 民 間 輸 送 機 関 に 転 嫁 す る も の で あ る (Hathaway, 1993: 731)。ヨーロッパを基点に北米やオセアニアにまで拡散していっ たこれらの政策は、国によって多尐の程度の差はあるものの「難民を入れない」「難民 を排除する」という基本方針において共通する。 これらの「難民締め出し」政策の別の局面が、「国内避難民(internally desplaced persons 以下 IDPs)」という概念である。1990 年代に国連は、国境を越えていない ものの、難民に類似した状況にある人々を国内避難民と類型化し、その保護のために 国際社会が介入していくべきだという議論を展開する。この概念は冷戦の終わる 1980 年代末から広まった難民議論に始まる。難民になることは本国に居住する権利を奪わ れることであり、自国に戻る権利を侵害されることであるとの考えに基づき、難民の 人権保障の観点から、国際社会の難民発生国内部への介入の必要性を説くものである。 つまり、住みなれた本国に帰還することが難民にとって最良の選択であり、難民問題 には、事後手当てよりも積極的に事前防止が必要であり、それは何より難民の人権擁 護の観点から求められていると主張された。この言説を「真っ先に歓迎したのは難民 擁護に携る人々ではなく、先進国の政策決定エリートであった」(阿部、2003 a: 61) という。西側諸国にとって難民受入れにもはや政治的な価値はなく、増加する一方の 庇護申請に重大な危機感を持っている。難民の人権を前面に押しだし、事前防止と本 国帰還の必要性を説く言説を支持し強調することは、「難民締め出し」政策をうまく人 権擁護の煙幕で包むことを可能にしたのである。次節で、UNHCR の難民統計を具体 的に見るが、難民数を大きく上回る国内避難民の数がこれらの動向を証明している。 2. 難民とはどのような人々をさすのか うことを目的とした対外交渉のことである(岡部、2006: 212。)

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第1 節で述べた『国連難民条約』の歴史的背景をふまえたうえで、次に、難民とは 具体的にどのような人々をさし、どれくらいの規模で存在するのかを見る。各国で統 一された計算方法により算出された難民数一覧はない。当該国ではなくUNHCR が概 算した数字も多い。したがってこれらの数字は正確なものではなく、単なる目安でし かない。この現実をふまえたうえで、ここではUNHCR 統計の数字を世界的な動向を 判断する手段として使用する。 UNHCR の統計によれば、2008 年末の時点で、UNHCR は強制的に移動させられ た人々の数を4200 万人としている。うち 1050 万人が難民(refugees) 2582 万 7000

人が庇護申請者(asylum seekers、係争中のもの)、2600 万人が国内避難民( IDPs) である(UNHCR, 2009: 3)。国内避難民は難民の約 2.5 倍である。 UNHCR によれば、「難民」の範疇に入るのは、「1951 年国連条約および 1967 年議 定書、1969 年 OAU 条約26、UNHCR 規則に従い難民と認定された者、人道的配慮に よって難民であるとみなされた者、一時的保護を与えられた者」である(UNHCR, 2009: 5)。2008 年の UNHCR による難民統計は、2006 年以降、はじめて減尐したと いう27 次に難民受入国について見る。世界で一番多くの難民を受入れているのは、パキス タンで、178 万 900 人、2 位はシリアの 110 万 5700 人、3 位はイランの 98 万 100 人、 4 位はドイツの 58 万 2700 人、5 位はヨルダンの 50 万 400 人である。以下、チャド、 タンザニア、ケニア、中国と続き、10 位はイギリスの 29 万 2100 人となっている。 上位 5 ヵ国は 2007 年度と変わらない。難民受入国といえば欧米諸国という印象が一 般的にはあるが、アフガニスタンやイラクなどの紛争地域に隣接しているという理由 はあるにせよ、パキスタン、シリア、イランといった南世界の国が上位 3 位を占め、 南世界で大量に発生した難民を南世界がサポートしている現実がわかる。2008 年では、 南世界の国々が 840 万人の難民をひき受けており、これは世界の難民人口の 80%を 占める。難民のうち、その最大数を占めるのはアフガニスタン出身者、第2 位はイラ ク出身者、両者を合わせると世界の難民の45%を占めるという(UNHCR, 2009: 8-9)。 「欧米諸国は人権を重視し多くの難民を受入れている」というイメージと、実際に 25 UNHCR 統計によれば、難民総数は 1520 万人と記載されているがこの数字には 470 万人のパレスチナ難民が含まれる。パレスチナ難民は、非常に重大な問題であるが、 UNHCR とは別枠の「国連パレスチナ難民救済事業機関」の保護対象となるため、 UNHCR はそれらの数字を除いた 1050 万人を難民分析の対象とする。 26 『アフリカにおける難民問題の特殊な側面を規律するアフリカ統一機構難民条約』 (1969 年 9 月 10 日採択、1974 年 6 月 20 日発効)アフリカの難民問題が 1951 年以降 にアフリカにおいて発生した事件の結果であることが、1951 年の『難民条約』への批 判を生み、それがこの「OAU 難民条約」を成立させる第 1 の理由となった(西井、 1975: 30)。 27 その理由として、自発的な帰還者が増えたこと、エクアドルとシリアにおけるコロ ンビア難民とイラク難民の数字が下方修正されたことがあげられている(UNHCR, 2009: 7)。

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