第 4 章 ムスリム女性のヴェール着用強制反対を理由とする
3. ムスリム女性のヴェール着用強制反対を理由とする難民申請事例
本章および第 5章で行なう難民申請事例の分析は、庇護審査官や移民判事が下した 第一段階の決定を中心に行なう。先述のナダ事例、ファティン事例、サファイエ事例
45 Fatin v. INS, 12 F.3d 1233.
46 Safaie v. INS, 25 F.3d 636.
は申請が却下されたのち、BIA、裁判所等へと控訴、上告されて出された決定である。
これらの裁判事例は、第一段階のみで終了した決定事例と比べるとその数量ははるか に尐ない。各国の難民審査の実態、傾向、特徴をより的確に読みとるために、多くの 事例に当たり、分析したいと考えて、これから行なうカナダ、アメリカ合州国、イギ リスの難民申請事例の比較・分析は、庇護審査官や移民判事が下した第一段階の決定 に焦点を合わせて行なう。しかしながら、各国の難民申請事例の第一段階の決定にア クセスすることは、容易でない。3 ヵ国の庇護認定手続きをまとめると、職名はそれ ぞれ異なるものの、まず審判官(decision maker)に当たる者が審査し、決定を下す。
ここで却下されると、一般的に控訴、上告へと進み、裁判所の判断を仰ぐこととなる。
第一段階で出された決定(initial decision)が公的文書として作成されるのは、控訴、
上告へと審判が進みその文書提出が求められるときだけである。そこまで進まない場 合には審判官の決定は文書として記録されず、資料として残らないことが多い。政府 が第一段階の決定事例を公表しているのはカナダのみであり、IRBが申請事例の決定 とその内容をウェブサイトで公表している。アメリカ合州国、イギリスでは、政府等 の公的機関による具体的な事例内容の公表はない。この2ヵ国に限らず、他の国々も 庇護申請の決定事例の内容を公表していないのが一般的であり、政府が公表している カナダは稀なケースといえる。
アメリカ合州国の場合、第一段階の決定の過程は次のようなものである。通常、第 一段階の決定を行う庇護審査官や移民判事は庇護を与えた事例にその理由を書かない。
「アメリカ合州国の移民法廷は、その法体制のなかでも独特な存在である。廷吏も速 記者もいない。判事自らテープレコーダーのスイッチを入れたり切ったりする……彼 以外に、審理を記録する者もいない」(ゲッター、2001: 25)。したがって第一段階の 決定については公的な記録がほとんど残らないのが、アメリカ合州国の庇護申請手続 き体制である。そのような体制のなかで、唯一体系的に庇護決定事例の内容にアクセ スできるのは、「ジェンダーおよび難民研究センター(Center for Gender & Refugee
Studies)」47(以下、CGRS)のウェブサイトを通してである。CGRS のデータベー
スからは、各事例の担当弁護士の手による庇護申請事例の内容の要約と決定結果を入 手できる。アメリカ合州国政府の手による公式なデータにアクセスする方法がないも のかを、CGRSの事務局に直接尋ねて筆者が得た回答は、以下のとおりである。
庇護審査局(asylum office)の決定と移民法廷の決定は常に非公開である。移民 控訴裁判所とBIAの決定は、公表されるときもあり、されないときもある。連邦
47 CGRSは、ファウジーヤ・カシンジャ(Fauziya Kassingdja)の庇護申請の弁護士
を務めたカレン・ムサーロ(Karen Musalo)が中心となって 1999年に設立された、
ジェンダー迫害を理由に難民申請を行う人々への専門家のアドヴァイスや資料を提供 する団体である。
巡回控訴院まで行った事例については、第一段階の決定がその資料として裁判事 例に記載される。合州国政府には、これ以外の、公表されない決定を手に入れる システムはない。政府システムがないため、(民間のNGOである)当CGRSが、
実際に庇護申請を担当した弁護士から直接にその事例および決定の内容について 資料を集めデータとして公表している48。
難民事例の研究をするクローリー、スピカブーアらもCGRSの提供する庇護申請決定 事例をその著書に引用しており、CGRSのデータベースは法学研究の資料として信頼 に足ると判断し、本論はアメリカ合州国の決定事例については、CGRS提供のデータ ベースを使用する。イギリスの場合、カナダ、アメリカ合州国と違って決定事例の内 容を体系的にまとめたデータがないため、文献に出てくる事例や、イギリスの女性難 民保護団体の発行するニュースレター等に記載されたものを資料とする。
(1)カナダの事例とその分析
以下の事例は、カナダ IRB のウェブサイトに掲載された 1991年より2007 年まで のすべての決定事例のなかから、ヴェール着用強制反対により受けた、もしくは受け るであろう迫害を根拠とするものをすべて選びだし、要約したものである49。難民保 護要求が認められた場合は○、却下された場合は×と表記している。
決定年 出身国
事件の概要 理論的根拠 1
○
1994/5/9 イラン
ホメイニ派デモへの参加を拒否し た。前国王グループとのつながり を持つ。服装規定違反で、数回勾 留される。単独で、男性の友人と 同 席 し た た め 革 命 軍 に 捕 ら え ら れ、50回の鞭打ちを受ける。
政治的意見と「特定の社会的集 団(particular social group)」(以 下PSG)(主に、女性)を根拠と する迫害の十分に理由のある恐 怖をもつ。ジェンダー・ガイド ラインを考慮した。
2
×
1996/5/30 イラン
申請者はムジャーヒディーン支持 者として 3 日間勾留される。反政
過去に政治活動経験がなく、申 し立ては信用できない。イラン
48 CGRSスタッフからの筆者宛電子メールである。2009年1月21日受信。Diana
Rodriguez-Wong, Program and Communications Associate Center for Gender and Refugee Studies UC Hastings College of Law, 200 McAllister Street San Francisco, CA 94102, Tel:415.565.4877 Fax: 415.581.8824
49 事例1、CRDD T93-06593, Liebich, Dualeh, May 9, 1994.事例2、CRDD T95-04502, Davis, Koulouras, May 30, 1996.事例3、CRDD V94-01847, Brisson, June 21, 1996.事例4、CRDD A96-00092, McCauley, Moylum, July 26, 1996.事例5、
CRDD T96-03251, M.Y. Mouammar, Sims(concurring), October 16,1997.事例6、
CRDD V96-02102 et al., Terrana,May 28,1999.
<http://www.irb-cisr.gc.ca/en/decisions/reflex/index_e.htm>
府デモに参加し、銀行、警察を襲 撃し、公用車を燃やしたと自ら証 言する。
の服装規定は市民全体に適用さ れる通常の法である。「イラン市 民」はPSGに当たらない。
3
○
1996/6/21 イラン
服装規定違反で 20 回の鞭打ちを 宣告される。隠れて男友達と会っ たため、各々が20回の鞭打ちをさ らに宣告される。カナダで別の男 性との子を出産する予定である。
事実が当局に知られると、イラン 法で禁じられた男女間の性行為に 当たり 100 回から死ぬまでの鞭打 ち刑に処せられる。
シャリーア(イスラーム法)違 反は女性に過酷な罰を与えてい る。服装規定違反で 20回の鞭打 ちは残酷で異常な罰であり迫害 に達する。PSGと認める。
4
×
1996/7/26 イラン
服装規定違反で、イラン当局と 4 回対決する。
ハラスメントであり、迫害では ない。服装規定は一般に適用さ れる法である。
5
○
1997/10/16 イラン
不注意による服装規定違反で、当 局から嫌がらせを受ける。息子の 監督権を DV の元夫に握られ、会 えない。
離婚に関する扱いはジェンダー を理由とする基本的人権の否定 である。PSGと認める。
6
○
1999/5/28 イラン
服装規定違反で 74 回の鞭打ちを 宣告されるが、お金で刑を買いと る。服装規定違反を理由に解雇さ れる。夫の死後、夫の親族がイラ ン 民 法 に よ り 息 子 の 監 督 権 を 得 る。
イラン民法は寡婦の人権を侵害 している。母子を引き離すこと は、残酷、非人間的扱いで、迫 害である。PSG(当局の激しいジ ェンダー差別環境から起きる迫 害を恐れる女性、ジェンダー差 別的な宗教、慣習法、実践に適 応できず迫害を恐れる女性)と認 める。
上記のカナダの事例はすべて、ジェンダー・ガイドライン策定以後のものである。
ガイドラインでは、女性が自分の反対する国家政策や法に服従させられている事実の みに基づいては、『国連難民条約』における難民と認めることはできないとするが、次 の四つの条件を満たすと証明できれば、女性差別的な国家政策や法に従わないことを 理由とする迫害であると認めるとしている。1)その政策や法自体が迫害と認められ ること、2)『国連難民条約』の難民定義にあげられているカテゴリーを理由に、その 政策や法が迫害を与える手段として使われていること、3)その政策や法は合理的目 的を持つが、迫害的手段を通して施行されていること、4)その政策や法を遵守しな いことへの罰が不釣合いなほどに厳しいことである(IRB, 1996: 7)。これにより、服 装規定違反で 20回の鞭打ちは残酷で異常な罰であり迫害とみなすと事例 3 では指摘 している。また、ガイドラインに沿って、基本的人権の侵害と認められる場合を迫害
とみなしている(事例 2、4、5、6)。その場合には、服装規定以外に DV、もしくは 子どもの監督権剥奪等が含まれている。服装規定違反のみで迫害とみなすのは事例 3 だけで、多くは、他の要素を含めて基本的人権の侵害と認められる場合を迫害とみな している。
カナダ事例についての疑問点は、6件中2件の却下事例のうち、事例2の却下理由 に関するものである。そこには、申請者の証言の信頼性に疑いがあること、イスラー ム服装規定は本来的に迫害とはみなされないことがあげられている。その見解によれ ば、服装規定とは、一般的に適用される通常の法であり基本的人権を侵害するもので はない。仮に、迫害を構成することがあっても、『国連難民条約』に基づく迫害ではな い。なぜならば、規定はすべてのイラン市民に適用されるため、「特定の社会的集団」
を迫害の根拠とする場合、「特定の社会的集団」は「イラン市民」となり、適切ではな いからというものである。これについて二つの疑問をあげたい。一つは、服装規定は 男女とも同じ適用を受ける一般的規定かどうか。もう一つは、事例1で「主に女性」
という「特定の社会的集団」が認められる一方で、「イラン市民」が、「特定の社会的 集団」として不適当だという根拠は何か。「女性」を「特定の社会的集団」とするのは 範囲が広すぎるという批判を退けているカナダのガイドラインであるのに、一方では イラン市民を「特定の社会的集団」と認めないというのは論理的一貫性を欠くと考え られる。だがこれに関する言及はない。一つ目の疑問は、次節で明らかにする。
(2)アメリカ合州国の事例とその分析
アメリカ合州国事例は、CGRSが2009年11月時点でデータとして掲載している決 定事例のうち、dress codeをキーワードに選出した事例のなかから、決定結果が明白 なものすべてをここにあげて、事件の概要と決定の根拠を要約している50。
CGRS Case No.
出身国
事件の概要 理論的根拠
1
○
Case No.6 イラン
1981年、友人と反政府グループに参加する が、友人の投獄で脱退し、社会に適応しよ うと結婚する。厳格なイスラーム規則を夫 に強制され離婚する。夫の反対で息子に会 えない。服装規定違反で 5 回勾留される。
罰金を払い鞭打ちは逃れる。
PSG(イランのジェン ダー法に反対する世俗 の、教育を受けた、近 代イスラーム女性)と、
宗教に基づく迫害であ る。
50 Center for Gender & Refugee Studies, „Case Law‟
<http://cgrs.uchastings.edu/law/detail.php> CGRSのこの資料に関しては、各 事例の決定日時は不明。