受入国の難民審査の目を曇らせるフィルターとして、欧米諸国に広がるイスラーム に対する嫌悪感情がある。近年のヨーロッパにおけるイスラーム嫌悪は、激しさを増 している。さまざまな場面で大きく取りあげられるようになったこの現象の底流にあ るもののひとつに、欧米諸国の「難民締め出し」政策がある。その難民排除の政策を 支える思想とは、いったいどのようなものか。ここでは、リズ・フェケテ(Liz Fekete)
88の 論 文 「 啓 蒙 さ れ た 原 理 主 義 ? 移 民 、 フ ェ ミ ニ ズ ム と 右 派 」(„Enlightened Fundamentalism? Immigration, Feminism, and the Right‟)でなされる指摘を軸に して、ムスリム諸国からヨーロッパへの移民をターゲットにしたさまざまな移民コン トロールの政策、ヨーロッパ各国首脳、フェミニストたちの見解を見る。本節は、難 民ではなく移民についての政策、見解が中心となるが、「難民法は、移民法の人道的例 外」89であるとの言葉が示すように、ヨーロッパの移民政策の変化は難民受入れに大 きな影響を与える。したがって、ヨーロッパ諸国で次々改定される移民政策について のさまざまな発言を見ることにより、難民に対するヨーロッパ諸国の見解もおのずと 明らかになると考える。第2章で述べたように、ヨーロッパはその統合の過程で、増 大する難民の抑制をめざす共通の施策、つまり「難民締め出し」政策を構築している。
移民政策については、2001年の9月11日の事件以来、すべてのEU諸国が市民権改 革を導入し、移民の統合政策を改定し、かつ現在市民権を獲得してヨーロッパに長期 滞在している者が持つ、家族を呼び寄せる権利を制限する条文を移民法に導入してい
88 リズ・フェケテは「人種関係研究所(Institute of Race Relations)」の副ディレク ターであり、『ヨーロッパ人種会報(European Race Bulletin)』の編集者を務める。
89 Claudia Muller-Hoff, „Representation of Refugee Women: Legal Discourse in Europe‟ LGD 2001(1), the University of Warwick. <[email protected]> よ り引用。No pagination.
る90。以下に述べる、ヨーロッパの移民に対する政策と見解を見ると、誰をヨーロッ パのコミュニティから排除したいのかが見えてくる。特に、ヨーロッパのフェミニス トや女性閣僚の声は、彼女たちの持つネイション像がどういうものかを示している。
伝統的に自由主義的価値に誇りを持つオランダに最初に反イスラームを導入したの は、自由主義者であり、当時の野党「自由と民主主義のための人民党」(Volkespartij voor Vrijheid en Democratie 略してVVD)の党首、フリッツ・ボルケシュタイン(Frits
Bolkestein)であった。彼は1991年の演説で、「イスラームは自由主義への脅威であ
り、移民『統合(integration)』への障害物である」と表明する(Fekete, 2006: 4)。
その後オランダで与党となった VVD の前移民統合相、リタ・ヴァードンク(Rita Verdonk)は、外国人がオランダを侵略しオランダ文化を損なうと確信し、公然と移 民に対する攻撃的な提案をする91。そのひとつが統合バッジの導入で、これは議会で 否決されたとはいえ、ナチスがユダヤ人にダビデの星の印を着けるよう強制したこと を思いおこさせる(Fekete, 2006: 4)。彼女の提案する統合プランでは、オランダで 学校教育を受けた期間が 8 年以下で 65 歳以下の住民に、オランダ社会に溶けこむた めの方法を学ぶコースの受講を新たに義務づけるという(Fekete, 2006: 5)。
ドイツでは、オランダのように国家規模での外国人への嫌悪感情を示す政党は出現 していないが、保守的でカトリック教徒の多いバヴァリア州の内相、グンター・ベッ クシュタイン(Günther Beckstein)は、移民に義務づけた「統合コース」を受講し な い 者 に は 、 社 会 的 恩 恵 を 受 け ら れ な い と い っ た 制 裁 を 科 す よ う 要 求 し て い る
(Fekete, 2006: 5)。バーデン・ビュルテンベルク州は、ドイツで最初に公務員のヴ ェール着用を禁止した州であるが、ここでは、57のイスラーム諸国から来た市民権申 請者たちは、宗教の自由、両性の平等、同性愛、多淫(promiscuity)、表現の自由、
名誉の概念、強制結婚についてどう考えるかという質問を含め、長時間の尋問を受け なければならない。そのような立ちいった質問は思想のチェックであり、人権侵害で はないかという問いに対し、バーデン・ビュルテンベルク州当局は、「ムスリムの考え 方」は州憲法と対立することが調査で明らかになっており、移民が州憲法を遵守でき るかを州当局は前もって知る必要があると答弁している92。
移民法における、家族再結集(family reunification)の権利も改定されている。ヨ ーロッパにおいて最も厳しい措置を採るのはデンマークで、2002年のデンマーク外国 人法では、家族再結集の権利に関する条項を削除した。これ以降、申請者は、結婚が 自発的にとり結ばれたかを証明することを求められ、配偶者をデンマークに呼び寄せ られるかどうかは個々に審査されることになる。当時の移民統合相、ベルテル・ヘル ダー(Bertel Haarder)は家族再結集についての法律の改定を、北欧の価値と人権を
90 „Testing the Limits of Tolerance,‟ Deutche Welle, Europe, 2006/03/16.
91 „Run, Rita, run,‟ Expatica the Netherlands, 2006/03/30.
92 „New Rules for Muslims in German State Blasted,‟ Deutche Welle, Germany, 2006/01/05.
守るために必要なものとして正当化している93。
フランスでは、2005 年 10 月と 11 月の騒動(disturbances)の後に、デンマーク 同様、家族の再結集と結婚の権利に対するさまざまな制約が課せられた。当時の内相、
ニコラス・サルコジ(Nicolas Sarkozy)は、2006年の新年演説で、次のような懸念 を述べている。「家に閉じ込められた移民女性は、夫が識字グループやフランス語のレ ッスンにも参加させないので、(フランスの)言葉がしゃべれないままだ(Fekete, 2006: 6-7)」。イギリスでも北部諸都市での暴力行為が起きた後、移民の家族再結集と 結婚の権利が制約された。その暴力行為について、当時の家庭相、ディヴィッド・ブ ランケット(David Blunkett)は、女性に対し強制結婚といった抑圧的な実践を行な う「後進的な(backward)」南アジア移民の若い男性によって引きおこされたと主張 した(Fekete, 2006: 6-7)。
これらの移民に対する攻撃を主導するのは、通常ならば右派の政治家である場合が 多いのだが、最近の傾向は、女性、「しばしば自称フェミニスト」(Fekete, 2006: 12)
による攻撃への加担であるという。前述したオランダの前移民統合相、ヴァードンク は次のように言う。非EU諸国(特にトルコとモロッコ)に向けられた厳しい移民抑 制は、「(夫や父の命令で)家から出ることも許されない若い女性」がオランダに流入 してくることを止めるために必要である。「われわれオランダ女性は、平等の権利を求 めて闘い、それを勝ちとることができた。われわれが許さないこと、最も防ぎたいこ と」は「女性が男性よりも务っていた時代」に逆戻りすることである(Fekete, 2006:
7)。
ハーヴァード大学の倫理と政治科学を専門とする教授であった、スーザン・モラー・
オーキン(Susan Moller Okin)は次のように言う。西洋リベラル・フェミニズムが 何十年にも渡って築きあげてきた利益は壊れやすいものでしかない。差異の容認と多 文化主義は、その「壊れやすい利益」への脅威である。そして、父権主義的傾向の強 い尐数派文化集団の女性たちが幸せになる方法は、彼女たちが生まれ育った文化を消 しさるか、それとも西洋の多数派文化のレベルに向けてその尐数派文化を変えること だと言う(Okin, 1996: 22-23)。
EU 非加盟国であるノルウェーでは、外国人に対する嫌悪感情を表明し政策に反映 させる進歩党(Progress Party)が、ジェンダー問題を利用して、移民についての議 論を分裂させたとフェケテは指摘する。その一例が、ノルウェーの「人権部局(Human Rights Service)」の情報ディレクター、ヘーゲ・ストーハウク(Hege Storhaug)の 主張である94。彼女は、非西洋諸国からの移民がノルウェーに「父権主義的構造、価
93„ EU: Danes, Immigration, Enlargement,‟ Migration News, August 2002 Volume 9 Number 8.
94 出典は、Hege Storhaug and Human Rights Service, Human Visas :report from the front lines of Europe‟s integration crisis, Oslo: HRS, 2003.であるが、国内で入 手できず。フェケテの引用をそのまま使用した。
値、伝統をもたらした」と言う。移民家族および移民コミュニティの父権主義構造が ノルウェーに悪影響を与えたという彼女のこの主張は、移民排斥の理由にジェンダー 要素を新たに加えることになり、彼女の主張に賛同するフェミニストたちを移民排斥 勢力にとり込むことに貢献した(Fekete, 2006: 14)。
ドイツの、TV パーソナリティで、フェミニズム雑誌『エマ(Emma)』の創始者、
アリス・シュヴァルツアー(Alice Schwarzer)は次のように言う。ドイツの歴史のせ いで「ドイツ人は目を硬く閉じ、外国のものをすべて愛する」ようになった。ドイツ 人は自己嫌悪に満たされている95。自己嫌悪からの解放と、ドイツ人としての誇りを とり戻そうという彼女の影響力は強く、彼女の見解を批判するだけで、フェミニズム の理想に背く反逆者だとみなされるという(Fekete, 2006: 15)。
サルコジ大統領率いるフランス政府は、2010年9月、全身を覆う「ニカブ」と「ブ ルカ」と呼ばれるヴェールをフランスの公的な場所で着用することを禁止する法を制 定し、論議を呼んでいる。フランスに約500万人のムスリム住民がいるなかで、この 禁止法が適用されるのは 2000 人程度の女性である。サルコジは、全身を覆うヴェー ルは「女性の尊厳を傷つけ、フランス社会では受入れられない」と言う96。新法の制 定によれば、警察はヴェールを被った女性にヴェールをまくりあげさせて本人確認を 行なう。拒否した場合は、4 時間勾留され、罰金刑を受ける。娘や妻にヴェールを強 要した男性も罰金刑となる。ベルギーでも同様の法が上程される予定であるという97。 以上の政策や見解からわかるように、ヨーロッパでは反移民、イスラームに対する 嫌悪、外国人に対する嫌悪を前面に打ちだすことは、いまや極右政党の専売特許では なく、EU の安全保障と絡みあい、保守政府、リベラル政府の別なく国家の政策へと 組みこまれている。これらの攻撃的ともいえる統合(同化)政策は、「よそ者」(主に ムスリム)に対する恐怖を煽り、ムスリムを差別する法的、行政的構造へとヨーロッ パ社会を変革するために国家権力を行使しているといえる。自由主義者やフェミニス トたちも、ムスリム諸国からの移民をターゲットにした移民抑制に賛同し、ともに要 求する一勢力となっている。注目すべき発言者に、オランダの前移民統合相のヴァー ドンクと、ハーヴァード大学の教授であったオーキンがいる。ムスリムの文化がヨー ロッパに持ちこまれることは、自分たちが長年かけて獲得した女性の地位や権利への 脅威であるとして、彼女たちはムスリムの文化、ムスリム女性のヨーロッパ流入を拒 絶する。これらの発言には二つの大きな問題が含まれている。一つは、ムスリム女性 とともにムスリム文化がヨーロッパに入ってくることが、ヨーロッパの「女性の地位 や権利への脅威」であるという捉え方である。ムスリム女性が移動の自由、服装の自
95 Der Spigel 47/2004-Augen fest verschlossenより引用。
96 „France: Roma; Germany: Sarrazin,‟ Migration News, October 2010 Volume 17 Number 4.
97 Ibid.