第 5 章 女性割礼回避を理由とする難民申請事例とその問題点
1. 女性割礼について
本論では「女性割礼64」という呼称を用いているが、近年、国際的に多く用いられ
63 カシンジャの名前の表記は正しくは本文にあげたとおりであるが、空港の審査官が インタビュー用紙に誤ってKasingaと記載し、そのまま申請手続きが進み、判例でも 誤ったまま表記されている。誤表記が世界的に流布し有名になったため、文献には誤 表記のまま記述されていることが多い。
64 „female circumcision‟ は一般的に「女子割礼」と訳されている。「女性に対するあ
らゆる形態の差別の撤廃に関する条約(Convention on the Elimination of All Forms
る呼称は「女性性器切除(Female Genital Mutilation)」(FGM)である。なぜ、本 論で「女性割礼」を用いるのか、「女性割礼」、「女性性器切除」等の言葉が指すものは いったい何か。女性割礼回避に関する難民庇護決定事例を具体的に検討する前に、そ れらの言葉が意味するものについて考えたい。
世界保健機関(WHO)、国連児童基金(UNICEF)、国連人口基金(UNFPA)は「女 性性器切除」という呼称を用いる。その定義によれば、女性性器切除とは「文化的あ るいは非治療的理由により女性外性器の一部または全体の切除や、女性性器へのその 他の損傷であり、アフリカの 28 カ国以上とアジア、中東のいくつかの国々で今なお 伝統に深く根ざしている」という65。
その習慣を持つ文化は、本来、独自の名前をそれぞれに持っている。それらは上記 のように国際機関が一括りにして定義するような、女性性器に施す外科的加工行為の みを指すのではなく、その行為を含む儀式全体を指している。その習慣は、その地域 や民族集団により、名称をはじめ、その成立の経緯も、意味も異なる。たとえばケニ アのキクユ社会では、男女ともに参加する成人式の合宿全体を「イルア」と呼ぶ。そ の成人式には男女の性器に外科的加工を施すが、それは「イルア」の一部でしかない。
アフリカ、アジア、中東のいくつかの国で行なわれている女性性器に施す手術を一括 するのは西洋語、特に英語である(萩原、2000:80)。現在いくつかある呼称は、「女 性割礼(Female Circumcision)」(FC)、「女性性器切除」(FGM)、「女性性器手術
(Female Genital Surgery)」(FGS)、「女性性器のカット(Female Genital Cutting)」
(FGC)等である。「女性割礼」の語はこの習慣を持つ社会で英語を使用する人々に よって使用されていたが、西洋のフェミニストから、この語は習慣の暴力性を見えな くするという批判が起こった。男性割礼の女性版であるようなこの言い方は、手術で 切除する性器の部分は女性のほうがはるかに大きく、性機能上の影響も重大な女性割 礼を、男性割礼と類比するという批判であった。代わりに提唱されたのが、「切除して 不具にする行為」、時に「処罰行為」を意味する „mutilation‟ を用いた「女性性器切 除」であった。この習慣が引きおこす身体的苦痛を強調し、意図的に損傷を負わせる という解釈を強くうちだすことを目的とする。しかし「女性性器切除」の語には、施 術者が同じ家族や共同体のメンバーを意図的に傷つけ、損傷を加えようとしている含 of Descrimination against Women)」の仮訳では womenが「女子」と訳されていた。
これは、日本の労働省が、全女性を指す言葉として「女子」を使用し「女子労働者」
と表現してきたことに由来すると考えられる。額田康子が指摘するように、この表現 は、「現実に反して女性労働者は若年であるとの前提があり、女性労働を周縁化する機 能を持ってきた」(額田、2005:30)。かつ、女性が、「女」「子ども」と一括りにされ、
二級市民として扱われてきた経緯を考慮して、women, femaleの日本語訳には中立的 な「女性」の語を用いることが適当であると判断する。なお、„female circumcision‟
は、尐女に行なわれる場合が多いが、結婚前の女性に実施されることもあり、「大人の 女性」への通過儀礼という観点から、本論では「女性割礼」と訳す。
65 World Health Organization, „Female Genital Mutilation(FGM)-Terminology and the main types of FGM‟ より。
みがあるという批判が起こり、「女性性器手術」、「女性性器カット」という中立的な言 葉を使う論者が出てきた(Lewis, 1995: 5-7)。しかし、どの言葉を用いても、萩原弘 子が言うように、「相互に異なる諸社会の、それぞれに異なる文脈のなかで行なわれて いる行為を、一括してひとつの名称で呼ぶことじたいが……外部からの視線」、言いか えると「西洋的視線」を前提にしている(萩原、2000:81)。それらの習慣を、「女性 割礼」と呼ぶのであれ、「女性性器切除」と呼ぶのであれ、その習慣を実践しない外部 の者たちがすでにある習慣に対し新たに命名する行為であることにかわりはない。そ の名前にどのような理由をつけたとしても、すでにさまざまな目的を持ち、固有の名 前を持つそれぞれの習慣の一部を取りだして、一括したうえで新たなひとつの名前を つけるという行為が、当該習慣の外から行なわれるとき、それは支配の行為となる。
では、本論でなぜ「女性割礼」という語を用いるのか。本章は、それらの習慣から 逃れてきた女性難民の事例を取りあげて、その習慣についての欧米諸国の捉え方を論 じる。そのためには、何らかの名称を用いざるをえない。本論で、いまや国際社会で は多数派が使用する名称となったFGMではなく、「女性割礼」を用いる理由は、その 習慣が、歴史的、社会的文脈のなかに包括的なものとして存在すると考えるからであ る。伝統的な文化はそのすべてを存続させるべきだという立場に私は立つものではな いが、「女性割礼=父権主義的人権侵害」という国際的認知が形成される過程でふるい 落とされた個々の歴史的、社会的文脈を現す可能性のある言葉として、本論では「女 性割礼」を使用する。だが、資料からの引用においては、その資料で使われている語 をそのまま使うこととする。庇護を求める理由として女性割礼が登場するのは、比較 的新しい。庇護申請事例のなかで、女性割礼はどのように捉えられ、判断されている のか、具体的な事例を見て考察する66。
2.カシンジャ事例67
1994年12月、ニュー・ジャージー州のニュー・アーク空港に降りたった若いアフ リカ人女性が、入国審査官に自分のパスポートが偽のものであることを告げて、庇護 を要求した。この女性ファウジーヤ・カシンジャがアメリカ合州国に庇護を求めた理 由は、自分の国にいると割礼を受けさせられるからというものだった。トーゴ南部の パリメという町のムスリムの家庭で育ったカシンジャは、母は商売をし、父は運送業 のビジネスマンとして成功をおさめており、町で最も美しい家のひとつと彼女がその 著書に書くような、8 つの寝室を持つ豪邸に住んでいた。カシンジャは隣国ガーナの 高校の寄宿舎に入っていたが、彼女が16歳のとき(1993年)父が亡くなる。カシン
66 本論文の脱稿間際に、長島美紀の『FGM(女性性器損傷)とジェンダーに基づく 迫害概念をめぐる諸課題―フェミニズム国際法の視点からの一考察』が出版された。
この研究の提起する問題については、ここで論じる時間的余裕がないため、別の機会 に取りあげたい。
67 KASINGA A73 476 695.
ジャによれば、彼女の育った地域ではすべての女性が一般的儀式として 15 歳ごろに 女性割礼を受けることになっていた。彼女の父は割礼に反対で、彼女の姉たちは割礼 を受けずに結婚している。父が亡くなったためトーゴに帰ったカシンジャは、父方の おばが親族の長として権威を引きつぎ、母が実家のあるベニンに返されたのを知る。
そしておばは、すでに 3人の妻のいる 45 歳の男性とカシンジャとの結婚を整える。
結婚式の後、割礼を受けることになっていたカシンジャは母と姉の援助でドイツへ逃 亡する。偶然知り合ったドイツ人のもとで2ヵ月暮らし、街で出会ったナイジェリア 人男性の助けにより偽のパスポートを手に入れ、いとこの住むアメリカ合州国にやっ てくる。カシンジャは面談を受け、トーゴに戻ると女性割礼を受けるおそれがあるこ とを主張するが、ヴィザなしで入国する者の常として、勾留され、ニュー・ジャージ ーとペンシルバニアの収容所で16ヵ月を過ごすことになる。
刑法犯と同じ房に入れられ、何度も裸にされて取調べを受け、鎖でつながれ、生理 用ナプキンを要求しても拒否され、朝のお祈りの前に体を洗ったことで罰として独房 に入れられ、収容所の暴動の間じゅう、殴打され催涙ガスを浴びせられた68。1995年 8月のヒアリングの結果、移民判事は彼女の話には「一貫性がなく」、「合理性がない」
と判断し申請を却下する。ワシントン D.C.のアメリカン大学の法学生、バッシャー
(Layli Miller Bashir)は、カシンジャのいとこが依頼した弁護士の助手としてこの 事例にかかわり、大きな関心を寄せていた。申請が却下された後、バッシャーはニュ ー・ヨークにある女性のための国際人権保護組織である「イクォリティ・ナウ(Equality Now)」のメンバーであるサンドシャム(Surita Sandosham)とアメリカン大学の国 際人権臨床講義(International Human Rights Clinic)を担当する弁護士、ムサーロ に控訴の援助を求めた。両者はバッシャーの趣旨に賛同して、サンドシャムはカシン ジャ事例に注目を集めるようメディアに働きかけることと政治的接触をはかることを ひきうけ、ムサーロは弁護士としてカシンジャの控訴を担当することを決める(Kratz, 2007:175)。
10月中旪に弁護団はカシンジャの仮釈放の請求をしたが1ヵ月半後に却下され、控 訴の書類と添付の供述書が12月はじめに提出された。「イクォリティ・ナウ」はカシ ンジャに自分のおかれている状況についての手記を書かせ、1996年にはその手記が新 聞に掲載されるようになる。また、「イクォリティ・ナウ」は上院議員・下院議員に対 して司法長官へ手紙を書くよう要請すると同時に、一般の人々からの司法長官宛の手 紙キャンペーンを組織した(Kratz, 2007:175)。1996年の春から秋にかけて、カシン ジャ事例はインターネットを通して人権団体やフェミニスト団体による広報が行なわ れ、以後あらゆるメディアに登場するようになった(Piot, 2007:159)。庇護を却下し た移民判事に対してメディアによる批判が起こり、CBS、CNN といったテレビ局、
68 アメリカ合州国の収容所でのカシンジャの生活は、Fauziya Kassindja and Layli Miller Bashir, Do They Hear When You cry? に詳しく書かれている。