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あごら : 322号 (2009.6.10)「裁判員制度を考える」

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あ ご ら 第322-¥子2009,(lo6H1011先行 1977ij:ll1J2811抗て孤 郵 便 物 認 可 本 体16001'1+従 ISsN978-4-89306-179-9

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新 宿 発

裁判員制度を考える

裁判員制度を考える

内 田 雅 敏

五十嵐二葉

早 瀬 展 子

福 田 和 男

三 船 照 子

野 田 隆 稔

客野美喜子

梶 郎

伊 藤

矢 野 英 典

成 津 嘉 信

斎 藤 千 代

直言

I

田母神論文

j

からわかる自衛隊の危険な変貌

山田

紛争地につなぐ

9条

安 藤 博

公安警察が反戦・平和集会の参加者をビデオカメラで盗撮!

土 井 明 人

裳家庭の団築の場を犠牲にして成り立って来た日本の繁栄

郡 司 和 夫

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〈家庭を科学する〉松崎早苗さんを訪ねて

(詩〉 花 園

堀 場 清 子

霊亙豆「温度差と目線」

押 見 操 子

E

今も残る〈沖縄戦〉の中で

浦 島 悦 子

(2)
(3)

真実は神のみぞ知る

(疑わしきは被告人の利益に)を本当に受け入れることができるか

内田雅敏

︿ 疑わしきは被 告 人の利益に ﹀ 。 刑 事 裁判の鉄則である 。 しかし、社会は、この鉄則を本当に受け入れる 用意があるか 。 戦後の窓法、刑 事 法下においても、死刑が雌定した判決で再審裁判の結果無罪となった ものが四件もある 。 無期・有朋刑の確 定事 件が、再審によ っ て無採とな っ たケ l スは、さらに多数ある 。 先頃、地裁、高裁の有罪判決が 最高 裁で破棄され、無罪とされた防衛医大教授の 電 車内痴漢事件について 考 えてみたい 。 この件は、最高裁で逆転無罪とはな っ た が 、 そ の 判 決 は 、 三 対 二 という際どいものであ っ た 。 この裁判に関わ っ た裁判 官 は、地裁の 一 人 、 高 裁 の 三 人、最 高 裁の五人 。 高裁の合議が全員一致だとす ると、地裁、高裁で小計四名、最 高 裁での こ 名、合計六名の裁判官が、有罪と判断したことになり、これ に対し、無罪としたのは、最 高 裁の 三 人だけということになる 。 これは恐ろしいことではないか 。 ﹁ や っ てもいないこと ﹂ を 、 ﹁ や っ ていない﹂と認めてもらうためには、膨大なエネルギ ー を必要 と する 。 裁 判 は 、 全 知 全 能でない人間が行、つ以上、誤ちが避けられない 。 少しでもその弊を少なくするために、 取り入れられたのが ︿ 疑わしきは被 告 人の利益に ﹀ という刑 事 裁判の鉄則だ 。 この鉄則を社会が受け入れる ということは、 ﹁たとえ死刑相 当 の凶悪犯人も含めて、 真 犯人を社会に放免することがあっても、 真 犯人 でない者を犯人として裁いてしまうという菟罪を、絶対に出さない﹂という覚悟を持つというこ と である 。 十人の 真 犯人を見逃すことがあ っ て も 、 一 人の無 事 の者を罪に陥れてはならないといわれる 。 し か し 、 それは、人数比で 語 られる類のことではない 。 犯罪を犯していないにもかかわらず、裁判で有罪とされ、 懲役刑ばかりか、場 合 に よ っ ては、死刑判決さえ 受 ける 。 このようなことが、個人の尊重と幸福追求の権利 (日条)を保障する憲法下で起きてはならない 。 憲法明記条は、﹁何人も、裁判所において裁判を 受 ける権利を奪われない 。 ﹂と規定 し ている 。 ︿ 裁判にか けられる ﹀ の で な く 、 ︿ 裁判を 受 ける権利 ﹀ が、保障されているのである 。 裁 判 は 、 真 犯人を追及する場ではなく │ │ それは捜 査 機関がすることである │ l 、﹁当の被告人が 真 犯人 であるかどうかを判断し﹂、﹁かつ 真 犯人と判断したならば、その犯罪の程度に見合う刑罰を課する制度で ある﹂ということを理解すべきである 。 ( 五月 二 八日記 ) ( う ち だ ま さ と し 弁 護 士 )

(4)

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322

裁判員制度を考える

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巻 頭 言 真 実 は 神 の み ぞ 知 る ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 内 田 裁判員制度を考える(連載

1

)

始 ま っ た 裁 判 員 制 度 を こ こ で よ く 考 え て み よ う ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 五 十 嵐 二 葉 ︻ 五 十 嵐 二 葉 の ゼ ミ ナ ー ル ︼ ﹁ 日 本 の 刑 事 裁 判 の 病 弊 を あ ら わ す 足 利 事 件 ﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 五 十 嵐 二 葉 裁判員制度私は乙う思う 八 タ と 困 惑 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 早 瀬 展 子 裁 判 員 制 度 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 福 田 和 男 ﹁ 唐 突 ﹂ と い う 印 象 を ぬ ぐ え な い ま ま 、 制 度 は ス タ ー ト ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 三 船 照 子 問 題 は 多 い が 、 そ れ で も 裁 判 員 制 度 は 必 要 だ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 野 田 隆 稔 官僚裁判で寛罪は防げない!・ •••••••..••••••••••..••••••••• ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 客 野 美 喜 子 司 法 制 度 改 革 と し て の 裁 判 員 制 度 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 牧 梶 郎 考 え る き っ か け と し て の 裁 判 員 制 度 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 伊 藤 友 私もいすれ裁判員││予習としての﹁大相撲・暴行死事件﹂・・・・・・・・矢野英典 裁 判 員 に な っ た ら 、 ど う す る か ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 成 津 震 信 ︿ 裁 判 員 制 度 ﹀ を め ぐ っ て 想 う ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 斎 藤 千 代 雅 敏

(5)

時4吋 器 供 時 骨 供 時4時4島供時4時4吟唱時4時4時4時4時4時4吋4時4時4吋唱吟唱吟唱

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告発公安醤察が反戦・平和集会の参加者をビデオ力メラで盗揮していた!

新連載食の安全を考える

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新潟か

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﹃家庭に学校に今こそぬくもりを﹄倉田侃司著・・

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始まった裁判員制度を

ここでよく考えてみよう

裁判員制度を考える(連載

1

)

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九年五月一一一日、裁判日制度が始まった。 新聞は、いち早く、五月一

1

一五日に詐祭が容疑者を述捕し、最初の裁判只事件となる対象事件は、 全国で少なくとも八九件。そのうち最も多いのは、未遂を合む殺人事件三

O

件で、注目されるのは、 成田市の両親殺傷、出倍野市の模型庖応主殺害、香川県観音寺市の市三男子による中三女子殺人未遂事件 などだ、と報じていお。最初の公判は八月に東京でという公鮮が強いという。 ﹁人を裁きたくない﹂とくに﹁死刑を言い渡すのは蛾﹂という、﹁裁判只になりたくない﹂人の気持ち に、真っ向から反する現実だ。 去 年 一

O

月の内問府調査では、国民の裁判只制度の認知度は、九九%にのぼった。しかし新聞は、

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それを、いやでも裁判貝にさせられる国民の﹁困惑の裏返し?﹂と報じだ。認知度は上がっても、選 ば れ て も ﹁ 行 き た く な い 人 ﹂ が 八

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近ばことは、認知度がニ

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台だった立法直後から変わらない。 陪審の国アメリカから東京大学教授となり、日本語も堪能なダニエル・フット氏は、国民がこれほど ﹁参加したくない﹂のは、﹁なぜこういう制度が生まれてきたのか、よくわからず﹂、﹁最高裁判所は、 これまでの制度に問題があったから、という言い方は、せず﹂それなら﹁なぜここまで負担をかけて やらなくてはいけないのか﹂がわからないからだ、と指摘す討。 そう、裁判員制度は、国民からの要求ではなく、アメリカ│+日本の財界│+政府与党の主導で、 立 案 さ れ 、

O

四年に、政府の提案から僅か二か月半で、国会を駆け抜けお。しかもこういう制度を計 画した時はもとより、法案にして国会にかけてからも、一度も国民の意見を聞くことはしないばか りか、国民がどう思っているか調査をすることすらなしに、法律を作ってしまった。国民は、なぜ、 どういうことをさせられるのか、知らされることもないまま、﹁裁判員になる﹂ことを要求される。﹁な りたくない﹂のは、当然だ。 裁判員制度が始められでも同じで、誰も国民にきちんとした情報を届けない。 メディアは、すでに発足の前から、述日、﹁裁判員もの﹂であふれでいる。しかし、その内容を見ると、 詳しいのは、候補者として呼び出されたらどうすればよいか、つまり選任までのノウハウと、今にな っ て 国 民 や 識 者 に 聞 く ﹁ 行 き た く な い ﹂ や ﹁ 自 分 は こ う 思 う ﹂ と い う ﹁ 生 の 声 ﹂ の 紹 介 か に 、 二 分 さ れ て い る 。 ﹁なぜこういう制度が生まれてきたのか﹂(必要なのか)の基本もないし、裁判員が裁判で何をする のか、になると、とたんに抽象的になって、﹁裁判官と協働する﹂で終わらせたり、﹁特に準備をして おく必要はありません。法廷で行われるやり取りを)見聞きした上で、自分の率直な考えを伝えれば '?/lI持 & 帥 裁判員制度を考える

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IZI'(.I'(.I'ZI'(.,z/g/g/g/'ZI'ZI'(.I'ZI'Z/g,z,z,z,g.必lZtSI よいので朽﹂と、まるでスポーツ観戦に行って下応評をすればすむような、無武任な﹁指導﹂をあふ れさせている。そんなことで、懲役刑や死刑を訂い波すことへの、市民がいだく当然の﹁畏れ﹂を、 ﹁気軽に取り去る﹂ことができると思っているのか、あるいは、それが制度の発足に協力する報道の 義務だと思っていいのか。 ﹃あごら﹄編集部は、さすがにこの状況に危悦をもって、﹁﹃なぜ市民参加なのか﹄の基本から書 いてほしい﹂と依頼された。三回の述載というので、この基本から、続いては、今の裁判民法の中で、 裁判只になって市民参 J加の役割を果たすために、どこに問題があり、その中で市民には何が出来るか、 という具体的な部分を中心に、情報をお届けしよう。

市民の司法参加はどこからきたか

﹁なぜ市民が裁判に歩〆加するのか﹂市民が司法に参加する制度が﹁なぜ生まれてきた﹂のか、﹁なぜ 続いてきているのか﹂。││まずそこから考えていこう。 市 民 事 〆 加 の も っ と も 純 粋 な 形 で あ る ﹁ 陪 審 制 度 ﹂ は 、 一 二 世 紀 ( 一 一 世 紀 と 言 う 人 も い る ) に 、 で始まった。それ以前は、どこの国でも、裁判は、王や領主が自分で裁くか、自分の支配下にある者 に裁判をさせていた。当然、椴力からの独立はありえず、権力の望む結論を、﹁判決﹂という形にして 執行する手続きに過ぎなかった。 それに抵抗する民衆の中から起こったのが、王や坑扶によるのでなく、﹁同盟による裁判﹂を受け る椀利││﹁陪審裁判﹂の要求で、一七八九年のフランス市命は、イギリスの陪審制度を、王権を脱

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する刑事司法改革の中核として取り入れた。これがフランス草命の民主主義思想と共に、瞬く問に、 ヨーロッパ大陸全土に広がった。どの国の人びとも、王や領主による裁判に苦しめられてきたからだ。 フランス革命の手本となったアメリカ独立だが、一七八八年の患法には、﹁人権保障条項﹂はなく、 一七九一年に﹁悲法修正条項﹂を付け加えるまで遅れるのだが、その修正六条で、﹁陪審員による裁判 を受ける権利﹂を明記して以来、今では、本家のイギリスよりも進んだ民衆参加司法になっている。 そのほか﹁旧英述邦﹂の国々は、変わらず陪審制を使っている。 一方、ヨーロッパ大陸では、第一次大戦などで国家主義が強まるなかで、軍事中心の政府は、市民 だけに裁判をまかせるのをやめ、国家の役人である裁判官を加える﹁参審制﹂に改変する国が相次いだ。 ただ、陪審制を完全に廃止し

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しまった国は少なく、多くの国が、現在でも、陪審・参審を併用して いる。あるいはフランスのように﹁陪審的な参審﹂にした国もある。 ヨーロッパ大陸や北欧など陪審制を併用している国に見学に行って、なぜ陪審制を廃止してしまわ ないのかと尋ねると、一様に﹁陪審制度は民主主義の象徴だから﹂との返事が返ってくる。これらの 国の参審制の現状を見学すると、市民参加の実効性が、だいぶ薄れているところも見受けられる。 しかし、もし参審制が市民参加の目的と完全に離れてしまったら、細々と保存している陪審制度を、 人びとは、きっと主役の座に戻すだろうことが﹁民主主義の象徴だから﹂という答えから感じられる。 裁判員制度を考える

陪審制と参審制の違い

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裁判員制度はどちらか?

では、陪審制と参審制は、どこで、どう、違うのだろうか。日本で始まった裁判員制度の問題点を

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など(ー 2-3人 (4 JJ -5 女 有無とJiI: 判断に加 *多 f~ìR: 定水準の 2-3人 年) 刑も わる 人) 考えるために、大まかにでも知っておくことが必要になる。 主な点を去にしてみた。 女は、日本の裁判日制度でとられている方法。 女をつけられないのが、市民の数。六人は多いほうか少ないほう か。単純に数だけで見れば中間ぐらいだが、裁判官の数が三人と 多いので、それとの対比で見れば、少ないとも言える。

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は、同制度に散らばっている。裁判貝制度は陪審制と参審制に 分裂していて、どちらでもない。﹁ねじれている﹂ということになる。 しかしどちらかと言えば女が多い参審制の方に傾いている、と言え るだろう。政府筋の人には﹁参審制だ﹂と言う人が多くいる。 そして、このねじれの性格、どこでねじれているのかが問題なの だ 。 最大の問題は、﹁どういう市民が素人裁判官として裁判をするのか﹂ だ 。 選挙人名簿から無作為に選ばれる陪審員の中に、プロの裁判官が 入れば、議論の行方は明らかだ。だから﹁無作為抽出市民には裁判官 を入れた評議をさせない﹂陪審になる。 しかし、紫人が世間話のレベルで布部無罪を決めることになって は大変だ。厳しく決められた刑事裁判での判断の仕方を、裁判官が

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教える(これを﹁説示﹂と言う)ことが、不可欠だ。 逆に裁判官が評議に加わる参審制では、政党推薦(ドイツ)、自抑制者から選定(イタリア)など、一定 以上の知的水準を持った人をあてる。任期制で、長いものは、ドイツの五年、しかも再任されるので、 いわばセミプロになっていく。職業裁判官と互角とまではいかないとしても、議論ができるレベルが、 制度にされているので、イタリアでは、裁判官を言い負かす参審員がいる、と、裁判官が言っている。 日本の裁判員は、無作為抽出だ。その上、弁護士はもとより、司法修習生、大学法学部の教員(刑 事法以外もすべて)、弁理士までも排除されている。裁判官と法律論議など絶対に出来ない、世界に 例の無い﹁素人集団﹂として集められるのだ。 その﹁素人柴田﹂六人の裁判員に三人の裁判官が加わって、多数決で有罪無罪から、刑までを決め る。しかも多数決だから、裁判貝四人が﹁無罪です﹂と言っても、有罪になってしまう。(以下次号) 裁判員制度を考える 註 ( 1 ) 東京新聞五月七日付、共同通信配信 ( 2 ) 朝日新聞 O 八年一二月二七日付 ( 3 ) 例えば朝日新聞が O 八年一二月に災施した世論調査では、七六%。 O 九年一月九日付 ( 4 ) ダニエル・フットインタビュー﹁﹃身近な裁判﹄は実現するか﹂﹃世界﹄二 OO 人年二月号一四人

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一 五 O 頁 ( 5 ) 裁判只制度が、本当のところ、なぜ、誰によって立案されたのか、誰の力で、大反対だった裁判所、法務省が、突然 賛成に変わったのか。そしてわずか二か月半で国会を駆け抜けて成立したのか。現代史の大きな謎として、そのう ちにアメリカの公文書公開の時機が来ると、わかるのかもしれない。 ( 6 ) ﹁ ホ l 先生の裁判只教室 5 ﹂朝日新聞二 OO 九年五月一九日付夕刊 ( 五 月 二 五 日 記 ) ( い が ら し ふ た ば / 弁 護 士 、 九 州 大 学 ・ 新 潟 大 学 ・ 一 橋 大 学 大 学 院 講 師 、 山 梨 学 院 大 学 法 科 大 学 院 教 授 を 歴 任 )

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1

-目 玉

謝らなければならないのは誰

足 利 引 件 の え ん 郎 被 告 者 、 向 日 家 さ ん が 釈 放 さ れ た 。 ﹁問迫ったでは済まない。この一七年間、ずっと思って い た 。 当 時 の 刑 耶 、 検 察 官 に は 、 謝 っ て も ら う 。 絶 対 に 許 す こ と は で き な い 。 自 分 の 人 生 を 返 し て も ら い た い 。 父 も 母 も 、 つ ら か っ た と 思 う ﹂ ﹁ 野 ・ 妓 は メ ン ツ し か 考 え て い な い ﹂ と 、 背 家 さ ん は 訴 え て い た と い う 。 そ う 一 百 わ れ た 事 件 当 時 の 栃 木 県 暫 の 幹 部 は 、 ﹁ 捜 査 は 適 正で妥当だった﹂﹁自白も他の状況証拠もあった﹂と、ま だ 言 っ て い る 。 検

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は 今 問 、 川 内 例 の 釈 欣 を し 、 再 帯 開 始 に つ い て 所 で し か る べ く ﹂ ( 変 な 一 日 郊 だ が 、 役 所 川 部 で は ﹁ そ で す ﹂ と い う 意 味 だ ) と 容 認 し た 。 ﹁ 最 高 検 と 協 議 し な こ れ ま で の 経 過 を 検 証 す る ﹂ と も 言 っ た 。 な ぜ こ う い を 犯 し た の か 、 ﹁ 而 子 ﹂ 抜 き に 正 確 な 検 証 を し て ほ そ れ が 検 察 へ の 国 民 の 信 頼 を 取 り 戻 す 最 も 有 効 な 方 法 し か し 、 だ ん ま り を 決 め 込 ん で い る 者 が い る 。 裁 栃 木 県 狩 が 当 時 、

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鑑定の精度が低いと、どの程度 知っていたか、明らかにされていないが、

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・ 妓 ・ 犯 m w を摘発し、有卯を勝ち取るのが仕事だ。無実だとわか っていながら自白を強要したり、証拠を担造することは、 絶対に許されないが、そういう暴走耶例も起こす立場にあ る ﹁ 一 方 当 事 者 ﹂ に す ぎ な い 。 し か し 裁 判 所 の 仕 事 は 、 全 く 述 、 っ 。 ﹁ 一 方 当 事 者 ﹂ で あ る 検 妓 の 持 っ て き た 耶 件 を 吟 味 し て 、 も う 一 方 の 弁 護 も 聞 き 、 ﹁ 有 加 に し て 問 迎 い な い 耶 件 だ け を 有 罪 に し な い と は 一 百 え な い 事 件 ﹂ は ﹁ 証 明 が 不 十 分 ﹂ と し て 無 罪 そ の 任 務 を 県 た す こ と に よ っ て 、 た と え 柄 引 察 ・ 違 っ て も 、 ﹁ 回 ﹂ を 間 述 わ せ な い こ と が 、 裁 判 官 の 仕 事 足利事件で、弁能人は、一審から、鑑定の精度が低いこ

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とを言い続けている。﹁

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がある﹂と言われて強要さ れた自由だったことも言い続けている。一審から最高裁ま での、すべての裁判官が、するべき仕事をせず、間違った 判 決 を し た の は 、 な ぜ な の か 。 裁判所は、国民への信頼をかけて、必ずそれを検証しな ければならない。裁判員制度を前に、自らの過ちに口を閉 ざす裁判官たちに、﹁人を裁く自信がない﹂と、まじめに 悩んでいる善良な市民たちを、私は安心して委ねられない。

裁判官の意識が変わらなければ

足利事件でえん罪を作ったのは、

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とともに、また しても﹁自白﹂だった。新聞も、﹁自白偏重繰り返す宛罪﹂ などと書いている。いつもえん罪が明らかになるたびに、 新聞は、こう書く。もう何度繰り返されたか。それでも、 えん罪は繰り返される。なぜか。 警察は自白を取り続ける。なぜなら日本の捜査は﹁代用 監 獄 ﹂ ( 警 察 の 留 置 場 ) を 舞 台 に 、 ﹁ 自 白 を と る こ と ﹂ が 、 中心になっている、世界的にも特殊なものだからだ。 ほんの少し前まで、警察官の使うテキストは、﹁自白が 無ければ捜査は終わらない。自白が取れない刑事は一人前 の刑事ではない﹂という調子で脅かれていた。 しかし﹁ダイヨ l カンゴク﹂は、団連や、国際法曹協会 その他の世界規模の法律団体や人権団体から、もうニ

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年 以 上 、 非 難 さ れ 続 け て い る 。 国際的な人権基準で、逮捕された人は、すぐに裁判官の ところへ述れて行き、野察の留置場に戻してはいけない。 普察に長く世けば、必ず自白強要につながるからだ。 ところが日本では﹁拘置所の代用﹂という名目で、逮捕 された人を、留置場に述れ戻して取り調べる。国際人権法 違 反 な の だ 。 世界の非難を浴びても、日本の伝統である﹁自白中心捜 査﹂は止まらない。実は、裁判官がそれを求めているから s

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ふ ム 一九七九年九月、法務省の﹁監獄法改正について意見を 聴 く 会 ﹂ で 、 ﹁ 代 用 監 獄 ﹂ が 議 論 に な っ た と き 、 高 名 な 刑 事 裁 判 官 が 立 っ て 、 ﹁ 警 察 が ( 代 用 監 獄 を 使 っ て ) 詳 し い 調 書 を 取 ってくれないと、裁判官は裁判ができないから、代用監獄 は必要だ﹂と発言した。同席していた私は我慢できず、﹁こ れまで裁判官という方々は法律と良心に従って裁判をして

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い る 方 と 思 っ て い ま し た が 、 仙 川 口 ・ M M の測計によって批判をし て い る の だ と 、 は じ め て 知 り ま し た ﹂ と 皮 肉 を 行 っ た 。 今 回 、

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で 無 実 だ っ た こ と が わ か っ た 足 利 引 件 が 、 も し

DNA

検査なしで﹁自白と他の状況証拠﹂だけで有押 になっていたのなら、無尖の被告者は、助からなかった。 志 布 志 事 件 で も 、 中 山 信 一 さ ん の ア リ バ イ が な か っ た ら 、 えん卯被告者十二人全日が﹁無実の有部判決﹂を受けてい た 可 能 性 は 、 非 常 に 向 い の だ 。 ﹁ 自 白 を 証 拠 の 中 心 に 置 き 、 捜査官の作った自白間性を侭川する批判官の意識﹂が変わ っ て い な い の だ か ら 。 裁 判 H H 制度に、このままの裁判官の﹁自白侃宜﹂意識が 持 ち 込 ま れ た ら : : : 。 素 人 の 裁 判 只 が 、 ﹁ そ れ は 述 、 つ ﹂ と 一 日 え る だ ろ う か 。 と て も 心 配 だ 。

足 利 県 幹 の 当 時 の 取 り 調 べ 武 任 者 は 、

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再 鍛 定 で 、 背家さんが犯人ではなかったとわかった時点でも、﹁内

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家 さんの目白はウソではない﹂と古っている。この特 - M M の 態 度と、それを認めてきた裁判所の態度を、批判日制度発足 前に、きちんと除服しておかなければならない。 日山が本当かウソか、法作では二段階の判断に分けるこ と に な っ て い る 。 まず第一段附の﹁自白の任意性﹂。つまり白白が取調官 から強制されたものではなく、自分から﹁任意で﹂(自分 の 意 思 で ) し た も の か 、 ど う か 。 つぎに第二段階の﹁自白の信用性﹂。つまり自白調詐の 内 容 が 伝 川 で き る も の か 、 ど う か 。 これまで日本の裁判所が、えん界と認めた数少ない事件 の ほ と ん ど が 、 第 一 段 階 は パ ス ( 任 意 性 は あ る ) と し 第 二 段 階 、 ﹁ 自 白 の 信 川 性 ﹂ の と こ ろ で 、 ﹁ 内 容 が き な い ﹂ 、 だ か ら ﹁ 無 知 ﹂ と な っ て い る 。 ﹁ 被 告 人 の 自 由 に 任 立 性 は あ る が 、 信 用 性 は 無 い ﹂ こ れ は 、 尖 に 寄 妙 な こ と で は な い か 。 ﹁ウソのことなのに、それも、自分が無尖の罪で有罪に なってしまうのに、それを自らの意思で自白した﹂という の だ 。 親 分 の 犯 却 を 子 分 が 背 負 う と い う 府 . 偽 自 白 な い の だ 。 ﹁強制もされないのにウソを言って自分を罪に落とす﹂ と い う 、 あ り え な い 人 間 性 を 、 こ れ ま で 宛 那 事 件 の

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裁 判 所 は ﹁ 認 定 ﹂ し て き た の だ 。 な ぜ こ う な る の か 。 裁 判 所 は 第 一 段 階 の ﹁ 自 白 の 任 意 性 ﹂ が﹁無い﹂と認める、つまり自白が取調官から強制された と 認 め る の を 、 は ば か る の だ 。 高 名 な 刑 事 裁 判 官 が 、 ﹁ 瞥 ・ 訴 が 捌 世 を 取 っ て く れ な い と 、 裁判官は裁判ができない﹂と言ったという話を書いた。 警 察 調 書 、 そ の 内 容 を 引 き 継 ぐ 検 ・ M M 調書、これらを作っ てくれる取り調べのやり方に、裁判所が﹁あまり介入しす ぎると、調書が取りにくくなるだろうから﹂と泣成してい る と し か 、 思 え な い 。 そこで、取調官が調書に書いたその﹁内容﹂で、被告人 の 運 命 が 分 か れ る こ と に な る 。 ﹁内容に迫真性があり、体験したものでなければ、供述 できない詳細な具体的事実が含まれている﹂││裁判所が ﹁ 自 白 の 信 用 性 ﹂ を 認 め る 時 の 、 決 ま り 文 句 だ 。 ある元刑事が、苦笑いしながら私に言った。﹁それは調 書 の 巻 き 方 ( 作 り 方 ) の う ま い か 下 手 か さ 。 お れ は 、 巻 い た 調書、破られたことはないぞ。被疑者の言い訳になるよう なことはみんな、はじめからぜ l んぷ、つぶして、調世の 中 に 書 き 込 ん ど く ん だ ﹂

なぜ﹁泣きながら自白する﹂のか

検察庁より一日遅れて、野察庁と栃木県野も﹁足利事件 の 捜 査 を 検 証 す る ﹂ と 発 表 し た 。 こ れ ま で の 多 く の 普 ・ 妓 発 表 と 同 じ に 、 ﹁ 取 り 調 べ の 方 法 に違法性は無かった﹂(強制して自白させたのではない) という形式的な検証結果で終わらせないことが、果たして で き る の だ ろ う か 。 足利事件で当時取り調べを担当した警察官らは、今でも ﹁ あ れ だ け 涙 を 流 し 、 謝 っ た 。 う そ か ど う か は 、 わ か る ﹂ と 、 メ デ ィ ア に 一 百 っ て い る 。 背 家 さ ん が 、 ﹁ 警 視 の ひ ざ に 顔 を う ず め 泣 き 崩 れ た 。 ﹃ 本 当 に や っ た の か ﹂ ﹃ ご め ん な さ い ﹄ のやりとりを繰り返す問、警視のズボンが涙でぬれるほど だ っ た と い う ﹂ ( 毎 日 新 聞 六 月 五 日 夕 刊 ) 。 もしあなたが裁判貝で、法廷で警視のこういう証言を聞 い た ら 、 ﹁ 菅 家 さ ん の 自 白 は 強 制 さ れ た の で は な か っ た ん だ ﹂ と 、 思 う の で は な い だ ろ う か 。 も し こ の 事 件 が 裁 判 貝 裁 判 に か か っ た ら ? と い う 危 倶 を 、 いくつかのメディアが書いている。しかし裁判官だって、 そ の 点 で は 、 実 は あ ま り 変 わ ら な い の だ 。

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﹁被疑者は泣きながら自白した﹂と聞いて﹁卯を怖いて 泣いたのだ﹂と単純に幻じてしまわないのは、阿じように 自白させられた経験を持?えん那者自身と、えん罪事件に 深く相通した少数の弁護士だけかもしれない。 打家さんは﹁毘を引っ張られ、脚を蹴られた﹂と、メデ ィアは持いているが、無実の被疑者は、その程度の暴力だ けで自白するのではない。栃木県幹は、犯人逮捕が出来な いまま、事件から一年半、背家さんのごみ粕の中から、た しかチリ紙?を持ち去り、(こうした捜査が、当時から問 題視されていた)科学持察研究所に送り、逮捕の一か月前 に 、

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-致 の 通 知 を 受 け て い た 。 一 か 月 か け て 行 家 逮 捕 の 理 由 に な る ﹁ 非 行 ﹂ を 探 し た が 、 見 つ か ら な い ま ま 、 そ の 朝 、 任 意 同 行 で ﹁ 身 柄 を 引 く ﹂ 。 ﹁ 日 付 が 変 わ ら な い 、

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つ に 自 由 を 取 れ な け れ ば 失 態 に な る ﹂ 持然は、どんなことをしても自白させるしかないのだ。 こ う し て 被 疑 者 は 、 大 勢 の 柄 引 察 官 に 取 り 囲 ま れ 、 怒 川 切 ら れ 、 武 め ら れ る 時 間 が 一 日 中 続 く 。 ﹁ 科 学 的 に お 前 の 犯 卯 だ と 証 明 さ れ て い る 。 そ れ な の に 、 あ く ま で 否 認 し て い れ ば 死 刑 だ ﹂ 。 午前零時が近づくにつれて、狩 - M M も 必 死 だ 。 紫 人 に は 、 ﹁十二時がリミット﹂とは、知る巾もない。耳もとで果て しなく続く﹁お前がやったんだ﹂﹁そうだな﹂の、怒戸に 耐 え 切 れ ず 、 つ い に う な ず く 。 狩 祭 で は 、 脅 し 役 と な だ め 役 が 組 み に な っ て 取 り う な ず い た 被 疑 者 の 前 に 、 こ れ ま で の 脅 し 役 と は 述 体い人日持視が現れる。﹁正直に話したってな。お前が素直 に認めたんだ。野察も悪いようにはしない﹂。││今まで 孤 立 無 援 だ っ た 被 疑 者 は 、 そ の 、 ﹁ か す か な 使 し さ 号 泣 す る の だ 。 し か し そ れ が 、 ﹁ 本 当 に や っ た ん だ を 押 さ れ て 、 ﹁ 述 い ま す ﹂ と は 言 え な い 相 手 で あ る こ よ く わ か っ て い る 。 そ の 悲 し さ で 被 疑 者 は 号 泣 し 続 け

えん罪法廷での自白の任意性

裁判所がえん卵を無罪にした少数の判決も、そのほとん どが、﹁自白は強制されたものか﹂という第一段階の判断 を避けて、﹁自白の内容が信用できない﹂という第二段階 の 判 断 で の 救 済 だ っ た 、 と 性 い た 。 裁判所に﹁任意性無し﹂と判断されることに対しては、 警察・検察は、総力をあげて反発する。被告・弁護側が

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﹁ 強 制 自 白 だ ﹂ と 言 、 っ と 、 取 調 官 を し た 警 察 官 ( 検 察 官 を 呼 ぶことは裁判所がほとんど認めない)の、証人尋問になる の だ が 、 私 の 経 験 で は 、 そ の 日 に 法 廷 の 傍 聴 席 が 思 く な る 。 普 察 官 で い っ ぱ い に な る の だ 。 .尋問を受ける警察官への応援なのか。何度もこういう場 面を経験してきたベテランが、どうやって弁説人の尋問を 切り抜けるのかのお手本を示す場所なのか。そこまで行か ない警察官がへまをしないか、大勢で監視するのか。私は い つ で も 考 え て し ま う 。 ベテランの証言は、判で押したように同じだ。余裕たっ ぷ り に 繰 り 返 す 。 ﹁ 取 り 調 べ は 和 気 あ い あ い と 進 み ま し た ﹂ ﹁被疑者にもメンツがありますから、最初は突っ張ってま すよ。でも、やっぱりやってるんだから、そのうちに悔悟 の情が呼び覚まされるんでしょうな﹂﹁涙を流してざんげ というんですか、こう謝って泣きましたな﹂ あまりベテランではない警察官だったり、これまでは山 のように曲されていた﹁自白調書﹂どうしの矛盾などの不 自然さや取り調べ時間の長さなどから﹁強制﹂が立証でき たと弁護人が思っても、裁判所の判断は﹁任意性がないと ま で 言 う こ と は で き な い ﹂ と な る 。 そして普察官が傍聴席に現れるのは、この時だけではな い。私服で来ることもある。足利事件の菅家さんは、一審 の 法 廷 で 一 度 否 認 し て 、 ま た 自 白 に 転 じ て い る 。 ﹁ 法 廷 に 、 取り調べ瞥察官が来ていたから、怖かった﹂と言う。 こういう場面は、私も担当事件で経験している。 ﹁裁判長、瞥察官がいては、被告人は怯えて本当のこと が言えません。法廷の外に出てもらってください﹂と言っ て も 、 裁 判 所 は 、 ﹁ ﹃ 普 察 官 だ か ら 傍 聴 で き な い ﹄ と い う わ けにはいかないでしょう﹂と、応じなかった。 裁判員裁判に、検察庁はこれまでのような多数の調書を 出さないで、最後に一通にまとめた﹁仕上げの調書﹂だけ を出す方針だ。﹁自白の任意性﹂が争われると、その最後 の 一 通 を 読 み 聞 か さ れ て 、 ﹁ 間 違 い な い か ﹂ ﹁ は い ﹂ と 答 え る場面を写したビデオを出すやり方は、もう、始められて いる。裁判になって、警察の代用監獄ではなく、拘置所に い る 被 告 人 で も 、 普 察 官 の 姿 に 怯 え て 、 ﹁ 自 白 に 戻 る ﹂ 。 まだ捜査中で取調官の手の中にいる被疑者が、﹁仕上げの 調 書 ﹂ に 、 ﹁ そ れ は 間 違 い で す ﹂ と 言 え る は ず は な い 。 ﹁自白の任意性﹂を争う道は﹁裁判員裁判﹂を理由に、 ぐ ん と 狭 め ら れ た 。

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裁判員制度

私はこう思う

ハタと困惑

早瀬展子

かつて﹃十二人の怒れる男たち﹄というアメリカ映岡ゃ、同名の演劇を、地域の文化人により、居 住地にある会館で自主上演したのを見たことがあります。以来、私は、司法の分野に国民が参加する ことによって、いわゆる﹁宛卯﹂がなくなり、囲内の民主主義が一歩前に進むのではないかと、漠然と ながら期待感を抱いておりました。 裁判貝制度がいよいよ日本でも実施に移されるという矢先、十七年間服役していた人の

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が問迫っていたとして釈放された﹁足利事件﹂が報道され、被告とされた人が、﹁髪の毛を引っ張られ たり、蹴とばされたり、いくら﹃やっていない﹄と言っても、﹃白状しろ﹂﹃早くしゃべって楽になれ﹂ と、十七時間にもわたって取り調べられ、どうしょうもなく、﹃自分がやった﹄と言ってしまった﹂ と滞っているのを聞き、﹁裁判只制度のもとで、こういう事件は絶対に起こらない﹂と断言できるの かどうか、不安になりました。裁判只になるべき人は、選挙人名簿から無作為に選ばれるといいます。 いつクジに当たって裁判所から我が家のポストに通知・調査烈が投げ込まれるかわからないし、通知

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が来た以上、原則として断れないという事態に、ハタと困惑しているのが現状です。 先月知人からもらったパンフ﹃私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します。裁判員制度﹄(最高 裁判所、法務省、日本弁護士連合会)に目を過してみて、一番気になったことは、﹁みなさんの負担 を軽くするよう、実際の審理日数は、多くは三日以内で終わると見込まれている﹂と書かれている点 です。三日という、わずかな日数の中で、法的には素人の裁判貝六人が、事件の内容を調べ、事実を 知り尽くして、専門家である三人の裁判官と対等のテーブルについて話し合い(評議)、刑の内容まで 決める(評決)。そんなことが、現実問題として可能なのでしょうか。三日間の中には、いわゆる︿裁判﹀ の時間ゃー最後に裁判長による︿判決﹀の時間も含まれるはずです。しかも、裁判員が参加する事件と いえば、殺人、強盗致死傷、現住建造物等放火、身代金目的誘拐、危険運転致死、傷害致死、保護責 任者遺棄致死など、重罪を裁くというのですから、素人の身には、精神的負担は大きいと思います。 パンフの中には、こんな説明もあります。﹁裁判員は、法律のことを知らなくても大丈夫ですか﹂ という聞いに対して、﹁特に法律知識は必要ありません。なお、有罪か無罪かの判断の前提として法 律知識が必要な場合は、裁判官からわかりやすく説明されますので、心配ありません﹂と。﹁迅速な 裁判﹂を理由に、事前に、裁判官や、検察官、弁護人が、準備をし、お膳立てしてしまうとしたら、 何のための裁判員制度なのでしょう。国民参加というのは、単なる形式だけなのでしょうか。民主的 という衣をかぶった飾り物に過ぎないのではないでしょうか。 このような疑問点が、﹁司法の国民参加では先進国﹂といわれる、アメリカ、イギリス、フランス、 イタリアでは、具体的にどうなっているのでしょうか。あらゆる角度から、私たち国民を十分に納得 さ せ て ほ し い と 願 っ て い ま す 。 ( は や せ の ぶ こ / 東 京 都 板 橋 区 在 住 ) 裁判員制度を考える

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裁判員制度について

﹁足利事件﹂で、無期懲役が確定して服役中だった背家利和さん(六二)が釈放された。

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再鑑定の結果、東京高検は無罪の可能性が高まったと判断。東京高裁は、近く裁判をやり直す再審の 開始を決定する見込みという。千葉刑務所で十七年半を過ごした背家さんは、当然ながら、﹁当時の 刑事や検察官は、私や家族に絶対に謝ってほしい。絶対に許せない。﹃間違った﹄では済みません。 自分の人生を返してほしい﹂と、強い口調で訴えた(六月五日付/東京新聞)。 五月一一一日に施行された﹁裁判貝制度﹂。もし、私が裁判貝になったとき、官家さんのような宛罪 に加担しないと、言い切れるだろうか。前述のニュースに按し、あらためて裁判貝制度を考えた。 何よりも最大の問題は、国民の中に、裁判貝制度導入の目的はおろか、内容自体も十分理解されな いままに始まったことである。不況からの脱出策ならいざしらず、ことは、一人の人間の生死と人生 を左右する問題である。拙速はゆるされないはずなのに、﹁結論ありき﹂のように、スケジュール的 に進んだ。これまで、日本が数かずの宛那事件をつくってきたこと、さらに、国民が国を相手に起こ した裁判の原告勝訴率が一割にも満たないことを考えると、これまでの裁判方法に対し、国民の不満 があるのは明らかだが、﹁その克服に、今回の裁判日制度が合致している﹂と、何割の国民が考え、 理解しただろうか。 ﹁市民が、司法に参加する﹂、あるいは﹁司法にも、市民のチェックが入る﹂というキャッチフレ

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ズは、いかにも民主的制度に映る。だが、民主的制度の要求は、主権者である国民のなかから、ふつ ふつと沸き起こるもの。今回の裁判貝制度導入は、こうした﹁権利﹂としての成果ではなく、﹁司法 み の 制度改革審議会﹂を隠れ去に、﹁義務﹂として上から押し付けられた感を拭い去ることができない。 裁判員制度を考える アメリカの陪審員制度を描いた映画﹃十二人の怒れる男﹄が、話題になっている。父親殺しの罪に問 われた少年の裁判。法廷に提出された証拠や証言は、被告である少年に圧倒的に不利なもので、全陪審 員一致で有罪になると思われたところ、ただ一人、陪審員八番のみが少年の無罪を主張する。彼は他 の陪審貝たちに、固定観念にとらわれずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを要求。すると、 当初は少年の有罪を信じきっていた陪審員たちの心にも、徐々に、ある変化が訪れるという筋書きだ。 ところで、今回の裁判員制度と、アメリカの陪審員制度との違いを、どれだけの人が知っているだ ろ う か 。 陪審員制度は、職業裁判官が入らず、十二名の一般市民だけが審理し、全員一致での結論を出す裁 判形式で、有罪か無罪かを判断するだけで、量刑については関わらない。 これに対し、日本の裁判員制度は、三名の裁判官と六名の裁判員による合議制で、結論は多数決で 決める。衆議院選の有権者名簿から抽選で裁判員に選ばれると、法廷は連日聞かれ、﹁九割の事件が 五日以内で終結する﹂と、最高裁は見ている。スピードアップのため、裁判所と検察、弁護側が、事 前に争点や主張などを絞り込む﹁公判前整理手続き﹂も、義務づけられている。 ここで、菅家さんのことが頭に浮かんでくる。裁判員には、原告、被告双方から、様ざまな証拠や、資料 が提出されるだろうが、これらを客観的に分析する能力を持ち、たとえ持っていたとしても、その場で

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ψ''Jt?,々々々々々々々々々々々なl'J/'JIZIZIZIZIZIZIZIZI'ZI'ZI'ZI'1/Zt?,t?,IZt?,t?,t?,t?,t?,t?,t?"々々t?,~な'tSt?,f'Zt?,ゆ 冷静に判断できるだろうか。何度も純り返すが、ことは、一人の人間の生命と人生を左右する問題である。 日本では刑明間の最高刑として、死刑がある。放判日制度では﹁死刑か否か﹂が、裁判日と裁判官 の多数決で決まる。その際、裁判貝は死刑容認派と否定派に分かれるだろうし、事件の注目度が高け れば高いほど、世論やメディアの影特も強く受けるだろう。 山口県光市で一九九九年、母子を殺害したとして、殺人と強姦致死罪などに問われた当時十八歳の 元少年(二七)に対する差し戻し審で、広島高裁は、昨年四月、無期懲役とした一審判決を破棄し、 求刑どおり死刑を言い渡した。事件当時一八歳三

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目だった年齢も、﹁死刑を回避すべきだ﹂という 弁護人の主張には賛同しがたい﹂とした。この裁判では、被害者の父親が極刑を訴えて、皮たびメデ ィアに登場し、弁護団が主張を変えたこと、大阪府の柿下徹知事の弁護団攻撃などで、急速に弁護団 への批判が向まった。同様のケ

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スが、和歌山毒物カレ

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事件にも見られる。状況証拠だけで、﹁林 氏須美被告の犯行は問述いない﹂との世論がつくられ、そのとおり死刑が確定した。

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五年九月の﹁郵政選挙﹂で、マスメディアが﹁小泉劇場﹂を作り出したように、日本人は周囲に影響 されやすい。裁判只制度では、﹁名前は明らかになることはない﹂とされているが、それも完全な保 証はない。利害関係者からの攻撃など、さまざまなトラブルに巻き込まれるのを恐れ、それが、判決 に影響しないとも限らない。 か ん この問、全国で模擬裁判を五百四ほど実施したが、死刑レベルの判決は、一回も、なかったという。 廿家さんのような悲劇を繰り返さないために、早急に問題点を論議し、改普すべき点は改普すべき で あ る 。 ( ふ く だ か ず お / ジ ャ ー ナ リ ス ト )

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制度はスタート

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四年五月二八日に公布された﹃裁判員の参加する刑事裁判に閲する法律﹄。五年前、町で﹁裁 判員制度﹂を

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ページの冊子を手渡されたとき、表紙に書かれた︿私の視点、私の感覚、 私の言葉で参加します﹀という宣言のような言葉を見て、﹁認知レベルの高い、良識的な市民が居並 ぶのだな﹂と、漠然と思ったことを党えている。同時に感じたのは、﹁法律の専門家ではない人たち の感覚が裁判の内容に反映されることによって、国民の司法に対する理解と信頼が深まることが期待 されています﹂という導入理由の文言の、心地悪きだった。その違和感は、今もって解消されないまま だ。言い換えれば﹁一般人とは少しかけはなれた感覚をもっ法律の専門家が執り行う裁判には、国民 が理解しづらいことが多くあり、また不信感をもたれていた。皆さまに協力いただいて問題点を改善 し、司法に親しみをもっていただきたいと思っています﹂ということになるのだろうか。﹁:・期待さ れています﹂というのも、ヘンですね。 警察・検察の戚圧性や隠蔽体質を自覚しているのなら、外部の人の知恵を借りて、﹁それをなくす 組織﹂につくりなおせばいいし、﹁一般人との常識感覚のズレを指摘されて思い当たる裁判官﹂がい るのなら、﹁民間企業や団体で数年間の研修などをすればいい﹂。﹁内部的な点検・検証﹂にとりかか るべきは、司法内部の改革ではないだろうか。

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fSfSfS,zfSfSfSfS々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々IZIZfSfSfSfSfSfSfSlglgfSlgl'l,l'l"g~港湾湾当伊 ﹁ 制 度 ﹂ と い う こ と で は 、 二

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年四月-日に施行された﹁介波保険制度﹂がある。二

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六五歳以上の高齢者は二、二

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八年は二、八三五万人。﹁実際に機能する制 度にしなくてはいけない﹂という関係当事者の思いは強く、﹁走りながら、制度の不備を手直しして いく﹂ということについては、ひとまず、諒解していたように思う。介護保険料や介護報酬など現場 に即した見直しの努力は続けられている。来年は節目の一

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年目。日本の介護保険制度のシステムづ くりの実験が、今後高齢化する世界の国のモデルになることに希望を見つけたい。 この例のように、制度の不備←手直し←機能の充実←定着という作業を繰り返しながら、制 度が成長してゆくとしたら、﹁裁判貝制度﹂は、はたしてどのようなステップで国民に認知されてゆ くのだろうか。デリケートな部分が多く、情報公開には、これまでとは違った慎重さが必要であろう。

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冊子には、例えば﹁裁判貝は、有罪か無罪かの判断も、有罪の坊合の丑刑を決める判断も、法廷 で示された証拠だけに悲づいて判断すること﹂とある。裁判只は、裁判官や検察官や弁護士の言葉に まどわされずに証拠の信沼性を読み解かなければいけない。真意を伝える適切な言葉も持たなくては いけない。そして、評議の結果下された判決は、その法廷では一回きりで完結する。裁判只たちへの プレッシャーは強い。冊子には二

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四年時点、裁判貝裁判の対象となる事件数は三、三

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人件とあ る。今年後半では、どのぐらいの件数になるのだろう。新たに発生してくる膨大な事務世と経質。制 度そのものが裁判所主導になるのではないか。ハード而・ソフト而の手直しに、注目していきたい。 ﹁さあ、裁判只制度パスに来ってください(理解してくださいこと、フレンドリ

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に戸をかけられ た気恥ずかしきみたいなものを、皮たび感じていたが、そのパスは、いま不安と緊張を積み込んだま ま 、 ︿ 実 務 パ ス ﹀ と し て 運 行 を 始 め て い る 。 ( み ふ ね て る こ / 仙 台 市 在 住

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それでも裁判員制度は必要だ

菟罪は警察・検察・裁判所の三位一体によって作り出される

裁判員制度を考える 二年前の二

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七年に、鹿児島県議選の買収事件(志布志事件)で無罪判決が出た。 この事件では、違法で強圧的な取調べをした普察が非難されているが、警察はもちろんのことだが、 検察にも、大きな責任がある。 地裁判決の後、鹿児島地検は﹁供述などの証拠関係全体の吟味・精査が不充分であった﹂として、 控訴を断念したが、その発言に怒りを覚えた。起訴する段階から、﹁証拠が不充分であったこと﹂は、 わかっていたはずだ。被疑者にされた人の立場を考えれば、安易に起訴できないはずだ。 検察は、警察が調べたことに対し、﹁取調べが正当であったのか﹂、﹁証拠は充分なのか﹂を精査し、 問題があれば、﹁菟罪をつくらない﹂﹁疑わしきは被告人の利益に﹂の態度で、起訴を控えるのが当た り前だ。そして、それが検察の役割だ。 志布志事件で見られるように、裁判所が良識を示せば、菟罪は防げる。裁判所の役割は、大きい。 富山婦女暴行・未遂事件では、

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さんは究罪を主張していたにもかかわらず、有罪が決定し、服役

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fZI し、刑期が終わった後、只犯人が山てきて無卯になった。しかし、

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さんの人生は滅茶苦茶にされた

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さんは、柄引・然、検察に、期卯と、どうして犯人にされたかの説明を求めているが、謝卯も説明もな い。裁判所も、ノーコメントである。 多くの宛罪事件が作られてきた。それは、野察、検察、裁判所の三位一体の構図から生み出されて きたといわれている。周防監督の映画﹃それでもポクはやってない﹄は、宛罪事件の背景にある啓察 と、検察、裁判所の関係を見事に描いている。映画では、﹁有罪率九九・九%は異常に高い﹂と皮肉 っ て い る 。 犯罪をすれば剖せられる。これは法治国家としては当たり前のことだ。誤判決を出し、人の人生を 狂わせた検事や裁判官の行為は、国家権力による犯罪といえる。前せられないのがおかしい。 足利事件に対して、最高裁は、﹁当時の状況として間違っていない判決であった。個々の判決につ いては論評できない﹂というコメントを出しているが、

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の再鑑定を前求されたとき、最高裁が 受け入れていれば、同

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家さんは、もっと早く無罪になったであろう。そういう点から考えても、最高 裁はきちんと謝罪すべきであって、逃げるべきではない。反省のないところでは、過ちは繰り返され る で あ ろ う 。

を見て

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・フォンダ主演のアメリカ映岡﹃十二人の怒れる男﹂を見た術映は、忘れられない。ヘン リ

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・フォンダ演ずる陪審貝が一人だけ無罪を主張し、後の十一人も無罪に考え方を変え、被告であ

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った少年は無罪判決を受ける。そのとき、アメリカの陪審員制度を知り、﹁日本にも、市民が裁判に 参加できる裁判制度ができるといい﹂と思った。 なぜ、そんなことを考えたかというと、大学時代に松川事件を知り、日本には究罪事件││私の大 学時代の一九六

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年代初期は、三鷹市常件・白鳥事件・狭山事件・八海事件等々、菟罪事件と思われる 裁判が行われていたーーがあまりにも多すぎ、宛罪で人生を狂わされた人が多いから、日本の裁判が 変わって欲しいと思ったからである。 私は、社会科教員として、政治・経済、現代社会を教えてきた。憲法学習の中で、司法のあり方、 人権を守るために司法はどうあるべきかを、憲法に沿って教えてきた。憲法第三人条には﹁供述の不 強要と,自白の証拠能力﹂についての規定があり、証拠が自由である場合は、有罪とすることができ ない。つまり、﹁疑わしきは罰せずだよ﹂と教えてきた。 当然、完罪事件をも教える。弘前大教授夫人殺しで、宛罪を叫んでいた那須さんが有罪とされ、服 役後、真犯人が捕まり、無実になったということを教えると、生徒たちは﹁何とか菟罪を防ぐ方法は ないの﹂と質問してくる。そのとき、﹃十二人の怒れる男﹂の話をし、﹁陪審員制度は、過去の日本に もあったから、陪審員制度を取り入れるのも一つの方法だ﹂と答えてきた。 日本の司法、検察や裁判所の歪みは、戦前の裁判制度・検察制度をそのまま継承し、民主化の洗礼 を受けず、旧体制を保持したままであったとか、政府の圧力、それによる最高裁の姿勢の変化という、 根本的なものにあるが、高校生には、そこまで言ってもわからないので、一つの方法として市民参加 の陪審員制度の必要性を教えてきた。 :~役会~ 裁判員若山奮を考える

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裁判員制度の問題点

私は、﹁アメリカのように陪審只が有罪か無罪かを決定する附帯只制がいい﹂と思っていたので、 日刑まで決める裁判只制度を取り入れるとは、思わなかった。司法の現場がどう考えているのかを知 りたくて、法務省が行なった裁判ツア

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に巾し込んだら、述内此く参加することができた。疑問に思っ ていることを聞いてこようと、男んで出かけたが、短い時間に、検察庁・裁判所・弁護士会館と回り、 説明を受けるだけで、質問をする時間が、ほとんど与えられなかった。﹁質問が出ることを、意識的 に避けた﹂と思われた。 私が思っている、裁判制度の問題点を幾っか挙げる。 ①公判前整理手続にも裁判員は参加すべき 裁判只が決まるまでに、裁判官・検事・弁護士が公判前整理手続を行なって、﹁何が問題なのか﹂ を絞るとのことである。公判前整理手続で三者の思惑によって論点が整理されてしまい、裁判只 は、用意された土俵の上でしか、裁判に参加できない。時間がかかっても、裁判貝も提出された 性類を読んで、自らの意思で、論点を定めるべきである。最初から情報に差をつけられては、公平 な裁判ができない。 ②短期集中で、いい判決が出せるか 公判前監理手続で、三者で論点を絞るのは、裁判審理を短縮し、五日以内で判決を出そうとす るためである。公判中に新たな争点が出てきて、予定の時間内で審理できなかった場合は、どう するのか。延長するのか、再審理するのか、決まっていない。

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﹁とにかく短期間で判決を出そう﹂とする姿勢は、良くない。 私が裁判貝であったら、一日に何時間も法廷で、精神的緊張を強いられることは、耐えられな い。そんな中で、理性的で、正常な判断ができる自信は、ない。そんな状況で、判決を評議する ことになれば、裁判官の一定の方向性への誘導に来ってしまうであろう。いい判決をするために は、冷静に考える時間的ゆとりが欲しい。 また、私が被告であったら、﹁五日以内で判決を出してほしい﹂とは、思わない。 ﹁菟罪を少なくし、いい判決を出すための裁判貝制度﹂だから、︿短期集中の拙速な判決﹀は、避け るようにするべきである。 ③罰則規定が多すぎる 裁判員候補の通知書が発送される前に、裂に、﹁裁判員に選ばれたら、どうする﹂と聞いたら、 妻は、﹁人を裁くという責任の重いことはやりたくない。辞退屈けを出すわ﹂と言った。﹁辞退屈 けは、一定の条件しか通用しない。虚偽の申告をすれば罰金又は懲役だぞ。﹂と言ったら、﹁罰則 を設けてまで、裁判貝制度を実施する必要があるの﹂と、反論された。 国民が嫌がるのがわかっているから、罰則を多く設け、なかば強制的にやらせる裁判員制度は 問題だ。虚偽申告もそうだが、守秘義務違反も、重い罰則がかけられる。裁判員であった人が、 家庭や職場で、﹁どうだつた﹂と聞かれて、悪気がないのに、つい喋ってしまったり、身近な人が 裁判員に選ばれて、体験を話じてしまったりすることは、起きうることだ。裁判官は誤判をして も、菟罪を作り出しても、評議の秘密で説明や謝罪をしなくてもいいし、仮に、守秘義務を犯し ても、刑事罰がかけられることはない。ところが裁判員が守秘義務を犯せば、刑事罰を受けると 裁判員制度を考え石

参照

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