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・ 風

・ 風

教育子育てに癌法の風を﹂

﹁ 教

育 子

育 て

九 条

の 会

朝霞・和光・新庄・志木の民主教育をすすめる市民集会

が︑二月十一日(水)に朝位産業文化センター大ホl

ルで

開催されました︒講師は﹁九条の会﹂事務局の小森防一さ

ん(東京大学教授)で︑昨年十月に発足した﹁教育子育て

九条の会﹂を広めるために聞かれれました︒

﹁排出と百うのは︑︿希望が湧くような鵡から﹀というこ

とな ので すが

︑最 初に 絶望 の前 から

︑: :: (爆 笑)

我が悶の漢字もできない総理大臣の発訂によると︑我が

悶は﹁みそうゅう(米作有この状況にある︒人類が体験

したことがない危機だということを︑最初に伝えておく必

要が あり ます

百年に一皮の経済危機だと︑経済危機を起こした張本人

の一人であるグリーンスパン元

FRB(

米辿邦準備制度理

事会)議長が言っている﹂という︑とても衝撃的な話で始

まり まし た︒ 小森 さん の話 は︑

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1

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経済危機と﹁戦前責任﹂

今年は二

OO

九年ですから︑百年前は︑

日館戦争が終わった頃である︒

二十世紀初回の経済危機(恐慌)に対しては︑第一次世

界大 戦が 起こ った

さらにその後︑一九ニ七年からの世界恐慌に対応して

は第二次世界大股が始まった︒

このように︑経済危機と戦争は︑強く問述しており︑今

までの歴史を振返ってみると︑今回の経済危機の後には︑

戦争 は必 歪で ある

今︑私たちは﹁戦前﹂にいる︒私たちには﹁戦前武任﹂

がある︒新しい解決の方法が必要になっており︑それが子

供たちに対する最大の武任である︒

このままで行くと︑今の子どもたちに未来はない︒その

意味でも私たちには﹁戦前武任﹂がある︒このシステムを

変えない限り米来はない︒これが私たちに問われています︒

このような状況で︑絶対に戦争で問題を解決してはいけ

一 九

O

ないという点において︑今の日本国憲法の

9

条は︑世界的 な意 味を 持っ てい る︒

最低限︑許してはならないもの

1 .

﹁企 業福 祉か らの 排除

﹂│

│忠 法二 十五 条の 生存 権は

︑ 国の 義務 にな って いる

企業は︑これまで回の代わりに支援してきた状況があ

る︒今回︑貧困ネットワークというものが出来て︑社会

的に 知ら れて きた

2 .

﹁社 会福 祉か らの 排除

﹂│

│生 活の 保護 の問 題

3 .

﹁家族福祉からの排除﹂││家族や親戚で子供を守るこ

とができなくなっている︒子供たちが最低限の生活がで

きるようにしなければならない︒

﹁人間はケアなしに生きられない﹂という事実がある︒

4 .

﹁教育課程からの排除﹂産まれてから直ぐに教育課

程に入る︒教育は赤ん坊の頃から始まるものであり︑昔

はあったが︑現在は失われてしまった︒

5 .

﹁自分からの排除﹂││今の子どもたちは﹁世界から排

除された﹂と感じる状況にある︒

リストカットをする若者が増加している︒

﹁子

育て

九条

の会

﹁私たちの述助のやり方を変えなければならない﹂とい

う意 識か ら︑

︿子 育て 九条 の会

﹀を

︑昨 年十 月に 立ち 上げ た︒

教育に関しては︑新しい助きが出来ていない︑という状

況である︒いろいろな分断がされたままで︑人間としての

繋がりがなくなっている︒生徒︑先生︑親の問での分断が

行なわれてしまった親たちが︑どのような活動をすれば良

いのかを︑真剣に考えなければならない︒

由法二十五条の︿文化的な生活﹀は︑教育無しには︑あり

えない︒教育と子育ての現場で何が起こっているのかを知

らな けれ ばな らな い︒ 悲法 を行 使し てい くこ とが 大切 であ る︒

大事なことは︑私たちが見て見ぬ振りをしないことである︒

なぜ︑︿教育子育て九条の会﹀なのか︑︿九条の会﹀なの

か︑は最初に述べたように︑今は﹁戦前﹂ですから︑絶対

に︑戦争に持っていっちゃいけない︒

子供を戦争に行かせないようにするには︑どうしたら良

いの かを

︑考 えな けれ ばな らな い︒

お金をどこに使うのか︑軍需産業に回すのか︑教育に回

すかを選択しなければならない︒

最後に小森さんは︑﹁これまで人類が椛験していなかっ

た新しいシステムを作らないとダメな状況の中で︑析しい

システムを作れる最大の条件を持っているのが︑九条なの

です︒この︑多くの名もない市民が願っていた︿戦争のな

い社会﹀を︑そして︿核兵器のない社会﹀を作る︑その最

も現実的な支えが︑日本国滋法九条なのです︒これを守り

抜き

︑生 かし て︑ 勝つ 迎励 を︑ 今後 も続 けて ゆき まし ょう

﹂ と︑ しめ くく った

︒ その 後︑ 質問 に移 った が︑ その なか では

︑﹁ 一人 一人 が身

近な人たちに呼び掛ける︑地域に根ざした日常的な︑人と

人と の繋 がり を大 切に する 活動 が︑ その 後の

︿九 条の 会﹀ の 発展 とな った

﹂と して 紹介 され た以 下の 稲が 印象 的で した

︿斎

藤家

九条

の会

官蒜には︿斎藤家九条の会﹀というのがある︒斎藤さん

は︑退職した小学校の先生です︒おじいちゃんが社会科の

先生︑おばあちゃんは国語の先生でした︒おじいちゃんが

仕入れたネタを︑おばあちゃんが︑小学一年生にもわかる

ような文章にして﹁斎藤家九条の会ニュース﹄を作ってい る︒これが︑閣かしいガリ版刷りのカラl印刷︒この技術

を失 いた くな いと 司っ てい る︒

あまりにも美しかったので︑﹁ところでこの新聞は何部

ぐらい発行されているのですか﹂と聞いたら︑二︑三

部(

会机

明か

ら鷲

きの

戸)

︑こ

れは

︑た

だも

ので

はな

いと

﹁どうしてそうなったのですか?﹂と聞いたら︑三人お

子さ んが いて

︑そ れぞ れ結 婚し てい て︑ お連 れ合 い

孫たちが学校に行っている︒最初に︑孫たちに伝えたい︑

と思った︒﹁部法に閃係があることがあったら︑おじいち

ゃんに教えて﹂という︑のりで始まったそうだ︒孫たちが

学校に持って行って︑自慢した︒そのクラスで広がり︑担

任の 先生 が組 合で 自慢 した

うちの子供たちは毎迎毎週︑岱法についてのニュースの

話をする︒それが広がって二三

OO

部になった︒もうここ

まで くる と︑ 止め られ ない

この新聞は︑必ず毎月十円を払ってもらう︒財政は圧倒

的に政かで︑毎月二万三千円入ってくる︒郵送では財政を

食い つぶ すの で︑ 地元 では 全戸 に配 る︒ ちゃ んと 挨

お茶を飲んだりして話をする︒その村は限界集落になりつ

つあるが︑︿九条の会﹀を通して︑人間の共同体︑紳を作

って

いる

無名な人たちが︑このような︑地道な活動で拡げていく

こと が︑ 一番 大切 だ︒

(*

)︿

教育

子育

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条の

会﹀

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八年

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︿教

育子

育て

九条

の会

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子育

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教育

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こと

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目的

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ます

具体

的に

は︑

( 1 )

平和 な社 会を

︑教 育に よっ て尖 現す るこ と

( 2 )

子ど

も一

人ひ

とり

の︑

学ぴ

発途

する

権利

を保

障す

るこ

( 3 )

保育

凶︑

幼稚

凶︑

学校

の組

織と

巡営

に︑

民主

主義

を尖

現す

るこ

よびかけ人として︑三上満・元全教委員長と︑栂枝元文・

元日教組委員長が名前を述ねています︒臨教審問題と日教

組の民主的な運営をめぐって激しく対決した両氏が︑今︑

同じ思いで呼びかけていることに︑(九条と民主教育を守

る運動)の広がりを感じます︒

なお

︑こ の呼 びか けに 応じ て︑ 事務 局長 には

︑教 育学 者の

︑ 学 さ ん が 就 い て い ま す

︒ ( 泉 田 冨 美 子 )

世 界

に 広

げ よ

う ︑

9 条の力

﹁ 平

和 プ

ラ ザ

﹂ に

9 条コーナー﹂新設

﹁世

界に

広げ

よう

9

の力

﹂│

││

O

年を 迎え た﹁ 平

和プラザ

2009

平和をねがう中央区民の戦争展﹂(略

H中央区平和プラザ︑同実行委員会主催)は︑三月六

i

八日(金

1

日)の三日間︑東京・中央区の月島区民館をメ

イン会場として開催されました︒九日の日曜日は︑平和フ

ィー ルド ワー ク︒

例年のように︑東京大空襲のあった三月十日を前に︑直

近の週末三日聞を活用した企画ですが︑今回は︑従前から

の展示および各種講演︑シンポジウムなどに加え︑新しい

いくつかの試みが注目され︑貴重な前進が見られました︒

その 第一 は︑

﹁世 界に 広げ よう

9

条の力﹂をテl

マ に

9

条コーナー﹂を新設したこと︒中央区や近隣地域を拠

点に︑広い視野で活動する︿

9

条の 会﹀ など に呼 びか け︑

発行するニュース︑パンフレット︑写真︑ポスターなどを

持ち寄って展示するとともに︑﹁︿イラク派兵は違憲﹀とし

た名古屋高裁の確定判決﹂をはじめ︑各種資料の頒布︑普

及にも努めたのです︒全印総連女性部が取り組んでいる﹁

9

条守 れ﹂ と染 め抜 いた

︒大 瓜日 放︒ は︑

﹁波 仰に もな る﹂ と︑ 特に 好評 でし た︒ この

9

条コーナー﹂には︑地元の﹁東京・中央区

9

の会

﹂は じめ

︑﹁ 損保

9

の会

﹂﹁ セン ケン 東京

9

の会

﹂︑

さらには台東区を拠点とする﹁下町人間・天狗講

9

条の

会﹂

や印刷出版関係の人たちを中心とする﹁由法

9

条に ノー ベ

ル平和賞を!の会﹂など︑活動分野も︑地域も︑組織形態

も︑異なる九つの︿

9

条の会﹀が参加したのです︒中でも

圧巻だったのは︑広向に事務月を聞き︑東京では築地本願

寺を 拠点 に︑

﹁殺 すこ とな かれ

︑殺 され るこ とな かれ

﹂と

全問的規慌で脅附する︿念仏者9条の会﹀︒戦時中に供出

させられた釣鈍の代わりに︑大きな石を吊るした鈍っき立

の写見を︑大別ポスターに作成し︑展示コーナーに掲出し

たお坊さんの市服資とも併せて︑術眼的でした︒教組・税

制岬山人の救え︑教団としての故識を山げて︑絶対主義的天

良制

︑軍 国主 義に 追随 した 戦前 の過 ちを 繰り 返す なと いう

痛切な反省のもとに参加している浄土真宗本願守派の皆さ

んの姿が︑とても感銘を与えていました︒

9

条コーナー﹂は︑こうした民示にとどまらず︑︿

9

の会運動﹀を進める人たちの交流の坊ともなって︑ここか ら新たな発民の芥も生まれてきています︒

もうひとつの析しい拭みは︑三月八日の日間日に間似し

た︿

平和

フィ

ール

ドワ

ーク

﹀︒

展示

企岡

﹁小

林多

喜二

シンポジウム﹁﹁股工船﹄とロスジエネの若者たち﹂を受

けた他しで︑中央区の築地野察署で虐殺された小林多喜二

にち なん で企 岡し たも ので す︒ 全印 総述 東京 地述 の 平和

H

委会からの巾し入れを尊宜し︑全国一般東京地本の

平和・民主主義委日会ともあわせた︑初の三者共催で実現

した

ので

す︒

当日はまず︑中央区役所前に集合して︑多将二研究者で

ある藤田民投さんの総合レクチャーを受けた後︑牒回さん

のガ イド で︑ 築地 柄引 祭場 へ︒ 次に

︑多 喜二 が担 ぎ

前田医院(現存)︑そして労政非が行われた築地小劇場跡

へと

︑多 忠二 ゆか りの 地を 巡り まし た︒

築地の次は︑東京大空間以資料股が開催されている浅草

へ︒

︿台

9

条の会﹀のご好意で︑浅草寺を中心に︑戦争

遺跡をガイド付きで巡り︑浅草公会堂での︿浅草仇ト

企阿に合流︒浅草寺住職のお話や向校生の﹁被災樹木の

研究発表﹂に感銘を受け︑元気をもらうなど︑実り多い一

日に

︑延 べ二 八人 が参 加し まし た︒

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