姫路市のある定時制高校の教育実践に関する教育 : 教育の原点を求めて
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(2) 目. 次. 序章 本研究の目的と問題の所在………・………・…………・・……・・………………・・…・1 第1章 同和教育の成立する条件………………・・………・………・・…・………・……・…・4 第1節 教育とは何か……・………・…・……・・…………・……………・・…・……………4 (1)「教育」の定義…・……………・…………・…・…・・…………・……・・…………4 (2>教育の成り立つ条件…………・……・・……………・…・・……………・…・・……5. (3)教育の2日目側面…・……………・……………・・…・……・……・……・……・…6. 第2節 同和教育とは何か・………・………・……………………………・・……・………7 (1)「同和教育」の定義…・……………・……………・…・…………………・・……7 (2)同和教育の成立する条件…・……………・……・………・…・……………・・…・・9. 第2章 兵庫県の同和教育運動と同和教育行政の転換一S高校の教育実践の背景一11 第1節 高校「紛争」期における兵庫県の同和教育運動……・…………・…・………11 (1>経過………・………・……・………・…・・………………・…………………・……・11. (2)「育友会闘争」と「一斉糾弾」・……………・・……………・…・・……∵……13 ア、中播地域に波及するまで…・・……………・・…・……………・………・………・・13. イ、中播地域の状況………………・・………………・……………・……・……・……13 ウ、「糾弾」に対する国の見解…・……………・……………・・…・…………・……15. (3)優先入学…・……………・…・・……………・……・………………………………16 (4)映画「大地の夜明け」上映強制…………・…・…・…………・……・・…………18 (5)「解放教育」路線・………………・……・………・…・…………・・……・………・19 ア、教師敵論…・・………・……・・…………・……・……・……・一…………・…・……・20. イ、分裂の理論…………・……・…………・……………………・…・……・…………20. ウ、’じ情的、観念的、非科学的理論………………・・……・………………………21 エ、その実践的帰結………………・・…………・………………………・…・……・…21 第2節 兵庫:県における同和教育行政の転換・・………・……・・…・……………・・……・25. (1)転換前の同和教育行政一「行政の拡大期」……・…・………・………………25 (2>「転換期一刷新期」の同和教育行政………………・・……………・・…・…・…27. 第3章 S高校の教育実践(一)一部落問題への取り組み一……………・…・………・31 第1節 校内における取り組み……・…………・……・・…………・…………・…………31.
(3) (1)前史一「部落研」設立………………・・………・……・…・……………………・31 ア、経過………………・・………………・………・…………・・………・………・……・31. イ、「転んでもただでは起きない」………………・・…・…………・…・…・………33. (2)「育友会闘争」の始まりとA教師問題………………・・一……………・・…・34 ア、経過………………・…………”……・…・………・……・…・…・…………・・……・34 イ、教師集団の統一・………………・………・………・・……・…………・・……・.……36. ウ、飾磨高校、姫路商業高校との対比………・・……・………・………・・…………37 (3)優先入学問題………………・…・……・………・…・……………・・…・…………39 ア、経過………………・…・………・……・…・……………・…………………・・……・39. イ、「必要欠くべからざる妥協」(一)・…・……………・………・…・……・……43 ウ、“勇気”………………・・…・.…………・・……・…・…・…………・………………46. エ、「必要欠くべからざる妥協」(二)・…・……………・・………・………・……48 オ、「校長を含む統一」(一〉………・…・……・………………・…………・……・49. (4)「百人合わせて百一歩」の取り組み………………………・…………・……・52 ア、経過……………・…・…………・…一・……………・・…・・…・……………・・……52. イ、「百人合わせて百一歩」……………・・…・・…・……………・・…………・……・54. 〈5)テープ問題、「大地の夜明け」上映阻止………………・…………………・・56 ア、テープ問題の経過………………・・……………・…・・…・……・………・・………56. イ、1段進んだ取り組み……………・…・…・………・……・・……・…………・…・…58. ウ、「必要欠くべからざる妥協」(三)・……・…………・……・………・…・……59 (6)同和教育方針の改訂・………・……・…・………・……・…………・…・…・………60 ア、改訂の内容………・………・……………・…・・…・………・……・……………・…60 イ、改訂の意義…………・……・……・……・……・………・…・……・……………・…63 ウ、改訂の討議………・………・……・…・………・……・…………・・……………・…63. エ、「同和教育とは何か」の探究………………・・…・……………・・………・……65 (7)同和教育考…・……………・…………・……・・………・…・……・…………・……67 ア、専門性についての疑問…………・……・…………・・……・…・…・…………・・…68. イ、同和教育に対する生徒の受けとめ方………………・・…・・……………・……・69 ウ、社会問題の1っ……・…・一…・………・………………・…………・…・・………69 (8)必修クラブ問題………………・………・………・・∴………………・……・……7G.
(4) ア、クラブ活動の必修化……………………・………・……・…・…・…………・……70 イ、「必要欠くべからざる妥協」(四)…・………・……・……・・…………・……71. (9)八鹿高校との対比・・…………………………………・…………・…・…・………72. ア、事件の発端一「解放研」設置の経緯………………・………………・……・…73 イ、「八鹿憲法」の問題点…・……………・………・・………・……・…………・・…・75. (10)「大地の夜明け」第2部上映阻止………………・…………………・・………78 ア、経過………………・…・………・……・……・・…………・・…・……………・……・・78. イ、 「校長を含む統一」 (二)……………・・…・……・…………・・………………80 ウ、その他の要因・……………・…・……・・…………・…………・・……・……………82. エ、教育の主体性と政治的中立性………・・…………………………・……………85 オ、教育と行政………………・・………………………………・・…・…・……………87. 第2節 兵高教組等校外の状況を変える取り組み…………・……・……………・……99 (1)取り組みの意義・………………・…………・…・…・…・…・…………・…・………99 (2>昭和48年度教研……………・…・…………・…・…・…・…・…………・・………100 ア、本部教研……・・…………・…・・……………・…………・…・…・…………」…・・100. イ、山形教研………・………・………・・………・・……………・…・……………・…101. (3)地域部落研、同和サークル、支部同対部……・…・………・………………103 (4)今、一番大切なこと…………・……・……・…・………・………・……・…・・…104 (5)昭和49年度教研………………・・…・………・……・………・・………・・………105 ア、本部教研・………………・……・…………・・……………・・…・………・………105 イ、岡山教研……………・…・………・………・・……………・…・・…・……………107. 第4章 S高校の教育実践(二)一生徒指導、教科指導などへの取り組み一……109 第1節 生徒指導上の諸事件に対する取り組み…・・…・…一…・・……………・…・・109. (1)3つの暴力事件・………………・…・……………・・……一・………・……・…109 ア、経過……・…………・・……………・…・…・…・…………・……・………………109. イ、教師集団の団結・・…………・…・…・………………一……………・一・……113 ウ、「立ち止まる」…・…・…………・……………・…・・……………・・…・…・・…・114. (2>投靴事件…………・……・・……………・…・・……………・…………・………・116. ア、経過………………・……・…・………・……………・・…………………………116 イ、教訓___..__..______.._____・・…・……………・・…・……117.
(5) (3)投球事件一いじめ克服例(一)・………・………・……・………一・………118 ア、経過…・……………・…・…………・…・……………・・…・…………・…………119 イ、背水の陣…………・……・…………・…・…・…・……………・・………・………124 ウ、取り組みに対する考察………………・・…………・…・…・…・…………・…・・125. (4)クラスのいじめを克服する取り組み一いじめ克服例(二)……………127 ア、経過……………・…………………・…・……………・・…・……・……・……・…128. イ、取り組みに対する考察…………・……・…・……………・・…………・………131 ウ、いじめ克服考……・…………・……・………・…・・……・…………・…………・134 (5)大量「留級」事件・………・…・…・・…………・・……・・……………・…・・……136. ア、経過………………・……・……・……・………・・………・……………・…・……136 イ、無私の心………・……・・…・・……………・………………・………………・…・142. 第2節 生徒会活動を生き生きさせる取り組み……………・…・………………・…150 (1)取り組みの意義………………・・…………・…・…・・…………………………150 (2)指導する上での基本的な考え方………………・・…・……………・・……・…152. (3>生徒総会7年ぶりに成立…………・……・…………・・……・…・……………153. (4)10年ぶりの生徒会キャンプ……一………・……………・・…・……………157 (5)校内生活体験:発表大会……………一・………・………・・……………・・…・・159. ア、全体で取り組むために・…i…………・…・・……………・……………………159 イ、1人でも増やす・…・・……………一……………・…・………・……・………161 ウ、校長を動かす・……・…………・…・・……………・…………・……・・…………163. エ、発表会その後…・……………・・…………………………………・・………・…165. (6)生徒会活動のあり方をめぐって………………・……………・……一……165 (7)S高校祭成功に向けて………・・……………・………・…・・…………・……・・168 (8)スケート大会・………………・・…・……………・・……・…………・・…………169. (9)生徒会活動についての異なった考え方との相違点………・・………・……170 (10)何故1年で辞めたのか………………・…・…・…………・…一…・………・・6173 (11)何が残ったのか………………………………・・…・………・…・……・………175. 第3節授業をよくする取り組み………・………・・…………・……・………………・180 (1)取り組みの直接的動機…………一…・………・……・…・……・………・…・・180. (2)教科指導とは何か一教育の本質に照らして……………・…・……・………181.
(6) ア、教科指導の成り立つ条件………………・・………・ ・…………・……・……… P81. イ、シナリオは同じ、役者によって大違い…………. ........・・・・・・・・…. ウ、教科指導と人格形成の関係………………・・…・…. 一・・…. エ、学問及び研究上の到達点との関係………………. ’●’●”○’●…. @。・・・・・・・… 183. @。・・・・・… 一・・・・・・・・・… 185. @一・一。・・・・・・・・・… 187. (3)基本的に考えること…………・……・……………・ ・・………………・……… P88. ア、現実のなかに発展の契機を見出す……………… ・…・……………・……… P88 イ、「プラスα点の観点」………………・・…………・. ・・・・…. ウ、教科指導と生徒指導の関係・…・……………・……. 。・。…. (4)具体的な取り組み………………・・………………・. ・・・・・…. @。・・・・・・・・・・・… 。・。・・… 189. @。・・・・… 一・・・・・・・・・・・… 192. @。・・・・・… 一・・・・・・・・… 193. ア、取り組み等の経過………………・・…・……………. ・一・・・・・・・・…. イ、 「1日1物理」…・…………・…・…………………. ・・・・・・・・・・・・・・・・・…. ウ、管理職を含む理科の教科研究会……………・…・・. エ、県教委担当指導主事と事前の話し合い………… オ、授業録音、予行、模擬授業など………………… カ、訪問指導……………・…・…・………・……・…・……. ・…. @一・… 。・・・・・・… 193. @。・・・・・・… 194. @。・・・・・・… 一一… 一・… 。・・ 196. … 。・… 。・・。・。・・・・・・・・・・・・・… 199. ・…. @一・… 。・・・・… 一・一・・・・… 199. 一・……………・…. キ、「最後の授業」に向けて……………・…・………・. ・・一・・・・・・・・・・・・・・…. ク、教科書の検討……・…………・・…・・……………・…. ・・・・・・・…. ケ、教師の人間的な変化について……………・…・・…. ・…. P…・・201. @一… 一・・ 202. @。・・・… 。・。・。・・・・・… 205. @。・・・・・・・… 一・… 一。・一… 206. 終章 まとめと今日的課題への提言……………・…・……・… ………・…・……・……… Q11. 資料1.戦後部落問題関係年表・………………・…………・・……・…・. ・・. Q17. 2.同和教育の基本的すすあかた(昭和45年S高校校長案). 219. 3.S高校昭和47年度同和教育方針(案)…一一………・一. 221. 4.S高校昭和50年度同和教育方針…66…………………. 223. 5.橘教諭の岡山教研報告記録………………・………………. 224. 6. 「1日1物理進度表」……………・・………. 226. 7.橘教諭の物理授業記録………………・…・・…. 227. 8.橘教諭の物理授業記録(板書図〉…・. 238. 9,S高校関係略年表………・………・……………・・…・………. 239. 謝辞.
(7) 序章 本研究の目的と問題の所在 兵庫県では、昭和43年の県立湊川高校における「育友会闘争」に端を 発した、いわゆる高校「紛争」の嵐が吹き荒れた一時期があった。「育 友会闘争」とは、生徒の収めた育友会費を教師たちが県教育委員会(県 教委)の接待などに不正に使ったとして、生徒たちが学校側を追及した 事件である。この「闘争」は、部落出身の生徒を中心に行われたことか ら、事件は必然的に部落問題が絡んだものとなっていった。こうした生. 徒による華々しい「教育民主化」のための闘いは、たちまち阪神地方を 席巻し、県下の他の地域にも波及していった。これが、いわゆる高校 「紛争」である。. 生徒たちは、「部落以外の人間は、すべて差別者である」とする外部 の解放団体や、それに同調する一部の教師の指導や影響を強く受けてお り、素干会費の不正使用のみならず、「同和教育が不十分である」など の理由で、学校側を厳しく追及していった。このような生徒たちや解放 団体の介入によって引き起こされた「糾弾」と称する暴力的圧力の前に、. 教師たちは「差別者」の烙印を押され、その人権は踏みにじられていっ たのである。教師の権威は地に落ち、ものの言えない状況がつくられ、. まさに「生徒様と先公」の言葉そのままの無法地帯と化した学校が、何 卒も現出するにいたった。これを苦に自殺した教師もいたほどである。. こうした状況下で、昭和49年11月、ついに八鹿高校事件という大惨事を 招くことになる。. このような非常に困難な状況下にありながら、外部の解放団体や、そ の影響を受けた生徒の暴力的圧力に屈することなく、 「校長を含む全職. 員の統一」によって、教師自身の人権を守り、教育の主体性と政治的中 一1一.
(8) 立性を守り通した一定時制高校がある。それが姫路市のS高校である。 まさに希有の実践例というべきであろう。. 本論文では、まずこのS高校の部落問題への取り組みの検討を通して、 何故そういうことが可能であったのか、他校とどこが違ったのか、など を考察していく。. この取り組みを前半部分とすれば、その後半部分にあたるのが、「紛 争」が一段落した後の平常時における同校の生徒指導、教科指導などへ の取り組みである。前半部分の部落問題に必死になって取り組むなかか ら、そもそも「同和教育とは何か」、ひいては「教育とは何か」、とい うことの探究へと考えを進めていった同校教職員が、その土台の上に、. これらの取り組みをどう展開していったのか、そのとき基本的に何を考 え、具体的に何をし、その結果どうなっていったのか、を次に検討して いく。. このように、本論文は、S高校という一高等学校の、昭和45年から55 年にかけての11年間にわたる教育実践そのものをテーマとし、その内容 も部落問題への取り組み、生徒指導、生徒会活動、教科指導などへの取 り組みと、学校における教育活動のほとんどすべての領域を網羅するも のである。一論文の体裁としては、まことに特異なものといえるのかも しれない。にもかかわらず、筆者があえてこのテーマを「選択」した理 由は、このまだ世に知られていない、未発表の教育実践が、非常に独創 的な観点からなされており、しかもそれが奇を街つたものではなく、教 育の本道に基づいてなされているからである。したがって、この教育実 践の研究を通して、それを貫く原理・原則は何なのか、ひいては教育の 原点とはそもそも何なのか、を探究していくことが、今日の教育現場の. 抱える様々な問題の抜本的解決への新たな視点を提示するものと、確信 一2一.
(9) を持って言えるからである。. 今日、教育の抱える問題は山積している。同和教育や人権教育はどう あるべきか、いじめや校内暴力に代表される生徒指導上の諸問題をどう して解決していくのか、教科指導はどうあるべきかなど、枚挙に逞がな. いほどである。そして、それらを解決すべく、様々な理論研究や教育実 践が日々積み重ねられている。本論文は、これらの理論研究や教育実践 が見落としていた、あるいは等閑視していた新たな観点を、具体的な事 例の研究を通して明らかにしていこうとするものである。. 論文構成としては、まず第1章において「教育の成り立つ条件」、 「同和教育の成り立つ条件」など、教育の本質的な部分について考察し、. 第2章のS高校の教育実践の背景説明を経た後、第3章、第4章の具体 的実践例においてそれを検証していく、という構成をとった。. また、研究方法については、次の2つのことを柱として行った。1つ は、元S高校の橘 良子教諭の手による膨大な未発表実践記録の分析、. いま1つは、S高校の教育実践の中心的存在であった元同校の中山逸文 実習助手への聞き取りである。. なお、S高校の教育実践に関する先行研究については、未発表の実践 であるため前例がなく、本研究が本邦初となる。. 一3一.
(10) 第1章同和教育の成立する条件 第1節 教育とは何か. (1)「教育」の定義 同和教育も教育の一環である以上、まず「教育」とは何かという定義 がきちんとなされることが重要であるのは言うまでもない。何故なら、 「定義には、対象のあるがままについての定義などというものはない」. からであり、さらに、「対象の何を取り出してどう定義するかが問題で あり、その取り出し方と表現のしかたの中に、定義する人の独特の思想 的立場が前提されている」(1)からでもある。. 古来、教育学においては「教育」を定義しようとするさまざまな試み がなされてきたが、村井 実氏は、その著書r教育学入門』のなかで、 「教育」を次のように定義している。すなわち、「教育」とは「子ども (あるいは人々)を善くしようとするあらゆる働きかけである」(2) と。この定義が、他のさまざまの定義と著しく異なっているところは、 「『善さ』あるいは『善くする』という概念が定義中に使用されている」 (3)ところにある。. では、そもそも「善さ」とは何であろうか。村井氏は、 「r善くしよ う』という意欲は、すべての親、すべてのおとながもつ子どもへのやみ 難い意欲である」が、「善さ」の意味は時代とともに変化し、「子ども がr善く』生きうるために必要とされる知識・技術も急速に多様化し、 しかも増大した」としている。したがって、「『善さ』とは人間にとっ て何であるのか」という問いは、「親にとっても、社会の全体にとって も不断に発生し、無限につづいていく」(4>ものであるとしている。 一4一.
(11) 本論文では、この「善さ」という概念を念頭におきながらも、その内 容については、「学校教育」という領域に限定して考えていきたい。初 等教育・中等教育等の学校教育に限定して考えた場合、筆者は、「教育」 とは「(児童・生徒に)自然と社会についての基礎的な知識を与え、 (児童・生徒の)健康な身体と豊かな情操を育てることである」と定義 したい。この定義の根本にある思想は、「教育とは何か」ということに ついては、その内容が、校長をはじめ様々な立場の教師が一致しうる (あるいは反対しえない)ものでなければならない、ということである。. 何となれば、学校教育には、その内容について大綱上の一致が必要であ り、それがなければ教育現場に混乱をきたす惧れがあるからである。さ らにいえば、幅広い思想・信条の持ち主の雑居する教育現場に、評価の. 分かれるものや一部の考え方を恣意的に持ち込んでいては、すべての教 師が一致できないからである。この定義の場合、あるいは常識的に過ぎ るかもしれないが、それだからこそかえって、誰しも反対しえないもの、 ということがいえるのではないだろうか。. (2)教育の成り立つ条件. さて、筆者は、「善さ」という概念を参考にしながら、そこからさら. に1歩踏み込んで、教育が成り立つ条件ということを考えてみたい。す なわち、教育は、教育者(教師)と被教育者(児童・生徒)の間に「善 さ」の「落差」がある場合にのみ成り立つのではないだろうか。「落差」. があれば、水が高きより低きに流れるが如く、自然に教育力もはたらく であろう。逆に「落差」のない場合、もしくは「落差」が逆転してしま っている場合には、教育は成り立たないことは言うまでもないであろう。 したがって、この考え方からすれば、教師は児童・生徒との間に「善さ」 一5一.
(12) の「落差」をつけるべく、常に努力しなければならないし、そうすべく 教師自身が進歩することが、すなわち教育である、ということになる。. それでは、次に、この「落差」について、教育のもつ2つの側面から 考えてみたい。. (3)教育の2つの側面 教育には人類の遺産である知識を伝え、それを未来に継承していくと. いう側面と、個人の人格を形成していくという2つの側面がある。そし て、この両者は互いに絡み合っている。. このことから「落差」にも2通りあると考えられる。1つは専門知識 や専門技能の「落差」、2つ目は人格のそれである。教師が、専門知識 の量において、児童・生徒との間に「落差」がなければ知育が成り立た ないのは、自明のことである。それと同じように、徳育(人格教育)に おいても、教師は児童・生徒との間に人格の「落差」がなければ、徳育 そのものが成り立たないということも、これまた理の当然といってよい であろう。したがって、教師が教師たるには、自教科の学習を深めると いう面だけではなく、人間的に向上する、人格を高める、という面も含 めた両面を進歩させなければならない、ということになる。教師が人格. を向上させなければならないことについては、教育基本法第1条に、教 育の目的は「人格の完成を目指」すことである、と明記されていること に鑑みても、まず教育の成り立つ大前提である、といってよいであろう。. さて、ここで「人格」という言葉について吟味しておかなければなら ない。我々は、よくある人について「人格者である」といった言い方を する。この場合の人格という言葉は、明らかにその人についての道徳的 評価の高さの意味を含んで使用されている。言い換えれば、この人格と 一6一.
(13) いう言葉には、個人の道徳的評価の高低の意味合いが含まれている、と いうことになる。このことは、もともとこの言葉が、 「カントのいわゆ. るPersonの訳語としてつくられ、とくに人間の道徳的主体としての尊 厳性を強調するために使用されてきた」 (5)ことによるものと思われ る。. 一方、我々は、ある人とある人が「別人格である」、というように人 格という言葉を使うこともある。このような「『人がら』あるいは『性 格』の意味での『人格』は、もともと英語のパーソナリティー(persona− 1ity)の訳語として採用されたものである」(6)。つまり、我々は人格. という言葉を、ときとして前者の意味に用い、ときとして後者の意味に. 用いているのである。本論文では人格の「落差」を問題にする以上、前 者の意味、すなわち道徳的意味でこの言葉を使用する。. 第2節 同和教育とは何か. (1)「同和教育」の定義 同和教育の呼称については、西 遜恭氏は、これまで「それぞれの団 体や個人が、それぞれの時点で責善教育(和歌山県教組、1947年)、人 権擁護教育または人権教育(盛田嘉徳、1949年)、狭義の民主教育(岡 山県教育委員会、1950年)、同和教育運動(全同教、1960年)、部落解 放の教育(東上高志、1962年)、解放教育(部落解放同盟、1966年)など. の名称を提唱するということがおこなわれ、ただでさえわかりにくい同 和教育を一層わかりにくいものにしてきたことはいなめない」と述べて いる(7)。. また、同和教育の定義についても、「同和教育ということをあえて定 一7一.
(14) 益しなければならないとすれば、r部落問題が提起する教育課題にこた える教育的いとなみである』といえるのではないか」として、「実質的 に考えれば、今日部落問題が提起する教育課題が具体的に何であるかを あきらかにし、それを民主的な教育のとりくみのなかにどう位置づける かということが重要なのであって、その位置づけられたとりくみを、○ ○教育という特別な名称でよぶか否かは第二義的な問題だと思う」と述. べている(8)。したがって、ここでは、同和教育については西氏の包 括的な定義をもとにすることとして、「部落問題が提起する教育課題」 を各府県の「同和教育基本方針」からみていきたい。. 昭和40年の同和対策審議会答申を受けて、各府県では「同和教育基本 方針」が策定された。そのうちの代表的なものを挙げてみると、まず、 兵庫県の「方針」では、「同和教育の本質は、人権尊重の精神に徹し、 日本社会の歴史的発展過程において形成された身分制度に基づく差別や、. 現代社会の矛盾からくるもろもろの差別について正しく認識し、その解 消に積極的な意欲を持った人間を育てることである」(g)として、同和. 教育の目的と内容を明確化している。また、大阪市の「方針」にみられ るように、同和教育の本質を述べた後、さらに踏み込んで、「とくに同和. 地区の児童・生徒に対しては、学力の向上をはかり、人権の自覚を高め、 いささかの差別をも許さず、差別を克服し、民主社会の一員としてその 責務をじゅうぶん果たし得る人間を育成しなければならない」(10)と して、同和地区の児童・生徒のあり方にまで言及したものもある。. いずれにせよ「方針」は各府県とも大同小異であるが、それらをみて いけば、同和教育の内容として次のようなことがらが浮かび上がってこ. よう。すなわち、同和問題などの「もろもろの差別について正しく認識 し」、そのうえで「人権尊重の精神に徹」すること、つまり差別をしな 一8一.
(15) いことを教える、ということが1つ。いま1つは、とくに差別される立 場にある児童・生徒に対しては、「いささかの差別をも許さず、差別を 克服」しうる人間を育成する、つまり差別されても(人権を侵されても) それに屈しない人間を育成する、ということである。. (2)同和教育の成立する条件. 「正しい認識をもち、差別をしない、されてもそれに屈しない人間を 育成する」ことを同和教育の内容であるとすれば、裏を返せば、教師の 方が「正しい認識をもち、差別をしない、されてもそれに屈しない人間」. でなければ、同和教育はできないということになる。何故なら、正しい 認識をもたない者が、児童・生徒に対してそれをもたせることは不可能 であるし、差別をする人間が(人格的に優れた人間でない人間が)差別 をしない人間を育成することも、できない相談だからである。さらに、. 差別をされても(人権を侵されても)それに屈してしまう人間が、屈し ない人間を育成するということも、これまた不可能だからである。すで に前節で述べたように、教師と児童・生徒との間に「落差」がなければ 真の教育が成り立たないとすれば、そのことは同和教育にもあてはまる はずである。. したがって、同和教育の成立する条件は、教師自身が部落問題をはじ めもろもろの差別について「正しい認識をもち、差別をしない、されて もそれに屈しない人間」になる、ということになる。言い換えれば、同 和教育も人格教育の一部であると考えれば、教師が児童・生徒との間に 人格の「落差」をもち、もし自分自身の人権が侵されてもそれに屈しな いという点についても「落差」をもっていることが、そもそも同和教育 が成立する条件である、といえよう。 一9一.
(16) 《註》. (1)村井 実r教育学入門』(下)講談社、1976年、14頁。 (2)同上書、19頁。 (3)同上書、20頁。. (4)同上書(上)20、21頁。 (5)同上書(下)38頁。 (6)同上書、41頁。. (7)西 盲嚢r同和教育の研究』部落問題研究所、1981年、158頁。 (8)同上書、156頁。なお、同和教育の呼称については、昭和57年に. 同和対策事業特別措置法に替わって地域改善対策特別措置法が制定 されたことにより、「同和」という言葉が法的根拠をもたなくなった. が、今日なお、「同和教育」という言葉が一般的に使用されている現 状に鑑み、本論文でもその呼称をそのまま使用することとする。. (9)兵庫県教育委員会「同和教育基本方針」昭和43年3月15日。安達. 五男r部落史史料と人権教育一新しい同和教育研究のために一』清 水書院、1991年、500頁に所収。 (10)大阪市「同和教育基本方針」昭和41年11月8日。同上書、507頁 に所収。. 一10一.
(17) 第2章 兵庫県の同和教育運動と同 和教育行政の転換. 一S高校の教育実践の背景一. 第1節 高校「紛争」期における兵庫県の同和教育運動. 今節では、S高校(1)の教育実践の直接の背景となった高校「紛争」 期における兵庫の同和教育運動を中播磨(中播)地域を中心にみていぎ だい。なお、「同和教育運動」とは、学校の同和教育のみならず、それ をめぐる周囲の状況を指す概念である。. (1)経過 昭和43年(1968)、県立湊川高校に始まった「育友会闘争」は、阪神地. 方を中心に県下10数校に波及し、兵庫の高校を大きくゆり動かすものと なった。それらの学校では、極度の学校教育の荒廃をきたし、当時それ は「紛争」という名で呼ばれた。本論文でいう高校「紛争」期とは、こ の湊川高校の「育友会闘争」に端を発した、昭和40年代から50年代前半 にかけての一連の教育混乱期を指す。なお、「育友会闘争」とは、すで に序章で述べたように、生徒の収めた育友会費を、教師が自身の研修費 として受け取ったり、県教委の接待などに不正に使ったとして、生徒が 学校側を追及した事件である。その追及が部落出身生徒を中心に行われ たことから、事態は必然的に部落問題が絡んだものとなっていった。 以下、兵庫県高等学校教職員組合(兵高教組)中播支部レポート(2). をもとに、当時の兵庫県下の状況を中播地域を中心にみていくことにす る。なお、表3−1は中播地域からみた昭和39年(1964)以降10年余りに 一11一.
(18) わたる同和教育運動をめぐる経過を示したものである。 表3−1 中播地域からみた兵庫県及び全国の同和教育運動をめぐる経過(3>. 年月. 中播地域での出来事. 昭和39.9. 第1回西播部落問題講座. 42.9. 第2回西播部落問題講座. 43.8 44.2. 兵庫県、全国での出来事. 湊川高校「育友会闘争」. ヤクルト会館事件. 3. 矢田問題. 4. 相生産業高校「糾弾」. 10. 直播高校部落研結成. 12. 飾磨高校「育友会闘争」. 45.2. 姫路商業高校「糾弾」. 3. 飾磨高校「優先入学」. 9. S高校「育友会闘争」. 12. S高校「優先入学」要求. 46.3. 市立芦屋高校「枠外入学」. 9 10. 47.3. 高教組指示7号く就職書類成績不記入 西播就職共闘、西播闘争会…. 市立姫路3校「枠外入学」. 6. 10. 兵高教組本部「糾弾」. 兵庫県進路保障協議会 「大地の夜明け」第1部上映 福崎高校問題. 解放県連一「解同」県連. 48.5 6. 49.1. 兵高教組定期大会. 姫路商業高校問題. 7. 10. 兵高教組定期大会 「橋のない川」実力阻止. 「大地の夜明け」第2部上映 11. 南但馬に糾弾の嵐. 八鹿高校事件、兵高教組本部教研. 一12一.
(19) (2)「育雛会闘争」と「一斉糾弾」. ア、中播地域に波及するまで 兵庫県では、すでに昭和39年から40年にかけて湊川高校の「落第生教 室」の実践(4)に多くの人々の関心が集まっていたが、このころ西播 磨(西播)地域でもいくつかの学校で部落問題研究会(部落研)が結成 されだし、西播全体の生徒の自主活動を援助することを目的に「西播部. 落問題講座」が開かれるようになった。また、このような自主的な活動 に対して、半官半民の西寺高等学校同和教育協議会(西高峯協)も40年 に発足している。. 昭和42年からは第2次の西播部落問題講座が開かれたが、これは高校 生や地域の青年の自主的な活動の高まりのなかで、主に地元の解放運動 から学ぶということで、14回にわたって持たれた。しかし、この講座の 終わりごろから、全国的な部落解放運動についての立場や意見の違いが 同和教育運動にも及んできて、それがようやく姫路地方にも影響を与え るようになってきたのである。この間、上述のように昭和43年、湊川高 校で「育友会闘争」が起こり、44年3月、大阪では「矢田問題」が起こ っている。この矢田問題を境に、部落解放運動をあぐる意見の違いは決 定的となり、解放運動の全国的な分裂にまで発展していったのである (5)o. イ、中播地域の状況 こうした県内外の状況下、姫路では、昭和44年12月の姫路市立飾磨高. 校を皮切りに、45年県立姫路商業高校、同年S高校と「育友会闘争」が 起こった。これらはいずれも部落排外主義(6)の傾向をもつ地域の青 年(「姫路部落研」)に指導されたそれぞれの学校の部落研生徒を中心に引 き起こされたものである。. 一13一.
(20) 飾磨高校では、「あなたは相手が部落民であるとわかっても交際を続 けますか」という千葉県某高校新聞部依頼のアンケートを同校生徒に回 答させたとして、教師の側にそれを「差別文書として血相変えて糾弾し かえす感覚も憤りもなかった」ことが問題とされ、姫路部落研から糾弾 を受けている。また、姫路商業高校では研修費の受け取りを中止したた めに興信会費が余り、映画を上映したことが発端となって育友会闘争が 起こっている。. そこでは育友会費の使途と育友会の体質が問題となった。まず、研修 費を受け取り飲み食いに使った、父母負担を許してきたとして、生徒か ら教師が「どろぼう」だと徹底して追及され、生徒の立場に立ち切る証 しとして、教師が生徒と共に県、市教育委員会に知友会の体質改善を迫 る、ということが求められた。育友会長も厳しく追及を受け、生徒に良 友会帳簿の公開などを約束させられ、なかには土下座をして謝罪させら. れたケースもあった。同時に教師は「差別者」であるとして、同和教育 の姿勢、授業内容、発言などが追及される、いわゆる「一斉糾弾」が行 われたのである。. 具体的には、生徒総会に教師全員が出席させられ、怒号の中で部落研 生徒から暴力的な追及を受けたり、「どろぼう」「差別者」「辞めろ」 「死ね」「土下座して謝れ」などの罵署雑言をあびせられ、退職を迫ら れるなどといった状況であった。姫路商業高校では、座っていた校長、. 教頭をあがけて何十人遅の生徒が殺到し、つきとばされてけがをする事 態にもなった。このなかで部落研生徒による生育歴の「語り」が行われ たが、それは教師を告発する武器でもあった。教師は悪夢のような糾弾 によって「差別者」「どろぼう」と認めさせられ、謝罪し、今までの研 修費を全額返済することになっていった。 一14一.
(21) このようにして教師の人間としての尊厳さえ徹底してたたきつぶされ、. 学校は「生徒様と先公」という状態になっていった。暴力や非行を注意 できず、授業が困難になり、そのことから当然学力が低下していった。. 特に姫路商業高校では、3学期中授業が行われず、その後も何度も「差 別事件」なるものが起こったとして授業をストップさせ、教師の追及が 行われた。若い男性教師のほぼ全員が暴行を受け、なかには肋骨を折ら れた教師もいたほどである。あるクラスでは男子生徒のほとんどが部落 研生徒に殴られるといった暴力が横行して、学校は荒廃の極に達してい た。また、部落研生徒が:職員会議を召集する、参加して机の上に座って. いる、反対意見を言えば椅子・灰皿が飛ぶ、教師が学校を追われる、な どまったく部落研生徒の支配する学校のようになっていた。. 当時兵庫県では、「育友会闘争」は育友会の民主化、父母負担解消の 「革命的」なたたかいとして最大級の評価がされていた。しかし、県単. 会の民主化や父母負担の解消は構成員である父母と教師の主体的なとり くみによって、はじめてなされるものであり、育友会の性格からも多く. の父母を納得させる道理に基づいた方法で粘り強く進められなければな. らないものである。中播支部レポートは、rr育友会闘争』は、生徒を 使って、急激:に、しかも部落排外主義の立場で行われたという点で、私. たちはこの運動自体本来誤りであり、必然的に教師に対する暴力的な糾 弾を伴うものであった、と考えます。育友会自体も廃止や、教師の排除 が方針化され、民主化にはつながらず、むしろ弱体化されました」と断 じている(7)。. ウ、 「糾弾」に対する国の見解. さて、今日の時点からみて、この「一斉糾弾」のような行為は、国に 一15一.
(22) おいてどう評価されているのであろうか。. まず、昭和59年差地域改善対策協議会(地対協)の意見具申では、同 和問題に対する「こわい問題という意識」などの新たな意識が生じてい る点が指摘され、それは、「民間運動団体の行き過ぎたいわゆる確認・ 糾弾をはじあとする行動形態に起因する」と、はじめて確認・糾弾のマ イナス効果について述べられている。. 次に、61年の地対協基本問題検討部会報告書(以下、部会報告)では、 初めて「民間運動団体が教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたら している」点が指摘され、教育の中立性を守るために行政機関に対して、. 「毅然たる姿勢で臨む」ことが求められている。また、「糾弾権の根拠 となる法律がないことは言うまでもないが、判例においてもそのような. 権利は認められていない」と1歩踏み込んだ明確な見解が述べられてい る。. さらに、62年総務庁長官官房地域改善対策室の出した地域改善対策啓 発推進指針(以下、啓発指針)では、部会報告に引き続き、糾弾は「私 的制裁」以外の何物でもないとされ、「差別解消という大義名文を掲げ て、組織や集団の力を背景に大勢で非難する」という行為が批判されて いる。. これらをみるにつけ、我々は、いかに当時の中播支部レポートの見解 が誤りのないものであったかを、うかがい知ることができよう。. (3)優先入学. 「育友会闘争」「一斉糾弾」によって屈服させられ、主体性を奪われ た学校教師に対して、次に部落出身生徒の優先入学が要求されてきた。. この問題は「飾磨高校で未解放部落の一部の人たちのr要求』によづ 一16一.
(23) て、1970年3月の入試において、未解放部落出身者は合格点にたっして いなかった数名をふくめて、全員の入学を許可したことに端を発し」た もので、「姫路から西播州一帯の高校にもちこまれていったことにより. 顕在化した」ものである。同校ではrr被差別部落人口が全市の7∼8 %であること、さすれば、当然本校生徒定員405名の7∼8%である30 名程度の合格者がなければならない』というかなり形式的な算定基盤に 立って入学を許可して」おり(8)、この方式は当時「飾磨方式」と呼 ばれていた。このように飾磨高校においては、「優先入学」は姫路部落 研による糾弾会で要求され、教師が「差別者」として屈服させられるな かで認めさせられているのである。. 次いで同年(昭和45)年12月には、「早耳会闘争」後のS高校において. も同じように「優先入学」の要求が部落研生徒によって暴力的になされ ている。しかし、同校では何人かの教師が強制に屈せず頑張り続け、そ の後何とか踏み止まろうと全職員で話し合いが持たれ、暴力、強制には 屈せず、管理職などの書かされた確認書は白紙にもどす、民主的なルー. ルを守らせる、という意志統一がなされている。しかし、S高校は職業 訓練校と連携しており、そこで優先措置がとられていることを理由にし て、昭和46年(1971)3月には「正しい配慮を加えるべきである」という 教育長通達が出されて優先措置をとる決定がなされている。. このようななかで、県教委は入試要項を改訂し、中学からの内申書に 部落出身だという特記事項があれば、高校側はそれを判定の基準として 重視しなければならないとする、いわゆる311項(g)による優先入学 を指示するに至っている。. なお、中播支部レポートは「優先入学」について、「優先入学は父母 の関心が非常に高い入試において、部落優先を行い、部落と部落外の対 一17一.
(24) 立を深め、また、入学者の選抜という教師の教育権の基本を侵すもので す。今まで困難な中で進められてきた合否判定の民主化に逆行し、差別 を重要な基準にすることで、入試における身分差別を復活、固定化させ たものに他なりません」と述べ、その考え方を批判している(10)。. (4!映画「大地の夜明け」上映強制 部落解放兵庫県連合会が監修し、行政から莫大な補助金を出させて、 「大地の夜明け」(第1部)と題する映画が製作されたのは、昭和46年 (1971)暮れのことである。この映画のストーリーは、ある部落出身の女 性が部落外の青年との恋愛を通じて部落問題に目ざめ、 「部落外の入と. 結婚することは逃げることである」と求婚を拒否して解放運動に生き甲 斐を見出す、というものである。中播支部レポートによれば、この映画 は、「差別の真の元凶は全く登場せず、このように結婚問題を取り上げ ることによって部落外の人々をすべて差別者と印象づけて」おり、また、. 「給食費を持ってこない生徒、ガラスを割った生徒を、事情も調べず叱 る教師に対して部落の人達が学校に抗議におしかける場面を通じて教師 の差別性を問題にしてい」る、というものである(11)。. このような映画を観ることが、翌47年から中・西播一円の学校に強制 されたのであるが、それは、観るかどうかについて学校の討議がなされ ていないのに上映委員会から文書が届き、観賞の日時と場所が一方的に. 指定されてきた、といったものであった。多くの学校の場合、職員会議 の論議は、 「シナリオを検討し、試写を見、その内容が児童(生徒)た. ちの発達段階に則してみて妥当なのかどうか、内容が科学的な見地から. 見て正しいのかどうかというような本質的な論議ではなく、r同和教育 をやっていてこれぐらいのものをよう上映しないようでは、やられてい 一18一.
(25) る同和教育が問題だ』r上映しなければ差別だ』『運動側がいい映画と いっているのだから、学校は上映すればいいのだ』という圧力や威嚇に おびえて、いつ上映するか、上映すれば問題がおこりかねないからどう いう事前・事後の指導をするか、という上映を前提にした」(12)もの. であった。そうして、観ないと糾弾されるということがささやかれ、ほ とんどの学校がしかたなく全校生徒に観賞をさせるに至っている。また、 職員会議で観ないと決めた学校に対しては、来校して圧力をかけたり、. 事前事後の指導や観賞中の態度について干渉し、感想文の内容がけしか らんと、学校側を糾弾するということも起こっている。. このようにして第1部門上映は県下全体で「大成功」をおさあ、続い て第2部が昭和49年(1974)5月に完成された。第2部の内容は、内容そ のものが教育問題であり、解放団体の「学校への不当・不法な糾弾・介. 入が映画の中では正しい道理あるr糾弾』としてえがかれ、現実のr糾 弾』とダブらせてこれらを機首させ、合理化しようとするモチーフに貫 かれて」おり、さらに、「そのクライマックス自身が大がかりな教師糾 弾となっているのであり、このような内容の映画を無批判に、小、中、. 高校生にみせるなどということは教師の指導性を否定することを教師が 認めることであり、内容からしても絶対に上映することの許されないも のだった」といえよう(13)。. なお、第2部上映については、中播の高校で上映を阻止できたのはS 高校のみであった(その取り組みについては、次章で詳述する)。. (5) 「解放教育」路線. このような一斉糾弾等の背景となった兵庫の「解放教育」路線の理論 と実践については、中播支部レポートは、次のようにいくつかの特徴を 一19一.
(26) 挙げて批判している(14)。. ア、教師敵論 この理論は、部落民以外の人を差別者、敵と規定するものであるが、 教師に対しても、教師こそが加害者、差別者、敵である、としている。. さらに、教師は自分の権利のために闘うことはげしからんことで、その ことによっては変革されない、生徒から糾弾され、生徒のために闘うこ とによってしか変わるこができない、としている。. 変革を証明するためには、絶えず生徒に迎合した「実践」を「全力疾 走」でやらねばならず、これはまるでゴールのない短距離走の如くであ る。また、「生徒に学ぶ」として教師と生徒の位置が逆転し、暴力、非 行が野放しにされ、学校の破壊につながった。. イ、分裂の理論 部落外の者をすべて差別者、敵と規定する考え方そのものが、広範な 国民の統一と団結を妨害するものであるが、それに加えて兵庫の解放教 育派は、自らを「絶対少数派」と規定し、皆の支持をえて多数派になる ことを否定している。これは統一と団結を頭から否定する考え方である、 といってもよい。. また、この理論は、教師と生徒、教師間、生徒間の「裂け目」を徹底 して強調し、「裂け目をより確かなものとしてつかむところでしかわた りが持てない」としているが、統一と団結は一致点を見出し、それを拡 大することによって強まるものである。「裂け目」をより確かなものと してつかむことを団結の条件にする、というのは、全く思想を同じくす る人たちとしか手をつなげない考え方であり、実際には団結を否定する ことである。 一20一.
(27) また、「運動に学ぶ、部落解放同盟の指導のもとに闘いを進める」と、. 教育への外部介入に道を開き、生徒による教師の教育権への介入、攻撃 そのものを民主化闘争と位置づけ、押し進めてきたが、このことは何よ りも職場に分裂をもたらした。. ウ、心情的、観念的、非科学的理論. 解放教育派が“武器”として用いている生育歴などの「語り」は、非 常に心情的なものであり、むしろ科学的であってはならないとさえされ ているものである。差別の元凶は科学的で地道な学習によってはじめて 明らかにされるものである。それを否定し、感覚的に差別の実態をとら えれば、必然的に部落外の人たちを憎むべき敵としてしか見ないように なる。. エ、その実践的帰結 このような「理論」の実践的帰結の第1のものは、学校教育の荒廃、 破壊である。具体的には、次のようなことが挙げられよう。 ○教師の人間としての尊厳を徹底してたたきつぶして指導性を失わせ、 権利を奪い、また職場の不団結をつくり出した。. ○外部の介入に道をひらき、学校の自主性、教師の教育権を侵した。. ○教師と生徒の関係を逆転させ、信頼をたち切り、生徒同士の分裂も深 めた。. ○教師をつるしあげ、そのことを誇らしげに吹聴し、要求が受け入れら れないと暴力を振るう、というように、多くの部落出身生徒の人間性 を大きくゆがめた。. 第2に、民主主義の破壊、暴力の肯定である。 一21一.
(28) 糾弾や、それに対する怖れから、自由にものの言えない状況が生み出 され、彼らと見地を異にする発言や文書はすべて「差別」だと攻撃が行 われて、彼らに対する言論は全く封殺されたのである。その武器が桐喝 であり、暴力であった。「ふるわれる原因をつくったものが悪い」など と理由をつけて暴力は免罪され、肯定されたのである。. また、「手続きの問題やない、生き死にの問題や」としてルール無視 を肯定している。部落研は直接校長を強制して要求を認めさせる、生徒. 会執行部よりも上に位置づけして校長直属にする、教師に話し合いを突 然強要する、授業を止めて生徒の会合を勝手に開く、など様々なルール 違反、民主主義破壊の行動が実際に行われたのである。. 第3に、以上のような行動が、まさに差別を拡大再生産し、固定化す ることになった点である。これらの行動は、部落と部落外をことさらに. 強調し、部落を優先させることで対立を深め、人間を踏み付けにする暴 力や糾弾によって、部落に対する怖れを植え付けたのであった。. 《註》. (1)S高校は昭和41年4,月、姫路市内に設立された機械製図科と機械. 工作科をもつ、生徒数320名、全職員30名の県立定時制実業高校で. ある。生徒は昼間全員1年次に分教場となっている県立職業訓練校 に通学して訓練と共に授業を受け、2年次以降就職して夜間本校に 通う。そのため必然的に職業訓練校との連携という特殊性をもつ学 校である。. (2)兵庫県高等学校教職員組合中播支部「中播地域からみた兵庫の同. 和教育運動とその教訓」日教組第24次・日高教第21次教育研究全国 一22一.
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