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生徒指導1教科指導などへの取り組み一

 第3章では、部落問題を背景にした「紛争」という、いわば非常事態 において、校長を含む全職員の統一をもってそれを乗り切ったS高校の 取り組みをみてきた。この章では、その同校職員が、「紛争」が一段落

した後の平常時(校外では、まだ部落排外主義の影響が色濃く残ってい た)において、生徒指導や教科指導にどのように取り組んでいったのか を、「メモ」を主資料にみていくこととする。そして、両者の教育実践 を貫くものは一体何であったのか、そこから教育の原点を考える上でど

ういう点が参考になるのか、等を考察していきたい。

第1節 生徒指導上の諸事件に対する取り組み

(1)3つの暴力事件  ア、経過

 経過①

 昭和50年(1975)2月、映画「大地の夜明け」第2部の上映強制反対の 取り組みが行われている最中、S高校で、部落出身生徒による暴力事件

が起こった。事件の経過は、以下の通りである。

 2年生のある生徒(部落出身生徒、A君としておく)が、同じ学年の 生徒から新品の単車を借りていたのを、家の前に停めていて傷めてしま

った。持ち主のB君は修理代をA君に請求していたが、A君はずるずる と何二月も支払わない。業を煮やしたB君は、2月初め、その友達2人 とでこれまでになく厳しく金を払えとA君に詰め寄った。次の日、A君

は他校生2人を連れて学校に来て、B君の友達2人の登校を待ち伏せて、

顔を殴るなど相当ひどい暴行を加えた。その足で3人は教室まで行き、

B君の髪を掴んで、「あの金はもういい」と言わせている。友達の1人 は、心中血だらけになって、職員室へ逃げ込んできた。

 学校から事実調査のため呼び出されたA君は、3人に修理代を請求さ れた時のことを、「あんなにボロクソに言われたのは生まれてはじめて だ、このままでは殴られると思った」と言い、「自分ばかりを悪者にす る」と涙を浮かべる。自分が暴力を振るったことよりも、相手が金を請 求したその態度が悪いと言わんばかりである。この生徒は、明らかに

「暴力には理由がある」とする部落排外主義の人たちの影響を強く受け ているようであった。

 同校では、A君を何日かの校内謹慎にし(定時制という事情から家庭 謹慎の効果はあまり期待できないため)、2度と暴力を振るわない人間 になるよう徹底して指導することが話し合われた。ところが、彼はこれ までの欠席が多く、あと1時間で教務規定にふれるということがわかっ た。1日でも謹慎処分にすれば、即留級となる。同校では、教務規定は 糾弾集会以後、一一時は反古同然であったが、年を追って確実に実施する

よう努められ、欠席時間が規定の時間数を越えれば、実際に主戦させて もいた。この生徒だけを特別扱いするわけにはいかない。また、処分を すれば留級になるからと、このような暴力を見逃すわけにもいかない。

教師たちは決断を迫られた。論議の末、職員会議では全員一致でA君を 7日の校内謹慎にすること、留級になっても学校を続けるよう指導する こと、家庭の了承を求める努力をすることが決められた。

 しかし、家庭と地域の了承を得るのは容易ではなかった。謹慎処分申 し渡しには母親が来校したが、「2重の処分だ、留級は納得できない」

と泣いて訴える。再び会議が持たれたが、先の決定を再確認し、担任を 中心に了承してもらう努力を続けることになった。が、担任の教師は、

「母親への通告などとてもできない」と言う。そこを中山教師らが、

「自分たちもそばにいるから何とか頑張ってほしい」と激励し、担任は 母親への電話のための原稿を徹夜で作った。それを生徒指導部、同和委 員会の合同会議で検討し、でき上がったものを担任がそっくりそのまま 電話口で、読み上げているとは悟られないように読み上げた。その間、

何人かが傍らに付き添う。「わかりました」という母親の言葉で受話器 を置いた担任の教師は、「ああ、これでやっと今日から眠れる」と言っ たという。よほどのプレッシャーだったのであろう。

 しかし、それもっかの間、今度は地域の同和教育相談員が、父親とと もに来校した。 「上級措置について、同和地区出身生徒であることを考 慮してほしい、教務規定を改訂できないか」という申し入れがなされた のである。校長以下、居合わせた教師が応対し、「現在の規定が生徒指 導上身リギリの線である。どのような理由でも特別扱いは認あていない」

と説明して、穏やかな話し合いの後了承された。

 経過②

 ところが、その暴力事件からわずか2日後、再び部落出身生徒による 暴力事件が起こっていたことが明らかになった。A君の近所に住むC君

(部落出身生徒)と、出身ではないもう1人の生徒が、先の事件で血だ らけになって:職員室へ駆け込んだ生徒を、山陽電車飾磨駅の便所に連れ 込み、また相当ひどい暴行を加えたというものであった。この2人の生 徒は、「学校に知らせたのは、オレたちを差別しているからだ」と言っ て殴ったという。その上、被害者を便所の床に土下座させて謝らせ、も う学校には知らせないことを約束させた。何日か迷ったこの生徒は、ど

うしてもくやしくてならない、と学校に申し出てきたのである。

 C君はA君と同じクラスであった。そして彼もまた、欠席時間数の余 裕が全くない生徒であった。処分をすれば、再び必然的に留級となる。

2人の住む地域は、姫路市内で最も部落排外主義の影響の濃い地域であ った。この時期は、ちょうど「大地の夜明け」第2部の問題が重なって いた時期で、地域からの干渉は、前とは比較にならないほど強硬なもの になることが予想された。会議は紛糾した。

 この問題については、中山教師たちは「立ち止まる」ことを主張した。

事件は先のものといくっかの客観的な違いがある。校外で起こった事件 であること、一方は実際に教師が暴力を確認しているが、他方はそうで はないこと、脅されてではあっても被害者が学校に言わないことを約束 しており、取り上げるには本人と保護者の了解が必要なこと、こうした 違いは同じ取り扱いをしなくてもよい条件となり得る。「違いを明らか

にし、理由を明確にした上で、事件については学校としての処置をしな いこと」が、中山教師らの提起内容であった。

 しかし、この提起には当然反発が出た。その内容は、「これまでの意 見と違う、部落特別視だ、大きな後退になる」などであった。だが、A 君の件で全力を注ぎ尽くしていた当の担任教師は、「どうしても今度は

よう頑張らん」と正直に表明していたし、他にもためらっている教師が 管理職を含め何人かいた。激論の末、ついに中山教師らの提起は受け入 れられ、事件は「不問に付された」のである。

 経過③

 しかし、C君はしばらくして2度目の暴力事件を起こした。今度は学 校の体育館の裏で、単車の持ち主B君に非常に残忍な暴行を加えた。B 君は校内を逃げ回り、顔を血だらけにして職員室に駆け込んで来た。こ

の時点では、C君は、再三の注意にもかかわらず、欠席時間数の限界を 越えてしまっていた。

 職員会議は、全員一致でC君を校内謹慎に処することを決定した。暴 行の程度、2度目であることを考慮して、A君よりも1日重い8日とし た。地域からの干渉はなかった。

 A君、C君は留級が確定しているのを知りながら、校内謹慎のために 毎日登校した。謹慎期間中、教科の学習をさせることはほとんどなく、

専らいかなる理由があろうと2度と暴力を振るわない人間になるための 指導が徹底してなされた。1日2時間の指導を終えると教師の方がくた くたに疲れたという。その甲斐あって、最後には彼らは素直に指導を受 けるようになった。その後、2人は2度と暴力を振るうことはなくなっ た。顔つきまでも明るくなったという。

 イ、教師集団の団結

 この3つの事件から導き出せる教訓について考察していきたい。

 経過①の事件は、一見何でもない事件のようであるが、部落排外主義 が吹き荒れた当時の状況下にあって、留級につながるにもかかわらず、

出身生徒をきちんと処分しえたことに大きな意義がある。このことは、

当時としては考えられないことであった。校長会でS高校の校長が、自 分の学校ではこんなことがあったと報告すると、他校の校長が、「よく

そんなことができたなあ」と驚嘆したという。事実、地域の同和教育相 談員がこの件について学校へ乗り込んで来たが、このこと1つとっても 普通では考えられない異常な事態である。

 S高校でこういう指導ができた秘訣は、そこまで職員の団結が強まっ ていたからであろう。このことは、同校職員が普段からよくまとまって

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