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中学校「総合的な学習の時間」のカリキュラム開発の基礎的研究

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(1)学位論文題目. 中学校「総合的な学習の時間」の カリキュラム開発の 基礎:的研究. 兵庫教育大学大学院. 学校教育専攻. 学校教育研究科. 教育方法コース. MO1032G 根岸隆一.

(2) 《 目 次 》. 序章・…・…・…・・…・………・……・……・……………・・1 第1章カリキュラム構成の原理…………・・……・………・・… 8 第1節スペンサーの「教育論」 ・・…・………・……・…… 8 1知識の教育的価値決定の必要性 …・・… …・・…… 8 2教育価値決定の規準 ・……………・・… …・・… 10. 3教育活動領域の「五領域論」 … ………… …… 12. 第2節倉軍備のカリキュラム観・・・…………………… 14 1 カリキュラムとは何か ……… ……・…… …・14 2 カリキュラムの設計 ………・・…… …・… …・15 3 設計されたものと設計そのもの ………・…・・… 16 4 カリキュラムの設計時期 ・…・……… ……・… 17. 第3節カリキュラムの構成. 19. 1 カリキュラムと教育課程 ・… ………………・・19 2 カリキュラムの分類 ・・・・・・・・… …・… …… …・20. 第2章主体的な学習と個別学習の変遷. 25. 第1節大正新教育運動……………………・・………・25 1新教育運動の時代背景 ・・・・・・… ……・・・… ……. 25. 2新教育運動の実践 ・…・・…… ……・・・・・・… …・26. 3新教育運動の特質 ・・………・……・…・…・…・28 4新教育運動の実践家 …・…………・…・・……・29 1)及川平治の主張 2)樋口長市の主張. 5大正新教育における合科・総合教育 … …・・……・32 1)奈良女子高等師範学校附属小学校の合科学習 2)及川平治の総合教育. 6主体的な学習 …・・・・・… ………… …………・36 1)生活経験の場としての身近な社会 2)ダルトン・プランにもとつく授業方法の改善. 第2節戦後の教育改革. 39. 1 教育改革の方向性 ・……・…・・…・・・… …・…・39 1)アメリカ教育使節団報告書 2)新教育指針 3)学習指導要領の編集. 2 経験主義のカリキュラム・…… ………・・… …・44 1)経験カリキュラム 2)コア・カリキュラム. 第3節民間教育団体の改革案. 51. 1 教育制度検討委員会 ・・・… …・…… …・・… …・51 一1一.

(3) 1)教育制度検討委員会最終報告書の提言 2)階梯の概念 3)教育制度検討委員会の提案する「総合学習」 4)各階梯での「総合学習」. 2中央教育課程検討委員会 ・……・…………・……… 55 1)教育課程改革の必要性 2) 『教育課程改:革試案』の教育課程. 3) 『教育課程改革試案』の「総合学習」. 4)各階梯での「総合学習」の特徴 5) 「総合学習」の意義と課題. 第4節 「ゆとり」を標榜する学習指導要領 ・…………・… 62 1 「ゆとり」教育の背景 ・・……………・…・… 62 1)道徳教育の徹底の趣旨 2)系統化が重視されることになった背景 3)法的拘束力を持つ教育課程の最低基準化の問題 4)中学校における生徒の進路、特性に応ずる教育の問題. 2 昭和52年度版学習指導要領 ・………………・66 1)教育課程審議会の審議 2)学習指導要領の改訂. 3 平成元年度版学習指導要領 ・・………………・68 1)臨時教育審議会 2)学習指導要領の改訂. 4 平成10年度改訂学習指導要領 ・……………… 72 第3章地域に根ざした思想とカリキュラム論・・………・…・……76 第1節地域学習の考え方・・……・…………・……・…・・76 1郷土教育 …………・……・・…・……・……・76 1)郷土教育の定義 2)戦前の郷土教育 3)ドイツの郷土科. 2郷土教育運動 ・…・・………・…・・…・…・…… 78 1)郷土教育の実態 2)郷土教育の内容 3)柳田国男の郷土教育批判 4)及川平治の郷土教育批判 3 小田内通敏の「地理学・地理教育研究」からの. 郷土教育 ・… ……………・…・・………… 83 1)郷土地理研究の意義 2)郷土の概念 3)郷土地理研究の研究方法. 4 郷土教育と地域学習 … ………・・………・・… 87. 第2節コミュニティ・スクール論…………・…・…・……●●88 1クックの『教育とコンミュニティ』 ・・…・……… 89 −2一.

(4) 1)教育の背景 2)コミュニティの定義 3)地域社会の研究方法 4)学校の役割. 2オルセンの『学校と地域社会』 ……・……・・…・93 1)教育理念 2)教育方法 3)教育内容. 第3節地域教育計画 ・………………・………・……・…101 1地域教育計画とは ・…………・…・…・………101 2川ロプラン ・・…………・……・・………・…・102. 3本郷プラン …………………・……………103 4地域教育計画が現代に与える示唆… ………・・…・105. 第4節地域と連携した学校 ・・………………………・・…106 1 学校と地域社会の隔絶 ・……・……・……・…106 2 生涯学習社会における学校と地域社会 ・・……・…107 3 地域と連携していく視点 ・・………………・… 109. 第4章 中学生の学習意識の実態 ………………・・………・…・111. 第1節藤沢市の教育調査の分析・…………………・・……111 1藤沢市中学校3年生の学習意識調査 ・・・… ………111 1)調査の趣旨 2)調査対象. 2調査全体のまとめから ……………・・…・……112 1)学習意識の変化 2)友だちづきあいの場としての学校 3)生徒の学習意識と古典的学習観のずれ 4)授業に対する期待 5) 「学校離れ」と「学校依存」を越えて. 第2節 由良港中学校の生徒の学習意識 …・……………・…・・121. 1調査結果の考察 ………・…・……・…… ……121 1)学習意識 2)友だちづきあいの場としての学校 3)生徒の学習意識と教師のもつ学習観のずれ 4)授業に対する期待. 2回戦課題 ・………・………・・……………・・124 1)帰宅後の勉強時間 2)学校の勉強の理解度 3)学校の勉強についていく自信 4)勉強の意欲 5)勉強への集中度 6)読書の実態 一3一.

(5) 第5章中学校三年間を見通したカリキュラム構想・・…………・…127 第1節 中学校における「総合的な学習の時間」 ……………127 1 「総合的な学習の時間」の意義 ………………・・127 2 「総合的な学習の時間」の位置づけ ……………・128 3 「総合的な学習の時間」の学習方法 ・……・………131 1)高等学校の専門教育学校における課題研究 2)体験中心学習の要請と問題点 「総合的な学習の時間」の現状と課題 ・…・・…・・…… 136 第2節 1埼玉県北葛飾郡杉戸町立杉戸中学校 ・・………・…136 1)基本的な考え方 2)生徒の興味・関心に基づくテーマ設定の実践内容 3)分析と課題. 2香川大学教育学部附属坂出中学校 ・・…・………… 143 1)基本的な考え方 2)小・中一貫した「総合的な学習の時間」の実践内容 3)分析と課題 第3節 「総合的な学習の時間」カリキュラム ・・…………・・…148. 1 「総合的な学習の時間」のテーマの設定 … ………148 1)地域性の崩壊 2)地域性の活用. 2地域学習のアプローチ ・・……………・・…・・… 151 1)地域そのものを学習するアプローチ 2)地域素材を活用するアプローチ. 3具体的なスコープの設定 ……・・…………・…・152 1)スキル的スコープ 2)地域を素材とするアプローチからのスコープ 第4節 「総合的な学習の時間」のカリキュラム開発 ・・………・158. 1移行期における実態 ……・…………・………・158 1) 「総合的な学習の時間」と選択教科の関係 2) 「総合的な学習の時間」の時間数. 2 「総合的な学習の時間」の学習テーマと課題 ・・……161 1)学年の学習テーマ 2)カリキュラム開発での課題. 終章・・………………・・………・……・…・・…・………164 参考文献 資 料 平成14年度 由良町立由良港中学校「学習意識調査」結果報告書 全日本中学校校長会編『中学校』576号 「総合的な学習の時間」等についての諸課題の実態調査結果(抜粋) 一4一.

(6) 序 章. 序 章. 小学校・中学校では、数次にわたる中央教育審議会の答申、それを受. けての教育課程審議会の答申に基づき、2年間の移行期間を経て本年4 月から新しい学習指導要領のもとで学習活動が展開されている。また、. 教育課程審議会答申「児童生徒の学習と教育課程の実施状況の評価のあ り方について」により学習指導要録の様式も改められ、評価方法も絶対 評価を加味した相対評価から目標に準拠した評価(いわゆる絶対評価). へと変更されることになった。子どもの実態、教育課程実施の状況、社 会の変化、地域の願いなどを踏まえつつ、完全週五日制の下で「ゆとり」. の中で創意工夫を生かした特色ある教育、学校づくりを推進し、地域社 会の中で生徒に「生きる力」を育成していく実践をどう構築していくか が、重要な課題であると考える。. 新学習指導要領の教育上. 今回改訂された学習指導要領は、学校週五日制完全実施、各教科の授 業時数の厳選、教育内容の精選、特色ある学校づくり、「総合的な学習 の時間」の新設、また中学校における選択教科の履修幅の拡大などが特 徴としてあげることができる。. このような特徴のある学習指導要領の基本的な教育学を整理しておく 必要がある。文部科学省は、「多くの知識を教え込む教育から自ら学び 考える力を育てる教育(自己教育力)」への転換を求めている。換言す ると、「教授中心教育観」から「主体的学習の教育観」への転換である。. この背景には、生涯学習社会への移行がその根拠になっていると考えら れる。先行き不透明な厳しい時代、変化の著しい社会に対応する社会人. 一1一.

(7) 序 章. の育成には、生涯にわたって学び続けていく力が必要となり、生涯学習 の基礎となる力の育成こそが学校教育の基礎となっていくのである。こ れに伴い、学習方法(学び方)も見直すことが必要となり、「体験的な 学習、問題解決的な学習」の重視へと繋がっていくのである。 子どもに学び方を教え、自主・自立の学び手に育てるということは、. 情報化の進展する現代社会においての教育改革の最重要課題となってい る。これまでのように知識を一方的に教え込むことになりがちであった 教育から「自ら学び、自ら考える」教育へと、「教育の基調」を転換す. ることの必要を力説した中央教育審議会答申(1996年置ならびに教育 課程審議会答申(1998年)に基づき今回改訂された新学習指導要領で は、新設された「総合的な学習の時間」を中心に「自ら学び、自ら考え. る」自主的な学び方を指導することの必要性を、第1章総則において述 べている。. このような教育改革の基本方針は、1984(昭和59)年に設置された 首相直属の臨時教育審…議会より審議され、1987(昭和62)年の「教育 改革に関する第4次答申」(最終答申)に端を発していると考えられる。 「生涯学習体系への移行を主軸とする教育体系の総合的再編成」が必要. となると述べた同答申は、「生涯にわたる人間形成の基礎培うために必 要な基礎的・基本的な内容の修得の徹底」とともに、「自らが主体的に 学ぶ意志・態度・能力等の自己教育力の育成を図る」ことが、初等中等 教育においては重要であるとしている。これを受けて文部省は、1989(平. 成元)年の学習指導要領の改訂で、「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体 的に対応できる能力の育成」を教育の基本目標に掲げ、さらに指導要録 の改訂に際しては、「これまでの知識や技能を重視した学力観を改め、. 自ら学ぶ意欲と思考力、判断力、表現力などの能力の伸長を重視する学 一2一.

(8) 序 引 力観」を「新学力観」と称して、その普及徹底を図ろうとしてきた。 「学び方」の転換を図るには. 詰め込み勉強を否定し、その解消を図るべきであるとする「学び方」 の転換の要求は、近年の教育改革で始まったことではない。明治の末・20. 世紀の初頭以来、表現や意味に多少の相違はあっても、教育界では何度 も繰り返し主張されてきた。. 「他律的教育から自律的教育へ」 「受動的教育から能動的教育へ」 「記憶力重視から思考・創造力重視の教育へ」. 「知識詰め込み教育から自ら学び自ら考える教育へ」. このような改革の主張は、大正自由教育の時代と第二次世界大戦後の 新教育の時代、そして、臨教審後の今回と三回目の盛りあがりである。. このように何度も繰り返し主張されながら、定着しないのはなぜであろ うか。「学び方」の転換が主張され、試みられた歴史を持つならば、ま ずはその歴史から教訓を学びとることが必要であると考える。 活動・体験を導入した学習 学習指導要領の総則において、各領域や総合的な学習の時間に作業的、. 体験的な学習、見学・調査、自然体験、ボランティアなどの社会体験、. ものづくり、生産活動、経験を通した問題解決的な学習の導入を配慮事 項としてあげている。活動、体験、経験を導入する教育方法の工夫によ り、受動的な知識中心の学習から、実感の伴った主体的探求、学習力の 育成に向かうことができると考える。. このような活動、体験、経験を導入した学習活動は、数年前からの実 践で展開され成果をあげている。代表的な例として兵庫県の中学校で実 施されている「トライやる・ウイーク(中学生体験活動週間)」の実践 一3一.

(9) 序 章 などをあげることができる。また移行期に於ける「総合的な学習の時間」. の実践では、地域に開かれた学校づくりの方向で、地域に足場を置き、. 環境、国際理解、情報、健康・福祉の教育に関連した内容のさまざまな 活動、体験、経験に基づくカリキュラムが開発されている。実践報告に よると、活動、体験、経験を導入した学習により生徒が学習に現実を感 じ、主体的に追求するようになった、という成果をあげている。. しかし、活動、体験、経験を導入した場合、学習の具体的な展開をど うするのか、身につけさせたい力はどのような力なのか、学習展開の中 の位置付けはどうなっているのかなど、何のための学習なのかが曖昧で 不明確な「3F(festival:祭り、 fashion:服装、 food:食物)」のような. 授業実践も多く見られる。. 戦後の教育改革で導入された経験主義の教育実践が「はい回る経験主 義」と椰楡され衰退したことを省みる必要がある。どのような意味を持 って活動、体験、経験を導入し、それを媒体に何を、どのように追求し ていくのか、ある程度の見通しを持った計画が教師には必要であり、固 定的でない柔軟な対応が要求される。. 小学校では、初等教育という児童の発達段階を考え、まず活動、体験、. 経験をさせておき、後の段階でそれぞれを学習に発展させるというよう な「体験目標」を設定し学習を展開することは有効であると考える。し かし、子どもの発達・成長を考えずに、そればかりでの展開では、「活 動・体験主義」に陥る。「活動・体験主義」とは、「活動・体験あって学. 習なし」の意味であり、活動、体験、経験は、学習の手段、媒体である ことを再認識する必要がある。活動、体験、経験に取り組むことを通し て、何が学習可能か、どのように展開するかを見通すこと、またそれを 通して子どもたちの意識に何が生まれるのかを洞察して、教師自身の見 一4一.

(10) 序 章 通しとのすり合わせて実践していくことが必要である。 中等教育においては、生徒が直面する問題を、学習者自身に解決させ、. その過程を通じて学習させるという問題解決学習が有効に働く。このよ うな「活動・体験主義」に陥らない実践を展開することにより、教科・. 学年基準よりレベルの高い学習も可能となり、教科・学年基準に固執し ない発展的な学習も現実のもとなってくるのである。 また、活動、体験、経験の活動を選択し実践する場合、子どもの家庭、. 地域での生活実態を分析し、家庭、地域、学校それぞれ固有に出来るこ とを見渡したうえでの連携が必要であり、活動、体験、経験を何でも学 校でやれば良いと言うことではない。学校学習固有の活動、体験、経験 による「学習の価値」と「発展性」を意識しておさえるべきであると考 える。. 学力低下の問題. 最近のマスコミ等での論調、一部の教育関係者、経済界から、今回の 学習指導要領で新設された「総合的な学習の時間」が、学力低下の元凶 であるかのような構図で展開されることが多く、不安の声が上がってい る。特に中学校の教師、保護者の間では、進路保障の観点から学力の低 下を危惧している実態がある。. 事実、「ゆとり」が「たるみ」となったり、子どもたちの自主性を強 調するあまり、基礎的な学習が軽視されたり、「総合的な学習の時間」. が学習の場でなく、表面的な調べ学習であったり、体験と発表を中心と する活動のみに終始し、前述した「活動・体験あって学びなし」の実態 が一部にあるのではないかと指摘されている。. このような実態に対して今回の学習指導要領の改訂の趣旨は、「ゆと りではなくやはり学力向上を目的としたものである」という解釈が広ま 一5一.

(11) 序 章. っている。文科省事務次官は、「新しい学習指導要領は、教育課程の編 成・実施における最低基準としての性格が一層明確になっている」とし、. 中学校においては、「選択教科の幅を拡大し、発展的な学習など生徒の 特性等に応じた学習を一層展開できるようにしている」と説明している。. (平成13年1月24日 都道府県教育長協議会配布「事務次官行政説明 メモ」)また、今年1月17日頃文科省は、「確かな学力の向上のための 2002アピール(学びのすすめ)」を発表し、各学校に「各学校段階の特 性や学校・地域の実態を踏まえ、新しい学習指導要領のねらいとする「確. かな学力」の向上に向けて、創意工夫を活かした取組を着実に進めてい ただきたいと思います。」としている。. 本研究の目的. 「ゆとり」をもって、子どもたちに「確かな学力」という一見矛盾す るような命題にこれからの学校教育は取り組まなければならない。教育 課程審議会の答申では、「これからの学校教育においては、これまでの 知識を一方的に教えこむことになりがちであった教育から、自ら学び自 ら考える教育へと、その基調の転換を図り、子どもたちの個性を生かし ながら、学び方や問題解決などの能力の育成を重視するとともに、実生 活との関連を図った体験的な学習や問題解決的な学習にじっくりとゆと りをもって取り組むことが重要である。」と述べ、学びの転換の要請が ある。. また、完全週五日制の下、学校、家庭、地域社会の教育のあり方や相 互の関わり方を見直していくなかで、「先行き不透明な、厳しい時代」. を生き抜いていく子どもたちに「確かな学力」「生きる力」を身につけ ていくことがこれまで以上に求められている。そのためには、教師がそ れぞれの立場で教育実践力を高めることが必要である。自ら学ぶ意欲を 一6一.

(12) 序 章. 持ち、社会の変化に主体的に対応し、自ら考え判断し行動し、これから の社会で生きていくために必要な資質や能力を身につけた子どもたちを 育成していくことが、今後の学校教育に求められるのである。. このように多くの課題がある現状から、家庭や地域社会と連携し子ど もを育成する学校に転換しなければならないと考える。本研究において は、学習意欲を喪失した生徒の意識の変革を促す視点から「総合的な学 習の時間」で身につけさせたい知識を明確にし、過去の優れた実践・理 論を手がかりとして、地域社会と連携し、活動・体験のみの表面的な学 習に陥ることのない価値ある学習内容を整理・体系化し、また、生涯学 習の基礎となる主体的な学習の方法と内容を学ぶ時間としての「総合的 な学習の時間」のスコープを設定し、カリキュラム開発の原理を明確に することを目的とする。. 一7一.

(13) 第1章 カリキュラム構成の原理. 第1章 カリキュラム構成の原理. 本章においては、ルネサンスの時代以来、中等教育を支配してきた古. 典的な型の訓練からの脱却を勧めた19世紀のイギリスの教育学者H.ス ペンサー(Herbert Spenceら1820−1903)の「教育論」、また、現代日本の. カリキュラム構成運動に最初の大きな推進力を与えた倉澤剛の著書等か ら、カリキュラム構成の原理を整理することを試みることにする。. 第1節スペンサーの「教育論」. H.スペンサーは、進化論の原理を全ての科学に適応し、総合哲学の建. 設を試みたことで有名である。教育もこの立場から論究し、実用主義的 教育思想を構築し、ヨーロッパ諸国やアメリカにおけるカリキュラム開 発に多くの影響を与えた。. 当時のイギリスはヴィクトリア女王の統治下にあって、世界にさきが けて産業革命に成功し、いわゆる大英帝国の繁栄を謳歌していた。スペ ンサーは、この産業革命と近代市民階級の思想を代表し、イギリスの自 由主義の思想を表している。 著書「Education;Intellectual,Moral,Physical,1860」第1章「如何なる知識. がもっとも価値があるか」においては、古典語偏重の伝統的な教育内容 の妥当性を疑い当時の学校教育を批判し、教育の目的を「完全な生活へ 人間を準備すること」と位置づけ、個人の自己保存を図るうえでの具体 的な生活活動の分析による有用な教育内容を決定し、編成し直すことを 主張している。. 一8一.

(14) 第喋章 カリキュラム構成の原理. また、第2章「知育論」においては、ペスタロッチの直観法を祖述し ながらも、教育方法を心理学的および発達的見地からとりあつかい、興 味に基づく学習活動が生涯にわたる主体的な学習につながることを、論 究している。. このようにスペンサーの主張する「興味に基づく教育の内容」は、こ れからのすべての学校教育活動を展開する場合の基本的な考えとして把 握しておく必要がある。本節では、「総合的な学習の時間」のカリキュ ラムを開発する場合のスコープを設定する観点から考察をおこなう。. 1知識の教育的価値決定の必要性. 当時のイギリスの教育は、知識の価値を比較し、確定的な結果を得る 方法論は未発達であり、知識の価値を比較する規準を意識していないだ けでなく、規準の必要性を感じていなかった実態がある。すなわち、あ る知識が教えるべき領域であるかどうかの判断規準は、どのようなこと. がらが最も学習する価値があるかを合理的な方法で決定するのではな く、習慣・嗜好・偏見のもとに行われ、知識の価値は検討された規準で はなく、経験的なやり方での価値の決定にすぎなかったのである。. 知識の教育的価値を決定するときに重要になるのは、知識の価値では なく、その知識の相対的な価値が何かということである。ある学習課程 で保証する特定の利益をあげることにより、その学習課程は正しいとと が証明されたと考えがちである。しかし、その利益が十分に価値を持つ ものであるかを、判定されなければならないことを意識していない。. どのようなことも熱心に学習すれば、どのような学科でもまったく価 値のないものはない。しかし、その学習に必要な労力と予想される利益 一9一.

(15) 第1章 カリキュラム構成の原理. が、釣り合いのとれるものであるかどうかを考えなければならないし、. 限られた学習時間しか所有していないことを常に意識しなければならな い。学習内容は、流行や気まぐれにより決定されるのではなく、学習成 果の価値を穣討・比較し決定することが賢明である。. 合理的なカリキュラムを編成する前に、どのようなことが価値ある学 習成果であるかということを、まず検討しなくてはならない。スペンサ ーは、ベーコンの言葉を借用して「あらゆる知識の相対的価値」’を決 定しなければならないということを主張している。. 2教育価値決定の規準. 古代ギリシア・ローマ、中世社会における教育価値のあるものとして、 文法、修辞学、論理学(弁証法)から成る「三学」、算術、幾何、音楽、. 天文学からなる「四科」の七学科をあげることができる。ギリシアにお ける学科の選択と設定は、人間が精神的存在として自由になるため最も よく諸能力を効果的に訓練し、しかも、市民生活に有用という観点から であり、「精神訓練」への意味が洞察されていた。「三学」は言語的学 科に関わり、アテネに代表される民主的社会の発展に重要なコミュニケ ーション、対話の能力訓練に効果のある本質的・基礎的学科と考えられ ていた。ギリシアの教育は、ローマに継承され、ギリシア文化を理想と したローマはその文化理解の手段としてギリシア語を加えている。2. 1H.スペンサー(岡本仁三郎訳)『教育論』玉川大学出版,1955年, p.16 2金丸晃二「第3章 教育の内容(教育課程と教科)」,天野正輝編著『教育の基礎理論』文化書房博文社,1987 年,P.67. −10一.

(16) 第1章 カリキュラム構成の原理. ルネサンス以降のヨーロッパ社会でも、古代文学がある意味で適切で 上品な表現の宝庫として学ばれ、特にラテン語が学問・法律の著述用語 であり、外国旅行や対外通信に、また、生活上においても必要であった。. しかし、16世紀になるとこのような理性的な生活への準備といった ような有用性ではなく、ギリシア語・ラテン語を修得し、詩をつくり立 派なラテン文体を修めるという挟詞で、あまり重要でない目的に移行し ていった。生活において必要なことは自国語が使われ、教会に関係する こと以外は、ラテン語を学ぶ動機がなくなり、古典学習の訓練的・教養. 的価値だけが残り、19世紀の中頃近くまでヨーロッパ諸国やアメリカ の中等教育と大学で支配的であった。3. イギリスにおいても例外ではなく、外見・装飾が実用・機能より優越 し、個人の幸福に役立つ知識は、他者からの賞賛をもたらす知識に対し て二の次にされてきた。ギリシャ語やラテン語が実用的でないことがわ かっていても、子どもたちにこれらの古典教育を受けさせる真の動機は、. その教育の基本的な価値からではなく、社会で恥をかかないための一定 の社会的地位を確保するためである。生活していくために必要な技術に 役立つ知識は、従属的なものであった。そこでは、個人は社会の支配下 に置かれ、価値判断の規準が社会的風習を規準として行われ、何が真に 価値があるかが問われる前に、社会から「どう見られるか」が問われる。. 教育においても知識の本質的な価値ではなく、知識が他人に与える外的 な価値が問題とされている。. 教育の目的を果たすためには、価値についての尺度が必要となる。そ の尺度を考える規準は「いかに生きるか」という我々にとっての本質的. 3EP.カバリー(川崎源訳)rカバリー教育史』大和書房,1985年, pp.200。201. −11一.

(17) 第1章 カリキュラム構成の原理. な価値であるとスペンサーは主張する。. どのように身体を扱うのか、どのように精神を扱うのか、どのように 仕事を処理するのか、どのように家族を養うのか、市民としてどのよう に振る舞うのか、人間の幸福のため自然が供給するあらゆる資源をどの ように利用するのか、我々自身および他人にとって最大の利益をもたら すように我々の全能力をどのように使うのか、換言すれば、「いかに完 全に生きるか」という問題を指摘している。これらのことは我々が学ぶ 必要のある重要なことであり、教育的活動により教えられなければなら ないことである。教育が果たすべき機能は、完全な生活へ我々を準備す ることであり、あれこれの知識が後の人生に有用であるとか、この知識 があの知識より実用価値があるとか、ただ考えるだけでは十分ではない。. むしろ、可能な限り最も我々が関心を払うのに値するかを積極的に知る ために知識の価値を評価する方法を見出すことの必要性をスペンサーは 主張している。. 3教育活動領域の「五領域論」. スペンサーは、人生を構成している主要な活動を、次の五つの教育活 動領域に序列化し、整理している。4. 第1は、直接自己保存に奉仕する諸活動. [保健・保全]. 第2は、生活に必要な物を確保することによって、間接に自己保存. 4前掲書『教育論』,p.19. 一12一.

(18) 第1章 カリキュラム構成の原理. に奉仕する諸活動. [生産分配・消費・交通通信]. 第3は、子孫の養育と躾を目的としている諸活動. [養育・教育]. 第4は、適正な社会的、政治的諸関係の維持に包括される諸活動 [交際・政治]. 第5は、生活の余暇を満たし、趣味と感情との満足に奉仕する多方 面の活動. [娯楽]. これらの活動は、それぞれ完全に分離独立している領域ではなく、相 互に深く絡み合っている。. スペンサーのあげた教育価値論は、社会進化論と功利主義的教育論に 立脚するものであり、これらを無条件に肯定することについては、批判 の余地がある。しかし、社会の発展を教育の普及に求めたこと、「娯楽」. の活動が持つ価値を評価した点は、生涯学習社会といわれる現在におい て注目すべき点があると考える。. しかし、スペンサーの主張する教育価値のある知識を見定める視点や や「五領域論」の考え方は、後述する「総合的な学習の時間」のカリキ ュラムを開発する場合に限らず、道徳・特別活動のカリキュラムを開発 する場合の基本的な課題領域設定の規準や具体的な領域として位置づけ ることができると考える。. 一13一.

(19) 第1章 力りキュラム構成の原理. 第2節 倉澤剛のカリキュラム観. 倉澤剛は、戦後日本の教育改革が展開される時期にカリキュラムに関 わる多くの著作を発表し、日本におけるカリキュラム開発に多くの示唆 を与えている。本節では、照照の著作からカリキュラムの基本概念を整 理することを試みる。. 1 カリキュラムとは定義. ラテン語の「走る」ことを意味するクレレ(currere)を語源とする「カ. リキュラム(curriculum)」には、およそ二つの意味があると倉澤は以下 のように指摘している。5. 第1は、「走路」ないし「走るコース」を意味から派生し、学習の一 定のコースすなわち、「コース・オブ・スタディ」を意味する場合、第 2は、「競争そのもの」から派生し、「学習そのもの」すなわち、「学習 内容」を意味する。. また、学習内容は、知識の体系からなるという考え方と経験の体系か らなるという考えがある。前者は、様々な知識を学ぶことが学習である と考えられ、後者は、意義ある経験を積み重ねることが学習であると考 えられる。このような学習内容の意味づけの相違から教科カリキュラム と経験カリキュラム大別している。「カリキュラム」を教科カリキュラ ムの立場からは、「学校の指導のもとに、生徒の学ぶ一切の教科と教材」. と定義され、経験カリキュラムの立場からは、「学校の指導のもとに、. 5倉澤剛『近代カリキュラム』誠文堂新光社,1948年,pp1−2. −14..

(20) 第1章 カリキュラム構成の原理. 生徒によって行われる一切の経験と活動」と定義づけられるとしている。. 倉澤は、以上のように著書において論述し、カリキュラムとは、「学 校の指導のもとに、生徒によって学習される一切の知識や技能、又は生. 徒によって行われる一切の経験や活動であって、一定の順序に排列され た教育内容の計画をいう」と定義している。6. 2 カリキュラムの設計. 倉澤は、「作られたカリキュラムを、胸にえがいた成長の理念と、た えず対比することであり、子供の眼前の行動に照らして、心のうちなる. 教育の理念を、たえず再構成することである。」7と述べ、カリキュラ ムと成長観に対して、たえず自己批判を加えることを主張している。こ のような自己批判の基準は、一言で換言すると、「有機的な統一である」. としている。また、教育の設計で考えると「カリキュラムのあいだに重. 要な関係を見通しているか」「カリキュラムの各部がほんとうの統一を なすように綜合しているか」「カリキュラムの各部はそれぞれ適当にお かれているか」「カリキュラムの各部は欠くことができないものか」「カ. リキュラムの各部は、すべて全体の教育に役立っているか」の視点であ. る8。これらのカリキュラムの各部は、どんな役割をにない、どんな機 能に役立つか、これが設計の中心要素である、としている。. 6前掲書,p.3. 7倉澤剛『カリキュラム構成』誠文堂新光社,1949年,p.6 8前掲書,P.6. .15一.

(21) 第1章カリキュラム構成の原理. 3 設計されたものと設計そのもの. 倉澤は、すでに「設計」(デザインDesign)されたものと、「設計す ること」(デザイニングDesigning)とを区別する必要があることを主張 している。’. デザインは、すでにできあがった作品を指し、設計する過程における ある固定した瞬間である。デザイニングは、− lがある欲求を持ち、これ. を満足させるために材料を活用する不断の過程であり、たえず動いてい る経験の流れを選択し、意欲し、計画し、組織し、指向する過程である。 デザイニングは、次の要素持っている。 (1)まず自分で欲求や目的を正しく選ぶ。. (2)これから達成するのに必要な要素をつきとめる。 (3)これまでの経験によって、この場合に用いうる材料を選ぶ。 (4)これをたえず、よりよい排列に組みたてる。. このようなデザイニングは当事者でなければ、決してよい結果を生む ことはできない。カリキュラムは、教育の対象者としての子どもの生活. のデザイニングであるから、教職員と子どもが、ある欲求を持ち、これ を満足させるため、必要な材料を選択し、排列するべきであるとしてい る。. 戦前のカリキュラムは、中央政府の役人が設計し、地方の教育当局 と教職員が請け負い、そして生徒が、命じられるがままに従ってきた。. 地方の教育当局や教職員は、中央政府の役人と接触により全体の過程を 見通すことができる。しかし、教育を受ける側の生徒は、カリキュラム. 9前掲書,P.7. 一16一.

(22) 第1章 カリキュラム構成の原理. の全体構造を知らされることはない。擦らしむべし、知らしむべからず。. ただ命じられるがままに学習するだけである。このようなカリキュラム では、中央政府の役人にとっては、生きたデザイニングではあるが、教 師と生徒にとって、死んだデザインであり、生きたデザイニングにはな りえない。10ほんとうのカリキュラムは、自ら欲求を持ち、これを満足 させるために、材料を選択し、組織するという、生きたデザイニングで ならないとすれば、カリキュラムは、教師と生徒が協力して構成し、展 開しなければならない。. 4 カリキュラムの設計時期’1. 倉澤は、カリキュラムの設計の時期について、以下のように指摘して いる。. カリキュラムが教師と生徒の切り結ぶところに、はじめて展開される ものだとすれば、カリキュラムは、学習の場で構成される。教師と生徒 が、ある欲求または目的を持ち、これに基づき、教材や活動を選択し、. 統一することにより、生きたカリキュラムが展開される。このような生 きたデザイニングが真のカリキュラムであるとするなら、事前に決めて しまうべきではない。子どもの欲求の動きを鋭く見極め、他方社会の要. 求を明確に感じ分け、その場で最も適切なカリキュラム、すなわち、最 も意義ある経験や活動を盛りあげるためのカリキュラムを生みだすべき である。. 10前掲書,p.8 11前掲書,pp.9−10. 一17一.

(23) 第1章 カリキュラム構成の原理. しかし、学習のその場しのぎで構成されるカリキュラムは、計画的な 教育計画にはなり得ない。年間のおよそのカリキュラム、小学校であれ. ば6年間、中学校であれば3年間の学習プログラムをあらかじめ計画し なければならない。学期を通しておよそどのようなカリキュラムを配置 するかという学校カリキュラム計画や、各学年の年間のおよそのカリキ. ュラムを示した学年カリキュラムをあらかじめ構成しなくてはならな い。これらの事前計画は、変更不可能なものとして決定されるのではな く、教師が生徒と切り結んでいく場合の背景である。その場その場の生 きたカリキュラムを抑えるのではなく、軌道に乗せ、意義あるものにす るため位置づける必要を説いている。. 一部の極端な進歩主義者は、一切の事前に計画されたものは、固定し た押しつけのカリキュラムになると否定している。また、一部の極端な 保守主義者は、全てを事前に計画し、厳重に施行しようとする。. 倉澤は、年間の事前計画も必要であるが、柔軟性のないカリキュラム は画一的な押しつけになると警告している。. カリキュラムを改善していくには、学校の実態に即しながら継続的に すすめられなければならない。学校が社会の要求に応え、生徒の要求に 応える責任がある。この責任が存在する限り、学校は絶えずカリキュラ ムの改善に取り組まなければならない。個々の教師が、常に新しい学習 の教材を活用し、新しい学習方法を工夫し、授業を効果的に展開する方 法を考えているならば、教師はカリキュラム改善に努めているといえる。. 国の将来を考え、常に変化する多様な生活環境のなかで、問題を正しく. 解決できるよう努力する人間を育てようとするならば、個人・集団とし て絶えずよりよい経験を子どもたちに体験できるよう、常にカリキュラ ムの改善に努力する必要があるとしている。. .18一.

(24) 第1章カリキュラム構成の原理. 第3節 カリキュラムの構成. 1 カリキュラムと教育課程. 学校教育の場で多用される「カリキュラム」と「教育課程」は、原語 と邦訳のとの関係であり、ほとんど同意語として使用されてきた。. しかし、1974年に開催された「カリキュラム開発に関する国際セミ ナー」以降、「カリキュラム」には「教育課程」という用語では表すこ とのできない、より広い意味が含まれて使用されるようになった。本論 では、「カリキュラム」と「教育課程」を区別して使用するため、それ ぞれの定義を明確にする。. 「教育課程」という用語には、教える側からの計画、つまり学習指導 要領や教科書に依拠した教師の意図的な学習活動や学校教育の目的や目 標を達成するための計画的な教育内容を指し、「学校教育の目標を達成 するために、文化的諸領域から選択した内容を、児童生徒の心身の発達 に応じて、授業時数との関連において組織・配列された学校の教育内容 の全体計画である。」と天野は定義づけている。12. このような顕在的な教育計画を意味する「教育課程」に対して、「カ リキュラム」には、「かくれたカリキュラム」とか「潜在的カリキュラ ム」といわれるような非計画的で無意図的な教育内容や、子どもの側か らみた結果として学びの履歴や総体を強調する場合に使用され、教授・ 学習活動や評価活動なども包含される傾向が一般化している。. 天野は、排他的で厳しい入学試験競争や、権力をもった教師を中心に. 12天野正輝『教育課程の理論と実践』樹村房,1993年,p.5. −19一.

(25) 第1章 カリキュラム構成の原理. 展開される教室で学習活動等、潜在的なものが人格形成にマイナス的に 作用している側面を認めながらも、「学習は『顕在カリキュラム』と『潜 在カリキュラム』が整合・補完の関係にある時に最も強力に遂行され、. 生徒の態度や価値観は、この時もっとも効果的に形成される。したがっ て、今後のカリキュラム研究においては潜在カリキュラムの分析によっ て明らかにされたものを、いかにして顕在カリキュラムの中に組み込む かという点に課題がある」と指摘している。13生徒の主体的な学習活動 が期待される「総合的な学習の時間」のカリキュラムを開発する場合「潜 在的なカリキュラム」を意識する必要がある。. 2 カリキュラムの分類. カリキュラムを構成する場合の課題を考えると、子どもたちが人間的 な成長・発達を教師が支援する時、学校教育がどのような役割を果たす べきかを整理することが必要である。具体的には、学校では、学習指導 要領に示された基礎・基本の学習内容をいかにして身につけさせるか、. また、生涯学習社会という新しい状況のなかで、個人の将来的な発達を 見通した「生きる力」をどう身につけさせるかということである。. 倉澤はこのような点を意識し、カリキュラムを構成する場合の統一性 と方向性をもたせる要素は、第1に「社会観ないし社会理想観」、近代 教育は、単なる社会生活をめざすのではなく、民主主義社会をめざすの. であるから、民主主義社会をとは何であるかを突きつめて考えなければ. 13前掲書,pp.10−11. 一20一.

(26) 第1章 カリキュラム構成の原理. ならない。第2に「児童観ないし人間観」、学習者である子どもたちの 欲求を手かがりとして、確かな成長を促すためには、子どもたちそのも. のを知らなければならない。第3に「学習観ないし成長観」である、学 習とはどのような過程か、望ましい学習とはどのようなものであるかを、 考えなければならない、’4としている。. このような観点からカリキュラムを構成する場合のそれぞれの類型に ついてホプキンスの分類について検討を行う。15. まず、教科カリキュラムであるが、これは、学問の体系を重んじて、. それぞれ独立した教科で編成するカリキュラムで、アカデミック・カリ キュラムともいわれる。これは、よく組織化され、体系化され、単純化 されている。したがって、子どもは知識・技能を組織的、系統的に学習 することができる。しかし、これはややもすれば、生活や経験から離れ、. 抽象化されているため、難しく、学習意欲をひきおこさなくなり、学校 の学習は、暗記中心になり、社会生活に適応する十分な力を与えないと いった欠点が指摘された。. そこで、他方において経験カリキュラムが提唱されるようになった。 これは、子どもの日常の生活や経験、活動を活用し、そのなかの興味、. 関心、欲求に従ってカリキュラムの内容を選定し、それから全体のカリ キュラムを構成しようと考える。この立場は、「なすことによる学習」. という学習の原理にもあい、単に記憶するのみでなく、自発的活動を含 んでいて、固定した教科カリキュラムの弊害を救うのに役立つと考えら れた。しかし、これは、形式を排斥するあまり、ややもすれば、統一が 失われ、単純化、体系化に失敗していると批判された。 14前掲書『カリキュラム構成』,p.42. 15LT.ホプキンス他著(勝田守一・白根孝之共訳)rインテグレーション』櫻井書店,1950年, pp,199−269. −21一.

(27) 第1章カリキュラム構成の原理. そこで、カリキュラムの構成では、生活場面を尊重しながら、それを 体系化し、単純化することが求められる。その構成は、学年の進むにし たがって、すなわち心身の発達にしたがって、経験カリキュラムを体系 化し、単純化し、抽象的な関係性を重んじ、教科カリキュラムの長所を 生かして、生活環境を学問的に体系化する。つまり、両者の長所をとっ て相互補完的にカリキュラムを構成することになる。. このように、教科カリキュラムと経験カリキュラムの長所・短所が理 解され、両者は相互補完的に利用されるべきことが主張された。ホプキ ンズは、この両者をカリキュラム形態の両極にすえ、その中間に多様な カリキュラムを配置して教科型、経験型の統一・を試みている。この試み により、各々のカリキュラムの特徴を整理・理解することができる。. 導管は、ホプキンスの考えに基づき教科カリキュラムと経験カリキ ュラムを両端に対峙させ、表1にまとめている。. 表1カリキュラムの型’6 経験中心カリユラム 翌 串 劣 二 言 ム. ⑥ 経 (_験 下生力 二二リ カカキ リリユ キキラ ユユム ララ ムム. ). ). ⑤. ④. コ (ア. 広 努. 合カ. 呈. 統・. カリ リキ. ;. ユラ. 交. キユ ラム. ど. 経 験 翌. 教科中心カリユラム ③ 一塩 記す. ㌍ 重玄. 粛 型. ② 関 _連 融_ 三相 力関. り) キカ ユリ. ラキ ムユ フ ム. ① 教 _科. 大 人. 科リ. 心. カキ. カ. 分力. 中. リュ キラ ユム. キ. う. … フ. ど. ム. リ. ②の関連カリキュラムは、それぞれ独立した教科を認め、それを基礎. にするが、必要に応じて2個以上の教科を関連させて教授しようとする. 16倉澤剛,前掲書『カリキュラム構成』,p.88から改編. 一22一.

(28) 第1章 カリキュラム構成の原理. カリキュラムである。相関あるいは融合カリキュラムともいわれる。各 教科の枠はそのままにして教科問の内容の関連を図ろうとする。関連の つけ方には、. (1)単に便宜上結合したにすぎないもの、 (2)同一分野の教科を結合したもの、. (3)同一分野の教科が融合するように結合したもの、. など程度の違いがみられる。例えば、「国語と歴史」、「理科と算数」と. いった異なる教科の教材を関連させるもの、「歴史、地理、公民」を統 合して社会科とするもの」などは、それらの例である。 ③の広域カリキュラム(教科型)は、教科の枠をはずして広い領域から. 教育内容を号して総合的に学習させようとするものである。総合カリキ ュラムともいわれる。「歴史、地理、公民、経済、社会学など」を統合 した社会科学は、その一例である。これにも、教科カリキュラムの痕跡 を残しながら広い学習領域を枠として教育内容を編成するもの、完全に. 新しい分野を構成しているもの、などその総合の程度には違いがみられ る。. ④の広域カリキュラム(経験型)は、経験の中で何を中心とするかより. も、経験の範囲を広くとり、それをまとめて単元としたカリキュラムで ある。それを秩序立て、体系化すると、教科型の広域カリキュラムとな る。そこで、両者を合わせたものを広域カリキュラムと呼ぶこともある。. ⑤のコア・カリキュラムは、生活経験を中心に中核課程と周辺課程で 構成するカリキュラムである。前者は、すべての子どもが共通に要求さ れる基礎的経験の組織であり、後者は、各個人の要求に応えうる経験:や 活動を含んだ組織である。子どもの現実の社会生活から単元を取り上げ、. これを発達に応じて順序立てる。この単元は、経験単元といわれる。活 一23一.

(29) 第1章カリキュラム横成の原理. 動を中心とするので、活動単元ともいわれる。. これにも、いろいろの型があるが、子どもの生活上の問題を学習単元 とする中核課程とし、これと関連をもった算数、国語などの体系的知識、. 技能からなる用具教科と音楽、図画工作などの表現教科とを周辺課程と する型もある。. このようにカリキュラムの性格・特徴を整理して考えると、中学校に おける「総合的な学習の時間」は、経験を生かしながら学習活動を展開 していくことを勘案すると、③の広域カリキュラム(教科型)に位置づけ. ることが妥当であると考える。教科の領域が拡大され、従来の教科等で は指導しにくい新しい教育課題への対応として、生徒の生活の周辺から 教科の枠を取り外した多様な学習活動を展開していくことができると考 える。. .24一.

(30) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. 第1節大正新教育運動 1新教育運動の時代背景. 日本の教育制度は、「教育勅語」明治23年(1890)の発布と新小学校 令の制定により始まり、その土台は完成されたといわれる。民衆の近代 化要求が成熟するのをまたずに、中央集権の絶対主義的な国家権力が「上. から」学校を作りあげ、富国強兵政策を担う「臣民」的人間像の形成を 図ろうとするものであった。換言すると、日本国民を天皇の「臣民」に 教育することであった。17. しかし、天皇制「臣民教育」の歴史的展開過程は、単純な発展をたど ったのではなかった。主として大正期において、それまでの「臣民教育」. が特徴とした画一主義的な注入教授、権力的なとりしまり主義を特徴と する訓練に対して、子どもの自発性・個性を尊重しようとした自由主義 的な教育が展開された。. この時期が国際的にも国内においても、民主主義の高揚期であったこ ととあわせみることが必要である。第一次世界大戦中にロシアで勃発し た史上初の社会主義革命、大戦後のドイツでの革命など、世界が大きく 変革した。日本においては、大戦中の日本資本主義経済の発展に伴い中 間市民層の生活が相対的に安定した社会から、大戦後の経済恐慌に伴う. 不安定な生活への凋落が民衆の力となり、明治期の自由民権運動に次ぐ. 17中野光『大正自由教育の研究』黎明書房,1968年,p,9. −25一.

(31) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. 政治的要求運動の高まった。所謂「大正デモクラシー」の時期である。. 大正新教育運動は、このような民主主義高揚期の潮流の中にあらわれた 教育改造の顕著な動向であるといえる。. 2新教育運動の実践. 大正新教育運動の理論は、東京高等師範学校附属小学校訓導であった 樋口勘次郎によって先鞭つけられる。樋口勘次郎は、当時支配的であっ たヘルバルト派の教育理論に異を唱え、子どもの発達は彼らの自己活動 によってこそ可能であるとの立場から「統合主義教授法」を提唱し、1899 (明治32)年に『統合主義新教授法』(同文館)を刊行した。その後、. 谷本富がヨーロッパの「新教育」の動向を紹介し、1906(明治39)年 には『新教育講義』(六八館)を刊行した。. このようにしてはじまった新教育運動は、大きく三つの形態に分類す ることができる。. 第一は、実験学校的性格を併せ持つ各地の師範学校附属小学校等の公 立学校における実践である。千葉師範附属小学校の手塚岸衛、明石師範 附属小学校の及川平治、奈良女子高等師範学校附属小学校の木下竹次、. また、ダルトン・プランをいち早く導入した吉田惟孝の熊本第一高等女 学校等をあげることができる。. 第二は、澤柳政太郎の成城小学校、赤井米吉の明星学園、小原囹芳の 玉川学園等の私立学校設立による自由教育の実現運動である。. 第三は、学校教育ではなく民間教育運動としての展開である。児童文 学の芸術改革運動の分野では、夏目漱石門下の逸材といわれた鈴木三重 一26一. 』.

(32) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. 吉は、雑誌『赤い鳥』の創刊、また、児童の欲求にもとつく表現を重視 した作文指導へと綴方教育発展させた。絵画の分野では、ソビエトから 帰国した画家、山本鼎が主張する自由画教育による美術教育改革運動を あげることができる。山本は、自由闊達な表現力が潜在している子ども たちを当時の図画教育の不自由さから子どもの表現活動を解放しようと し、各地で児童画展を開催するなど活発な運動を展開した。. ・大正新教育運動の主な実践者と実践校 及川平治. 兵庫県明石女子師範学校附属小学校. 手塚岸衛. 千葉県師範学校附属小学校. 木下竹次. 奈良女子高等師範学校附属小学校. 澤柳政太郎. 成城小学校. 赤井米吉. 明星学園. 小原囲芳. 玉川学園. 羽仁もと子. 自由学園. 西村伊作. 文化学院. 野口援太郎 野村芳兵衛. 池袋児童の村小学校. 桜井祐男. 芦屋児童の村小学校. 上田庄三郎. 雲雀ヶ岡小学校. このように、新教育運動の気運が高まる中、雑誌「教育学術界」(主. 幹尼子止水)の主催で1921(大正10)年8月1日から8日間の日程で、 東京高等師範学校講堂で講演会「八大教育主張大会」が開催された。こ. の講演会に登壇した8名の教育家・教育実践家の講演内容をまとめ出版. 一27一.

(33) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. されたものがr八大教育主張』である。この講演内容からも、また、参 加者の多さからも当時の教育改造をめざす様々な動きが、実践を伴う理 論として大きな潮流となったことを知ることができる。. 動的教育部. 及川平治. 文芸教育論. 片山 伸. 創造教育論. 稲毛金七. 一切衝動脹満理論 千葉命吉. 自学教育論. 樋口長市. 自動教育論. 河野清丸. 自由教育論. 手塚岸衛. 全人教育論. 小原國芳. 3新教育運動の特質. 大正新教育運動の方法的特質は、子どもの興味・関心、活動性、経験、. 生活を重視し、一斉指導から個別指導へ、教師中心から児童中心へ、と いった傾向に見いだすことができる。そこには、画一注入主義の教育に 対する批判は確かに鋭いものがあったが、そういう現象を生み出す、歴 史・社会的条件について科学的認識は弱かった。概して絶対的拘束性を もつ教則や国定教科書を前提にした指導方法の改良というレベルの実践 であった。児童中心主義といっても、教育勅語を根幹とする人間像やそ のための教育内容と矛盾しない限りのものであった。そのために、大正 の末期以降世界的不況が社会全体をおおい、体制危機が進行するにつれ て、自学主義や自発性や個人尊重を特徴とする自由教育は、徐々に姿を 消すか変質してしまっている。18. しかし、大正新教育運動の児童中心主義の思想や理論は、後の地理学. 18天野正輝『教育方法の探求』晃洋書房,1995年,p.258. 。28一.

(34) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. 的な郷土教育や生活綴り方教育など異なった分野で影響を与えることに なり、また、現在の子どもを権利主体として位置づけていこうとする今 日的な実践の先行事例となると考える。. 4新教育運動の実践家. 1)及川平治の主張. 「八大教育主張大会」の最初に登壇した「及川平治」は、宮城県に生 まれ、宮城師範を卒業帯同付属小訓導及び東京の小学校教員を経て兵庫 県明石女子師範附属小学校の主事となる。そこで『分團式動的教育法』 (大正元年)『分團式各科動的教育法』(大正4年)『動的教育論』(大. 正12年)などを著わし、1936年以降は、故郷宮城県仙台市教育研究所 所長を務め、広く教育界に指導的役割を果した。. 及川は、子どもの現状としての生活経験を基盤にし、自主的自律的な 活動を促す過程で知識や技能を収得し、人格を発展させていく、という 「経験主義」の立場から実践を展開した。19. また、子どもは、生活の中から自らの興味や欲求を発展させていく存在 であると主張し、児童中心主義の必然から、カリキュラムや教育方法は、. 個性的存在である子どもに合わせて再編・構築されていくべきであると 主張した。及川の提唱する「分團式」の学習法は、ヘルバルト派の画一 的形式主義の教育に固執することなく、個別教授と一斉教授を調和させ る学習法を構想し、集団教育を余儀なくされていた当時の学校教育の中. 19中野光『大正自由教育の研究』黎明書房,1998年,p。117. −29一.

(35) 第2章主体的な学習と個別学習の変遷. で、いかにして一人ひとりの子どもの個性を生かしていく教育実践を展 開するかという、現在と共通する課題意識の中で考案されたものである。. 及川は、『分壁式動的教育法』の序論において、動的教育法は、教育 の動的(機能的)見地にたち、教育の対象者である子ども実態を直視し、. 学習方法を教えることに重点を置き、子ども中心の教育方法を確立する ことを「三大主張」として提起している。20. また、及川の動的教育法の根幹は、教材観であると言える。経験に基 づいた教材と子ども中心の教育法の統一が、教育の原点であると考え、. その実例として前述した八大教育主張大会講演会で「蜻蛉」の実例を挙 げている。21. 及川の主張する「為さしむることによりて陶冶する」ことは、デュー イの“learning by doing”の訳である。及川の主張は、デューイの学習. 原理を根底とし、進歩的教育の流れをくんだものである。. 及川の著書に「分團」という用語が使われているが、これは個性や能 力に応じて適宜編成するグループの意味である。『分團式動的教育法』. の「三大主張」にも述べられているが、児童の能力に即応して一人ひと りを生かす教育として、今日的な学校の課題に関わることであると考え る。これも、「新しい学力観」、「個に応じた教育」を主張する現在の教 育方法に多くの示唆を与えてくれる主張であると考える。. 2)樋口長市の主張 「八大教育主張大会」で「自学教育論」の演題で登壇した樋口長市は、. 『自学主義の教育法』(大正八年六月、金港転読)を著した。隠逸の例 20及川平治『分團式動的教育法』弘學館書店,1912年,p.1 21小原國芳他『八大教育主張』玉川大学出版部,1976年,pp.16−17. −30一.

(36) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. 言によると、「この書は現代教育誌上に、自学主義の教育と題して二箇 年余にわたって連載した文篇を蒐めたものである。」という。樋口長市 はこの書の執筆を終えた後、ニカ年の欧米留学を経てまもなく、この講 演に臨んでいる。『自学主義の教育法』によると、当時の教育改革の始 まりは、「意志教育の声の高まったのは、明治三十八九年の頃であった。」 と述べている。. 樋口長市の主張する自学主義の特質は、次の三点を指摘である。22. (1)従来からの教育が知識万能主義であったのに対して、児童内 的な諸能力を発揮させようとする教育である。. (2)教授法万能主義に対して、児童の学習法を研究し、自主的学 習を重んずる教育である。. (3)在来の心理学の主知説に対して、児童の意志の発動を待って 心意の発達を促す主意説に立脚するものである。. 自学は、自主的学習、欝憤的学習、自発的学習、また自動的学習でも あるとしている。しかも児童が自動的に学習する根拠は、児童の学習本 能であり、学習衝動であるとし、好奇心、模倣心、遊戯本能、とくに作 業本能など、自然の学習本能の礎石の上に、児童が自ら学習する力があ るといえる。. 樋口の主張する自学教育論の考え方は、明治末期の頃より谷本富の自 学輔導主義と同様であり、方法論的には、谷本や樋口幹次郎の考え方を 継承していると言える。. 22尼子止水『八大教育批判』モナス,1923年,pp.99−103. −31一.

(37) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. 5大正新教育における合科・総合教育. 前述したように、大正新教育運動は、子どもたちを単純に被教育者と して位置づけるのではなく、学習主体、活動主体、そして生活主体とし て位置づけ、児童中心の教育活動を展開したところに、その特色を見出 すことができる。また、その教材としては、児童たちの過ごしている日 々の生活から、合科的に学習題材を開発することが効果的であるとされ た。ここでは、木下竹次の展開した合科学習と及川平治の主張する生活 単元を中心とする教育について考察する。. 1)奈良女子高等師範学校附属小学校の合科学習. 木下竹次は、大正デモクラシーの社会的背景のなかで、教師中心の伝 統的な他律的教育を排除し、子どもたちの自覚と自制を促す自律的学習 は、他律的学習より有効であるとし、その実践に取り組んだ。木下にと っての学習は、「学習者が生活から出発し生活によって生活の向上を図 るものである。学習は、自己の発展とそれ自身を目的とする。」23とし て生活を学習の基盤に位置づけることを主張した。また、分科学習を一 応認めながらも「人間生活を躍りに分類的に構成的に取扱うては、複雑 微妙な人生の向上を図り文化の創造を進めて行くことは困難である。」24. として、分科学習による生活の分断を否定した。合科学習を実施すると 「事物を多方面から観察し工夫するから学習者の将来の生活に於て絵り 一方に偏することを防ぐことが出来る。」%として、「生活単元」を学習. 23木下竹次『学習原論』目黒書店,1923年,自序p.1 24前掲書『学習原論』,pp.275−276. 25前掲書『学習原論』,p.276. 一32一.

(38) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. 素材とする「合科学習」を主張した。そのため、生活単元による大、中、 小の三種類の合科学習を実践した。. 木下は、合科の程度・時期については、厳密には定めることは出来な いとしている。しかし、「全科的合科学習は学習者の生活が分化不十分 であって尚単純な時に生活に即した学習をする為に必要である。その生 活が複雑になるとこの学習が不必要になり不都合になるから漸次分科学 習に移って宜しい。」%と述べ、低学年での合科学習から高学年への分 科学習へと、発達段階に応じて移行していくことを提起している。. 具体的には、叩合科学習、中合科学習、小合科学習へと、合科の程度 が小さくなっていく。. 大合科学習は、1・2年頃の低学年での学習であり、子どもたちが「自 ら学習内容を定めるべく、生命が全一的に進展するように、人生の具体 的な事実に何等限界を置かぬ」学習をさせるというものである。そして、. 低学年児童に次の8項目の生活の実現を期待している。 (1)具体全一の発展的生活. (2)自ら生活内容を定めての独創自発の生活 (3)児童各自の能力を遺憾なく発展させる生活 (4)社会的に自律協同する生活 (5)十分に生活に興味をもってする生活 (6)家庭生活の如き親しみのある生活 (7)身体を十分に発展させる生活 (8)十分に学習態度をつくり上げていく生活. 26前掲書『学習原論』,p.277. 一33一.

(39) 第2章 主体的な学習と個別学習の変遷. そして、何よりも子どもたちの学習意欲を萎縮させてはならないこと を強調している。. 中合科学習は、3・4年生の中学年の学習であり、「各部において順 序に生活単位を定めるときだから、研究、談話、遊戯、作業の四つに区 分した学習」をさせることになる。. 小合科学習は、5・6年生の高学年の学習であり、「人生を今日の各 教科位に区分して学習」させるというものである。27換言すれば、教科 単位の学習を生活主義に立って行うものであった。. したがって、木下の合科学習は、未分化な低学年にのみ適応するもの ではなく、凡そ生涯を通じるものである。28また、これらの合科学習の 展開は、独自学習と共同(相互)学習の組み合わせであった。このよう な合科の学習は、当時にあっては画期的なものである。また、学習課題 を児童生徒の生活の周辺に求める「総合的な学習の時間」のシークェン スを設定する場合に多くの示唆を与えているといえる。. 2)及川平治の総合教育 学校での教科構成は、大人の経験:で分類された分科学習では、「児童. の世界を断片的にしてしまふ」29とし、子どもたちの生活実態から遊離 し、感情欲求に触れることのない断片的な題材を教材として学んでいる 実態を指摘している。断片的な題材は、社会生活に関係があろうとも生 活題材としては不完全なものである。また、教材と子どもの関係は、「児. 童の生活は総体的全体的である。数多のものを総体として見、物の乙部. 27長岡文雄『学習法の源流一木下竹次の学校経営』黎明書房,1984年,pp.61−62. 28長岡文雄『合科教育の開拓』黎明書房,1978年,p431 29及川平治『分團式各科動的教育法』弘學館書店,1915年,p.166. −34一.

参照

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