第3章 地域に根ざした思想とカリキュラム論
第3節 地域教育計画
1地域教育計画とは
戦後の学習指導要領のもと、学校現場では自主的にカリキュラムをつ くる運動が展開されてきた。このカリキュラム運動のなかに地域教育計 画という試みがある。これは、コミュニティー・スクール論を背景にし て、地域の生活・文化・政治・経済など直面する課題にもとつくカリキ ュラム編成を構想し、それへの住民参加や住民自身による地域の改造を めざそうとしたものである。 5代表的なものとして、埼玉県川口市の「川
ロプラン」、広島県本郷町の「本郷プラン」、兵庫県魚崎町の「魚崎プ ラン」などがある。
川口市の地域教育計画の特徴は、社会科をコアとするカリキュラム開 発のための地域教育計画という視点であり、一方「本郷プラン」の特徴 は、地域社会改造を大きな目標の一つにおきその中で学校の果たす役割 は何かという視点から計画づくりをしたところにある。
これらのカリキュラム編成の共通の原理は、
(1)教育内容の編成はその地域社会の生活を基盤としてなされるべ きこと。
(2)その構成の主体はその土地すべての人々にあること。
(3)計画立案は調査をもとにした客観性をもったものであること。
の3点をあげることができる。これらの理論的背景には、阿部重孝や
95稲葉宏雄編『教育課程』協同出版,1993年,p.242
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海後宗臣を中心とする戦前からの教育学研究の蓄積があった。
ここではより地域社会との関連が深いと考えられる「川ロプラン」、
「本郷プラン」について考察する。
2川ロプラン
1946(昭和21)年、川口市社会科委員会は、地域社会の改善をめざ す「社会科学習計画」を編成するため、川口市の社会調査を実施した。
いわゆる「川ロプラン」の作成に着手したのである。本調査は、海後宗 臣を代表として、飯島篤信、海後勝雄、倉澤剛、矢口新等中央研究所の 関係者、地元の梅根悟(当時、川口市助役)が参加した。実際の調査は、
川口市の小・中学校の教員、児童・生徒まで協力する大がかりな組織的 展開となった。
プラン作成の目的は、地域の生活現実に根ざす課題を解決し。社会生 活の発展に寄与しようとする実践者の育成のため社会科カリキュラムを 構成することであった。96
生活基盤を分析する方法としては、社会機能法が採用された。生産・
消費・交通・通信等の社会的機能を視点にして、全市域にわたる調査を 実施した。その結果は、公共施設、交通通信関係、農・工・商関係等、6300 もの事項を11の社会構成体にあげた。これらの調査結果から、川口市 は、中心部の工業地域と、周辺の農業地域に大別され、社会科教育計画
も地域別の2種類が作成された。学習課題も「文化産業都市の建設」「生
96馬場四郎『現代教育と地域社会』誠文堂新光社,1961年,p,231
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産の高度化」をめざす確認され、工業・農業地帯別に社会科の課題表を 作成し、それに基づき、各学年の社会科指導計画が構成された。
1年以上の時間をかけ、調査結果の分析にもとプランは作成されたが、
その授業への展開と全市にわたるカリキュラム運営が大きな問題とな り、1950(昭和23)年の秋に東京文理科大学教育研究室が実施したr川 ロプラン実施状況調査」の結果によると、必ずしも実践へと定着してい ないことがあきらかとなった。97
川ロプランは、社会科教育のカリキュラム開発としての観点からは、
評価されている。しかし、地域住民の教育参加としての観点からは、問 題や欠陥が指摘されている。
3本郷プラン 8
本郷プランは大田尭が中心となり、1947年から1950年頃までの地域 実態調査にもとづき作成されたプランである。このプランの背景には、
大田のデューイへの関心、また、アメリカのコミュニティー・スクール に注目があったことが、後に記されている。囎
大田の研究は、地域社会の生活問題が教育の課題となるよう教育計画 を作成し学校教育に位置づけようとしたのである。地域教育課題を基盤 とするカリキュラムの開発である。地域社会における問題点はまずは社 会問題、自然問題など地域の実態調査から問題を探り、その結果を教育
97前掲書,P.232
98大田発『地域教育計画』福村書店,1949年
99大田発『教育とは何かを問いつづけて』岩波書店,1983年,pp.36−38
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・政治・衛生・文化・産業・家庭の6つの機能に分類した。さらに各々 について専門部会が設置されそこから出された地域の課題をどのように して解決していくかを子どもたちが考える教育が展開された。
特徴的であるのは、カリキュラム化に際しては「学習課題表」を作成 し教科の枠をはずさないで、課題解決のために各教科独自の立場で関連 を加えていることがあげられる。また、単元の構成過程と展開過程を表 裏一体のものとしている。
つまり、単元の計画は社会課題をとらえることから始まり、それを教 材化する。その課題の解決過程に必要な知識を編成し、それに関連する 子どもの経験は何かを考えるのである。一方展開過程はこの逆をたどる。
しかし、この地域プランもコア・カリキュラム運動とともに衰退して いく。大田は、「子どもの切実な悩みとのとりくみ」から発して地域と の結びつきへという展開方向が明確に実践的に貫きえなかったこと、各 専門部会および地域懇話会(教育懇話会)がサロン化して当初の意図通 りに活動し得なかったこと、東京からの情報がこの教育計画のをすすめ る根拠になっていたことなどを反省として上げている。100さらに、「地 域の歴史との遊離」「現実の問題からの逃避」「実践の孤立化」を問題
として指摘している101。
100前掲書,pp.47−52
101水内宏「地域教育計画の特質」海後宗臣監修,肥田野直,稲垣忠彦編『教育課程総論 戦後日本の教育 改革第6巻』東京大学出版会,1971年,pp。522
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4地域教育計画が現代に与える示唆
川ロプランは、地域の課題や成人の生活要求に注目し、調査時におい ては教育の対象である児童・生徒の実態について関心が払われず、社会 中心のカリキュラム構成に傾いたものであるといえる。102
本郷プランは、真に地域の問題をつかめていなかったことや専門部会 の形骸化などにより定着はみられなかった。しかしながら地域が子ども の教育にカリキュラム開発の段階から取り組む考え方は現代にも大きな 示唆を与えると思われる。
生涯学習社会との関連から、地域社会との連携の重要性は語られるが、
そのほとんどは学校が主で地域が従の取り組むがほとんどである。さら に学校と地域とのつながりは、社会教育での場所の提供などハードにか かわることが多く、カリキュラム開発などソフトにかかわる連携は皆無 であるといっても過言ではない。地域との連携は必要性においては認め られながら、社会の変容に伴い戦後の学校は逆に孤立化の一途をたどっ
てきた。
地域社会と隔絶して久しい学校に「総合的な学習の時間」のカリキュ ラム開発のために、地域を学校教育に取り入れる動きが見られる。しか し、これまでの実践を見ると学校主体の取り組みであり、地域と取り組 むというよりは地域を学校教育にいかに利用するかといった一方方向の ベクトルの実践が多い。今後どのようなスタンスで地域との連携を図る かが課題であると思われる。
102前掲書,P233
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第4節 地域と連携した学校
1 学校と地域社会の隔絶
1960年代の高度経済成長期において、政策レベルでの問題と関連し て社会構造が大きく変化し、伝統的な日本の学校の様相は一変した。農 業人口の減少、兼業農家の増加により村落や家の解体が進行し、学校以 外に存在していた伝統的教育力が弱体化したことである。表1が示すよ うに、わが国の産業構造は、1960年を境として大きく変化した。この 産業構造の変化は、社会的・地理的移動を伴い、全国的規模で都市化現 象を生じさせることとなった。このような地域の急激:な変化は、生活の 場としての「居住地」と労働の場としての「勤務地」に分断されること
になる。
表3産業別人口構造の推移
1950
コ和25
1955
@30
1960
@35
1965
@40
1970 S5
1975
@50
1980
@55
1985 U0
1990
ス成2
1995
@ 7 第1次産業
謔Q次産業 謔R次産業
48.5 Q1.8 Q9.6
41.1
Q3.4 R5.5
32.7 Q9.1 R8.2
24.7 R1.5 S3.7
19.3
R4.0 S6.6
13.8
R4.1
T1.8
10.9
R3.6 T5.4
9.3
R3.1 T7.3
7.1
R3.3 T9.0
6.0
R1.6 U1.8
総務省統計局統計センター 「国勢調査結果の時系列データ」より作成
とりわけ、第一次産業から第二次・第三次産業への産業構造の転換は、
父親を中心とする職業と結びついた労働能力の形成力を無力化し、子ど もたちの将来の職業選択を、学校教育を通した進路選択へと委ねること になった。地域社会の伝統的教育力が解体することで、学校を唯一の専 門機関として位置づける「教育の分業化」現象がこの時期に一気に進行
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