地域福祉の推進と公私協働の課題 : 社会福祉協議 会と行政との公私関係における構造的問題の検証
著者 竹川 俊夫
雑誌名 評論・社会科学
号 79
ページ 17‑84
発行年 2006‑03‑15
権利 同志社大学社会学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011870
地 域 福 祉 の 推 進 と 公 私 協 働 の 課 題
││社会福祉協議会と行政との公私関係における構造的問題の検証││
竹 川 俊 夫
︵文学研究科社会福祉学専攻博士課程後期︶
はじめに
問題の所在
⁚
今日の社会福祉は︑﹁措置から契約へ﹂や﹁選択・自己決定﹂を理念に掲げた基礎構造改革を経て︑利用者の視点に
立った専門的なサービス体系の整備を進めるとともに︑住民に身近な地域を基盤にして︑住民の参加と協力によって支
えられた﹁公私協働﹂による地域福祉としての発展が求められている︒そしてこの推進を担う中核的な組織として︑
﹁公﹂の側では基礎自治体である市町村が︑﹁私﹂の側では民間自主組織の社会福祉協議会︵以下﹁社協﹂と略す︶への
期待が高まっている︒
そこで︑この地域福祉を具現化するための手段として︑社会福祉法第一〇七・一〇八条において行政計画である﹁地
域福祉計画﹂︵市町村︶および﹁地域福祉支援計画﹂︵都道府県︶が規定され︑二〇〇三年度より全国の自治体において
策定が進められているところである︒また︑一方の社協においても︑かねてより住民参加と民間福祉活動の促進を主要
課題とする民間計画である﹁地域福祉活動計画﹂の策定が進められてきた貴重な実績がある︒そうしたことからも︑今
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後の地域福祉の推進においては︑これらの計画の策定過程や実施ならびに評価の全過程を通じた﹁公私協働﹂のあり方
が重要な意味を持つようになるといえるだろう︒
このような期待が膨らむ中︑協働の一翼を担う社協については︑社会福祉法上で﹁地域福祉推進の中心的な担い手﹂
という位置付けが明確化されるとともに︑衆議院厚生委員会による法案への附帯決議でも︑﹁地域住民の意向を的確に
反映することができるように広く住民の参加を求め︑組織の強化︑運営の適正化を図ること﹂とされた︒しかしなが
ら︑この一方で︑社協のあり方に疑問を投げかける声が存在するのも事実であり︑それは特に行政との密接な関係を焦
点とすることが多い︒例えば先の改革では︑中央社会福祉審議会の審議過程において社協に関する問題が取り上げら
れ︑会長職の約四割を自治体の首長が占めていることや︑行政OBや出向・兼務者が運営に関わっていること︑あるい
は︑財源の多くを公費に依存しているために︑行政に対して従属的になりがちで活動を停滞させやすいなどの問題提起
︵1︶があった︒
このような指摘は︑行政と社協の関係のあり方いかんで︑社協の専門的なコミュニティワーク実践にネガティブな影
響が及ぶとともに︑﹁公私協働﹂そのものが︑不健全な関係性に留められる懸念を生じさせるために︑看過することが
できない︒ところが︑先の基礎構造改革では︑福祉サービスの利用契約化に伴って導入が求められた﹁地域福祉権利擁
護事業﹂や﹁苦情処理﹂などの新事業が社協に割り当てられるに留まり︑衆議院の附帯決議を含め︑改革の過程で提起
された諸問題に対して抜本的な対策が講じられたとはいえない︒したがって︑問題は依然として曖昧にされたまま︑主
として行財政改革の観点から﹁公私協働﹂の必要性が唱えられている気配が強く︑﹁地域福祉計画﹂もまた︑このよう
な文脈に即して︑地域社会における﹁公私協働﹂のデザインを描くために︑全国で策定が進められているという印象が
拭えないのである︒
以上の現状認識より︑﹁公私︵公民・官民︶協働﹂や﹁パートナーシップ﹂あるいは近年盛んに提唱される﹁新たな 地域福祉の推進と公私協働の課題
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公︵共︶﹂などの掛け声が先行する陰で︑措置制度批判に見られた公私関係の問題を克服し︑実質的な対等性が担保さ
れた協働関係を実現するために︑今改めて地域福祉における公私関係のあり方を問い直す意義は大きいと筆者は考え
る︒そこで本研究では︑特に市町村レベルの自治体と社協との関係に焦点をあて︑その課題を考察することを目的とし
たい︒
蠢
地域福祉における公私協働の理論と実際
1地域福祉の公私協働論と批判的協力関係理論
社会福祉法第四条﹁地域福祉の推進﹂に基づく今日の地域福祉においては︑﹁公私協働﹂や﹁パートナーシップ﹂
︵2︶は︑まさにその推進原理ともいうべきキーワードになっているといえる︒例えば︑﹁地域福祉計画﹂策定のガイドライ
ンとして二〇〇二年一月に社会保障審議会福祉部会が示した﹁市町村地域福祉計画及び都道府県地域福祉支援計画策定
指針の在り方について︵一人ひとりの地域住民への訴え︶﹂では︑計画の策定と推進に際して﹁公私のパートナーシッ
プとして行政及び地域社会の構成員が相互に理解し合い︑相互の長所を活かし︑﹃協働﹄することによって大きな創造
力が生み出されてくる﹂と︑その重要性が説かれており︑また﹃平成一六年版国民生活白書﹄でも︑﹁人のつながりが
変える新しい暮らしと地域︱新しい﹁公共﹂への道﹂と題して︑民間非営利組織︵NPO︶と行政のパートナーシップ
という︑地域福祉実践に直結するテーマが大きく論じられるなど︑全国で策定が進められている﹁地域福祉計画﹂を起
爆剤にして﹁住民参加﹂を広げるとともに︑﹁公私協働﹂を具体的に実現していくことが極めて重要な課題になってい
るのである︒
しかしながら︑このような民間社会福祉と行政との関係にまつわる議論は︑最近になってにわかに活況を呈してきた
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地域福祉の推進と公私協働の課題
わけではない︒むしろこの種の議論は︑社会福祉研究においては﹁古くて新しい問題﹂といわれ︑一九世紀後半の英国
における救貧法行政と慈善組織協会︵COS︶との関係を端緒として︑戦前・戦後を通じてこれまで豊富に議論されて
きたテーマである︒紙幅の都合上︑このような公私論の系譜を示すことは別の機会に譲りたいが︑さしあたって本研究
に大きく関係する部分に限定して言及しておきたい︒
このような﹁公私協働﹂﹁パートナーシップ﹂というテーマについては︑改めて考えてみれば︑地域福祉研究の先駆
者である岡村重夫の提起以来︑この分野では一貫して重要な関心事であったといえる︒それはもとより︑生活困難を抱
える利用者と︑法制度やサービス実践とを個別的︑専門分業的︑垂直的に切り取る既存の社会福祉の仕組みとは異な
り︑地域住民を︑法制度やサービスの利用者であると同時に創造の主体とも捉え︑住民主体の原則に従ってそれらを一
定の生活空間である﹁地域﹂に水平的にシステム化し︑住民の福祉活動を含めた公私の社会資源と個々の住民との関係
を見ようとする地域福祉の視点から必然的に生じるものである︒それゆえ︑岡村地域福祉論におけるコミュニティ・ケ
アと地域組織化の関係論に見られるように︑公私の福祉関係機関や団体が︑地域の中で如何に協力・協働するかは︑当
︵3︶初から地域福祉の内実を決定する重要な要素となっていたのである︒そこで阿部志郎︵1982:49︶が︑﹁地域福祉は︑
地域内の公私の機関が協働し︑社会福祉のための各種の施策・施設・人材等の資源を動員することによって︑地域の福
祉ニーズの充足を図るとともに︑住民参加による社会福祉活動を組織し︑地域の福祉を高めようとする公私協働の実践
的体系をいう﹂と定義していることは︑以上のような地域福祉の基本特性を示す一例だといえるだろう︒
このように︑公私協働論は︑地域福祉を論じる上では本来的に不可欠の要素といえるのだが︑その上で︑これを支え
る原理として忘れてならないのが︑﹁批判的協力関係﹂という理論の存在である︒例えば︑欧米における社会福祉の公
私関係の理論モデルが︑﹁平行棒理論﹂﹁繰り出し梯子理論﹂﹁協力関係理論﹂を経て戦後の福祉国家形成期に﹁批判的
協力関係理論﹂へと四段階の発展を遂げたことを論じた嶋田啓一郎︵1972:8−25︶は︑民間社会福祉の建設的な批判 地域福祉の推進と公私協働の課題
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によって行政と協力関係を築くことに積極的な意義を見出し︑わが国の社会福祉実践においても一定の緊張感のある公
︵4︶私関係を構築していく必要性を説いた︒さらにこの嶋田の主張以外にも︑﹁批判的協力関係﹂というアイデアは︑岡村
重夫︵1970:235−236 ︶︑一番ヶ瀬康子︵1971:78 ︶︑井岡勉︵1973:48−49 ︶︑岡本栄一︵1984:30 ︶︑阿部志郎
︵1989:258︶ら多数の第一線の研究者によって論じられており︑今日の地域福祉の公私協働論に対してもなお指導的
な役割を果たす理論であることが確認できる︒
ここで改めて﹁批判的協力関係﹂の意義を探ると︑岡村︵1970:235−236︶は︑﹁今日における公私社会福祉の関係
に関する基本問題は︑この
!協同
"と
!分離
"和民と営公﹁︑いいとだ﹂かるす調とてしにかいを理原るす反相うい営
とが︑相互に独立の立場を維持しつつ協同連帯の責任を果たす原理は︑健全な批判の自由を確保することにほかならな
い︒⁝︵中略︶⁝公私の社会福祉事業は︑かかる建設的な自己批判と相互批判によってのみ進歩する﹂と︑公私の自由
対等な関係性を前提に︑社会福祉の弁証法的発展を意図して﹁批判的協力関係﹂の必要性を説いている︒それゆえに︑
行政に対峙する民間の使命についても︑﹁民営社会福祉事業は︑公営社会福祉事業の進歩と向上のための建設的な批判
者でなければならない﹂と規定したのである︒以上のように︑今日の地域福祉においては﹁公私協働﹂や﹁パートナー
シップ﹂が声高に叫ばれる一方で︑その理論的バックボーンとして︑﹁批判的協力関係理論﹂の存在があることも念頭
においておく必要がある︒
2批判的協力関係理論と地域福祉実践の実際
上記のような﹁批判的協力関係理論﹂の主張に対する地域福祉実践の現状に関しては︑とりわけ民間社会福祉の側の
主体性の弱さが問題となっていた︒例えば︑この理論を紹介した嶋田︵1972:25︶は︑措置委託費の絶対的な水準の
低さや公私格差が大きな問題となっていた一九七〇年代初めの状況を評して︑﹁わが国の民間社会福祉は︑その躍動を
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地域福祉の推進と公私協働の課題
真実に念願すればするほど︑絶望に近い後進性をもつことに気付く﹂と述べ︑民間社会福祉が︑﹁不合理な措置費に寄
りかかり︑いつしか民間サービスの本質的課題を見失い︑無気力に﹃批判的協力関係﹄から脱落して︑そこに身命を捧
げて働こうとする若者たちの真情を去勢﹂する現実があることを批判している︒
さらに︑地域福祉実践における民間社会福祉のコアとしての役割を担う社協についても︑これと同様に厳しい現実が
指摘されている︒井岡勉は︑一九七三年当時の社協の組織的な問題点について︑
漓市町村社協の大半が行政と未分化
で︑民間人会長・独立事務所・専任職員設置を達成していない︒
滷表に心中を僚官政行・代地界業祉福・層者力有域閉
鎖的に構成・運営する傾向が強い︒
澆せで事務局まかの式無責任体制が目的形名役誉職的感覚の員がが多く︑役員会立
つ︒
潺の意思反映・運営参加保員障がなされていないの会会的員制度の中で半強制な︑全戸会員制度が多く︒
潸小地区
社協を市町村社協の下部組織として従属させている︒
澁遇・保確の員職堅中で悪劣が待特の員職任専の協社村町市に定
着を困難にしている︑の六点を指摘するとともに︑﹁総じて組織上の問題は︑民間自主性の弱さ︑機構・運営の閉鎖性
と非民主性︑非機能的体制にある﹂と評価した︒さらにこのような問題に加えて︑﹁行政補完的な下請事業が拡大・固
定化し︑本来の組織活動を圧迫している﹂といい︑それゆえ﹁社協の民間自主性・運動体機能は官制的性格によって圧
倒されている︒この現実は社協の展望を見失わせ︑敗北的見解を広げる確かな根拠となっている﹂と︑過剰な行政の関
与を含めて︑社協の問題状況を指摘した︵井岡1973:58−59︶︒
この約一〇年後の一九八四年にも︑井岡は再び社協問題を論じている︒ここではとりわけ市町村社協の問題状況につ
いて︑
漓ーとこい強がルロ行トンコ・存依政︑
滷社協組織の偏りと閉鎖性︑
澆働︑織組未と件条労専な悪劣の員職任の
三つの問題を取り上げるとともに︑
漓員会長に行政吏がは就いている割合︑てのコ﹁行政依存・ンいトロール﹂につの
高さ︵三八%︶や事務局長が行政職員の兼任・出向である割合の高さ︵六三%︶︑財源における補助金・委託金の割合
の高さ︵約六割︶を示しながら︑﹁このような行政依存・コントロールのもとでは︑社協の民間自主性の発揮は強く制 地域福祉の推進と公私協働の課題
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約されざるをえない︒⁝︵中略︶⁝この市町村行政と密着し︑組み込まれることによって︑市区町村社協は住民に対す る官製的福祉運動と行政下請事業を担わされるに至る﹂と主張した︵井岡1984:215−216︶︒
以上のことから︑かつての社協の実態が︑先に見た﹁批判的協力関係理論﹂の核心からは遠く︑その前提となる﹁自
由・対等﹂という条件が欠落していたことが理解されてくる︒もちろんこのような問題の中には︑社協の主体的な努力
によって今日では大きく改善されているものもあると思われるが︑最初に述べた基礎構造改革過程での社協批判と照ら
し合わせてみると︑井岡が指摘した問題は︑決して二〇年・三〇年前の﹁過去﹂の話として括られるものではなく︑現
在もその本質は不変であり続けていることが分かるのである︒つまり︑現在の地域福祉実践もまた︑﹁批判的協力関係﹂
とは乖離した状況にあるといえ︑社協と行政との関係に何かしらの構造的な問題があるために︑社協の主体性の向上と
﹁批判的協力関係﹂の構築を阻害していると疑わざるを得ないのである︒
その後︑このような問題状況が解決されないまま一九八〇年代に入ると︑一方で第二臨調による︑﹁小さな政府﹂と
﹁日本型福祉社会﹂の実現を目指した行政改革の推進︑もう一方では︑地域福祉をフィールドとした﹁在宅福祉サービ
ス﹂の推進という大きな変動があり︑また︑そこに地域住民や営利企業も加えてサービス供給主体の多様化・多元化を
促し︑既成の公私の枠組みの再編を目指そうとする﹁公私役割分担論﹂が加わることで︑社会福祉界全体が大きな改革
の波に飲み込まれることとなった︒そして︑これらの主張が錯綜する中で︑国は︑﹁在宅福祉サービス﹂の担い手とし
て︑﹁住民﹂や﹁ボランティア﹂に期待を注ぐようになり︑一九八〇年代半ばから一九九〇年代にかけて︑﹁ボラントピ
ア事業﹂や﹁ふれあいのまちづくり事業﹂などの国庫補助事業を提供し︑既に一九七〇年代末から﹁在宅福祉サービ
ス﹂路線を目指していた社協を通じて︑地域住民による在宅福祉活動を育成することに本腰を入れ始めた︒そして︑こ
のようにして﹁住民参加﹂や﹁公私協働﹂が︑従来に増して強く叫ばれるようになっていったという一面がある︒
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地域福祉の推進と公私協働の課題
3地域福祉における公私関係の構造的問題と﹁あらたな公共理論﹂
以上のように︑公私協働の現実に大きな懸念を抱える日本の地域福祉実践に対し︑海外の研究成果は︑端的にその日
本的な特徴を明らかにしている︒サラモンとアンハイアー︵1996:167 ︶は︑一二カ国に及ぶ非営利セクターの比較研
究を通じて︑日本の社会福祉法人の特質について以下のように言及している︒すなわち︑日本の非営利組織は︑国が負
担するサービスの提供に積極的に協力を求められているものの︑その条件を国がコントロールしているために︑﹁結
局︑非営利組織を真の﹃パートナー﹄ではなく︑単なる国家の﹃代理人﹄に転換してしまって﹂おり︑それゆえ︑﹁社
会福祉法人の活動は中央政府︑あるいは地方政府によって割り当てられた作業の遂行に限定されている︒そのため彼ら
は自らを︑法的には民間非営利組織であるにもかかわらず︑民間非営利組織ではなく外郭団体であるとみなすようにな
っている﹂というのである︒
このような指摘は︑これまで見てきた地域福祉実践への批判的な評価をさらに裏付けるものだといえる︒社協を含め
た社会福祉法人全般が︑国や自治体の﹁パートナー﹂ではなく﹁代理人﹂や﹁外郭団体﹂と評されるのであれば︑地域
福祉実践はそのスタートラインにおいて決定的な矛盾を抱えているといわざるを得ない︒したがって︑地域福祉計画を
起爆剤にして﹁公私協働﹂を強化しようというのであれば︑その前提として︑﹁自由・対等﹂で﹁批判的協力関係﹂が
成立可能な条件を確保し︑まずは民間社会福祉が︑国や自治体の﹁代理人﹂や﹁外郭団体﹂という地位から名実ともに
脱却することが必要だといえるだろう︒
では︑地域福祉研究の側ではこのような状況にどう対処したのだろうか︒
地域福祉の公私協働論として︑このような状況を疑問視し︑公私の構造的問題の克服に取り組んだ有力な例は︑右田
紀久恵による﹃自治型地域福祉論﹄の提起だと考えられる︒右田は︑一九九〇年の社会福祉関係八法改正による︑地方
分権化や規制緩和の潮流と︑在宅福祉サービスを主軸とする高齢社会への対応という潮流を受けて︑地域福祉の側から 地域福祉の推進と公私協働の課題
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﹁自治﹂や﹁分権﹂を問い︑内からの革新を目指す理論の構築を試みた︒中でも注目すべきは︑従来の﹁公私協働論﹂
の発展型ともいえる︑﹁あらたな﹃公共﹄の構築﹂という主張である︒右田は︑一九八〇年代の﹁公私役割分担論﹂が
もたらした︑在宅福祉サービスの供給主体の多元化に対し︑これを推進する基礎理論の不在を指摘しつつ︑何のための
参加であり何のための協働なのか︑公私協働の原理を明らかにする必要性を訴えた︒そして︑﹁公私協働を含めた総体
としての地域福祉実践は︑公共的営為の一部であり︑それゆえに︑地域福祉概念には
!あらたな﹃公共﹄の構築
"を含
む﹂とともに︑﹁地域福祉は︑旧い﹃公共﹄の概念を︑新しい﹃公共﹄に転換させるという︑きわめて重要な役割を担
っている﹂という主張︵以下﹁あらたな公共理論﹂とする︶を展開した︵右田1993:9−10 ︶︒
ここでは理論の解説に十分なスペースを割くことはできないので︑何故このような理論が必要とされたかを中心に要
点のみ論じておきたい︒以下に見るように︑﹁あらたな公共理論﹂の必要性は︑公私が対等な立場に立った協働を実現
すること︑つまり︑サラモンとアンハイアーが指摘したような︑民間社会福祉の﹁下請団体﹂や﹁外郭団体﹂的な地位
を克服することにあるといえる︒なぜなら︑この問題の根源は︑これまでの日本では︑﹁本来﹃公共﹄の主体であるべ
き住民の生活を︑二の次とする全体重視=国家重視の公共概念が︑戦後資本主義の発展を支えた﹂ために︑﹁行政機構
がアプリオリに﹃公﹄として観念され︑福祉国家の名のもとに実質的にも﹃公﹄を独占し︑国民・住民は﹃私﹄と位置
づけられる関係が固定してきた﹂ことにあり︑﹁このような位置と関係を固定するかぎり︑﹃公﹄﹃私﹄協働はタテ型上
下関係にとどまり︑補充・代替の域を脱し得ず︑﹃私﹄の民間性そのものも︑おのずから限界がある﹂からである︵右
田1993:11︶︒
このように︑﹁あらたな公共理論﹂の核心は︑﹁官尊民卑﹂という言葉に象徴される︑日本的な公私の﹁タテ型上下関
係﹂の構造をヨコ組みに転換することを論理的に試みた点にあるといえ︑﹁公﹂に対し卑しい存在と解される﹁私﹂
が︑その﹁私﹂的ニーズで組織した地域福祉の共同的営為を通じて︑地域社会全体にとって価値ある﹁公共性﹂を生み
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地域福祉の推進と公私協働の課題
出す点を強調し︑その営みを﹁あらたな﹃公共﹄の構築﹂と名付けることで︑従来﹁補充・代替﹂的役割に見られがち であった﹁私﹂性︵民間性︶への解釈に変更を求めている︒そして︑ここから﹁私﹂=民間人の活動には積極的な意味
が与えられ︑﹁﹃公﹄︵行政︶ではなし得ない︑あらたな﹃公共﹄の概念を創るという︑創造的営為こそ民間性に該当す
るのではないだろうか︒つまり︑何のための補充・代替であり︑開発・先導なのかということである︒それらが当面す
る問題解決のためだけでなく︑あらたな﹃公共﹄の創造にあるとき︑﹃企業の社会的貢献﹄も民間性として価値ある行
為とみることができる﹂と主張するのである︒さらに︑﹁地域における社会生活上の一定の自治的な共同性と︑そこに
おける公共性を含んだ全体関係= 地域的な公共関係を︑あらたな﹃公共﹄と見る﹂ことによって︑﹁地域社会の新しい
質の構築を目指す
!福祉コミュニティ
"かり︑それにかわでる社会福祉協あスはら︑まさに︑あたーな﹃公共﹄のベ議
会は︑その創造の主体でもある﹂と︑民間社会福祉のコアを担う社協の活動原理としての意義も示された︵右田
1993:12︶︒
4研究の課題と方法
︵1︶﹁あらたな公共理論﹂への批判的考察と研究の課題
﹁あらたな公共理論﹂の構築に向けた右田の問題意識には︑地域福祉に関係する者だけでなく︑社会全体で検討すべ
き重要な論点が含まれていると筆者は共感する︒それゆえ氏のこれまでの業績から学ぶべき点は多いが︑ここではそれ
を前提として︑氏の理論に内在する問題点を批判的に考察することにより︑本論の研究課題を導くことにしたい︒
まずこの理論の検討に入る前に踏まえるべきこととして︑公私協働論に対して指導的な役割を持つ﹁批判的協力関係
理論﹂との関係がある︒基本的にこの﹁あらたな公共理論﹂は︑公私の﹁タテ型上下関係﹂を克服するという構想に基
づいて構築されたものであり︑それゆえに︑これによって地域福祉の公私協働を﹁批判的協力関係﹂に近づける意図が 地域福祉の推進と公私協働の課題
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あることは明白だと思われる︒そして︑それを前提として導かれる﹁あらたな公共理論﹂への疑問は︑大きく以下の四
つにまとめられる︒
第一の疑問は︑全体的に理論の抽象度が高いためか︑﹁あらたな﹃公共﹄の構築﹂を目標に据えた地域福祉実践が︑
従来の実践とどう異なり︑﹁タテ型上下関係﹂をどう克服していくのかがイメージしづらい点である︒つまり﹁批判的
協力関係﹂が想定する緊張関係や︑弁証法的ダイナミックスをここから読み取り︑それを具体化して実践に応用するこ
とが難しいのである︒二点目は︑﹁公共﹂ないし﹁公共性﹂というキーワードは︑国がその正当性を主張する論拠であ
るという構造がそのままなので︑﹁私﹂のエゴイズムを強調し︑個の尊重を否定する国家共同体論的文脈や︑財政難を
背景にして﹁私﹂に自己責任を迫る新自由主義的な改革論など︑これらのキーワードを巧みに使って推進される上から
︵5︶の改革の論理と峻別することが難しい点である︒こうなると︑﹁下からの公共性﹂という右田の本来の主旨とはうらは
らに︑地域住民の参加と協働が︑政府主導の福祉国家改革の補完物として曲解される危惧がぬぐえなくなるのである︒
したがってこれを回避するためには︑やはり﹁あらたな﹃公共﹄の構築﹂に向けた公私の弁証法的関係を︑具体的に論
じておく必要があると思われるのである︒
三点目は︑この理論が︑地域福祉実践の創造性や未来志向を重視しているがゆえに︑公私関係の過去・現在における
構造分析が不十分なことである︒例えば︑行政機構がアプリオリに﹁公﹂として観念され﹁公﹂を独占できたのはどう
してか︒そもそも︑どのように公私の﹁タテ型上下関係﹂は形づくられたのか︒これまでの社会福祉研究ではこのよう
に公私関係の問題の根本を問う研究は不在であったといえるが︑これを解明しないまま新しい理念を接木しても︑再び
これまでと同じ限界に行き着くという懸念が生じる︒むしろ﹁タテ型上下関係﹂の克服に向けては︑その構造の歴史的
な変遷を見据え︑そこから問題点を明確にする作業を経て︑実践論に橋渡しする必要があると思われるのである︒最後
の疑問は︑こうした日本的な公私関係の特質を生み出した﹁思想﹂が不問にされている点である︒日本の伝統的な
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地域福祉の推進と公私協働の課題
﹁公﹂と﹁私﹂の観念は︑英語圏におけるpublicとprivateのそれとは異なる意味を持っている︒そしてそれを生み出
した日本的な思想が︑明治以降に次第に形づくられた近代的な社会福祉の枠組みに反映し︑さらに戦後の民主化で欧米
の公私論に基づく法制度を導入した後もなお影響を与え続けている可能性は高い︒したがって問題の根本を把握するた
︵6︶めにも︑それを支える思想を解明することが重要だといえるだろう︒
以上︑﹁あらたな公共理論﹂について︑大きく四つの疑問点を指摘した︒そして︑結論としては︑日本的な公私の
﹁タテ型上下関係﹂への問題意識やその克服という構想には強く共感できるものの︑﹁タテ型上下関係﹂の本質に迫る構
造的問題の分析や︑それに基づく具体的な処方箋の提示が行われていないこともあり︑地域福祉実践が如何なる形で
﹁批判的協力関係﹂の構築に向かうのか︑そのビジョンはやはり不明確であるといわざるを得ないと考える︒
そこで本研究では︑﹁あらたな公共理論﹂へのこのような四つの疑問を出発点として研究の課題を導くことが必要で
あると考える︒そして︑これまでの議論から研究の課題を改めて整理すると︑その要点は︑
漓公私関係の分析対象を︑
現実の地域福祉実践の中に見られる問題に絞ることで議論の焦点を明確にすること︑そして︑
滷その問題を規定してい
る日本の伝統的な公私観念や思想性を明らかにするとともに︑
澆どつが度制会社なうよのてそいづ基に想思や念観のく
られ︑またそれが地域福祉の公私関係をどのように規定してきたのかを歴史的に明らかにすること︑そして︑
潺対象と
なる公私関係を︑﹁タテ型上下関係﹂から﹁批判的協力関係﹂に転換する前提条件となる︑公私の﹁自由・対等﹂な関
係を構築するための課題を導くこと︑の四点に集約されると考えられる︒地域福祉において今後︑﹁公私協働﹂への動
向が加速度的に高まると予測される中で︑そのための前提条件を具体的に示し︑解決への提案を行うことがここでは重
要だと判断するのである︒
︵2︶研究の対象と方法
まず研究対象については︑地域福祉推進の中核的存在とされる社協と︑地方自治体との関係を中心に据える︒また︑ 地域福祉の推進と公私協働の課題
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社協と行政との関係は︑国から都道府県︑市町村という行政区域に応じて存在することになるが︑本研究においては最
も住民に身近な行政単位であり︑かつ地域福祉論の主たる射程でもある市町村レベルを中心とする︒
ただし社協と行政の関係といっても︑社協の伝統的な使命である地域組織化を通じた行政との関係性や︑地域福祉活
動計画の策定を通じた行政との関係性︑あるいは在宅福祉サービスの供給主体としての関係性など︑社協の多様な性格
や役割に対応して︑公私関係を論じるポイントも多岐に亘る︒これについて山口稔︵2000a:73 ︶は︑﹁行政と社協の
複雑な関係を明らかにするためには︑⁝︵中略︶⁝行政と社協の役割分担といった横の関係と社協事業の行政下請化と
いった縦の関係の分析が必要である﹂という︒この指摘を筆者の問題意識に引き付けて考えると︑本研究の対象とすべ
き公私関係は︑当然ながら前者よりも後者の﹁タテの関係﹂が中心になる︒もちろんそれは︑公私役割分担そのもの
が︑公私の﹁タテ型上下関係﹂の一定の克服なしには推進し難いという︑右田理論と共通する問題意識によるものでも
あり︑具体的には︑社協と行政との関係にある︑
漓行政依存化・準行政機関化︑
滷住民のリアル・ニーズとの距離︑
澆 事業体社協としての肥大化と運動的側面の希薄化︵井岡1984:213−214︶︵高原1995:129︶といった典型的な社協
批判を招く構造そのものを研究対象とするのである︒
研究対象の明確化に続いて︑ここからどのように研究を進めるかについては︑以下の通りとしたい︒まず以下の
蠡の
パートでは︑公私の﹁タテ型上下関係﹂はどのようにして生まれ︑構造化されてきたのかを歴史的に検証する︒ここで
具体的に問われることは︑
漓規か何は想思るいてし定を公﹂係関下上型テタ﹁の私︑
滷戦前における地域福祉の展開の
中で︑その思想はどのように制度や実践に反映され︑どのような問題を生み出したのか︑
澆戦前に見られた公私関係の
問題は︑戦後の諸改革によって克服され︑本研究が取り上げた今日の問題と本質的に異なるものなのかどうか︑の三点
である︒結論を先取りすれば︑社協と行政との公私関係を規定する基本構造は︑戦前・戦後ともに一貫しており︑現在
直面している公私の﹁タテ型上下関係﹂という問題は︑既に戦前に長い歴史をかけて形成されたものであることが論証
― 29 ―
地域福祉の推進と公私協働の課題
される︒つまり︑本研究が克服を目指す公私関係の問題には︑実のところ日本の民主主義における重大問題の克服とい
う性格が濃厚にあることが示されるのである︒続く
蠱継の人法益公﹁たきてれさ続でのま日今らか前戦︑はでトーパ外
郭団体化﹂という慣行が取り上げられ︑社協が﹁外郭団体﹂と位置付けられることへの論理的な検証が行われるととも
に︑それにまつわる公私関係の問題点の一つである︑いわゆる﹁天下り﹂や﹁出向﹂などによる行政の人的関与の是非
が︑社協活動に関する統計データを分析することによって検証される︒そして︑このデータ分析から︑行政の社協に対
する人的関与は︑社協の専門的なコミュティワーク実践にネガティヴな影響を与えている可能性が高いという結論が得
られる︒以上のような歴史的・理論的・統計的検証の結果として︑社協を﹁外郭団体﹂と位置付けること︑ならびに社
協に対する行政の人的関与を撤廃することが提案されるほか︑地域福祉推進における公私協働の具体的な課題が提案さ
れる︒
なお︑社協の主体性を確保し︑公私関係を修正するためには︑社協が﹁自主財源﹂を如何に確保し得るかが決定的に
重要になるのは明白なことであるが︑これについては︑財源論を展開する前に︑まずは本研究から得られた課題の解決
を優先することを前提とし︑財源論そのものに関しては︑後日改めて研究成果をまとめる方向で議論を進めたいと考え
ている︒
蠡
地域福祉における公私問題の歴史的検証
1日本の伝統的公私観と﹁タテ型上下関係﹂の原理
我々は一般的に︑﹁公﹂と﹁私﹂の関係を考える際に︑英語におけるpublicとprivateの対比になぞらえる︒しか
し︑﹁公︵おおやけ︶﹂﹁私︵わたくし︶﹂の語意を調べてみると︑英語のそれとは異なる意味があることに気づく︵表
蠡
地域福祉の推進と公私協働の課題
― 30 ―
︱1︶︒とりわけ日本語では︑﹁公︵おおやけ︶﹂の意味
が﹁天皇︑皇后︑宮中︑そして政府︑国家⁝﹂という順
で並び︑主に権威や権力の機構を示すのに対して︑英語
では﹁公の︑公共の﹂に続いて﹁公衆﹂が登場し︑pub-
lic が基本的に﹁一般の人々﹂を意味する語であるとい
う顕著な違いが分かる︒またこれについては︑英語の他
に中国語との対比においても興味深い違いが示されてお
り︑溝口雄三︵2001:42︶は︑﹁中国の﹃公﹄は︑国家
の観点から見るときには︑朝廷︑国家︑政府︑官庁︑官
務を公とし︑臣僚や民間の領域︑民間の行事などを
﹃私﹄とみなす一方︑視点が変わって︑天︑天下の観点
に立って見るときには︑一転して︑民衆が﹃公﹄︑朝廷
・国家が﹃私﹄と見なされる﹂ことを指摘している︒後
半の﹁天の観点﹂は︑日本の公私観念と異なるものとし
て注目されるが︑この背景には生民の思想という︑﹁民
は国家・朝廷に帰属するのではなく︑天・天下に帰属す
るという思想﹂があり︑この観点では国家=王朝は︑
﹁﹃私﹄すなわち利己︑専私的な存在とされる﹂という︒
また生民の思想を導く﹁天の観念﹂とは︑﹁天命による
表!−1
私(わたくし)/private
漓公に対し,自分一身(だけ)に関する事 柄.うちうちの事柄.
滷表ざたにしな い 事.ひ そ か.内 密.秘 密.
澆自分だけの利益や都合を考えること.ほ しいままなこと.自分勝手.
潺「私商い」「私仕事」の略.
漓a個人に属する,私有の,私用の;個人 的な,私的な;非公開の.
b〈患者などが〉特別個室〔病室〕の.
滷公職についていない,平民の;私営の,
民営の,私立の
澆秘 密 の,内 証 の;非 公 開 の,内 輪 の;
〈(個人的な)手紙が〉親展の.
潺〈人が〉ひとりの,人と 交 わ ら な い;
〈場所が〉人目につかない,静かな.
潸〈軍人が〉兵卒の.
澁〈法の効力が〉特定の.
澀〈医療などが〉自己負担の.
公(おおやけ)/public 漓天皇.皇后.宮中.
滷朝廷.政府.官庁.官事.
澆国家・社会または世間.
潺表だったこと.公然.
潸私有でないこと.公共.公有.
澁私心のないこと.公明.公正.
澀金持.財産家.
漓公(おおやけ)の,公共の,公衆 の;社会(全体)の.
滷公開の,公衆のための;公立の.
澆公的な,公務の;公共団体の.
潺公 然 の,広 く 知 れ 渡 っ た,著 名 な.
潸(各学寮に対し)大学全体の.
澁国際的な
﹃広辞苑第五版﹄岩波書店 ﹃ジーニアス英和大辞典﹄大修館書店
― 31 ―
地域福祉の推進と公私協働の課題
王権の交代という思想︑言い換えれば王権の正当性を天の権威に本づける思想﹂なのである︵溝口2001:39−41︶︒
このように︑日本の公私観は︑欧米はもとより︑日本が歴史的に大きな影響を受けてきた中国とも異なる特殊性があ
る︒またその公私観は︑後に見るように︑権威や権力の﹁上下関係﹂を組み込んで概念化されている︒さらに︑中国の
ような﹁天下の公﹂という観点が欠落している日本では︑上下関係の最上位は︑﹁天皇﹂および天皇と一体化して形成
される﹁国家﹂として長きに亘り固定されていた︒戦後の民主化によって象徴天皇制が確立すると︑天皇は権威や権力
の最上位という至公の座から外れることになったが︑これに代わって﹁一般の人々﹂が名実ともに公の主体になり得た
かといえば︑決してそうとは言えない︒むしろ︑天皇という主人がいなくなった官僚制国家が︑その位置に君臨してき
たといって差し支えないだろう︒
欧米および中国とも異なる日本の公私の意味が理解できれば︑次にそれがどのような原理によって﹁タテ型上下関
係﹂を形成してきたのかを理解する必要がある︒この点について︑日本における対概念としての公私観念の成立期を探
ると︑概ね七〜八世紀︑中国の影響を受けて律令国家が成立した時期まで遡ることができ︑この時点で公=官=天皇と いう︑国家権力体系としての公私の図式が完成する︵安永1976:39︶︵水林2002:12−13︶︒こうして公私の観念に
ヒエラルヒー構造が持ち込まれることとなったが︑安永寿延によれば︑その本質は︑﹁至公の存在としての天皇が普遍
性を独占する﹂ことであり︑その理由は︑﹁天皇は⁝︵中略︶⁝神の声を直接聞きとり︑それを臣下に伝える﹃御言持
ち﹄であるからである︒臣下はさらに天皇の御言持ちとして︑天皇から普遍性を︑したがって﹃公﹄性を委譲される︒
この関係が反復され︑天皇から徐々に遠ざかるにつれ俗化し︑下位者にいくほど﹃公﹄性が希薄になるのに反比例し
て︑﹃私﹄性が強まる﹂とされる︒こうして﹁最底辺の民衆は全面的に私的存在であるために︑無公のシンボルとなる﹂
とともに︑﹁天皇と最底辺の民衆の中間にあるものは︑上位者に対しては私的存在として位置づけられるが︑下位者に
対しては公的存在として位置づけられ﹂たのである︵安永1976:40−41︶︒ 地域福祉の推進と公私協働の課題
― 32 ―
その後も︑この公私のヒエラルヒー構造は時代を超えて受け継がれ︑近世・近代へと至る︒渡辺浩は︑江戸時代の公
私観念について︑﹁﹃おほやけ﹄なるものと﹃わたくし﹄なるものとは︑それぞれを一種の箱のように思い描くならば︑
横に並ぶのではなく︑入れ子構造をなしている﹂と指摘し︑その特徴について︑﹁大きな﹃おほやけ﹄の中に複数の
﹃わたくし﹄があるが︑その﹃わたくし﹄も︑その中なる小さな﹃わたくし﹄に対しては﹃おほやけ﹄であり︑以下ど
うように相対的な﹃おほやけ﹄﹃わたくし﹄の連鎖をなしつつ︑最小の﹃わたくし﹄に至る﹂と述べる︒その結果︑例
えば﹁奉公﹂は︑社会のあらゆる場面で︑常に下位者が上位者に仕えて働くことを意味し︑﹁滅私奉公﹂は︑﹁自己を押
し殺すつらさと敢えてそれをすることへの賛美とを含意﹂したのである︵渡辺2001:150−151 ︶︒このように︑律令
時代に成立したヒエラルヒー構造の公私観念は︑幕藩体制の時代にも見事に引き継がれており︑﹁公﹂の中に﹁一般の
人々﹂という意味を持たない伝統をそのままに︑さらに明治時代に至る︒
明治維新とともに時代の扉が開かれた近代日本の思想状況は︑これまでの儒学的伝統と︑新たに欧米から摂取された
近代的思想との
鐚大る︑﹁公﹂概念にきさな変化を与えた思想れ表藤ての中にあった︒そしこ代の中から中江兆民に家
も現れた︒しかし︑強力な中央集権政府の影響力を前にして︑日本の思想の﹁大勢は︑国家と個人︑公と私の癒着した
関係の中での︑公としての国家への私としての人民ないし個人の参加︑というより吸着という︑国権主義的主張が主流
を占め﹂たのであった︵安永1976:67︶︒このような時代の中の公私観念について︑安永寿延︵1976:67−68︶は︑
﹁国家ないし官が公的原理を独占することによって︑個人ないし民の﹃公﹄性を
餝個し対に民や人︑奪にもととるすて
一方的に﹃私﹄性の烙印が押される︒このような公私の固定された位置づけのもとで︑﹃一旦緩急あれば義勇公に奉﹄
ずる愛国心が要求されるとともに︑民の官への︑官の天皇への忠誠心が要求され﹂たと述べる︒そして︑このような思
想下で﹁官尊民卑﹂の風潮がより強化されていったのである︒しかし事は簡単ではない︒こうした公私の構造によって
むしろ︑﹁市民間で共有する公的原理がひよわであるために︑私権の貪婪な拡張を抑制する力をもた﹂ないという矛盾
― 33 ―
地域福祉の推進と公私協働の課題
をきたし︑﹁この矛盾︑この危機を乗り越えるために︑超国家主義が登場し︑個人に対しては﹃滅私奉公﹄が要求さ れ﹂︑﹁個人とその﹃私﹄性の全面否定を要求﹂したのであった︵安永1976:73−75︶︒そして︑最終的にこの思想構
造は︑軍国主義化の過程で頂点を極め︑日中・太平洋戦争へと至って︑三〇〇万を超える人々の犠牲を強いたのであ
る︒
では戦後︑新憲法の制定によって軍国主義から民主主義に脱皮した日本の公私観念はどうなったのか︒伝統思想に詳
しい論者の見解は次のように一致している︒まず溝口雄三︵2001:51−52︶は︑﹁公私の観念については︑例えば家族
構成の内容が変わったり︑農村の村落の﹃公﹄が都市の社会の﹃公﹄に変わったりはしても︑公私観念の枠組みや
﹃公﹄と﹃私﹄の関係のあり方については︑大きな変化は認められない︒それどころか︑基本的な枠組みは伝統的なも
のを踏襲し続けている﹂と述べる︒また水林彪︵2002:1 ︶も︑﹁この国の歴史に規定されて︑現在においても人権の
観念がなお脆弱であり︑﹃公﹄ないし﹃公共﹄によって﹃私﹄が侵犯されやすい構造が存在している﹂という︒また︑
渡辺浩︵2001:151︶も︑会社の備品を﹁私用﹂すれば﹁公私混同﹂と非難される一方︑会社が家庭生活を犯してもそ
う言われないなど︑実例に即しながら伝統的な公私観が今日も踏襲されている事実を指摘している︒そして安永寿延
︵1976:77︶も︑﹁戦後は︑﹃私﹄性が開放され︑しかも公的原理にもとづいて﹃私﹄性を抑制することがないために︑
﹃滅他﹄主義はかえって野放しになる︒まさに獣的に私欲が追求される︒⁝︵中略︶⁝公私のレベルはたしかに変わっ
たが︑その基本構造は何一つ変わっていない﹂と︑﹁私﹂の放蕩という反動傾向を指摘しつつも︑実はそれが戦前と同
じ思想構造に基づくことを主張した︒
以上︑日本の伝統的な公私観念を見渡し︑地域福祉の公私関係に︑特に影響を与えると考えられる要素として︑
漓欧
米や中国のそれと異なり︑﹁公﹂の語意に﹁一般の人々﹂を含んでいないこと︑
滷私皇天︑は念観公日な的統伝の本や
国家を頂点に︑入れ子状の﹁タテ型上下関係﹂をつくり︑頂点から最も遠い﹁一般の人々﹂は﹁無公のシンボル﹂とさ 地域福祉の推進と公私協働の課題
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れること︑
澆にの仕組みや日常生活反全映し︑﹁官尊民卑﹂の体会こ﹁うした思想が﹁公﹂私社﹂という言葉を伝って風
土が生み出されていること︑さらに︑
潺との中にも脈々受らけ継がれていし暮そ観のような公私念のが︑現在の我々る
こと︑の四点が確認された︒
では次に︑この公私観念が︑地域福祉における公私関係のあり方に対して︑具体的にどのような影響を与えてきたの
か︑以下ではその歴史を紐解き︑戦前・戦後に亘っていくつかのポイントを取り上げて検証してみたい︒
2地域福祉における公私関係の歴史的展開
︵1︶戦後福祉改革と社協の成立
本研究の中心的な焦点は︑わが国における社協と行政との公私関係であるが︑社協そのものは戦後の産物であり︑し
かもそれは︑セツルメント活動や慈善組織化︑あるいは日本特有の制度と言われる方面委員制度など︑明治から戦中に
かけて展開された︑いくつかの民間の慈善事業あるいは社会事業活動の延長上にある︒そこで︑一旦戦後における社協
の成立過程を確認した後︑そのルーツである﹁中央慈善協会﹂や民生委員制度の前身である﹁方面委員制度﹂︑そして
慈善・社会事業の﹁私﹂的組織形態としての﹁公益法人﹂の三点において見られた特徴的な公私関係を概観したい︒
まず社協の成立については︑戦後の新憲法の第八九条に︑﹁公私分離﹂が示されたことにより︑社会事業界やGH
Q︑厚生省︵当時︶のそれぞれにおいて︑従来の社会事業の再編への動きが活発化したことによってその道が開かれ
た︒黒木利克によれば︑最初にこの動きを見せたのが社会事業界で︑
漓利強が向傾の立対害に在間体団絡連国全の来か
ったこと︑
滷え法で公費補助が途絶た新ため機能の再編が求憲︑何外れの団体も官公庁の郭が団体的性格が強かっため
られたこと︑そして︑
澆色独善的・保守的な彩でが濃く︑戦後の新︑織何つれの団体も上からく組られた上意下達のし
い理念に即した指導力が期待できなかったこと︑の三つの理由から︑社会事業の総合的かつ強力な連絡指導組織を求め
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地域福祉の推進と公私協働の課題
る動きが強まったとされる︵黒木1958:565−566︶︒
次にGHQは︑精力的に進めた戦後福祉改革の一環として︑一九四九年一一月に﹁昭和二十五年度における厚生施策
の主要目標﹂︵いわゆる﹁六原則﹂︶を提出し︑その第五項に﹁社会福祉活動に関する協議会﹂の設立を明記し︑厚生省
︵当時︶に提案した︒そして︑既に社会事業界の動向を受けて研究を進めていた厚生省︵当時︶は︑このGHQの提案
を受けて︑既存の社会事業団体に働きかけを行うと︑社協理論の研究と設立への準備が加速され︑いよいよ一九五一年
一月に︑日本社会事業協会︑全日本民生委員連盟︑同胞援護会の三団体の統合により︑﹁中央社会福祉協議会﹂︵今日の
全国社会福祉協議会
﹂た年三月に制定され︑︑﹁社会福祉事業法同た以す下﹁全社協﹂と略︶まの発足へと至った︒ ⁚
︵現在の社会福祉法︶においても︑共同募金との関係を明らかにする目的を持って社協が規定され︑そして一九五一年
︵7︶中には︑各都道府県レベルでもその結成をほぼ完了した︒
以上︑戦後の社協設立過程のポイントを振り返ったが︑黒木が指摘したように︑社協結成の要因として︑社会事業界
に全国組織を民主的に再編することを熱望する声があったこと︑そしてそれはとりもなおさず︑社協の母体となった三
団体を含む各全国組織が︑民間団体であるにもかかわらず︑上からつくられた上意下達の﹁外郭団体﹂としての性格が
強かったために︑スクラップアンドビルドによってそのような性格を払拭し︑名実ともに﹁民間自主組織﹂として再生
することが強く求められたことを確認しておきたい︒
︵2︶中央慈善協会とその公私関係
社協の結成に際して︑その源流の一つとなる慈善組織化の流れを汲んでいた団体が﹁日本社会事業協会﹂であり︑そ
れは︑一九〇八︵明治四一︶年に﹁中央慈善協会﹂として誕生した後︑一九二一︵大正一〇︶年に﹁中央社会事業協
会﹂と改称し︑さらに戦後の一九四七年には日本私設社会事業連盟と合併して﹁日本社会事業協会﹂に改称し︑最終的
に﹁中央社会福祉協議会﹂︵後の全社協︶に統合された︒ 地域福祉の推進と公私協働の課題
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中央慈善協会が設立された明治末期は︑日清・日露戦争期という時代にあって︑急速な工業化による産業革命が進展
していたが︑それにより貧窮者やスラムが増大する一方で︑恤救規則はほとんど機能していなかった︒それゆえ︑こう
した状況に対してセツルメントをはじめ民間の慈善事業施設が大幅に増加する傾向が見られると︑これらの慈善事業の
間に連絡調整する必要が生じた︵一番ヶ瀬1964:55︶︒
当時の慈善事業家の中で︑慈善事業の組織化をリードしたのは留岡幸助であり︑留岡は著書﹃慈善問題﹄の中で欧米
の慈善組織化の動向を紹介しつつ︑国内版の同盟会の必要性を説いた︵留岡1898:75︶︒このような動向を受けて︑
一八九八年ごろに窪田静太郎ら内務官僚と留岡幸助︑原胤昭ら民間事業家によって﹁貧民研究会﹂︵後に庚申会と改称︶
が東京で組織されると︑一方で一九〇一年に大阪で誕生していた﹁慈善団体懇談会﹂︵翌年に慈善団体同盟会と改称︶
と合流し︑留岡の呼びかけによって︑一九〇三︵明治三六︶年に︑大阪で全国慈善同盟大会が開催されて︑全国慈善組
織の創設が決議された︒そして︑日露戦争の混乱を挟んだ一九〇八︵明治四一︶年︑内務省が﹁感化救済事業講習会﹂
を開催する機会をとらえて︑ついに中央慈善協会の発足式を行うに至った︵井岡1969:99−100︶︒ しかしながら︑この協会の性格は︑吉田久一︵1994:119︶によれば︑﹁ロンドン慈善組織協会︵C・O・S︶等に
比し︑官僚色が濃厚で︑内容もさして近代性を帯びたものではなかった︒人的構成も幹事で民間出身といえるのは︑安
達憲忠︑原胤昭︑留岡幸助のみで︑他は官僚或いはその関係者たちであった﹂という︒また︑一番ヶ瀬︵1964:57︶
︵8︶も︑行政翼賛の方針を示した会則の第四項を取り上げて官僚色の強さを指摘するとともに︑﹁英・米のそれほど民間
性︑あるいは実利的合理性がなく︑日本的な色彩が強いものであった﹂と評している︒そして井岡︵1969:102︶も会
則の第四項の問題について言及し︑それが﹁英国におけるC・O・Sとは決定的に異なる点であって︑あらたに日本型
C・O・Sともいうべき官製的︑行政翼賛的組織化運動展開への意図を明確にあらわしているものといえよう︒すなわ
ちそれは︑⁝︵中略︶⁝天皇制的絶対主義国家の内務官僚統制下に慈善事業を再編強化せんとするものであった﹂と述
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地域福祉の推進と公私協働の課題
べている︒このように日本の慈善組織化については︑その初期段階から半官半民性=民間性の欠如や︑行政追随の姿勢
があり︑その体質が後々にも引き継がれていくのである︒
確かに︑当時の慈善組織化のリーダーであった留岡自身の言葉にも︑これらの批判を裏付ける思想性が見受けられ
る︒﹃慈善問題﹄の﹁政府と慈善事業﹂の章から一例を引くと︑留岡︵1898:89−90︶は︑﹁欧米各国の如きは人民大に
進歩発達せるが故に政府の指揮命令を俟たず人民は人民として其為すべき分を為すと雖も我国に於ては然らず︑多くは
之れ政府の命令によりて動くものなり﹂と︑欧米人に対する日本人の主体性の弱さを指摘し︑それゆえに﹁政府の命
令﹂が人々を動かすものだという︒そして﹁政府にして好模範を示すに至らば民は之に倣ふ﹂と︑政府こそが人民が倣
うべき模範であるという︑国家主義的な考えを述べているのである︒これは慈善組織化のことを直接語ったものではな
いが︑当時の留岡の公私観念や日本人観をよく表わしているといえる︒この観点から言えば︑﹁私﹂である民間慈善事
業は︑模範を示す父なる﹁公﹂に吸着することによって︑その﹁公﹂性が委譲されるとともに︑国家の庇護によって健
全なる発達を遂げることになる︒ここに欧米とは異なり︑緊張関係が欠落した慈善事業の公私協働論が形成され︑そし
てそれが﹁中央慈善協会﹂として具体化される︒このようにして︑国家の下位に位置する中央慈善協会は︑国家に対し
ては﹁私﹂となるものの︑個々の慈善事業家から見れば﹁公﹂として存在する︒そして個々の慈善事業家もまた︑中央
慈善協会を通じてこの﹁タテ型上下関係﹂に吸着することによって︑﹁私﹂の末端である一般庶民に対しては﹁公﹂と
なる︒このように︑慈善事業の組織化とその公私関係は︑その発展過程を通じて︑行政と慈善事業家との間に﹁タテ型
上下関係﹂を成立させるとともに︑市民社会的な﹁私﹂的領域と公権力の領域との境界が極めて曖昧な状況をつくりあ
げることになったのである︒
こうした思想構造が︑当時の慈善事業家のメンタリティを少なからず支配していたとすれば︑﹁中央慈善協会﹂が︑
﹁官僚的﹂︑﹁半官半民的﹂︑﹁行政翼賛的﹂などと言われるようになるのは︑ある意味必然的だったということができ 地域福祉の推進と公私協働の課題
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る︒なぜなら︑そのような体質こそが当時の慈善事業家に求められていたからである︒つまり︑天皇に近く強い﹁公﹂
性を帯びた官僚が協会の組織運営に関わり︑官僚を通じて協会がその﹁公﹂性を吸収することによって︑協会ひいては
慈善事業界全体の﹁私﹂性を払拭する︵格を上げる︶ことができるのである︒そしてこれによって︑慈善事業は社会的
信用を高めるとともに︑運営資金の確保に少なからぬメリットを得るのである︒一方で﹁公﹂に位置する国家や官僚に
対しても︑この構造を通じて極めて大きなメリットが提供される︒以下でそのポイントを確認するが︑ひとまず︑﹁中
央慈善協会﹂に始まり︑戦後社協が成立する時にも問われた︑全国連絡組織の非民間的な体質は︑このような国家と慈
善事業家の観念的かつ実利的な癒着の構造から形成されたといえるのである︒
︵3︶方面委員制度とその公私関係
大正デモクラシーの時代へと移行すると︑さらなる資本主義の進展とそれに伴う貧困や社会不安の増大を受けて︑慈
善事業は﹁社会事業﹂へと近代化の道をたどる︒中央政府においても︑一九一七︵大正六︶年に内務省内に救護課が新
設され︑一九二〇年には社会局へと改組された︒地方でも大阪府や大阪市では︑全国に先駆けて一九一八︵大正七年︶
に救済課を設置した︒そして︑その大阪府および大阪市では︑この年に起こった﹁米騒動﹂への対処が緊急の課題とな
っていた︒そこで大阪府では︑知事の林市蔵が小河滋次郎に委嘱し︑岡山県済世顧問制度︑東京府慈善救済委員制度な
ど関連事業の研究を進めて︑この年﹁方面委員制度﹂を創設した︒方面委員は︑専門職でない名誉職の委員が中心とな
り︑主に担当地域︵方面︶の貧困状況の把握などの役割を受け持った︒その後︑この制度が模範となって全国的に普及
し︑さらに︑一九三六︵昭和一一︶年には﹁方面委員令﹂の制定によって国家制度化され︑現在の民生委員制度の前身
となった︒
この方面委員制度の特徴は︑吉田久一によれば︑﹁委員は篤志家・教育者・市町村吏員・警察官吏・宗教者・社会事
業関係者等で⁝︵中略︶⁝理事・幹事は公務員が多く︑官僚臭は覆いがた﹂く︑さらに﹁欧米の友愛訪問に比し︑個別
― 39 ―
地域福祉の推進と公私協働の課題
性が希薄でまた行政との関係も深かった﹂という︵吉田1979:133︶︒方面委員活動そのものは民間活動であるが︑
制度創設の過程や委員の構成や選任方法︑あるいはその任務を通じ︑行政との関係が極めて強いことが本制度の大きな
特徴であり︑それゆえに﹁官製ボランティア﹂と呼ばれることは周知の通りである︒また︑大阪府においては︑方面委
員活動を支援するために︑一九二一︵大正一〇︶年に︑米騒動への対応のために集められた募金の一部を基金に充てた
﹁財団法人大阪府方面委員後援会﹂が行政の手によって設立された︵小野1994:119 ︶︒このように︑行政がその目的
の遂行を補完ないし代替するために︑公益法人を活用する手法が見られるようになったことも強調しておきたい︒
この方面委員の活動については︑一九二九年に制定された救護法が︑緊縮財政の影響で実施が頓挫する中︑制度と実
情の乖離に苦悶した全国の委員が︑三年間に亘ってその実施を陳情し続け︑ついに最後には︑辞職を覚悟で天皇への上
奏を行ったというエピソードが有名であり︑吉田久一︵1979:229 ︶も︑﹁数少ない日本のソーシャル・アクションの
成功例であった﹂と評価している︒このような︑﹁タテ型上下関係﹂の常識を覆す出来事があったことを踏まえながら
も︑公私関係の構造的特徴という点では︑制度の創設の経緯や実態から見てやはり﹁批判的協力関係﹂が確保できる条
件があったとはいえない︒そして︑それと併せて注目されるのが︑救護法と方面委員との関係である︒救護法の制定に
際して︑﹁市町村には救護事務のための名誉職の委員が置かれ︑市町村の補助機関としたが︑委員は後に方面委員が兼
ねることになった﹂︵吉田1979:225︶のである︒
中央慈善協会が︑公私の観念的かつ実利的な癒着によって設立される傾向を見ながら︑それに半官半民的性格が必然
的に付随することを指摘した︒そして︑その理由として﹁私﹂の側がその﹁私﹂性を払拭できるメリットを強調した
が︑そもそも﹁タテ型上下関係﹂自体は相互利益的であり︑むしろ本質的には権力的に上位の﹁公﹂の保守にこそ最大
のメリットがある︒つまり︑社会問題が深刻化し︑その不安に対処するためいよいよ相当な労力や費用を必要とする段
階になって︑今度は﹁公﹂の側が︑この構造のメリットを最大限に享受するようになった︒それが︑方面委員制度のよ 地域福祉の推進と公私協働の課題
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うに︑﹁名誉﹂という名の﹁公﹂性と引き換えに︑﹁私﹂を﹁公﹂の代替・補助・補完として活用する手法であり︑これ
によって民間組織・団体がいっそう民間性を喪失し︑﹁行政下請団体﹂や﹁外郭団体﹂という性格をますます強めるこ
とを余儀なくしたのである︒
︵4︶公益法人とその公私関係
公益法人とは︑民間の発意によって設立され︑公益の実現を目的として活動する非営利組織であり︑狭義には一八九
八︵明治三一︶年から実施された民法第三四条に準拠する社団法人または財団法人を指すが︑広義には︑民法以外の特
別法に基づいて設立される︑学校法人︑宗教法人︑医療法人︑社会福祉法人などを含む︵丸山1999:106 ︶︒特別法
が未整備だった戦前においては︑社団や財団の公益法人が大いに活用され︑むしろ濫用の弊害が現れるほど社会に定着
したといわれる︵田中1985:2 ︶︒
これまで見たように︑伝統的な公私観念に規定されながら具体化されてきた地域福祉の公私関係は︑﹁私﹂側の組織
形態や活動内容が︑半官半民的でかつ行政の代替・補助・補完的な位置付けになりやすく︑民間としての自主性や批判
性などが阻害される傾向があることが理解された︒そこで次に︑公益活動全般に視点を広げて︑この傾向が︑中央慈善
協会や方面委員制度のみならず︑戦前の公益法人と行政との関係にも広く当てはまるかどうかを確認する︒なお︑これ
については︑公益法人や公益信託の歴史に詳しい田中實の見解を要約し︑一部補足を加えることで対応したい︒
田中は︑明治以降の公益法人と政府との公私関係を︑端的に﹁官主民従﹂といい︑それが︑
漓何をきっかけとして生
じたのか︑
滷況しそ︑かのたっだ状具なうよのどに的体て
澆のてめとまていつに︑かたどせさじ生を題問なうよのい
る︒氏の見解を要約すると次の通りである︒まず
漓直国降以れこ︑りなと機契の接がに変政の年四一治明︑はていつ益
優先の行政主導体制が強化されて︑民間の公益活動を行政の補完に位置付ける傾向が生じたという︒
滷については︑教
育︑社会事業︑国家総動員体制に分けて論じ︑まず教育分野では︑一八八六年の諸学校令により︑私立学校は国公立学
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地域福祉の推進と公私協働の課題
校の補助とする教育制度観が示され︑公費助成に大きな格差が設けられた︒また︑社会事業分野では︑当初は自主的な
法人運営が多かったが︑昭和に入る頃には公営が中心となり︑一九三八年の社会事業法の制定で委託制度が創設され
て︑私営施設が公営施設の補完物に位置付けられた︒そして︑次第に公的色彩を付加した公益法人や特殊法人が増加
し︑国家総動員法制定後は︑政府自らがいわゆる﹁外郭団体﹂を数多く設立し︑民間自身も戦時体制への協力を果たし
たといい︑さらに︑
澆ていう手続きを通じ︑導公益法人の多くはと指こ主のような経緯と︑務政官庁の監督および行︑
行政に利用されるか単なる補完にすぎなくなるとともに︑安易な公費助成を求めて官僚の﹁天下り﹂人事を歓迎し︑ひ
いては運営の自主性を失うような問題状況を生じたという︵田中1985:26−37 ︶︒
以上のまとめから︑田中が指摘した﹁官主民従﹂という公益法人全般を支配した論理にも︑伝統的な公私観念や︑地
域福祉における公私の﹁タテ型上下関係﹂の論理が貫徹し︑それが公益法人と政府との癒着をもたらしたということが
理解できる︒﹁中央慈善協会﹂に見られた公私関係のエトスは︑公益法人全般にも共通する要素を含んでいたのであ
り︑後の国家総動員体制下では︑その構造を足がかりして公益法人の外郭団体化が進み︑その結果︑﹁天下り﹂の受け
皿として大いに活用されたのである︒
ここで考察しておきたいのは︑公益法人が公権力と癒着する日本的な公私関係において︑どのように﹁天下り﹂が一
般化したかという点である︒公務員の﹁天下り﹂が︑今日︑﹁官僚制の病理現象﹂ともいえる大きな社会問題に発展し
ていることは周知のことであるが︑これもまた︑公私の﹁タテ型上下関係﹂を基盤にした日本の近代化が行き着いた大
きな問題の一つであった︒そして︑その様子については︑日中・太平洋戦争期の国家総動員体制の下で︑労働者年金保
険ならびに厚生年金保険制度の創設に携わった厚生官僚︵当時︶が︑次のような注目すべき発言を残している︒
﹁⁝それで︑いよいよこの法律ができるということになった時︑すぐに考えたのは︑この膨大な資金の運用です 地域福祉の推進と公私協働の課題
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