修士論文
Si/CdTe
コンプトンカメラによるガンマ線イメージング実験
青野 博之
東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻
宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部 高橋研究室
aono@astro.isas.jaxa.jp
i
概要
宇宙ガンマ線観測の中でもsub-MeVと呼ばれる領域 (10 keV – 1 MeV) は、他の領域に比べ
て感度の良い観測が達成されておらず、“感度のギャップ”と呼ばれている。しかし、sub-MeVと
いうエネルギー領域の観測は、粒子の加速機構や超新星爆発における重元素合成のメカニズムの 解明に大きな役割を果たし、ガンマ線天文学に新たな知見をもたらすことになると期待されてい る。我々はこの領域での高感度観測を目指して、SiとCdTeを用いた半導体コンプトンカメラの
製作を進めている。また、コンプトンカメラの測定原理を応用することで、これまで効率的な観 測が行われていなかったガンマ線の偏光観測も可能となる。
今回、実際にSi/CdTe半導体コンプトンカメラの試作機を製作し、種々の線源のイメージング
を通してそのガンマ線観測能力の実証を行った。その結果、シミュレーションから予測されるも のと同等の性能を発揮し、スペクトル再構成により多くのバックグラウンドを除去できることが 明らかになった。また、MLEM法を用いた画像再構成により、コンプトンカメラの1˚という位
置決定精度と5.7˚を上回る分解能力を示すことに成功した。また、偏光ビームを用いた偏光測定
実験では、コンプトンカメラによる偏光の検出に成功し、その偏光方向を1˚以下の精度で決定で
iii
目 次
第1章 はじめに 1
第2章 コンプトンカメラ 3
2.1 コンプトンカメラの原理 . . . 3
2.1.1 コンプトン散乱 . . . 3
2.1.2 コンプトンカメラでのイメージング . . . 5
2.1.3 コンプトンカメラの角度分解能 . . . 5
2.1.4 イベント再構成 . . . 7
2.1.5 偏光計としてのコンプトンカメラ . . . 9
2.2 COMPTEL検出器 . . . 10
2.3 半導体多層コンプトンカメラ. . . 11
2.4 コンプトンカメラのデザイン. . . 13
2.5 将来計画 . . . 14
2.5.1 ASTRO-H搭載軟ガンマ線検出器 (SGD) . . . 14
2.5.2 DUAL計画 . . . 15
第3章 Si/CdTe コンプトンカメラ試作機の製作 17 3.1 全体の構成 . . . 17
3.2 主検出器部 . . . 19
3.2.1 Si両面ストリップ検出器 . . . 19
3.2.2 CdTe Pad検出器 . . . 20
3.2.3 アナログASIC “VA64TA1” . . . 22
3.3 DSSD/CdTe 読み出し部 . . . 24
3.4 SpaceWire 制御部. . . 25
3.4.1 次世代宇宙用通信技術 “SpaceWire” . . . 25
3.4.2 SpaceWire制御部の働き . . . 26
3.5 高圧電源供給部 . . . 27
第4章 コンプトンカメラのデータ処理 29 4.1 データ処理の流れ . . . 29
4.2 PHAの算出 . . . 29
4.2.1 ペデスタル補正 . . . 29
4.2.2 コモンモードノイズ除去 . . . 29
4.2.3 バッドチャンネル. . . 31
4.3 エネルギーの較正とヒット判定 . . . 31
4.4 ヒットリストへの登録 . . . 32
第5章 コンプトンカメラのエネルギー較正 35 5.1 光電吸収ピークを用いたエネルギー較正 . . . 35
5.2 コンプトン散乱を利用した CdTe Pad検出器のエネルギー較正 . . . 36
iv
第6章 イメージング実験 43
6.1 検出器の構成と動作環境 . . . 43
6.2 イベント再構成の方針 . . . 44
6.3 点源のイメージング . . . 45
6.3.1 2 次元エネルギープロット . . . 45
6.3.2 バックプロジェクションとARM . . . 46
6.3.3 スペクトル再構成 . . . 46
6.3.4 シミュレーションとの比較 . . . 50
6.4 複数の点源からの同時イメージング . . . 52
6.5 格子状に並べられた点源のイメージング . . . 54
6.6 広がった線源のイメージング. . . 56
第7章 画像再構成法 57 7.1 画像再構成法の原理 . . . 57
7.1.1 画像再構成の考え方 . . . 57
7.1.2 Maximum likelihood expectation maximization (MLEM) 法 . . . 58
7.1.3 List-modeへの移行 . . . 59
7.2 画像再構成法の実験データへの適用 . . . 59
7.2.1 検出効率とレスポンスの導出 . . . 59
7.2.2 格子状線源の画像再構成 . . . 62
7.2.3 広がった線源の画像再構成 . . . 63
第8章 偏光測定実験 65 8.1 検出器の構成 . . . 65
8.2 実験のセットアップと測定条件 . . . 67
8.2.1 実験のセットアップ . . . 67
8.2.2 測定条件. . . 67
8.3 測定結果と解析 . . . 68
8.3.1 2次元エネルギープロットと方位角分布. . . 68
8.3.2 無偏光の光子を入射させたときの方位角分布 . . . 72
8.3.3 modulation factorの導出 . . . 72
第9章 まとめ 75 付 録A Si/CdTe コンプトンカメラを用いた生体イメージング実験 77 A.1 半導体コンプトンカメラの医学分野への応用 . . . 77
A.2 実験の概要 . . . 77
v
図 目 次
1.1 これまでの検出器で達成されてきた感度 . . . 1
2.1 コンプトン散乱 . . . 3
2.2 無偏光光子がコンプトン散乱したときの散乱断面積 . . . 4
2.3 コンプトンカメラの模式図 . . . 5
2.4 コンプトンイメージングの基本原理 . . . 6
2.5 ARMの定義. . . 6
2.6 2つの検出器で反応があった場合に考えられる光子の軌跡 . . . 8
2.7 フェイクイベントの例 . . . 8
2.8 散乱角とmodulation factorの関係 . . . 9
2.9 CGRO 衛星搭載COMPTEL 検出器 . . . 10
2.10 半導体多層コンプトンカメラの概念図. . . 11
2.11 多重散乱イベント . . . 12
2.12 すざく衛星搭載硬X線検出器(HXD) の概略図. . . 14
2.13 ASTRO-H搭載軟ガンマ線検出器 (SGD) . . . 15
2.14 DUAL計画の概念図 . . . 16
3.1 コンプトンカメラの全体の構成 . . . 17
3.2 コンプトンカメラ本体の写真. . . 18
3.3 Si両面ストリップ検出器 . . . 19
3.4 DSSDで取得した241Amのスペクトル . . . . 20
3.5 CdTe Pad 検出器とフロントエンドカード . . . 21
3.6 CdTe Bottom モジュールと CdTe Side モジュール . . . 21
3.7 CdTe Bottomモジュールで取得した133Baのスペクトル . . . . 22
3.8 アナログASIC VA64TA1 . . . 23
3.9 VA64TA1のブロックダイアグラム . . . 23
3.10 読み出しシーケンスのタイミングチャート . . . 24
3.11 CdTe Readout Box . . . 25
3.12 SpaceWire制御部 . . . 26
3.13 高圧電源供給 Box. . . 27
4.1 241Amを入射させたときの、あるチャンネルにおけるADC値の分布 . . . . 30
4.2 DSSD p-sideの14 chのADC値と、その他63chの平均ADC値との間の相関 . . 30
4.3 コモンモード除去前後のスペクトルの比較 . . . 31
4.4 エネルギー較正曲線の例 . . . 32
4.5 ヒットリストの中身を表示したもの . . . 33
5.1 エネルギー較正曲線の一例 . . . 36
5.2 光電吸収ピークを利用したエネルギー較正曲線を用いて解析を行った結果 . . . 37 5.3 コンプトンイベントに対して横軸にE2、縦軸にEpeak−E1をとりプロットしたもの 38
vi
5.5 コンプトンイベントに対して横軸にE1、縦軸にEpeak−E2をとりプロットしたもの 40
5.6 全てのエネルギー較正を行った後のエネルギー2次元プロット。 . . . 41
5.7 光電吸収ピークを用いた較正とコンプトン散乱を利用した較正の比較 . . . 41
6.1 イメージング実験に使用したコンプトンカメラの主検出器部 . . . 43
6.2 主検出器部の構成 . . . 44
6.3 2-5ヒットイベントの1ヒットイベントに対する数の比。 . . . 45
6.4 線源と検出器の配置 . . . 46
6.5 エネルギー2次元プロット . . . 47
6.6 各線源のバックプロジェクション . . . 48
6.7 スペクトル再構成の結果 . . . 49
6.8 シミュレーションのセットアップ . . . 51
6.9 DSSDとCdTe Pad 検出器のエネルギー分解能の導出 . . . 51
6.10 イメージングを行った線源の位置関係. . . 52
6.11 133Ba、22Na、137Csの3種類の線源を同時測定したときの2回ヒットスペクトル . 52 6.12 各エネルギー帯域におけるバックプロジェクション . . . 53
6.13 再構成後の2回ヒットスペクトル . . . 54
6.14 イメージングを行ったサンプル . . . 55
6.15 格子状点源のバックプロジェクション. . . 55
6.16 バックプロジェクションのy軸上への射影 . . . 55
6.17 広がった線源のサンプル . . . 56
6.18 広がった線源のバックプロジェクション . . . 56
7.1 イメージ空間とデータ空間の間の関係. . . 57
7.2 検出効率の求め方 . . . 60
7.3 モンテカルロシミュレーションより求めた検出効率の分布 . . . 60
7.4 あるイベントに対するイメージレスポンス . . . 61
7.5 格子状線源に対する画像再構成前後のイメージ. . . 62
7.6 コンプトンカメラの位置決定精度の導出 . . . 63
7.7 広がった線源に対する画像再構成前後のイメージ . . . 64
8.1 偏光測定実験で使用したコンプトンカメラの主検出器部のジオメトリ . . . 65
8.2 主検出器部の構成 . . . 66
8.3 主検出器部の写真 . . . 66
8.4 実験のセットアップ . . . 67
8.5 セットアップの様子 . . . 68
8.6 偏光測定を行ったコンプトンカメラの回転角 . . . 69
8.7 検出器座標系の設定 . . . 69
8.8 Si – CdTe Side 2回ヒットイベントの2次元エネルギープロット . . . 70
8.9 Si – CdTe Sideコンプトンイベントの方位角分布 . . . 71
8.10 シミュレーションのセットアップ . . . 72
8.11 無偏光光子入射時のSi – CdTe Side コンプトンイベントの方位角分布 . . . 73
8.12 各回転角におけるmodulation ratio . . . 74
A.1 実験のセットアップ . . . 78
A.2 実験に用いたマウスの写真 . . . 78
A.3 腹部を中心とした測定での2回ヒットスペクトル . . . 79
A.4 投与した線源のバックプロジェクションによるイメージ . . . 80
vii
表 目 次
3.1 今回使用したDSSDの特性. . . 19
3.2 今回使用した CdTe Pad 検出器の特性 . . . 21
3.3 高圧電源供給 Box で制御可能なDACの値 . . . 27
4.1 検出器のスレッショルドの値. . . 32
4.2 ヒットリストに含まれる情報. . . 33
5.1 エネルギー較正に使用した線源 . . . 35
5.2 コンプトン散乱を利用したCdTe Pad検出器のエネルギー較正で用いた条件 . . . 38
5.3 コンプトン散乱を利用したDSSDのエネルギー較正で用いた条件 . . . 39
6.1 検出器の動作環境 . . . 44
6.2 イメージングを行った線源 . . . 45
6.3 シミュレーションを行った光子のエネルギー . . . 50
6.4 実験とシミュレーションの角度分解能の比較 . . . 50
6.5 各点源の位置 . . . 53
6.6 スペクトル再構成の結果 . . . 53
8.1 検出器の動作環境 . . . 68
8.2 抽出するイベントの条件 . . . 70
8.3 フィッティング結果 . . . 73
1
第
1
章 はじめに
数十keVから数MeVというsub-MeVと呼ばれるエネルギー帯域は、高温プラズマからの熱的
な放射が収まり、粒子加速による非熱的放射が支配的となる転換点ともいうべき領域であり、こ の領域の観測は粒子の加速機構の手がかりを与える。また、超新星爆発の際生成される原子核は、 崩壊するときに sub-Mevの領域で核ガンマ線を放射する。よってこのガンマ線を捉えることで、
超新星爆発での重元素合成のメカニズムが明らかになると期待される。
このように、sub-MeV領域は天文学に新たな知見を加えるものとして大変魅力的な観測領域で
あるが、この領域の観測は他のエネルギー帯域に比べて、大きく立ち後れてしまっている。図1.1
に、これまでの検出器で達成されてきた感度を、各エネルギー帯域ごとに示した。この図に示さ れるように、10 keVから10 MeVの帯域では、他の帯域に比べて感度が2−3桁落ちてしまって
いる。Sub-MeV領域における高感度観測を妨げる原因として、天体からの信号に比べてバックグ
ラウンドが高くなること、そして検出器が光子のエネルギーを全て吸収する光電吸収よりも、光 子がエネルギーを一部だけ渡して散乱してしまうコンプトン散乱が相互作用として支配的となる ことが挙げられる。
図1.1: これまでの検出器で達成されてきた感度。ただし、緑色で示したのは2013年打ち上
げ予定のASTRO-Hに搭載される検出器の予測感度である。
これらの要因から、sub-MeV 領域で高感度観測を行うためには、従来のX線観測で使われて
きた光電吸収型の検出器では限界がある。そこで期待されているのが、コンプトン散乱の情報を 元に光子の到来方向とエネルギーを再構成する、コンプトンカメラと呼ばれる検出器である。コ ンプトンカメラではコンプトン散乱した光子の情報を積極的に利用するため、コンプトン散乱が 支配的な相互作用となる sub-MeV領域でも高い感度が期待できる。事実、衛星軌道上で稼働し
た唯一のコンプトンカメラであるCGRO衛星搭載のCOMPTEL検出器は、MeVガンマ線の観
2 第1章 はじめに
域において最高感度を保ち続けていることからも、コンプトンカメラがsub-MeV領域の観測に
高いポテンシャルを持っていることが伺える。しかし、このCOMPTELもまた、高いバックグ
ラウンドと低い検出効率に悩まされてきた。さらに、COMPTELでは主検出器部にシンチレータ
を用いているため、角度分解能は数度程度、エネルギー分解能も6.1 % (1 MeVにおける値)であ
り、まだ改良の余地があるといえる[2]。
このCOMPTELの経験から学び、sub-MeV領域における高感度観測を実現するために、我々
は主検出器部にシリコン(Si)とテルル化カドミウム(CdTe)という半導体を用いた、Si/CdTe半
導体多層コンプトンカメラの開発を進めている。主検出器部に半導体を使うことで、シンチレー タを凌ぐ高いエネルギー分解能を達成することができる。また、高密度実装技術の開発により、
SiとCdTeを短い距離に何段も重ね合わせて検出効率を向上させることが可能となった。このよ
うな技術革新により、これまでにない高感度ガンマ線観測を実現することができる。
また、この半導体多層コンプトンカメラは、これまで効率のよい観測手段が確立されていない ガンマ線の偏光観測にも、その威力を発揮する。最近、INTEGRAL衛星の観測により、かにパ
ルサーからのガンマ線の偏光が確認された[3,4]。そのガンマ線の偏光方向はジェットの軸と平
行であり、シンクロトロン放射を仮定すると、ジェットと垂直な方向に磁場が存在していること が示唆される。このように、ガンマ線の偏光は、粒子加速の現場における磁場の構造を反映して いるため、その加速機構の解明に大きな役割を果たす。これ以外にも、活動銀河核を囲む降着円 盤の幾何学的構造や、ガンマ線バーストの放射機構の解明などへの貢献が期待されている。
Si/CdTe半導体多層コンプトンカメラは上述のようにガンマ線天文学の新たな扉を開く可能性
を秘めているが、その実現のためには、半導体検出器や多チャンネル読み出しシステムの開発、 コンプトン再構成をはじめとしたデータ処理方法の確立、そして実験とシミュレーションによる 性能の実証という、多くの課題を一つ一つ解決していく必要がある。今回、コンプトンカメラ試 作機の製作と、それを用いたイメージング実験および偏光測定実験により、コンプトンカメラが ガンマ線観測において高い観測能力を持つことを実証した。本論文はその結果について報告した ものである。
本論文の構成を以下に示す。第2章は導入部であり、コンプトンカメラの原理と、半導体多層
コンプトンカメラのコンセプト、そしてその将来計画について述べた。第3章では、今回製作し
たコンプトンカメラ試作機について、全体の構成と各パートの役割について説明した。続く第4
章と第5章は本格的な解析を行う前の準備段階の章といえる。第4章では膨大なコンプトンカメ
ラのデータから、解析がしやすいよう効率的にヒット情報をまとめる方法について示した。また、 第5章では、コンプトンカメラのエネルギー較正を正しく行うための方法を考察した。第6章か
ら第8章までが、今回行われた実験の結果と解析について述べた章である。まず、種々の線源を
用いたイメージング実験の結果について第6章で報告し、そこで得られたイメージに対し第7章
で画像再構成を試みた。また、第8章ではSPring-8での偏光測定実験について説明しており、コ
3
第
2
章 コンプトンカメラ
2.1
コンプトンカメラの原理
2.1.1
コンプトン散乱
コンプトン散乱は、光子と電子との間で起こる散乱過程で、ガンマ線と物質との間で引き起こ
される相互作用の一つである。図2.1に示すように、入射光子はコンプトン散乱によって最初の
方向から角度 θの方向へ曲げられる。このとき、光子はそのエネルギーの一部を静止していた電
子へ伝達する。この電子は反跳電子と呼ばれる。コンプトン散乱によるエネルギー伝達と散乱角 の関係を表す式は、エネルギーおよび運動量保存則から得られる方程式を解くことにより導かれ、 次式のように示される。
E! γ =
Eγ 1 + Eγ
mec2(1−cosθ)
(2.1)
ここで Eγ は入射した光子のエネルギー、Eγ! は散乱後の光子のエネルギー、mc
2 は電子の静止
質量エネルギーを表す。
図2.1: コンプトン散乱
散乱光子の微分断面積は、以下に示すクライン– 仁科の公式で与えられる[5]。 dσ
dΩ =
r2 0 2
E!2 γ E2 γ ! Eγ E! γ +E ! γ Eγ
−2 sin2θcos2η "
(2.2)
ここでr0=e2/mec2は古典的電子半径、ηは光子の電場ベクトルと散乱方向の間の方位角を表す。 無偏光光子の場合は式(2.2)を全方位角に渡って平均すれば良いので、
dσ
dΩ =
r20 2
E!2 γ E2 γ ! Eγ E! γ +E ! γ Eγ
−sin2θ "
(2.3)
となる。上式から微分断面積を計算しエネルギーごとにプロットしたものを図2.2に示す。図か
4 第2章 コンプトンカメラ
2.1. コンプトンカメラの原理 5
2.1.2
コンプトンカメラでのイメージング
コンプトンカメラは、図2.3に示すように、散乱体と吸収体という2種類の検出器で構成され
る。散乱体でコンプトン散乱し、吸収体で光電吸収された光子を考える。散乱体での検出エネル ギーをE1、吸収体での検出エネルギーをE2とすると、エネルギー保存則より入射光子のエネル
ギーEinは
Ein=E1+E2 (2.4)
と表される。また、式(2.1)より、コンプトン散乱の散乱角が
cosθ= 1−mec 2
E2
+ mec 2
E1+E2
(2.5)
と求まる。この散乱角と散乱体、吸収体での反応位置から、光子の到来方向は図2.3に示すよう
な円環状に制限される。散乱角θで制限される円錐は光子のソースが存在しうる領域であり、こ
れをコンプトンコーンと呼ぶ。
図2.3: コンプトンカメラの模式図。コンプトンカメラは前段の散乱体と、後段の吸収体とい
う二種類の検出器からなる。散乱体でコンプトン散乱し、吸収体で光電吸収したイベントを 選べば、その反応位置とエネルギーデポジットから光子の到来方向を制限することができる。
コンプトンカメラでイメージングを行うときは、図2.4に示すように、線源の存在する平面と
コンプトンコーンの共有点を求める。すると線源の位置が楕円の円周上に制限される注1。同一の
線源からの複数のイベントから得られるコンプトンコーンを重ね合わせることで、線源の位置を 特定することができる。
2.1.3
コンプトンカメラの角度分解能
角度分解能はコンプトンカメラにとって最も重要なパラメータといえる。なぜなら、コンプト ンカメラのイメージング能力は角度分解能によって決定され、後述するようにコンプトン運動学 をバックグラウンド除去に使う場合も、角度分解能がその除去能力を制限するからである。
コンプトンカメラの角度分解能を評価するために良く使われる指標に、Angular Resolution
Measure (ARM) がある。今、コンプトンコーンの軸と線源が入射する方向のなす角をθG、式
(2.5)より求めた運動学による散乱角をθKとする。このとき、ARMは以下の式で定義される。
ARM =θK−θG (2.6)
6 第2章 コンプトンカメラ
図2.4: コンプトンイメージングの基本原理。光子の到来方向はコンプトン運動学によって、
コンプトンコーンと呼ばれる円錐面上に制限される。このコンプトンコーンと線源の存在す る平面との交点を求めることで、イメージングを行う。ガンマ線光子の到来方向には多くの コーンが重なるので、これによりガンマ線源の位置を特定することができる。天体観測の場 合は、天球上にコンプトンコーンを描く。
これは、線源の方向とコンプトンコーンの間の最小離角と等しい(図2.5)。
図2.5: ARMの定義。ARM =θK−θGと定義される。これは線源の方向とコンプトンコー
ンの間の最小離角と等しい。
理想的な検出器ではARM = 0となるはずだが、現実には様々な要因によってARMは有限の
値を持つ。まず、検出器の位置分解能が有限であることから、θGの測定誤差が生じる。また、エ
ネルギーの測定誤差は式(2.5)を通じてθKに伝搬する。ゆえに、コンプトンカメラの性能向上の ためには位置分解能とエネルギー分解能に優れた検出器を使う必要がある。
ただし、位置分解能とエネルギー分解能が0の理想的な検出器であっても、コンプトン散乱の
物理的要因からARMは有限の値に留まる。式(2.1)を導出する際、電子は静止していると仮定
2.1. コンプトンカメラの原理 7
くと、|pe|"mcのとき、非相対論的近似が成り立ち、散乱前の電子のエネルギーEeを
Ee =mc2+ |p2
e|
2me
(2.7)
と表すことができる。上式とエネルギーおよび運動量保存則から、散乱後の光子のエネルギーは 以下のように導かれる。
E! γ=
Eγ 1 + Eγ
mec2(1−cosθ)
!
1 +(p
!
γ−pγ)·pe mEγ
"
(2.8)
ここで、pγは散乱前の光子の運動量、p!γは散乱後の光子の運動量であり、それぞれpγ= (Eγ/c)nγ、
p!γ = (Eγ!/c)n!γ (nγは散乱前の光子の方向ベクトル、n!γは散乱後の光子の方向ベクトル) とな
る。このように、電子が有限の運動量を持つことによってエネルギーがずれる現象をDoppler
broadening effectと呼ぶ。
式(2.8)のかっこ内の2項目が、電子が静止している場合からのエネルギーのずれを表す。上式
から明らかなように、電子の運動量が大きいとエネルギーのずれは大きくなる。一般に内殻電子 ほど大きな運動量を持つので、内側の軌道にある電子に散乱される場合は大きな影響を受ける。 また、原子の種類によっても電子の運動量の大きさは変わるので、doppler broadeningの影響の
度合いも変化する。大域的には原子番号Zの増加に伴ってdoppler broadeningの影響が大きくな
る。また局所的にも希ガスで最も影響が大きくなり、アルカリ金属およびアルカリ土類金属で最 小になるという周期性を持つ[6]。
再び式(2.8)に注目すると、光子の散乱前後での運動量変化が大きいほどdoppler broadening
の影響も大きくなることが分かる。これは、散乱角が大きいほどエネルギーのずれが大きくなる ことを示している。また、かっこ内2項目の分母にEγが含まれることから、入射光子のエネル
ギーが小さいほどdoppler broadeningの影響は大きくなる。
Doppler broadeningの影響はエネルギーの不定性を通してθKに伝搬する。この効果によって
コンプトンカメラの角度分解能の到達限界が決まるため、コンプトンカメラの散乱体にはdoppler
broadeningの影響の小さい物質を使用することが望まれる。
2.1.4
イベント再構成
コンプトンカメラではイメージングを行う前に、イベントの再構成をしなければならない。イ
ベント再構成とは、ヒットリスト (光子の反応があった位置やエネルギーといった情報を並べた
もの) から反応の順番と種類を同定する作業を指す。イベント再構成が適切に行われないと、線
源からの信号を捨ててしまったり、逆にバックグラウンドの信号を線源からの信号と取り違える ということが起こり、信号対雑音比が悪化する原因となる。以下、2回ヒットイベント(2つの検
出器で同時に反応があったイベント) を例にとり、イベント再構成の手法を示す。
まず、全ヒットリストの中から抜き出してきた2回ヒットイベントに対し、イベントの反応順
序を決定する。図2.6に、2つの検出器で反応があった場合に考えられる光子の軌跡を示す。図 2.6では2つの検出器での反応位置と検出エネルギーは等しいが、どちらを採用するかによって光
子の到来方向は異なってくる。そのため、コンプトンカメラでは光子の反応順序を正しく決める ことが重要となる。
入射光子のエネルギーがmec2/2 = 255 keVよりも小さい場合は、2つのエネルギーの大きさ から反応順序を決定することができる。常に−1<cosθであるから、これと式(2.5)から、
E1+E2> mec2
2 ·
E1 E2
8 第2章 コンプトンカメラ
という条件式が得られる。E1+E2 < mec2/2のとき式(2.9)を成り立たせるためには、E1< E2
でなければならない。すなわち、エネルギーの低い方をE1、エネルギーの高い方をE2と決定す
ることができる。
E1+E2 > mec2/2が成り立つ場合は、別の方法で反応順序を決めなくてはならない。最も直
接的には検出器での反応時刻を元に順番を決定すればよいが、この方法は検出器同士の間隔がご く近い場合はpsecのオーダーの時間分解能が必要となり、現実的とはいえない。その他には、シ
ミュレーションの結果を元に統計的に順番を決めるという方法がある。今回の実験ではこの方法 を採用した。
2回ヒットイベントの中には、片方の検出器でコンプトン散乱し、もう一方の検出器で光電吸
収されたイベント (コンプトンイベント) 以外の“偽の”イベント (フェイクイベント) が存在す
る。図2.7にそのようなイベントの例を示した。左は吸収体で光子が光電吸収され、その際生じ
た蛍光X線が散乱体で吸収されたイベント、右は吸収体で光子が光電吸収され、吸収体から飛び
出してきた光電子が散乱体で吸収されたイベントを表している。フェイクイベントをコンプトン イベントとして再構成してしまうとバックグラウンドとなるため、イベント再構成の際にこのよ うなイベントを同定しておく必要がある。
図2.6: 2つの検出器で反応があった場合に考えられる光子の軌跡。どちらを選択するかによっ
て光子の到来方向は全く異なる。
図2.7: フェイクイベントの例。(左) 吸収体で光子が光電吸収される際に生じた蛍光X線を
散乱体が再び光電吸収してしまったイベント。(右) 吸収体で光子が光電吸収され、吸収体か
2.1. コンプトンカメラの原理 9
2.1.5
偏光計としてのコンプトンカメラ
式(2.2)に示したように、コンプトン散乱した光子の微分断面積は方位角方向の依存性を持つ。
ゆえに、偏光したガンマ線の散乱方向の方位角分布をコンプトンカメラで求めてやることで、光 子の偏光度を求めることができる。
ガンマ線の偏光度を評価するため、modulation ratioを以下の式で定義する[7]。
R(φ) = n(φ)−n(φ+ π 2) n(φ) +n(φ+π
2)
(2.10)
ここで、n(φ)は方位角φとφ+ dφの間に含まれるイベントの数である。ここで入射光子の偏光 方向をφ0とおくと、式(2.2)より、
R(φ) = n(φ)−n(φ+ π 2) n(φ) +n(φ+π
2)
= σ(η=φ−φ0)−σ(η =φ+ π 2 −φ0)
σ(η=φ−φ0) +σ(η =φ+π2 −φ0)
=Qcos#2$φ+π 2 −φ0
%&
(2.11)
となる。σ(η)は光子の電場ベクトルと散乱方向の間の方位角がηのときの散乱断面積を表す。こ
こで、式(2.11)の係数Qはmodulation factorといい、以下の式で表される。
Q= sin
2θ
Eγ
E! γ
+E!γ
Eγ −sin
2θ (2.12)
実際の検出器では、バックグラウンドや検出器の非対称性などから、modulation factorは理論値
と異なる値をとる。よって正しい偏光観測を行うためには、これらの要素を極力取り除いてやら なければならない。
図2.8はエネルギーごとにmodulation factorをプロットしたものである。この図から、低エネ
ルギー側では散乱角θが90◦に近いときにmodulation factorが最大値をとることが分かる。ま
た、エネルギーが高くなるに従ってmodulation factorの最大値をとる散乱角が小さくなってい
る。高エネルギー側では前方散乱が支配的となることから、この事実はコンプトンカメラでの偏 光観測にとって有利に働く。
10 第2章 コンプトンカメラ
入射ガンマ線の偏光度Πは、以下の式で計算することができる。
Π= 1
Q100
N(φ0−π2)−N(φ0) N(φ0−π2) +N(φ0)
(2.13)
ここでQ100は100%偏光のガンマ線が入射したときのmodulation factor、N(φ)は方位角φにお
けるカウントレートである。
2.2
COMPTEL
検出器
2.1節で述べたコンプトンカメラのアイデアを軌道上で実現させた唯一の例が、1991年にNASA
が打ち上げたCGRO (Compton Gamma Ray Observatory) 衛星搭載のCOMPTEL検出器であ
る。その概略図を図2.9に示す[2]。COMPTELは散乱体に液体シンチレータ NE 213A を、吸
収体にヨウ化ナトリウム(NaI) 結晶を用いている。それぞれの検出器はプラスチックシンチレー
タのシールドで囲われており、このシールドとの反同時係数をとることで、荷電粒子イベントを 除去している。また、2つの検出器間の距離が1.5mと大きくはなれているため、散乱光子の飛行
時間を調べるtime-of-flight観測が可能となり、イベント選択に取り入れている。さらに、中性子
によるバックグラウンドを除去するために散乱体の液体シンチレータに対して波形弁別を施して いる。
コンプトン望遠鏡では散乱体でコンプトン散乱を起こす確率と吸収体で光電吸収を起こす確率 の積で有効面積が決まるため、COMPTEL は1500 kg 近い重量を持ちながら、有効面積が 20
− 50 cm2 と非常に小さい。それにも関わらず、観測の非常に困難な MeV ガンマ線の領域で、
COMPTEL は世界最高の感度を達成し、その記録は未だに破られていない。この事からも、コ
ンプトン運動学を応用した検出器の効果がわかる。
2.3. 半導体多層コンプトンカメラ 11
2.3
半導体多層コンプトンカメラ
我々の研究グループは、COMPTELよりも1桁程度低い数 10 keV −1 MeVの領域で、これ
まで達成された感度を1 桁以上向上させることを目指して、散乱体と吸収体に半導体を用いた多
層コンプトンカメラの開発を進めている[8,9,10,11,12,13,14]。位置分解能、エネルギー分解
能がともに優れた半導体検出器を使うことで、高い角度分解能を得ることができる。
図2.10は半導体多層コンプトンカメラの概念図である。図に示すように、0.5 mm厚の薄い半
導体検出器を高密度に積層させて、有効面積の向上を図っている。また、このように薄い半導体 を積層させることで、厚い半導体検出器を用いる場合に比べて、垂直方向の反応位置を精度よく 決めることができる。吸収体は、散乱体の下部と周囲に配置される。散乱体の周囲に配置された 吸収体によって、低エネルギー側で増大する大角度散乱(図2.2)のイベントも検出することがで
きる。また、コンプトンカメラを偏光計として使用する際にも、サイドの吸収体は重要な役目を 果たす(第8章参照)。
図2.10: 半導体多層コンプトンカメラの概念図。
半導体を積層させて得られる恩恵はこれだけではない。多層にすることで2回散乱やそれ以上
散乱した場合のイベントも再構成に利用することができる。今、図2.11 (a) のように、2 回散乱
した後光電吸収されたイベントを考えよう。コンプトン散乱の式(2.5)を繰り返し適用すること
で、以下の式が導出される。
Ein=E1+E2+E3 (2.14)
cosθ1 = 1 +
mec2
E1+E2+E3
− mec 2
E2+E3
(2.15)
cosθ2 = 1 +
mec2
E2+E3
−mec 2
E3
(2.16)
12 第2章 コンプトンカメラ
式が適用される。
Ein=E1+E2+E3! (2.17)
cosθ1= 1 +
mec2
E1+E2+E3!
− mec 2
E2+E3!
(2.18)
E! 3=−
E2 2 + ' E2 2 4 +
E2mec2
1−cosθ2
(2.19)
この場合は各検出器で検出されたエネルギーを足し合わせても入射ガンマ線のエネルギーEinに
ならないため、まず各検出器の反応位置からcosθ2を求め、式(2.19)よりE3! を計算し、それを
式(2.17)と(2.18)に代入して入射エネルギーと散乱角を得る。
図2.11: 多重散乱イベント。
上述のように多重散乱イベントを使うとエスケープしたイベントも再構成に使うことができる。
特に入射光子のエネルギーがMeV領域に近づいてくると多重散乱が増えてくるため、このよう
なイベントを再構成に利用することにより検出効率の向上が期待される。ただし、3つの検出器
での位置分解能、エネルギー分解能による誤差とdoppler broadening effectが効いてくるため、
単純なコンプトンイベントに比べて角度分解能が悪化してしまうことに留意する必要がある。 多重散乱イベントを再構成するときはその反応順序を決定しなければならない。図2.11 (a) の
場合は反応位置と検出エネルギーの双方から散乱角cosθ2を求めることができるので、その2つの
値が一致するように反応順序を決定すれば良い。図2.11 (b) の場合はそのような方法をとること
2.4. コンプトンカメラのデザイン 13
2.4
コンプトンカメラのデザイン
物理的、技術的制限から、理想的な性能を持つ検出器を作成することは不可能に近い。しかし、 性能を制限している原因を洗い出し、それを克服するようなデザインを考えることで、現実の検 出器の性能を理想に近づけていくことができる。この節では、これまでに述べてきた事柄から、 最適なコンプトンカメラのデザインについて考察する。
最も重要なのは、散乱体と吸収体に使う検出器の選定である。まず、コンプトンカメラで最も 重要なパラメータである角度分解能の向上のために、以下のような特徴を満たす検出器であるこ とが要求される。
• 位置分解能およびエネルギー分解能に優れている
• 散乱体に用いる物質は、doppler broadeningの効果が小さい
また、COMPTEL検出器の例からも分かるように、コンプトンカメラの有効面積は非常に小さい
ものとなるので、検出効率を上げるために、以下の要求が課される。
• 吸収体に用いる物質は、光電吸収の断面積が大きい
• 散乱体、吸収体ともに高密度な積層が可能である注2
さらに、散乱体と吸収体で同時に反応が起きたイベントを取得しなくてはならないので、
• 高い時間分解能を持つ
検出器でなくてはならない。
上記の条件を満たす検出器として、散乱体に シリコン両面ストリップ検出器(DSSD)、吸収体
に テルル化カドミウム (CdTe) Pad 検出器を採用した。DSSDは両面にストリップ状の電極を
設けた検出器であり、浜松ホトニクスと共同で開発を行った。少ない読み出し電極数で高い位置 分解能を得ることができるという特長を持ち、これまでに位置分解能で400 µm、エネルギー分
解能で 1.5 keV (60 keV における値) を達成している[15,16]。また、Si は半導体の中でも最も
Doppler broadening の影響が少ない物質である。このように、DSSDは散乱体として理想的な検
出器であるといえる。
吸収体に用いた CdTe 半導体は大きな原子番号を持つ原子で構成され (Cd = 48、Te = 52)、
その密度が高いため (5.85 g/cm3)、半導体の中でも光電吸収の効率が高い。我々は ACRORAD
社と共同で CdTe 検出器の開発を行い、電極やバイアス条件を最適化することで、位置分解能
1.4 mm、エネルギー分解能1.2 keV (60 keVにおける値) という高い性能を持つPad検出器の開
発に成功した[17,18]。
これらの特長に加え、DSSD、CdTe Pad 検出器はともに2 mm 間隔での高密度な積層が実現
されている[19,20,21]。また、一つ一つの電極からの信号を同時に処理するため、同じ撮像素
子のCCDで必要となる電荷転送のための時間が省略でき、高い時間分解能を実現している。以
上の点から、散乱体にDSSD、吸収体にCdTe Pad検出器という組み合わせは理想に近く、高い
性能を誇るコンプトンカメラをつくることができると期待される。
また、ここで述べたシステムを完成させるためには、多チャンネルの信号を同時処理でき、な おかつ低ノイズであるアナログASICの技術が必要不可欠となる。我々はノルウェーのIdeas 社
との共同開発によってアナログASIC “VA64TA”を完成させ、この目標を達成した[12,22]。こ
れらの技術を総動員してつくられた Si/CdTe コンプトンカメラの詳細については、第3章で述
べる。
注2検出効率を上げるだけなら、散乱体、吸収体を厚くすることでも実現できる。ただし、垂直方向の位置決定精度
14 第2章 コンプトンカメラ
2.5
将来計画
2.5.1
ASTRO-H
搭載軟ガンマ線検出器
(SGD)
軟ガンマ線検出器 (Soft Gamma-ray Detector ; SGD)は、2013年打ち上げ予定の次期X線天
文衛星 ASTRO-H に搭載される、10 keVから300 keVという sub-MeV領域でのスペクトル観
測を主目的とした検出器である。第1章で触れたように、sub-MeVというエネルギー帯域では天
体からの信号に比べてバックグラウンドが支配的となるため、いかにバックグラウンドを除去で きるかが高感度観測の鍵を握る。これまでにないバックグラウンド除去能力を持つ検出器を実現 させるため、SGDでは“狭視野のコンプトンカメラ”という新しいコンセプトを採用した[23]。 SGDには、2005年に打ち上げられたすざく衛星搭載の硬X線検出器 (Hard X-ray Detector ; HXD)で培われた経験が大きく反映されている。図2.12に、HXDの概略図を示した[24]。HXD
の主検出器部は、低エネルギー側を担当するSi PIN ダイオード検出器と、高エネルギー側を担
当する GSO結晶シンチレータから構成される。そしてこれらの主検出器部の周りを、井戸型の
BGO シンチレータによるアクティブシールドで取り囲んでいる。このように検出器の視野を絞
り込むことで、視野角全体から降り注ぐ宇宙X線背景放射や目的天体以外からの天体の混入ガン
マ線を減らしている。また、アクティブシールドとの反同時係数により、荷電粒子イベントや荷 電粒子に由来するプロンプト放射のガンマ線イベントを除去することができる。このようなバッ クグラウンド除去法を用いることで、HXDは10 keVから数100 keVのエネルギー帯域において
最も高い感度を得ることに成功した[25]。
しかし、このHXDでも除去しきれないバックグラウンドが存在している。それは、放射化バッ
クグラウンドと大気アルベド中性子イベントである[26]。放射化バックグラウンドとは、高エネ
ルギー陽子と検出器を構成する物質が相互作用した結果不安定な放射性同位体が生成され、そこ から放出されるベータ線やガンマ線が検出器に入射することで引き起こされるバックグラウンド である。また、大気アルベド中性子は宇宙線と大気の核反応により生成される中性子であり、検
出器内で弾性散乱を起こしバックグラウンドとなる。HXDを超える高感度観測を実現するため
には、これらのバックグラウンド源を取り除くことが必要不可欠となる。
2.5. 将来計画 15
そこで我々の研究グループが提唱したのが、HXDの徹底したバックグラウンド除去能力に加え
て、コンプトン散乱の運動学を利用したバックグラウンド除去能力を備えた狭視野コンプトンカ メラという概念である。図2.13に、軌道上で動作する初の狭視野コンプトンカメラとなるSGD
の概念図を示した[27]。SGDでは、Si Pad検出器とCdTe Pad 検出器で構成されるコンプトン
カメラを、BGO シンチレータによるアクティブシールドで取り囲む。まずこのアクティブシー
ルドによって、HXDと同じようなバックグラウンド除去を行うことができる。さらに、コンプト
ンカメラではコンプトン散乱の運動学によって光子の到来方向を制限することができるため、絞 り込まれた視野以外から来たイベントを全て取り除くことができる。このコンプトン運動学によ るバックグラウンド除去により、放射化バックグラウンドや大気アルベド中性子イベントの大部 分を取り除くことができると期待される。
図2.13: ASTRO-H搭載軟ガンマ線検出器(SGD)。
またコンプトンカメラは、2.1.5項でも述べたように、散乱光子の方位角分布を求めることで偏
光観測を行うことができるため、SGDによってこれまで行われてこなかったsub-MeV領域にお
ける偏光観測が可能となる。天体からの偏光の情報は、粒子の加速現場における磁場の構造や、 降着円盤の幾何学的構造を色濃く反映しているため、高精度の偏光観測が可能となれば、粒子加 速や降着円盤の物理について、より詳しく知ることができるだろう。
2.5.2
DUAL
計画
コンプトンカメラをガンマ線レンズの焦点面検出器として用い、高感度のガンマ線観測を行う という計画が、我々と海外の研究グループの間で進められているDUAL計画である[28,29]。図
2.14に、この計画のコンセプトを表した図を示した。この衛星はガンマ線の集光を行うラウエレ
ンズ (Laue Lens Telescope ; LLT)と、100台ほどのSi/CdTe コンプトンカメラユニットからな
る検出器部(Compton All-Sky Telescope ; CAST) とで構成され、フォーメーションフライトに
よってLLTの焦点面にCASTを配置する。
観測モードには、all-skyモードとtargetモードという2つのモードが用意されている。All-sky
モードでは、コンプトンカメラの広い視野を生かして、60 keVから2 MeVの領域で全天サーベ
16 第2章 コンプトンカメラ
非熱的放射の長時間に渡る変動、宇宙軟ガンマ線背景放射の成因の解明といった成果が期待され ている。これに対し target モードでは、多くのコンパクト星に対し、LLTを用いた集光によっ
て、これまでにない高感度のラインガンマ線観測を行う。
17
第
3
章
Si/CdTe
コンプトンカメラ試作機の製作
コンプトンカメラはその検出原理が複雑なため、半導体多層コンプトンカメラのコンセプトを 実現するためには多くの技術開発が必要とされる。我々のグループではこれまでに検出器や読み出 しシステムの開発を行い、それと並行して散乱体にSi両面ストリップ検出器、吸収体にCdTe Pad
検出器を用いたコンプトンカメラの製作を進めてきた。本章では今回製作した新しいSi/CdTe コ
ンプトンカメラ試作機の詳細について述べる。
3.1
全体の構成
図3.1にSi/CdTe コンプトンカメラ全体の構成を示す。今回製作したコンプトンカメラは主検
出器部、DSSD/CdTe読み出し部、SpaceWire 制御部、高圧電源供給部という4つのパートから
なる。それぞれのパートについては後の節で詳述する。各パートは独立性が高いため、例えば検 出器の構成を変えたい場合は主検出器部のみを改良すればよい。この特徴から、実験の目的に合
わせたフレキシブルな検出器構成を実現することができる。また、図3.2に示すように、全ての
パートが直径35cm、高さ70cmの円筒形の容器に収まるよう設計されており、これまでの試作機
と比較して大変コンパクトなシステムとなっている。
図3.1: コンプトンカメラの全体の構成。主検出器部、DSSD/CdTe読み出し部、Space Wire
18 第3章 Si/CdTe コンプトンカメラ試作機の製作
3.2. 主検出器部 19
3.2
主検出器部
3.2.1
Si
両面ストリップ検出器
Si両面ストリップ検出器(DSSD)は、高エネルギー分野において荷電粒子の飛跡検出を目的と
して開発されたシリコンストリップ検出器 (SSD) を発展させたもので、SSDが片面の電極のみ
をストリップ状に配置しているのに対し、DSSDは両面にストリップ構造を持たせている。我々
は宇宙硬X線観測を目的としてDSSDの開発を進め、これまでに高いエネルギー分解能と位置分
解能を達成してきた[15,16,30]。これに加えて、Siは原子番号Z が小さく、半導体の中で最も
doppler broadening effectの小さい物質であるため[6]、DSSDは散乱体として最適といえる。
図3.3にDSSDの写真と断面図を示す[20]。n型のウェーハーの片面にp+のSiをストリップ
状に並べ、その上に電極を形成する。反対側の面にはn+のSiをp+と垂直になるようにストリッ
プ状に並べ、その上に電極を形成する。p+がインプラントされている面をpサイド、n+がイン
プラントされている面をnサイドと呼ぶ。各サイドの電極が垂直に向かい合っているため、両面
の信号を読み出すことで2次元の位置情報を得ることができる。nサイドではn型ウェーハー中
にn+が直接インプラントされているので、各ストリップ間の絶縁を保つために、n+の周りをp+
で取り囲んでいる。このときn+とp+の間で容量が生じるので、容量ノイズによってnサイドの
方がpサイドよりもエネルギー分解能が悪くなる。
図3.3: Si両面ストリップ検出器。(左) DSSDとASICが高密度に実装されたDSSDスタッ
クモジュールの写真。(右) DSSDの断面図。pサイドの電極とnサイドの電極が直角に向か
い合うように配置されている。
表3.1: 今回使用したDSSDの特性。
検出器サイズ 2.56 cm ×2.56 cm
厚さ 500µm
電極ピッチ 400µm
ストリップ間ギャップ 50µm
チャンネル数 64 ×2
表3.1に今回使用したDSSDの特性を示した。400µmという高い位置分解能を達成している。
20 第3章 Si/CdTe コンプトンカメラ試作機の製作
べて、同じ位置分解能を得るために必要なチャンネル数を大幅に削減できる。宇宙空間という限 られたリソースしか使うことのできない環境で動作させる検出器として、この点は大きなメリッ トとなる。
図3.4にDSSDで取得したスペクトルを示す。温度−10˚C、バイアス250Vで動作させた。使
用した線源は241Amである。エネルギー分解能は64keVでpサイド1.7keV、nサイド3.7keVで
あった。nサイドの分解能がpサイドに比べて悪いため、今回エネルギーの決定にはpサイドの
情報を使い、nサイドの情報は位置の決定にのみ用いた。
図3.4: DSSDで取得した241Amのスペクトル。左がpサイド、右がnサイドのスペクトル
である。動作温度−10˚C、バイアス電圧250V。
3.2.2
CdTe Pad
検出器
テルル化カドミウム(CdTe)半導体は原子番号が大きく(Cd = 48、Te = 52)、密度が高い(5.85 g/cm3) ため、数百keVまでのガンマ線に対して高い光電吸収効率を持つ。また、バンドギャップ
エネルギーが大きいため、室温でも動作可能である。これらの特長を持つCdTeであるが、均質
な結晶を得ることが困難であったために、実用化には至っていなかった。しかし、近年の結晶成 長技術の向上により、検出器としての使用に耐えうる高品質な結晶を得ることが可能となってき ており、硬X線、ガンマ線検出器としての実用化が急速に進められている[31]。
我々は、ACRORAD社と共同で、CdTe半導体検出器の開発を進めてきた。CdTe半導体には
キャリアの移動度µと寿命τをかけ合わせたµτ積が小さいという特徴があり (特にホールのµτ
積が小さい)、バイアス電圧が低いと光電吸収で生じた全てのキャリアを集めきることができず、
スペクトルの低エネルギー側にテイル構造が生じるという問題があった。そこで我々は陽極の電 極にInを用いることで、電極とCdTe半導体の間にSchottky障壁を形成し、1kVという高いバ
イアス電圧下でもスペクトルの取得に問題ないほどの低いリーク電流で検出器を動作させること を可能にした[32,33,34,35]。このような高いバイアス電圧下では電子とホールの平均自由行
程が上がるため、全てのキャリアを集めきることができ、テイル構造を大幅に削減することがで きる。
図3.5に今回使用した CdTe Pad検出器(単体)の写真を示した。図中の赤い丸で囲まれた部
分が検出器本体である。電極は陰極にPt、陽極にInを用いており、Pt側がピクセル状に分割さ
れている。一つ一つのピクセルはバンプ接合によってファンアウトボードと接合される。CdTe半
導体は熱や圧力によって性能が劣化してしまうことが知られているが、三菱重工業と共同開発し たバンプ技術によって[36]、低温、低圧での接合を実現した。ファンアウトボードはワイヤーボ
ンディングによってアナログASIC VA64TA1と接続される。CdTe Pad検出器の特性は表3.2に
3.2. 主検出器部 21
図3.5: CdTe Pad検出器とフロントエンドカード。赤い丸で囲まれた部分がCdTe Pad検出
器を、青い丸で囲まれた部分がASICを示している。
表3.2: 今回使用した CdTe Pad検出器の特性。
検出器サイズ 1.335 cm×1.335 cm
厚さ 500µm
電極ピッチ 1.4 mm
電極間ギャップ 50 µm
チャンネル数 64
22 第3章 Si/CdTe コンプトンカメラ試作機の製作
CdTe Pad 検出器は、DSSDの下部と周囲に配置される。ここではDSSDの下部に配置される
ものを CdTe Bottom モジュール、周囲に配置されるものを CdTe Side モジュールと呼ぶこと
にする。図3.6に、各モジュールの写真を示す。CdTe Side モジュールの写真を見れば分かるよ
うに、1枚のFECに2枚のCdTe Pad 検出器とASICが乗っており、これを基本単位として各
モジュールが構成されている。CdTe BottomモジュールはFECを向かい合わせに並べることで
CdTe Pad検出器4枚を田の字型に配置して、DSSDとほぼ等しい検出面積を実現している。ま
たCdTe SideモジュールはDSSDの周囲をまんべんなく取り囲めるように、FECを横に並べて
CdTe Pad検出器4枚をはしご型に配置している。
図3.7にCdTe Bottomモジュールで取得したスペクトルを示す。動作温度−10˚C、バイアス電
圧600Vで、線源は133Baを使用した。今回使用したCdTe Bottomモジュールは4段構成となっ
ており、図にはそれぞれの段の検出器で取得したスペクトルを足し合わせたものが示されている。 エネルギー分解能は81keVで2.0keVであった。
図3.7: CdTe Bottomモジュールで取得した133Baのスペクトル。動作温度−10˚C、バイア
ス電圧600V。
3.2.3
アナログ
ASIC “VA64TA1”
ストリップ検出器やパッド検出器では、電荷結合素子 (CCD) と異なり個々の電極からの信号
を別々の処理系で読み出す。半導体多層コンプトンカメラは、そのコンセプトから多くの半導体 検出器を使用するため、全体のチャンネル数が数千∼数万チャンネルという膨大な数に上る。そ
のため、多チャンネルからの信号を同時に処理することのできるアナログASICの技術が必要と
される。
我々は今回 DSSD とCdTe Pad検出器の読み出しに、ノルウェーの Ideas 社と共同で開発し
たアナログASIC “VA64TA1”を用いた。図3.8にその写真を示す。6mm ×7mm という大きさ
でありながら、64チャンネル分の信号を同時に処理することができる。また、60−80e− (0pF)
という低ノイズで動作するため、高いエネルギー分解能でのガンマ線観測を可能としている。さ らに、1チャンネルあたり0.4 mWという低い消費電力を実現している[12]。
図3.9にVA64TA1のブロックダイアグラムを示す[37]。VA64TA1は波高値の出力を行うVA
と、トリガーを生成するTAからなる。出力された信号はまず前段の電荷有感型増幅器(CSA)で
増幅され、VAとTAの整形増幅器へ送られる。TAには時定数が600nsの速い整形増幅器が搭載
3.2. 主検出器部 23
ネル分のTAの出力はWired-ORされて1つの出力となる。一方、VAには時定数が3µs−5µsの
遅い整形増幅器が搭載されており、その出力はTrigOut信号に対して整形時定数に合わせたdelay
をかけてサンプルホールドされる。その後shift in b信号が入力されると読みだしシーケンスが
開始され、クロック信号に合わせて1チャンネルずつ計64チャンネル分のサンプルホールドさ
れた値が読み出される。全チャンネルの読み出しが終了するとshift out bが出力され、読み出し
シーケンスを終了する。このときのタイミングチャートを、図3.10に示した。
基本的に検出器へ入射したエネルギーとVA64TA1の出力は比例関係にあるが、入射エネルギー
が大きくなるとこのリニアリティが成り立たなくなる。これは、slow shaperの出力が飽和するこ
とと、入射エネルギーが大きくなることによって整形時定数間までに電荷を集めきれず、ピーキ ングタイムにずれが生じてくることに起因している。高エネルギー側のイベントまで利用したい 場合、このことを考慮に入れた正確なエネルギー較正を行う必要がある。
図3.8: アナログASIC VA64TA1。
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図3.9: VA64TA1のブロックダイアグラム。緑字で示した値はレジスタで制御可能である。
VA64TA1は360ビットのシフトレジスタで内部DACの値を制御することができる。調整可能
なパラメータを図3.9に緑字で示した。それぞれの値の意味を以下に示す。
• Pre bias CSAのバイアス電流。
• Ifp CSAのフィードバック抵抗を決める帰還電流。外部から帰還電圧Vfpとして与える
こともできる。
24 第3章 Si/CdTe コンプトンカメラ試作機の製作
図3.10: 読み出しシーケンスのタイミングチャート
• Ifss Slow Shaperのフィードバック抵抗を決める帰還電流。外部から帰還電圧Vfsとして
与えることもできる。Slow Shaperの整形時定数は、Sha biasとifssの値を調整することで
変更することができる
• sbi Fast Shaperのバイアス電流。
• ifsf Fast Shaperのフィードバック抵抗を決める帰還電流。外部から帰還電圧Vfsfとして
与えることもできる。
• vrc High-Pass Filterのバイアス電流。
• obi Level-sensitive Discriminatorのバイアス電流。
• Vthr トリガースレッショルドの値。外部から与えることもできる。
• trigwbias ワンショットの出力幅。70nsから200nsまで調整可能。
• ibuf 差動出力バッファのバイアス電流。
3.3
DSSD/CdTe
読み出し部
DSSD/CdTe 読み出し部では、FECから送られてくるアナログデータをADCによってデジタ
ル信号に変換し、SpaceWire制御部へ転送する。図3.11に、CdTe読み出し部の写真を示す。読
み出し部は、電源・バイアス供給基盤、インターフェイスカード(IFC)、IOカードという3種類
の基盤からなる。DSSDの場合、pサイドとnサイドを別々に読み出すため、バイアス供給基盤、 IFC、IOカードのセットが2組必要となる。また、DSSDは両サイドをともにDC結合で読み出
すため、nサイド側のIFC以降DSSDまでのGNDをバイアス電圧の値に浮かせている。このよ
3.4. SpaceWire 制御部 25
図3.11: CdTe Readout Box。中には電源・バイアス供給基盤、IFC、IOカードが搭載されている。
電源・バイアス供給基盤はFECとIFCをつなげる基盤で、IFCとASICに電源を与えるとと
もにASICの動作に必要なバイアス電流を供給している。IFCにはADCとFPGAが実装されて
いる。FECから送られてきたアナログデータはIFC上のADCでA/D変換され、生成されたデ
ジタルデータはカプラを通してI/Oカードへ送られる。また、IFC上のFPGAはI/Oカードか
らの信号を受けてVA64TA1のレジスタ設定シーケンスや読み出しシーケンスを実行する。FEC
からIFCまでがアナログ処理部となる。
I/Oカードはデジタル処理部の最も前段にあたる。I/OカードにもFPGAが搭載されており、
レジスタ設定シーケンス、読み出しシーケンスに合わせた信号を作ってIFC上のFPGAに転送
している。また、IFCから送られてきたデータに対しては、データ取得システムに応じて外部転
送を行う。SpaceWire制御部との通信にはlow voltage differential signaling (LVDS)という差動
伝送システムを用いており、高速な通信を実現している。
3.4
SpaceWire
制御部
3.4.1
次世代宇宙用通信技術
“SpaceWire”
従来の科学衛星では、衛星搭載機器間での通信インターフェイスは衛星ごと、機器ごとに開発 されており、各々独自の通信プロトコルが使用されていた。しかし、科学衛星の規模が大きくな り、搭載される機器が多種多様になるにつれて、開発期間の長期化、信頼性確保の困難さ、技術 継承の断絶といった問題が生じている。そこでこのような問題を解消するために提唱されたのが、 次世代の宇宙機用ネットワーク規格 “SpaceWire”である。SpaceWire により機器間の通信イン
ターフェイスが統一されることで、大規模であっても単純で信頼性の高いシステムの構築が可能 となる。また、開発コストの低減、機器同士の接続の自由度の向上、過去の衛星で使われた遺産
の有効活用など、多くのメリットが期待できるため、JAXAの科学衛星においても積極的にその
26 第3章 Si/CdTe コンプトンカメラ試作機の製作
SpaceWire は IEEE1355 をベースに開発された、全二重、双方向のシリアルインターフェイ
ス規格であり、その伝送には LVDS が用いられている。LVDS は低電圧での差動伝送方式のた
め、高速通信でも消費電力が低く、低ノイズでの伝送が可能である。SpaceWire の通信速度は 2
– 400 Mbpsと可変であるため、さまざな機器に柔軟に対応できる。また、ツリー型やメッシュ型
といった様々なトポロジのネットワークに対応しているため、システムの冗長性を高め、高い信 頼性を確保することを可能としている。
3.4.2
SpaceWire
制御部の働き
SpaceWire 制御部には2枚の SpaceWire Digital I/Oボード (SpW DIOボード) が搭載され
ている。その写真を図3.12に示す。SpW DIOボードには合わせて40本のデジタル入出力ポート
が装備されており、検出器との通信に使用することができる。また、ボード上には2つの FPGA
が搭載されている。1 つはSpaceWire のプロトコルチップでSpaceWire FPGAといい、これは
全てのアプリケーションで共通のものを使う。もう一方はユーザが目的に合わせて自由に書き込 むことのできるFPGAで、User FPGAという。
図3.12: SpaceWire制御部。このパートは2組のSpaceWire Digital I/Oボードで構成される。
SpW DIOボードは2つのSpaceWireインターフェイスを搭載しており、その先にはSpaceCube
が接続されている。SpaceCube は我々のグループとシマフジ電機が共同で開発した超小型コン
ピューターで、Ethernet やUSB、RS-232Cなど一般的な PCと同等の機能に加え、SpaceWire
インターフェイスを 3 ポート備えている。OS にはリアルタイム性が要求される組込み用途の
コンピュータに適している T-Kernel が採用されている。SpW DIOボードの制御は全てこの
SpaceCubeを通して行われる。
SpW制御部の働きは2つある。1つは検出器から降りてきた波高値データ(ADC値)の取得で
あり、もう1つは高圧電源の制御である。SpaceWireを利用したデータ処理システムは本グルー
3.5. 高圧電源供給部 27
3.5
高圧電源供給部
高圧電源供給部では、DSSDと CdTe Pad検出器にそれぞれ必要なバイアス電圧を供給する。
図3.13にこのパートを構成する高圧電源供給 Box の写真を示す。中にはDC-DC コンバータが
搭載されており、内部DACの値に応じて電圧を出力する。表3.3に調整可能なDACの値を示し
た。これらの値は SpaceCubeによって制御される。DSSDは最大で250V、CdTe Pad 検出器は
最大で600Vの電圧がかけられるようになっている。5ビットのデータビットで電圧を制御するた
め、DSSDは約8 V、CdTe Pad 検出器は約20 V刻みでの電圧の調整が可能である。
図3.13: 高圧電源供給Box。DC-DC コンバータが内蔵されており、内部DACの値に応じた
電圧を出力する。
表3.3: 高圧電源供給Boxで制御可能なDACの値。
Mnemonic 説明
CS デバイスを選択する。
WR データビットの値ををインプットレジスタへ書き込む。
CSがアクティブのときにのみ動作する。
LDAC インプットレジスタのデータをDACレジスタへ転送する。 DACレジスタの値に応じてVoutが出力される。
DB2∼ DB6 データビット。
BUF 参照電圧入力時のバッファの有無を選択できる。