第187章と第239–240章1は、類似点がいくつも見られ、同じテクストから生まれた別
ヴァージョンと考えられている2。そして、「モークシャダルマ編」におけるサーンキヤ思 想の最も基本的なテクストとして重要視されてきた3。
第 1.1 節 第 187 章における原理展開
まず、第187章における原理展開について見ていく。冒頭に次のように説かれる。
adhy¯atmam. n¯ama yad idam. purus.asyeha cintyate/
yad adhy¯atmam. yata´s caitat tan me br¯uhi pit¯amaha//MBh 12.187.1
内なるアートマン(adhy¯atma)と呼ばれるもの、これがこの世において人(purus.a) のものとして考えられているが、その内なるアートマンとはどのようなもので、そ れは何から〔生じる〕ものか、それを私に語れ。祖父(ピターマハ)よ。
内なるアートマンを主題にしているのである。そして、この内なるアートマンは次のよう に考えられている。
1Yudhis.t.hiraとBh¯ıs.maの対話。「内なるアートマン」(adhy¯atma)を説くことを目的としている。
2Frauwallnerは「これらのヴァージョンについて、一方からの差異が大きいので、モークシャダルマのコ
レクションに取り入れられる前に、長い間分離して存在してきたという明瞭な印象を与える」としている [Frauwallner 1973: p. 227]。
3[van Buitenen 1956: p. 153]
mah¯anad¯ım. hi p¯arajñas tapyate na taran yath¯a/
evam ye vidur adhy¯atmam. kaivalyam jñ¯anam uttamam//MBh 12.187.53
実に、対岸を知る者が、大河を渡りつつも、苦しめられることはないように、同様 に、内なるアートマンを、独存であり、最高の知であると知る者たちは〔苦しめら れない〕。
すなわち、内なるアートマンは最高の知であり、SKにおけるプルシャのように独立に存 在し、これを正しく知ることにより解脱できるというのである。すなわち、ここでは人間 の最高の本質として内なるアートマンが考えられているのである。この語はおそらく中性 名詞であり、一元論を意図している可能性もある。
一方、現象世界の展開は次のように考えられている。
pr.thiv¯ı v¯ayur ¯ak¯a´sam ¯apo jyoti´s ca pañcamam/
mah¯abh¯ut¯ani bh¯ut¯an¯am. sarves.¯am. prabhav¯apyayau//MBh 12.187.4
地(pr.thiv¯ı)、風(v¯ayu)、虚空(¯ak¯a´sa)、水(¯apas)、そして5番目の火(jyotis)、
〔これらの〕粗大元素は全ての存在物(万物)が生成し帰滅するところである。
mah¯abh¯ut¯ani pañcaiva sarvabh¯utes.u bh¯utakr.t/
akarot tes.u vais.amyam. tat tu j¯ıvo ’nupa´syati//MBh 12.187.7
存在物を創造する者はあらゆる存在物(万物)における5粗大元素のみを〔創り〕、
〔そして〕それら(創造物)における多様なるものを創った。一方、ジーヴァ(個 我)はそれを観照する。
以上のように、地、風、虚空、水、火という5つの粗大元素に基づき、世界は転変し、万 物を創造する源となると考えられている。これらは世界を多様化するものでもあり、ウパ ニシャッドの説を継承したものと考えられている4。全ては5粗大元素から成るのであり、
帰滅の際に消えて無くなるのではなく、5粗大元素の状態に戻るのである。
粗大元素とは別の原理が次のように説かれる。
mah¯abh¯ut¯ani pañcaiva s.as.t.ham. tu mana ucyate//MBh 12.187.10cd
粗大元素は〔これら〕5つのみであり、一方、第6がマナスと言われている。
indriy¯an.i mana´s caiva vijñ¯an¯any asya bh¯arata/
saptam¯ı buddhir ity ¯ahuh. ks.etrajñah. punar as.t.amah.//MBh 12.187.11
インドリヤ(感覚器官)とマナス(思考器官、意)がこの認識するもの(vijñ¯ana= 認識器官)である。バラタ族の者よ。ブッディが第7、さらにクシェートラジュ
4[中村1982: p. 159]
ニャ(知田者)が第8と言われている。
マナスを 6番目、ブッディを7番目、クシェートラジュニャを8番目の原理と考え、ア ハンカーラが説かれていない。クシェートラジュニャとは、“ks.etra”(田、土地)=物質 要素を“jña(知る)者”という意味で、SKでのプルシャに該当するものである。マナス、
ブッディ、クシェートラジュニャと5粗大元素の関係が明確ではないため、原理の順列が 明らかではない。
また、これら3つの器官の機能として次のように説かれる。
caks.ur ¯alokan¯ayaiva sam.´sayam. kurute manah./
buddhir adhyavas¯ay¯aya ks.etrajñah. s¯aks.ivat sthitah.//MBh 12.187.12
まさに目は見るためにあり、マナスは疑いをなす。ブッディは決定するためにあ り、クシェートラジュニャ(知田者)は証人(確認者)のように存在する。
この中で、ブッディはSKと同じ機能を持ち、クシェートラジュニャ(知田者)もまた、
SKのプルシャと同様の存在であることが分かる。
以上の中で、内なるアートマンとは別に、自己の本質を示す言葉として、ジーヴァ、内 なるアートマン、ブータートマン、そしてクシェートラジュニャが見出せる。おそらく、
ジーヴァとクシェートラジュニャは観照するという性質を持つもので、類似したものと思 われる。自己の本質の個人主体がジーヴァで、創造に関連したものがクシェートラジュ ニャであるとも考えられるかもしれない。そして、存在物を創造する者とはブータートマ ンのことと考えられる。それは、次の偈から明らかである。
pras¯arya ca yath¯a˙ng¯ani k¯urmah. sam.harate punah./
tadvad bh¯ut¯ani bh¯ut¯atm¯a sr.s.t.v¯a sam.harate punah.//MBh 12.187.6
亀が四肢を伸ばして、再度引っ込めるように、ブータートマン(存在物の本質)5は、
諸々の存在物(万物)を創造して、再び引っ込める(帰滅させる)6。
ブータートマンが存在物を創造し、ジーヴァおよびクシェートラジュニャが観照するとい う、二元論を彷彿とさせる機能を有する。おそらくこのことからアートマン(内なるアー トマン)には2つの側面があったと思われる。すなわち、活動因としての側面がジーヴァ およびクシェートラジュニャであり、質量因としての側面がブータートマンであるという ことである。
この章では、粗大元素と共に、認識器官やその対象などが見られる。それは次の通りで ある。
5物質性のアートマンとも考えられる。
6自動詞と他動詞を区別しておらず、比喩も不明瞭である。
´sabdah. ´srotram. tath¯a kh¯ani trayam ¯ak¯a´sayonijam/
v¯ayos tvakspar´saces.t.¯a´s ca v¯ag ity etac catus.t.ayam//MBh 12.187.8
音声、耳(聴覚)、そして(身体の)諸々の穴の3種は、〔粗大元素の〕虚空の胎か ら生まれたものである。風からは、皮膚(触覚)、接触、運動、そして言葉(発声器 官)という4種のものが〔生まれた〕。
r¯upam. caks.us tath¯a paktis trividham teja ucyate/
rasah. kleda´s ca jihv¯a ca trayo jalagun.¯ah. smr.t¯ah.//MBh 12.187.9
色、目(視覚)、そして消化器官の3種のものが、火(tejas)〔の性質〕であると言 われている。味と湿気と舌(味覚)の3種が、水の性質であると伝承されている。
ghreyam. ghr¯an.am. ´sar¯ıram. ca te tu bh¯umigun.¯as trayah/MBh 12.187.10ab 香り、鼻(嗅覚)、そして身体、これら3種が地の性質(gun.a)である。
以上のように、地・風・虚空・水・火の5粗大元素が、あらゆる存在を形成する源と考え られている。そして、ジーヴァの機能は、古典サーンキヤのプルシャの機能を想起させ る。次に、人間の各器官などが説かれており、それらは、5粗大元素からそれぞれ生みだ される。そして、5粗大元素とは別の原理をあげている。第6がマナスであり、第 7が ブッディ、そして、8番目として知田者があげられている。それらをまとめると図表3の 原理展開が想定できるであろう。
一方、第239–241章での展開は、細かな字句の違いはあるものの第187章と列挙され
ている原理はほぼ同一である。ただ一箇所だけ、皮膚の代わりに呼吸(pr¯an.a)があげられ ている。しかし、第187章との相違点はこれだけではなく、ブッディの展開と感覚器官や 対象の関係性が説かれていることである。それは次のように説かれる。
indriyebhyah. par¯a hy arth¯a arthebhyah. paramam. manah./
manasas tu par¯a buddhir buddher ¯atm¯a paro matah.//MBh 12.240.2
実に、諸々のインドリヤ(感覚器官)よりも対象が上位であり、対象よりもマナス が上位である。さらに、マナスよりもブッディが上位であり、ブッディよりもアー トマンが上位であると考えられている。
このように、アートマン→ブッディ→マナス→対象→インドリヤというラインが想定でき る。さらに続けて次のように説かれる。
buddhir ¯atm¯a manus.yasya buddhir ev¯atmano ”tmik¯a/
yad¯a vikurute bh¯avam. tad¯a bhavati s¯a manah.//MBh 12.240.3
人間にとって、ブッディがアートマンである。まさにブッディはアートマンの本質 から成るものである。〔ブッディが〕バーヴァ(状態)に変異するとき、そのとき
kṣetrajña
(知田者)
buddhi
(統覚機能)
śabda
(音声)
ākāśa
(虚空)
śrotra
(耳)
sparśa
(接触)
rūpa
(形)
rasa
(味)
ghreya
(香り)
vāyu
(風)
tejas
(火)
āpas
(水)
pṛthivī
(地)
manas
(思考器官)
kleda
(湿気)
pakti
(消化器官)
khāni trayam
(穴)
ceṣṭa
(運動)
vāc
(発声器官)
ghrāṇa
(鼻)
jihvā
(舌)
cakṣus
(目)
tvac
(皮膚)
śarīra
(身体)
5 mahābhūtāni
(粗大元素)
5 indriyāṇi
(知覚器官)
対象 人間の各器官 その他
図表3 MBh 12.187における原理展開
それ(ブッディ)はマナスとなる。
indriy¯an.¯am. pr.thag bh¯av¯ad buddhir vikriyate hy an.u/
´sr.n.vat¯ı bhavati ´srotram. spr.´sat¯ı spar´sa ucyate//MBh 12.240.4
諸々のインドリヤ(感覚器官)の個々の状態により、実にブッディは微細なもの
(an.u)に変異する。〔ブッディは〕聞くとき耳になり、触れるとき接触と言われる。
pa´syant¯ı bhavate dr.s.t.¯ı rasat¯ı rasanam. bhavet/
jighrat¯ı bhavati ghr¯an.am. buddhir vikriyate pr.thak//MBh 12.240.5
〔ブッディは〕見るとき視力を持つもの(目)になり、味わうとき舌になるであろ う。嗅ぐとき鼻になる。〔このように〕ブッディは個々に変異する。
このように、ブッディは、それぞれの器官あるいは対象がその機能を発揮するとき、その ものに変異するというのである7。
これらを整理してまとめると図表4の通りである。
kṣetrajña
(知田者)
buddhi
(統覚機能)
対象 śabda
(音声)
5 mahābhūtāni
(粗大元素)
ākāśa
(虚空) 5 indriyāṇi
(知覚器官)
śrotra sparśa (耳)
(接触)
rūpa
(色)
rasana ghreya (舌)
(香り)
vāyu
(風)
jyotis
(火)
āpas
(水)
bhūmi
(地)
manas
(思考器官)
rasa
(味)
prāṇa
(呼吸)
ceṣṭa
(運動)
khāni trayam
(3種の穴)
人間の各器官
ghrāṇa
(鼻)
cakṣus
(目)
sneha
(湿潤)
?
vipāka
(消化)
その他
śarīra
(身体)
皮膚?
図表4 MBh 12.239; 240における原理展開
第 1.2 節 3 種のグナの特徴
MBh第12巻187章と239章には、3種のグナの特徴が詳細に述べられている。まず以 下に当該箇所を記す。
7第187章でも類似のものが見られるが、わずかに説かれるのみである。