BCにおいても、8種の根本原因と16種の変異の説が見られる5。ここでは深く立ち入 らず、内容を紹介するに留めたい。
根本原因として次のものをあげている。
tatra tu prakr.tim. n¯ama viddhi prakr.tikovida/
pañca bh¯ut¯any aham. k¯aram. buddhim avyaktam eva ca//BC 12.18
さて、それらの中で、根本原因というのは、5〔粗大〕元素、アハンカーラ、ブッ ディ、未顕現と知れ。根本原因を知るものよ。
根本原因は、未顕現(avyakta)、ブッディ、アハンカーラ、5大元素の8つをあげ、続い て、変異については、次のように説かれる。
vik¯ara iti budhyasva vis.ay¯an indriy¯an.i ca/
p¯an.ip¯adam. ca v¯adam. ca p¯ay¯upastham. tath¯a manah.//BC. 12. 19
変異とは、諸々の対象と知覚器官、手、足、言葉、肛門、生殖器、およびマナスで あると理解せよ。
この中で、手・足・言葉・肛門・生殖器とは、すなわち行為器官である。このように、変 異は、5つの対象、5知覚器官、5行為器官、マナスという、計16である。
ここは、サーンキヤの学説を紹介している個所であり、当時のサーンキヤ説において、
この8種の根本原因と16種の変異の説が、あるいは、この説をあげるグループが有力で
4その他、MBh 12.291; 298、BC 12などにおいてである。
5MBh 12.203; 291; 298、CS 4.1、BC 12などにおいてである。
あった事が窺える。
第 5 章
古典サーンキヤにおける世界構成 原理
第 1 節 S ¯am . khyak ¯arik ¯a における 25 原理説
本節では、SKで説かれる開展説1を中心に扱う。SKでの開展説は、25原理により世界 を説明するものであり、そこには主宰神を立てない。機械論的に世界の成り立ちを説明す るそこには、一元論に対する批判的な発展があった。絶対的な主宰神がなぜ、この苦しみ の世界をどうして作ったのか、その矛盾の克服のためにこの説を唱えた。SKとSTKに基 づき、その説を取り上げたい。
第 1.1 節 二元論
SKにおける世界構成原理は究極的にはプルシャとプラクリティという2つの原理に よって説明するものである。永久に実在するのはこの二元のみであり、創造神や主宰神と いったものを立てない。
プルシャ(purus.a)は、精神原理であり、「純粋精神」、「霊我」などとも訳される。活動 もなく、ただプラクリティを観照するだけであり、本来清浄で、独存している。そして、
多数存在する。
プラクリティ(prakr.ti)は、根本原質であり、根本的な質料因、つまり物質的なものの 根源である。プラダーナ(pradh¯ana、第一のもの=根本原理)や未顕現(avyakta)などと
1サーンキヤ思想の述語では、“parin.¯ama”など、諸原理の展開を意味する語を開展と訳すのが通例となっ ている。このテクニカルタームは明確にSKやその注釈書で説かれる古典サーンキヤの説についてのみ用 いた。古典サーンキヤでは開展に際し因中有果論が前提となっているためであるが、それ以外の例えばエ ピック・サーンキヤなどでは、どこまでそのようなサーンキヤ思想を反映しているか分からないので、こ の述語の使用を避けた。
も呼ばれる。活動し、単一であり、3種のグナは均衡状態にある。
プルシャは享受のため、プラクリティはプルシャの解脱のため、両者は結合するとされ る。この2者の関係は「享受するもの」と「享受されるもの」である。「享受する」とは享 受させられている、「享受される」とは享受させているとも言える。インド思想では一般的 に、享受者と享受される対象を想定している。例えば、見たり聞いたり、あるいは楽や苦 などを感じたり、これらを最終的に受け取る存在、つまり究極的な主体がいると考える。
これがアートマンであり、サーンキヤではプルシャと呼ばれるものである。現象世界のあ らゆる活動—突き詰めていけば、それはつまり根本原質プラクリティの活動である—が為 されるためには、それを享受する主体が必要である。それがプルシャであり、観照すると いうことである。プルシャが観照するというのは対象としてプラクリティを享受するとい うことである。つまり、プルシャとプラクリティは最も根源的な享受関係といえよう。
第 1.2 節 25 原理( tattva )と開展説( parin.¯ama-v¯ada )
開展(転変)は、プルシャの観照を受け、ラジャスの活動が始まり、3種のグナの均衡 が崩れることにより起こる。そして、世界が展開し、プラクリティから 23の原理が現れ る。未顕現であるプラクリティに対し、開展したものを変異(vik¯ara)や顕現(vyakta)と 言う。
まず、SKに次のように説かれる。
prakr.ter mah¯am.s tato ’ha˙nk¯aras tasm¯ad gan.a´s ca s.od.a´sakah./ tasm¯ad api s.od.a´sak¯at pañcabhyah. pañca bh¯ut¯ani//SK 22
プラクリティ(根本原質)からマハットが、それからアハンカーラが、またそれか ら16の一群が〔生じる〕。さらにその16〔の中〕の 5つのものから5粗大元素が
〔生じる〕。
プラクリティから、マハットが生じる。マハットはブッディの異名である。そして、ブッ ディからはアハンカーラが生じる。アハンカーラからは16のものが、さらに16の中の5 つから5粗大元素が生じる。
アハンカーラから創造される16のものは次のように説かれる。
abhim¯ano ’ha˙nk¯aras tasm¯ad dvividhah. pravartate sargah./ ek¯ada´saka´s ca gan.as t¯anm¯atrah. pañcaka´s caiva//SK 24
アハンカーラとは自己の意識(abhim¯ana)である。それから2種の創造が起こる。
そして〔それは〕11種の一群と5種の微細要素に関するもののみである。
このように、アハンカーラからの創造は2つのパターンがある。一方は、11種の一群、も
う一方は5つの微細要素(t¯anm¯atra)で、これが16のものである。
そして、アハンカーラの創造は次のように詳細に述べられる。
s¯attvika ek¯ada´sakah. pravartate vaikr.t¯ad aha˙nk¯ar¯at/ bh¯ut¯ades t¯anm¯atrah. sa t¯amasas taijas¯ad ubhayam//SK 25
「ヴァイクリタ・アハンカーラ」(vaikr.ta-aha˙nk¯ara)から、サットヴァ性の11から成 るものが開展する。「ブーターディ〔・アハンカーラ〕」(bh¯ut¯adi-aha˙nk¯ara)から、タ マス性の微細要素が〔開展する〕。「タイジャサ〔・アハンカーラ〕」(taijasa-aha˙nk¯ara) から、両者が〔開展する〕。
すなわち、3種のグナに応じて、3種類のアハンカーラが現れ、それぞれに開展していく のである。このアハンカーラで、開展説のラインに分岐が起こるのである。また、ラジャ ス性のアハンカーラは、両者に展開すると言うことから、活動因としての性質が認めら れる。
これら3種のアハンカーラは次の通りである。
• サットヴァ性:ヴァイクリタ・アハンカーラ(vaikr.ta-aha˙nk¯ara)→11のインドリヤ
• タマス性:ブーターディ・アハンカーラ(bh¯ut¯adi-aha˙nk¯ara)→5微細要素
• ラジャス性:タイジャサ・アハンカーラ(taijasa-aha˙nk¯ara)→両者の開展=活動因 Jha は Gaud.ap¯ada に 基 づ い て 次 の よ う に 説 明 し て い る 。「(a)“vaikr.ta”、(b)“bh¯ut¯adi”、
(c)“taijasa” は、純粋に、アハンカーラ(I-principle)の 3 つの形態、あるいは状態に
あてはめられたテクニカルタームとしての名前である。アハンカーラが、サットヴァの 属性によって支配されたとき“vaikr.ta”と呼ばれ、タマスの属性によって支配されたとき
“bh¯ut¯adi”と呼ばれ、ラジャスの属性によって支配されたとき“taijasa”と呼ばれる。これ
らは、単なる専門用語にすぎず、何も意味していない」2という。金倉氏は“vaikr.ta”を「変 異した我慢」、“bh¯ut¯adi”を「元素の初めと称する我慢」、“taijasa”を「炎熾と称する我慢」
と訳し3、服部氏はそれぞれ「変化した自我意識」、「元素のもととなった自我意識」、「激 質的な自我意識」と訳している4。
また、ヴァイクリタ・アハンカーラから開展する11種のうち10種については次のよう に説かれる。
buddh¯ındriy¯an.i caks.uh.´srotraghr¯an.arasanatvag¯akhy¯ani/ v¯akp¯an.ip¯adap¯ay¯upasth¯an karmendriy¯an.y ¯ahuh.//SK 26
2[Jha 2004: p. 98]
3[金倉1984: p. 157]
4[服部1979: p. 198]
知覚器官(buddh¯ındriy¯an.i)とは、目(caks.us)、耳(´srotra)、鼻(ghr¯an.a)、舌(rasana)、 皮膚(tvac)と名づけられるものである。発声器官(v¯ac)、手(p¯an.i)、足(p¯ada)、 肛門(p¯ayu)、生殖器(upastha)を、行為器官(karmendriy¯an.i)と言う。
5知覚器官と、5行為器官である。そして残りのもうひとつがマナスである。
ブーターディ・アハンカーラから開展した微細要素は、次に5粗大元素へと開展する。
SKにおいてはどの微細要素からどの粗大元素が現れるかは明らかにされてはいない。こ こではSTKの説を紹介する。
tatra ´sabdatanm¯atr¯ad ¯ak¯a´sam. ´sabdagun.am; ´sabdatanm¯atrasahit¯at spar´satanm¯atr¯ad
v¯ayuh. ´sabdaspar´sagun.ah., ´sabdaspar´satanm¯atrasahit¯ad r¯upatanm¯atr¯at tejah. ´sabdaspar´sagun.am;
´sabdaspar´sar¯upatanm¯atrasahit¯ad rasatanm¯atr¯ad ¯apah. ´sabdaspar´sar¯uparasagun.¯ah.; ´sab-daspar´sar¯uparasatanm¯atrasahit¯ad gandhatanm¯atr¯ac chabdaspar´sar¯uparasagandhagun.¯a pr.thiv¯ı j¯ayata ity arthah.. STK (4) ad. SK 22
それらの中で、音声の微細要素から音声を性質(gun.a)とする虚空〔の粗大元素が 生じ〕、音声の微細要素を伴った接触の微細要素から音声と接触を性質(gun.a)と する風〔の粗大元素が生じ〕、音声と接触の微細要素を伴った色の微細要素から音 声と接触と色を性質(gun.a)とする火〔の粗大元素が生じ〕、音声と接触と色の微 細要素を伴った味の微細要素から音声と接触と色と味を性質(gun.a)とする水〔の 粗大元素が生じ〕、音声と接触と色と味の微細要素を伴った香りの微細要素から音 声と接触と色と味と香りを性質(gun.a)とする地〔の粗大元素〕が生じる、という 意味である。
まとめると次の通りである。
1. 微細要素:音声 → 粗大元素:虚空 2. 微細要素:音声+接触 → 粗大元素:風 3. 微細要素:音声+接触+色 → 粗大元素:火 4. 微細要素:音声+接触+色+味 → 粗大元素:水 5. 微細要素:音声+接触+色+味+香り → 粗大元素:地
これらは、注釈書により解釈も異なり、例えば、MやJなどはSTKと同一であるが、G の註では、「香り→地」、「味→水」、「色→火」、「接触→風」、「音声→虚空」とそれぞれ単独 で働く5。
さらに、次のようにも説かれる。
5[Larson and Bhattacharya 1987: p. 51]