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Moks.adharma-Parvan 第 291 章における 25 原理説

大元素からそれに対応する、5知覚器官とその対象が生み出されるとも想定できるが、こ の箇所は不鮮明であり、決定できない。また、5種の行為器官については記述がなく、ど こから生み出されるかは分からない。マナスは、サットヴァ性の未開展のものから、生み 出されるとされるが、サットヴァと原理の関係は不明である。

以上、まとめると図9のように想定できる。

m¯urtim antam. am¯urt¯atm¯a vi´svam. ´sambhuh. svayambhuvah./MBh 12.291.15abcd

〔シャンブは〕終わりなく行為する最初に生まれた存在物であるマハットを、創造 する。〔すなわち〕無形態のスヴァヤンブーであるシャンブ(シヴァ)は、形ある ものすべてを〔創造する〕。

この偈の前後関係から、シャンブがマハットを創造したと考えられる29。この前の段階で は、創造の始まりはブラフマーとカルパについて語られ、続いてシャンブについて述べら れる。シャンブとブラフマーの関係は明確ではないが、創造神であるブラフマーが思い起 こされるため、何らかの形でシャンブをブラフマーの創造説に関連させようとしている意 図があるのであろう。また、シャンブと未顕現(avyakta)の対応関係が想定できるが、こ れも明確には説かれてはいない。両者の関係性が曖昧のままにこれらを併記しているので ある。未顕現(avyakta)からマハットの出現という原理展開、そしてシヴァとブラフマー の創造神話、これら2つの創造説を融合させようと試みているが、強引に結びつけようと した印象を受ける。

さらに、マハットには多くの異名が説かれる。

hiran.yagarbho bhagav¯an es.a buddhir iti smr.tah./

mah¯an iti ca yoges.u viriñca iti c¯apy uta//MBh 12.291.17 s¯am. khye ca pat.hyate ´s¯astre n¯amabhir bahudh¯atmakah./ vicitrar¯upo vi´sv¯atm¯a ek¯aks.ara iti smr.tah.//MBh 12.291.18 vr.tam. naik¯atmakam. yena kr.tsnam. trailokyam. ¯atman¯a/ tathaiva bahur¯upatv¯ad vi´svar¯upa iti smr.tah.//MBh 12.291.19

〔一方〕この聖なるものは、ヒラニヤガルバであり、ブッディと言われる。また、

ヨーガにおいてはマハットと〔言われ〕、さらにヴィリンチャ(viriñca)とも〔言わ れる〕。

そして、多様な性質を持つもの(bahudh¯atmaka)〔すなわちマハット〕は、サーン キヤの聖典(´s¯astra)において、諸々の名前によって言明される。〔それは〕多様 な形を持つもの(vicitrar¯upa)、ヴィシュヴァートマン(vi´sv¯atman)、一音節のもの

(ek¯aks.ara)と言われる。

かのアートマンによって、多数からなるものである三界の全ては、覆われている。

まさにそのように、多様なものであるから、〔マハットは〕ヴィシュヴァルーパと

29プーナ版では偈の番号がずれる。中村氏はプーナ版に基づいて14偈から15偈について次のように訳し ている。「1ユガは12000年であり、1カルパは4ユガであると知られよ。1000カルパを覆う期間が、梵 天の1日であるという。(14) 梵天の夜もそれと同じ〔量〕である。王よ。その〔夜の〕終りに〔シャ ンブ=シヴァ神は〕醒める。そして、初生の存在として、無窮の活動をなすマハーン(mah¯an)を創造す る。(15)」[中村1998a: pp. 717–718]

言われる。

マハットの異名としてあげられているものは、ヒラニヤガルバ、ブッディ、ヴィリンチャ

(viriñca)、多様な性質を持つもの(bahudh¯atmaka)、多様な形を持つもの(vicitrar¯upa)、

ヴィシュヴァートマン(vi´sv¯atman)、一音節のもの(ek¯aks.ara)である。また、次の偈に示 したとおり、ヴィシュヴァルーパとも呼ばれる。このように、多くの異名が与えられてい ることから、その重要性が理解できるであろう。黄金の胎児であるヒラニヤガルバやヴィ リンチャすなわちブラフマーに関係するものと同一視することにより、物質を超えたもの としての創造者の性質を有するが、一方では、多様な性質や形を持つことから展開するも の、すなわち物質的根源の性質を有していることが想定できる。

そして次のようにも説かれる。

vr.tam. naik¯atmakam. yena kr.tsnam. trailokyam. ¯atman¯a/ tathaiva bahur¯upatv¯ad vi´svar¯upa iti smr.tah.//MBh 12.291.19

かのアートマンによって、多数からなるものである三界の全ては、覆われている。

まさにそのように、多様なものであるから、〔マハットは〕ヴィシュヴァルーパと 言われる。

アートマンによって世界は覆われており、マハットは多様なるもの、すなわち、顕現

(vyakta)ということが理解できる。このアートマンは何を指しているのか判然としない。

16偈30において、シャンブは世界全てを覆うことが説かれているので、おそらくアートマ ンはシャンブのことを示しているのであろうが、後の偈を考慮すればヴィシュヌの可能性 も排除できない。いずれにせよ、唯一なるものが、多様な世界を覆っていてることだけは 確かである。そして、マハットはその唯一なるものに管理されているのである。

さて、上述したように、アハンカーラの創造は無知の創造(avidy¯asarga)と呼ばれる。

そのため、マハットからアハンカーラが生じる創造と考えられるが、MBh 12.291.21の箇 所だけで考えれば、未顕現(avyakta)からアハンカーラが創造されるのかもしれない。ア ハンカーラの創造は、また、次のようにも説かれる。

es.a vai vikriy¯apannah. sr.jaty ¯atm¯anam ¯atman¯a/

aham. k¯aram. mah¯atej¯ah. praj¯apatim aham. kr.tam//MBh 12.291.20

まさに転変が始まったこれは、自ら自己を創造する。大いに輝く者は、アハンクリ タ(自己の意識)を持ったプラジャーパティであるアハンカーラを〔創造する〕。

30sarvatah. p¯an.ip¯ad¯antam. sarvatoks.i´siromukham/

sarvatah. ´srutimal loke sarvam. ¯avr.tya tis.t.hati//MBh 12.291.16

〔シャンブは〕いたるところに四肢があり、いたるところに目、頭、口(顔)があり、いたるところに耳を 有し、世界において、全てを覆い、住する。

この大いに輝くものが何を指すのであろうか。明らかなことは、この大いに輝くものがア ハンカラーラを創造するということである。さらに、次の偈を見てみたい。

avidhi´s ca vidhi´s caiva samutpannau tathaikatah./

vidy¯avidyeti vikhy¯ate ´sruti´s¯astr¯arthacintakaih.//MBh 12.291.22

非規則(avidhi)と規則(vidhi)とは、同様に、唯一なるものから共に生じる。天啓

聖典と教典の意味を熟慮する者たちによって、〔それは〕知(vidy¯a)と無知(avidy¯a) と呼ばれる。

非規則と規則の創造を説いた箇所であるが、そのcdパダに、それぞれが知と無知と同定 されているのが見出される。MBh 12.291.21に当てはめれば、知の創造とは、未顕現から 顕現が生じるマハットの創造であり、知であり、非規則である。一方、無知の創造は、ア ハンカーラの創造であり、無知であり、規則である。そして、これらはいずれも唯一のも のから生じる。すなわち、マハットもアハンカーラもいずれも唯一のもの—ここでは未顕

現(avyakta)のことである—を根源とするのである。

このように、アハンカーラの出現とは、無知の創造と呼ばれ、大いに輝くものによって 創造され、そして、共に未顕現(avyakta)から生じるということである。そこで、アハン カーラの出現において、考え得る可能性は2つである。すなわち、(1)マハットからアハ ンカーラが生み出される、(2)未顕現(avyakta)からアハンカーラが生み出される、とい うことである。そこで、20偈abパダの「まさに転変が始まったこれは、自ら自己を創造 する」(“es.a vai vikriy¯apannah. sr.jaty ¯atm¯anam ¯atman¯a”)というところに着目したい。転変 が始まったということから、顕現(vyakta)であり、原理の展開の中で最初の段階と考え られる。また、17〜19偈までの中心論題はいずれもマハットであり、その文脈から推測 すれば、「転変が始まったこれ」はマハットと考えるのが妥当であろう。そして、自ら自己 を創造するということは、自己を自己として認識することであり、まさにアハンカーラの 創造である。すなわち、20偈abパダでは、マハットからアハンカーラが展開するという ことが説かれているのである。また、大いに輝く者がマハットであるならば、マハットか らアハンカーラが生じることが容易に想像できる。しかし、この「大いに輝く者がマハッ ト」がシャンブとも考えられる。その場合、シャンブは創造を司る存在として、顕現はし ていなく、支配するものである。あえて言うならば、未顕現が質量因として、シャンブが 動作因として、それぞれの機能を有しているとも考えられる。すなわち、シャンブは、未 顕現を根源としてマハットを、そしてマハットからアハンカーラを創造し、それら支配す るということである。

さて、アハンカーラの異名もいくつかあげられていたが、特にプラジャーパティ神に対 応させているのは興味深い。このプラジャーパティとの対応は、ABS 7.16にも見られる もので、古典サーンキヤでは迷妄の原因とも成るであろうアハンカーラが、神格と対応す

ることは、SKなどでは見られない説である。

第 3.2 アハンカーラから生み出されるもの

次にアハンカーラからの創造について考察したい。アハンカーラからの創造は次のよう に説かれる。

bh¯utasargam aham. k¯ar¯at tr.t¯ıyam. viddhi p¯arthiva/

aham. k¯ares.u bh¯utes.u caturtham. viddhi vaikr.tam//MBh 12.291.23

アハンカーラからの存在物の創造を第3 と知れ。プリター夫人の子よ。〔また、〕

諸々のアハンカーラ〔から生まれた〕存在物における変異したもの(vaikr.ta)を第

4と知れ。

アハンカーラからの存在物の創造が第3とされ、変異したもの(vaikr.ta)が第4の創造と される。そのため、第1の創造はマハットの創造、第2の創造はアハンカーラであると考 えられる。これら、存在物と変異とは何を示しているのか。そこで、次の偈に注目したい。

v¯ayur jyotir ath¯ak¯a´sam ¯apo ’tha pr.thiv¯ı tath¯a/

´sabdah. spar´sa´s ca r¯upam. ca raso gandhas tath¯a eva ca//MBh 12.291.24

風、火、虚空、水、地、並びに、音声と接触と色、味、香り、実に〔それらが、そ れぞれ〕である。

以上のように、風、火、虚空、水、地という5つと、音声、接触、色、味、香り、という 5つ、計10種類が数えられる。これらは、すなわち、粗大元素と知覚器官の対象である が、それらが存在物と変異であろう。つまり、第3の創造はアハンカーラから5粗大元素 が生まれることであり、第4の創造は5知覚器官それぞれの対象が生まれることである。

そして、これらの10の集まりは、「このように、同時に10からなる集まりが生じたこと に、疑いない」(“evam. yugapad utpannam. da´savargam asam. ´sayam” MBh 12.291.25ab)と される。

さらに、第5の創造として次のように説かれる。

pañcamam. viddhi r¯ajendra bhautikam. sargam arthavat//MBh 12.291.25cd

大王よ。存在物から作られた創造(bhautikam. sargam)を第5として、その通りに 知れ。

すなわち、第5の創造とは、存在物から作られた創造とされる。この存在物と呼ばれるも のは、前偈で説かれた5粗大元素のことを指すと考えられる。そして、存在物から作られ たものは次の通りに説かれる。