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Manusmr.ti 第 12 章における 3 種のグナ説

MS第12章では、輪廻に関する分類を3種のグナにより規定し、さらにサーンキヤ説 と同様の説も説かれる。3種のグナとは、サットヴァ(sattva、純質)、ラジャス(rajas、 激質)、タマス(tamas、翳質)の3種である。本節では、MSにおける3種のグナについ て取り上げ、考察する。

第 2.1 3 種のグナの機能

まず、MS12章において言及されている3種のグナの機能を見ていきたい。

yo yadais.¯am. gun.o dehe s¯akalyen¯atiricyate/

sa tad¯a tad gun.apr¯ayam. tam. karoti ´sar¯ırin.am//MS 12.25

これらのうちのいずれかのグナが身体の中で圧倒的に優勢となるとき50、かの〔偉 大なる者〕は、身体を持つものをして、そのグナを主要素とするものにする。

sattvam. jñ¯anam. tamo ’jñ¯anam. r¯agadve´sau rajah. smr.tam/ etad vy¯aptimad etes.¯am. sarvabh¯ut¯a´sritam. vapuh.//MS 12.26

サットヴァは知、タマスは無知、ラジャスは愛と憎悪であると言われる。これが

〔いっさいに〕遍在し、いっさいの存在の中に宿るそれらの姿である。

3種のグナはあらゆる存在に宿るものであることが分かる。3つのうちのいずれかが優勢 になるとき、優勢になったグナの性質が現れる。そして、サットヴァは知、タマスは無知、

ラジャスは愛と憎悪とも言われる。

さらに、以下のように続く。

tatra yat pr¯ıtisam. yuktam. kim. cid ¯atmani laks.ayet/

pra´s¯antam iva ´suddh¯abham. sattvam. tad upadh¯arayet//MS 12.27

そのうち、自らの中に、喜びを伴い、静けさと清らかにも似た何かを認めるとき、

それはサットヴァであるとみなすべし。

る。」(MBh 12.240.3ab

50すなわち「完全に優勢になるとき」

yat tu duh.khasam¯ayuktam apr¯ıtikaram ¯atmanah./

tad rajo ’pratidham. vidy¯at satatam. h¯ari dehin¯am. //MS 12.28

しかし、苦痛を伴い、自らを不快にするものは反抗的なラジャスであると知るべ し。〔それは〕常に身体を持つものたちを魅惑する。

yat tu sy¯an mohasam. yuktam avyaktavis.ay¯atmakam/ apratarkyam avijñeyam. tamas tad upadh¯arayet//MS 12.29

迷いと結ばれ、見分けがつかず51、感官の対象を本質とし、推測され得ず52、識別 され得ないもの、それをタマスであると知るべし。

このように、おおよそ、サットヴァは歓喜、ラジャスは苦、タマスは迷妄と結びつくこと が分かる。MS第12章と関係が深いと考えられるMBh第12巻第187章・第239–241章 には、3種のグナに関する詳細な記述が見られる。このサーンキヤの古説では、おおよそ サットヴァは歓喜に結びつき、ラジャスは苦に結びつき、タマスは迷妄に結びつくという ことが認められる53。これらは、MSと同じような用い方である。

しかし、MS 12.26において説かれる、サットヴァは知、タマスは無知、ラジャスは愛

と憎悪という説は、187章など見られるサーンキヤの古説では見られない。知、無知、愛 と憎悪という概念は、3種のグナの性質からすれば導き出されるものであるが、はっきり とは説かれていない。その説と類似したものが見られるのは『バガヴァッド・ギーター』

Bhagavadg¯ıt¯a)においてである。そこでは、サットヴァが知に、ラジャスが貪欲に、タ

マスが無知に対応している54

MSでは、3種のグナについてかなり詳細に述べられ、細かくその性質をあげている。

しかし、いずれも属性、あるいは心的状態としての機能であり、SKやMBhなどのサーン キヤ説に見られるような宇宙論的機能はほとんど想定されていないようである。ただし、

MBhにおいても想定されているにすぎず、古典サーンキヤのような構成要素としての機 能はほとんど見られないことに注意すべきである。さらに、SKのように、3種のグナの 優勢・劣勢により多くの性質が生まれる55ようなことは説かれていなく、あくまでも3 のグナそれぞれが本来的に多くの性質を有し、属性として機能しているのである。

51すなわち「顕れず」ということ。

52すなわち「分析できず」ということ。

53この説の詳細は第2章 第1節を参照

54「善なる行為からサットヴァ性の汚れがない結果となると言われる。しかしながら、ラジャスの結果は苦 であり、タマスの結果は無知である。」MBh 6.36.16

「サットヴァから知識が生まれ、また、まさにラジャスから貪欲が〔生まれる〕。タマスから怠慢と迷妄 が、そして無知が生じる。」(MBh 6.36.17)詳しくは第2章 第6.2節 を参照。

55例えば、50種の「観念から作り出されたもの」(pratyaya-sarga)など。

第 2.2 節 3 種のグナと生まれの 3 段階

MS第12章の主題である輪廻をめぐる説に関連して、そこにはSKやMBhのサーンキ ヤ説で見られる、3種のグナに基づく生まれの3段階の説が説かれる。

yena y¯am. s tu gun.enais.¯am. sam. s¯ar¯an pratipadyate/

t¯an sam¯asena vaks.y¯ami sarvasy¯asya yath¯akramam//MS 12.39

いっさいが56、それらのうちのいかなるグナによっていかなる輪廻(サンサーラ)

を得るかについて、私は正しい順序で簡潔に語るであろう。

devatvam. s¯attvik¯a y¯anti manus.yatvam. tu r¯ajas¯ah./

tiryaktvam. t¯amas¯a nityam ity es.¯a trividh¯a gatih.//MS 12.40

サットヴァ性のものは神となり、ラジャス性のものは人間となる。タマス性のもの は常に畜生となる。これは三種の帰着点である。

3種のグナにより、行く着く先が上・中・下の3種類に分かれる。さらにそれが輪廻と関 係して、サットヴァが神、ラジャスが人、タマスが畜生となる。これはSKに見られる説 と全く同じである57

さらに、MSでは、これらの分類について詳細に述べている。

trividh¯a trividhais.¯a tu vijñey¯a gaun.ik¯ı gatih./

adham¯a madhyam¯agry¯a ca karmavidy¯avi´ses.atah.//MS 12.41

グナに基づく〔輪廻の〕三種の帰着点〔のそれぞれ〕は、行為と学問の違いによっ て上、中、下の三種に分かれる。

3種のグナによって分かれた3分類をさらにそれぞれ3分割している。つまり合計で9の 段階に分類にしているのである。

それは、次のように説かれている。

sth¯avar¯ah. kr.mik¯ıt.¯a´s ca matsy¯ah. sarp¯ah. sar¯ısr.p¯ah./ pa´sava´s ca sr.g¯al¯a´s ca jaghany¯a t¯amas¯ı gatih.//MS 12.42

植物58、虫類、魚、蛇59、亀60、家畜、獣61は、タマス性に基づく最低の帰着点で

56すなわち「この全てに関して」

575章 第2節を参照。

58“sth¯avara”の本来の意味は「動かないもの」であり、そのため植物も含まれる。

59“sarpa”ヘビなどを含む「蛇行するもの」である。

60“sar¯ısr.pa”は「這うもの」であり、ヘビなども表す。

61“sr.g¯ala”は「ジャッカル」を意味する。

ある。

hastina´s ca turam. g¯a´s ca ´s¯udr¯a mlecch¯a´s ca garhit¯ah./

sim. h¯a vy¯aghr¯a var¯ah¯a´s ca madhyam¯a t¯amas¯ı gatih.//MS 12.43

象、馬、シュードラ、軽視される蛮族(ムレッチャ)62、ライオン、虎、猪は、タマ ス性に基づく中位の帰着点である。

c¯aran.¯a´s ca suparn.¯a´s ca purus.¯a´s caiva d¯ambhik¯ah./ raks.¯am.si ca pi´s¯ac¯a´s ca t¯amas¯ıs.¯uttam¯a gatih.//MS 12.44

旅芸人、スパルナ鳥、偽善者63ラクシャス、悪鬼(ピシャーチャ)は、タマス性に 基づく最高の帰着点である。

jhall¯a mall¯a nat.¯a´s caiva purus.¯a´s ca kuvr.ttayah/

dy¯utap¯anaprasakt¯a´s ca pratham¯a r¯ajas¯ı gatih.//MS 12.45

棒術使い64、レスラー65、俳優、武器で生計を立てている者66、賭博や飲酒に耽る者 はラジャス性に基づく最低67の帰着点である。

r¯aj¯anah. ks.atriy¯a´s caiva r¯ajñ¯am. caiva purohit¯ah./

v¯adayuddhapradh¯an¯a´s ca madhyam¯a r¯ajas¯ı gatih.//MS 12.46

王、クシャトリヤ、王付き祭官(プローヒタ)、論争好き、戦闘好き68はラジャス性 の中位の帰趨である。

gandharv¯a guhyak¯a yaks.¯a vibudh¯anucar¯a´sca ye/ tathaiv¯apsarasah. sarv¯a r¯ajas¯ıs.¯uttam¯a gatih.//MS 12.47

ガンダルヴァ、グヒヤカ、ヤクシャ、神々の従者全てのアプサラスは、ラジャス性 に基づく最高の帰着点である。

t¯apas¯a yatayo vipr¯a ye ca vaim¯anik¯a gan.¯ah./

naks.atr¯an.i ca daity¯a´s ca pratham¯a s¯attvik¯ı gatih.//MS 12.48

苦行者、遍歴者69、ブラーフマナ70、ヴァイマーニカの集団、星宿、ダイティヤは

62正しくは「ムレーッチャ」である。

63詐欺師とも訳す。

64ジャッラ。拳闘士とも訳せる。

65マッラ

66悪い仕事で生活している者とも訳せる。Olivelle“men who live by vile occupations”と訳し、variant readingとして、“men who live by the use of arms”としている。

67本来の意味は「最初」である。

68“v¯adayuddhapradh¯an¯ah.”は「論争の巧みなものたち」と訳す方が妥当で在ろう。

69遊行者

70“vira”すなわちバラモンのこと。

サットヴァ性に基づく最初の帰着点である。

yajv¯ana r.s.ayo dev¯a ved¯a jyot¯ım.s.i vatsar¯ah./

pitara´s caiva s¯adhy¯a´s ca dvit¯ıy¯a s¯attvik¯ı gatih.//MS 12.49

祭儀を行う者、リシ71神々、ヴェーダ、天体72年月、祖霊、サーディヤ73は、サット ヴァ性に基づく第二番目の帰着点である。

brahm¯a vi´svasr.jo dharmo mah¯an avyaktam eva ca/

uttam¯am. s¯attvik¯ım et¯am. gatim ¯ahur man¯ıs.in.ah.//MS 12.50

ブラフマン74、創造主たちのすべて、神ダルマ、偉大なる者(マハーンすなわちアー トマン)、非顕現の者(スヴァヤンブー)は、サットヴァ性に基づく最高の帰着点 であると賢者たちは言う。

es.a sarvah. samuddis.t.as triprak¯arasya karman.ah./

trividhas trividhah. kr.tsnah. sam.s¯arah. s¯arvabhautikah.//MS 12.51

〔心・言葉・身体から生まれる〕三種の行為の、それぞれに〔上・中・下の〕三種に 分かれ、すべての生き物を巻き込む輪廻(サンサーラ)について75、すべてが語ら れた。

これらをまとめると、表11のようになる。

MSの上記の分類とSKの註釈書とを比較すると、異なる分類がいくつか見られる。SK ではサットヴァ性にあげられているガンダルヴァとヤクシャがラジャス性に、ラクシャ スとピシャーチャがタマス性に列挙されている。プラジャーパティ、インドラ、ソーマ、

アスラ、ナーガ、太陽は登場せず、ブラフマーと祖先は同じである。さらに、おおよそ生 類とはかけ離れた抽象的なものまでサットヴァ性に分類されている。また、MSの分類 では、人はラジャス性と説きながら、バラモン階級はサットヴァ性に、旅芸人、詐欺師、

シュードラ、蛮族などをタマス性に配置している。このように細かく分類しているのは、

MSが各階級の規定を目的としているからと考えられる。

一方、MSでは地獄についても説かれる。

bah¯un vars.agan.¯an ghor¯an narak¯an pr¯apya tatks.ay¯at/

sam. s¯ar¯an pratipadyante mah¯ap¯atakinas tv im¯an//MS 12. 54

71すなわち「聖仙」

72天空の光のこと。

73下位の神格、あるいは半神的存在のグループの名である。

74ここでは、おそらく、創造神ブラフマーのことである。

75「この全ての、3種類の行為に対するそれぞれの3分類である、あらゆる生類に関する輪廻が」とも訳せ るであろう。