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ドキュメント内 A  平城宮・京 出土軒瓦編年の再検討 (ページ 170-173)

│  │

Fig。 109 内裏の排水変遷 (図中の数値は

%)

V・Ⅵ期において もS E 7900 Bへの雨水の流入防止がはか られるのである。

以上のよ うに

,内

裏地区における排水計画には

,下

水および雨水排水 と

,浄

水 とを明確に分 離 しよ うとする計画意図がよみ とれる。

1) 

「 平城官発掘調査報告 Ⅲ」(p.55〜 58)では, 1間あた りの柱間寸法 を

,そ

れぞれ S C254が299 cm, S C247が 295 cmと し, S B450 A・ 440。 260。 162・ 163・164には 295 cmと 299 cmの異なる柱間寸 法が混在するとしなが ら,これ らの相果す る柱間寸法 を一律に10尺 としてい る。 そ して上記の建物 の柱 位置 は

,い

づれ も東西方向を299 cm,南北方向を 295 cmと す る10尺方眼上 に合致す るとしてい る。 し か し, 1聞あた り

4cmも

の差 を生ずる柱間寸法 を, お しなべて10尺とす ることには問題があろ う。す なわち, Ⅱ期の内裏の南】ヒ長か ら割 り出され る造営単位尺は

0,2947m/尺

であるか ら, S C 247の 柱間 寸法 295 cmは ほぼ10尺, S C254の柱間寸法 299 cmは ■014倍 の 10.14尺 とす るべ きである。

 

ただ し

今回の報告では, S C254の柱間寸法 を10.182尺 (300。

lcm)と

考 えた。

2)昭

29年の内裏北面築地回廊調査では,S C060の桁行柱問寸法 を40尺 を3分割 した13.3尺とす る。

3)「

平城宮発掘調査報告 Ш」(P・ 52)では, s C060の 全長を東西両端の柱心々間で 620尺

,内

法の柱 心 々間で梁間26尺の2間分 を差 し引いた 568尺 に復原 している。そ して 568尺 は

,註

2)に示すよ うに昭 和29年の調査 で判明 したS C060の桁行柱間寸法 40尺 ‐3=13,3尺では割 り切れない ため, 途中で柱間 寸法 に広狭を持 たせて調整 してい るのではないか と推定 してい る。 しか し

,そ

の後 の第

10,13,20次

の 各調査によって, S C060の 柱間寸法はすべて等間であることが判明 した。 S C060の 全長は

,築

地本体 の心 々間で600尺,東西両端 の柱心 々間で626.6尺,内 法の柱心 々間で573.3尺に復原す るのが妥当である。

4) 

「 平城宮発掘調査報告 Ⅲ」(p.53)。

5) 

「 平城宮発掘調査報告 Ⅲ」(P・ 52)では, s C156の 全長を築地本体 の心 々間で 624尺,48間とし,

南北両端の柱心 々間で650尺,50間とす る。 しか し,S C060・ 640の築地本体心 々聞実測南北距離185,947

mを

624尺 で除す ると造営単位尺は

0.298m/尺

とな り,Ⅲ 期 の造営年代 を考慮すればやや長 くな りす ぎる。む しろ S C156は, Ⅱ期 の S A6905の 全長を踏襲 して

,築

地本体心 々間の全長を 630尺 に計画 さ れたと見 る方が 自然であろ う。

イク′

裏 構 内 的 宮 本 安 基 平 造の

C  内裏地 区空 間構 造 の歴 史的変遷

内裏地区における遺構の時期区分 と変遷

,お

よび奈良時代における天皇の御在所の歴史的変 遷 に関する検討に基づき

,奈

良時代における内裏地区の遺構の変遷について歴史的考察を行 う

ことにする。その際 まず平安官における内裏の構造について概観 し

,そ

ののちそれ と平城宮内 裏地区における各期の遺構 とを比較検討することにようて

,平

城宮内裏地区の構造やその性格

・機能の変遷について述べ ることに したい。

平安官 内裏 の構 造

平安宮内裏の構造 とその機能

内裏地区の遺構の一部について報告を行 った『 報告 皿』において

,既

に平安官の内裏に関す る諸問題が取 り上げ られ論 じられたが

,そ

こで主 として問題 とされたのは

,第

一に平安官内裏 を描 く古図や復原図

,絵

画資料等が有する史料的な問題点であ り

,ま

た第二 にそれを用いて復 原 され る平安官内裏の有す る諸問題についてであった。そこでは

,結

論的には

,平

城官内裏の 殿合の配置は基本的に平安宮のそれ と同 じことを指摘 し

,平

安宮内裏が平城宮内裏の発展形態 であるとされた。 しか し当時明 らかにされていた内裏地区の遺構 はその南半部に過 ぎず

,し

も内裏の遺構 と見 られていたのは築地回廊で四 まれた時期の遺構 に とどま り

,そ

の下層に掘立 柱の遺構群が存在 していることを把握 していない段階での検討に過 ぎなか った。従 って平城官 内裏地区で検出 した遺構 と平安官内裏 との比較 を十分な発掘資料に基づいて行 ったのではな く, 現段階における内裏地区の遺構 の全体的な様相か ら見 ると

,丞

ず しも従来の比較が正鵠を得た

ものであった とは言 えない と考 える。

そこでまず

,平

安宮内裏の基本的な構造を概観することに し

,次

項で平城官内裏地区の歴史 的変遷を検討するための前提 としたい。なお平安官内裏の横造を検討す る材料 としては

,正

史 をはじめとす る多 くの文献史料の他に

,『

平城官発掘調査報告 Ⅲ』 で詳 しく検討 した平安宮内 裏古図の うち陽明文庫本官城図 と九条家本延喜式巻42所収の内裏図を用い ることにする。 また 平安官内裏の基本的な構造を考 えるには

,そ

の内部に存在 してい る数多 くの殿舎一つ一つの建 築構造や機能・性格

,あ

るいは個別の殿舎か ら構成 される殿舎群の機能 。性格 を詳細に検討 し なければならないが

,個

々の事例 を挙げて逐一検討することは困難であ り

また殿舎の使用方 法に も自ずか ら歴史的な変遷があることか ら

,こ

こでは当該時代の史料 を通覧 してそ こか ら窺 知 しうる平安官内裏の基本的な構造について

とりわけ平安官の創建期 にで きるだけ近い平安 時代の前半における平安官内裏の構造を概観的に述べるにとどめることにす る。

平安官内裏の基本的な構造は

,お

およそ次に述べる5つ の空間か ら構成 されてい ると見 るこ とが可能であろ う(Fig。 110)。

 

すなわち,(1)築地回廊で周囲を囲 まれた内裏内部の中央南半郡 に位置 し

,正

殿である紫庚殿 と

,そ

の東西にある

4棟

の脇殿である宜陽・春興 。校書・安福の

4殿 ,お

よびこれ ら

5棟

の殿舎によって囲 まれた南庭か らなる空間 (以下では仮に空間(→と呼ぶ), (2)空間(1)の北に位置 し

,ほ

ぼ築地回廊で囲 まれた内裏の中央部を占め

,正

殿 である仁寿殿 とそ の後殿である承香殿

,お

よび仁寿殿の東西に配 される

4棟

の脇殿である綾綺・温明 。清涼 。後 イ2ク

ドキュメント内 A  平城宮・京 出土軒瓦編年の再検討 (ページ 170-173)

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