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苺 I::::I::千

ドキュメント内 A  平城宮・京 出土軒瓦編年の再検討 (ページ 144-148)

S B 479

s B 4680

%

大垣 まで広大な広場を形成する。

I期

には殿舎群を御在所東方に集中させて南に広場を設け, 以後はⅥ期の内裏廃絶期 までその配置構成は変 らない。

I期

東殿舎地区には正殿S B 164を 中心に して前殿

S B163,後

殿S B 7875と S B 7874 Aの 合計

4棟

の東西棟建物を南北に並列 させる。 これ ら

4棟

の殿舎群はやや西寄 りに建てられ

,殿

舎群東側の北寄 りに丼戸S E 7900を設 ける。

 

この地区の南を限 る塀S A 7594は

内裏東南広 場か ら丼戸S E 7900を見通せないよう日隠塀を兼ねている。

S B 7874Aは 中央で

2室

に間仕切 り

,東

妻側面の北柱間に角屋が付 く形式。身舎西北隅柱 と 御在所東垣 S A 7876,お よび

,角

屋東北隅柱 と内裏東大垣S A 6905と を結ぶ

,そ

れぞれ開 口部

を もつ塀 S A 7887,S A 7865を 設置 し

,内

裏東北殿舎地区 との境界 としている。同様の塀 をS

B7875の

西北隅柱 と御在所東垣S A 7876と の間に も設けてい る事か ら

,S B 7874Aは

南の

3棟

の建物 とは異なる機能 (厨

)を

備 えていたと思われる。 また

, S B7874Aと

S B 7875の間には 御在所東垣か ら丼戸S E 7900ま でをバ ラス敷舗装道路S F 7890と してい ることか らみて

,SA

7881と S A 7888間の御在所東垣S A 7876に門を開き

,ま

た, S A 7887。 7888に もそれぞれ開 口部を設けて

,御

在所や東北殿舎

,北

殿舎への賄方の出入 口としていた ものと考えられる。

Ⅲ期には内裏外郭築地回廊の改築にともなって井戸周辺部 を石敷整備 し

,井

戸屋形S B 7901 および, S B 164と東面築地回廊S C 156と の間にS B 162を 増築する。

I期

の建物

4棟

,塀

S A 7887・ 7888は存続す る。 目隠塀S A 7894は

S B162の

増築によって不必要 とな り撤去 して いる。以後 は

,V期

まではⅢ期の状態をそのまま受け継 ぎ

,V期

には東北殿舎地区の仮設建物 建設 に併 なってS B 7874に北庇 を付設 している。 Ⅵ期にはS B 7874を 改築 してS B 7892と,

I〜 V期

のS B 7874を中心に した空間を拡げているが

,機

能的には前期 まで と変 らない。

工期東殿舎

正期東殿舎

内裏東南隅の広場は

, I期

か らⅥ期 までの全期を通 して変 ることはない。

 I期

は Ⅱ期以後の

 

壌裏東南広

3倍

以上の空地 となっているが

Ⅱ期以後の広場の機能は

I期

か ら継承するものであろ う。 Ⅱ

期には内裏東方殿舎地区 との間の東半部に日隠塀 S A7594を 設 けるが

,西

半部は殿舎 と広場 と は区画されず

この広場は内裏東殿舎群 と一体に扱われていたことを示 してい る。

Ⅲ期には築地回廊の造営にともな って Ⅱ期の 目隠塀

S A7594は

撤去 され

,内

裏東殿舎群の前 庭 としての性格が一層明確になる。

 

この広場はまた

,内

裏南面築地回廊S C 640の東端部を取

込んで造営 された内裏東楼閣S B 7600と も直接に関連するものである。広場の東の築地回廊

内裏東楼閣

C156に

は東面南門S B 7590が開かれるが

,広

場に面 した築地回廊の内側 に接 して

,広

場全体 を遮蔽する目隠塀

S A7595を

設ける。

 

この塀の南端は東楼閣の後殿S B 7601の東北隅柱に取 り付 き

北端は未発掘地にかかるが, S B 163の 南側面の東延長線 まで

2間

ほど延 びていた も の と思われる。

内裏東南広場は

,井

戸や厨を備 えた

S B164を

中心 とする内裏東殿舎群や

南の東楼閣

SB

7600と一体 となって儀式や饗宴を行 う場であったと考 えられ,Ⅲ 期に成立 したこのよ うな広場 と殿舎群はⅥ期 まで変 ることな く継承 されるのである。

 

第二 次大 極殿 院地 区

内裏地区の変遷に関連 して

,本

報告の範囲外ではあるが

,内

裏地区の南に直結 した第二次大 極殿地区の変遷の概要を記す ことにする。

辮 囲環

S B 4784

□ 四

%

Fig.92 

内裏第 Ⅵ期 の殿舎配置

第二次大極殿および後殿の下 層 において椅 行

7間 , 

梁行

4間

4面

庇付き掘立柱建物

SB

9140と

その後方に

S B9140と

桁行長 を揃えた後殿S B 10050と を

さらに第二次大極殿閤 門下層に掘立柱の

5間 3戸

S B l1210と その左右にのびる朝堂北面大垣S A l1250・ 11521,

S B9140の 東方を区画 して後殿 と朝堂北大垣を結ぶ掘立柱塀S A 10048, および

その東方に

I期

内裏大垣

S A655と

朝堂北大垣S A l1350を 結ぶ南北塀S A 7593を検出 している。

これ らの遺構は I期 に造営 されて

I期

まで存続する大極殿相当のS B 9140を中心 とした一郭 を形成 している。但 し

, S A7593に

ついては,そ の北端の

7間

分の柱掘形が浅 く

,柱

間寸法 も 不揃いであるため

, I期

には造営途中に計画変更 されて

, I期

に内裏南大垣が南に移 されたの

ちに設 けられた可能性 もある。

Ⅲ期には内裏大垣の掘立柱塀か ら築地回廊への改築にともなって

この第二次大極殿院で も,

すべて基壇付 き礎石建物に改 ま り

,大

極殿 S B 9150,同 後殿 S B 10000,同 閤門 S B l1200,同 回廊S C101・ 102・ 10010と な り

,以

後はⅥ期 まで存続する。

 

但 し

,大

柾殿基壇はのちに拡幅,

嵩上げされた形跡があ り

これにともなって後殿 と軒廊 を繋 ぐ基壇 も明らかに拡幅 されてい る,

その時期を一応

V期

としたが確証はない。

 

各期 の造 営年 代

以上のよ うな内裏内殿舎の各地区 ごとの変遷を振 り返 って

,各

造営期の時期 と殿舎配置上か らみた各期の性格について時期を追 ってみることにしよう。

1期 は平城官創建の元明朝か ら元正朝 にかけての時期である。 この時期の殿舎の密度は薄い が

,そ

の構成は内裏正殿・御在所正殿および北方の御在所付属殿舎群か らな り

, I期

以後の内 裏の基本的な骨格を形成 した時期である。

Ⅱ期は聖武朝 の平城官還都 までの時期である。 この時期には

I期

の内裏の諸機能を充実 させ るための大改造を行い

Ⅱ期以後の内裏をはじめ とする官城の骨格がつ くられる。

I期

内裏では

,内

裏正殿・脇殿・前庭 の東西北面を回廊で囲 う区画を正面中央に構 え

,そ

北に御在所正殿・脇殿・後殿・湯殿 を掘立柱塀で囲 う御在所区画 と

,更

にその北方に付属殿舎

,内

裏正殿区画 と御在所の東方には

,北

半に丼戸・厨を備 えた東殿舎群 と南半 には広場 を配 す。 Ⅲ期 とⅣ期に御在所 と北方殿舎群に増改築が加えられるが

,こ

のような内裏殿舎の基本構 成は

,V期

まで基本的には変 らない。

Ⅲ期は平城還都の頃か ら天平宝字

4年

頃か ら始 まる大官改修 まで

,聖

武朝末期 と孝謙・淳仁 朝前半期の時期である。 この時期には内裏内の殿舎では御在所 と北方殿舎の一部に増改築が認 められる程度であるが

,内

裏を囲 う塀 を掘立柱塀か ら築地回廊 に改築 し

,南

面築地回廊に楼閣 を構 えて内裏の外観を壮麗に し

,第

二次大極殿院・朝堂院地区で も掘立柱建物・塀 を礎石建物 や築地塀 に改めるなどの大造営工事が行われた。

Ⅳ期は

,天

平宝字

4年

以後

,築

地回廊 に引続いて内裏正殿

,御

在所正殿

,御

在所北殿舎の改 築に とりかか り

,あ

わせて

,第

一次大極殿院地区

I期

の造営を始め

,内

裏地区を孝謙太上天皇 の御在所(のち称徳天皇の内裏「西宮」

),第

一次大極殿地区を淳仁天皇の御在所「中官院」に改め

る時期である。

V・ Ⅵ期の内裏造営に関わる文献上の記載はないが

,後

述す るように御在所地区における皇

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