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杯 BI‑1

ドキュメント内 A  平城宮・京 出土軒瓦編年の再検討 (ページ 130-144)

‑1

‑1

1V‐1

12

2

2

‑2

V

CI

Ⅱ 皿

AI

Ⅱ 皿

BI

I

CI

E 椀

AI

Ⅱ 椀

B

高杯 I

A B C D E G H K L M N P Q 士霊

須恵器の器種消長

(3)土

師器 の杯

Aを

模倣 した杯

Cに

口縁端部が内側 に巻 き込 む もの と

,日

縁 内面上端 に 一条の沈線 を施す ものの

2種

あ るが

,両

者 と も平城宮土器

I段

階 に出現 す る。前者 は

I群

土器 で

,平

城宮土器

V段

階 まで存 在 す るの に対 し

,後

者 は

I群

土器 で

,平

城宮 土器 Ⅱ段 階 で姿 を消 す① また

,土

師器 の杯

Cを

模 した杯

Xは

平 城官土器I・ Ⅲの古段階 に認 め られ る。杯

Xは

成形 に ロ クロを使用 せず

,土

師器 の成形 法 (木ノ葉成形法

)で

作 られ

,内

面 に暗文 を もつ もの や外面 をヘ ラ磨 きす る ものがあ り

,土

師器工 人 の手 に よる須恵器 であ る。

(4)鉢 Aは

平城官土器 Ⅲの段階 で, 1・

I群

須恵 器 に尖 底 の ものが出現 し

,以

,平

底 の も のは姿 を消す。但 し

,Ⅵ

群 は平 底 の鉢

Aが

残 る。

(5)杯

B・ 皿

Bの

蓋 には

,頂

部 が笠形 を呈 す る もの (B形態

),頂

部 が平坦 で縁 部 が屈 曲す る もの(A形態)の 二種 がある。

 1・

Ⅳ群土器 以外 は基本的に

A形

態 で あ るが

, I群

須恵 器 は Ⅱ段 階 を境 に

A形

態 に変化 し

,B形

態 の蓋 は姿 を消 す。

(6)提

梁 を持 つ平瓶 は平城官土器 Iに出現 し

,以

,提

梁 を持 つ平瓶 が一般 化 す る。 それ ま で は丸味 を持つ高い体部 の平瓶 が一般 的で あ ったが

,平

城宮土器 Ⅱの段 階 では体部 が痛平 にな り

,体

部 と平井部 の境 に稜 を持 つ ものが一 般化 す る。高台 を付 す例 は平城官土器

Iの

段 階 に,

小型 の平瓶(水滴)で知 れ るが

,大

型 品 で高 台 を もつ もの は平城宮土器 Ⅳ以降 に一般化 す る。

(7)平

城官土器I・

E段

階 の壺類 は

,壷 Aを

除 き

,古

墳時代か らの系譜 を引 く肩 に稜 を有 す る形態 が一般 的であ る。 Ⅲ段階以降

こ うした形態 は次第 に姿 を消 し

,代

わ って肩 に丸味 を有 す る重 が一般化 す る。平城官土器

Iに

み られ る小型壷 C・

DoEの

うち

,以

降 も存続 す るのは 重

Eの

み で ある。平城官土器 Ⅲには壼

Hが

出現 し

,V段

階 には高台 を付 さない形 に変 わ る。

壷 G・ 重

Mは

今 の所平城官土器

V段

階 には出現 してい るが

,壷 Gに

つい ては

,形

式 的 に古い 壷

Gも

確認 で き

,さ

らに さかのぼ る可能性 もあ る。董

Mは V段

階 に出現 し

, 9世

紀 には小型重 の主体 を占めるよ うになる。

 

須 恵 器 の 製 作 技 法 の 変 化

古代の須恵器 の成形法 に関 しては

,大

型 の壷 。甕類 な どは成形 には ロクロを使 わず

,粘

土紐 を巻 き上 げた り

,粘

土紐 を積 み上 げて大方 の形 を作 った後

,叩

板 と当板 を使 って叩い て成形 し た と見 るのがほぼ一致 した意見 であ る。 しか し

,小

型 の食器・ 壷類 に関 しては

ロ クロ回転 を 利 用 して粘土塊 か ら直接製品 を挽 出 した と考 え る説 と

1大

形 品 と同様 に粘土紐 を巻 き上 げて成 形 した ものを ロクロに据 え

,細

部 の挽 出 しと調整 を行 な った とみ る説 に分 かれ る(粘土紐巻き上 げ・ ロクロ成形法)。 以下

,奈

良時代の食器 の実態か ら両説 を検討 してみ よ う。

奈 良時代の食器 の一般的な形 は

,側

面形 が箱形 を呈 し

,広

く平坦 な底部 とほぼ真直 ぐに立 ち 上 が る口縁部か らなる。 当時 の ロクロの精度 については後述す るとして

,本

来 ロ クロとは

,回

転 力 を利用 して粘土塊 を下方 か らllkに

,あ

るい は斜 め上方 に挽 出 して製品を作 る道具 であ る。

しか し

,真

直 ぐ横 に挽 出す こ とも理論 的 には可能 であ るが

,粘

上 が重みです ぐ垂 れ

,極

めて困 難 で あ る。 ま してや

,奈

良時代 の食器 の よ うに

,そ

うして挽 出 した ものの先端か らほぼ垂直 な 形 で き らに 口縁部 を挽 出 して

,形

を保持 す る ことは不可能 に違 いない。 ロクロ水挽法 の場合,

製 品の平底部分 は基本的 に粘土塊 か ら切 り離 され る面 であ る。換 言 すれ ば

,底

部 は ロ クロで挽 出す もので はな く

,粘

土 円筒 の大 きさに よ って

,は

じめか ら大 きさが決 まってい るのであ る。

須恵器製作 法の諸説

3∂

ロクロの精 度

事実

,奈

良時代の畿 内産 の平底 の食器類 には

,底

部 を挽 出 した痕跡 は認 め られない。

 

したが っ

,仮

に ロクロ水挽法で こうした平底食器 を作 るとした場合

,少

な くとも

,期

待 され る製 品 の 底部 と同 じ位 の径 を もつ粘土 円筒塊 が必要 にな る。

ところで

,奈

良時代 には確実 に ロクロ水挽法 による製品が存在す るが

,食

器 で はな く細頸 の 瓶 の類 である。 その うち

,下

か ら上 まで完全 に一気 に水挽法 で作 られた ものは小型 の重

Mの

み で ある。

ttMの

底径 は

,4cm前

,高

さは

10 cm程

度 であ り

それ よ りやや大形 の壷

G(器

高20 cm程度

)は ,頸

部 と体部 とは別 々に水挽 し

接 合 して作 る。 体部 の高 さはや は り

12 cm

程 度 で あ る。 重M・ 壷

Gよ

りも器高 の高 くて体部の張 る壷

Lは ,壷 Gと

同様 に

2段

構 成 で器体

を作 る もの と

,体

部 を

2段

に構成 した ものに頸部 を取 り付 けた もの(3段櫛的 の

2種

が あ る。

これ らの瓶類 の作法か ら

粘土塊 か ら一 気 にひ き上 げで き る高 さは

12 cm前

後 で あ って

そ れ よ り高い ものを作 る場合 には

, 2段

な り

3段

な りに分割 して作 らざるをえなか ったの であ る。

挽 出 しは回転 力 に比例 し

,回

転 力 は ロ クロに乗 る粘上 の重量 に よ って制限 を うけ る。 したが っ て

,当

時 の ロクロに乗 せ られ た粘土塊 の大 き さは

,せ

いぜい重

Ml個

体 を作 る位 の大 き さだ っ た ことになる。 こうして見 る と

,側

面形 が箱形 の食 器 を ロクロ水挽法 で作 れ ない の は明 らかで あ ろ う。 その ため

,こ

うした器形 を作 るため には粘土組 を巻 き上 げて大方 の形 をつ くった後, ロ クロの回転 を使 い細部 の挽 出 しと調整 を行 わ ざるを得 なか ったのであ る。前述 の よ うな ロク ロ水挽法 による製 品は

,平

城官土器 Ⅲの段 階 で金属 を模 した細頸水瓶 にその初現 を見 るが

,平

城 官土器

V段

階で盛行す る技法 であ る。

8世

紀 は ロクロ水挽法 は畿 内で は主 として瓶類 の成 形 に採用 されてい るが

,V群

で は笠形 の杯

B蓋

,一

部 の小型 の杯類 に も採 用 され た可能 性 が あ る。

V群

で は

,製

品 を ロ クロか ら切 り離 す際 に糸 を使 う技法 が奈 良時代 中頃か ら見 られ る。 ま た

,切

り離 しに糸 を使 うのは

,V群

以外 に出雲・ 因播地方 の須恵器 に も見 られ るが

,糸

切 り法 は これ まで ロクロ水挽法 に固有 の技法 と考 え られてきた。確 かに

,水

挽 法 によ る製 品 は糸切 り で

,粘

土紐巻 き上 げ ロクロ調整法 に よる ものは

,ヘ

ラで切 り離 してい る。糸で切 る場 合 は

,粘

土塊 か ら切取 って底部 を作 る意図を もち

,後

者 の成形法 の場 合 には

,底

部 をあ らか じめ作 って あ るのであ るか ら

,切

り離す と言 うよ りも取 り外 す と言 うのが的 を得 てい る。 その意味 で「ヘ ラ切 り」 とい うよ りも従前使 われてい た「ヘ ラ起 こし」 の語 が適切であ る。すべての場 合 には 適応 で きない か も知 れ ないが

,底

部切 り離 し技法 の違いは成形法 の違い を反映 してい る と見 て よか ろ う。

9世

紀 にはい る とロクロ水挽 法 は

,磁

器 を模 した緑釉

,灰

釉陶 の椀・ 皿類 に も適用 され る。

9世

紀前半 に始 まる新 しい食 器類 は

,前

時 代 の箱型器形 とは異 な り

日縁 部が内彎 気味 に上方 に立 ち上 が る形 で

,ロ

クロに適 した形 で あ ることは言 を倹 たない。

次 に調整法の変化 について述べ よ う。奈 良時代前半期(1〜Ⅲ)ま では

,食

器類 の底部 は'ク ロケズ リされ る。

 I・

Ⅳ群 は

V以

,削

り調整 が省略 され

,ヘ

ラ切 りままの不調整 もの が多 く な る。 他 の群 では

V段

階 まで ロクロ削 り調整 が見 られ るが

, V群

では底部 を削 り残 し

,糸

切 り 痕 を とどめ る ものがあ る。

V施

釉 陶 器

我 国で士薬 を掛 けた焼 き物 が作 られ るよ うにな るのは

, 7世

紀後葉 の頃 であ る。鉛 ガ ラスを

」J2

基礎釉 とし,銅 を呈色剤 とす る低火度焼成 の緑釉 単彩陶 で,統 一新羅 の鉛釉陶器 の影響 を受 けて 成立 した。 この時期 の鉛釉陶器の器種 は権・ 苺 な どの器材 で

,土

器 固有 の形態(食器・貯蔵器等)

には施釉 され る ことがなか った。

我 国の もう一 つ の施釉陶器 の系列は多彩釉陶器 であ り

,唐

三 彩の影響 を受 けて成立 した

,所

,奈

良三 彩 で あ る。奈 良三 彩 も鉛釉 を基礎釉 とし

,酸

化 鉄・ 銅 を基礎釉 に加 えて褐釉・ 緑釉 を作 り

,器

体 に塗 り分 けて発 色 させ る。基礎釉 は無 色透 明で

,白

い発色 は生地 の白が浮か び出 た ものであ る。奈 良三彩 の最古例 は

,今

の所

,平

城宮土器

Iの

うちにあ る。

8世

紀前半期 には 左京八条一坊十三坪 で緑釉単彩鉢 な どの例 も知 られ るが

,基

本的 には多彩 の ものが多 くを占め る。器種 には杯・ 皿・ 椀・ 鉢・ 瓶等があ り

,煮

沸 器 を除 く器 種 のセ ッ トが揃 ってい る。 しか し こ うした器種 がセ ッ トで出土 す るのは官 と寺院 に限 られ る。京 あるいは各地 の遺跡 か ら時 々出 土 す る器形 は

,小

型壷 と骨蔵 器 として使 われ た壷

Aで

あ り

,奈

良三 彩 がセ ッ トとして出土 す る ことはない。奈 良時代後半期 になると多彩の ものは少 な くな り

,緑

釉単彩 の ものが増加 す る傾 向にあ る。

平城宮土器 Ⅳ〜

V段

階 には

,更

に緑釉単彩化 が進 む とともに

,新

しい器形 が生産 され るよ う にな る。新 出の器種 としては

,貼

付輪 高台の椀・ 睡重・ 釜・ カマ ドな どが あ る。 その うち椀・

睡重 は確実 に唐 の磁器 を写 した ものであ り

,従

前考 え られ てい たよ りも磁器志向の風潮 は古 く さか のぼ る ことに な る。

平城官土器 Ⅶ段 階 で

,磁

器志向の様式 が定着 す る とともに新 たに

,施

釉 陶器部 門 に灰釉 陶器 が加わ り

,以

, 2種

の施釉陶器 が10世紀末か ら11世紀初 め頃 まで存続 す る。

黒 色 土 器

黒 色土器 は

,水

もれ を防 ぐために土器 の表面 に炭素 を吸着 させた焼物 で

,一

種 の改良型土器 と も言 うべ き ものである。畿 内では

, 8世

紀 以前 には黒色処 理 の技法 の伝統 はな く

,東

日本の 影響 を受 け

8世

紀 の初 め頃 に成立 す る。器 の内面 を黒 色処理 す る

A類

,内

外両面 を処理 す る

B類

が あ る。

A類

は奈良時代 を通 じて生産 されてい るが

,極

めて出土例が少 ない。上師器工 人 の手 によるため

,土

師器 の器形 と共通 す る ものが多い。 黒 色土器 が量 的 に増 加傾 向を示 すのは 平城官土器

V〜

Ⅵの段階であ り

,主

として大形 の杯

Aが

生産 され るよ うにな る。 Ⅶ段階では, 食器類 に杯

Bや

磁 器 を模 した皿

Bな

どが新 たに加わ るとと もに貯蔵器・煮沸器 も生産 され るよ

うにな り

,土

師器 か ら独立 した生産部 門 を構成 す るよ うに な る。

B類

が盛行 す るのは10世紀段階であ るが

,奈

良時代後半 にすでに存在す る。 それは

,特

異 な 器形 であ り

,唐

もし くは渤海 か らの舶載品の可能性 もあ る。

 9世

紀代 には

,B類

は既 に生産 さ れ てい るが

,小

重 や硯等 の特殊 な器形 のみであ り

,A類

と共通 す る器形 は見 い だせない。

1)『

報告』では S K219の 椀Aの調整 をa手 法 としているが

,誤

りであ り

,明

らかに C手 法である。

2)羽

曳野市教育委員会『 古市遺跡V』 1984,P,124〜127

3)奈

文研『 平城宮発掘調査報告

 

』1982,p.254〜257

4)阿

部義平・ 山沢義貴「 水 びき成形法におけるヘ ラ切 りと糸切 り」『 日本考古学協会第36回総会研究発 表要 旨』1970

5)日

中琢「 須恵器製作技術の再検討」『 考古学研究』第11巻第2号 ,1964

緑釉単彩陶

奈 良 三 彩

緑釉単彩陶 の新器種

黒色土器 ▲ 類

黒色土器

B

」JJ

ドキュメント内 A  平城宮・京 出土軒瓦編年の再検討 (ページ 130-144)

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