Ⅱ‑1
Ⅲ‑1
1V‐1
12
Ⅱ2
Ⅲ2
Ⅳ‑2
V
杯
CI
Ⅱ 皿
AI
Ⅱ 皿
BI
I
皿
CI
Ⅱ
皿 E 椀
AI
Ⅱ 椀
B
高杯 I
Ⅱ
A D F
鉢
A B C D E G H K L M N P Q 士霊
須恵器の器種消長
(3)土
師器 の杯Aを
模倣 した杯Cに
は,
口縁端部が内側 に巻 き込 む もの と,日
縁 内面上端 に 一条の沈線 を施す ものの2種
あ るが,両
者 と も平城宮土器I段
階 に出現 す る。前者 はI群
土器 で,平
城宮土器V段
階 まで存 在 す るの に対 し,後
者 はI群
土器 で,平
城宮 土器 Ⅱ段 階 で姿 を消 す① また,土
師器 の杯Cを
模 した杯Xは
平 城官土器I・ Ⅲの古段階 に認 め られ る。杯Xは
成形 に ロ クロを使用 せず,土
師器 の成形 法 (木ノ葉成形法)で
作 られ,内
面 に暗文 を もつ もの や外面 をヘ ラ磨 きす る ものがあ り,土
師器工 人 の手 に よる須恵器 であ る。(4)鉢 Aは
平城官土器 Ⅲの段階 で, 1・I群
須恵 器 に尖 底 の ものが出現 し,以
後,平
底 の も のは姿 を消す。但 し,Ⅵ
群 は平 底 の鉢Aが
残 る。(5)杯
B・ 皿Bの
蓋 には,頂
部 が笠形 を呈 す る もの (B形態),頂
部 が平坦 で縁 部 が屈 曲す る もの(A形態)の 二種 がある。1・
Ⅳ群土器 以外 は基本的にA形
態 で あ るが, I群
須恵 器 は Ⅱ段 階 を境 にA形
態 に変化 し,B形
態 の蓋 は姿 を消 す。(6)提
梁 を持 つ平瓶 は平城官土器 Iに出現 し,以
後,提
梁 を持 つ平瓶 が一般 化 す る。 それ ま で は丸味 を持つ高い体部 の平瓶 が一般 的で あ ったが,平
城宮土器 Ⅱの段 階 では体部 が痛平 にな り,体
部 と平井部 の境 に稜 を持 つ ものが一 般化 す る。高台 を付 す例 は平城官土器Iの
段 階 に,小型 の平瓶(水滴)で知 れ るが
,大
型 品 で高 台 を もつ もの は平城宮土器 Ⅳ以降 に一般化 す る。(7)平
城官土器I・E段
階 の壺類 は,壷 Aを
除 き,古
墳時代か らの系譜 を引 く肩 に稜 を有 す る形態 が一般 的であ る。 Ⅲ段階以降,
こ うした形態 は次第 に姿 を消 し,代
わ って肩 に丸味 を有 す る重 が一般化 す る。平城官土器Iに
み られ る小型壷 C・DoEの
うち,以
降 も存続 す るのは 重Eの
み で ある。平城官土器 Ⅲには壼Hが
出現 し,V段
階 には高台 を付 さない形 に変 わ る。壷 G・ 重
Mは
今 の所平城官土器V段
階 には出現 してい るが,壷 Gに
つい ては,形
式 的 に古い 壷Gも
確認 で き,さ
らに さかのぼ る可能性 もあ る。董Mは V段
階 に出現 し, 9世
紀 には小型重 の主体 を占めるよ うになる。須 恵 器 の 製 作 技 法 の 変 化
古代の須恵器 の成形法 に関 しては
,大
型 の壷 。甕類 な どは成形 には ロクロを使 わず,粘
土紐 を巻 き上 げた り,粘
土紐 を積 み上 げて大方 の形 を作 った後,叩
板 と当板 を使 って叩い て成形 し た と見 るのがほぼ一致 した意見 であ る。 しか し,小
型 の食器・ 壷類 に関 しては,
ロ クロ回転 を 利 用 して粘土塊 か ら直接製品 を挽 出 した と考 え る説 と1大
形 品 と同様 に粘土紐 を巻 き上 げて成 形 した ものを ロクロに据 え,細
部 の挽 出 しと調整 を行 な った とみ る説 に分 かれ る(粘土紐巻き上 げ・ ロクロ成形法)。 以下,奈
良時代の食器 の実態か ら両説 を検討 してみ よ う。奈 良時代の食器 の一般的な形 は
,側
面形 が箱形 を呈 し,広
く平坦 な底部 とほぼ真直 ぐに立 ち 上 が る口縁部か らなる。 当時 の ロクロの精度 については後述す るとして,本
来 ロ クロとは,回
転 力 を利用 して粘土塊 を下方 か らllkに
,あ
るい は斜 め上方 に挽 出 して製品を作 る道具 であ る。しか し
,真
直 ぐ横 に挽 出す こ とも理論 的 には可能 であ るが,粘
上 が重みです ぐ垂 れ,極
めて困 難 で あ る。 ま してや,奈
良時代 の食器 の よ うに,そ
うして挽 出 した ものの先端か らほぼ垂直 な 形 で き らに 口縁部 を挽 出 して,形
を保持 す る ことは不可能 に違 いない。 ロクロ水挽法 の場合,製 品の平底部分 は基本的 に粘土塊 か ら切 り離 され る面 であ る。換 言 すれ ば
,底
部 は ロ クロで挽 出す もので はな く,粘
土 円筒 の大 きさに よ って,は
じめか ら大 きさが決 まってい るのであ る。須恵器製作 法の諸説
3∂′
ロクロの精 度
事実
,奈
良時代の畿 内産 の平底 の食器類 には,底
部 を挽 出 した痕跡 は認 め られない。したが っ
て
,仮
に ロクロ水挽法で こうした平底食器 を作 るとした場合,少
な くとも,期
待 され る製 品 の 底部 と同 じ位 の径 を もつ粘土 円筒塊 が必要 にな る。ところで
,奈
良時代 には確実 に ロクロ水挽法 による製品が存在す るが,食
器 で はな く細頸 の 瓶 の類 である。 その うち,下
か ら上 まで完全 に一気 に水挽法 で作 られた ものは小型 の重Mの
み で ある。ttMの
底径 は,4cm前
後,高
さは10 cm程
度 であ り,
それ よ りやや大形 の壷G(器
高20 cm程度
)は ,頸
部 と体部 とは別 々に水挽 し,
接 合 して作 る。 体部 の高 さはや は り12 cm
程 度 で あ る。 重M・ 壷Gよ
りも器高 の高 くて体部の張 る壷Lは ,壷 Gと
同様 に2段
構 成 で器体を作 る もの と
,体
部 を2段
に構成 した ものに頸部 を取 り付 けた もの(3段櫛的 の2種
が あ る。これ らの瓶類 の作法か ら
,
粘土塊 か ら一 気 にひ き上 げで き る高 さは12 cm前
後 で あ って,
そ れ よ り高い ものを作 る場合 には, 2段
な り3段
な りに分割 して作 らざるをえなか ったの であ る。挽 出 しは回転 力 に比例 し
,回
転 力 は ロ クロに乗 る粘上 の重量 に よ って制限 を うけ る。 したが っ て,当
時 の ロクロに乗 せ られ た粘土塊 の大 き さは,せ
いぜい重Ml個
体 を作 る位 の大 き さだ っ た ことになる。 こうして見 る と,側
面形 が箱形 の食 器 を ロクロ水挽法 で作 れ ない の は明 らかで あ ろ う。 その ため,こ
うした器形 を作 るため には粘土組 を巻 き上 げて大方 の形 をつ くった後, ロ クロの回転 を使 い細部 の挽 出 しと調整 を行 わ ざるを得 なか ったのであ る。前述 の よ うな ロク ロ水挽法 による製 品は,平
城官土器 Ⅲの段 階 で金属 を模 した細頸水瓶 にその初現 を見 るが,平
城 官土器
V段
階で盛行す る技法 であ る。8世
紀 は ロクロ水挽法 は畿 内で は主 として瓶類 の成 形 に採用 されてい るが,V群
で は笠形 の杯B蓋
や,一
部 の小型 の杯類 に も採 用 され た可能 性 が あ る。V群
で は,製
品 を ロ クロか ら切 り離 す際 に糸 を使 う技法 が奈 良時代 中頃か ら見 られ る。 ま た,切
り離 しに糸 を使 うのは,V群
以外 に出雲・ 因播地方 の須恵器 に も見 られ るが,糸
切 り法 は これ まで ロクロ水挽法 に固有 の技法 と考 え られてきた。確 かに,水
挽 法 によ る製 品 は糸切 り で,粘
土紐巻 き上 げ ロクロ調整法 に よる ものは,ヘ
ラで切 り離 してい る。糸で切 る場 合 は,粘
土塊 か ら切取 って底部 を作 る意図を もち
,後
者 の成形法 の場 合 には,底
部 をあ らか じめ作 って あ るのであ るか ら,切
り離す と言 うよ りも取 り外 す と言 うのが的 を得 てい る。 その意味 で「ヘ ラ切 り」 とい うよ りも従前使 われてい た「ヘ ラ起 こし」 の語 が適切であ る。すべての場 合 には 適応 で きない か も知 れ ないが,底
部切 り離 し技法 の違いは成形法 の違い を反映 してい る と見 て よか ろ う。9世
紀 にはい る とロクロ水挽 法 は,磁
器 を模 した緑釉,灰
釉陶 の椀・ 皿類 に も適用 され る。9世
紀前半 に始 まる新 しい食 器類 は,前
時 代 の箱型器形 とは異 な り,
日縁 部が内彎 気味 に上方 に立 ち上 が る形 で,ロ
クロに適 した形 で あ ることは言 を倹 たない。次 に調整法の変化 について述べ よ う。奈 良時代前半期(1〜Ⅲ)ま では
,食
器類 の底部 は'ク ロケズ リされ る。I・
Ⅳ群 はV以
降,削
り調整 が省略 され,ヘ
ラ切 りままの不調整 もの が多 く な る。 他 の群 ではV段
階 まで ロクロ削 り調整 が見 られ るが, V群
では底部 を削 り残 し,糸
切 り 痕 を とどめ る ものがあ る。V施
釉 陶 器我 国で士薬 を掛 けた焼 き物 が作 られ るよ うにな るのは
, 7世
紀後葉 の頃 であ る。鉛 ガ ラスを」J2
基礎釉 とし,銅 を呈色剤 とす る低火度焼成 の緑釉 単彩陶 で,統 一新羅 の鉛釉陶器 の影響 を受 けて 成立 した。 この時期 の鉛釉陶器の器種 は権・ 苺 な どの器材 で
,土
器 固有 の形態(食器・貯蔵器等)には施釉 され る ことがなか った。
我 国の もう一 つ の施釉陶器 の系列は多彩釉陶器 であ り
,唐
三 彩の影響 を受 けて成立 した,所
謂
,奈
良三 彩 で あ る。奈 良三 彩 も鉛釉 を基礎釉 とし,酸
化 鉄・ 銅 を基礎釉 に加 えて褐釉・ 緑釉 を作 り,器
体 に塗 り分 けて発 色 させ る。基礎釉 は無 色透 明で,白
い発色 は生地 の白が浮か び出 た ものであ る。奈 良三彩 の最古例 は,今
の所,平
城宮土器Iの
うちにあ る。8世
紀前半期 には 左京八条一坊十三坪 で緑釉単彩鉢 な どの例 も知 られ るが,基
本的 には多彩 の ものが多 くを占め る。器種 には杯・ 皿・ 椀・ 鉢・ 瓶等があ り,煮
沸 器 を除 く器 種 のセ ッ トが揃 ってい る。 しか し こ うした器種 がセ ッ トで出土 す るのは官 と寺院 に限 られ る。京 あるいは各地 の遺跡 か ら時 々出 土 す る器形 は,小
型壷 と骨蔵 器 として使 われ た壷Aで
あ り,奈
良三 彩 がセ ッ トとして出土 す る ことはない。奈 良時代後半期 になると多彩の ものは少 な くな り,緑
釉単彩 の ものが増加 す る傾 向にあ る。平城宮土器 Ⅳ〜
V段
階 には,更
に緑釉単彩化 が進 む とともに,新
しい器形 が生産 され るよ う にな る。新 出の器種 としては,貼
付輪 高台の椀・ 睡重・ 釜・ カマ ドな どが あ る。 その うち椀・睡重 は確実 に唐 の磁器 を写 した ものであ り
,従
前考 え られ てい たよ りも磁器志向の風潮 は古 く さか のぼ る ことに な る。平城官土器 Ⅶ段 階 で
,磁
器志向の様式 が定着 す る とともに新 たに,施
釉 陶器部 門 に灰釉 陶器 が加わ り,以
降, 2種
の施釉陶器 が10世紀末か ら11世紀初 め頃 まで存続 す る。黒 色 土 器
黒 色土器 は
,水
もれ を防 ぐために土器 の表面 に炭素 を吸着 させた焼物 で,一
種 の改良型土器 と も言 うべ き ものである。畿 内では, 8世
紀 以前 には黒色処 理 の技法 の伝統 はな く,東
日本の 影響 を受 け8世
紀 の初 め頃 に成立 す る。器 の内面 を黒 色処理 す るA類
と,内
外両面 を処理 す るB類
が あ る。A類
は奈良時代 を通 じて生産 されてい るが,極
めて出土例が少 ない。上師器工 人 の手 によるため,土
師器 の器形 と共通 す る ものが多い。 黒 色土器 が量 的 に増 加傾 向を示 すのは 平城官土器V〜
Ⅵの段階であ り,主
として大形 の杯Aが
生産 され るよ うにな る。 Ⅶ段階では, 食器類 に杯Bや
磁 器 を模 した皿Bな
どが新 たに加わ るとと もに貯蔵器・煮沸器 も生産 され るようにな り
,土
師器 か ら独立 した生産部 門 を構成 す るよ うに な る。B類
が盛行 す るのは10世紀段階であ るが,奈
良時代後半 にすでに存在す る。 それは,特
異 な 器形 であ り,唐
もし くは渤海 か らの舶載品の可能性 もあ る。9世
紀代 には,B類
は既 に生産 さ れ てい るが,小
重 や硯等 の特殊 な器形 のみであ り,A類
と共通 す る器形 は見 い だせない。1)『
報告』では S K219の 椀Aの調整 をa手 法 としているが,誤
りであ り,明
らかに C手 法である。2)羽
曳野市教育委員会『 古市遺跡V』 1984,P,124〜1273)奈
文研『 平城宮発掘調査報告』1982,p.254〜257
4)阿
部義平・ 山沢義貴「 水 びき成形法におけるヘ ラ切 りと糸切 り」『 日本考古学協会第36回総会研究発 表要 旨』19705)日
中琢「 須恵器製作技術の再検討」『 考古学研究』第11巻第2号 ,1964緑釉単彩陶
奈 良 三 彩
緑釉単彩陶 の新器種
黒色土器 ▲ 類
黒色土器
B
類
」JJ
ドキュメント内
A 平城宮・京 出土軒瓦編年の再検討
(ページ 130-144)