第 4 章 運動の強調とその視知覚特性
4.2 Galvanic Vestibular Stimulation(GVS)を用いた先行研究
前庭感覚が人の姿勢制御や歩行運動制御,さらには前庭動眼反射などの眼球運動に影響を及ぼ すことは古くから知られていた.
前庭感覚の提示手法としてはこれまで,大掛かりな装置によって直接体験者の身体を動かし加 速度を与えることで前庭感覚を生起させる方法が一般的である.これは主にモーションベンチあ るいは,モーションプラットフォームと呼ばれる加振台を利用して人間に回転加速度や直線加速 度を提示する.空間内での運動は,前後,左右,上下の3方向とロール(前後軸回りの回転),ピ ッチ(左右軸周りの回転),ヨー(上下軸周りの回転)の6つである.モーションプラットフォー ム等を用いた研究としては,VR研究の分野で物理的に被験者へ加速度を与えることで前庭感覚を 提示し,視覚情報との相互効果により高い臨場感を生成することが試みられている[79].他にも,
ヒトの内耳に対して冷水または冷風を注入することによって温度刺激を行い三半規管内のリンパ 液の対流を誘発し提示する方法(カロリック刺激)[80]などがある.
本節で概説する電気による前庭感覚刺激:GVS(Galvanic vestibular Stimulation)は,被験者の頭部 に電極を装着し,電気刺激装置で電流制御を行いながら刺激するものである.GVSを行うと被験 者の身体は直立時に陽極側に傾くことが知られており,これによって被験者にバーチャルな前庭 感覚を生じさせることができる.
前庭感覚の生理学的な研究としては機械的な加速度付加装置により物理的に加速度を与えるこ とでその影響を検証するという手法が一般的であったが,物理的な刺激はその実験系の特性上,
前庭感覚だけではなく体性感覚をも刺激してしまうという特徴がある.しかし,GVSによる前庭 感覚刺激は前庭感覚のみを選択的に刺激することができるため,その有用性を利用して臨床分野 における前庭感覚の実験系において使用され始めた.特に,ここ20年でGVSを用いた前庭感覚 が人の姿勢制御及び歩行運動制御,そして眼球運動に及ぼす様々な影響に関する研究は増えてき ている.本節ではGVSの関連研究を述べる.
4.2.1 人の姿勢・歩行運動制御における GVS の研究
ヒトへの GVS による加速度感の提示は両耳後ろの乳様突起上につけた電極間に微弱な電流
(<3mA)を流すことにより実現される.このとき被験者は陽極方向に加速度を感じ陽極側に傾く ことが知られている[81],[82].直立姿勢の被験者に対してGVSを与えた場合には,数秒間にわた る身体動揺が観察され[83],被験者の頭部が前方を向いている場合には身体は横方向に揺れ,頭部 が横を向いている場合には身体は前後の方向に揺れることが知られている[84],[85].また,アイマ スクを着用し視覚情報を遮断している状態で両足をそろえて直立している被験者に,0.3~0.5mA の直流GVSを与えた場合は,刺激を与え始めた直後と刺激の最中,そして刺激終了後における身 体の運動速度に有意な差があることなどが知られている[86].このように,GVS の研究は姿勢制 御における反射の影響や前庭器の特性など多岐に渡る.
歩行運動や歩行方向に与えるGVSの効果を調べる研究としては,アイマスクの使用による閉眼 歩行時にGVSを行うと歩行の軌道がGVSの陽極側に傾き,同様にアイマスクを着用して車椅子 に乗り実験者によって背後から押された場合,つまりGVSを受けている被験者が自らの足で移動 しない場合には,被験者は自らの移動の出発位置について陰極側にずれて答える傾向があること などが報告されている[87].
- 45 -
4.2.2 眼球運動への影響
前庭感覚は人の頭部の動きに対して視野を安定化させるための代償性の眼球運動である前庭動 眼反射(VOR: Vestibulo-ocular Reflex)を生起させる.そのため,GVSにより前庭感覚を刺激する ことでVORを誘発することができる.正確には,GVSにより引き起こされる眼球運動はVORと,
VORを誘発する刺激が継続的に加わることで生じる前庭性眼振により構成されている.特に,観 察される眼球運動は主に回旋性の眼球運動であり,水平性の眼振も観察される[88],[89].眼球運動 の変位の大きさに関しても,生起される回旋量は刺激電流量に依存することが知られている
[90],[91].GVSにより生起される眼球運動の研究としては,GVSの刺激電流として直流を用いて
いるものと,交流を用いているものがある.
Jahnらは直流を用いたGVSにより生起される眼球運動を20歳~69歳までの幅広い年齢層にお いて測定した.その結果,生起される回旋性の眼球運動の回旋量が,横軸を年齢,縦軸を10代の 回旋量を1として正規化したグラフが40代から60代で最大となる逆U字型を描くことを示し,
そこからGVSは年齢と共に失われる耳石器や半規管の有毛細胞にではなく,前庭求心神経そのも のに影響を与えているという仮説を唱えた[89].また,物理的な刺激を被験者に与えて生起された 前庭動眼反射の反応特性とGVSにより生起された前庭動眼反射は,その運動の様子が類似してい ることなどが報告されている[92].
交流を用いた GVS により引き起こされる眼球運動の研究としては,Schneider らによって刺激 周波数として0.005Hz-1.67Hz(刺激電流値は最大3mA)を用いたGVSに誘引される回旋眼球運動 を測定し,Robinson が提唱した前庭動眼反射の制御モデル[93]に修正を加え,耳石器および半規 管のGVSによる感度と神経の発火頻度を求めた.その結果,半規管による入力の方が耳石器から の入力よりも,少なくとも3.5倍以上,GVS誘因性の回旋眼球運動に対して影響を及ぼすことが 示唆された[94].
Zinkらは眼球運動だけではなく,GVSにより知覚される主観的視野運動に関して定量化を行っ ており,直流電流(1.5,2.0,2.5,3.0mA の方形波)を用いている.主観的視野運動の計測方法 は視覚的手がかりをなくすためにランダムドットパターンを貼り付けた直径 60cm 半球を被験者 の全視野を覆うように置き,30cm前方には視野角として14degになるように調整した調整視標(白 色ライン)を被験者がGVSにより知覚した傾きになるように調整し,その回転角をポテンショメ ータで記録した.また刺激後に知覚した傾きになるようドーム側も調整させ,その両方の値を組 み合わせて知覚された視野の回旋量とした.その結果,知覚される視野運動は中心視野および周 辺視野,つまり全視野であり,右側が陽極の時に1.5mAでは平均2.2±0.9deg(N=4,Min=1.3deg,
Max=3.3deg),2.0mA では平均 2.6±1.4deg(N=12,Min=1.3,Max=6.3)などの結果を得た[90].
Zinkらの研究は,直流刺激による影響の先行研究として有用な知見である.本研究では,単発の 方形波ではなく,持続的な交流刺激下における影響を計測する.
GVSにより生起される眼球運動の被験者間での差異について,運動の種類自体は先述したよう に回旋性および水平性が主だが,その運動特性は被験者個人内では同様の傾向を見せるものの被 験者間では大きな差が表れるということが多くの研究から明らかとなっている[88]-[92],[94].
4.2.3 GVS を用いたインタフェースの研究
Maeda らやBertin らによりそれまで臨床的に前庭疾患の検査などに用いられてきた前庭電気刺
激(GVS: Galvanic Vestibular Stimulation)を,人に対する前庭感覚情報提示インタフェースとして
- 46 -
利用することが提案されてきた[95]-[98].GVS は側頭部への電極装着のみで前庭感覚を提示する ことが可能なため,機械的振動などがなく,装置の小型化によるウェアラブルなシステムを構築 できるが,提示出来る加速度方向が電極の装着部位によるため多方向提示が難しい.そのため,
これまで提案されてきた GVS インタフェースとしては前田らによって体験者の歩行を左右に任 意に誘導するインタフェース[98],[99]や,カーレーシング・シミュレータにおけるコーナーを曲が る際の加速度感の提示手法として等,GVSを用いた人への前庭感覚情報提示インタフェースの研 究がなされ,後者のシミュレータへの利用ではGVSを用いることで臨場感が向上することなどが 確認されている[98].
また,我々によって GVS を用いて体験者に音楽のリズムと同期した加速度感を与えるという,
新しい音楽の体感システムが提案されている[100].このシステムでは交流を用いてGVSを加速度 感の提示のみではなく,GVSにより生起される視野運動を体験者がコントロール出来る視覚効果
(Visual Effect)としても利用している.この研究において交流電流を用いた GVS は視覚に対し て視野の中心を回転中心とした回旋運動を引き起こすことが見出された.
- 47 -