6.1 緒言
本章では,論文全体を振り返るとともに,各手法により得られた知覚特性を考察し,これらの 知見を用いてどのような視覚インタフェースが実現可能か考察する.
本論文では,運動の知覚における動きの強調を実際の動き成分を増大または運動を引き起こす ことと定義し,逆に動き成分を抑制または運動している対象を静止させることを動きの抑制と定 義した.第3章では,液晶シャッタを用いて外界からの視覚刺激を周期的に遮蔽し,観察対象の 運動により生じるブラーの量を制御した.動き成分としてのブラーを減少させると,運動してい る視標の視認性が向上することを示した.第4 章では,前庭感覚電気刺激により引き起こされる 前庭動眼反射を用いて,静止している外界が回転運動して知覚されることを示し,刺激周波数と 刺激電流値を変数として知覚される回旋角度および刺激から運動が生起されるまでの位相遅れの 関係を明らかにした.第5 章では,実環境を運動する対象とその背景の画像を運動させることで 得られる相対運動から運動対比を生じさせ,対象の移動速度が実際よりも上昇または低下する条 件を検証し,その速度の知覚特性を明らかにした.
6.2 運動対象の知覚への影響
第3章におけるSMGを用いた手法では,液晶シャッタを用いて外界からの視覚刺激を周期的に 遮蔽し,対象の視認性がどのように変化するかを検証した.これにより,肉眼では観察できない 運動対象の視認性が,液晶の開放時間の減少(4.0ms~0.6ms)に伴い大きく向上することを示し た.開放時間の減少,すなわち運動知覚の手掛かりの一つであるモーションブラーの量の抑制に よって,視認性が向上したということである.
第4章では,GVSにより視野の回旋運動が知覚されることを示し,その原因が眼球運動による ものであることを明らかにした.さらに,ここで知覚される視野運動の,刺激周波数および刺激 電流値に対する回旋角度,刺激から運動が生起されるまでの位相遅れに関する知覚特性を明らか にした.これにより,本来は静止しているはずの環境が,GVSによる眼球運動によって刺激電流 値や刺激周波数に依存した回転運動をしているように知覚されるという,運動知覚の強調が起こ っていることが示された.
第 5章では,実環境を運動する対象とその背景の画像を運動させることで得られる相対運動か ら運動対比を生じさせ,対象の運動方向と同方向に背景を動かした場合は知覚される速度が低下 し,逆方向に背景を動かした場合は上昇することを示した.これは,背景の運動の制御により,
対象の速度が実際の速度よりも遅くまたは速く知覚されるようになったということであり,運動 知覚の抑制と強調がそれぞれ引き起こされていることを示している.
以上のことから,本研究で用いた3 つの手法で,それぞれ運動の知覚に対して強調または抑制 という観点で影響を与えたということができる.
- 109 -
6.3 運動知覚に作用するメカニズム
前節において,本研究で用いた手法がそれぞれ,運動の知覚に対して強調・抑制という軸で影 響を与えたことを示したが,そのメカニズムに関して考察する.
6.3.1 SMG による運動抑制のメカニズム
SMGによる運動抑制は,主にシャッタの開放時間の制御によるモーションブラーの抑制によっ てもたらされていると考えられる.ブラーの発生要因としては視覚系の比較的緩慢な時間応答に あると考えられ,視覚的持続(Visual persistence)などの影響を受けていると考えられる.視覚的 持続は刺激の輝度や空間周波数などにも依存するが,視覚刺激を短時間しか提示しない場合でも,
数10msから200ms程度の視覚像が保持される視覚系のメカニズムである[55],[56].視覚的持続が
網膜レベルの特性で引き起こされるのか,または大脳レベルの特性でその視覚情報の処理に必要 な時間を確保するためのメカニズムとして引き起こされるのかについては,空間周波数に依存す ることから多くの研究者が高次の過程,つまり大脳レベルの特性であると主張している[48].
SMGはシャッタの制御により開放時間幅を短くすることで,モーションブラーの低減ができたと 考えられる.さらに,この視覚的持続により,本論文における実験において数ms以下の提示時間 でも対象の視認が可能であったと言える.
SMGによる運動抑制には他にも,視覚系にそもそも備わっているモーションブラーの抑制効果 が影響してくると考えられる.モーションブラーの抑制効果は動きに基づく鮮明化現象[22]などか らも明らかなように,対象が運動している時に生じる現象である.SMGによる運動抑制とこの鮮 明化の生起は背反的であり,実際に第3章で行った実験では鮮明化の影響はないと考えられる.
しかし,SMGの制御パラメータの一つである視覚情報の提示周期を適切に設定して,対象が仮現 運動をしているように知覚させることができれば,開放時間の制御によるブラーの抑制に加えて,
この動きに基づく鮮明化によるブラー抑制の効果を得られると考えられる.つまり,望みのブラ ー量を得るために開放時間をそれほど短くしなくとも,知覚としては対象が鮮明に見えるように することができるということである.この議論はインタフェース設計にも関わってくるため後述 する.
6.3.2 GVS による運動強調のメカニズム
GVSによる運動の強調は,第4章における実験1の結果からも明らかなように,GVSにより誘 引された回旋性の眼球運動によってもたらされている.つまり,網膜像の変化によって引き起こ される現象である.既に指摘した通り,この眼球運動はGVSの前庭入力によって生起されている ため前庭動眼反射(VOR)であると考えるのが妥当である.
実験において,刺激周波数が2Hz付近において最も視界の揺れに対する感度が高くなり,眼球 の回旋角度も大きくなった要因として,VORの特性と運動知覚における周波数特性が関係してい ると考えられる.VORのゲイン(眼球速度/頭部速度)は周波数が0.3~0.8Hzでゲインは0.65~0.85,
2~5Hzのとき1である.これは, 2Hz付近で眼球の回旋角度ゲインが高くなるという結果を支持
している.また,VORのゲインは頭部運動の振幅にも依存し,振幅を増加させるとゲインは増加 するが頭部の回転速度が速くなりすぎると減少することが指摘されており,これは高周波数にお いて感度が低下した結果を支持する.運動知覚における周波数特性としては,最少運動閾値が時
- 110 -
間周波数を独立変数に取った場合に 2Hz 前後で最小値を示す[13]などの知見があり,ヒトの運動 を知覚する感度がそもそも2Hz付近で高まることことを示し,本実験の結果を支持している.
6.3.3 運動対比による運動の強調と抑制のメカニズム
第 5章では,実環境を運動する対象とその背景の画像を運動させることで得られる相対運動か ら運動対比を生じさせ,対象の運動の強調と抑制を行った.対象の運動方向と同方向に背景を動 かした場合は知覚される速度が低下し,逆方向に背景を動かした場合は上昇することを示した.
この知見は,対象と背景が反対運動をしている場合は,知覚速度の上昇が生じるという報告[117]
を支持するものである.
この運動対比による運動の強調と抑制のメカニズムは,刺激パラメータによって運動対比と運 動同化が切り替わることからも指摘できるように,脳などの中枢系における運動検出器間の相互 抑制結合や,高次の相対運動検出機構などによって説明される現象である[114]と考えられる.他 にも,第5 章の実験結果に対する考察においても指摘した通り,速度知覚における速度弁別閾の 特性や刺激のコントラストによる影響などを受けていると考えられる.
6.4 運動の強調・抑制を行う視覚インタフェース
本論文では,運動の知覚に対してSMG,GVS,運動対比という3つの手法を用いて,それぞれ 運動の強調と抑制を試みた.検証した3つの手法は,ヒトの情報処理過程のうち感覚入力に対し て影響を与える.それによって,変化した知覚表象を心理物理実験により定量化し知覚特性を明 らかにしてきたが,この知見から逆に望みの知覚特性を得るために,感覚入力をどのように変化 させればよいのかが明らかとなった.このような知覚特性を考慮したシステムを実装することで,
新しい視覚インタフェースの設計が可能になると考えられる.
これをインタフェースの情報伝達の流れという観点で考えると,本論文で提案してきた手法で は情報自体を発信するというよりも,受容器側の特性や情報処理過程の特性を利用して環境情報 の知覚を変化させることで,環境側に影響を与えずに対象者に特定の情報を提示するという流れ になる.つまり,情報の発信の仕方ではなく情報の受け取り方自体に主眼を置いて,人と環境間 の情報の流れを捉えている.そのため,本論文で提案した SMG,GVS,運動対比による手法は,
情報となる視覚刺激自体がない状態から新たに情報を作り出すことは出来ないが,情報の加算・
減算を行うことが可能である.SMGは眼球に投射する外環境情報を適切に遮断し制御することで,
物体の動きの時間成分を強調・抑制することが可能であり,GVSは外環境の動きに対して眼球自 体を動かすことで,動きそのものを強調することが可能である.運動対比による手法は移動体に 対して背景の運動を変化させることで,知覚される運動速度の強調と抑制が可能である.
この 3つの手法が実環境においてどのような場面で用いることが可能であるかを考察し,次に それぞれがもたらす知覚特性の結果から考察される制約条件に関して述べる.
6.4.1 各手法の応用例
SMGの応用例
SMG では時間軸において微少時間の視覚情報や周期的な情報を観察する被験者の視覚を拡張