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電気通信大学大学院 電気通信学研究科 博士(工学)の学位申請論文

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運動の強調・抑制を可能とするインタフェ ース実現に向けた視知覚特性の研究

永谷 直久

電気通信大学大学院 電気通信学研究科 博士(工学)の学位申請論文

2012 年 3 月

(2)

運動の強調・抑制を可能とするインタフェ ース実現に向けた視知覚特性の研究

博士論文審査委員会

主査 横井 浩史 教授 委員 下条 誠 教授 委員 小池 卓二 教授 委員 梶本 裕之 准教授

委員 稲見 昌彦 教授

(3)

著作権所有者 永谷 直久

2012

(4)

The study of motion visual perception characteristics to enhance or suppress motion in visual interface

Naohisa Nagaya

Abstract

This thesis shows engineering techniques that can affect on human motion perception and investigates the characteristics of that perception by psychophysics experiments.

Visual motion perception is a function that helps to cope when a change of environment happens and a function to get information on how to react appropriately. It is thought that the change of motion has two directions which can enhance and/or suppress the visual motion perception. In this thesis, I aim to implement techniques to give change of motion perception in these two directions and investigate the change of the characteristic. And I show that I use three techniques for enhance and/or suppress motion.

First, I covered information from the outside using a liquid crystal shutter periodically to realize the suppress motion by decrease in movement ingredient and controlled the quantity of the blur as a movement ingredient perceived. Suppress motion was enabled by decreasing the quantity of the blur and showed what was able to improve the surface visibility of the moving object that was not able to observe by the naked eye and evaluated the characteristic about the visibility.

Next, I enhance the rotating motion perception by using eye movement induced by galvanic vestibular stimulation and investigated responsibility of rotating angle and phase delay from stimulus.

Finally, I showed that in order to let perceive both enhance and suppress motion that was perceived by the relative movement has to be provided by a moving object and the background motion. In order to find the characteristics of motion visual perception I carried out few experiments.

With these experiments I found that if the background was moved adversely with variable speed while object speed kept static the relative speed changes based on different participants.

These findings showed that it is able to implement user based enhance and/or suppress motion perception. With the vision system implementation we clarify the above characteristics.

(5)

運動の強調・抑制を可能とするインタフェース 実現に向けた視知覚特性の研究

永谷 直久

概要

本論文では視覚における運動の知覚に注目し,運動の視知覚に対して変化を与えるイン タフェース設計のための知見を獲得することを目標として,視覚刺激の周期的な遮断によ るモーションブラーの制御,前庭感覚電気刺激により引き起こされる視野運動,背景画像 の運動を誘導刺激とした対象の運動対比,という 3 つの手法を用いて運動の知覚を変容さ せることで得られる視知覚特性を調べた.

ヒトの視知覚の中でも運動の知覚は狩猟や外敵の発見など生存と密接に結びついており,

重要な視覚機能であったと考えられる.運動の知覚といっても,外部環境に対して自己の 位置や自己の運動に関する自己身体運動の知覚と,外部環境全体または外部環境に存在す る対象の運動の知覚の 2 つの運動の知覚がある.本論文では,環境または対象の運動の知 覚を主に取り扱う.環境の運動の知覚は外界の変化に対応するための機能であり,変化に 対して適切に反応をするための情報を得る機能であると考えることができる.運動の知覚 に変化を与えるということは,外界の動きの変化を実際の変化とは異なって知覚させると いうことになる.その実際の変化とは異なった運動の知覚は,実際の動き成分を強調また は動きを引き起こすことで大きくするという手法と,実際の動きの成分を抑制または動き を小さくすることで小さくするという2つの実現手法があると考えられる.

本論文では,工学的に強調と抑制という 2 つの側面から運動の知覚に変化を与える手法 を実装し,知覚特性の変化を調べることを目的とする.特に,本論文では実際の動き成分 を増大または運動を引き起こすことを「運動の強調」,逆に動きを小さくすることを「運動 の抑制」と定義し, 3 つの手法を用いて運動知覚に変化を与えて,そこから得られる知覚 特性を検証した.

まず,運動の抑制の研究として,液晶シャッタを用いて外界の情報を周期的に遮蔽し,

視覚情報の時間成分に対して影響を与えるStop Motion Goggleによる動き成分の抑制手法に 関して述べた.動き成分の減少に関する知覚特性を検証するため,液晶シャッタを用いて 外界からの視覚刺激を周期的に遮蔽し,観察対象の運動により生じるモーションブラーの 量を制御することで,運動する対象の視認性がどのように変化するかを検証した.実験結 果から,肉眼では観察できない運動対象の視認性が,液晶の開放時間の減少(4.0ms~0.6ms)

(6)

1

に伴い大きく向上することを明らかにした.これより,運動知覚の手掛かりの一つである モーションブラーの量を,シャッタの開放時間の減少により抑制することで,運動対象の 視認性が向上することを示した.

次に,運動の強調の研究として,視野運動が眼球運動によって引き起こせることを示す ため,前庭感覚電気刺激(Galvanic Vestibular Stimulation)により引き起こされる前庭動眼反 射を用いることで,静止している外界が回旋運動して知覚されることを示した.また,こ こで知覚される視野運動の,刺激周波数および刺激電流値に対する回旋角度,刺激から運 動が生起されるまでの位相遅れに関する知覚特性を明らかにした.これにより,本来は静 止しているはずの環境が,前庭感覚電気刺激による眼球運動によって,刺激電流値や刺激 周波数に依存した回旋運動をしているように知覚されるという,運動知覚の強調が起こっ ていることを示した.

最後に,実環境を運動する対象とその背景の画像が運動することで得られる相対運動の 制御により運動対比を生じさせ,対象の移動速度が実際よりも上昇または低下する条件を 検証し,その速度の知覚特性を明らかにした.その結果,対象の運動方向と同方向に背景 を動かした場合は知覚される速度が低下し,逆方向に背景を動かした場合は上昇すること を明らかにした.つまり,背景の運動の制御により,対象の速度が実際の速度よりも遅く または速く知覚されるようになったということであり,運動知覚の抑制と強調がそれぞれ 引き起こされていることを示した.

全体の考察として,これら 3 つの手法による運動知覚への影響が,どのようなメカニズ ムによってもたらされるのかを議論した.また,それぞれの手法から得られる運動知覚へ の効果を,どのような場面で用いることができるのか,その応用例と制約条件を明らかに し,新しい視覚インタフェース設計のための知見を示した.

以上の知見から,運動知覚の強調・抑制という変化を与えることが工学的に実装可能で あることを示し,その特性を明らかにした.

(7)

i

目次

第1章 序論 ... - 1 -

1.1 緒言 ‐ヒトにとっての運動の視知覚‐ ... - 1 -

1.2 本研究の工学的意義 ... - 2 -

1.2.1 本研究の位置づけと応用範囲 ... - 2 -

1.2.2 人間の情報処理過程 -知覚とは‐ ... - 2 -

1.3 本論文の背景 –運動の知覚特性- ... - 3 -

1.4 本論文の目的... - 5 -

1.5 本論文の構成... - 5 -

第2章 運動の知覚と視覚インタフェース ... - 7 -

2.1 緒言 ... - 7 -

2.2 運動の視知覚と眼の生理学的構造 ... - 7 -

2.2.1 実際運動と仮現運動 ... - 7 -

2.2.2 眼の構造... - 9 -

2.2.3 網膜の構造... - 9 -

2.2.4 眼から皮質への投射 ... - 11 -

2.3 前庭感覚と前庭器官の生理学的構造 ... - 13 -

2.3.1 前庭動眼反射 ... - 13 -

2.3.2 前庭感覚... - 15 -

2.3.3 有毛細胞... - 15 -

2.3.4 耳石器の構造と特性 ... - 16 -

2.3.5 回転角の知覚 ... - 17 -

2.4 視覚インタフェース ... - 18 -

2.4.1 環境設置型視覚インタフェース ... - 19 -

2.4.2 身体設置型視覚インタフェース ... - 23 -

2.4.3 各設置点別視覚インタフェースの特徴 ... - 25 -

2.5 結言 ... - 26 -

第3章 運動の抑制とその視知覚特性 ... - 27 -

3.1 緒言 ... - 27 -

3.2 関連研究 ... - 28 -

3.3 Stop Motion Goggle(SMG)の理論的背景 ... - 29 -

3.4 Stop Motion Goggle ... - 31 -

3.4.1 システム構成 ... - 31 -

3.4.2 液晶シャッタ ... - 31 -

3.4.3 液晶駆動制御回路 ... - 33 -

3.5 SMGを用いた知覚評価実験 ... - 34 -

3.5.1 実験結果... - 36 -

(8)

ii

3.5.2 考察 ... - 38 -

3.6 SMGの実演を通じたユーザースタディ ... - 40 -

3.6.1 コイン回し... - 40 -

3.6.2 灯りを見る... - 40 -

3.6.3 体験者の反応と考察 ... - 41 -

3.7 結言 ... - 41 -

第4章 運動の強調とその視知覚特性 ... - 43 -

4.1 緒言 ... - 43 -

4.2 Galvanic Vestibular Stimulation(GVS)を用いた先行研究 ... - 44 -

4.2.1 人の姿勢・歩行運動制御におけるGVSの研究 ... - 44 -

4.2.2 眼球運動への影響 ... - 45 -

4.2.3 GVSを用いたインタフェースの研究 ... - 45 -

4.3 実験1:GVSによる視覚への影響評価実験 ... - 47 -

4.3.1 実験1-1:刺激視標を空間座標に固定した実験... - 49 -

4.3.2 実験1-2:刺激視標を頭部座標に固定した実験... - 53 -

4.3.3 実験1-3:刺激視標を網膜座標に固定した実験... - 55 -

4.3.4 実験1:統計分析結果 ... - 55 -

4.3.5 実験1:考察 ... - 58 -

4.4 実験2:GVSによる主観的回旋運動計測実験 ... - 60 -

4.4.1 実験結果:主観的視野運動の回旋量 ... - 62 -

4.4.2 実験結果:被験者の内観報告 ... - 64 -

4.4.3 実験2:考察 ... - 64 -

4.5 実験3:GVSによる眼球運動計測実験 ... - 67 -

4.5.1 画像による眼球運動解析プログラム ... - 67 -

4.5.2 実験結果1:各刺激周波数における被験者内データ ... - 74 -

4.5.3 実験結果2:解析データのモデル式:

Asin   t   

へのフィッティング ... - 82 -

4.5.4 実験3考察... - 89 -

4.6 結言 ... - 93 -

第5章 運動の強調・抑制とその視知覚特性 ... - 94 -

5.1 緒言 ... - 94 -

5.2 関連研究 ... - 96 -

5.3 画像提示装置を用いたロボットの制御手法 ... - 97 -

5.3.1 Display-Based Computing ... - 97 -

5.3.2 画像提示装置を用いたロボットの制御 ... - 97 -

5.4 相対速度知覚測定実験 ... - 99 -

5.4.1 実験結果... - 104 -

5.4.2 考察 ... - 106 -

5.5 結言 ... - 107 -

第6章 考察 ... - 108 -

(9)

iii

6.1 緒言 ... - 108 -

6.2 運動対象の知覚への影響 ... - 108 -

6.3 運動知覚に作用するメカニズム ... - 109 -

6.3.1 SMGによる運動抑制のメカニズム ... - 109 -

6.3.2 GVSによる運動強調のメカニズム ... - 109 -

6.3.3 運動対比による運動の強調と抑制のメカニズム ... - 110 -

6.4 運動の強調・抑制を行う視覚インタフェース ... - 110 -

6.4.1 各手法の応用例 ... - 110 -

6.4.2 各手法の制約条件 ... - 111 -

6.5 結言 ... - 112 -

第7章 結論 ... - 113 -

謝辞 ... - 115 -

参考文献 ... - 117 -

関連論文の印刷公表の方法及び時期 ... - 125 -

参考論文の印刷公表の方法及び時期 ... - 125 -

受賞歴リスト ... - 126 -

著者略歴 ... - 127 -

(10)

iv

図目次

図1 感覚入力から知覚へ ... - 3 -

図2 ミュラー・リヤーの錯視 ... - 8 -

図3 ランダムドットキネマトグラム ... - 8 -

図4 眼球の断面図... - 9 -

図5 網膜の構造... - 10 -

図6 眼から脳への神経連絡 ... - 11 -

図7 MT野の領野... - 12 -

図8 有毛細胞の構造 ... - 16 -

図9 前庭器官の構造 ... - 17 -

図10 人間・環境間に介在するインタフェース ... - 18 -

図11 パララックスバリア方式(図左)とレンチキュラレンズ方式(図右)の構造([33]より 引用) ... - 20 -

図12 TWISTER[34] ... - 20 -

図13 Perspecta 3Dの構成(図左)と外観(図右)([35]より引用) ... - 21 -

図14 360 Light Field Displayの外観(図左)と構成(図右)([36]より引用) ... - 21 -

図15 CABINのプロジェクタとスクリーン配置 ([39]より引用) ... - 22 -

図16 再帰性投影技術の構成 ([41]より引用) ... - 22 -

図17 サッカードディスプレイ ([42]より引用) ... - 23 -

図18 コンタクトレンズディスプレイ ([44]より引用) ... - 24 -

図19 Stop Motion Goggle(SMG)の概念図 ... - 29 -

図20 SMGシステム図 ... - 31 -

図21 FLC(LV2500P-OEM)の概観 ... - 32 -

図22 FLC動作特性測定システム ... - 32 -

図23 印可時間によるFLCの動作特性 ... - 33 -

図24 SMG駆動波形制御回路 ... - 33 -

図25 実験構成図... - 35 -

図26 視標加速装置... - 36 -

図27 開放時間と正答率 25Hz ... - 37 -

図28 開放時間と正答率 50Hz ... - 37 -

図29 周波数ごとの開放時間と正答率 ... - 38 -

図30 ランドルト環の向きと正答率の関係 25Hz ... - 39 -

図31 ランドルト環の向きと正答率の関係 50Hz ... - 39 -

図32 ランドルト環の向きによる影響 ... - 39 -

図33 回転するコインとSMGを通して見た時のコイン ... - 40 -

図34 ミニチュア夜景 ... - 41 -

図35 視覚への影響(イメージ図) ... - 47 -

(11)

v

図36 前庭感覚電気刺激装置とその回路図(回路図は[97]より引用) ... - 49 -

図37 実験系構成概念図(実験1) ... - 49 -

図38 各刺激周波数における反応特性 ... - 51 -

図39 実験系構成概念図(実験2) ... - 53 -

図40 各刺激周波数における反応特性 ... - 54 -

図41 提示画像イメージ図(水平) ... - 55 -

図42 実験構成概念図 ... - 61 -

図43 主観的視野運動の回旋角度:刺激周波数1Hz時 ... - 62 -

図44 主観的視野運動の回旋角度:刺激電流値1mA時 ... - 62 -

図45 刺激からの位相差:刺激周波数2Hz時 ... - 63 -

図46 刺激からの位相差:刺激電流値2mA時 ... - 63 -

図47 回旋運動に対する最小運動閾値と刺激周波数の関係 ... - 63 -

図48 Cross-correlation法を用いた眼球運動解析ソフト(NTT 光藤)... - 68 -

図49 瞳孔径と虹彩紋理領域 ... - 69 -

図50 製作した頭部固定型アイカメラ ... - 69 -

図51 Firefly MV ... - 70 -

図52 眼球画像への周辺環境情報の映りこみ ... - 71 -

図53 瞳孔への光源の映り込み ... - 71 -

図54 製作したアイカメラで撮影した眼球画像 ... - 72 -

図55 実験構成 ... - 73 -

図56 実験構成概念図 ... - 73 -

図57 刺激周波数0.1Hzにおける各被験者の眼球回旋量 ... - 75 -

図58 刺激周波数0.25Hzにおける各被験者の眼球回旋量 ... - 76 -

図59 刺激周波数0.5Hzにおける各被験者の眼球回旋量 ... - 77 -

図60 刺激周波数0.8Hzにおける各被験者の眼球回旋量 ... - 78 -

図61 刺激周波数1.0Hzにおける各被験者の眼球回旋量 ... - 79 -

図62 刺激周波数1.6Hzにおける各被験者の眼球回旋量 ... - 80 -

図63 刺激周波数2.0Hzにおける各被験者の眼球回旋量 ... - 81 -

図64 推定した振幅Aの周波数応答 ... - 83 -

図65 推定したθ[deg]の周波数応答グラフ ... - 83 -

図66 推定したθ[rad]の周波数応答グラフ ... - 84 -

図67 被験者Aのフィッティングデータ ... - 86 -

図68 被験者Bのフィッティングデータ ... - 87 -

図69 被験者Cのフィッティングデータ ... - 88 -

図70 主観的視野運動の周波数特性グラフとの比較 ... - 90 -

図71 直線的加速度付加時の眼球運動 (文献[111]より引用) ... - 91 -

図72 直線的加速度付加時の眼球運動周波数特性(文献[111]より引用) ... - 92 -

図73 GVS誘因性の眼球運動周波数特性 ... - 92 -

図74 Shader Lamps... - 96 -

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vi

図75 車両型ロボットに対するCGの重畳 ... - 96 -

図76 DBCの概念図 ... - 97 -

図77 DBCのシステム概要([124]より引用) ... - 98 -

図78 速度知覚評価実験(左)と相対速度知覚評価実験(右)の調整する項目の違い .... - 99 -

図79 ディスプレイと被験者視点の位置関係 ... - 100 -

図80 実験で用いたランダムドット画像 ... - 100 -

図81 実験装置 ... - 101 -

図82 センサの配置... - 102 -

図83 回路ブロック図([124]より引用) ... - 102 -

図84 速度知覚評価実験結果(被験者6のみ) ... - 104 -

図85 相対速度知覚実験結果(被験者6のみ) ... - 105 -

表目次

表1 FLC(LV2500P-OEM)仕様 ... - 32 -

表2 実験条件別照度 ... - 35 -

表3 実験-要因対応表 ... - 48 -

表4 分散分析表(個人差 × 画像の固定座標系 × 頭部固定条件 × 刺激周波数) ... - 57 -

表5 分散分析表(個人差 × 提示画像の種類 × 頭部固定条件 × 刺激周波数) ... - 57 -

表6 Firefly MV仕様 ... - 70 -

表7 ロボットのスペック表 ... - 101 -

表8 全被験者の速度知覚および相対速度知覚実験結果 ... - 104 -

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- 1 -

第 1 章 序論

1.1 緒言 ‐ヒトにとっての運動の視知覚‐

本論文では視覚における運動の知覚に注目し,運動の視知覚に対して変化を与えることが可能 な視覚インタフェースを実現するためにヒトの運動に関する視覚特性の評価と考察を行う.

ヒトの視知覚の中でも,とりわけ運動の知覚は人類の文明発生以前より,狩猟や外敵の発見な ど生存と密接に結びついており,環境に適応して生存する上で重要な視覚機能であった.運動の 知覚とは外界の変化に対応するための機能の一環であり,特に,変化に対して適切に反応をする ための情報の獲得を実現する機能である.Nakayamaは運動視を色彩視や立体視と同様に直接的経 験であり,生物にとって最も基本的な感覚処理過程であると位置づけた[1].

狩猟を主な生活基盤としない現在においても,運動の知覚が我々の生活に深くかかわっている という例は,神経科学者であるRamachandranの著述[2]に見ることができる.ここでは,脳の中で 視覚からの運動の情報を処理する一領域であるMT野を損傷し「運動盲」になった女性の例が報 告されている.この女性は,物の形や人の顔を認識することはできるが,走っている人や道路を 走行している車が滑らかな運動として見えず,静止したストロボ撮影のスナップ写真のように見 えるという.また,彼女は運動というものが認識できないため人と向き合って話していても表情 の変化などが見えないため電話で話しているような感じがすると語っている.通常であれば,簡 単な作業ということができるコーヒーをカップに注ぐという動作も,カップに入ったコーヒーの 液面が上がってくるスピードが分からないため,いつもあふれて床にこぼしてしまう.

この例は,運動の知覚が我々の生活にとって非常に重要な機能であることを示している.走行 している車の動きが正確に知覚できないのであれば,車の運転のしようがないし,人混みの中を 歩くことさえ困難であろう.我々の周りの環境は常に変化しており,その中に我々が飛び込んで 動きまわることで,より環境は複雑に変化していく.この変化とは主に動きによってもたらされ る,相対的な位置情報の変化であると言える.

では,運動盲ではない人々に対して運動の視知覚に変化を与えることは意味があるのだろうか.

我々はなんとはなしにコーヒーをカップに注ぐことができるし,走行している車の動きを滑らか に知覚することができる.しかし,高速道路を走った後に一般道に移ると速度感覚が狂い,思っ ている以上の速度を出してしまう時がある.これは主に視覚的な速度刺激に対する順応によって 生じるものであるが,我々は動きの物理量そのものを正確に知覚できているわけではないのであ る.

このように,運動の知覚は我々の生活において重要な機能でありながら,環境の物理的な情報 を正確に知覚しているわけでもない.そこで,運動の視知覚に対して知覚特性を考慮した変化を 与えることで実際の環境情報をより正確に,またはより強調して注意を引くように提示すること が可能となるのではないのかということが本論文におけるリサーチクエッションとなっている.

そのため,本論文ではまず運動の知覚において,動きが強調または抑制されたように知覚される 環境を構築し,その知覚特性を検証する.ここで得られた知覚特性を考察することで,運動の知 覚を制御するような新たな視覚インタフェース実装の知見を得ることが本論文のテーマとなって いる.

(14)

- 2 -

1.2 本研究の工学的意義

1.2.1 本研究の位置づけと応用範囲

20 世紀後半の情報処理技術の向上と多感覚情報提示技術の勃興は,バーチャルリアリティ

(VR:Virtual Reality)的な現実世界の知覚的再構築という枠組みを超えて,現実世界にリアルタ イムでの情報付加による拡張された現実を構築する拡張現実感技術(AR:Augmented Reality)へ と派生していった.近年,ARとは異なり使用者に対して,感覚そのもの,もしくは知覚能力が強 化されたかのように情報を提示するAH:Augmented Humanというコンセプトが注目され始めて いる.VRがこれまでに人工的に現実世界の知覚的再構築や,空間的または時間的な遠隔地の環境 の構築(これらの使用者があたかも遠隔地にいるかのように体験する技術をテレイグジスタン ス:telexistance と呼ぶ[3])を行って来たのに対して,AR やAHでは人工的に現実世界に情報を 付加する,あるいは除去することで新しい情報提示システムを構築することを目指している.

本論文は,これらのうち AH的な枠組みに立脚し,運動の知覚という我々の生活ひいては生存 に重要な役割を果たしている機能に介在することで,新しい情報提示システムの構築を目指すも のである.運動の知覚という視機能に介在するといっても,その実現手法としては実際の動き成 分を強調または動きを引き起こすことで大きくするという手法と,実際の動きの成分を抑制また は動きを小さくすることで小さくするという2 つがあると考えられる.本論文では,実際の動き 成分を増大または運動を引き起こすことを「運動の強調」,逆に動きを小さくすることを「運動の 抑制」とし,それぞれ3つの手法を用いて運動知覚に変化を与えることが可能であるか検証する とともに,その知覚特性を明らかにする.

我々の生活に関わる運動の例を挙げるならば,枚挙に暇がない.テレビをつければ画面上の人 物や風景が動き,コップに水を注いで飲もうとすれば,コップを食器棚から取って水を入れるま でにも動きがある.外に出れば往来する車や歩行者が動いており,空を見れば雲が動いている.

自分も歩きまわれば時々刻々と変化する風景の中で商店の電光掲示板や街灯のネオンサインが動 いている.電車に乗れば,近くの風景は肉眼では視認できぬほどに早々と過ぎ去っていく.運動 の知覚を制御できるならば,これらのあらゆる刺激全てに応用できると言える.

例えば,往来する車のうち特定の方向や速度以上の車のみ強調して知覚させたり,多種多様な 商店の看板の中でも特定の動きをする看板のみ強調して表示したり,あるいは電車や自動車に乗 っていても標識や看板を立ち止ってみているかのように明瞭に見ることができるということが実 現できると考えている.

1.2.2 人間の情報処理過程 -知覚とは‐

前節で運動の知覚に対して人工的に介在するということを述べたが,人間の情報処理過程にど のように介在するか本節で概説する.

まず,「知覚」という言葉が情報処理においてどの段階であるのか本論文における定義を行う.

知 覚とは図 1 のよ うに外 界から の感覚 入力が脳 によっ て処理 され,知 覚表象 (perceptual representation)が作られる[4].本論文では,この過程の結果として私たちに意識されるものを知 覚と呼ぶ.例えば,視覚系において網膜でとらえた外界の光は感覚入力であり,それが視覚野な どで処理されて風景として意識に上ったものが知覚である.我々にとって感覚入力とは外界から

(15)

- 3 -

の物理的な刺激であり,知覚とは刺激が脳や神経系を通して処理された意識できる情報であると 言い換えることができる.また,知覚と認知の違いに関して言及するならば,下條は知覚と認知 の違いを以下のように分けている.すなわち,知覚とはその場の状況やあらかじめの予見,知識 に比較的左右されないもの.曖昧さはあるが,どの解釈が一番確からしいか,それを決める分析 の仕方があらかじめ組み込まれていて,入力のパターンから解釈が自動的に決まるもの.認知と は,知識や予見の影響を強くこうむり,状況次第で結論が変わるものとしている[5].知覚も認知 も感覚入力が脳や神経系で処理された後の過程であることは同じである.

図1 感覚入力から知覚へ

本論文で検証する手法は,図 1の処理過程のうち感覚入力に対して影響を与える.それによっ て,変化した知覚表象を心理物理実験により定量化し知覚特性を明らかにする.この知見から逆 に望みの知覚特性を得るために,感覚入力をどのように変化させればよいのか(本論文では動き 成分をどのように強調または抑制するのか)ということが明らかになり,システムとして実装を 行うことで新しい視覚インタフェースの設計が可能になる.

1.3 本論文の背景 – 運動の知覚特性-

我々の生活において,運動の知覚が重要な機能を担っていることはすでに述べてきた.そのた め,ヒトの運動の知覚に関する生理学的な研究に関しては古くから数多く行われており,運動の 方向や速度などに関する知覚特性が明らかとなってきている.運動の知覚といっても,外部環境 に対して自己の位置や自己の運動に関する自己身体運動の知覚と,外部環境全体または外部環境 に存在する対象の運動の知覚の2つの運動の知覚がある.

前者は視覚情報に加え,皮膚表面における触感覚や筋や腱の緊張に関する自己受容感覚を含む 体性感覚情報,前庭感覚器官(耳石器および三半規管)による平衡感覚情報などの複数の感覚モ ダリティが関与する問題である[6].自己運動感覚における視覚の役割として, Gibson は知覚情 報処理に関する生態光学的な考察によって,視覚情報の中に観察者の自己運動に関する情報が含 まれていることを示し,そのような視覚情報を視覚的自己受容感覚(visual proprioception)と呼ん だ[7].特に,視覚情報により引き起こされた自己運動知覚を「視覚誘導性自己運動知覚:ベクシ ョン(vection)」と呼ぶ.ベクション現象は,視野の大部分を占める広い領域で視覚刺激が均一に 運動すると,物理的には静止しているはずの自分の身体が,視覚刺激の運動とは反対方向に運動 して知覚される現象である.これまで,このようなベクションの現象特性や,その生起強度に影 響をおよぼす視覚刺激特性を明らかにすることにより,自己運動知覚の成立メカニズムを検討す る試みが数多くなされてきている[6],[8],[9].

一方で,後者の環境に存在する対象の運動知覚は主に視覚による知覚現象である.本論文で取 り扱う運動の知覚も,対象の運動知覚である.以降,これまで明らかにされてきた視覚における 対象の運動知覚に関する生理学的な知見の概説を行う(網膜からの脳への投射経路などの詳説は 第2章に譲る).

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運動に関する知覚特性としては,最少運動閾値(minimum motion threshold)などの研究がなさ れてきており,その特性は静止参照刺激がある場合の相対運動閾とない場合の絶対運動閾では異 なることが知られている.静止参照刺激を用いた線分やドットの最少運動閾(相対運動閾)は,

網膜でも最も感度の高い中心窩において視角10″(= 0.0028deg)以下となり[10],網膜周辺では

視角 1′程度である[11].これは空間解像視閾である視角 30″より低いため超視力(hyperacuity)

と呼ばれ,静止している物体に対する処理機構と運動している物体に対する処理機構が異なる精 度を持っていることを示している.特に,刺激運動視標としてランダムドットを用いて測定した 研究から,最適条件において最少運動閾は5″程度であることが報告されている[12].最小運動閾 は視標の移動距離ではなく速度が決定要因となり,時間周波数を独立変数に取った場合に2Hz前 後で最小値を示す[13]などの知見がある.これに対して,参照刺激のない絶対運動閾は相対運動閾 よりも高く(つまり感度が悪い),中心窩で 30″以上である.ただし,網膜周辺部における閾値 の上昇は相対運動閾に比べて小さいため,それぞれの閾値の差は周辺視では小さくなる[10],[14].

運動の中でも速度知覚に関する知見としては,刺激のコントラストが高いほど知覚速度が上昇 し[15],刺激の空間周波数が高くなると速度は実際より小さく知覚される[16]ことが知られている.

2つの運動刺激をそれぞれ別に連続的に提示した場合,その速度弁別能力は約5%の違いを弁別で き[17],それは運動刺激の種類に依存しない[14].この速度弁別の精度は,中心視に比べて,周辺 視で基準刺激の速度が遅い時に悪くなる傾向がある[18].運動における速度の評価は速度以外の情 報,例えば移動距離を固定した場合の提示時間差などによって弁別可能であるが,速度弁別の精 度は時間弁別の精度よりも高い[17].このことから,速度の知覚が,時間・空間知覚からの間接的 推論による産物ではない,直接的な知覚過程によるものであることが示唆される.

対象がある速度以上で運動している場合,知覚される像は対象が静止している時よりもぼけて 知覚される.このぼけをモーションブラー(motion blur)と呼ぶ.絵画的な技法としてや,映像的 な演出として,このブラーを効果的に用いることで動きを強調することなどを実現する手法の提 案が行われている[19],[20]が,人間はこのモーションブラーを抑制して知覚していることが知られ ている.例えば,一方向に運動するランダムドットの見かけの長さを,ブラーの量として提示時 間を変えて測定すると,提示時間の増加に比例してブラーの量は増加するが,提示時間が 30ms を超えると逆に減少する[21].実際に,動画などを再生すると綺麗に見えるのに,一時停止で止め て各フレームを見てみると,画像が意外にぼけていることに気付くことがある.このような,動 かすと綺麗に見えるという錯視現象は「動きに基づく鮮明化(motion sharpening)」と呼ばれる[22].

運動対象の鮮明化現象は,動く格子パターンの様な,視覚刺激として時空間周波数成分が局在し ている単純な刺激においても生じることが知られている[23].このことから,ブラーの抑制に基づ く鮮明化は,記憶や学習といった高次の視覚認知メカニズムではなく,初期視覚系に存在するメ カニズムによる現象であると考えられている.

このように,視覚における運動の知覚に関する多くの知見が明らかにされてきているが,基本 的には人間の運動知覚のメカニズムを明らかにするために行われてきた,いわば“ありのままの 知覚特性”である.感覚入力として,通常は知覚できない現象を(あたかも知覚が強化されたか のように)知覚するような情報を提示した場合の知覚特性がどのように変化するのか,提示した 情報の属性と得られる知覚特性の対応はどのようになっているのかは,実際に実験的に検証する 必要がある.

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1.4 本論文の目的

本論文では視覚における運動の知覚に注目し,

1) 動きが強調または抑制されたように知覚可能な実験系を構築し,その条件における運動の 知覚特性を検証する

2) 運動の視知覚に対して変化を与えるインタフェース設計のための知見を獲得する ということを目的とする.

具体的には,視覚刺激の周期的な遮断によるモーションブラーの制御,前庭感覚電気刺激によ り引き起こされる視野運動,背景画像の運動を誘導刺激とした対象の運動対比,という3つの手 法を用いて運動の知覚を変容させることで得られる視知覚特性を調べる.この知見を利用して,

運動の視知覚に対して知覚特性を考慮した変化を与えることで,実際の環境情報をより正確に,

またはより強調して注意を引くように提示することが可能な視覚インタフェースの設計が可能と なると考えている.

1.5 本論文の構成

本論文では視覚における運動の知覚に着目し,運動の強調または抑制を可能とする視覚インタ フェースの実現に向け,視知覚特性の評価を行った.

以降各章は以下のように構成している.

第1章 序論

本論文の背景と意義を明らかにするために,運動の知覚が我々の生活にとって重要な視機能で あり,多くの現象が運動の知覚を通して認識されていることを指摘し,このような視機能に介在 することで,新しい情報提示システムの構築が可能であることに言及した.その上で,運動の強 調と抑制を可能とするインタフェース実現に向けた視知覚特性を評価するという目的を述べた.

第2章 運動の知覚と視覚インタフェース

運動の知覚に関わる生理学的な知見として視覚と前庭感覚の概説を行った.まず,視覚の感覚 受容器としての眼球および網膜の構造と運動知覚に関する知見をまとめ,次に前庭感覚器官の構 造と前庭動眼反射の知見をまとめた.また,本論文で実現を目指すインタフェースの定義を行い,

従来までの視覚インタフェースに関して,その設置点別に環境設置型,身体設置型の2 つに大別 し特徴を述べた.これまでは環境設置型の視覚インタフェースが一般的であり,多くの研究・開 発が行われてきたが,本論文の目指す視覚インタフェースが今後どのような場面で利用されるの かも含めて重要性を論じた.

第3章 運動の抑制とその視知覚特性

視覚の中でも時間軸上の重畳知覚に関する生理学的知見を整理し,運動の抑制,特に動きの成 分としてのブラーを減少させる手法の理論的背景を述べた.その上で運動を抑制する手法として

のStop Motion Goggle(SMG)の詳説と従来の提示手法とを比較し,開発した手法の新規性と有効

性について述べた.

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運動の抑制における動き成分の減少に関する知覚特性を検証するため,液晶シャッタを用いて 外界からの視覚刺激を周期的に遮蔽し,観察対象の運動により生じるブラーの量を制御した.被 験者実験により,動き成分を減少させることで運動している視標の視認性が向上することを示し た.

第4章 運動の強調とその視知覚特性

本研究の位置づけを明確にするため,眼球運動を引き起こすために本論文で用いた前庭感覚電 気刺激:Galvanic Vestibular Stimulation(GVS)の提示手法を示した上で議論を行う.その上で,

GVSが視覚に与える影響を3つの心理物理実験により明らかにした.第1の実験では,交流電流 を用いたGVSにより生起される主観的な視野の回旋運動が,眼球運動によって知覚されることを 示した.第2の実験では,交流電流を用いたGVSにより生起される,主観的な視野の回旋運動の 定量化実験を行った.その結果,GVSの刺激電流量に比例して回旋角度が大きくなること,回旋 角度は周波数依存性を持ちローパス特性があることなどを示した.第3の実験では,交流電流を 用いたGVSに誘引される実際の眼球運動の回旋量と刺激からの位相遅れを測定した.その結果,

第2の実験で得られた主観的視野運動と同様に刺激電流量に比例して回旋角度が大きくなること,

回旋角度は周波数依存性を持ちローパス特性があることなどを示した.これら3つの実験を通し て,GVSにより生起される視野運動が眼球運動により引き起こされ,その視野運動量と刺激電流 値および刺激周波数との関係性を明らかにした.これにより,本来は静止しているはずの環境が,

GVSによる眼球運動によって刺激電流値や刺激周波数に依存した回転運動をしているように知覚 されるという,運動知覚の強調が起こっていることを示した.

第5章 運動の強調・抑制とその視知覚特性

実環境を運動する対象とその背景の画像を運動させることで得られる相対運動から運動対比を 生じさせ,対象の移動速度が実際よりも上昇または低下する条件を検証するため,これまで明ら かにされてきた運動対比の発生機序と特性に関する知見をまとめた.運動対比による相対速度知 覚を評価するために,画像提示装置を用いたロボットの制御手法を用いて,移動体の制御と背景 画像の運動を一つのディスプレイ上で行う環境を構築し,被験者を用いた心理物理実験を行った.

実験の結果から,ロボットの運動方向と同方向に背景を動かした場合は知覚される速度が低下し,

逆方向に背景を動かした場合は上昇することを示した.これは,背景の運動の制御により,対象 の速度が実際の速度よりも遅く,または速く知覚されるようになったということであり,運動対 比によって運動知覚の抑制と強調がそれぞれ引き起こされていることを示した.

第6章 考察

論文全体を振り返るとともに,各手法により得られた知覚特性を視覚情報処理メカニズムの観 点から考察し,これらの知見を用いてどのような視覚インタフェースが実現可能か考察した.

第7章 結論

前章までの議論より運動知覚の強調・抑制という変化を与えることが工学的に実装可能である ことを示し,その特性を明らかにしたということを結論づけた.

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第 2 章 運動の知覚と視覚インタフェース

2.1 緒言

本章では,本論文で扱う運動の視知覚に関わる視覚および前庭感覚の生理学的な知見を述べる.

さらに従来の視覚インタフェースを述べ,本論文の目的となっている運動の視知覚を強調・抑制 する視覚インタフェースの位置づけを明確にする.

運動の知覚といっても,外部環境に対する自己の位置や運動に関する自己身体運動の知覚と外 部環境全体,または外部環境に存在する対象の運動の知覚の2つの運動の知覚があるが,本論で は後者の環境の運動知覚を主に取り扱う.

2.2 運動の視知覚と眼の生理学的構造

2.2.1 実際運動と仮現運動

環境の運動知覚もいくつかの種類に分類される.大きくは,知覚される対象が物理的に実際に 運動している場合と,実際には静止している場合とに分けられる.前者は「実際運動」と呼ばれ,

後者は「仮現運動」,「誘導運動」,「自動運動」などに分類される[24].これに加えて,「滝の錯視」

に代表されるような,一方向への運動を注視することによって引き起こされる,静止対象の逆方 向へ運動して見える現象として,運動残効(motion aftereffect)が知られている.

ここでは実際運動と仮現運動に関して概説する.

実際運動

通常の環境下では,物体や観察者の移動によって網膜上に連続的かつ滑らかな運動が生じる.

これを実際運動(real motion)と呼ぶが,その詳細な定義は文献により様々である.中島は (1) 外界の刺激発生源である遠刺激レベルで物理的な運動が存在する

(2) 感覚受容器を直接刺激する近刺激レベルで物理的な運動(網膜上の運動)が存在する といういずれかが存在する場合における,運動知覚の成立を指すことと定義している[24].

例えば,静止する眼の前方を対象が物理的に運動する場合には,遠刺激レベルにおいても,近 刺激レベルにおいても物理的な運動が存在するので実際運動である.また,暗中を直線運動する 光点を追視する場合は,近刺激レベルの物理運動である網膜上の像の移動には欠けるが,遠刺激 レベルの物理運動が存在するので実際運動であるといえる.さらに,対象が静止していても観察 者自身が運動することで対象が運動していると知覚される場合も,遠刺激レベルでは対象の移動 はないが網膜上では移動しているため実際運動であると定義できる.

仮現運動

物理的運動が存在しないにもかかわらず知覚される運動のことを仮現運動(apparent motion)と 呼ぶ.仮現運動の例は我々の日常生活の中に多く見つけることができる.電車の踏切で交互に点 滅する信号が左右に往復運動をしているように見えたり,商店の電飾に縁取られた看板が順に点

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灯していくだけなのに運動して見えたり,電光掲示板のように文字が横や縦にスクロールするよ うに見えるのはよく見る仮現運動の例である.

仮現運動は現象的にα運動,β運動,γ運動の3つに区別される.α運動とは,図2に示すミ ュラー・リヤーの錯視が現れる内向きの矢羽の図形と外向きの図形の横軸が重なるように交互に 提示することで,物理的には横軸の線分の長さは同一であるにもかかわらず,伸縮運動をしてい るように見える現象を指す.β運動とは,仮現運動の中でも最も研究がなされており,2 つの光 点を連続して光らせるとき,2 光点の距離とそれぞれを光らせる時間間隔が適切な場合に 1 つの 光点が動いて見えるように見える現象である.γ運動とは,一つのLEDを瞬間的に点灯させるよ うな刺激を短時間提示する際に,刺激の出現時には膨張して見え,逆に消失時には収縮して見え るような現象を指す.

図2 ミュラー・リヤーの錯視

仮現運動の中でもβ運動は我々が日常的に体験することが多い現象であり,仮現運動の例とし て挙げた電光掲示板などはβ運動である.β運動における2つの光点を連続して光らせたときに 1 つの光点の動きとして見えることは,Exner によって 1875 年には報告されている.1912 年に

Wertheimerが,Exnerの実験を元に,2光点の色を変えるなどの変化を加えても,仮現運動が生じ

ることを見出し,以来これらは古典的仮現運動と呼ばれる.

一方で,図3に示すような2枚のランダムドットステレオグラムのパターンをそれぞれ同じ場 所に順番に提示すると,ランダムドットステレオグラムでは奥行きを感じられた部分に動きを感 じることができる.これをランダムドットキネマトグラム(RDK:random dot kinematogram)と 呼ぶ.RDKによって得られる仮現運動は古典的仮現運動と刺激の移動距離などに関する閾値など が異なり,古典的仮現運動では視覚数度から数十度の移動距離が[25],仮現運動が引き起こされる 閾値であるのに対して,RDKでは数十分である[26].

図3 ランダムドットキネマトグラム

我々が,テレビや映画などを見て滑らかな動きのある映像を観察することができるのは,実際 には静止画を切り替えているだけなのに,このような仮現運動が引き起こされるからである

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2.2.2 眼の構造

「種の起源」を著した Darwinは眼を“完璧にして複雑極まりない器官”と称したが,「眼」と は,光を利用して物体を識別するための映像を形成する能力を有する器官であるといえる[27].バ クテリア,動物,植物の違いを問わず,光を感知するということは,光子をどのようにとらえる のかということであり,光子を受容する際に有機分子が示す単純な反応である.例えば,アメー バやミドリムシなどは細胞内の物質に光感受性がある.そうした単細胞の動物は光を利用して運 動の方向などを決めている.

一方で,我々ヒトを含んだ多細胞動物では,独立した感光細胞または器官が光感知の役割を担 っており,その構造の複雑さは様々である.最も基本的な光感知器は眼点である.眼点は黒い色 素をともなった感光面をもつ小さなくぼみであり,原始的なレンズがかぶさっているものもある.

眼点を持つ最も単純な多細胞生物はクラゲであるといわれている.

我々の眼の構造は図 4に示すように,外界からの光を水晶体(crystaline lens)というレンズに 入れ,厚さ100~300μmの網膜(retina)に収束し,像を結び,視神経(optic nerve)を通して脳に つたえている.このような眼球全体は強膜(sclera)という厚くて白い膜に覆われており,前方の 角膜(cornea)部分だけは少し出っ張って透明になっている.この時,水晶体の前面を取り囲むド ーナツ状の膜である虹彩(iris)を調節して,瞳孔(pupil)を通る光の量を変化させる.

図4 眼球の断面図

2.2.3 網膜の構造

網膜はほぼ透明な薄い膜で,周辺網膜で100μm,厚極部の厚いところで300μmである.網膜組 織は外界の情報を直接的に得ようとして脳から抹消方向に出てきた視覚情報処理の入口部分であ るが,40種類以上の神経細胞があり,図5のような8層構造を持っている.つまり,図5の下か ら色素上皮層(pigment epithelium),視細胞層(bacillary layer),外顆粒層(outer nuclear layer),外 網状層(outer plexiform layer),内顆粒層(innner nuclear layer),内網状層(innner plexiform layer),

神経節細胞層(ganglion cell layer),視神経線維層(optic fiber layer)である.このような階層構造 の中で,桿体細胞(rod cell),錐体細胞(cone cell),水平細胞(horizontal cell),双極細胞(bipolar

cell),神経節細胞などの階層的な結合関係がある[28].

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視細胞層には桿体細胞と錐体細胞があるが,桿体細胞は光に対する感度が高く色覚はないが,

夜間など照明が暗い場合の暗所視(scotopic vision)で機能する.桿体細胞は図4の中心窩(fovea)

にはなく,網膜の周辺部にいくに従って増加する.錐体細胞は光に対する感度が低いが高解像度 に寄与し,明所視(photopic vision)で機能する.錐体細胞は光の波長に対する感度が異なる3種 類の細胞があり,最適な波長の長さの順にL錐体,M錐体,S錐体と呼ぶ.これらの細胞で波長 に対する応答が異なることを利用して色の処理が行われる.このように錐体細胞は視力と色覚を つかさどり,網膜の後極部に多く存在していることが知られている.中心窩は錐体細胞のみから なり,その密度は約14万7300個/mm2である.

網膜における情報の伝達経路としては,眼球前面の角膜に入射した光の大部分が眼球内での散 乱や吸収,反射により約 10%程度が奥の視細胞層の外節部分に到達し,そこで電気信号に変換さ れ,双極細胞を経て神経節細胞に送られ,視神経となって脳の視中枢に伝達される.各細胞間の 結合をより詳述すると,視細胞が双極細胞とシナプス結合し,さらに双極細胞は神経節細胞とシ ナプス結合している.神経節細胞が網膜の情報処理の最後のニューロンであり,その軸策が眼球 の外側に出て視神経と名前を変え,中継核の外側膝状体(lateral geniculate nucleus:LGN)にシナ プス結合する.また,網膜内の第1ニューロンである双極細胞は内顆粒層にあり,この層内の外 網状層寄りには水平細胞がある.水平細胞は桿体細胞と錐体細胞からなる視細胞層と双極細胞の 間の情報伝達を制御している.

図 4の眼球で視神経の出口である部分(眼球後極部の中心窩より下に位置する窪んだ部分)は 視細胞が存在しないため,光に対して反応しない.この部分を視神経円板といい,ここに対応す る視野上の領域を盲点(blind spot)と呼ぶ.

視細胞の数は1億個以上であるのに対して,神経節細胞は100万個程度であり,網膜上の処理 により視細胞からの情報が圧縮されて脳に運ばれていると考えられる.ただし,この圧縮は一様 ではなく,視野中心では1つの視細胞が1つの双極細胞と,1つの双極細胞が1つの神経節細胞 と結合しているため高い空間解像度を保っている[4].

図5 網膜の構造

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2.2.4 眼から皮質への投射

網膜から一次視覚野(V1)への投射

一般に,ヒトの感覚情報の脳への投射は右半身側の情報は左脳,左半身側の情報は右脳という ように対側支配がなされている.しかし,視覚の投射様式は異なり,図6 右図のように左右眼か らの視神経は,それぞれ2 分割されている.すなわち,網膜の右側と左側それぞれの情報に分割 されている.網膜像の右側半分のオレンジ色の領域,つまり視野の左側半分は(網膜では外界の 像が上下左右反転するため)右脳側に伝達され,網膜像の左側半分の灰色の領域は左脳側へと伝 達される.ここでそれぞれの視神経が交叉する部位を視交叉(optical chiasma)と呼ぶが,ヒトの 場合は視野の半分のみ交叉して反対側に連絡するため半交叉という.通常,我々は右視野と左視 野の境目は気にならないが,これはそれぞれの情報を滑らかにつなげるために,左右の脳半球の 間で密接な情報交換による同期と補正によるものであると考えられている.

図6 眼から脳への神経連絡

視交叉を経て,眼球の左側に結像した右視野の情報は左の外側膝状体(lateral geniculate nucleus:

LGN)に向かい,眼球の右側に結像した右視野の情報は右の LGNに向かう.LGNからは,視放

線あるいは視放射(optic radiation)と呼ばれる接続により扇形に広がり,大脳の一番奥側にある 後頭葉の初期視覚領である一次視覚野(primary visual cortex:V1 野)へと投射される.LGN は V1野の側からも逆行投射を多く受けており,これらは視覚的注意に関する情報処理過程に関連し ている可能性が指摘されている[29].LGNおよびV1野では網膜における相対的な位置関係が再現 されている.この網膜部位再現をレチノトピー(retinotopy)と呼ぶ.レチノトピーの関係を詳し く調べると,視野中心は V1 野の後部にマップされ,視野周辺に行くにつれて前方へとマップさ れる.また,視野中心に近いほど皮質に占めるが大きくなる.

網膜から LGNを経た投射以外に,LGNに投射しない経路がある.これは,図6に示すような 中脳の上丘(superior colliculus)に投射する経路であり,眼球運動や焦点調節をはじめ各種の制御 に関連していることが報告されている[30].他にも,神経節細胞でありながらメラノプシンという 視物質を含み,青色光に対してもっと強い光感受性を持つ細胞(内在性光感受性網膜神経節細:

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ipRGC)も見つかっている[31].これらの細胞は体内時計などの調整を行う視交叉上核にも投射し ており[32],ipRGCは,概日リズムなどの生体現象にも影響を及ぼしていると考えられている.

一次視覚野(V1)からMT野への投射

運動の知覚に関わりが深いとされる視覚野はV5またはMT野(middle temporal area)と呼ばれ ている.MT 野は視覚皮質の中でも機能が特殊化されていることが最初に明らかになった領野の 一つで,視覚皮質の研究の中でも中心的な役割を担ってきた[33].MT野の神経細胞は,そのほと んどが運動の方向に対して選択性を持つが,静止している刺激には反応しないという特徴を持っ ている.また多くの神経細胞が両眼視差にも選択性を持つことが知られている.

V1からMT野への投射は,V1から投射される経路とV1からV2を経て投射される経路などが あり,最終的には頭頂連合野に投射される.この経路は背側路(dorsal stream)と呼ばれる.頭頂 連合野を損傷すると空間的課題の遂行に障害を受けることから,背側路は運動や空間認知に関す る視覚情報を処理していると考えられ,“Where”経路と呼ばれることもある.

MT野からさらに1段階高次のところにMST野(medial superior temporal area)が位置している.

一般に,高次の視覚野ほど受容野が大きくなるが,MST野は左右半視野にまたがるほど大きな受 容野を持つ神経細胞があり,自己が移動したときに生じる光学的流動:オプティックフロー(optic flow)と呼ばれる視野全体の運動の処理に関連していると考えられている[4].頭頂連合野は視覚 情報の他にも体性感覚や眼球運動,腕の到達運動などに関連した活動特性を持つ神経細胞も存在 し,総じて空間情報を運動行為に利用するための処理を行っていると考えられる.

図7 MT野の領野

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2.3 前庭感覚と前庭器官の生理学的構造

2.3.1 前庭動眼反射

前庭神経核は中枢内において小脳(Cerebella),脳幹網様体(Brain stem reticular formation),外転 (Abducens nerve)・滑車(Trochlear nerve)・動眼(Oculomotor nerve)の各神経核,脊髄などと密に連絡 をしている.特に外転・滑車・動眼の各神経核との関係は前庭動眼反射や前庭性眼振などの代償 性眼球運動に深く関わっていることが知られている.

前庭動眼反射(VOR : Vestibulo-ocular reflex)は頭部を回転したとき半規管受容器に加わる各加速 度が刺激となり,頭部回転と逆方向に眼球を回す反射である.これにより頭が動いていても視線 を空間内で固定することができ,視覚情報を正しく中枢に伝えることが可能となる.一方,網膜 上 の 像 の ず れ を 刺 激 とし て 引 き 起 こ さ れ る 同様 の 反 射 的 眼 球 運 動 を視 運 動 性 応 答(OKR : Optokinetic response),あるいは視運動性眼振(OKN : Optokinetic nystagmus)と呼ぶ[48].

つまり,開眼時に頭部を動かすと前庭動眼反射と視運動性眼球運動が同時に誘発されているこ とになる.また,ネコは眼球が頭部前方にあるため刺激を受けた半規管と同一平面で眼球運動が 起こるが,ウサギなどのように側方にある動物では異なる表現形となる.実際に顔を上げ下げす る回転運動時,前半規管と後半規管が刺激を受けるが,このときネコでは垂直眼球運動が,ウサ ギでは回転運動が起きる.

この二つの反射的眼球運動を誘発する刺激が継続的に加わると,緩徐な眼球運動がある時点で 急速眼球運動により中断される,この繰り返しによって眼球に眼振と呼ばれるリズム運動が起き る.特に前庭動眼反射により引き起こされる眼振を前庭性眼振,視運動性眼球運動によって引き 起こされる眼振を視運動性眼振と呼ぶ.

これとは逆に視覚刺激により前庭機能に影響を与えることもある.例えば電車に乗っている時,

隣の電車が動き出すと自分のほうが動いたという感覚を得る.これを自己運動知覚(Vection)とい い,視覚が身体の安定や空間の定位に影響していることが分かる.

さらに言えば,一般に「乗り物酔い」と呼ばれる動揺病(Motion sickness)はこのような視野変化 に対応する視覚信号と,内耳による前庭感覚信号のアンバランスによって生じるという,いわゆ る「感覚矛盾説」に起因するといわれているがまだその発生のメカニズムは明らかとはなってい ない.動揺する乗り物の中,自分も周囲と同じような向きに動く場合などは,頭の傾斜や回転に 視野変化が伴わないため脳に混乱が生じ吐き気や目眩の症状が出る.また,頭を制止したままで,

動揺性映像を見つめているだけでも同様の症状が出る.

前庭動眼反射のゲイン特性

頭部運動時の視野を安定させるシステムとして,頭の回転と逆方向に眼球を回転させることに より視野を安定させる前庭動眼反射(VOR)と網膜像の頭部運動による運動によって生起される視 運動性眼振(OKN)があることは前述したとおりである.

VOR のゲイン(眼球速度/頭部速度)は,OKN の影響をなくすために完全暗黒中で測定する と頭部の低い振動周波数では低く,周波数が0.3~0.8Hzでゲインは0.65~0.85,2~5Hzのとき1で ある.ただし,VORのゲインは頭部運動の振幅にも依存し,振幅を増加させるとゲインは増加す るが頭部の回転速度が速くなりすぎると(>350deg/s)減少する.また,振動周波数が 0.3~0.8Hz

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であっても,被験者が正面に静止した視標を思い浮かべ,それを固視しようと努力するとゲイン はほぼ1となることが知られている[62].一方で,被験者の覚醒度が低下するとゲインが減少する [63]など,被験者の状態や実験環境の統制方法によってゲインが変化する.

これに対してOKNのゲインは低い周波数で高くなることが知られている.このようなゲイン特 性は,VORとOKNの合成ゲインが広い周波数帯において1になることを実現し,視野の安定に 寄与している[64].

実際に,本を2Hzで振動したときには読むことはできないにもかかわらず,頭を5Hzで振動し ても本を読むことができるのはVORとOKNの相補的相互作用のおかげであるといえる[65],[66].

前庭動眼反射の抑制と順応

VOR とOKNの相補的な関係に加えて,視対象が運動しているような通常の環境下では追従眼 球運動(OFR : Ocular following responses)も作用することで視野を安定化している.これらの運動は 共に独立して発生しているわけではなく,お互いが相補的かつ相互に干渉しながら作用している のは既に述べたとおりである.観察者が頭部と一緒に回転する視標を固視したときには,VORの 方向はOKNやOFRの方向と逆になる.また,運動している背景と静止した視標が重ねて提示さ れた場合には運動刺激によるOKNの方向と静止視標を安定させるためのOFRの方向が逆になる.

この際,OFR>OKN>VORという優先関係で,OKNやVORの一部または全部が抑制されること

が知られている[67],[68],[69].

さらに,左右逆転プリズム眼鏡やレンズ等で外界を変形させた視覚情報を長時間観察させると,

VORのゲインの調節が行われ(数時間のうちに変化が生じる)通常とは逆方向に運動することも ある.このとき,VORゲインは最初の2日で60%,1週間で25%に減少することが報告されてい る.その後,調節が行われてから通常の視覚情報を与えると再度視野が不安定となる.このよう なVORのゲイン調節作用は小脳で行われているということが知られている[70],[71].

前庭動眼反射の発達過程

前庭動眼反射(VOR)の発達過程について,出産直後から視運動性眼振(OKN)とVORの緩徐相の 発生が認められる[72].一方で,追従眼球運動(OFR)は出生直後の新生児では発現しにくく,運動 する対象の追従はほとんどサッカードによって行われていることが知られている.ただし,視標 のサイズが視野角 10deg以上で,被験児の注意をひきつける力が強ければ,滑らかな眼球運動自 体は生じうる[72],[73],[74].これらの事実は,滑らかに目を動かすための機能そのものは出生直後 から備わっていることを示している.しかし,視角の小さい視標に対するOFRは生後2ヶ月ない し3ヶ月以降にならないと発生しない[75].

発達期に視覚経験が得られない先天盲人の場合,随意的な眼球運動が不可能であり,眼振や高 振幅のドリフトが認められ,さらに VOR の機能が欠損あるいは微弱であることが知られている [76].生後まもなく視力を失った早期失明者も同様の機能障害が見られるが,失明時期の遅い中途 失明者は随意的なサッカードやOFR が可能な場合があり,VOR の機能特性に関しては晴眼者と 同様の最大速度-振幅の関係を示す[77].

また,中途失明者に対する温度眼振検査の結果から,失明前に獲得したVORも失明期間が長く なるにつれてその振幅が低下することが知られている[78].つまり,随意的な眼球運動やVORは 生後発達し,その発達および維持に能動的な視覚経験が関与するということである.

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2.3.2 前庭感覚

前庭感覚(Vestibular sensation)とは一般に平衡感覚と呼ばれている特殊感覚の一つである.前庭感 覚は,主に三半規管(Semicircular canal)および耳石器(Otolith organ)である卵形嚢(Utricle),球形嚢 (Saccule)の受容器によって生起されている[60].

三半規管では三軸の回転角加速度を受容し卵形嚢,球形嚢では垂直,水平方向といった直線加 速度を受容する.三半規管と耳石器官の両受容領域では共に有毛細胞(Hair cell)が受容器として中 心的な役割を果たし,前者では膨大部稜(Crista ampullaris)における有毛細胞が内リンパ液の動きを 検出し,後者では耳石膜の動きを検出している.

この他にも前庭機能の主要な中継核である前庭神経核(Vestibular nucleus)への入力としては視覚 や 皮 膚 感 覚(Cutaneous sensation), 頸 筋や 頸 関 節な ど が と ら え る固 有 受容 感 覚(Proprioceptive sensibility)なども含まれる.文献によってはこれらの視覚,体性感覚に前庭感覚を加えて平衡感覚 として定義し,その中で前庭感覚は特殊的に平衡感覚に関与する受容機構としているものもある.

一般的に,前庭感覚そのものの感覚は意識にのぼりにくく実感しにくいが,姿勢の安定性が乱 れた際や,感覚器もしくは求心性繊維などの情報伝達経路に障害が生じると平衡の失調として意 識される.その臨床症状としては,目眩(眩暈),吐き気,耳鳴り,宇宙酔いを含む乗り物酔いな どが挙げられる.

この前庭機能及び前庭感覚を検査する方法として,片方の外耳道に温水または冷水を注入する カロリックテスト(Caloric reflex test)がある.前庭器官が正常ならばこの方法により,内リンパ液 の対流が起き,温水では入れた耳の方へ,冷水では反対側への身体動揺と眼振が起こる.逆に前 庭器官に異常があると反応を示さない.この他にも温水,冷水の代わりに温風と冷風を用いるエ ア・カロリックテストなどが知られている.

一般に内耳の前庭や三半規管の疾患では,体が沈むような感覚やふわふわと浮くような気分,

目眩,などの自覚症状が出やすいことが知られている.

2.3.3 有毛細胞

有毛細胞は非常に感度の高い情報変換器官で,毛の束に与えられた物理的刺激を電気信号とし て脳に伝える.哺乳動物では,毛束の先端が100pm動くかどうかのわずかな偏位に応答する.そ の構造はどれも動毛(Kinocilium)1本と不動毛(Stereocilium)30~150本から成り,しなやかに動く動 毛に対して不動毛は根元で折れたように傾くか直立状態に戻るかしかできない.

図8に示す通り,毛束が偏位すると不動毛の機械刺激受容チャンネルが開き,K+が細胞内に進 入し(1),膜に脱分極を起こし,ただちに細胞内に広がる(2).この脱分極が細胞下方にある Ca++

チャンネルを開き,Ca++の細胞内流入を引き起こす(2).Ca++が伝達物質を含む小胞と有毛細胞基 部の細胞膜とを融合させ,伝達物質(グルタミン酸)を放出させ(3),それにより一次求心性繊維終 末に興奮性シナプス後電位(EPSP)が生じ,過電圧を発生させ,信号は脳に送られる(4)

参照

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向井 康夫 : 東北大学大学院 生命科学研究科 助教 牧野 渡 : 東北大学大学院 生命科学研究科 助教 占部 城太郎 :