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6.『日清字音鑑』を取り上げた理由

ドキュメント内 Microsoft Word - 論文 (ページ 50-55)

『日清字音鑑』は明治 28 年(1985)、伊沢修二・大矢透に同著された中国語発音一覧表 である。本書の特徴について「緒言」は次のように述べている。

著者ハ、今彼我兩國ノ音韻ヲ生理的言理學、即チ視話法ノ原理ニ照ラシテ考究シ、

我假字ニ附スルニ、若干ノ記號ヲ以テシ、猶ホ數個ノ合字ヲ作リテ、其不足ヲ補 ヒ、又四聲ノ別ノ如キハ、更ニ言語上ニ考へテ、適宜ノ記號ヲ作リ、新ニ我國字 ヲ以テ、彼字音ヲ表明スルノ法ヲ設ケタリ。然リト雖モ、著者ガ、彼語學ニ志ス

ノ日、甚ダ淺ク、學習尚ホ未ダ至ラザルヲ以テ、舛誤謬妄ノ多キハ、素ヨリ自ラ 覺悟スル所ナリ。大方ノ君子、希クハ是正ヲ賜ヘ。但羅馬字ヲ以テ、支那字音ヲ 記スルノ法ハ、従來西人ノ用ヒ來レルモノヲ襲用シテ、更ニ改ムル所ナシ。

「著者ハ、今彼我兩國ノ音韻ヲ生理的言理學、即チ視話法ノ原理ニ照ラシテ考究シ、我 假字ニ附スルニ、若干ノ記號ヲ以テシ、猶ホ數個ノ合字ヲ作リテ、」・「但羅馬字ヲ以テ、支 那字音ヲ記スルノ法ハ、従來西人ノ用ヒ來レルモノヲ襲用シテ、更ニ改ムル所ナシ」とあ るように、注音用の記号は「視話法ノ原理」に照らして工夫された中国語カナ表記を中心 としながらローマ字綴りも併記している。次の〔図6〕は『日清字音鑑』の見出しである。

『日清字音鑑』および筆頭編纂者・伊沢修二の中国語研究について、魚返善雄(1942)・

竹内好(1942)・実藤恵秀(1943b)・六角恒広(1959)・埋橋徳良(1999)・朱鵬(2001)な どの先行研究がある。以下、先行研究を検討していきたい。

(1)魚返善雄(1942)

魚返善雄(1942)「支那語界・回顧と展望」は近代中国語教育についての概観であり、伊 沢修二の中国語研究を次のように述べている。

日清戰爭から日露戰爭後にかけては多數の會話書や獨習書が發行されてをり、到 底一々取上げれて批判するにたへない。中には現在でもその名を記憶され、或は 現に使用されてゐる立派な教科書もないではないが、大部分はもはや忘れ去られ てゐる。たゞここに特筆すべきは、日清戰後臺灣に渡つて、日本語の進出のため 奮闘した伊澤修二氏及びその流れを汲む臺灣語研究者の業績であらう。伊澤氏は 稀に見る獨創の才を傾けて支那語の發音方面を開拓したが、残念ながら當時の日 本人は氏よりも遙かに低い水準に位してゐたゝめに廣くその説が行はれるには至 らなかつた。(筆者注:下線は筆者)

魚返善雄(1942)は伊沢修二の中国語発音研究を近代中国語教育の流れに置いて検討し た。「伊澤氏は稀に見る獨創の才を傾けて支那語の發音方面を開拓した」とあり、伊沢修二 の中国語発音研究を開拓的・独創的と評価している。

 

〔図6〕 『日清字音鑑』の見出

ローマ字綴り 

四声 

中国語カナ表記  声調 

(2)竹内好(1942)

竹内好(1942)「伊沢修二のこと」は、主として伊沢修二の中国語研究について検討して いる。伊沢修二の研究態度を次のように述べている。

伊澤修二の支那語音韻研究については、かつて魚返善雄氏がこの雜誌に簡單に觸 れられたほか、支那語學者の間で問題にされた話をきゝませんが、その獨創的に してかつ科學的な點、ちかごろの日本の支那語學者諸君を愧死せしむべきものが あります。このやうな立派な、心をこめた業績が、受繼ぐものもなく、世間から 忘れられてゆくことに小生はまことに痛憤を感じます。(筆者注:下線は筆者)

竹内好(1942)は伊沢修二の中国語研究の態度を「獨創的にしてかつ科學的」と評価し ている。

(3)実藤恵秀(1943b)

実藤恵秀(1943b)「支那語書誌学(4)―日清字音鑑―」は、書誌学的に『日清字音鑑』

を検討するものである。『日清字音鑑』の全体的な評価について次のように述べている。

この字引は、日本人の創作であり、日本人の便利なやうにつくつたものです。支 那人にも西洋人にも、使用困難ですが、漢字音を知る日本人に都合よくできてゐ るのです。かゝる便利なものができてゐたのに、これまでわが國の支那語界では、

利用されずに來たといふことは、何たるふしぎ、何たる殘念なことでせう!われ らのほこるべきこの天才の功をみとめず、たゞ……。いや、いくら書いてもこの 遺憾はつきません。せめて、これからでもよろしい。これを再版(但し小形に)

にでもして、利用すれば、それこそこの著者の努力にむくいることになるのでは ないでせうか。(筆者注:下線は筆者)

「かゝる便利なものができてゐたのに、これまでわが國の支那語界では、利用されずに 來たといふことは、何たるふしぎ、何たる殘念なことでせう!」とあり、『日清字音鑑』が 世に活用されないことを遺憾であるとしている。また、「われらのほこるべきこの天才の功」

と評価している。

(4)六角恒広(1959)

六角恒広(1959)「伊沢修二とその中国語研究」は、伊沢修二の中国語研究の著作及び研 究態度を検討するものである。『日清字音鑑』について、次のように述べている。

明治二八年に「日清字音鑑」を世に出した伊沢は、そのなかで、日本のカナを主 体としそのカナに若干の記号を作って、漢字の中国音を示す法を考案した。その 原理としては、もちろん視話法をその基礎においていたわけである。そのころま でに日本の一般の中国語界にあっては、とくに発音の問題をとりあげた書籍は、

ほとんど発行されていなかった。(筆者注:中略)

このような当時の状態に対して、中国語音を正確に表示しようとした意図からな された「日清字音鑑」は、まことに歴史的意義があるものといえよう。

『日清字音鑑』は、中国語発音書がほとんど発行されていない時代に視話法に照らして 工夫したカナで中国語音を正確に表記しようとする意図からなされたものである、と指摘 している。そして「まことに歴史的意義があるものといえよう」と評価している。

また、『日清字音鑑』における発音記号について次のように述べている。

同書は、漢字を中心にして、その右側に伊沢式の記号を、左側にはウエード式記 号を附してある。そして、一つの音節について上平・下平・上声・去声の順に漢 字を排列し、また声調の表示には伊沢式の独特な声調符号をも附してある。なお、

音節排列の順序は、漢字を日本音よみにしたときの五十音順になっている。

「伊沢式の独特な声調符号をも附してある」とあるように、『日清字音鑑』の声調符号は 独特なものであると指摘している。

また、伊沢修二の研究態度について、次のように述べている。

当時の日本の中国語教育のなかには、科学的なものがなかった。近代における学 問とはかけ離れたところで、中国語教育がおこなわれていた。まえにものべたよ うに、当時の中国語教育の目的は、外交的・商業的・実利的・軍事的な方面での 実用的要求にこたえるためであった。したがって、当時の中国語界一般は、科学 的方法論をもった中国語学や中国語教育の必要を自覚してはいなかった。こうし たところに、伊沢の科学的批判の眼がむけられる余地が十分にあった。伊沢の科 学的な研究態度とはなにか、という点について、それは、近代の学問がそなえて いる科学的な方法論である、といいたい。伊沢が、そうしたものを身に付け、そ れによって、当時の一般の中国語教育における発音教育を批判し、その実証とし て視話法の原理にもとずく伊沢式字母を発案したのである。

「近代の学問がそなえている科学的な方法論である」や「その実証として視話法の原理 にもとずく伊沢式字母を発案したのである」として、伊沢修二の研究を近代的・科学的・

実証的と評価している。

(5)埋橋徳良(1999)

埋橋徳良(1999)『日中言語文化交流の先駆者――太宰春台、阪本天山、伊沢修二の華音 研究』は、第3章「伊沢修二の中国語研究と伊沢式中国語表音字母の成立過程」で、『日清 字音鑑』の発音記号について検討している。『日清字音鑑』を「伊沢式発音表記法の萌芽を 示す書」と指摘している。

(6)朱鵬(2001)

朱鵬(2001)「伊沢修二の漢語研究(上)」は、『日清字音鑑』の編纂意図や特色などを検 討した。明治以降の中国語教育において、『日清字音鑑』の位置づけについて次のように述 べている。

明治以降における日本の漢語教育は、ほとんど単純な実用会話主義に重点が置か れた,いわゆる「特殊語学」としてのみ位置づけられ,それからさらに踏み込ん だ理論的・学術的な研究には程遠いのが実情であった。一方,学習者自身も,実 用的,速習的な結果のみをもとめ,正道を踏んで学習しようとする者が少なく,

まさしく迂遠な学習法をとろうとしなかったのが日本の漢語教育・学習の実態で あった。そうした風潮にたいして,伊沢の『日清字音鑑』は,方法において,漢 語音韻を日本語の仮名,またはローマ字で綴る試みを通じて、発音規範を日本人 の発音習慣にしたがって系統化したものであった。その「独創的にしてかつ科学 的な点」(竹内好)は,当時の漢語教育界にあって,それはまさに飛躍的に進んだ ものであったと断言して良いだろう。

『日清字音鑑』は、方法において中国語音をカナまたはローマ字で綴る試みを通じて、「発 音規範」を日本人の発音習慣に従って系統化したものであると指摘している。よって「当 時の漢語教育界にあって、それはまさに飛躍的に進んだものであったと断言して良いだろ う」と評価している。

以上の先行研究によると、明治期中国語教育において、『日清字音鑑』をはじめとする伊 沢修二の中国語の発音表記法は、近代的・科学的・独創的・実証的なものであるとされて いる。

したがって、『日清字音鑑』を検討すれば、明治期中国語教育の発音表記法を再認識でき るのではないかと思われる。

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