料・漳州音系資料とは異なっていると思われる。
以上、「知母・徹母・澄母字の発音[t]・[t‘]」・「声母の相違点」・「韻母の相違点」の 3 点から見た結果、『大清文典』の性格は福州音系資料・漳州音系資料とは異なっていると考 えられる。
「50 字」は『大清文典』では「ヅウ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『南山俗語 考』・『四書唐音弁』の「浙江音」では「ヅウ」、『忠義水滸伝』では「ズウ」である。南京 官話系資料では「ツウ」である。
「59隨」は『大清文典』では「ズイ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』では「ヅイ」、
『南山俗語考』では「ヅウイ」、『忠義水滸伝』では「ズイ」である。南京官話系資料では
「スイ」である。
「61 睡」は『大清文典』では「ズユイ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』と『南山 俗語考』では「ジユイ」、『四書唐音弁』の「浙江音」では「ヅイ」である。南京官話系資 料では「スイ」である。
「62 跪」は『大清文典』では「グイ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』と『南山俗 語考』では「グイ」である。
「78 兆」は『大清文典』では「ヂヤウ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『南山俗 語考』・『四書唐音弁』の「浙江音」では「ヂヤウ」である。南京官話系資料では「チヤウ」
である。
「84 愁」は『大清文典』では「ヂイウ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『南山俗 語考』では「ヅヱウ」である。南京官話系資料では「ツヱウ」である。
「95十」は『大清文典』では「ジ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『南山俗語考』・
『四書唐音弁』の「浙江音」では「ジ」である。南京官話系資料では「シツ」である。
「104盤」は『大清文典』では「バアン」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『四書唐 音弁』の「浙江音」では「バアン」、『南山俗語考』では「ボワン」、『忠義水滸伝』では「バ ン」である。南京官話系資料では「パアン」である。
全濁声母について、『大清文典』と杭州音系資料は濁音カナ、南京官話系資料は清音カナ で表記しているのであろう。表記上の違いについては、以下の2点が考えられる。
①趙元任(1928)は呉語の定義について次のように述べている。
廣義的呉語包括江蘇的東南部跟浙江的東北大半部。這呉語觀念的定義或這觀念的
能否成立是要等詳細研究過後才能夠知道,現在暫定的“工作的假設”就是暫以有 幫滂並,端透定,見溪羣三級分法為呉語的特徴。
広い範囲での呉語は江蘇省の東南部や浙江省の東北部の大半を含んでいる。これ は成り立つかどうかは綿密に検討しないと判断できない。今は仮りに「幇滂並」・
「端透定」・「見溪群」の3級分類のあることを呉語の特徴としている。(筆者注:
日本語訳は筆者)
現代中国語方言学では、趙元任(1928)の基準を以て呉語を区画している。例えば、『中 国語言地図集』は「図B9 呉語」についての説明において、呉語の音韻特徴を次のように 述べている。
古全濁声母多数点今仍読濁音,与古清音声母今仍読清音有別。古幇滂並[p p‘ b],
端透定[t t‘ d]、見溪群[k k‘ g]今音在発音方法上三分。以“端透定”為例,
一般仍分読[t t‘ d]。少数点如青田分読[ʔd t‘ d],慶元分読[ʔd t‘ t],浦 城分読[l t‘ t],銅陵分読[t t‘ ɾ],也保持三分。這是呉語最主要的特点。
(呉語において)全濁声母は多数の方言点で濁音のように発音する。全清・次清 声母と異なっている。全濁声母の幇・滂・並[p p‘ b]、端・透・定[t t‘ d]、
見・溪・群[k k‘ g]は発音方法において三分している。「端・透・定」を例と して説明する。「端・透・定」は一般的には[t t‘ d]と発音するが、少数の方言 点、例えば、「青田」では[ʔd t‘ d]、「慶元」では[ʔd t‘ t]、「浦城」では[l t‘ t]、銅陵では[t t‘ ɾ]である。音価は違っているが、相変わらず三分してい る。これは呉語の最も顕著な特徴である。(筆者注:日本語は筆者)
「杭州」は『中国語言地図集』の「図B9 呉語」によると、呉語の「太湖片」の「杭州 小片」に属している。
趙元任(1928)が指摘したように、呉語は「幇滂並」・「端透定」・「見溪群」の 3 級分類 がある。よって、杭州音系資料は濁音カナで濁音声母の並母・定母・澄母・群母・従母・
邪母・床母・禅母を表記したのである。
②一方、濁点は積極的に施されていなかったという可能性もある。日本語の清濁表記法 は様々な歴史的過程を経て成立したものである。訓点資料であれ和文資料であれ、濁点を 積極的に施さない例は数多く存在している。表は清音カナであるが、裏は濁音を表記して いるということである。
そこで、南京官話系資料は濁点を積極的に打つものなのか、それとも打たないものなの かについて検討していきたい。
検討の手がかりは次濁・日母字とする。「人」・「日」・「若」などの次濁・日母字([nʑ]
>[ʐ])は次の『唐音雅俗語類』のように清音カナ「サ行」と濁音カナ「ザ行」の両方で表 記される。
清音カナ「サ行」 人シ ンウヱツ物駢ピ ンツアツ雑(316頁) 人シ ン不プ ツ弛ス ウ弓コ ン(347頁)
濁音カナ「ザ行」 為ヲ イ人ジ ンホヲン温シユン醇(306頁) 褒ハ ウ人ジ ン(313頁)
(筆者注:頁数は『唐話辞書類集』(第6集)を指す。)
次濁・日母字([nʑ]>[ʐ])を網羅的に調査すると、傾向は次の〔表7〕のようになる。
〔表7〕南京官話系資料における日母字の清濁表記
『唐音雅俗語類』には次濁・日母字は延べ数が 664 例である。うち、清音カナで表記す るものは73例であり、濁音カナで表記するものは591例である。両者の割合は11%対89%
である。
『唐語(話)便用』には次濁・日母字は延べ数が 707 例である。うち、清音カナで表記 するものは92例であり、濁音カナで表記するものは615例である。両者の割合は13%対87%
である。
『唐訳便覧』には次濁・日母字は延べ数が 630 例である。うち、清音カナで表記するも のは83例であり、濁音カナで表記するものは547例である。両者の割合は13%対87%であ る。
『四書唐音弁』の「浙江音」には次濁・日母字は延べ数が37例である。うち、清音カナ で表記するものは9例であり、濁音カナで表記するものは28例である。両者の割合は24%
対76%である。
以上のように、「人」・「日」・「若」などの次濁・日母字([nʑ]>[ʐ])は圧倒的に濁音カ ナで表記されている。よって、南京官話系資料は濁点を積極的に打っているのではないか と思われる。
南京官話系資料が濁点を積極的に打つものであった以上、②のように「濁点を積極的に
人 日 若 如 熱 任 擾 譲 その他 合計 割合 資料名 清 濁 清 濁 清 濁 清 濁 清 濁 清 濁 清 濁 清 濁 清 濁 清 濁 清 濁
雅俗 10 321 63 1 71 4 37 3 2 5 7 2 1 4 44 89 73 591 11% 89%
便用 16 219 10 155 7 53 14 87 4 5 1 4 4 2 36 90 92 615 13% 87%
便覧 13 263 1 111 6 78 7 60 9 8 1 1 6 41 25 83 547 13% 87%
四書(南) 1 1 1 1 1 1 1 1 8 21 9 28 24% 76%
施さなかったのではないか」という疑いは解消され、①のように説明できると考えられる。
以上、全濁声母のカナ表記から見ると、『大清文典』は南京官話系資料と異なり、杭州音 系資料に類似していると思われる。
(2)全濁声母の奉母
遇摂虞韻合口3等奉母字「24父」・宕摂陽韻合口3等奉母字「134房」は、全濁声母の奉 母の用例である。
「24 父」は『大清文典』では「ウー」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『忠義水滸 伝解』・『四書唐音弁』の「浙江音」では「ウヽ」である。南京官話系資料では「フウ」で ある。
「134房」は『大清文典』では「ウワン」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『南山俗 語考』・『忠義水滸伝解』では「ワン」である。南京官話系資料の『唐音雅俗語類』・『唐語
(話)便用』・『唐訳便覧』では「ハン」である。
奉母について、『大清文典』と杭州音系資料はアヤワ行、南京官話系資料はハ行で表記し ているのであろう。奉母は杭州音で有声唇歯摩擦音[v-]、南京官話で無声唇歯摩擦音[f-]
であったとされている。(杭州音と南京官話の音価はぞれぞれ趙元任(1928)と Bernhard Karlgren(1915-1926)による)
以上、奉母のカナ表記から見ると、『大清文典』は杭州音系資料に類似していると思われ る。
(3)全濁声母の匣母
遇摂模韻開口1等匣母字「22乎」・蟹摂泰韻合口1等匣母字「39會」・蟹摂皆韻合口2等 匣母字「41懐」は全濁声母の匣母の用例である。
「22 乎」は『大清文典』では「ウー」である。杭州音系資料では「ウヽ」である。南京 官話系資料では「フウ」である。
「39 會」は『大清文典』では「ウヲイ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『忠義水 滸伝解』・『四書唐音弁』の「浙江音」では「ヲイ」である。南京官話系資料では「ホイ」
である。
「41 懐」は『大清文典』では「ウワイ」である。杭州音系資料では「ワイ」である。南 京官話系資料では「ホイ」である。
匣母について、『大清文典』と杭州音系資料はアヤワ行、南京官話系資料はハ行で表記し ているのであろう。匣母は杭州音で有声声門摩擦音[ɦ-]、南京官話で無声軟口蓋摩擦音[x-]
であったとされている。(杭州音と南京官話の音価はぞれぞれ趙元任(1928)と Bernhard Karlgren(1915-1926)による)
以上、匣母のカナ表記から見ると、『大清文典』は杭州音系資料に類似していると思われ る。
3.3.2.韻母の場合
(1)止摂開口舌・歯音(破擦音に限って)
止摂之韻開口3等従母字「50字」・止摂之韻開口3等穿昌母字「51歯」は止摂開口舌・歯 音(破擦音に限って)の用例である。
「50 字」は『大清文典』では「ヅウ」である。杭州音系資料の『唐話纂要』・『南山俗語 考』・『四書唐音弁』の「浙江音」では「ヅウ」、『忠義水滸伝』では「ズウ」である。南京 官話系資料では「ツウ」である。
「51 歯」は『大清文典』では「ツー」である。杭州音系資料では「ツウ」である。南京 官話系資料では「チイ」である。
上記の2例を対照的に考えてみると、次のように纏められる。(杭州音と南京官話の音価 はぞれぞれ趙元任(1928)とBernhard Karlgren(1915-1926)による)
『大清文典』 杭州音系資料 南京官話系資料 精組「50字」 ヅウ ヅウ(ズウ)[zɿ] ツウ[tsɿ]
照組「51歯」 ツー ツウ[ts‘ɿ] チイ[tʂ‘ʅ]
精組であれ、照組であれ、『大清文典』は杭州音系資料と共に「○ウウ」で表記している。
しかし、南京官話系資料は、精組では「○ウウ」であるが、照組では「○イイ」である。
後ろに付けられた音声に示したように、杭州音において精組と照組の韻母は[-ɿ]であり、
そり舌音化していない。
一方、南京官話において精組の韻母は[-ɿ]であり、そり舌化していない。しかし、照組 の韻母は[- ʅ]であり、そり舌音化していた。そのため、杭州音系資料は一型、南京官話 系資料は両型を取ったと考えられる。
以上、止摂開口舌・歯音(破擦音に限って)のカナ表記から見ると、『大清文典』は杭州 音系資料に類似していると思われる。