舒志田(1998)が指摘したように、内容構成において、訓訳本『大清文典』は原書『文 学書官話』と殆ど一緒である。『大清文典』の本文は「第一章 論音(母)」・「第二章 論 字」・「第三章 論名頭」・「第四章 論替名」・「第五章 論指名」・「第六章 論形容言」・「第 七章 論數目言」・「第八章 論分品言」・「第九章 論加重言」・「第十章 論靠托言」・「第 十一章 論幫助言」・「第十二章 論隨從言」・「第十三章 論折服言」・「第十四章 論接連 言」・「第十五章 論示處言」・「第十六章 論問語言」・「第十七章 論語助言」・「第十八章 論字換類」・「第十九章 總講話様」・「第二十章 論句連讀」・「第二十一章 論話色」から なっている。
その内、「第一章 論音(母)」・「第二章 論字」は次の〔図8〕のように中国語カナ表記 が付いている。
〔図8〕『大清文典』の「第一章論音(母)」と「第二章論字」
〔2-オ〕 〔1-ウ〕 〔1-オ〕
〔5-ウ〕 〔5-オ〕 〔2-ウ〕
〔図8〕に示したものを「漢字―中国語カナ表記」という形式で整理すると、次のように
なっている。
〔1-オ〕
「靠カウ」、「套タウ」、「炮パウ」
〔1-ウ〕
「隔クヱ」、「克クヱ」、「記キイ」、「気キイ」、「得テ」、「特デ」、「宅ヅエ」、「拆ツ エ」、「勒レ」、「内ヌイ」、「色スエ」、「十ジ」、「希ヒイ」、「黒へ」、「夜エー」、「白 べ」、「破ポー」、「墨メ」、「飛フイ」、「位ヲイ」、「跪グイ」、「愧グイ」、「贅ツイ」、
「吹チユイ」、「會ウヲイ」、「睡ズユイ」
〔2-オ〕
「阿アー」、「愛アイ」、「Aアー」、「意イー」、「奥アウ」、「厄ヤ」、「漚ヱ゜ウ」、「窩 ウヲー」、「物ウヱ」、「玉ヨ」、「詩スウ」、「贰ルー」、「衙ヤー」、「夜エー」、「越イ ユヱ」、「要ヤウ」、「又ユウ」、「若ヂヤ」、「暗アン」、「昂ガアン」、「譲ジヤン」、「厭 イエン」、「怨イユヱン」、「印イン」、「硬ゲエン」、「恩ヱ゜ン」、「鞥エン」、「甕ウ ヲン」、「閏ジユイン」、「依イー」、「移イー」、「倚イー」、「意イー」、「鰲ガアウ」、
「襖アウ」、「奥アウ」、「冤イユヱン」、「園イユヱン」、「遠イユヱン」、「怨イユヱ ン」
〔2-ウ〕
「該カイ」、「高カウ」、「古クウ」、「榦カン」、「缸カン」、「根ケ゜ン」、「更ケ゜ン」、
「工コン」、「大ダー」、「代タイ」、「地テ゜イ」、「斗テウ」、「當タン」、「點テ゜エ ン」、「丁テ゜イン」、「頓トヱン」、「東トン」、「站ザン」、「進ツイン」、「中チヨン」、
「直ヂ」、「早ツアウ」、「祖ツウ」、「沙サア」、「隨ズイ」、「痩スエウ」、「山スアン」、
「喪サン」、「孫スヱン」、「害アイ」、「厚エウ」、「汗アン」、「好ハウ」、「恒エ゜ン」、
「八パ」、「背ポイ」、「布プウ」、「半パン」、「笨ベエン」、「法フア」、「飛フイ」、「父 ウー」、「房ウワン」、「風フホン」、「瓦ウアー」、「物ウヱ」、「萬ウワン」、「四スー」、
「字ヅウ」、「歯ツー」、「幾キー」、「界キヤイ」、「句キユイ」、「郡ギユイン」、「𢎏」、
「烈レ」、「涼リヤン」、「這チエー」、「兆ヂヤウ」、「開カイ」、「靠カウ」、「口ケエ ウ」、「看カン」、「肯ケ゜ヱン」、「孔コン」、「茶ザア」、「愁ヂイウ」、「粗ツウ」、「盤 バアン」、「平ビン」、「朋ボン」、「怪クワイ」、「歸クイ」、「快クワイ」、「魁クワイ」、
「吹チユイ」、「會ウヲイ」、「懐ウワイ」、「華ウアイ」、「水シユイ」、「寫スエー」、
「月イユヱ」
〔5-オ〕
「世スウ」、「不ポ」、「乎ウー」、「乃ナイ」、「中チヨン」、「他ター」、「令リン」、「供 コン」、「也イヱー」、「助ヅウ」、「冠クワン」、「冷レン」、「分フエン」、「吐ツ゜ウ」、
「吉キ」、「岪フエ」、「忘ウワン」、「怕パー」、「得テ」、「枯クウ」、「汗アン」
〔5-ウ〕
「灰ホイ」、「男ナン」、「省セン」、「精ツイン」、「羔カウ」、「蛇シヱー」、「訟ゾン」、
「配ポイ」、「騎キー」、「鴨ア」
〔2-オ〕の「Aアー」はローマ字を表記している。〔2-ウ〕の「𢎏」には中国語カナ表 記が付いていない。〔2-オ〕の「Aアー」と〔2-ウ〕の「𢎏」を除くと、中国語カナ表記 が付いている漢字の異なり語数は168例である。
これら中国語カナ表記について、「例言」は次のように述べている。
唐‐音及俗‐語ノ難キレ解シ者ハ、經二重‐寛頴‐川‐君之一‐讀ヲ一、而施ス二音‐義ヲ
一焉
唐‐音ニ有リ二二‐種一、一ヲ曰ヒ二南‐音ト一、一ヲ曰フ二北‐音ト一、今所レ施ス、一ニ従
ヲ二南‐音ニ一
唐音及ビ俗語ノ解シ難キ者ハ、重寛頴川君ノ一讀ヲ經テ、音義ヲ施ス焉。
唐音ニ二種有リ。一ヲ南音ト曰ヒ、一ヲ北音ト曰フ。今施ス所ハ、一ニ南音ニ従ヲマ マ。
(筆者注:書き下しは筆者)
上記によると、『大清文典』の中国語カナ表記は頴川重寛によって付けられたものである。
序論の4.1節「明治初期中国語教育の概要」で述べたように、頴川重寛(1831-1891)は 代々長崎唐通事の家系の出身であり、漢語学所の督長兼教導・東京外国語学校(漢語学所 の後身)漢語学一等教論である。『唐通事家系論攷』によると、頴川重寛の経歴は以下のよ うに纏められる。
頴川保三郎、諱は重寛、号は蓮舫、七代豊十郎の長男である。
天保2年10月20日(1831)誕生。
弘化2年11月20日(1845)稽古通事無給。
嘉永4年6月7日(1851)小通事末席。
安政2年11月7日(1855)小通事並。
安政4年3月2日(1857)小通事助。
安政4年(1857)江戸学問所勤め。
明治3年(1870)外務省三等書記官。
しばしば遣清大使に従い通訳の任に当った。
のち文部省に入り、外国語学校教論、高等商業学校教授に補せられた。
明治22年(1889)病のため長崎に帰る。
明治24年4月21日(1891)逝去。
頴川重寛は明治初期中国語教育の中心的な教師なので、頴川重寛の編纂した教科書を考
察すれば、明治初期中国語教育の検討に役立つのではないかと思われる。
したがって、本章は頴川重寛によって付けられた中国語カナ表記を考察対象とする。対 象用例は全168例である。
なお、上記〔図8〕の〔1-ウ〕・〔2-オ〕に示したように、漢字の左側に特殊な記号が付 いている。例えば、〔1-ウ〕の「 気キイ」や〔2-オ〕の「乛意イー」などである。
次の〔図9〕に示したように、これら特殊な記号はそもそも『文学書官話』に使用された
ものである。
〔図9〕『文学書官話』の特殊の記号
『文学書官話』がどこの方音を示したかについて、李海英(2013)には
記録了晩清登州方言的語音面貌
清末登州(現山東省蓬萊市)方言を記録している。(筆者注:日本語訳は筆者)
と述べている。『文学書官話』の特殊な記号は清末登州方言を記述している。これも『文学 書官話』の編纂者・高第丕の経歴と合っている。(舒志田(1998)によると、編纂者の高第 丕は山東省登州府で 30 年ほど布教しており、『文学書官話』は登州に居た間に書いたもの である)。
『中国語言地図集』の「図B3 官話之三」によると、清末登州(現、山東省蓬萊市)は 官話方言の「膠遼官話」区に属している。