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155 した(図Ⅳ-5参照)。

ドキュメント内 Microsoft Word - 【セット】Ⅳ章(1219).doc (ページ 79-84)

また、その頃、発電所対策本部復旧班は、

1/2

号中央制御室において、

S/C

弁(

AO

弁)大弁の電磁弁を励磁し、

S/C

弁(

AO

弁)大弁の開操作を実施した。

1

号機の

D/W

圧力は、

3

12

14

30

分頃に

0.75MPa abs

であったと ころ、同日

14

50

分頃に

0.58MPa abs

まで低下し、

NHK

の映像によっても、

1

号機の排気筒から白い煙が出ているのが確認できた。そこで、吉田所長は、

同日

14

30

分頃にベントによる放射性物質の放出がなされたと判断し、同日

15

18

分頃、その旨官庁等に報告した。

また、本店対策本部は、テレビ会議システムを通じて、前記作業状況及びベ ント実施に関する情報を入手し、その都度、官庁連絡班を通じて、これを

ERC

に報告していた。

3

12

15

36

分頃、1号機

R/B

爆発後、発電所対策本部復旧班が現場 確認をしたところ、1 号機

R/B

大物搬入口外側に設置していた可搬式コンプ レッサーの作動停止が確認された。そこで、発電所対策本部復旧班は、その作 動停止の原因が燃料切れではないことを確認の上、可搬式コンプレッサーの再 起動を試みたが、起動しなかった。

その後、放射線量が高かったため、可搬式コンプレッサー設置場所付近に立

図Ⅳ-5

1

号機 R/B 大物搬入口の位置 東京電力作成資料を基に作成

156

ち寄ることができず、同月

20

日頃になってようやく、発電所対策本部復旧班 は、新たな可搬式コンプレッサーを設置した。

c 原子炉格納容器ベントの実施に時間を要した経緯

1

号機の原子炉格納容器ベントについて、一部では、その判断や実施の過程 に躊躇があったために遅れが生じたのではないかとの指摘もある。1 号機の事 故対処に関しては、前記(3)dで詳述したように、発電所対策本部及び本店 対策本部が

IC

の作動状態を正しく認識していなかったことに起因すると考え られ、仮にその認識の誤りがなければ、

1

号機への代替注水手段をもっと早く 講じる中で、原子炉格納容器ベントについても、より早く実施に向けた具体的 準備が開始された可能性はあると考えられる。しかし、この点を除いて、発電 所対策本部の担当者の意識の上で原子炉格納容器ベントについて躊躇があっ たかどうかの点については、以下に述べるとおり、そのような事実は認められ ない。

② まず、

3

11

15

37

分頃、

1

号機は全交流電源を喪失し、その頃直流電 源も喪失して極めて過酷な状況に陥ったところ、吉田所長が

1

号機の原子炉格 納容器ベント実施準備の指示を出したのは同月

12

日零時

6

分頃であった。こ の時間的隔たりのみに着目すれば、なるほど前記指摘にも理由があるようにも 見える。

しかし、吉田所長は、同月

11

日夕方から夜にかけ、

IC

の作動状態に関し誤 認識があり、

1

号機については、

IC

が正常に作動しているものの、

2

号機につ いては、

RCIC

が作動しているかどうか確認できない状態と考え、

1

号機より もむしろ、

2

号機のプラント状態に危機意識を向けていた。すなわち、吉田所 長は、この頃、

1

号機について、

IC

の作動状態に関する誤認識により、差し迫っ た原子炉格納容器ベントの必要性を感じていなかったのであり、そもそも原子 炉格納容器ベントの実施に躊躇する前提としての認識を欠いていた。

そして、同日

22

時頃になって、

2

号機について、

RCIC

の作動確認ができな いものの、原子炉水位が、原子炉水位計によれば

TAF+3,400mm

を示す一方 で、同日

22

時頃以降、

1

号機

R/B

内やモニタリングポストで放射線量が上昇 し、同日

23

50

分頃、

1

号機の

D/W

圧力を計測したところ、

0.600MPa abs

157

を示した。それまで、吉田所長は、

1

号機について、差し迫った原子炉格納容 器ベント実施の必要性を認めていなかったからこそ、

D/W

圧力の計測すらさせ ていなかったと考えられる。

いずれにせよ、吉田所長は、同日

23

50

分頃、

1

号機の

D/W

圧力を計測 すると

0.600MPa abs

を示したことを知り、原子炉格納容器ベント実施の必要 性を認め、それから約

16

分後の同月

12

日零時

6

分頃には、原子炉格納容器ベ ント実施準備の指示を出した。

かかる経過を見る限り、原子炉格納容器ベントの実施が遅れた要因は、

1

号 機のプラント状態に関する評価の誤りにあるのであって、その状況を正しく評 価した上で原子炉格納容器ベントの実施を躊躇したわけではない。

③ 次に、吉田所長から原子炉格納容器ベント実施準備の指示を受ける前から、

当直や発電所対策本部発電班は、AM用の事故時運転操作手順書やベント弁の 位置、構造を表す図面等を確認するなどして、電源喪失下における原子炉格納 容器ベントの実施に向けて準備を進めていた。

しかし、まず、全交流電源及び直流電源が喪失したため、

1/2

号中央制御室 にある制御盤において原子炉格納容器ベントに必要な弁の開操作を実施でき ず、現場において、手動で開操作を実施するしかなかった。そして、当直や発 電所対策本部発電班においては、あらかじめ定められた

AM

用の事故時運転操 作手順書には制御盤上の操作手順しか記載がなかったことから、開操作を必要 とする弁の特定、弁の設置場所、手動開操作が可能な構造か否か等について、

一つ一つ確認する必要があった。

さらに、同月

12

日未明以降、特に同日

4

時から同日

5

時にかけての頃、

1

号機

R/B

内の放射線量が異常上昇し、同日

5

時頃には

1/2

号中央制御室

1

号機 側にとどまることさえ困難であり、ましてや

1

号機

R/B

内に立ち入るには、正 に生命を賭する覚悟が必要であった。また、その頃、余震が繰り返し発生して おり、これが更なる作業上の障害となった。

また、連絡通信手段が十分確保できない中で避難区域が拡大したことによ り、福島県双葉郡大熊町内の地域住民が避難未了であることが判明し、東京電 力と福島県が連絡・協議をして、避難完了まで原子炉格納容器ベントの実施を 見合わせることになり、同日

9

2

分頃になってようやく、発電所対策本部は

158

避難が完了したと認識した(発電所対策本部には避難完了に関する誤認識が あったことにつき、前記b①参照)。

そして、同日

9

4

分頃以降、当直は、生命の危険と隣り合わせの中で原子 炉格納容器ベント実施に向けた現場作業に従事した。

さらに、S/C ベント弁(AO 弁)小弁の現場における開操作が困難であると 判明するや、発電所対策本部でも可搬式コンプレッサーの設置・接続等の検 討・調達等を行い、原子炉格納容器ベントの実施に向けて懸命な作業を行った。

このような経緯を見る限り、原子炉格納容器ベントの実施に関し、全ての交 流電源や直流電源を喪失したことを想定した準備(非常用

DG

や電源盤の設置 場所・水密性の検討、可搬式コンプレッサーの備え等)が絶対的に不足してい たという事情や、

IC

の作動状態に関する誤認識によって原子炉格納容器ベント の実施に向けた具体的作業の開始が遅れて作業環境を悪化させたという事情 があるにせよ、少なくとも、原子炉格納容器ベント実施に向けて現場作業に従 事した当直や発電所対策本部要員の意識の上で、躊躇して作業を遅らせた形跡 は見当たらない。

(6)電源復旧作業

3

11

15

37

分から同日

15

41

分にかけての頃、1号機から

3

号機ま での全交流電源が喪失するとともに、その頃

1

号機及び

2

号機の

125V

直流電源 も全て喪失したところ、同日夕方以降、発電所対策本部復旧班は、これらの事実 を順次確認するとともに、各電源設備の被害状況の確認を進めていった。その結 果、開閉所の遮断器等が落下して使用不能であったため、外部電源の早期復旧が 困難であること、非常用

DG

は、

6

号機の空冷式

DG

を除き、本体や非常用

DG

電源盤等が被水して使えず、早期の復旧の見込みもないこと、

1

号機から

5

号機 までは常用系、非常用系の高圧電源盤が全て被水しており、仮に外部電源や非常 用

DG

が機能しても電力を必要とする機器に供給できないことなどが判明した。

発電所対策本部は、電源車による電源復旧が必須と判断し、このような被災状 況の確認と並行して、テレビ会議システムを通じて、東京電力本店に対し、電源 車の早期調達を要請した。

そして、同日

16

10

分頃、東京電力本店は、配電部門を通じて、東京電力全

159

店に対し、高圧・低圧電源車の確保と福島第一原発への調達ルートの確認を指示 した。

これを受け、同日

16

50

分頃には、東京電力全店の高圧・低圧電源車が福島 に向けて出発したが、道路被害や渋滞により思うように進めなかった。

そこで、同日

17

50

分頃までに、東京電力は、ヘリコプターによる高圧・低 圧電源車の空輸を検討し、自衛隊にヘリ輸送を依頼したが、同日

20

50

分頃に は、重量オーバーにより自衛隊による空輸を断念した。

他方、同日

18

20

分頃、東京電力は、東北電力に高圧電源車を福島第一原発 へ派遣するよう依頼した。これを受け、東北電力は、高圧電源車を福島第一原発 に向けて順次出発させ、同月

12

1

20

分頃までの間に高圧電源車合計

4

台が 福島第一原発に到着した。

なお、同月

11

21

28

分頃以降、自衛隊の電源車も福島第一原発に到着し たが、ケーブル接続用のコネクターの仕様が東京電力のものと異なっていたため、

自衛隊の電源車が実際に電源復旧に用いられることはなかった。

3

11

日夕方以降、発電所対策本部復旧班は、

1/2

号中央制御室の計測機器の 電源復旧に関する検討をし、車両用バッテリーでも監視計器が復旧できるとの提 案があったことから、協力企業に対し、電源として用いるバッテリーの調達に協 力してほしい旨要請した。

そして、発電所対策本部復旧班は、協力企業の協力を得て、大型バスの

12V

バッ テリー

2

個を取り外し、更には、

6V

バッテリー

4

個を調達して、計測機器の電源 復旧に利用可能なバッテリーを確保して、同日

20

時頃までに、これらを

1/2

号 中央制御室に持ち込み、合計

24V

分のバッテリーをケーブルで直列に接続し、制 御盤裏にある原子炉水位計用の端子に接続する作業を実施した。その際、

1/2

号 中央制御室内には照明がなく、パソコンも使えなかったので検索システムを用い ることもできなかったため、発電所対策本部復旧班は、1 万ページ程度の分厚い 配線図から目的の機器を検索して、回路が成立する場所を確認した。また、ケー ブルや端子、テープ等の配線に必要な材料が発電所対策本部に見当たらなかった ため、

1/2

号中央制御室や計器室でこれらの配線に必要な材料を探して利用した。

そして、同日

21

19

分頃に

1

号機の原子炉水位計が復旧したものの、原子炉 水位計によれば、

TAF

まで約

200mm

しか余裕がなかったため、バッテリーをつ

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