第4章 学校事故の被害者補償改善の方向性 第1節 過失責任主義では不十分な補償
(1)過失責任主義のはたした役割
過失責任主義というのは、故意過失に基づ いて他人に損害を与えた場合にのみ加害者が 損害賠償責任を負うという立法上の主義であ
る。
過失責任の原則は過失があれば責任を負わ されるのだから、そういうことのないよう十 分に注意を促すといういわば、警告的な機能 をもっている。しかも、具体的過失でなく、
抽象的過失によって責任を負わせることは、
注意能力の劣っている者に一般入として注意 を要求し、その標準を高めることにもなる。
このように過失責任の原則は、間接的に責 任観念を養い、損害の発生を防止させるとい
う社会的な役割を果すことになるCり 菱の力噺…一回目pワ磁4偽♪ん漁斐閣
兵庫教育大学
10喋
故意も過失もないところには責任はないと する思想は、ユ9世紀に確立された自由な伸 張と各人の社会的活動の自由の保障とを至高 の価値とした思想に支えられたものであり、
経済政策的な側面においては、個入の経済活 動の自由の保障という理念に支えられたもの であり、近代法の特質の一つの現われとみる こともできよう。
過失責任主義が、個々人の社会的活動なか んずく経済活動を活発ならしめ、結果的に社 会,全体の発展に寄与したことは、これを否定 することはできない。また学校現場において も教師の過失責任の観点から事故を未然に防 ぐ役割をはたしていることは事実で過失責任 主義は、その意味で十分寄与している。
(2)教育活動における過失の意味
学校事故には、教師自身による作為的な不 法行為(暴行・体罰)もあるが、これは例外
というべきものであり、大部分は生徒の自招
兵庫教育大学
lOS>
行為か、いわゆる生徒間事故で、いわば教師 の不作為行為によって生ずる。
すなわち、教師、学校側の責任は教師に与 えられている注意義務を尽くさなかったとい う不作為行為によって生ずるわけである。
「過失」については、自己の行為により他 人の権利・利益の侵害が発生すべきことを認 識すべきであるのに、不注意のためそれを認 識しないでその行為をするという心理状態と 定義づけられている。
そしてこのことから支配的学説は、過失を 普通人を標準としてみたところの予見義務違 反を意味するものと解し判例の大勢は、危険 の発生を未然に防止すべき注意i義務解怠(結 果回避義務違反)と解しているが、両者は全 く異なる見解ではないといわれており、この ため、過失は普通人を標準としてみたところ の事故の発生を予見し防止すべき注意義務癬 怠であるとみられている。
このことから、事故の発生の予見または結
兵庫教育大学
lb6
果回避(予防)が事実上または社会観念上巴 可能な場合には、過失がないということにな
るIP>
(3)被害者補償へのブレーキ
学校事故の被害者が、学校設置者から国家
賠償法1条1項又は、民法709条、715
条にもとづいて損害賠償をうけるためには、
教師の「過失」すなわら注意義務違反が存す るのでなければならない。この一一般不法行為 上の過失責任主義が学校事故に適用されると き、すくなくともつぎのような困難が学校関 係者たちにもたらされることが判然としてき
た。
.被害児童生徒側から学校設置者に対し損害 賠償を訴求するにおいては、関係教師を名指 しでその過失を主張・立証しなければならな い。このことは、当該教師と教育的信頼関係 とは両立しにくく、したがって教育的信頼関 係の破綻を覚悟しなければ出訴しがたいよう
麹細鱗胃軸、籾 r17i
爪ヰ落
兵庫教育大学
ほジ 1繁、
な実情にある。 (栽判にもちこんだ事故はわ ずか3%である)
また裁判所が、現下学校における教育条件 整備状況に即して教職員の安全義務を合理的 範囲に限定し、他の一般教職員に比して特に 安全注意を怠った場合にのみを「過失」と認 定するならば、被害者側が損害賠償によって 救済される余地は、縮減されてしまうであろ う。たとえば、教師の運動クラブ指導が事故 発生と相当因果関係に立つことまでが認めら れても、他教師の同種指導に比して特に安全 に関して不注意でなければ「過失」なしとし て、学校設置者に対する賠償請求は棄却され てしまうことが判例上に示されている。
逆に裁判所が、学校事故被害者に対する学 校設置者の損害賠償による救済を積極的に行 なわしめようという態度を採るときには、関 係教師の過失を広く認定する傾きを生じ、そ れは教職員人事上の懲戒問題に対する外圧と なるだけでなく、その判決における広い安全
兵庫教青大学
1憾
注意義務の判示が現場教職員の教育活動に対 する消極的態度を招来することともなる!3)
(4)無過失責任主義
このような問題を、次のような観点から制 度改革の方向性遊考えている多くの学者がい る。そして下記のような3様の新立法の制定
を提案している。
①、学校事故損害賠償に関する無過失責任 立法
②、労働者災害補償保険法に相当する「学 校災害補償保険法」
③、公害健康被害補償法に類する「学校災 害補償法」
.学校事故は、憲法26条が保障する「安全 に教育を受ける権利」の損傷にほかならない こと、学校は、損害賠償法制の見地からは、
「特別に危険性をはらんだ施設」 (学校危険 責任論=H.ヘッケル)とみられること、な
どがこれらの薪立法の条理的根拠となろう。
彦(嫌6A二二獺広」椴悶r52・
兵庫教育大学
f Y2
西ドイツは、1971年以来、在来の過失
主義法制に代えて、前頁②にあたる「生徒学 生及び園児のための災害保険に関する法律」
(学校災害保険法)を擁するに至っている。
この法律は、学校事故を労災保険法にいう 労働災害とみなし、社会保険の制度と技術に よってその救済を図らんとするもので、国・
公・私立を問わず、幼稚園から大学に至るす べての学校事故に適用される。
教員・学校の側に過失があったか否かは関 係なく、最先端の立法として注目しないわけ にはいかないゆ
このような動きは、日本でも昭和40年代
から学校災害補償ということで全国的運動として行なわれてきた。
(a)日本教育法学会学校事故問題研究委員会
(b)学災法制促進特別委員会
(c)日本弁護士連合会入権擁護委員会
(ld)日本学校安全会(現日本体育・学校健康セ ンター)
加弓台繍鰍ジー5羅鴛擁
兵庫教育大学
1搬
(e)都道府県知事、都道府県教育委員会
(f)学災法制定に関する意見を決議した市町村
(9)日教組本部、各地区のPTA連合体
などの諸団体が内閣総理大臣、法務大臣文 部大臣、衆・参両院議長、衆・参文教委員会 委員長・理事委員、各党首に対して運動を行 なってきた。その運動は次の立法論である。
兼子 仁(東京都立大) 「学校事故の立法 論」の抜粋
「学校事故の被害者に対する、金銭的救済 は、ほんらい事故原因の究明などとは別に、
迅速かっ完全になされることがのぞましい。
そのためには、学校事故を結果的に「学校災 害」とうけとめ、そこに生じている被害に対 する金銭的補償を学校設置者とは別個に公的 に行なっていく体制が必要であろう。そして その場合には、つぎの理由から国が学校災害 被害者に対する補償責任を負うことがふさわ
しいと考えられる。
そもそも「国民の教育を受ける権利」 (憲
兵庫教育大学
] )・
法26条1項)には、安全で健やかに教育を
受ける条件整備的保障がふくまれていると解
される。 (途中省略)
国を主体として国費を主たるうらづけとす る災害補償制度こそがふさわしい。
これは、多分に社会保障的性質をも有する ことになるが学校災害補償はあくまで、国民 の教育を受ける権利の填補回復措置として、
一般の社会保障とは別立てに設ける必要があ
る。
かくして、以上の理由から学校事故の被害 者救済を完全かつ迅速に行なえるようにする ための救済立法としては、学校事故の無過失 責任原理をふまえつつ、国の完全補償を法定 する「学校災害補償法」 (三災法)を制定す ることが強くのぞまれる。その学災法は、労 働者災害補償保険法(労災法)をも越えて、
公害健康被害補償法(1973年制定)に類
する救済立法となろう。
兵庫教育大学
1ゆ a g .=7一
(5)学災法の立法化の問題点
学災法に関しては、衆議院の文教委員会等 にもかけられ審議されたがなかなか立法化さ れない。それは、学校だけが特別な場所で、
どんな事故が起ころうが無過失責任原理で国 家補償されるということは考えにくいからで はないだろうか。日本そしてほとんどの国々 は、過失責任主義をとっている。たしかに、
一部例外はあるが、例えば鉱業、または大気 汚染、水質汚濁、原子力等に関しては、無過 失責任となっているが、それは、事故が起き た場合にかなり広範囲で、多勢の人々に被害 をあたえる場合にのみ限定されている。
仮に学災法が立法化された場合、他の分野 でも国家補償が要求されることは目にみえて いる。立法化されるのは、現在のとりうる方 法としては、理想であるが、それならば、無 過失責任主義をとっているセンターの機、能を 充実し今まで通り教師の過失責任を問う形態 の方がベターである。
兵庫教育大学