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(5)城内キャンパスの整備─いわゆる戸田構想の実現

ドキュメント内 施設の整備施設の整備 (ページ 80-92)

金沢大学城内キャンパス整備計画4カ年計画のトップを切って法文学部新校舎の起工式 が、1962(昭和37)年7月21日午前10時から旧金沢城内二の丸跡の金沢大学本部庁舎(旧 陸軍第9師団司令部庁舎)前の建設地で、城内整備計画全体の地鎮祭をかねて挙行された。

また、この年の8月11日には、法文学部に引き続き、理学部新校舎の起工式が石橋学長、

川島理学部長をはじめ約80人が出席して元法文学部(木造時代)のあった建設地で行われ、

城内整備の建築工事がツチ音高く始まったのである。

城内キャンパスの整備計画は、1958年2月21日開催の第91回評議会において、戸田学 長が述べた旧四高跡地(金沢市仙石町に所在)にある理学部を金沢大学の本部がある旧金 沢城跡へ移転し、その理学部跡地を処分した資金により、理学部を鉄筋コンクリート建の 校舎に改築整備するとともに「理化学研究所」を新設し、併せて城内にある法文学部、教 育学部、教養部及び本部事務局が使用している既存の木造で老朽化した旧陸軍兵舎跡の建 物を取壊し、鉄筋コンクリート3階建ないし4階建の校舎に整備統一しようという戸田学 長の腹案、いわゆる「戸田構想」と言われるもので、金沢大学の諸施設の近代化を図る一 大構想が発端である。

この戸田構想のねらいは、自然科学の根幹である理学部を世界的水準の研究が行えるよ うに整備充実しなければ、科学技術の振興や産業技術の開発は望むべくもなく、「昔も今も、

はた将来も、理学と哲学が基礎となって社会が文化し、また文化しつつあるのである。」と いうところにあった。この学長構想は、この後学内においてその可否について論議が続け られて来たが、財源化の見通しがはっきりしないことなどもあって容易に結論を得るに至 らなかった。しかし、1960年になって金沢市の都市計画により理学部敷地の前面と左側 面が、広坂通などの拡幅のため石川県へ割譲せざるを得ないことになり、このため第1次

都市計画分の道路敷地として広坂通に面する理学部敷地の前面約1,000坪(現在の広坂通 の中央にある辰巳用水付近までが理学部の敷地であった。)を石川県へ提供しなければなら ないことになり、その支障建物の移築(その見返りに鉄筋校舎の建築が予定されていた。)を 迫られていたが、国の合同庁舎を理学部キャンパス内に新築するという新しい計画が急速に 具体化してきたため、その見返りとして鉄筋校舎を建築するという問題は白紙に戻された。

北陸財務局が計画している「金沢合同庁舎」は、金沢市内にある石川行政監察局、北陸 財務局、金沢国税局、金沢農地事務局、石川労働基準局など11官署の庁舎を統合整備しよ うとするもので、これの建設予定地について審議する第2回庁舎等調整審議会北陸幹事会 が1961年4月6日に北陸財務局で開かれた。これは金沢合同庁舎の計画が大蔵省の省議 で合同庁舎第3次計画に取り上げられたことにより1972年度予算に間に合わせるため8 月までに結論を得たいとして開かれたものである。この日北陸財務局が建設予定地として 諮問した内容は、「①金沢大学理学部の城内移転を前提として理学部グラウンドの後方の敷 地(尾山神社と宮守堀通に面した)の一部約12,000m2を建設地に当てる。②金沢美術工 芸大学を現在の北陸財務局及び金沢国税局の庁舎(現在の石川県立能楽堂付近)へ移し、

その跡地の一部約15,000m2を建設地に当てる。③現在の北陸財務局と金沢国税局の庁舎 を撤去し、その跡地に金沢合同庁舎を建てる。」とする3案で、種々審議された結果、「金 沢合同庁舎は金沢大学理学部グラウンドに建設する。」とする態度を決め、同年4月18日 に開かれる庁舎等調整審議会に諮ったうえ、正式に大蔵大臣へ答申されることになった。

なお、この会議にオブザーバーとして出席していた金沢大学事務局長から「理学部の城 内移転は、予算と財源の問題から直ちに結論を出すことは難しい。」と事情説明があり、同 幹事会は「大蔵省でも金沢大学の城内統合整備計画について予算化と財源化に協力された い。」とする条件を付けて庁舎等調整審議会へ報告することにした。(参考:北国新聞 1961年4月7日付朝刊)

このような経緯を経て、戸田構想が発表されてから満3年目を迎えた1961年に入って、

城内移転に消極的であった理学部も金沢市の都市計画問題、金沢合同庁舎の建設、さらに は理学部の城内移転に対する大蔵省及び文部省の積極姿勢もあり、急速に具体化に向けて 動き出し、同年6月8日に開かれた理学部の学部会において「教育研究に支障を来たさな いことを条件として、大学全体の発展向上ということも考え、学部会で全員一致で城内移 転に賛成ということが決まった。」ことが、翌6月9日に開かれた第7回施設計画委員会で 理学部長から報告があり、引き続き開催された第152回評議会で「理学部が城内に移転す ることを教育研究上支障を来たさない付帯条件」を付して承認され、城内整備計画につい ては関係部局及び事務局で検討することを決定した。

理学部移転に対する付帯条件

i 城内に計画どおりの施設ができ、移転が完了するまでは現在地を確保して置くこと。

ii 移転は別紙青写真(昭和36年5月22日施設課長試案)に基づき計画通り2カ年で完 了すること。

iii 移転の時期並びに方法については教育研究上の支障がないように、当該教室の意向 を尊重すること。

また、移転は最初から永久計画に基いて施行し仮移転等は行わぬこと。

都市計画問題に関しては、このような大事業を行うという点を考慮に入れて場合に よっては、その計画実施を1カ年位猶予するよう予め関係方面の了承を得て置くこと。

iv 文化財保護委員会の意向、即ち文化財保護史趾保存の立場から差し支えの有無を確 認すること。

これを受けて、6月26日に開催された第153回評議会で、次のような昭和37年度文教施 設概算要求事項(案)を決定し、併せて「金沢大学理学部移転を含む城内整備計画案に対 する条件」(前回評議会で了承された諸条件を総合的に集約したもので下記を参照)が承認 され、今後これにより文部省など関係機関との折衝に当たることになった。

金沢大学理学部移転を含む城内整備計画(案)に対する条件

昭和36年6月9日評議会決定 1.現理学部敷地及び建物を北陸財務局に引渡し、その見返りとして理学部移転を含む

城内施設を大学の計画に基き少なくとも4カ年の間に整備すること。

特に理学部は実験に支障の起らないよう2カ年以内に完成すること。

2.現理学部の敷地及び建物は城内移転後直ちに財務局に引渡すべきも、整備に要する経 費の財源がその評価額より超過するときはその超過分を国庫より支出せらるべきこと。

3.本計画実施の確定するまで都市計画による道路拡張工事の実施を延期せらるべきこ と。並びに城内整備に支障となるおそれある問題については関係先と交渉解決すべき こと。

表10−9 昭和37年度文教施設概算要求事項(案)

事    項 構 造 坪 数 備        考

工 学 部 建 物 新 営 RC 3,551 精密工学科増築 210坪

電子工学科新営 689坪

高分子工学科新営 689坪 機械工学科改築 1,747坪

工業化学科改築 216坪

附属病院第2病棟改築 RC6 1,910 厨房及びコバルト治療室を含む 学 生 寄 宿 舎 改 築 RC3 689 150名収容(女子寮)

城 内 施 設   整 備 計画中(移転)

4.第1項及び第2項について文部・大蔵両省の確実な保証を得ること。

34

10

1

 

36.4.20

分  校  法文学部  理 学 部 

 

理化学研究所  理 学 

 

 

図10−7 理学部・広坂キャンパス配置図−旧四高校舎跡 図10−6 城内整備計画(案)「戸田構想」

そして、理学部の城内移転に伴う 城内整備計画は、1962〜65年度ま で の 4 カ 年 計 画 で 延 建 物 面 積 25,000m2を総工費約15億円で完成 を目指すもので、文部省の省議で正 式に取り上げられ、1962年度概算 要求として文部省から大蔵省へ予算 要求が行われた。

1962年1月に文部省教育施設部 名 古 屋 工 事 事 務 所 で 開 催 さ れ た

「東海・北陸地区国立大学文教施設 打 合 せ 会 」 で 金 沢 大 学 の 城 内 整 備 計画が1962年度予算で正式に認め ら れ 、 初 年度 分として 法文学部約 6,270m2、理学部約5,280m2(初年 度は計画の2分の1)の着工面積が 示達された。

法文学部校舎

城内整備の最初に着工された法文 学部の建築工事は、1962(昭和37)

年7月工事に着手、翌年5月に鉄筋 コンクリート4階建、東西方向に長

さ約110m、建築面積1,559m2、延床面積6,250m2、建物の外装は白、内部の壁はクリー ム色に、教室や研究室などの扉はオリーブ色に統一し、ツートンカラーの明るく柔らかい 雰囲気を出すとともに、南北両面の開口部(ガラス窓)を大きく取り特に校舎北側からは 金沢市内が一望できるすばらしい眺望に恵まれた新校舎(1号館)が完成した。新校舎は、

1棟建築方式で横に一直線となるため、教室部分と研究室部分を建物中央にある正面玄関 を境にして建物の奥行きの約半分程度を北側の方へずらし研究室部分に静寂さを保てるよ うに工夫し、玄関から右側には主として研究室や教官室を、左側には250人収容の大講義 室1、中講義室3、小講義室など教室部分を置くように配置された。1階には庶務係、会 計係、学生係などの管理部門、講義室及び研究室の一部が、2〜4階は主として講義室と 研究室が配置され、5月中に移転を完了し新校舎で授業が開始された。この法文学部新校 舎の完成によって、旧軍隊の木造老朽兵舎ばかりだった金沢城内に初めて白亜の鉄筋コン クリート4階建の近代校舎が浮かび上がった。

その後、経済学科、大学院修士課程法学研究科及び文学研究科の新設などに伴い法文学 図10−8 木造校舎時代の城内キャンパス配置図

図10−9 施設整備完了後の城内キャンパス配置図

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