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(3)火災事故

ドキュメント内 施設の整備施設の整備 (ページ 74-79)

金沢大学では、開学以来、1957(昭和32)年5月5日に薬学部が、1962年2月12日 に分校(一般教養部)が、1964年2月9日に工学部が、また1986年1月18日に附属高校 のクラブハウスがそれぞれ全半焼する火災が発生している。

薬学部1号館出火事故

1957(昭和32)年5月5日午前5時30分ごろ、医学部構内の薬学部1号館薬化学第3 研究室付近から出火し、各研究室に多量の溶媒類が置かれていたこともあって火勢が非常 に強く、木造2階建の同研究棟(延439坪)を短時間のうちに全半焼する火災事故が発生 した。なお、この火災による損害額は、懲戒処分の「処分説明書」によれば1,206万円と なっている。火災の原因は、石川県警察本部刑事部鑑識課長よりこの出火事件の鑑定(主 に電気関係と出火の関係など)を依頼された石川県技師の鑑定によれば、「薬化第3研究室 に設備してあった電気冷蔵庫の位置と、電源の位置が適切でなかったため、コードを床上 にはわし、電気を供給していたため、コードの一部が絶縁不良となり線間短絡を発生し、

附近に引火せるもののように思料せられる。」とあり、出火原因は設置されていた電気冷蔵 庫への電線(配線)の短絡によるものとなっている。なお、この鑑定結果について、薬学

部の一教授から学長へ「関係者の懲戒処分に当り、この鑑定結果に過誤がみられる」ので 十分に再審議願いたいとする上申文が提出されており、また『金沢大学50年史部局編』第 9章の中で「この検証には今もって不明な点が残されている。」としており、薬学部内では 今なお疑念が抱かれている。

なお、火災による被害は、焼失した建物に設置されていたベッグマン分光光度計をはじ め、大型遠心分離機、大型孵卵器などの実験用機器、研究資料などは大半焼失したが、薬 学関係の貴重な蔵書類は、火災の前年に薬学部同窓会の寄付金で建てられた図書館へ既に 収蔵されていたので焼失を免れたのは不幸中の幸いであった。

分校(教養部)2号館出火事故

1962(昭和37)年2月12日(月)午後7時ごろ、城内キャンパスにある分校(教養部)

の木造2階建の2号館26番教室から出火し、同2号館(延652坪)の約半分延321.6坪を 短時間のうちに全半焼する火災事故が発生した。損害額は、建物、工作物、備品など総額 約828万円で、また、この火災による負傷者は、職員2人、学生1人と消防夫1人ぐらい が手やひたいなどにカスリ傷程度の怪我を負い、城内の金沢大学の保健診療所で手当を受 けたにとどまった。

午後6時50分ごろ、分校1号館事務部庶務係と2号館学生自治会室との間に設置されて いる連絡用ブザーが継続して鳴り響くので庶務係に隣接する当直室で勤務していた当直員 が不審に思い事情を調べるため用務員を呼びに出たところ、既に1号館と小使室の間に煙 が侵入しているのを発見した。また、同じころ、小使室を清掃していた当直の用務員も煙 が流れてくるのを不審に思い室外へ飛び出した。両人は「火事」を予測し建物の外に出た ところ既に2号館最北端の階下26番教室と同館階上の38番教室が燃えていたので、「火事 だ!火事だ!」と連呼しながら当直室から消防本部へ119番通報した。一方、これと前後 して、分校2号館と道路をへだてて城外にある金沢市外電話局(4階建)の交換手(当直 員)が4階食堂で食事をしていたところ、分校2号館の手前向かって左側から屋外へ出て いるエントツに沿って火が燃えており、間もなく2階へ燃え広がり階上に延焼しているの を発見し、直ちに3階にある休憩室へ駆け降り同休憩室から消防本部へ通報したのが第1 報である。

出火当時は、前日までのフェーン現象も同夜は収まっており、ほとんど無風状態に近か ったことや、2号館の中央に厚い防火壁があったことなどが幸いして火勢の強かった割り に被害を最小限に食い止めることができた。しかし、猛火の火の粉は、重要文化財の石川 門や周辺の金沢地方裁判所(東兼六通所在)や石川県庁付近にかけて降りかかり、一時は 周辺への飛び火も憂慮されたが、幸いにして類焼の事態は避けられた。この火災で金沢市 内の消防車30数台が出動したが、現場は城跡という高台だったため、消火栓の水圧も低く 最初に駆けつけた数台の消防車がしばらく放水しただけで水が出なくなり、また大学構内 の貯水池の水もまたたくまに空になるなど水の便が悪く、大手堀などから消防車の中継で

放水するなどしてようやく火を消し止めるという状況であった。

焼失した2号館のこの日の使用状況は、大教室(第38番教室)は、10時30分〜15時ま で、他の普通教室8室は8時30分〜12時20分まで授業に使用されていた。また、当日は、

備付けの石炭ストーブで採暖されたが、授業終了とともに用務員4名が手分けしてストー ブの灰を片付け、出火場所とみられた26番教室は15時ごろに灰を取り除いたほか、15時 30分ごろまでに使用したストーブの後片付けを終え、確実に後始末を行っていた。焼失し た建物の巡回状況は、大手門にある警務員詰所の警務員が午後5時ごろに、2号館の外周 を1回目の巡視を行ったが、その際には異常は認められなかった。この後、分校の副当直 員(用務員)が午後6時過ぎに2号館の各教室の戸締りと見廻りを終え、同2号館の出入 口4箇所の扉を締め、施錠のうえ用務員室に戻ったが、その時には異常がなかったことを 確認している。なお、授業終了後は、教室に残っていた学生はおらず、また火気を使用し た者も認められなかったようであった。

現場検証は、鎮火後に石川県警察本部、広坂警察署及び金沢市消防本部により行われた が出火原因が判明せず、引き続き2月13日午前10時から再度実地検証が行われたが、積 雪(約50cm)と焼失建物の解体を要することから中止され、翌14日(水)午前10時か らブルドーザにより建物を倒壊させ検証が行われ午後4時20分に終了した。検証の終わ った同日夕刻、広坂警察署刑事課長から中間検証の結果について口答で次のように伝えら れた。

i ストーブの過熱と断定できない。

ii ストーブの取灰を残しておいた形跡はない。取灰用のバケツが見当たらなかった。

iii 発火点はストーブの北東側3mと推定される。

iv 異物は見つからなかったが、数日そのままにしておいて数回検査したい。

その後、金沢大学から出火原因などについて照会したところ、次のように回答があり、

最終的には原因不明となっている。

i 「金沢大学分校出火に対する調査状況について」(金沢中警察署長:昭和39年4月27日 付金中刑第1064号)

1)詳細については、当時通報したとおりであり、出火原因についても、原因不明として 通報済みである。

2)その後、出火原因等について引き続き調査中であるが、現在までのところ新事実の発 見ないし聞き込みが得られない状況であり、更に捜査継続中である。

ii 「金沢大学分校出火に対する調査状況について(回答)」(金沢中警察署長:昭和42年 1月28日付金中刑第2号)

1)出火原因については、当時あらゆる面にわたり捜査しましたが、決定的出火原因を究 明することが、出来なかったものであります。

2)その後、継続捜査いたしましたけれども、出火原因を確定する新事実を発見すること が出来ないので、昭和41年12月31日をもって、一応捜査を打切りました。

工学部化学工学科及び電気工学科実験研究棟出火事故

1964(昭和39)年2月9日午前8時56分ごろ、工学部キャンパスの化学工学科・電気 工学科実験研究室棟の化学工学科反応工学実験室から出火し、木造平屋建の同棟220坪1 棟を全焼と渡廊下8坪を半焼する火災事故が発生した。焼失した建物は、工学部構内の南 側中央部に位置する南北80m弱、幅9mの細長い建物で、しかも建物の内部に防火壁が設 置されておらず(各建物をつなぐ渡廊下には防火壁が設置されていた。)、加えて油類や可 燃性の薬品が多く置かれていたことや瞬間最大風速10m、平均4mの東風が吹いていたた め火の回りが早く、瞬く間に燃え広がり全焼したもので、午前9時27分ごろに鎮火した。

工学部では、平素自衛消防隊を設置するなどして火災予防に腐心しており、また焼失建 物の周囲にも4カ所の屋外消火栓、建物内部に2カ所の屋内消火栓、各室に消火器がそれ ぞれ備えられていたが、出火当時実験のため在室していた学生1人の力では発火時の初期 消火に当たることも十分にできず、加えてこの日は日曜日で職員も少なく手薄だったこと や建物の構造上の不備により約30分という短時間で建物1棟を全焼する一因となった。

このような状況の中、出火時工学部に居合わせた職員(守衛や用務員)が屋内消火栓で消 火に努めたものの火勢が強く消火困難と判断し、屋外消火栓を操作し消火と延焼防止に当 たっていたが、到着した公設消防隊へ消火作業が引き継がれ、公設消防隊は工学部構内に 引き込まれている同学部の前を流れる辰巳用水の水を利用するなど水利がよかったことが 消火に幸いし建物1棟の焼失にとどめることができた。この火災による損害額は、建物、

工作物、備品など総額約1,264万円で、また、負傷者は、消火作業中の消防士2人がそ れぞれ足と眼に1週間程度の怪我をしたほか、実験器具を持ち出そうとした工学部の学 生4人がガラスの破片などで手足に軽い怪我をし、工学部内の保健室で手当を受けたにと どまった。

出火の原因は、出火当日の2月9日は日曜日であったが、工学部化学工学科4年次生2 名の研究グループが主任教授の許可を得て指導教官の指導のもとに卒業研究のテーマ

「液々間の抽出における塔内濃度の分布に関する研究」の実験を早朝から行うことになって いた。この研究グループのうちの1人が実験の準備を行うために午前7時50分ごろに登校 し、実験室で午前8時5分ごろに実験装置を始動させるべく電源のスイッチを入れ、その 準備に取りかかった。なお、このころ、他の1名の学生は工学部前へ午前9時13分ごろに 到着する予定のバスに乗車しており、また、指導教官は工学部へ9時過ぎに到着する予定 で登校の準備中であった。実験室へ先に着いた学生は、実験装置を始動させ、その前方で 実験装置の稼動状況を観察しつつバルブの調節を行っていたが、40〜50分ぐらい経った ころ「ピーン」という硬い物の割れるような異常音を発すると同時に実験装置のプラント

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