次に東京商工会議所が実施した『東京市内ニ於ケル小売業経営並ニ金融調査』(以下,『小売業 経営調査』と略記)をあげよう(139)。すでに筆者の論文中では,繰り返し使用してきた調査であ るが,とりあえず簡単に調査概要を説明しておく。同調査は,『商業調査書』と同様に商工省か
らの依頼にもとづき,東商が東京市内の小売商を対象として1936年1月に,1935年(または同 年12月末現在)を調査対象時期として実施した本格的な経営調査であった。当調査の正式名称 からわかるように,金融面にも力を入れていた調査である。ちなみに小売商を対象としているた め,調査票(表面)の最初の部分で,本業 小売業,兼業 小売業,其の他 といった記入欄が作られている。おそらくこの記入欄をみた店主は,一部の商品で卸売業をおこ なっていたとしても,それを除外して記帳していたと推測される。
当調査は,調査対象店数は939店であるため,『商業調査書』より大幅に少ないとはいえ,か なりまとまった店舗数を集計した調査となっている。また当調査の直後には,後述の『実地調 査』にも調査形式が踏襲されている点で,当時から重要な調査と位置付けられていた。そして当 調査は,幸運なことにその調査票が1店の欠落もなくすべて保管されており,それらを使って場 合によっては新たに最終報告書にない集計表を作成することができる。この点では,当調査が3 つの調査のなかでもっとも魅力的なものであるといえよう。いまこれら3調査の店舗数について その規模別分布を比較すると,表4
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13のようになる。この表によると,総資産が3,000円未満 の零細規模が『東京市商業調査書』71%>『小売業経営調査』26%・『金融実地調査』27% と なっているため,当調査は『東京市商業調査書』よりも相対的に小規模のデータが少ないが,そ れでもまとまった分量であり,小売商に関する貴重な情報を提供してくれる。以下では,資金(借入金)の調達内訳と問屋金融に関連した項目に絞って,調査票の形式から 話を始めよう。この関連では,調査票(裏面)の第一表と第二表が注目される。まず第一表で は,事業資金関連の項目が調べられている。すなわち借入先別に,借入金額,借入形式,金利,
期限,償還方法,保証,担保,借入目的,備考(手数料,調査料,天引額,政府の低利資金か否 か等)を記入させている。もしこれらすべての項目を詳細に記入していれば,事業資金に関して 具体的な分析が可能となろう(140)。『商業調査書』と比べて,だいぶ記入する内容が詳細になっ
表 4―13 3 調査の調査店舗の総資産規模別分布
(単位:店,%)
総資産規模 『東京市商業調査書』 『小売業経営調査』 『金融実地調査』
実 数 構成比 実 数 構成比 実 数 構成比 1,000円未満 22,059 37.6 88 9.4 18 4.0 3,000円未満 19,807 33.8 151 16.1 104 23.3 5,000円未満 7,310 12.5 138 14.7 75 16.8 1万円未満 6,067 10.4 198 21.1 114 25.5 3万円未満 2,472 4.2 243 25.9 93 20.8 5万円未満 449 0.8 59 6.3 19 4.3 5万円以上 438 0.7 62 6.6 24 5.4 合 計 58,602 100.0 939 100.0 447 100.0 3,000円未満 41,866 71.4 239 25.5 122 27.3 3,000円以上 16,736 28.6 700 74.5 325 72.7
(注) 1.階層区分は,個人小売商の資本総額(=総資産額)による。
2.『中小商業実地調査』では,上記のほかに総資産額の不明24店がある。
(資料)『東京市商業調査書』は260―261頁,『金融実地調査』は37頁の第一表,
『小売業経営調査』は個票データより谷沢が集計した。
た点は注目される。
まず借入先について『商業調査書』と比較すると,①「銀行」は3行分のスペース(3行)が 確保されたこと,②保険が「簡易保険」と「保険会社」に分離されたこと,③「商業組合」が新 たに追加されたこと,④「無尽会社」のほかに「頼母子講」が追加されたこと,⑤「生産者問屋 卸商其ノ他ノ取引先」(以下,問屋卸商と略記)では,「掛買金」と「其ノ他借入金」に分離され たこと,⑥その他から「市町村」と「親族友人」が分離独立したこと,などがあげられる。この うち①は,銀行からの借入が活発であったことを反映した修正と推測される。③の商業組合 は,1932年9月に公布された商業組合法にもとづく共同組合組織であり,おもに組合員の共同 事業,統制事業,調査事業等をおこなうなど,かならずしも金融事業を中心に据えていたわけで
はない(141)。そして1936年1月末当時では商業組合は907組合に上っていたが,「商業組合は未
だその歴史も浅く,金融を行ふものも亦少ないので金融を行ふ組合名も,その貸付金額も不 明」(142)であった。
⑤の「掛買金」とは,具体的な説明は見つけられないが,買掛金のことと推測される。この様 式は,先述のように『商業調査書』でたんに「問屋卸商」と括られただけで,そこに買掛金を含 めるべきか否かの判断が迷った問題点を改良したものであり,明らかに問屋金融の重要性を意識 して考案された新たな項目である。このような改良は,小売商の事業資金の把握という本稿の目 的にとって大変にありがたいことである。そしてこの「掛買金」は,第二表の貸借対照表の科目 では(16)「掛借リ」として個別項目になっているため,第一表で他の借入金といっしょに調査 されていても,簿記原理上では適正に処理されており問題を生じない。
ただし買掛金を借入金と合わせて記入させたとしても,同じ買掛債務に分類される支払手形 は,当調査ではいかに処理されたのかを確認しておかなければならない。残念ながら具体的な説 明は見当たらないが,少なくとも調査票(表面)の調査項目のうち「一七」,「四八」などで,仕 入にあたって手形を使用していたことを想定した項目が掲げられているため,支払手形の存在は 想定していたはずである。それにもかかわらず調査票(裏面)の第二表では「営業上ノ負担ノ種 類」という,いわば負債部門に相当する場所に,(15)「借入金」,(16)「掛借リ」,(17)「未払経 費」しかなく,支払手形を記入できる部分が見当たらない。しかも(16)の注書きでは「買!掛!代! 金!ノ未払額ヲ記入シテ下サイ」(傍点は筆者),(17)の注書きでは「営業上ノ費用中未払ノ分ヲ 記入シテ下サイ。(例ヘバ広告料,印刷代,電灯料等ノ未払分)」となっているから,一見すると 調査票(表面)とは異なり支払手形を想定していないように考えられる(なお横道に逸れるが,
(17)の費用項目はいずれも簿記上では未払金として処理されるものである)。
しかしそれはありえない話であるため,注書きをもとに強いて判断すると(16)「買掛代金」
のなかに支払手形が含まれると考えるしかない(実は,このように掛けと手形支払いを合わせた 考え方は,先述のとおり『商業調査書』でも採用されていた)。また(17)は,ほとんどが営業 上の未払金であるため,簿記上では買掛金とみなすべきである(143)。そうすると先述の第一表に
おける問屋卸商の「掛買金」とは,問屋卸商とのあいだの買掛金+支払手形を合わせた金額,借 入先「其ノ他」には問屋卸商以外の買掛金+支払手形の合計を書くべきかもしれない。いずれに しても本稿では,(15)と(16)の合計はたんなる借入金と分けて考える必要があるため,簿記 上では専門用語が付けられていないものの,便宜上「借入債務」と呼ぶことにする。『商業調査 書』と比べて,問屋金融を把握するにはだいぶ実態に近くなったといえよう。
次に「借入形式」の部分で,以下のような記入例が具体的に示されていることに注目してほし い。
「 一.手形割引 二.当座貸越 三.手形貸付 四.証書貸付
五.或ハ其ノ他如何ナル貸付ニ属スルカヲ御記入下サイ」
この5つの項目のうち,手形割引と手形貸付が別個に掲げられているため,それぞれ現在と同 じ意味で使用できるはずだ。前節の手形取引に関する議論の部分で言及したように,手形割引と 手形貸付を混同する使用法があったことを考慮すると,この調査では実態を正確に把握できるよ うになった。ただし手形割引は所有権が移転していることより,簿記上では負債とみなされてい ないため,現在よりも拡大した借入金の定義といえよう(144)。この部分は注意すべき点である が,そもそも手形を使用している小売商は多いとはいえないから,さほど神経質になる必要はな いかもしれない。
このほか借入金を,長期・短期に分ける注書きや記述もおこなわれていない。この事実は,借 入先が事務上でこのような分類をおこなっていなかったことを示唆するのかもしれない。ただし
「期限」「借入目的」を読めば,自ずとそれが短期(=運転)資金か,長期(=設備)資金かの判 断はつくはずである。もちろんこれらの項目を丁寧に記述していれば,の話であるが。少なくと も前節で,短期・長期に分けて資金繰分析をおこなう必要性を強調したが,この点に即してなん らかの処理が必要になろう。
なお第一表の関連では,同表の下半分に興味深い記入項目が設置されている。このうち注目す べき項目のみ以下にあげておく。
「(前略)
借入金ノ最モ必要ナル時期ハ如何ナル場合デスカ
( )
(中略)
近年借入条件ニ変更ガアリマシタカ(期限ガ短クナリマシタ,又ハ担保ヲ入レル 様ニナリマシタ等)
( )