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(4)教育体制の整備

ドキュメント内 第四高等学校第四高等学校 (ページ 92-104)

1886(明治19)年の中学校令に基づく高等中学校には、帝国大学への進学を目指す本 科2年と、そのための予科3年、さらに予科に入る者のための予科補充科2年という一系 統の組織が存在した。他方で、それとは別系統の組織として、分科(学部とも呼ばれた)

があり、専門実業教育を施す部門があった。第四高等中学校にも、分科として医学部とそ れに附設された薬学科があった。

このような高等中学校制度における複雑な機構を簡略化するという課題に応えるべく、

1894年6月25日文相井上毅によって「高等学校令」(勅令第75号)が公布され、これを 機に高等学校組織は徐々にスリム化され整備されていった。それに伴って、教育の在り方 も整えられていったのである。

「高等学校令」の第1条において、従前の高等中学校を新たに高等学校と改称すること が宣言された。第2条では、「高等学校ハ専門学科ヲ教授スル所トス但シ帝国大学ニ入学ス ル者ノ為メ予科ヲ設クルコトヲ得」とした。これによって、高等学校の主役は専門学科で あり、帝国大学に進む者のコースである予科はあくまで「従」ないしは「副」と位置づけ られたのである。さらに注目すべきは、第4条の「高等学校ニ於テ設クル所ノ学科及講座 ノ数ハ文部大臣之ヲ定ム」としている点である。この条文の具体化された内容については、

『第四高等学校一覧』(1894〜95年)における第3章通則の第1総則によってみてみたい。

第一条

本校ハ明治二十七年勅令第七十五号高等学校令ニ基キ同年文部省令第十五号ニ依リ医 学部及大学予科ヲ置ク

第二条

本校医学部ハ明治二十七年文部省令第十七号ニ依リ医学科及薬学科ヲ置キ大学予科ハ 同年文部省令第十八号ニ依リ第一部第二部第三部ヲ置ク

第三条

医学科ノ修業年限ハ明治二十七年文部省令第十六号ニ依リ四箇年トシ薬学科ハ三箇年 トシ大学予科モ亦三箇年トス

第四条

本校入学ノ程度ハ明治二十七年文部省令第十六号ニ依リ尋常中学校卒業ノ程度トス 第五条

医学科及薬学科ノ実習ハ石川県金沢病院ヲ以テ其用ニ供ス

この記述によって、第四高等中学校が改称されて生まれた第四高等学校は、組織として

医学部および大学予科という2つの部局から構成されたことがわかる。そして、医学部は 4年制の医学科と3年制の薬学科の2学科からなり、大学予科は第1部・第2部・第3部 に分かれそれぞれ3年制とした。また、生徒の呼称はこの時に改められて「学生」と称せ られるようになるが、入学に必要と要求された学力の程度はすべて尋常中学校卒業程度と された。医学部における医・薬学科の修業年限は、高等中学校以来変化はみられない。し かし、大学予科は高等中学校における帝国大学への進学を目指すコースであった本科課程 が2年制であったのに比べて、1年延長されて3年制となった。なお、前引の条文には記 されていないが、高等中学校において尋常中学校と同程度の教育を施していた予科3年制 と予科補充科2年制が、それぞれ廃止された。予科(予備科)が1896年に、予科補充科 はすでに1893年に廃止されていた。

ではいったい、第四高等学校では具体的にいかなる教科をもって教育を行ったのであろ うか。以下に、前掲の『学校一覧』によってみていくことにする。

医学部    医学科

医用動物学、医用植物学、医用物理学、医用化学 解剖学、組織学

生理学 病理学

内科学(理論、臨床実習、精神病学、小児病学、診断学)

薬物学

外科学(各論、臨床実習、皮膚病及黴毒病学、繃帯実習、手術実習)

眼科学

婦人科学(婦人科理論、産科理論、婦人科及産科実験)

衛生学、法医学 体操(兵式体操)

外国語(随意科トシテ独逸語ヲ四箇年間通シテ毎週二時間乃至六時間ヲ課ス)

薬学科

薬用動物学、植物学、鉱物学、物理学、化学 分析学、衛生化学、裁判化学

生薬学、薬局方、調剤学 製薬化学、薬品鑑定 体操(兵式体操)

外国語(随意科トシテ独逸語ヲ三箇年間通シテ毎週二時間乃至六時間ヲ課ス)

なお、医学部医・薬学科は第四高等学校から分離独立して、1901年4月1日官立の金沢

医学専門学校となる。

大学予科

第一部(法科及文科志望者ニ課ス)

倫理 化学

国語及漢文 動物及植物 外国語 論理 歴史 経済通論 地理 法学通論

数学 体操

物理

履修の実際については、以下のような規定があり、前掲『一覧』からそれを整理して示 すことにする。

イ 第一外国語

法科、文科ともに英語 ロ 第二外国語

法科は独逸語若しくは仏語

文科は大学の英文学科志望者は独逸語若しくは仏語、仏文学科志望者は仏語、その他の 学科志望者には独逸語

ハ 第一年

法科志望者には数学を欠く

文科哲学志望者には地理を欠く、その他の志望者には随意に数学か地理の内一を欠く ニ 第二年

法科志望者には数学・物理を欠く

文科志望者には経済通論を欠き、哲学志望者には地理を欠き、その他の学科志望者には 随意に地理か数学の内一を欠く

ホ 第三年

文科においては化学・法学通論を随意科としてその一を選修させ、漢学科志望者には第 二外国語を課せず、その時間には漢文を課す

第二部(工科及理科及農科志望者ニ課ス)

倫理 動物及植物 国語及漢文 地質及鉱物 外国語 図画

数学 測量

物理 体操 化学

履修の実際については、次のような規定が『学校一覧』にある。

イ 第一外国語 英語 ロ 第二外国語

独逸語 ハ 第三年

理科において数学・星学・物理学、化学科志望者には動物及植物・図画を欠き、動物 学・植物学・地質学科志望者には数学を欠き、農科において農学農芸化学、獣医学科志 望者には数学を欠く

第三部(医科志望者ニ課ス)

倫理 化学

国語及漢文 動物及植物 外国語 ラテン語

数学 体操

物理 第二外国語(随意科)

履修についての規定は、「第一外国語ハ独逸語トス」とあるのみである。

第1学年 第2学年 第3学年

法科 文科

倫   理

国語及漢文 6 6 6 6

第一外国語 9 5 5 5

第二外国語 5 5 5 5

歴   史 4 4 4 4

地   理 (3) (3)

数   学 (3) (3)

物   理 (3)

化   学 (3)

動物及植物 3

論   理 1

経 済 通 論 (3) 3 3

法 学 通 論 4 (4)

体   操 3 3 3 3

30 30 30 29

表1−5 第1部(法科及文科志望者)の授業時間数

注)1週間の時間数を示す。( )付き数字については、履修につい ての規定ハ、ニ、ホ参照。

第四高等学校のスタート時における教育実態 をみるために、新制度の下でのカリキュラムが いかなるものとなったかに注目してきた。大学 予科カリキュラムの変化は、修業年限の延長に よって授業時間数が大幅に増加したというだけ にはとどまらなかった。それ以外に注目すべき 第一としては、大学予科が第1部(法科及文科 志望者に課す)、第2部(工科及理科及農科志 望者に課す)、第3部(医科志望者に課す)と なり、高等中学校本科が第1号学科課程(法学 志望生に課する)、第2号学科課程(工学志望 生に課する)、第3号学科課程(文学志望生に 課する)、第4号学科課程(理学志望生に課す

る)という4コースに分かれていたものを、進学先の大学の実情に合せて、また学生の進 学の便宜も考慮して新たに編成し直した点である。

注目すべき第二は外国語についてである。大学予科としての性格上、学科目が増加した ために、各週における総時間数に占める外国語の授業時間数の割合は、大学予科のいずれ の部でも1/3〜1/4くらいである。この点からみれば、高等中学校本科の外国語の授業時間

第1学年 第2学年 第3学年

工科 理科 農科

倫   理

国語及漢文 5 3

第一外国語 8 5 5 5

第二外国語 5 5 5 5

数   学 5 4 6 (6) (3)

物   理 3 4 4 4

化   学 2 4 講 4

7 講 4 実 3 実 2 6

動物及植物 (4) 4

地質及鉱物 2 2

図   画 2 3 10 (2)

測   量 3

体   操 3 3 3 3 3

農学 27

30 30 30 30 農芸化学

獣医学 30 林学 表1−6 第2部(工科及理科及農科志望者)の授業時間数

注)1週間の時間数を示す。 付き数字については、履修についての規定ハ参照。

第1学年 第2学年 第3学年 倫   理

国語及漢文 5 3

第一外国語 5 5 5

第二外国語

羅 甸 語 2

数   学 5

物   理 3 講 4

実 3 7

化   学 4 講 4

実 4 8

動物及植物 4 実 3

体   操 3 3 3

22 21 25

表1−7 第3部(医科志望者)の授業時間数

注)1週間の時間数を示す。

数は総時間数の約半分を占めていたのであるから、外国語の授業時間数は見かけ上は減少 したという錯覚に陥り易い。しかし、第1・2部の場合、第一外国語・第二外国語をあわ せた一週間の授業時間数は、1年がそれぞれ14時間と13時間、2年と3年が双方共に10時 間ずつであり、やはり高等学校における外国語の授業時間数は異常に多いといわねばなら ない。ただ医学部進学コースとしての第3部は、第一外国語として指定されたドイツ語を 週5時間、第二外国語は「随意科」と定められていて、やや少ないようにも思われる。しか し、修業年限の延長のことを考慮すれば、必ずしも少ないとはいえないのではなかろうか。

外国語の面で特に注意しなければならないのは、前記の授業時間数のことよりもラテン 語に関してである。第四高等中学校本科では、例えば第1号学科課程(法学志望生に課す る)に週2時間ラテン語の文法・講読が課せられていた。古典人文主義のシンボルとも看 做されていたラテン語の授業が、新生の第四高等学校大学予科においては大幅に削減され、

僅かに第3部(医科志望者に課する)の3年生に限って週2時間課せられるのみになって しまったのである。ここに、我々は高等学校教育の古典教養主義から現代実用主義への変 遷ないしは転換のさらなる傾斜をみる。

注目すべき第三は(兵式)体操に関してである。この体操の名で行われていた軍事訓練 は、第四高等中学校発足時に導入され、当時は本科第1号学科(法学志望生)と第3号学 科(文学志望生)に限って、週3時間課せられていたのである。ところが、第四高等学校 のカリキュラム上では第1部・第2部・第3部の全学年に対して、週3時間の授業を割り 当てている。教育の軍事化への国家的な要請をここにも読み取ることができる。

以下に、1894年の高等学校令以後の高等学校制度に関する主要な変遷を示しておくこ とにする。96年7月、高等中学校以来の予科(予備科)が廃止された。なお、予科の下級 の予科補充科は、高等学校令の出される1年前の93年にすでに廃止されている。予科や予 科補充科が廃止されたのは、全国的な傾向として各地に尋常中学校が急速に増設され、こ れと同等の代替的な教育機能を高等学校が果たしていた必然性がなくなったからだといえ る。また、1901年4月1日付で医学部が第四高等学校から分離独立し、官立の金沢医学専 門学校となった。医学部が独立した事情は、3節の(1)を参照されたい。また、尋常中 学校数の増加に伴うだけでなく、大学側からの要請に応えなければならなかったという事 情も生じていた。それは、1897年に帝国大学が京都にも創設され、東京帝国大学と新設の 京都帝国大学が東西に並立することになったこととも深くかかわり、高等学校における大 学予科が大幅な定員増を実現して、帝国大学の拡大増加に対応しなければならなかったと いうことに外ならない。これによって、井上文相の当初の狙いと異なり、実業的な「専門 学科」を切り離し、第四高等学校は創立以来初めて、複雑を極めた制度と組織を「大学予科」

に一本化し、単純な制度構造を持つ教育機関へと変身を遂げたのである。

ドキュメント内 第四高等学校第四高等学校 (ページ 92-104)