第 8 章 大域的性質とカオス 158
8.2 二重漸近運動
8.2.2 馬蹄形写像
馬蹄形写像はカオス(chaos) と呼ばれる複雑な運動を内包している.このことを技術的な証明をぬき にして,順を追って考えてみよう.図 8.12 は相平面図 8.11 の四辺形部分を見やすく描き直した図で ある.正不安定固定点1Dに出入りしている α 枝と ω 枝の交差の様子は位相的に同じである.四辺形
R(ABCD) 内でω 枝は,水平方向に自分自身に漸近しながら何重にも走っている.垂直方向には α枝
が同様な構造で位置している.両曲線の交点であるホモクリニック点の集合はこの無限の編み目の交点 の集合である.たとえば,点H0 の軌道の一部が白丸で示されている:
H−2=T−2(H0), H−1=T−1(H0), H0, H1=T(H0), H2=T2(H0)
0 1 0 1 0 1
0 1 1 0 0 1 1 0
0 1 1 0 0 1 1 0
A B
D C
A+ B+C+ D+ A B
D C
A B
D C
(a) (b) (c)
図8.13 馬蹄形領域の写像T による像とそのコード.
不変集合の2進コード化
さて,このような構造を持った領域R(ABCD) 内のT 不変集合はどのような集合なのだろうか.実 際に写像 T と T−1 を何度かこの集合に作用させてその様子をコード化してみよう.図 8.13(a), (b), (c) はそれぞれ,長方形R(ABCD) に T を 1 度,2 度,3 度作用させてできる像と R(ABCD) の交 わりの領域(ドットで塗りつぶした領域)を描いてある.注目しておきたい事項は次の 2点である.
(1) 交わりの集合は垂直方向に平行して位置し,その個数は
# n
R(ABCD)∩Tk(R(ABCD)) o
= 2k, k= 1,2, . . . (8.29) となっている.
(2) 交わりの集合の各連結成分には,写像 T と T−1 を作用させることに対応させて「0 」と「1 」 からなるコードを付けることができる.
最初の交わりの集合 n
R(ABCD)∩T(R(ABCD)) o
の 2 つの領域に,図8.13(a) に示したように,左から「0 」と「 1 」の名前を付けよう.このように コード化して領域を区別すると,2 回目の写像による4 つの領域にもうまくコード化が可能となる.す なわち,図8.13(b)の 4 つの領域に左から次のような2ケタのコードを付ける.
• {R(ABCD)∩T(R(ABCD))} のコード「0」の領域が,T によってふたたび自分の引き延ばさ れた像と交わった領域:これをコード「00」と呼ぶ.
• {R(ABCD)∩T(R(ABCD))} のコード「0」の領域が,T(R(ABCD))でコード「1」の領域の T による像と交わった領域:これをコード「01」と呼ぶ.
• {R(ABCD)∩T(R(ABCD))} のコード「1」の領域が,T によってふたたび自分の引き延ばさ れた像と交わった領域:これをコード「11」と呼ぶ.
• {R(ABCD)∩T(R(ABCD))} のコード「1」の領域が,T(R(ABCD))で「0」の集合の T に よる像と交わった領域:これをコード「10」と呼ぶ.
図 8.13(b)の下に示した木状のコードはこの状況を表している.図 8.13(c)で再度試みてほしい.この
ようにして,集合
Rk =R(ABCD)∩Tk(R(ABCD))
は 2k 個の垂直に細長い集合であり,それらの各成分はk 個(ビット)の「0」と「1」の列として表わ すことができることとなった.いま,この kビットの0 と 1の列からなるコードの集合を
Sk= n
m
z }|k {
s1s2· · ·sk|si= 0または1; i= 1,2, . . . , k o
(8.30) で表すことにする.この集合の成分(要素)を表すコードの最初の記号mはビットの始まりを示す記号 のつもりである,ここではカーソル記号とでも呼んでおく.カーソルから写像を繰り返す順序に右にむ かってビットが増加してゆく.なお,k ビットの各コードが,元の集合 のどの位置にある成分に対応す るかは,図8.13(c) に示したビットの木を辿ればよい.
さて,T の時間正の方向への不変集合は
R∞=R(ABCD)
\∞
k=1
Tk(R(ABCD)) (8.31)
であり,これに対応して右に開いた無限ビット列からなる集合 S∞ =
n m
z }| {∞
s1s2· · · |si= 0または1; i= 1,2, . . . o
(8.32) を作ることができる.すなわち,不変集合 R∞ と右に延びた無限ビット列の集合S∞ の間に 1対 1の 対応関係を作ることができた.
次に,時間の負の方向に向かって不変集合を作ろう.図 8.14 がこの状況を示している.もはや作り 方は明らかであろう.今度は水平方向にスライスされた集合ができる.集合
R−k =R(ABCD)∩T−k(R(ABCD)) に,左へ順次延びる kビットのコードからなる集合を対応させよう.
S−k =
nz }|k {
s−k· · ·s−2s−1m|si= 0または1; i= 1,2, . . . , k o
(8.33) これには,カーソルから左に向かって T−1 の繰り返しの履歴が記録されている.負の時間に対する不 変集合は,したがって
R−∞=R(ABCD)
\∞
k=1
T−k(R(ABCD)) (8.34)
1
1 0
0
1
0 0 1 1 0 0 1 1 0
01 10 01 10
A B
C D
A -B -C -D
-A B
C D
A B
C D
(a)
(b)
(c)
図8.14 馬蹄形領域の写像T−1による像とそのコード.
であり,
S−∞=
nz }|∞ {
· · ·s−2s−1m|si= 0または1; i=−1,−2, . . . o
(8.35) とコード化される.
以上のことから,領域 R(ABCD) 内の T 不変集合は R∞−∞ =R(ABCD)
\∞
k=1
Tk(R(ABCD))
\∞
k=1
T−k(R(ABCD)) (8.36)
であり,この集合は左右に無限に延びる 2進コード集合 S−∞∞ =
nz }|∞ {
· · ·s−2s−1m
z }| {∞
s1s2· · · |si= 0または1; i=±1,±2, . . . o
(8.37) と 1対 1に対応することが分かった.
A B C D
A-D- C-
B-a b d c
a- d- c-
b-1
0
0 1
図8.15 写像T による馬蹄形領域内の点の動き.
コード上の力学系
最後に見ておかなければならないことは,不変集合 (8.36) 上の T による点の運動が,コード集合
(8.37) 上にどのような運動を引き起こすかという対応関係である.図 8.15 を参考にこれを考えよう.
図には R(ABCD)と T−1(R(ABCD))を描いてある.T−1(R(ABCD))の下半分A−a−d−D− は写 像 T によって丁度 AadD に写され,T−1(R(ABCD))の上半分C−c−b−B− は CcbB に写されるこ とがわかる.これは T−1(R(ABCD)) の,R(ABCD) からはみ出している部分 a−b−c−d− をうまく 選べば,abcd に不変集合が含まれないように実現できる.このことをコードの動きでみると次のよう に言える.
(1) 領域 A−a−d−D− に含まれる不変集合は,コード
· · ·s−20ms1· · · で表され,写像 T を 1度作用させることにより,コード
· · ·s−2m0s1· · · となる.
(2) 同様に,領域 C−c−b−B− に含まれる不変集合は,コード
· · ·s−21ms1· · · で表され,写像 T を 1度作用させることにより,コード
· · ·s−2m1s1· · · となる.
したがって,いずれの場合もコードの集合での運動は,カーソル m を左に1 ビット移動させる作用の 像として表される.あるいは,カーソルが止まっていると考えるとビット列が右に1ケタだけシフトす ると言ってもよい.このカーソルを移動させる写像をずらし (shift) の写像 σ と呼ぶことにする.すな わち
σ: S−∞∞ →S−∞∞ ; s=· · ·s−2s−1ms1s2· · · 7→σ(s) =· · ·s−2ms−1s1s2· · · (8.38) を定義する.すると元の力学系 (T, R∞−∞) ,すなわちR−∞∞ 上の T による運動は,コード集合の力学
系 (σ, S−∞∞ ) ,すなわち S−∞∞ 上の σ による運動を用いて調べることができることになる.後者は記
号力学系(symbolic dynamics) と呼ばれる力学系の簡単な例となっていて,多くの結果が知られてい
る.次の小節でそのうちの幾つかの性質を紹介する.その前にカントル集合 (Cantor set) とそのフラ クタル的性質を概観しておこう.
カントル集合とそのフラクタル構造
図 8.13や8.14 で構成した集合は,位相的にみるといずれもカントル集合と区間の積集合と同じ構造 を持っている.したがって式(8.36)の積集合はカントル集合の直積と位相的に同じであると言える.
カントル集合 (Cantor set) C とは閉区間 I = [0,1]から次の操作で作られる集合である.まず,真 ん中の 3 分の 1の開区間 (1/3, 2/3)を取り除く.残った2 つの区間{[0,1/3],[2/3,1]}に同様な操作 を施し,4 つの閉区間{[0,1/9],[2/9,1/3],[2/3,7/9],[8/9,1]}を残す.これを無限回繰り返して,残っ た集合がカントル集合 C である.
この作り方から,式 (8.31)や式 (8.34) で作った集合は,カントル集合× 区間と同位相となってい ることが容易に分かる.
さて,カントル集合はおもしろい性質を持っている.開集合の和集合を取り除いたので,C は閉集合 であり,C のすべての点がその集積点となっている.すなわち自己稠密(dense in itself) な集合であ る.閉集合であり自己稠密な集合は完全集合とも呼ばれている.ところが区間 [0, 1]の点集合としてみ ると,至るところ稠密でない.C には区間は含まれず,いわば境界集合ばかりを寄せ集めた隙間だらけ の集合と言える.
先に考えた無限ビット列からなる集合(8.32) ,(8.35)や (8.37)は,カントル集合やその積集合と位 相的に同じコードの集合を構成したのであった.ただ,ポアンカレ写像 T で写される像の位置の関係 から,構成したコードはカーソル以下の数字を2 進数と読んだ場合,順序が大小関係とは一致しない対 応づけとなっている.
3 進数
t= t1 3 + t2
32 +· · ·+ ti
3i +· · ·, ただしtは0または2とする (8.39) を用いてコードの集合:
S={mt1t2· · · |ti= 0または2; i= 1,2,· · · } (8.40) を構成し,カントル集合C と対応づけると分かりやすい.このコード集合を用いると積集合 C×C と C が位相的に等価であることやC から区間[0,1]への連続関数を簡単につくることができる.これは,
100 010
001 011
110 101
0
1 01
10
図8.16 固定点,2, 3周期点とそれらのコード.
写像
f :S×S→S; (ms1s2· · · ,mt1t2· · ·)7→ms1t1s2t2 (8.41) g:S→[0, 1]; t=mt1t2· · · 7→g(t) = 1
2 µt1
3 + t2 32 +· · ·
¶
(2進数) (8.42)
から分かるであろう.
最後に,カントル集合 C は空でない閉部分集合と 1:1 に対応づけできる.これはコード集合で考え れば,最初のnビットを省略したコード集合が最初のコード集合と同じ構造を持っていることから理解 できる.各部分が全体と同じ構造を持つ図形や集合は入れ子(nest) になった,あるいは自己相似(self
similar) な図形や集合と呼ばれている.入れ子構造の図形はフラクタル(fractal)図形とも呼ばれてい
る.カントル集合はフラクタル集合の例である.