第 4章 :預 言者像 と民衆思想 の展 開
第 2節 :「 預言者」と 「民衆」
『 聖書朝鮮』編集人の金教臣と同人たちは、内村を「世に二人といない私の先生」であり、「真 の福音の理解者」として見ていた。そのような内村の「預言者」的な生き方は、主に『 万朝報』な ど新聞による言論活動に現れているЮ。ここでは、内村における「預言者」像が成錫憲の「預言 者」と「民衆」と、どのように関わっているかについて述べる。
(1)内 村鑑三における 「預言者」
内村 は『 万朝報』(1898年 5月 22日)「退社の辞」に、万朝報を去るとは言え、この社会と和睦 しようとするのではなく、「尚ほ戦闘を継続せんと欲する者なり、只其攻撃の方面を替へんと欲 するのみ」と言つている。また、「余には余の方面より余の生まれ来り此国土に尽くすべき義務と 権利 とを有す」と国 に対する愛を述べている。したがつて、ここで最も語るべき点は内村の預言 者 的生き方である、と言えるИ。
明治憲法 において、信教の 自由は「安寧秩序ヲ妨ゲス、及 臣民タル義務二背カザル限リニ於 イテ」限られている。教育勅語が発布 された後 は、より狭い意味で解釈 されるようになり、反キリ スト教グループの主唱者たちは、キリスト教の普遍的な愛の教義は、勅語の「忠孝」とは相容れ ないものであると強調した。その一神教的信仰 は、皇室の敵であるとみなされ、キリスト教とその 価値 体 系は、国体 と相反するものであると批判 されたのである。このようにして、天 皇 に対する 忠誠 を教える神道 は、反キリスト教 の中心となった。このような状況で、一時期 は順調 に見えた キリスト教会の成長も、停滞を余儀なくされるようになつたのである。このような中で、内村 が天皇 展署 の教育勅語 に対する敬礼を拒否 した。若かつた内村 は、国家と対立するつもりなどなかっ たかも知れないが、内村 の「不敬事件」は国家宗教 としての神道 と、キリスト教の対決 の象徴的 な始まりとなった。ある意味で、内村とキリスト教 は 1889年に始まるナショナリズム復活の中で、
スケープゴートの役割を強いられた、という見解もある。また、より長い眼で見ると、内村 は軍国 主義へと走るその後の 日本 に対する警告者であり、預言者であつたと言うことができる。
内村 は札幌農 学校でのクラークの改宗のすすめによつて、「イエスを信ずる者の誓約」に署 名 をした第 1回 目の回心(1878年)で、多神教 である神 道の熱 烈な信奉者から一転 して、唯一 神信仰 に転 じるようになる。『 余 はいかにして基督信徒 となりしか』の中で、「キリストと彼の使徒 たちからは如何 にして、余の霊魂を救うべきかを学んだ、しかし、預言者たちからは如何 にして 余の国を救うべきかを学んだのである」、と言つているように、内村 は預言者として、どのようにし て国を救うべきかを考えていた。そして打ち出された内村思想 の中心は、「日本の天職」であっ た。「天然 、歴史、聖書の啓示の三 鼎 足」であり、日本の地理はヨーロッパとアジアを媒介 し、世 13新 堀邦司、前掲書、9頁。
14道家弘一郎「第6巻について」月報第2号『 内村鑑三全集』第6巻、岩波書店、1980年、6頁 。
界の平和を作るのが、世界史 における使命である、と理解するようになつたのである晰。
「日本の国民性と日本の歴史とは、宇宙の造り主によつて与えられているという認識と、キリス ト教は各 国民 に与えられている異教を聖める力であるという認識 があり、日本の天職 の国民性 を持つてキリストを受 けることによって、神 の御 心の行われる日本 と世界を造ることが、日本の世 界史的使命であり、この使命 の中心に 自分が立っている」16、 とぃぅ日本の世界史的使命 と共 に、
その責任者としての内村 自身の使命 の 自覚が記されている。特 に、著書『 日本 の地理 とその天 職 』では 日本 が「宗教」という天職 によって東西文 明の仲介融合を計 り、アジアを開いて欧米を も照らすべきであることが主張されている。アメリカ滞在 中にも機会あるごとに、内村 は 日本 と日 本人の長所をアメリカ人 に伝 えることを心かけていた。
1895年当初 、英文で書かれた『 日本及び 日本人』が 1908年には『 代表的な 日本人』と表題 を変え、日本語で出版 している。著書では 日本の優れた人物として西郷 隆盛、上杉鷹 山、二宮 尊徳 、中江藤樹、日蓮上人の
5人
が紹介されている。優れた素質を持つ 日本人がキリストを信 じることによって 日本 的キリスト教が生まれ、日本の天職を果たすことができるという内村の希望 が主張されている。その代表的な 日本人の5人を挙げる際、彼 は「日本の………預言者であっ た」という表現を用いていることは注 目すべきである。例えば、19世
紀の初め、日本 の疲弊して いた道徳 の貧 困を打開するために生まれた人物として二宮尊徳 を挙げている。尊徳 が夏 に茄 子を口にした時に秋茄子のような味がしたことで「太陽が既 にその年の光を使 い尽くした」ことを 知り、その年の凶作を予言した、と言う。尊徳 は直ちに、その年の米不足を補うために、家 に1反 の割合でヒエを蒔くように村人 に命令 した。そのため、次の年 になって近隣地域はことごとく凶 作だったが、尊徳が治 めていた3村 では、食料不足で苦しむ家 は一軒も出なかった。このように 物事 に対 して誠実 に生き、前もつて知ることができた尊徳 を内村 は「預言者であった」と指摘し ている17。 また 日蓮上人の場合 は、首府 に入つた一介の田舎僧 の 日蓮をローマに入つたルター に例えている。日蓮が予言の通り、末法の世はすでに到来しており、新しい時代 に光をもたらす には新 しい信仰が必要だという期待を持つたことに触れている。「私は取る足 りない一介の僧侶 です」という自覚を持ちながら、権力者 の本 間重遠 に「しかし、法華経を広める者 として、私は釈 迦牟尼の特使であり、特使 としての私の右 には梵天が、左 には帝釈天が仕え、日は私を導き、月 は私 に従 い、この国のあらゆる神 々は頭を垂れて私を敬います」と正しい法の担い手である 自分を迫害する国に対して、崇高な怒 りを発したことを高く評価している18。 このように、内村 はこ れまでの 日本の歴 史の中で道徳 的、人格的に優れたこの
5人
を日本 に生きた「預言者 」として 位 置づ けしていることに何 の躊躇もないのである。それ に併せ 、今後 、優 れた素質を持 つ 日本 人がキリストを信 じることによって 日本 的キリスト教が生まれ、日本の天職を果たすことができると しう希望を生涯持ちつづけていた。15岩島公『 明治神宮からキリストヘ』、キリスト教図書出版社、1988年 、202〜205頁。 16岩島公、前掲書、206〜207頁。
17内村鑑三『 代表的 日本人(Representat市e Men ofJapan)』、講談社インターナショナル、1999年 、158頁 。 18内村鑑三、前掲書、222〜254頁。
また、内村は武士道こそ 日本 における福音の前 史的武 士道の中に 日本独 自なものとして世 界歴 史に貢献できる普遍的な価値を含縮 していると見た。武 士道 にピューリタニズム的キリスト 教が接ぎ木 した「武 士道 的キリスト教」が 日本を救うことができると理解していた19。 1888年 にアメ リカから帰国した内村 は、まず教育界でその志を遂 げようとした。ところが、就職 したキリスト教主 義学校で 日本 文化 に無理解な宣教師 11人 と対立し、4ヶ 月で学校を追われ、第1高 等 中学校 の嘱託教員 となった。しかし、それも在職わずか 4ヶ 月で「不敬事件」が起こり、職を奪われ、妻 を失い、教育によって国へ奉仕する道が閉ざされた。そこで、今度 はジャーナリストとして『 六合 雑誌』や『 基督教新 聞』に寄稿 し、徳 富蘇峰の『 国民之友』に文を発表する傍 ら、著書『 基督信 徒のなぐさめ』、『 求安録』などを著述する。やがて、1897年 には万朝報社 に迎えられ 、日露戦 争 直前の 1903年 に非戦論を唱えて、幸徳秋水と堺利彦などの社会主義者と共 に退社するまで
は、英文の記事を書いて自ら『 東京独 立雑誌』を主宰する社会評論家・伝道者 として活発 な活 動を展開していつた。1903年 に発行された『 失望と希望』には、日露戦争の始まろうとしている 只 中に失望の中から預言者エレミヤが見た希望が語られている。
「日本 は、今暗黒であり、光がない。エレミヤの言葉を借 りて泣こう。しかし、日本 国の現在の 腐敗 は、復活の兆候である。では、どこに希望を見出すのか ?日 本 はキリストを受 け入れるこ とによつて、西洋 と東洋 とを結ぶ使命 を果たすことができる。今 は少数であるが、日本 の外形 的 国家が一時滅 びた後 に、キリスト者 が霊となり、竜となって立ち上がり、この国を永久の基 礎 の上に据え、東洋と西洋を結んで世界を一つにする20」。
内村の 目に、日本の現実はあまりのもおぞましく映り、一つとして憤 りの種 とならないものはなか った。最初の民党内閣の互いの足の引つ張り合いで瓦解する。この過程で起こる「共和演説事 件 」は国の生命 をむ しばみつつある根本的疾患の徴候であり、挙句の果ては『 未謙人糞事件』
の泥仕合 となる。軍備増強は、地租増徴をはじめ相次ぐ増税法案の可決となつて国民生活を 圧迫する。その結果 、「国家は一時滅亡に帰する」という鋭い洞察力で予言した21。 内村 は預言 者 的 立場から絶対 主義的権力体制と資本 主義経済発展を追求する明治政府 に対 し、「正義」
と「平民」の概念 に基 に、『 万朝報』、『 東京独 立雑誌』を通して痛烈な社会批判を繰 り広げた。
戦争 と領 土拡張は興国の道ではなく亡国の道であり、正義 は国家より大きな概念で国家の基 礎をこの正義の̲上に立てる国こそが永遠 に繁栄するというのが彼の確 固たる信念であった。ここ で言う内村の「平民Jとは、道徳的・宗教的な概念で、神 によつて全人格的な変革を通して 自由 と独立を与えられ、II義で真理を追究していく「預言者的人間」を意味する。このように預言者と しての内村 は祖 国に対 して祖 国の弱点をつく者であり、アメリカをはじめとするいわゆる当時の キリスト教諸 国に対しては、いわゆるキリスト教的な文明を保持 している国ではあつても、キリスト 教信仰 に基づいている信仰の模範 国とは言えないと厳しく批半Jした22。
Ю 内村鑑三『 代表的な 日本人』全集第2巻、124頁。 20岩島公 、前掲書、210〜212頁。
21道家弘一郎 、前掲書、9頁。 22小原信 、前掲書、28頁。