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第 5章 :「 受難の女王」を中心とした苦難の民衆史観

第 2節 :「 受難の女王」解釈の推移

聖書の「産みの苦しみをする女Jが、どのような文脈で用いられ、それが成錫憲 においてどのよう に示されたのか明らかにして来た。それでは連載論文が『 意 味からみた朝鮮歴 史』にまとめられた 以降、成 錫憲が講演会でよく用 いた「産 みの苦しみをする女」は、彼 の「受難 の女王」モチーフと、

どう関係 しているのか考察してみよう。言 い換えれ ば、苦しむ「女」と、苦しむ「女王」とはどのように 関係 しているのかということである。

結論から言うと、成錫憲 においてこの両者 は同一線上 にある。つまり、歴史の道端 に座る老いた 娼婦 である「女」とは、実は「受難の女王」であり、成錫憲 において苦しむ「女」は同時 に苦しむ「女 王」なのである。成錫憲は、「女」と「女王」を区別して論 じたというよりは両者を同一のものとして論 じた、と捉えることができる。すなわち、「苦しむ女」はいつしか「受難の女王」として昇化されるという ことを示している。そして、その昇化こそが読者である私たちが 目指し進むべき道なのである。

ここでは、「受難 の女王」に関する成錫憲の引用とその置かれていた状況を年代 に分 けて考察 する。また、連載論文執筆した時から、1970年代以降のシアル思想 萌芽までの間に、彼の中にど のようなオリジナリティが加 えられたのか取りあげる。まずは、1950年代である。この時期 は削除さ れた連載論文が補われ、国の独立(1945年)、 6・

25戦

争(1950〜

53年

)の経験が増補 され著書

『 聖書的立場から見た韓 国の歴 史』が発行 された。歴 史の担い手が「民衆」と表記 された時期であ る。第2は 、著書のタイトルである「聖書的立場から」と書かれていたものが「意味から」へと変えて発 行された時期である。この時期 には 1965年を契機 に「民衆」の表記が「シアル」となっている。第3 は、1970年代である。この時期以降は、歴史の担い手である「シアル」が人々がよりなじみやすいと いうことで「民衆 」へ と戻つている。それでは、著書 における「民衆」表記の推移 と共 に「受難 の女 王」の引用がどのように変化 していつたのかを考察する。

(1)1950年 代 :『 聖書的立場から見た朝鮮の歴史』期

国が解 放 され 、韓 国政府 樹 立 の翌年 である1949年、成 錫 憲 は梨 花 女子 大学 生 に国を愛す るこ と、自分 の 中にある美 しさを見 出す ことを勧 め、あのロダンの彫刻「娼 婦 だつた女 」を引き合 い に出 した。「美 しさにつ いて」の講 演 で、彼 は女性 の美 しさは物 ではなくその心遣 い 、その魂 の美 しさで あると次 のように語 つた。

「愛する友よ、あなたがたの名 前 は韓 国ではないか。あなた方 は梨花 という園の娘ではなく、むく げの 山の 山守 なのだ。この 山を守 りなさい。手入 れ をしなさい。この 山園の女 王 になりなさい。神 があなた方 をこのいのちの大行 列 の通 りゆく大通 りの道傍 に座 らせ たのではないか。¨¨¨倉J造 の時からあなた方 の名 は女 王ではないか。………自分 自身こそは美 しいものではないか。あなた 方 の胸 の 中に、あなた方 の 肉の 中に、あなた方 の瞳 の 中や 、あなた方 の声 の 中に、あなた方 自

身 の 中に入れ られている美 しさをなぜ 忘れた?なぜ 皆 、売り捨ててしまい奪われてしまったの か ?… ……あなたがたはあの有名なロダンの彫刻「娼婦だつた女」を知らないのか

?西

洋文化 と 言 えば、何を売つても買おうというあなた方なら、それは知っていなけれ ばならない。私 はあなた 方 を見る時 にはいつも、それを思い出す。韓 国よ。あなたは若 いと言うけれ ども、どこが若 いの か?あなたは美しいと言うけれども何が美しいにか?あなたは処女だと言うけれども、どこが処女 なのだ?中国、日本 、ロシア、アメリカがあなたの歴 史を物語つているのではないか?今 日は、こ ちらへ売 り、明 日はあちらへ売る間に、あなたは年老い、老いばれてしまつたのであって、純潔な どどこにあるのか ?ど こに真の愛などあるのか。どこに本 当の暮らしがあるのだ。人生を遊び暮 ら したのではないか?あなたの心が汚れてしまって、大切な唯一の宝を忘れ、売り払い、娼婦 にな つてしまったので、あなたからすべての美しさは皆、抜け出てしまった。¨¨¨あなたの心の中か ら虚栄心を捨てなさい。・¨¨0あなたは永遠の若人、栄光の君を愛して天の縁 に立て。経って望 み見よ。そうすれ ば新 しい時代の主人公があなたの腰から雷のごとく放射されて出来るであろう」

37。

また、成錫憲 において「考える民でこそ生きられる」という思索は、連載論 文「聖書的立場から見た 朝鮮 の歴史」に韓 国人 に物事を深 く掘 り下げることの大切さを力説していた箇所の思索から出てい る。『 聖書朝鮮』67号(1934年 8月)「朝鮮の人」には、

「宗教史から見る時、どの民族もその原始宗教がやがて高尚な宗教に発達するのは、道徳的に 哲学的 に深 く考え、修練し、体験することによつてであるが、韓国においてその固有の宗教が堕 落してしまったのは、そうした力が不足していたからである38」

と、物事を掘 り下げる性質、考える力がないために儒教、仏教、キリスト教などすべての宗教が民衆 を救うことができなくなった、と批判している。それに続く、「朝鮮の民族が負っている二つの荷は何 か」の部分が検 閲 により削除されている。しかし、連載論 文を著作化 し、削除された部分が増補 さ れた改訂版 には、1934年当時削除された部分が次のように補われている。「一つは他が与える悪 法であり、もう一つは己を捨てたものに与える神39の審判である」40。 っまり、物事を深く掘り下げるこ とで 自分を知るようになり、そこから自尊心が芽生え、自ら行動しようとする自由精神が生まれるが、

私たちはそのことが出来なかったために、他 が与える悪法の下に置かれており、それは神からの審 判 なのであるということである。この「自ら行動する自由精神 」は、後 に著書『 考える民でこそ生きら れる』のタイトル になり、また「行動する民衆」は同じく著書『 自己革命する民衆でこそ生きられる』に なったほど、シアル思想の核心的なものになっていく。この認識より、歴史が国の歴史ではなく民衆

37「美しさについて」、1949年 、梨花女子大学での講演、日本語訳は曹亨均『 韓国のガンジー、成錫憲の基本思 想』、235〜238頁

38成 錫憲「■月召 ¶せOllバ 暑 二社qスト『 聖書朝鮮』第」 67号、1934年 8月。日本語版では成錫憲『 苦難の韓 国民衆史』、新教出版社、98頁

39ここで言うハナニムとは、もとより朝鮮古来のハナニムと同一の神ではなく、キリスト教の神を指している。しかし、

古来の天人合一の思想とキリスト教の唯一神思想の融合から人格神としての意味を含む語として成り立つので 日 本語の「神」とは異なった意味を持ち、そのままハナニムを用いる(金学鉱『 苦難の韓国民衆史』、381〜382頁)。

40咸 錫憲『聖書的立場から見た朝鮮の歴史』、1950年:SeOul、 77頁(咸錫憲『 苦難の韓国民衆史』、新教出版社、

98頁)。

の歴 史であって、そのためには民衆 自らが 自分たちの胸の中にそれを求めて行く必要があるという

「シアル思想」の萌芽が始まつている。そして、ついに歴史を宗教史の中で捉え、「民衆」自らが考 え行動して行くことを促す「シアル思想」を提唱するまでに促されて行くのである。成 錫憲 は 1958 年『 思想 界』8月 号 に「考 える民でこそ生きられる」という次 の文 章を発 表 し、社 会 に大きな波紋 を引き起こす。

「私たちは 日本から解 放 されたが、実 際 、何も解 放 されてない。解 放までに上 に立つものが 一 つ であつたものが、今 は二つ 、二つもある。日本 の支配 下では奴隷 の生活 をしたとしても、

兄弟 が一 つ の屋 根 の下 に住 み 、往 来 が 自由であつた。しかし、今 は親 子 が南 北 に分かれ 、 さまよう国 になった。この状態 を 自由と呼ぶ ことはできない。未 だ解 放 され てないのだ。韓 国 は北朝鮮 を『 ソ連 、中国の操 り人形 だ』と言 い、北 朝 鮮 は韓 国を『 アメリカの操 り人形 だ』と言 うが、他 人か ら見ると、この国 にいるのは操 り人形 だけで、国として成 り立ってないのだ」41。

このような文章 は、成 錫憲でなけれ ば書くことができなかつたであろう。この文章 によつて、彼 は

20日

間投獄 される。この国家主義の下では、一般市民は成熟できない。かえつて、競争をあおる 傾 向にはたらく。人 々が 日々、生きるため忙 しく、考えることをしないのは 自ら死を招くようなもので あると、考えることをしなくなった現代人 に警鐘を鳴らした。

1950年 代の殆どの韓国キリスト教は、政治と宗教癒着をしていた時期である。李承晩大統領がメ ソジスト教会の長老であったことから、教会は色 々な面で優遇された。しかし、成錫憲はそのような 政教癒着 に強い懸念を示す。それは李承晩大統領が長期執権のために、自分の政敵を暴力的な 手段を通して維持 していったからであった。

成錫憲の穂連載論文における特徴の一つは、その民衆観であった。彼 は韓国政府樹立後、『 聖 書朝鮮』連載の当時、検 閲削除されていた部分を補完し著作『 聖書的立場から見た朝鮮 の歴 史』

(1950年)を発行する。注 目すべき点は、連載論文第80号(1935年 9月 )に掲載された「十五 .再 顛落」に、「カトリックに課せられた朝鮮史の課題が果たせなかった」と書かれた連載論文の箇所で ある。1950年版 以降は、この箇所の後 に民衆を代表 して起き上がった「洪景来(ホンギョンネ)の革 命 」が加 えられ 、「私たちには彼がどのような計画があつて、また革命の動機がどのような高い精神 を持っていたかわからない。真 の革命家か、単なる野心家であったのかそれもわからない。しかし いずれ にせよ、彼 が抑圧 された民衆の代表者であり、幾百年もの間、縮まつていた生命が一度 に 動き出そうとする反抗であり、虐待 された魂が爆発 したものであることだけは間違いない42」となって いる。1954年版 は、1950年から

53年

までの韓国戦争を経て出版された。そのため、「解放」、「6・

25戦争」の歴史的な出来事が加 えられた増補版が発行された。

41成錫憲「■4■セ ストせ01■0卜 せ■(考える民でこそ生きられる)」『思想界』8月:SeOul、 1958年。 42成錫憲『聖書的立場から見た朝鮮の歴史』、星光出版社、1950年、238〜239頁。