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前の第1節 では、『 聖書朝鮮』に寄稿された成錫憲の論文を前期、中期、後期に分け、それ ぞれの主な内容と傾向について考察した。第 2節 では、連載論文「聖書的立場から見た朝鮮の 歴史」の構成や内容を明らかにし、彼の思想がどのように展開されて行つたのかを考察する。成 錫憲が連載論文を通して最も主張したかつた点は、厳しい検閲により削除されたため、読者は 彼の主張点を読み取ることができなかった。それが、韓国解放後『聖書朝鮮』を大切に保管して 20金 教臣『金教臣全集』第7巻 ,290舌。

21徐 正敏(月■■;ソジョンミン)「聖書朝鮮事件に対する新しい理解」『 キリスト教史学』第64集、日本キリスト教 史学会発行、2010年7月141〜142頁 。

22『聖書朝鮮』第141号,1940年 10月、裏表紙。

23成 錫憲「誌友鋼諸兄弟詈Oll刻『 聖書朝鮮』」 ,1941年 7月号。

いた一読者により、一冊にまとめられ、削除部分が補完された。その後、著書として出版される ようになったのである。

(1)連 載論文の構成

『 聖書朝鮮』が開催 した第2回冬季修養会(1933年 12月 30日 午後7時)に、各地から大勢 の人が参加 した。この年 、ようやく集会場 に恵まれ、宋斗用の 自宅で行われた。この時の 目玉は、

成 錫憲の講演「聖書的立場から見た朝鮮 の歴 史」であった。その様子を金教 臣は 日記 に記 し た。

「午後 7時より成錫憲氏の『 聖書的立場から見た朝鮮の歴 史』第 1講。歴史理解 、史観 と聖書 的史観 、世界史の輪郭など諸分野にわたり、

3時

間に及ぶ講演であったが、講演者も聴衆も それほど長い時間には感 じなかった。むしろ早く終わってしまったように思えた。朝鮮 の歴 史 をあらわした歴 史家 は数 多くいたが、誰もが統治する側 に立って語つていた。この 日の成錫 憲のように、民衆の立場から朝鮮 の歴史を語つた者 はいなかったのである。成錫憲は前人未 踏 の境 地 に足を踏 み入れた。講 じる者 と聴 く者 の双方が、時間の経過 を一瞬のように感 じた ほどであつた。この講義で、前人未踏の境地 に一歩を踏み出し5千年 に及ぶ新しい歴史観 を 提示したのだが、これを聞いた者 は朝鮮 人 口

2千

万人の内20人にも満たない。これを読ん だ者も200人に及 ばない。ただ、その講義のす ばらしさを心に刻む他なかった」24。

このように、成錫憲の講義はその初めての披露時から大きな注 目を浴びた。冬季修養会で成錫 憲の講義を聞き、連載論文の読者 の一人でもあつた李賛 甲(朝を社 イチャンカップ)は大きな影響 を受け、後 に歴史教師になったほどである。この経験を李 は次のように回顧している。

「私が最も大きな影響を受けたのは、成錫憲の『 聖書的立場から見た朝鮮の歴史』である。こ れ はキリスト教的な立場から書かれているが、実は道徳 史観 である。民族の歴 史に対する審 きが道徳 的 に行われるという内容だつた。また、彼 は私たちの歴史を道徳 的に堕落した道端 の娼婦 というふうに悲観 的に見た。ロダンの彫刻 に『 老いた娼婦』に喩 え、その中に『 美』があ ると指摘し、神 による人類の救いは、苦難 の象徴 とも言えるわが民族 によつて成就されるので はないか、という希望を吹き込んだ」25。

成錫憲が民族 の受難 を掘 り起こし、その道徳的堕落を厳しく叱咤 したにもかかわらず、「希望を 吹き込む」役割をしたというのが当時の読者たちの評価であった。民族が「悔い改めれ ば、希望 がある」、という短く強烈なメッセージが多くの読者を魅 了したのである。その後、朝鮮 史講義が

『 聖書朝鮮 』に連載 されてからの読者たちの反応も、大きかった。1938年

H月

に金教 臣は、「咸 錫憲の連載論文が掲載 された号はたちまち品切れ になつた」とその大きな反響 について述べて

24金教臣

『 金教臣全集』第5巻,113告。 25李 基 白(Olフ1叫;イギペ ッグ)、 232‑233頁 。

いる26。

構成 内容 は、まず「一 .信 仰生活と歴 史理解 」に関する著書の意図を述べた後、「二.史観」

を「三 .聖 書的史観 」においていることを明らかに示している。そして、朝鮮 の歴史を「四.世 界 史の輪郭」で捉えてから、「五.朝 鮮史の基調」を述べている。続いて、「六.地理的に決定づけ られた朝鮮 史の性質」に関して述 べてから「七 .朝 鮮 の人」は優 しさと正義 、勇気を持つている 民族であるが、自尊心がないため 自由がないと論 じている。

「人.堂 々たる出発」から朝鮮 の歴史が解釈されている。「九.列 国時代の苗床」、「十 .ふ い ごの中の三国時代」、「十一。高麗の果たせなかつた責任」として国の発祥が中国や満州を基 にしながらもそれを守 り切れなかった責任を追求している。高麗が滅んでから

500年

の歴史を 受難 の歴 史 として名 づ け、「十二.受難の五百年」の中で李氏朝鮮の歴史を述べていく。すな わち、受難の時代、中軸の折れた歴史、むだになった世宗の統治、崩れた土台、義人の血 、白 く塗 りたる墓 、殺人の歴史、栗谷 のむだ骨 、三度 目の患難 、林慶業 、新 生のかすかな光 、キリス ト教の伝来、再び倒れる、から成 り立っている。

そして、最後 に「十三.生 活 にあらわれた苦しみの姿」、「十 四.苦難の意味」、「十五.歴 史が 示すわれらの使命」と苦難の中にある朝鮮の歴史に一つの希望が述べられている。

連載論 文「聖書的立場から見た朝鮮の歴史」は、『 聖書朝鮮』の第 62か ら83号 に渡つて連載 された。掲載の時期 は、1934年2月 から35年 12月 までである。1935年 6月 と12月 は、検閲 により論 文が削除されている。連載論 文の特徴 として挙 げられるのは、全体が「聖書的立場か ら」書かれ、(1)歴 史が神 に由来し、(2)ネ申が宇宙を創造した一つの意志の表現としてあらわれ ている。さらに、(3)歴 史は終末観 に基づいており、(4)神 はアガペとしての本性を持ち、「アル ファ」と「オメガ」の終末観 の中で、自由意志を尊重する神である。(5)聖 書 は人生を道徳的責 任者 として書かれている、点である27。

1962年以降の著作では、タイトルの「聖書的史観」が単 に「史観 」となり、代わりに「(歴史の)

意 味とその解釈 」が付 け加 えられた。また、連載論文の執筆 当時 に見られなかつた呂叔蘭の漢 文が引用されている。

「何が義しいか義しくないかを知ることは腐った儒生(儒学を学ぶ学生)にも出来るが、時勢の 動きを知ることは通達した儒生でなけれ ば出来ない。時を識ることは誰 にも見れ ば出来ること だが、時勢を識ることは先を見通すことが出来なけれ ば出来ない」28。

咸錫憲が連載論文を書いた 1934年には、この漢文は引用されてなかつた。このことから、連載 論文が掲載 された 1934年 に「聖書的立場から」書かれていたものが、1962年 には「意味から見 た韓 国の歴 史」とタイトルを変え、他宗教 とその宗教者たちに対して開かれた内容 となり、東洋 的な深 い精神 と意 味を求めるようになったと考えられる。1962年版 は、無教会脱会 宣言 をして から再版 されたものである。それまで『 聖書朝鮮 』の同人たちが、内村式無教会とは「教会の外 26金 教臣『金教臣全集』第2巻、119頁。

27成 錫憲「聖書的立場から見た朝鮮歴史:(3)聖書的史観」『聖書朝鮮』第 63号 、1934年4月 (『苦難の韓国民 衆史』、新教出版社、23〜31頁)。

28成 錫憲『苦難の韓国民衆史』、28頁。

に救いがある」と認識 していたことから考えると、成錫憲は無教会の閉鎖的な預言者の限界を越 え、本物の預言者を志 向したと言うことができる。それこそが内村が 目指した無教会の預言者像 であり、成錫憲独 自の預言者像を樹立していったと言える。

成錫憲は宇宙の背後、また歴史の背後で宇宙を導く「絶対意志」を信じてい

た。そして、自分 自身がこの絶対意志 によつて動いていることを「ネ申の足 に蹴 られて」というふ うに表現 している。この点において、内村や 無教会 、韓 国キリスト教の根本 主義及び正統主義 からどんなに批判 されても成錫憲 はキリスト者 と呼ぶことができるのである29。 彼 自身 、「私 は一 般的 に理解されているキリスト者 ではない」と断言したにもかかわらず。「聖書的立場から見た朝 鮮 の歴 史」の「聖書的」という表現を、1962年に「意味」と直す大きな変化を見せたにもかかわら ず 、成錫憲の思想 の土台が聖書であつたことは明らかである。

(2)論 文の検閲削除

連載論文「聖書的立場から見た朝鮮 の歴 史」30において、自国の民族 を世界や歴 史の不条 理 を一身 に背負う「受難の女王」として認識 した。それは藤井武が見た自国、日本 に対する「産 みの苦しみをする女」の幻と希望を、成錫憲も同じように自国の歴史の中に見出していたのであ る。そこに国を失った青年たちに 自国の苦難の歴史を教えなけれ ばならない歴 史教師としての 成錫憲の苦悩を読み取ることができる。成の苦悩 は『 聖書朝鮮 』連載論文が「受難の女王」を最 後 に、総督府 の検閲により削除されたことによリー層深まる。

この検 閲削除について、朝鮮 戦争の際(1950〜

53年

)にも『 聖書朝鮮』を大切 に保存 し、『 聖 書朝鮮 』復刻版の刊行 に大きな貢献をした朴碩鉱(パクソクヒョン)の逸話がある。彼 は「受難 の女 王」の続きとして掲載されるはずだった第 14回 、第 15回 の余 白に、「検閲により削除された朝鮮 歴 史の貴さよ!」と書き残し、検閲削除の不 当性 と歪められた歴史の悲しさを訴えていたのであ る。

まず、この検閲削除の箇所で特記すべきことは、成錫憲の連載論文「聖書的立場から見た朝 鮮の歴史」の最後の結論部分が、検閲により削除されたにも拘わらず、『 聖書朝鮮』(第

83号

)

表紙 の 目次 には、成錫憲の連載論 文「苦難 の意 味」(第

14回

)と「歴史が示すわれらの使命」

(第 15回)が掲載 されていたことが明記されている点である。論文の内容 は検 閲により削除され たとしても、本来は咸錫憲の文章が掲載されていた事実を編集者 の金教 臣は読者 に発信 して いるのである。ここに苦難の中においても志を曲げなかった『 聖書朝鮮』関係者 の機 知と勇気あ る行動を垣間見ることができる。

そして、咸錫憲の連載論文「聖書的立場から見た朝鮮 の歴 史Jが検 閲削除された部 分 が補 29文大骨「成錫憲連載企画⑦真、苦難、神の恵み」『dedsoritimes』Seoul、 2010年8月 25日付け。

30『聖書朝鮮』、1934年2月 〜1935年 12月