3. 偶発廃棄債務認識による防災会計の一提案
3.3. 震災引当金会計導入に伴う検討と課題
る震災引当金は借方の固定資産に依存しており,企業の固定資産,つまり設備投資計画に影 響を与える.営業活動に用いない老朽化した不動産を保有していると,多額の引当金計上の 必要性に迫られるため売却や建替えといった選択肢もとる必要がある.時価会計や減損会計 では資産価値がなくなれば,資産価値ゼロまで評価替えする必要があったが,本提案ではマ イナス評価まで評価替えすることを迫られるため,時価会計や減損会計とは異なる経営戦略 の視点で,資産の保有か非保有の取捨選択を行う必要が出てくる.
のではないかと考える.引当金計上が損金と認められれば,引当金を計上することで損益計 算書及び貸借対照表の数字は悪化するが,企業内にキャッシュを留保するインセンティブを 与えることができる.
図表 24 バブル崩壊前後の株価・地価の推移
出所:デフレとバランスシート不況の経済学[76]p33より引用
3.3.2. 震災引当金の有効性の限界
本提案の震災引当金は引当金としての認識基準や実務運用性を考えて,建物や生産設備等 の固定資産の直接被害分だけを対象にしているものであり,固定資産以外の原材料・半製品・
製品等は当然含まれていない.震災引当金はあくまで固定資産損失に対するバッファーであ る.図表 4 のⅣのようなリスクに対する引当金であれば蓋然性が確保できるが,震災のよ うなリスク(図表 4のⅡ)に対する引当金のそれは非常に困難である.特に震災の被害範囲は,
自社内のみならず取引先や従業員,その後の営業活動と空間的・時間的広がりを持っている ため,引当金の測定が難しく引当金の信頼性,ひいては貸借対照表(財務諸表)の信頼性に関 わる問題である.そのため,個々の企業においては損失を十分にカバーできる引当金の機能 を果たすことはできない.しかし,個々の企業に防災強化のインセンティブを働かせ,個々 の固定資産(ビル,生産施設,インフラ)が強化されることは,マクロにおいて強力な防災効 果を生む力があると考える.防災は,情報セキュリティで用いられる「桶の理論」52と同様 の課題を抱えている.個々の防災を強化したとしても一箇所でも不十分な箇所があると,そ こを原因に被害が拡大してしまう.3万点もの部品を組み立てる自動車製造で,自動車メー カーが十分な防災対策を取っていたとしても,関連会社の一箇所が生産停止を起こし部品供 給が止まれば,生産ラインは継続できない.実際,1996 年にアイシン精機刈谷工場が火災 を起こし,トヨタの完成車組立ラインが6日間停止するようなことが発生した.震災引当金
52「桶の理論」とは,情報セキュリティの分野でセキュリティの脆弱性は最も弱い箇所で決定さ れることを言う.つまり,優れたセキュリティ対策を行っていても,一箇所でも不十分な部分が あれば,そこが突破口になってしまうこと.何枚の板で構成された桶は,一箇所でも板が低いと そこまでしか水が溜められないことから.
により,企業が防災へのインセンティブを与えることは,大きな効果をもたらす.
将来的に,固定資産に対する直接被害だけではなく,間接被害に対しても信頼性を持って 計測できる手段が開発されれば,震災引当金の範囲を拡大することは可能と考える.たとえ ば,減損会計のグルーピングのように震災引当金を測定する方法である.直接被害額は資産
の 10%であったとしても,資産のネットワーク性(物流・生産ライン)から事業が停止してし
まうようなケースがある.このようなケースでは,資産グループで被害額を定量的に測定し,
間接被害額を引当金に繰り入れることは可能である.しかし,間接被害額の測定は個々のケ ースに依存する範囲が広く,統一した測定基準を設けることが困難である.
3.3.3. キャッシュ・フローから見たリスクファイナンス
震災引当金を計上することで,現経営陣に災害対策のインセンティブを与え,災害に強い 企業を作るとともに,引当金の存在により災害特別損失のバッファーになりうる.しかし,
災害時は復旧費等で緊急的に多額のキャッシュの手当てが必要になる.引当金は貸借対照表 や損益計算書の安全性を高めるが,キャッシュの問題を解決するものではない.キャッシュ の手当てのためには別途,自家保険(キャプティブ)等の仕組みを使い別途キャッシュをプー ルする仕組みを用意しておき,緊急時に払い戻すことができるようにする必要がある.他に は都銀等が積極的に営業を行っているコミットメントラインや,DBJ が行っているような
「地震災害時発動型のファイナンス」等によってキャッシュを手当てするという別段の対策 が必要である(詳細は2.3を参照).
おわりに
本稿では,企業活動を行っていく上で避けることが出来ない様々なリスクについて整理を 行った.これらのリスクで最も対応が難しいリスクとは,発生頻度は低いが一度発生すると 甚大な被害を及ぼすリスクであり,その最も典型的なものが災害リスクである.災害にも台 風・雷・火災・テロ等があるが,近代日本において巨大な災害をもたらすものの一つは地震で ある.地震に対する備えは社会共通の課題であり,震災の度に危機感を強くする一方で,危 機意識は徐々に低下する状況が繰り返されており,根本的な解決が図られていない.なぜな ら,成熟した資本主義経済で,個人や国は企業活動を通じて社会の大部分を形成しており,
企業が変わらなくては世の中の仕組みを大きく変えることは難しい.そして,今日の企業活 動の報告や戦略はバランスシートの上での行動である.バランスシートの表現方法の変更は 単に企業会計ルールの改正だけではなく,企業活動に直結するものである.言い換えれば,
バランスシートの表現方法を変更することで,企業活動にインセンティブやディスインセン ティブを与えることが可能になる.現在の企業会計ルールは震災に対する防災活動をディス インセンティブとして捉えてしまう傾向が強く,企業活動や経営陣が積極的に防災活動を行 うインセンティブを与えていない.そこで,本稿の一提案では,日本の引当金会計に新しい 震災引当金のようなものを導入し,企業に防災のインセンティブを図ることが出来ないか考 察を行った.
本提案は震災等で固定資産が毀損する可能性を将来期待キャッシュ・アウト・フロー等で 合理的に見積り,引当金として負債の部にオンバランスさせることである.現状の会計基準 では,震災等による引当金は引当金の認識基準を満たすことができないが,昨今の国際的な 会計基準改革の一つである負債の時価評価を取り入れ,引当金として認識されないかと考え る.震災引当金を計上することで,震災に対する企業リスクを開示し,企業に対して防災対 策へのインセンティブを与えることが本提案手法の特徴である.本提案手法が概略を次に示 す.
(a) 震災発生に伴う固定資産の廃棄・改修・建替えに要する偶発廃棄債務を認識する.こ の偶発廃棄債務を震災引当金として計上する.
(b) 偶発債務の認識測定には時価を用いる.
(c) ここで用いる時価とは期待キャッシュ・アウトフローである.
(d) 防災対策を講じることで偶発廃棄債務額を削減することができる.
会計基準は企業内の問題ではなく,企業を取り巻く投資家・債権者・取引先・地域社会等 のステークホルダーに関わる問題であり,市場で受け入られるには本提案は解決せねばなら ない課題は多い.たとえば,新たな会計基準導入に伴う一時的な財務悪化,税務,実務にお
ける簡便性の確保等である.今日の日本企業のファンダメンタルは改善しており,負債の時 価会計導入は,バブル崩壊後1990年代の資産の時価会計導入ほどの衝撃を与えることはな い.資産の時価会計とともに負債の時価会計が導入されることにより,企業の経済活動が変 わり,社会が変わり,リスクに強い豊かで発展ある経済活動が営まれることを期待したい.