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進歩の証拠

ドキュメント内 ケヴィン・ケリー著作選集 3 (ページ 36-41)

ター=シャローミはこう言った。「この世界には悪よりも善のほうが多 い。でも、はるかに多いわけではない。」意外なことに、複利計算が可能 であるとすれば、「はるかに多いわけではない」だけで十分である。そし て、文化というものはそれに当てはまる。この世界は、毎日毎日 1 パー セント(あるいは 1 パーセントの十分の一でも)ずつ良くなって、善良 な物、いわゆる文明を蓄積すればよい。人間が破壊するよりも 1 パーセ ントでも多くの物を毎年作り出している限り、人間は進歩する。その増 分はごくわずかであって、特に目の前に 49 パーセントの死と破壊があ る状況では、良くなっていることはほとんど感知できない。でもこの小 さくてわずかで遠慮がちの増分が、進歩を生み出すのである。

しかし長期的に見て、本当にたった 1 パーセントでも改善しているの だろうか? 4 種類の証拠があると私は考えている。まず第一には、普通 の人の寿命、教育、健康、資産が長期的には増大していることである。こ れは計測することができる。概して、人は現在に近ければ近いほど、より 長生きするようになり、より多くの知識の集積を利用でき、より多くの 物と選択肢を持つようになっている。健康と富裕の指標は、時期によっ て、地域によって変動している。戦争や紛争のせいで、地域的または一 時的に、良好な生活が確実に抑制されているからである。しかし、長期 的軌跡(ここで長期的とは数百年あるいは数千年を意味する)は着実に 上昇している。

長期的進歩の第二のめやすは、私たちが自分自身の生涯で実際に遭遇 しているとおり、技術の発展が波のように押し寄せていることである。

たぶん他のどの兆候よりも、この新しさの大波が絶え間なく押し寄せ るせいで、物ごとが向上していることを私たちは毎日実感している。機 械装置は良くなるだけでなく、良くなると同時に安くなっている。振り 返って近い過去を窓からのぞいてみると、その頃には窓ガラスがなかっ たことに気づく。過去には、機械織の布、冷蔵庫、鉄鋼、写真、あるいは 近所のスーパーで通路にあふれているような商品、倉庫一杯の商品が存 在していなかった。この豊かさのグラフを逆にたどると、グラフの曲線 は減少しながら新石器時代にまでさかのぼる。古代から伝わる手工芸を 見ると、その高度さに驚くことがある。しかしその量や種類や複雑さに おいては、実際には現代の発明品と比べて見劣りがする。この判定は明 らかである。私たちは古い物よりも新しい物を買う。旧式な道具と新し い道具のどちらかを選ぶとすれば、世界中のどこの人でも、そしていつ でも、たいていは新しい物を取る。人間が今までずっとバカであったた

6 章 進歩の証拠

めに、質が劣っても新しい物を選んでいたのか、それとも、技術評論家 が言うように、王様や僧侶や会社にだまされ続けて、最善の利益ではな いものを選ばされてきたのか。あるいは、本当に高く評価する物を、す なわち、新しくて改良された物を常に選んでいるのか。どのような理由 であっても、人間は技術の勢力範囲や種類や能力を常に発展させてきた。

技術は着実に向上しているが、他のグラフと同様に過去 200 年の間に急 上昇している。

長期的に見て少しずつ着実に進歩しているという三番目の証拠の一端 は、道徳的な分野にある。この分野には計測の指標がほとんどないし、

事実についての見解の相違も多い。時間が経つにしたがって、法律や道 徳や倫理は、人間が共感する範囲をゆっくりと拡大している。大雑把に 言って、もともと人間はまず家族を通じて自己を認識していた。家族の 仲間が「私たち」であった。この言い方では、親密な家族という範囲の 外にある人は「他人」と見られることになる。今までは、そして現在も、

「私たち」の範囲の中の人に対するときと、外の人に対するときとで行動 の規範が異なる。しだいに「私たち」の範囲は、家族内から部族内へと 拡大し、さらに部族から国へと拡大した。国を越えて、さらに人種を越 えるような拡張を続けている途中の状態で、今はちょうど人種の境界を 越えつつあるところだろう。このようなことが起こっているという証拠 は、たとえば動物と比べて、さらにはロボットと比べて、人間を差別ま たは優遇してはならないとする法律ができていること、あるいはその逆 に、動物あるいはロボットの一族(たとえば人工知能など)が人間と平 等な地位にあるというような権利の向上があることである。道徳や倫理 の最高規範が「自分がしてもらいたいことを他人にもせよ」ということ であるならば、人間は「他人」の概念を常に広げているのだ。この共感の

拡大についての長期的な時系列の記録を私は見たことがないのだが(も し知っていたらメールで教えてほしい)、一連の法令の歴史的変遷によっ てこの傾向が明らかになるのではないかと思っている。

四番目のデータは、実際の進歩を証明するものではないが、強力なヒ ントを与える。そのデータとは、小さくてきわめて単純な生物から、大 きくてきわめて複雑で社会的な動物まで、何億種にも及ぶ生命の 40 年の道程である。進化が何らかの軌道にのっているという考え方は、科 学においては非常に議論を呼ぶところであり、それ以外の何かを証明す るための役には立たないかもしれない。でも、この文を読んでいる人は みんな、この長期的な傾向を直感的に把握していると思う―― たとえ、

それを科学的に計測する方法が不明であっても、また、それが存在する ことを説明する方法が不明であっても。進化がある方向に進む傾向があ るというのは、一部の理論家が主張するように幻想であるかもしれない が、もしそれが本当であったとすれば、この背景となる「進歩」を参考 にして、人間に関するいろいろな事柄の進歩を認知するのが容易になる。

その場合、私たち人間の文化は、40 億年前に始まった作品の延長線上に あることになるからである。この見方をすれば、人間の健康、物質的豊 かさ、技術や道徳などでの進歩は、いま起こりつつある進化という壮大 な物語の最新の章である。

より柔らかい概念における「進歩」、たとえば幸福や満足、あるいは精 神的な悟りなどについて、長期的な測定ができればすばらしいと思う。

しかし、私たちは今のところそのようなものについて、信頼できる長期 的な計測方法を知らない。

結局、進歩の測定基準はいずれも、私が最初に述べた不幸について考 慮しなければならない。この世界で増加する善から、世界で増加する害

6 章 進歩の証拠

悪を差し引かなければならない。そして、私は明言する。その差は増加 している。この比率の分だけ、私たちは一方が他方よりも大きいと言う ことができるのだ。

(初出: http://memo7.sblo.jp/article/29895238.html)

(原文: http://kk.org/thetechnium/2007/02/the-evidence-of/)

ドキュメント内 ケヴィン・ケリー著作選集 3 (ページ 36-41)