Expansion of Free Will テクニウム(訳注:文明としての技術)の進化は自律的である。時間 の経過とともに、自己組織化の形態を順にたどって発展する。この自己 組織化の形態は必然的なものであるから、私たちはそれに対して備える ことができる。しかし、テクニウムの必然的という側面は、人間の自由 意志に反するように見えるので反発を招く。
作家のアイザック・シンガーは、以前、冗談半分に言っていた。「私た ちは必ず自由意志を信じなければならない。そこに選択の余地はない。」
この種の破れかぶれな考えは、技術が進化する方向性に対するほとんど 本能的な拒絶として出現することが多い。「私たちはテクニウムに内在す る方向性を拒否しなければならない。それは、自分で自分の運命を決め るという人間の神聖な役割を減退させるからである。」
しかし、科学はどうなっているだろうか? 進化の自律性については今 のところ状況証拠しかないが、自律性があるという主張を検証する方法 は、いろいろ考えられる。生物の進化について自律性があることの証明 としては、合成生物学を使って実験室で生命の自己組織化を誘発する実 験を何度も実施して、類似の進化が発生する回数を計測することで証明 できそうだ。あるいは、いつの日か、宇宙で地球以外に生命を持つ星を見 つけられるかもしれない。生命体を発見したら、その異星人の進化経路
を私たちの進化と比べて、その類似度を照合することができる。このよ うな発見があれば、反証可能性のある証拠となる。生物の進化に自律性 があって、一定の普遍的な軌跡をたどることが科学的に証明されたなら ば、人間の選択が生物の方向性に何の影響も与えないといって人間がそ の事実を拒絶することはないだろう。人間による選択の範囲と、生物の 進化の方向性とは別の独立した問題なのだ。では、テクニウムについて はどうか。テクニウムは進化を加速すると同時に、テクニウムには独自 の出現順序による自律的な方向性もあるということを科学が証明したと すれば、人間はそれに異議を唱えるだろう。なぜならば、テクニウムが 自律的であるということは、テクニウムに対する人間の選択を否定する と考えられるからである。しかし、人間が選択する範囲の大小は、テク ニウムが自律的であるかどうかということには影響を及ぼさないはずだ。
実際のところ、人間の選択肢が減少するという心配は見当違いである。
自由意志は、技術の要請によって妨げられるものではない。それどころ か、自由意志は拡大する。技術に内在する要請は、人間の自由というも のの立場を変えるだけである。最近実現したとおり、安価な通信システ ムが地球全体を取り囲むようになると、地球表面を覆う神経を組み合わ せて、一種の電子的な「世界の頭脳」ができることは当然の結果である。
そのとき人間のとりうる選択肢は、次のようなものだ。この通信システ ムの外皮を使って、どのようなインターネットを作り出すことを選択す るか? そのシステムのデフォルトは、開放的か、閉鎖的か? そこに参加 すること、手順を変更すること、共有すること、隠すことが容易である か、あるいはそのようなことが面倒だったり、独占されていたりするか?
技術自体は、人間をある特定の方向性へ偏向させようとするが、ウェブ の細部においては多くの異なる展開がありうる。しかし、必ず出現する
第 20 章 自由意志は拡大する
世界的なウェブをどのように表現するかは、人間の重大な選択である。
さらに重要なこととして、この必然の技術的局面が到来すると、その おかげで広大な新しい領域が広がる。その方向は必然的であるにもかか わらず、そこでは自由意志を行使できるようになる。テクニウムが発展 する経路には、自由意志や選択肢や可能性を増大させる方向への明らか な偏向がある。技術は選択を求めている。インターネットは、今までの 技術には見られないほどの選択範囲や選択肢を提供する。ウェブそのも のは未熟であり、この文章を書いている時点で誕生後ようやく 6 千日経 過しただけで、まだ試作品のような段階であるが、この未発達の神経細 胞層には、私たち一人一人が選択の範囲を拡張するための手段が多数見 られる。
しかし、テクニウムは人間の選択肢を拡大するだけではない。長期的 に見て、テクニウムによって自由意志が人間以外のものや機械など全般 に広がりつつある。このような意志作用の拡大は、40 億年前に生命が出 現したときに始まっている。こちらに行くか、あちらに行くか、あるい は、これをするか、あれをするかという選択をする小さなものがそのと きに生まれた。実際のところ、他のエクストロピー的(進化し続ける)
傾向と同じように、自由意志の増大が本当に始まったのは、ビッグバン で原子が生まれたときである。理論物理学者のフリーマン・ダイソンが 言っているように、素粒子がいつ崩壊するか、あるいは、素粒子がスピ ンする方向をどう選ぶかなどは、自由意志による行動だと言わざるをえ ない。粒子の顕微鏡的な動きは、すべて可逆的であり、粒子の今までの 位置や状態に応じて物理法則によってあらかじめ決まっている。だが、
粒子が自然に分解して下位の粒子とエネルギー線になること、あるいは、
粒子の回転方向を選択することは、そうではない。その崩壊の瞬間ある
いはスピンの変化は、可逆的ではないし、物理法則で決まっているわけ でもない。このような宇宙線への崩壊やスピンの方向は、他のすべてが 決定論的である世界において、真に「偶発的」な出来事である。しかし、
この非決定論的な「偶発性」は、実際のところ、最も微小で量子的な自由 意志の表明である。数学者のジョン・コンウェイは、計算機の画面で生 命のような図形を表示するライフゲーム(ゲームオブライフ)の開発者 だが、その主張によると、素粒子のスピンや崩壊は偶発性では説明でき ないし、決定論的でもない。したがって自由意志という選択肢しか残っ ていない。コンウェイは次のように書いている。
読者の中には、素粒子の反応の非決定性について「自由意志」と いう語を使うことに反対する人がいるかもしれない。素粒子に自 由意志があるという著者の挑発的な結論は、意図的なものである。
著者らの定理によれば、実験者に何らかの自由意志があるという ならば、素粒子にも全く同じ自由意志がある。実際に、私たち人 間の自由を説明しようとすると、究極的にはこの後者の自由に行 き着くのは当然だ。
素粒子の自由意志については、技術的議論が他にもある。理論生物学 者、物理学者のスチュアート・カウフマンは、次のように言っている。
この偶発的ではない非決定性、すなわち自由意志は、二つのスリットで 粒子が遅延選択するという有名な実験に見られるのと同種の、量子デコ ヒーレンスおよびリコヒーレンスの結果ではないかと思われる。あの有 名な実験では、1 個の光子が二つの平行なスリットに向かって発射され る。しかし、波動かつ粒子である光子は、スリットを通った後で初めて、
スリットを波動として通るのか粒子として通るのかを選択して(この動
第 20 章 自由意志は拡大する
詞に注意されたい)計測される。量子力学の専門用語で言えば、波動で も粒子でもある状態(重ね合わせ)のデコヒーレンスは、後からそれを 計測したときに崩れて単一の選択となる。カウフマンによれば、量子コ ヒーレンスの変化が意志作用の源泉であるという。これは突飛な考え方 ではあるが、粒子が自由意志を持つという考え方は突飛ではない。
はるか昔に、量子物質が凝集して大きな原子の化合物になり、舞い上 がる土煙のようなものになり、ついには核酸となるという過程で、粒子 に内在する微小な量子的意志作用がこのような組織の拡大に貢献してい る。たとえば、自然に崩壊した粒子から飛び出した宇宙線は、高度な秩 序を持った DNA 分子の構造の変異の誘因となりうる。「偶発的」な宇宙 線が、たとえば、シトシン塩基から水素原子をたたき出したとすると、そ の間接的な意志作用によって革新的なタンパク質の配列が生まれること もある。たいていの革新はいずれ死に至るが、運良く変異すれば、生命 体にとって生存に好都合な状況となる。DNA システムは、有益な特質が あればそれを保持し、また、それを基盤にして成長するので、自由意志 による好ましい効果は蓄積されていく。意志作用による宇宙線は、この ほかに、神経細胞のシナプス発火を誘発する。それは神経や脳細胞にい つもと違った信号を与える。その中には間接的に、生命体がいろいろな 能力を持つことを促進するものもある。進化という複雑な機構を通じて、
この間接的に誘発された「選択」は、捕獲され、保持され、また拡大され る。素粒子の自由意志によって生起した変異が全体として集積し、また 何十億年もの期間を経て進化して、より多くの感覚を持ち、多くの手足 を持ち、自由度の高い生命体になる。例によって、これはまさしく自己 増幅する循環である。
進化の長い経路をたどって、生命の最先端はますます複雑になってい