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二種類の生成力

ドキュメント内 ケヴィン・ケリー著作選集 3 (ページ 162-168)

しかし、大衆があまり長く待たなくても、発明は自然な経過をたどる。

機器が進化するにつれて、用途が専門化して「完全」になる。そうする と、その用途はますます具体的になって、その本質に制約されるように なり、何者であるかが明確になる。本質が進化するにつれて、その装置 は強力になる。成熟するにつれて、より完全で親しみやすく理解しやす くなり、多くの人にとって役立つ仕事ができるようになる。

このような状況は、技術のあらゆる分野に見られる。たとえば初期の カメラは、当時の写真オタクたちに大きな自由度を与えた。自分でフィ ルムを作らなければならないのだから、何でも好きなようにフィルムを 作ることができた。赤外線スペクトルを強くするとか、布地にフィルム を埋め込むとか、フィルムを 90cm 幅にするとか。この時期の写真オタ クには大きな自由があった。しかし、大衆向けの写真という概念が明確 になってくると、カメラはある一つの特定の方向に集約された。フィル ムは新しい規格に準拠して作られるようになる。装備はその役割が明ら かになる。その結果として、カメラは写真オタクだけでなく誰でも使え るものになった。そして、数百万人さらには何十億もの人があらゆるも のを撮影することで、途方もない生成力が得られた。技術がより具体的 になると、それはさらに広く普及する。容易に使える機器がもたらす創 造力は、もとの発明者のすばらしい創造力を大きく上回る。

ほとんどすべての技術は、このような過程をたどっている。最初は、

とりとめがなくて改変可能な状態から始まり、やがて成熟して信頼でき るものになる。早期利用者が愛する多くの性質、すなわち、変更したり 調整したり所有したりできること、自由自在に操れること、あるいは無 限の可能性などというものは、他の多くの人たちにとっては、それを使 うのをためらわせる理由なのだ。それと同様に、技術の特定化と収束は

22 章 二種類の生成力

大衆を引きつけるのだが、初期の生成力を好んだ人たちから見れば、ま さにそのことが嫌いになる原因であって、その時点で機器には魅力がな くなる。

私たちは過去にこのような変化を多く見てきた。たとえば初期のパー ソナルコンピューターでは、12 歳の子供が寝室でプログラムを書いて いた(やったね!)。でもそれは、しょっちゅう動かなくなっていた(こ りゃダメだ)。その後、何百人もがプログラムを書くような巨大プロジェ クトになった(ダメだ)。それは、実際に使いやすくて、止まったりせず に動くものになった(よし!)。次に、ウェブがやってきた。生まれたば かりのときには、子供でも簡単にいじれるものだったが、その後、規格 ができたり期待がふくらんだりして、人々をひきつけるには手間がかか るようになった。次に、アプリケーションがやってきて、誰でもそれで 遊ぶことができる。しかし遅かれ早かれ、それも成熟してあまり改変で きなくなる。同様のことが、遺伝学やロボットなどにも言えるはずだ。

時折、このような成熟した製品をきっかけとして、全く新しい発明が 生まれることもある。その新しい発明は、再び初期の生成力をもたらす。

こうして技術の循環が続いていく。当然、ハッカーやオタクやマニアた ちは、その未成熟な領域に群がって、その新しい物の役割を規定するこ とを促進する。

そこで、同じ話が何度も何度も繰り返し語られる。むかしむかし、新し 物好きの人たちが電気部品、たとえばコンデンサー、抵抗、鉱石検波器な どを自分で作って、それを組み合わせてラジオやその他の装置をでっち 上げた。しかし、鉱石検波器やコンデンサーとは何かが明らかになって しまうと、未開拓の領域はラジオを組み立てることへと移って行った。

保守的な人が自分のコンデンサーを作る楽しみがなくなったと嘆くとこ ろで止まってはいない。次に、ラジオがどんなものかがわかってしまう と、愛好家たちはラジオを作らなくなり、何百種類もある既製品を買っ てくるようになった。そして、彼らは自分用のアルテア・コンピューター を作り始めた。それもしばらくのことだ。同様の移行が次々と続いて起 こった。自分でコンピューターを作らなくなった? でも、オペレーティ ング・システムを作ったよ。OS を作らなくなった? でも、自分でプログ ラムを書いている。プログラムを書かなくなった? でも、自分のウェブ

22 章 二種類の生成力

サイトのコードを書いたよ。ウェブサイトのコードを書かなくなった?

でも、自分用のアプリケーションを作っている。自分用のアプリを作ら なくなった? でも、自分のライフストリームを作り出しているよ……。

発明が生まれたばかりのときには、生成力に制約がないが、概念が明確 になると生成力は洗練されてくる。発明には当然の傾向があって、この ように移行するものだ。一部の人たちの考えによれば、現代の生産と消 費の体制のせいで、すばらしい発明から初期の生成力が得られなくなっ ているということだが、それは誤解である。このような成熟の過程は、

工業の時代になるよりもずっと前から常に起こっていた。今は、技術に そなわる当然の循環が加速されているだけである。

新生児には無限の可能性があるが生産性は低い。中年になると生産性 は高くなり、すばらしい創造性を発揮する。熟年に達すると、多くの新 生児を産み出して未開拓の領域を作り続ける。ここではもちろん、発想 や装置のことを言っているのだ。

新しくて形の定まらない、改変しやすい、可能性を秘めた発明は、使 用することによって急速に洗練されてくる。使用することで技術は具体 的になり、制約ができて、何も知らない人でも使えるようになる。した がって、あらゆる技術は最終的には融通がきかなくなり、不明確な用途 においては強力でなくなるが、明確な用途ではさらに強力になる。周辺 部から中央へ進出したのである。

幸いなことに、物事が不確実で不明確で全く制限がないような周辺部 は、常に存在する。そして、ハッカーにとってさらに良い話がある。周 辺部は中心部に比べてつねに拡張し続けているのだ。

【追記】ワイヤードに掲載されたスティーブン・レヴィによる「ハッ カー再考」に関する記事から補足情報を示しておく。

もともとのハッカーたちと違って、ザッカーバーグの世代は、マ シンを支配下に置く作業をゼロから始める必要はなかった。「僕は 計算機を分解しようと思ったことは一度もない。」と彼は言う。90 年代後半の新進のハッカーとして、ザッカーバーグは高級言語を いじくりまわして、マシンではなくシステムに全力を集中した。

たとえば大好きな「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・

タートルズ」のゲームをするとき、ザッカーバーグは、たいてい の子どもたちがするような、タートルズを使った戦いを実行しな かった。社会を作って、タートルズが互いに交流するようにした。

「僕はシステムがどのように働くかということに興味があった。」

と言う。同様に、計算機で遊び始めたときには、マザーボードや 電話を改造するのではなく、コミュニティ全体を操作する。たと えば、システムのバグを利用して、友人を AOL インスタントメッ センジャーから締め出したりした。

大企業は偶然に新発明を発見して、それを商品化することもある だろう。しかし、ハッカーは未開拓の新分野に進んでいくだけで ある。オライリーは次のように言っている。「映画『ラストタン ゴ・イン・パリ』でのマーロン・ブランドの台詞みたいなものだ。

『これで終わりだ。そしてまた始まる。』」

(初出: http://memo7.sblo.jp/article/38086735.html)

(原文: http://kk.org/thetechnium/2010/04/two-kinds-of-ge/)

ドキュメント内 ケヴィン・ケリー著作選集 3 (ページ 162-168)