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資本主義経済の限界(2)――「実業家」の本性

第 4 章 投資主体としての「実業家」と経済変動

4.2 経済変動における「実業家」の地位

4.2.2 資本主義経済の限界(2)――「実業家」の本性

以上のような構造的問題をかかえた資本主義経済において,「産業コントロール」の権限 をほとんど独占しているのが「実業家」である.本稿第3章で述べたように,SIFの議論によ れば,経済変動は,資本主義における経済活動の帰結として,必然的に生じるのであった.

さらに,そのような弊害は,個々の「実業家の心理」にも起因していた(cf. 本稿 3.2.1, 3.2.2).では,「資本主義の黄金律」が破られた状況における「実業家」の投資決定は,ど のような性質を帯びるのだろうか.以下では,投資と経済変動の関係を検討するための予備 考察として,SIF と COI におけるロバートソンの言説から,「実業家」による意思決定の特 徴を3点にまとめる.

第一の特徴は,「実業家」が周囲の投資状況から大いに影響を受けることである.

79 ロバートソンは,COIの第Ⅰ章から第Ⅲ章において,近代資本主義経済の形成過程を,「分化differentiation」と「統合

integration」の相剋として描いた.様々な労働は,効率性を求めて「分化」していくが,管理governmentという問題が生じ

ることによって,「統合」されるに至る.このように,「分化」と「統合」のバランスによって,企業や産業の規模が決定 されるのである(COI, chaps.Ⅰ-Ⅲ).

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「実業家」も完全な経済人だとする主張や,反対に,彼らの行動はまったく予測不可能だ とする主張がある一方で,ロバートソンは「実業家の行動は,完全に合理的というわけでは ないが,完全に非合理的というわけでもない」(SIF, 39, n.2)と主張した.さらに,

「実業家の行動はしばしば合理的ではないが,……まったく計り知れないということはほと んどない.すなわち,彼らの行動は,他の人々の行動や他の観察事実からの非合理的,ある いは,準合理的な推測の帰結にすぎないのである」(SIF, 38-39),

と述べている.この引用文から明らかなように,ロバートソンは,「実業家」の行動は,合 理的であれ非合理的であれ,外部的な状況に対する反応の結果だと考えた.では,「実業家」

は周囲の状況からどのように影響を受けるのか.

先述したように(本稿3.2.2, 3.2.3, 3.3.1),「実業家」は周囲の投資拡大を知ると,「まっ たく合理的でない楽観的感情を喚起する可能性が高い」(SIF, 39).つまり,「実業家」の 投資決定は,周囲の投資状況から心理的な影響を受ける.そのため,投資が過熱しはじめる と,「伝染的な確信の精神が流布」(SIF, 92)し,さらに楽観的な投資が引き起こされてい く.逆に,「大惨事disasterの記憶は,……確信の欠如と結びついて」,活発な投資を妨げる

(SIF, 225).

このように,「実業家」は周囲の投資状況に影響を受け,楽観・悲観といった感情によっ て自らの投資行動を変化させる.それは,必ずしも合理的な決定とはかぎらないが,こうし て,投資が促進されたり抑制されたりするのである.

「実業家」に関する第二の特徴は,彼らの活動目的が,社会全体の利益ではなく,自己利 潤の極大化にあることである.ロバートソンは,「実業家」の活動目的について,次のよう に説明した.すなわち,「彼〔実業家〕の成功の判断基準はいまだやはり利潤であるが,利 潤は……その事業全体の力と安定性を向上させるために使われるのである」(COI, 160).つ

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まり,「実業家」の目的は,利潤を獲得することであり,それを用いて自分が携わる事業を 維持・発展させていくことである.

しかし,このような「実業家」の目的は,ときとして経済全体を不安定にする.というの は,ある企業の「総利潤は,産業が完全に安定的だと仮定したときよりも,好況・不況があ るときの方が,実際には大きくなりうる」(COI, 94)からである.ゆえに,「たとえ,資〔実業家〕全体 の利益が安定していても,個人 資本家 〔実業家〕は,その産業全体にと っては有害となるような決定を下すことによって,自分の企業が獲得する利益を一層大きく するかもしれない」(COI, 94-95, 強調は引用者).つまり,「実業家」は,当然ながら,自 分の利潤を極大化するように行動するのであり,当該産業全体さらには経済全体の利潤の極 大化を目指すわけではない.ここに,個別と全体の対立が存在するのである.

このように,「実業家」は,より大きな利潤を獲得するために,故意に市場を不安定化す ることがある.彼らは,あくまでも,自己利潤の極大化という観点から,自分にとっては最 適な決定を下す.しかし,そのような意思決定が,社会全体にとって適切であるとはかぎら ない.いな,概して,不適切となりがちなのである.

「実業家」に関する第三の特徴は,彼らの投資活動が自己目的化しやすいことである.先 述したように,投資という経済活動は「努力」の範疇に含まれる.しかし,「努力」は,本 来,それ自体として目的 なく ,「満足」を得るための手段 すぎない .しかし,

「実業家」は,利潤の獲得に心血をそそぐ.つまり,彼らは利潤のために「努力」すること を最優先する.確かに,利潤も「満足」の1つなのだが,彼らは,余暇という「満足」を軽視 しがちなのである.

他方,労働者は「余暇は重要である」80ということをよく理解している(SIF, 209).彼ら にとって,賃金を得ることも「努力」の重大な目的の1つであるが,必要な分の賃金さえ得ら

80「余暇は重要である」という句は,アリストテレス『政治学』第Ⅶ巻の第14章から引用されている(SIF, 209, n.).アリ ストテレスは,すべてにおいて「必要で有用なものは優れたもののためにあるthere must be …… things useful and necessary for the sake of things honourable」(Politics, 1333a 30, 177)と主張した.つまり,「必要で有用なもの」は,「優れたもの」

のために存在するのであり,それ自体を目的としてはならない.あくまで人間の生の目的は「優れたもの」を享受すること にあり,前者の「必要で有用なもの」は「優れたもの」を得るための手段にすぎないのである.アリストテレスによると

「必要で有用なもの」(手段)とは「事業business」と「戦争war」であり,「優れたもの」(目的)とは「余暇leisure」

と「平和peace」である.ゆえに,「事業」や「戦争」はそれ自体として目的なのではなく,「余暇」や「平和」を得るため

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れれば,残りの時間は労働ではなく余暇を選択する.それに対して,「実業家」は,「努力」

を投下して利潤を得ることそれ自体が目的であり,彼らにとって余暇の優先度は低い.その ため,「実業家」は,最適な水準をこえてまで「努力」を投下しようとする.つまり,「実 業家」は,労働者と比べて,労働(「努力」)と余暇(「満足」)のバランスを崩してまで

「努力」量を増大させる傾向にあるのである(SIF, 208-209).