第 4 章 投資主体としての「実業家」と経済変動
4.1 投資理論としての「資本主義の黄金律」
4.1.3 企業における投資決定の原理
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を放棄することに他ならず,事業主の交代を意味するからである.より多くの「リスク負担」
を担う者こそ,その事業におけるリーダーシップをとることが許されるのである.
このように,「リスクとコントロールの並存」を原則として,「リスク負担」を背負う者 が,「利潤の期待」と「損失の恐怖」のバランスをとることで,適切かつスムーズに投資決 定を下す.このような原則をロバートソンは「資本主義の黄金律」と呼ぶほどに重視した76. 次項において,この原則から導かれる2つの命題を「努力」概念の観点から解釈し,ロバート ソンの投資理論を再構成する.
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るかもしれないというリスクを,より多く負担する者が投資決定を下せば,「もっとも賢明」
な決定となる77.あえて図示すれば,下図(第7図)①の場合,Aの「リスク負担」の方が大 きいので,Aが投資決定を下すべきであり,②の場合,Bの「リスク負担」の方が大きいので,
Bが投資決定を下すべきである.この原則を守ることによって,「もっとも賢明」な投資決定 が保障される.これが第一命題の含意である.
第7図 「資本主義の黄金律」の第一命題
次に第二命題について.
「産業におけるリスクを負担する人が,リスクにさらされる資源の利用についての決定を下 す力を,他人に譲り渡す義務がない場合に,そのリスクはもっとも果敢に負担されるだろう」
(同上).
「決定を下す力を,他人に譲り渡す義務がない」というのは,投資決定に関する権限の所在 があらかじめ決まっていることを意味する.下図(第8図)において,太枠のAが投資決定を 下すと事前に決まっている場合を考える.①の場合,Aの「リスク負担」がBよりも大きいの で,先の第一命題と同様に,投資決定は「もっとも賢明」なものとなる.
しかし,②の場合,Bに比してAの「リスク負担」が小さいにもかかわらず,Aが投資決定 を下すことになる.先の第一命題を参照すれば,より適切な判断を下すためには,Bに投資決
77 ロバートソンは,このことを次のように説明している.「賭けをする者は,賭けをしていない者と比べて,実際によりよ
い決定を下すだろう.そして,いかなる場合においても,賭けをする者もそうだと考えるだろう.それゆえに,彼は,テー ブルに賭ける掛け金を減らすことなく,決定権を他者に譲るということはしないだろう」(COI, 90).
Bの負担するリスク Bの負担するリスク
Aの負担するリスク Aの負担するリスク
①
②
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定を任せるべきである.しかし,この例では,権限の所在が A に固定されているため,A は
「果敢に bravely」リスクを負担する.つまり,この状況における投資決定は,大胆で,とき
には無謀なものになるのである.
第8図 「資本主義の黄金律」の第二命題
さらに,①の場合であったとしても,Aは自分に投資決定の権限が固定されているので,自 らが被りうる損失をできるだけ回避するために,より大きなリスクを B に転嫁する動機をも つ.そうすると,必然的に投資決定は,②の場合のように大胆なものになってしまう.これ が第二命題の含意である.
以上が,企業の投資決定に関する二命題である.しかし,ここで疑問に残るのは,「リス ク負担」の多寡がどのように測られるのか,という点である.誰が投資決定を下すかを考え る際には,各投資主体(上の例ではAとB)の「リスク負担」がどれくらいなのかを測る必要 がある.しかし,「リスク負担」の計測という点に関して,ロバートソンは何ら言及してい ない.それは,本章の冒頭や前項 4.1.2でも指摘したように,ロバートソンが,「リスク負担」
を「損失の恐怖」,すなわち,「努力」と結びつけていたからである.繰り返しになるが,
ロバートソンにとって,「努力」は決して肉体労働 labour だけを表しているのではない.
「努力」概念には,「実業家」による頭脳労働,すなわち,長期的な予測と,それにともな う「リスク負担」も,「真実費用」として「努力」の範疇に含まれるのである.
以上にみてきたとおり,COI においてロバートソンは,投資という経済活動の本質を,
「リスク負担」として捉えた.このような「努力」ゆえに,「実業家」は利潤という「満足」
を得られるのである.COI で「生産者協同組合」の仮定が部分的に除去され,「実業家」と
Bの負担するリスク
Bの負担するリスク
Aの負担するリスク Aの負担するリスク
①
②
70
いう経済主体に焦点があたることで,SIFでは「待忍」の範疇に一括されていた投資が,「実 業家」特有の経済活動として独立的に分析されたのである.