• 検索結果がありません。

貨幣の導入とその影響

第 5 章 融通主体としての「銀行家」と経済変動

5.1.1 貨幣の導入とその影響

貨幣と一般物価水準の関係について,ロバートソンは,「通貨量が増加すると,ほとんど 議論の余地なく,一般価格水準は上昇する」(SIF, 212)と主張した.また,Moneyにおいて も,「貨幣 対する 需要 一定 ならば ,貨幣の価値は利用できる数量によって決まる」

(Money, 30 , 訳30, 傍点部は原典では斜体)と述べているように,ロバートソンは,貨幣数量 説の枠組みで議論している.ゆえに,彼の議論では,貨幣量が増大(減少)すれば,貨幣の 価値は下落(上昇)して,一般物価水準は上昇(下落)する87

ロバートソンは,SIFの最終局面(part. Ⅱ, chap. Ⅲ)において,「貨幣と信用のメカニズ ムによって交換行為をしている」という事実が,「〔実物的経済〕変動論に重要な修正をも たらす」と主張した(SIF, 206, 〔 〕内は引用者).以下で,好況,恐慌・不況における 貨幣的影響を順にみていく.そうすることで,ロバートソンの経済変動論における,貨幣要 因の位置づけが部分的に明らかになるだろう.

ロバートソンは,第一に,繁栄・好況が生じそうな時点において,貨幣供給の増大が経済 変動に及ぼす影響を考察した(SIF, 211-216).まさに好況が生じようとしているとき,生産 拡大の必要性から貨幣需要は増大する.貨幣量を増大させることによって,その貨幣需要に 応えるならば,一般物価水準は上昇するだろう.そうすると,

「おそらく,もっとも有利な水準をこえて,全般的に産出量が増大するだろう.というのは,

価格の変動によって,……自分が売っている生産物が,急速かつ強く影響を受けるだろうと 考えるのは,すべての人間における当然の傾向だろうからである」(SIF, 212).

87 ロバートソンは,フィッシャーの貨幣数量説とマーシャルの現金残高方程式について,どちらも「自明の理truism」にす

ぎないが,前者は「市場の現象a phenomenon of the market」に注目しており,後者は「心の現象a phenomenon of the mind」

に注目した点で優れている,と評した(Robertson 1931b, 398).

87

つまり,価格上昇が全般的に生じているにもかかわらず,生産者(「実業家」)は自分の生 産物の価格だけ が上昇していると考える.こうして,「実業家」は,得られる「満足」が増 大したと錯覚 して「努力」量を増大させる.ここで「努力の生産性」を一定とすれば,すな わち,実物要因に変化がないとすれば,このような錯覚にもとづく「努力」量の増大は,

「努力の生産性」の変化という実物的な裏づけがないため,当然,過剰投資(得られる「満 足」に見合わないほどの「努力」)を意味するだろう.

しかし,好況期における貨幣的影響は,それだけではない.一般物価水準の上昇によって

「実業家」はいくつかの恩恵を受ける――(1)金利の低下,(2)在庫の名目価格上昇,(3)

実質賃金の下落.貨幣量の増大によって,一般物価水準が上昇する.そうすると,(1)金利 が低下し,資金調達の費用が抑えられる.また,(2)抱えている在庫の名目価格が上昇する ので,所有資産の名目額が増大する.さらに,(3)固定賃金である労働者への賃金支払いが 実質的に減少する(SIF, 213-214).

ただし,貨幣供給の増大によって「実業家」が受けるこれらの恩恵は,実際には,本質的 な「努力」や「満足」の変化にもとづくものではない.それにもかかわらず,これらすべて の恩恵は,「実業家に生産規模を拡大させる本当の誘因」(SIF, 213)となるのである.

SIFの実物的経済変動論で明らかにされたように,近代産業の特徴や投資に関する人間の本 性といった実物要因だけでも,必然的に過剰投資・過剰生産が生じる.そして,そこに貨幣 的影響が加わることによって,投資や生産はさらに拡大する.ゆえに,貨幣が存在する現実 の経済においては,実物経済と比べて,好況期における集中的投資の程度が,より顕著にな るのである.

しかし,好況期に「実業家が享受できる例外的な利点は,事実であれ虚構であれ,永久に 続くわけではない」(SIF, 217).物価上昇による「実業家」への恩恵は,時間がたつにつれ て,生産拡大が進むにつれて失われていく.そして,経済全体は,好況の帰結として,必然 的に恐慌・不況へと向かう.では,好況からの転換期である恐慌において,貨幣はどのよう な影響力をもつのだろうか.

88

好況期に生産が拡張されてから「懐妊期間」をへて財貨が市場にあふれはじめると,財貨 の過多により,その価格は下落する.こうして,その個別産業は不振に陥るため,さらなる 生産拡大は計画されにくい.ゆえに,さらなる貨幣需要も発生しにくいので,追加的な貨幣 発行はとまるだろう.このような貨幣不足は産業全般にどのような影響を及ぼすのか.

「通貨の制限が及ぼす,……より劇的な影響は,信用貨幣……の供給が停止されることによ って,実業家の操業に支障をきたすことである」(SIF, 221).

つまり,貨幣が不足し信用貨幣の供給も抑えられることによって,別の「実業家」も操業し にくくなり,さらに状況が悪くなれば,生産活動を停止せざるを得なくなる.しかし,「実 業家」は,その間も生活資料を確保しなければならないので,過剰生産の状況下における最 低価格で,手持ちの在庫を放出するしかなくなる.これが恐慌である.

貨幣的影響によるこのような恐慌の深刻化は,不況期をさらに長引かせる.

「大惨事の記憶は,……確と結びついて,信用通貨に対する実業家の需要も,銀行 家の供給も妨げてしまう.このような通貨不足は,新たな消費財供給の流入と結びついて,

貨幣表示の価格を累積的に下落させる」(SIF, 225,強調は引用者).

つまり,流通貨幣量が増えない上に,好況期に生産された財貨やその在庫が市場に流入する ことによって,財貨と貨幣のバランスが一層大きく崩れ,著しい財貨過多となる.こうして,

財貨の名目価格がさらに下落していくのである.そうすると,「実業家」はなおさら悲観的 になり,生産拡大に踏みだせなくなる.このようにして,貨幣は不況期を長引かせるのであ る.

89

以上のように,貨幣は,好況を顕著にし,その後の恐慌・不況を深刻化させ,さらには次 なる好況の到来を遅らせる.しかし,ロバートソンが主張したように,「貨幣の効果は,…

…本」(SIF, 218,強調は引用者).ロバートソンにとって,経済変動の 本質的な原因は,実物要因,すなわち,「努力」と「満足」にもとづく個人の意思決定にお ける変化である.貨幣要因は,あくまでも,実物的経済変動論に対する「修正 modification」

(SIF, 212)という扱いなのである.